第389話 マットの住処
一学期の終了間近になると、アイザックは行動に出る。
目的は、マットとジャネットの関係についての確認だ。
まずはジャネットから話を聞く事にした。
いつもは昼食を大勢で食べるが、今回は限られたメンバーで食べる事にする。
アイザックはいつもの友人達を呼び、ジャネットはアマンダとティファニーを同席させていた。
ある程度、事情を知っている者だけの集まりだ。
「今回はジャネットさんから聞いておかないといけない事がある。わかっているかとは思うけど、マットの事だ」
このタイミングで、アイザックが彼女を呼び出すのに他の理由は考えられない。
驚く者はいない。
「もう間もなく一学期が終わる。婚約者に決めるのかどうか、ジャネットさんの気持ちが聞きたい。もし『もう三年生だし、他に相手が見つからないかもしれない。だから、嫌だけどマットで妥協しておこう』と考えて、卒業するまで違う相手を探したいというのなら、しばらくはマットに婚約者を探させないという事もできる。マットも誰でもいいからすぐに結婚したいという感じではないしね」
婚約話に関して、アイザックが真っ先に思い出したのはリサだ。
彼女は三年生になっても婚約者が決まらず、かなり焦っていた。
焦りが冷静な判断を妨げる事になる。
だから、マットをキープしておくという選択を提示した。
迷ったかのようにジャネットは目を閉じ、しっかりと考える。
そして、目を開けると、彼女の表情から迷いが消えていた。
「カービー男爵と……、マットさんとは婚約したいと思っています」
周囲から「おぉ」という小さな声があがる。
ジャネットの婚約が決まるのなら、めでたい事だ。
ティファニーやジュディスという足踏みしている者達と違い、彼女は一歩先へ進む。
婚約者に捨てられた女の子が立ち直る事ができるという好例となる。
ただ婚約者が決まったというわけではなく、それ以上の意味があったからだ。
「家族の押しに負けてとかではなく?」
アイザックの再確認に、ジャネットはコクリとうなずいた。
「フォスベリー子爵が紹介するだけじゃなくて、自分から売り込んでくる人達もいたんだけどね。みんな、私に興味を持っていなかったんだ。誰もがアマンダとの繋がりを求めているのが見え見えだったよ」
「ジャネット……」
アマンダがジャネットを気遣う。
自分との関係が、彼女の足かせになってしまっているという事実は、心苦しいものだったからだ。
ジャネットは「大丈夫だ」と視線で答えた。
そして、話を続ける。
「けどね、だからこそ気付けたんだ。マットさんの良いところにね。あの人はアイザックくんに絶対の忠誠を誓っている。だから、出世なんて目もくれない。ウォリック侯爵家との関係を、まったく気にする様子がなかったよ」
(いや、それは貴族としてどうなんだろうか……)
アイザックだけではなく、皆がそう思ったが、誰も言葉にはしなかった。
本人が良いのなら、口出しするような事ではない。
それにアイザックの側近という事は、将来的にウェルロッド侯爵家で重要な役職につけるという事だ。
マットが出世を考えていなくても、ある程度はアイザックが引き上げてくれるはずである。
心配する必要がなさそうなので、誰もツッコまなかったのだった。
「他の人達と違って、マットさんは私の交友関係なんて眼中になかった。私の事だけを見てくれたんだ。最初の頃は『見合いの場なんだから、嘘でも私の事を一番に考えるって言ってくれてもいいのに』と思ってたけど、その事に気付いたら嬉しくてね。今ではマットさんの事ばかり考えてる」
どうやらジャネットは、マットの愚直なところを好意的に解釈してくれたらしい。
とはいえ、マットも彼女の事を気に入っていたので、本当の事かもしれない。
「じゃあ、マットと婚約するっていう方向でいいんだね?」
「あぁ、そうしてくれると助かるねぇ……。マットさんの方はどうなんだい? 私みたいなガサツな女、本当は嫌なんじゃないかい? 本当のところを教えてくれないか?」
ジャネットは、マットがどう思っているかが気になっているようだ。
それもそうだろう。
一方的な好意を持つのが辛いという事は、彼女もよく知っている。
マットの本心が気になるのは当然の事だった。
「マットからは、まだ何も聞いていない。けど、ジャネットさんが嫁に来てくれたらいいなと思っているはずだよ。僕だってジャネットさんは、マットの足りないところを補ってくれる人だと思っているくらいだからね」
「足りないところ……。そうだねぇ、あの人はちょっと頼りないところがあるからねぇ」
デート中の事を思い出してか、ジャネットはクスクスと笑う。
彼女の笑顔は、ダミアンの一件から立ち直りつつある事を周囲に知らしめた。
「あのっ、差し支えなければ、マットさんと何があったのか教えてほしいんだけど……。いいかな?」
