第390話 手切れ金

 夏休みに入る頃には、マットとジャネットの婚約が正式に決まった。

 ウェリントン子爵がマットを気に入っていた事が大きく、他の候補者を寄せ付けない圧勝だった。

 フォスベリー子爵を仲人として結納を交わす。


 この状況で、まずアイザックが商人に「カービー男爵の婚約が決まった。ウェルロッド侯爵家の屋敷から近くにある空き家で良い物件があればいいなぁ」と吹き込む。

 マットのために、ジャネットを迎え入れる事ができる屋敷を探すためだ。

 このアイザックの行動の意味を商人達はよく理解していた。


 ――婉曲的な賄賂の要求。


 彼らは「マットのために良い物件を探してプレゼントしろ」という意味なのだと、すぐに察した。

「あればいい」というのは方便で「お前達が探して祝いの品として渡せ」という要求だと。

 商人達は露骨な賄賂を要求するアイザックに不満を持たなかった。

 この程度の賄賂の要求など、アイザックとの関係を保つためなら安いもの。

 他の大貴族の要求とは比べるまでもない。


 以前にも男爵家の三男坊であるトミーにも一軒家を贈っていたくらいである。

 男爵位を授かっているマットが屋敷を探しているというのなら、先を争って探していたところだ。

 屋敷一つでアイザックと、公爵家の騎士団長であるマットの機嫌を取れるのだ。

 話を聞いた商人達は、喜んで屋敷を探し始めた。


 そして屋敷を所有したら、まず必要になるのは使用人だった。

 これはウェルロッド侯爵家が用意してやる事にする。

 マットはアイザックの側近という事もあり、身分定かではない者を雇い入れて、敵意ある者達に弱みを握られるような事は避けねばならない。


 そのため、ウェルロッド侯爵家で働いている使用人の親族を紹介する事にした。

 彼らは基本的に子爵家や男爵家出身の家を継ぐ見込みのない者達だ。

 当然彼らだけではなく、その子孫も使用人として代々仕えてくれている。

 貴族の縁戚と呼べる関係は三代まで。

 子爵家の子供や孫なら男爵家の使用人として働くのは嫌だろうが、三代以上離れた者なら問題ない。

 しばらく教育係を派遣してやれば、上手く回るだろう。


 家財道具は必要最小限のものだけ準備する。

 嫁入り道具もあるので、すべてを用意する必要はない。

 必要になった物があれば、ジャネットと二人で家庭の色に合う物を買い揃えればいいからだ。

 アイザックは屋敷と使用人の用意をし、あとはマット達に任せるつもりだ。

 何か問題が起きた時は「先輩夫婦のトミーにでも聞け」とだけ言っておく。

『古今無双の英雄』『千里眼を持つ男』と呼ばれるアイザックといえども、夫婦生活はさっぱりわからなかったので、助言のしようがなかったからである。



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 マットの問題が一段落したところで、アイザックはもう一つの問題に取り掛かる。

 その問題であるフォスベリー子爵夫妻を呼び出した。


「この度は大変お世話になりました。ウェリントン子爵と話し合い、和解の条件も決まりましたので、その件につきましてもご報告させていただきます」


 夫妻は部屋に入るなり、すぐさま頭を下げた。

 だが、手土産はない。

 それが意味する事は一つ。


(忠誠を誓うので勘弁してくれってところか)


 今最も儲けているウェルロッド侯爵家のアイザック相手に金銭でのお礼は価値がない。

 物品も同様だ。

 珍しい品物も望むものが手に入るので、フォスベリー子爵が用意できるものではお礼にならない。


 ――ならば、今のフォスベリー子爵が用意できるものとは何か?


 忠誠を誓うという事くらいだろう。

 ダミアンのしでかした事の代償をアイザックに支払わなくてはならない。

 だが、支払えないのなら、あるもので払うしかない。

 嫌な言い方ではあるが「体で払う」という分類になる。


(王家への忠誠心もあるんだよなぁ……。身内にスパイを飼うようなものだし、断らないと)