ポールがジャネットに、マットの話を聞こうとする。
これは純粋な興味からだった。
彼もマットと話した事はあるが、趣味や日常生活に関する事を深く聞いたりはしていない。
――歴戦の傭兵で、おちゃらけたりしない寡黙な男。
そんな男が、女性に対してどんな顔を見せるのかが気になってしまったのだ。
ジャネットもマットの事を話したかったのか、断らずに話し始める。
「元傭兵だからなのかもしれないけど、常識がちょっと違うなって思ってさ。例えば、ネックレスをプレゼントしてくれるっていうから店に行ったんだけれど、値段が高いほど良い物だとしか考えていなくって」
ジャネットの話を聞いて、アイザックは思い当たるところがあった。
「あぁ、なるほど。最近流行の百万リードのネックレスよりも、流行遅れの三百万リードのネックレスの方がプレゼントとして喜ばれると思っているわけか」
「その通りだよ。でも、そういう抜けているところがあるからこそ、私がサポートできる。必要になってくるんだと思うと、やっぱりマットさんと婚約したいなと思う自分に気付くんだよ。……やっぱり、アイザックくんはマットさんの主君だね。よく知ってる」
「よくは知らないよ。マットの事で知っているのは表面的な事だけ。今ではジャネットさんの方が詳しいんじゃないかな」
アイザックは、ハハハと乾いた笑い声をあげる。
マットが物の価値をわからないと思った理由は、自分の事だったからだ。
リサとデートをした時に、彼女から「値段だけで判断するのはよくない」と指摘されていたのだった。
装飾品には流行り廃りがある。
流行の物は若者が、流行遅れの物は大人が身に付けるというのが一般的だった。
これは流行の品なら若者は比較的安い物でもよく、いい年をした大人は流行に関係なく、年相応に価値のある物を身に付けるべきだという風潮があったからだ。
――一流のブランド品で着飾るのは淑女として見られるようになってから。
ファッションにも貫禄が必要だ。
見栄を張っていい格好をし、服に着られているような者は笑われてしまう。
年相応の格好をするのが一番である。
マットは傭兵出身で、服装に関してはまだまだ勉強しきれていないので、そこがネックとなってしまっている。
アイザックも庶民の感覚が抜けきっていないので、貴族よりもマットに近い価値観を持っていた。
「元を辿ればマットも貴族の家系だ。だけど、二百年も傭兵稼業をしていた家系でもある。貴族として生きていくのに足りないものだらけだ。そういうところをジャネットさんが補佐してくれるのなら、僕としてもありがたい。マットも理不尽ではない指摘なら聞き入れる耳を持っているだろうしね。渋るようなら、僕からどんどん指摘するように言われていると言ってくれていいよ」
「そうさせてもらうよ。もちろん、本人の良いところを潰すような事はしない。貴族社会で生きていくのに必要な事だけを注意させてもらうよ」
「うん、匙加減は任せるよ」
ジャネットがマットの弱点を潰して、長所を伸ばしてくれるというのなら、これ以上アイザックに言う事はない。
彼女に任せてみようと考える。
「アイザックくん……、良い人を紹介してくれてありがとう」
「フォスベリー子爵が紹介したんですよ。マットの事を気にいったのなら、それはフォスベリー子爵の功績です」
「そういえば、そうだったねぇ。お父様にはフォスベリー子爵家に対する賠償を、あまり厳しくしないように話しておくよ」
フォスベリー子爵ではなく、アイザックがマットを推薦したのはわかりきった事だった。
だが、アイザックがそう言うのであれば、そういう事にしておくべきだろうと考える。
ダミアンの事はショックだったが、マットという相手を見つける事ができて、ジャネットは自分の人生を新たに歩み始めた。
あとはこのまま無事に卒業式を迎えるだけである。
アイザックには、マットがニコルと接触するのを、できる限り避けさせる必要があった。
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屋敷に帰ると、アイザックは真っ先にマットに会いにいく。
ジャネットだけではなく、彼の気持ちも確認しておきたかったからだ。
今回も彼は部屋でトミーと共に書類仕事をしていた。
「やぁ、マット。仕事中すまないね。そろそろ期日だという事で、ジャネットさんへの気持ちを確認しにきたんだ。まだ婚約したいという気持ちはあるかい」
「ございます。彼女と話せば話すほど惹かれますね。私に無い知識を持っているので、妻として隣に居てくれれば心強いとも思います。貴族として生きていくのに、彼女以上に最適な相手は思い浮かびません」
「それはよかった」
マットも気に入っているようなので、この件はこれで仕舞いだろう。