 しかし、アイザックには迷惑でしかなかった。

 計画を教えて「そんなのに付き合えないから、王家にチクるわ」と離脱されたら致命的だ。

 義理堅い男相手だからこそ、アイザックには信用できない相手になっていた。


「ウェリントン子爵の反応が気になっていたところなんですよ。さぁ、どうぞかけてください」


 アイザックは、フォスベリー子爵夫妻に席を勧める。

 二人は勧めに従い、アイザックの正面に座った。


「それで、ウェリントン子爵はなんと?」

「カービー男爵を大層気に入っておりました。ダミアンよりも良い男を紹介してくれたからと、金銭での賠償のみでかまわないという返答をいただきました」


 報告するフォスベリー子爵の表情は、事実とはいえ、自分の息子をダメな男と言わねばならない苦渋に満ちていた。

 少なくとも、アイザックにはそのように見えた。


「金額は?」

「四千万リードです」


 思っていたよりかは高いが、ダミアンのしでかした事を考えると安い方かもしれない。

 ウェリントン子爵家のみならず、ウォリック侯爵家の名前にまで傷を付けたのだから。


「支払いは可能なのですか?」

「先の大戦で我が家は傭兵を雇っていなかったので、二千万リードならなんとか……」


 アイザックは「先ほどの表情は、この事に触れなければならなかったからだ」と悟った。


 ――金が足りない。


 その事をアイザックに話すという事は、実質的に借金の申し入れをしているのと同義である。

 何から何までアイザックに尻拭いをしてもらうというのは、やはりプライドを刺激するのだろう。

 だが、聞かれた以上は答えなくてはならない。

 呼び出された時に覚悟していたとはいえ、やはり精神的な負担は大きかったようだ。


 しかし、この展開はアイザックも予想していたうちの一つ。

 さほど驚きはなかった。


「さすがに正規軍の部隊長が、私兵を引き連れて戦場にいくわけにはいきませんからねぇ」


 領主が傭兵を雇ったり、雑兵を集めたりするのとは意味が違う。

 地方領主が正規兵以外を集めるのは、傭兵達を肉壁として使う事で、一人前まで育つのに時間がかかる兵士の損害を抑えるためだ。


 だが、王国軍は違う。

 王国軍の兵士は、すべて王国が給料を支払っている。

 部隊に大損害を出しても、指揮官の懐は痛まない。

 損害以上の戦果を挙げれば、非難される事なく出世する事ができてしまう。

「俺達がいるのに傭兵を雇うなんて……。まさか俺達を囮にして、自分だけが手柄を立てようとしているんじゃないか?」と思われてしまうのだ。

 だから王国軍の部隊長が傭兵を雇ったりはしない。

 戦場で部下の信頼を失った指揮官は、常に背後を気にしなくてはならなくなるからだ。


「はい。王国軍に入っていたおかげで、いくらかの余裕はございました。残りは数年かけて支払っていくつもりです」

「なるほど、なるほど」


 アイザックは何度かうなずく。


(てっきり金を貸してくれと言ってくるんだろうなと思っていたけど、さすがにそこまでは言わなかったか)


 フォスベリー子爵から「金を貸してほしい」と頼んでくるのなら、恩を売りやすかった。

 味方としては期待できずとも、軍内部の情報を教えてもらうなどはできたはずだ。

 これは金で済む問題なので、できれば手助けするという形で一枚噛んでおきたいところだった。


「ノーマン」


 アイザックは背後に控えるノーマンに、四本の指を立てて見せる。

 一連の話の流れでという数字にピンとこないものなどいない。

 すぐさま隣室に用意していた袋を四つ運んでくる。

 当然、フォスベリー子爵夫妻も、袋の中身に見当がついていた。


「エンフィールド公、これは……」

「ウェリントン子爵への賠償金の残りを数年かけて返す。きっとあなたはやり遂げるでしょう。ですが、ウェリントン子爵との関係は今以上に悪化するでしょうね。人というものは『どうしてこんなに苦しい思いをしているのに許してくれないんだ』と思う生き物です。『謝罪の気持ちは伝わったから、もう払わなくていいよ』と言ってくれないウェリントン子爵を、いつかかならず逆恨みする時がきます」

「そのような事はありません。こちらが悪いのですから、逆恨みするなど滅相もない。考えるはずがありません」


 フォスベリー子爵は、アイザックの言葉を否定する。

 そんな彼に、アイザックはフフフッと余裕の笑みを見せる。


「あなたはそうかもしれませんね。ですが、リスクは最低限にしておくべきです。僕が多くの貴族に無利子で金を貸しているという噂は聞いた事があるでしょう? 先に一括でウェリントン子爵に返済しておけば、心に余裕のある状態が生まれます。ダミアンはともかくお二人の関係は修復可能なものになるかもしれません。ここまで関わったのですから、最後まで世話させていただきますよ」

「ですが、そこまでしていただくわけには……」

「ダミアンが結婚する時の事を考えれば、金銭に余裕があった方がいいでしょう。返済期限と利子無しでお貸ししましょう」

「それはっ!?」


 ――期限も利子もない。


 実質、ただであげると言っているようなものだ。

 いくらなんでも、四千万リードを捨てるような真似をするほど親切なはずがない。


「もちろん、条件が二つあります」


 当然ながら、その代償を支払わねばならない。

 いくらキャサリンがいるとはいえ、無条件で貸し出したりするつもりなどアイザックにはなかった。


「一つ目は、ダミアンをすぐに処罰しない事。これは殿下が庇ったというのもありますが、同様の行為を行う者が現れないよう、しばらくは登校させてほしいのです」

「生き恥を晒させろ……、というわけですか」

「まぁ、そうですね。チャールズやマイケルもいますので、ダミアンだけが辛い思いをするというわけではありません。とりあえず、卒業するまでは登校させてください。ジャネットさんには関わらないように言っておく必要はありますけど」

「殿下が庇われたので、私としても扱いに困っておりました。卒業するまで処分をどうするか考える時間があるのはありがたいのですが……。ウェリントン子爵と相談したいところです」


 ウェリントン子爵は金で済ませると言ってくれたが、それはフォスベリー子爵が自分でダミアンにある程度の処罰を与えると考えたからかもしれない。

 何もせずに卒業まで様子を見るのなら、和解の条件を変えてくる可能性が高い。

 フォスベリー子爵としては、相談してから決めたいところだった。

 アイザックも気持ちはわかるので、これ以上強要はしなかった。


「二つ目は、僕からフォスベリー子爵夫人への手切れ金として受け取ってほしいというものです」

「手切れ金! ……ですか」


 これにはキャサリンが目を剥いて驚いた。

 アイザックと不倫などしていないので、手切れ金を受け取るような関係などではなかったからだ。

 まったく心当たりがないので、ただ驚くしかなかった。


「フォスベリー子爵夫人。僕が母上に助けを求めるなと言ったのに、あなたはダミアンがジャネットに謝罪をした時、真っ先に助けを求めにいきましたね?」

「そ、それは……」


 ダミアンが謝罪になっていない謝罪を行い、ジャネットを悲しませてしまった時の事だ。

 あの時は、ジャネットやアマンダを怒らせてしまったため、ついルシアに助けを求めに行ってしまった。

「明日にはフォスベリー子爵家が終わる」と思ったため、ジッとしている事ができなかった。


「いきましたよね?」

「……はい」


 返事がなかったので、アイザックが念押しする。

 キャサリンも、言い訳などできない。

 うなずいて答えるしかなかった。


「母上との関係改善には、僕も関わっています。夫人やダミアンにも、いくらかの思い入れがあります。だから、厳しい対応をしなかったという面もあります。ですが、それは今回だけです」


 アイザックは「これは冗談ではない」という真剣な面持ちで語り始める。


「ウェルロッド侯爵家に助けを求めてくるのはいい。でも、母上との友情にすがるような真似はしてほしくありません。母上の性格上、友人を見捨てるはずがない。だから、母上の代わりに僕が切り捨てる判断を下す時がくるでしょう。その時に判断を見誤らないよう、貸し借りはなしにしておきたいのです。母上の寂しさを埋めてくれた事に関する感謝は、今回の一件でチャラにします」


 アイザックは、ダミアンが起こした問題を解決した事と、目の前にある金で情を捨てようとしていた。

 これ以上、母を利用しようとする事は許せない。

 キャサリンに釘を刺すために、この流れを利用しようとしていた。


「ウォリック侯爵家まで敵に回すような事になって、これからどうなるのだろうと思うと、どうすればいいのかわからなくなってしまっていました。動転していたとはいえ、エンフィールド公の言いつけを破ってしまった事を反省しています。申し訳ございませんでした」


 キャサリンは震えた声で答える。

 ウォリック侯爵家も怖いが、アイザックはもっと怖い。

 今、リード王国で最も敵に回してはいけない男に睨まれている事に気付いたら、すぐこの場から逃げ出したい気分だった。

 ルシアの優しさに甘えてしまった事を猛省する。


「反省してくださったのなら、それで結構。次はないというだけです。今、何かをしようという気はないですよ。ただ、この条件は僕個人の要求なので、母上には言わないでおいてください。母上には、今までと変わらぬ態度で接していただきたい」

「はい、それはもちろんです。けっして言ったりしません。不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」