「やっぱり、手料理が決め手だったのかな? 胃袋を掴まれると弱いって聞くし」
「それはありますね。武官の家系だけあって、料理も味が濃いものを作ってくれますので」
体を動かすと塩味が効いた料理を食べたくなる。
その点、ジャネットは心得たものだった。
武官の家なので、どの程度の味付けを好むかをわかっている。
日々の鍛錬で汗を流すマットが求める味付けの手料理を食べさせていた。
二人の相性はバッチリなのだろう。
「もう連絡はしたの?」
「こちらからは正式な婚約にしたいと話しただけです。フォスベリー子爵との約束の期限が過ぎてから、返答をいただけるとの事でした」
「そうか、そうか。順調なようで何よりだ。それじゃあ――」
アイザックは重要な話題をマットに切り出そうとした。
「――独身寮から出てもらおうか」
「なんですと!」
マットがガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。
「なぜそのような事を仰るのですか!?」
「なぜもなにも、そのままだよ。
アイザックは呆れたように答える。
そんな事をすれば、周囲の顰蹙を買う事だろう。
――なぜなら、他の住人は独身者ばかりなのだから。
「それはそうですが……。独身寮は屋敷の敷地内にあるので便利なのです。起きれば食事も用意されていますし、すぐに仕事に移れます。閣下の危険にもすぐに駆け付けられるのですよ!」
「確かに緊急時には助かるけど……。トミーだって、仕えた当初から自宅出勤だよ。結婚していたからね。それに、これからはジャネットさんが料理を作ってくれたりするじゃないか。家を買って、気兼ねなく新婚生活を楽しみなよ」
「ですが、彼女が卒業するまで、まだ日があります。それまでどうすれば……」
アイザックに言われても、今回に限ってマットは渋る。
自分の生活に関わる重要な事なので、これだけは譲りたくないのだろう。
だが、アイザックとしても、マットのために説得したいところだったので譲れない。
「使用人を雇えばいいじゃないか。料理を作ってもらうにしても、家の掃除や洗濯までやらせる気はないんだろう?」
「それはまぁ……。貴族の娘ですし、そこまではやらせるつもりはありません」
「だったら、料理人を雇うのも問題ないはずだ。一時的に雇ってもいいし、料理もできる使用人を雇って、結婚するまでは厨房も任せるという形を取ってもいい。寮を出て、一人暮らしを始める準備に取り掛かるんだ」
「はぁ……」
アイザックが説得しても、やはりマットの反応は鈍い。
彼の姿は、前世の自分を思い出すようだった。
(「彼女ができた時に備えて一人暮らししなさい」って言われても「どうせできないから」って実家暮らしだったもんな。貯金するにはいいけど、マットは十分な収入があるし結婚もする。一人立ちさせてやらないと)
――前世の両親がどんな思いをしていたか。
それを年上の男から、わからされるのは複雑な気分だった。
「居心地がいいから」と甘やかしてはいけないのだ。
心を鬼にして、寮から追い出そうとする。
「マット、君はもう男爵という社会的地位を持つ人間だ。そして、もう間もなく家庭を持つ男となる。ジャネットさんに『こんなに情けない男だったのか』と思われないようにしないといけないんだよ。傭兵時代は自分で全部やってたんだよね?」
「最初の頃は……。名を上げていくうちに、雇い主や他の傭兵達が食事や寝床の用意をしてくれるようになりましたので、ほとんど人頼りでした」
「へぇ、そうなんだ……」
雇い主は凄腕の傭兵に活躍してもらうために丁重に扱い、傭兵達もマットが活躍すればするほど手柄のおこぼれに預かる事ができるので世話をする。
流浪の傭兵生活だったと聞けば大変そうだが、意外と快適な暮らしだったのかもしれない。
「じゃあ、これからは違う生活になるという事を覚悟しておいてくれ。ジャネットは使用人じゃないんだ。世話をしてくれるお母さんでもない。奥さんなんだからね。大変な事も一緒に乗り越えていくという事を忘れないでおいてほしい。その一歩として屋敷を購入し、寮を出て行く準備を始めるんだ。いいね?」
「はい……。しかし、仲のいい夫婦でも喧嘩をすると聞きます。夫婦喧嘩をした時、私はどこに行けばいいのですか?」
「家に帰れ」
アイザックは溜息を吐きながら、マットを突き放す。
(ジャネットを追い出すんじゃなくて、自分が出て行く事を真っ先に考えるとか……。もう尻に敷かれてるのか?)
戦場では頼りになる男も、私生活では弱腰のようだ。
こういったところをジャネットが支えていってくれる事を、アイザックは願うばかりだった。
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