「わかっていただければいいんですよ。僕からの条件は以上です。この二つの条件を受け入れていただけるのであれば、このお金は持ち帰ってくださってかまいません」


 これはフォスベリー子爵夫妻にとって破格の条件だった。

 やはり親として愚かな子でも愛情はある。

 廃嫡したり、処刑したりせずに済むのならそれに越した事はない。

 アイザックがダミアンの様子を見る口実を作ってくれたのだから、感謝するところだ。


 キャサリンの事も同様である。

「約束を破ったな!」と処罰されても文句は言えないところだった。

 なのに、チャンスをくれた。

 ついでに多額の金銭もくれるという。

 なぜそこまでしてくれるのか理解できないほどの好条件だった。

 なんだかんだ言いながら、気にかけてくれているのだと思ってしまうくらいだ。


 だが、アイザックにとっては違う。

 ダミアンは、ニコルに捧げる生け贄として必要だっただけだ。

 キャサリンも、自分の中で踏ん切りをつけるためのきっかけが必要だったからである。

 アイザックは自分のための行動をしていただけ。

 結果的に、フォスベリー子爵夫妻にとって甘い対応になっただけだった。


「……私が差し出せるものは忠誠のみ。何もお求めになったりはしないのですか?」


 フォスベリー子爵は、あまりにも好条件だったために不審がる。

 それだけではなく、まったく見返りを求められない事で「お前は必要ない」と言われたように感じて傷付いていた。


「そうですね、必要ありません」


 あまりにもキッパリと言い切られたので、フォスベリー子爵は傷付いた。

 だが、アイザックの話には続きがある。


「あなたは王家に忠誠を誓っています。それはきっと揺るぎないものでしょう。だから、必要ありません。僕が求めているのは、カービー男爵のような僕への忠誠です」

「王家に忠誠を誓っていると、何か不都合でもあるのでしょうか?」

「あります」


 あまりにも酷いアイザックの答えに、フォスベリー子爵夫妻どころかノーマンまで戸惑う。

 まるで王家への叛意を持っているかのように思えたからだ。


 当然、アイザックはこんなところで本心を語る気などない。

 フォスベリー子爵を部下にしないための理由付けでしかなかった。


「カービー男爵なら、僕の命令を疑う事なく遂行するでしょう。では、フォスベリー子爵は? 僕の命令が王家のためになるか迷ったりしませんか? その迷いが致命的なミスを生むかもしれません。そうなると、フォスベリー子爵に頼める事は、ウェルロッド侯爵家傘下の貴族に頼めば済む程度の内容になるでしょう。ならば、フォスベリー子爵の忠誠を求めるまでもありません。王家よりも僕の命令に重きを置くという決心ができるのなら別ですが。どうです?」


 アイザックの言葉は信用できない相手を懐に入れないためのものだったが、非常に重い内容だった。

 フォスベリー子爵も即答できず、しばし考え込む。


「……無理です。心情的にはエンフィールド公の命令を優先したいところですが、やはり王家の方が重く感じられます」


 フォスベリー子爵は、正直な心情を述べる。

 こういった内容の話で、嘘をついてアイザックの機嫌を取ろうとする者よりは信頼できる男のように思えた。

 だが、人として信頼できる相手と、部下として信頼できる相手は別物である。

 やはり、味方に取り込むのは避けておいた方がいい相手だと再認識する。


「僕は僕で信頼できる部下がいます。おそらく、彼らは誰かに恩を受けたからといって、僕よりも恩人を優先するような者はいないでしょう。それと同じです。あなたは王家に忠誠を誓っているので、王家を優先する。それだけの事です。後ろめたさを感じる必要などありません」

「……エンフィールド公とお会いするのが数十年早ければ、おそらく閣下に忠誠を誓っていたでしょう」

「そう言っていただけるのは嬉しいですね。忠誠を求めないとはいえ、フォスベリー子爵に価値がないというわけではありません。軍に関する事で頼る事もあるでしょう。そういった時に力をお貸しいただければ助かります」

「その時は喜んで協力させていただきます。どのような事でもお申し付けください」


 突き放し過ぎると怪しまれるので、アイザックは「必要になったら助けを求める」と言っておいた。


「それで、先ほどの条件は呑んでいただけるのですか?」

「こちらには断る理由がありません。そうだな?」

「はい、私もサンダース子爵夫人に頼り過ぎていたと反省しています。これからは友人としての関係を壊さないように気を付けさせていただきます」


 二人とも快くアイザックの条件を呑んでくれた。

 不利な条件ではないので、断る理由もなかったからだ。

 二人は「迷惑をかけたのに、至れり尽くせりの対応をされた」という奇妙な経験をする事になった。

 だが、これで終わりではない。

 これからもおかしくなったダミアンと向き合って生きていかねばならないのだ。

 当面の問題が解決したからといって、気を緩める事など、まだまだできそうになかった。

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