第384話 代わりの婚約者

 屋敷に帰ると、制服から着替える。

 制服姿で屋敷をうろつくと「また緊急の問題か」と使用人達が心配してしまうからだ。


(けど、今回の一件で悪い事ばかりじゃなかった。ケンドラも少し長く居てくれたからな)


 ルシアがキャサリンを心配していたので、例年よりも一週間だけ長く王都に残ってくれていた。

 その一週間で、ケンドラ成分を補充している。


 今年からはリサも王都に滞在する事になった。

「アイザックのそばに婚約者がいないから、女性問題を起こすのだ」という祖父母の心配から、晴れてケンドラの乳母役から解放された。

 リサはアイザックと一緒にいられる事を喜び、ケンドラと別れる事を悲しんだ。


 そして、公爵夫人としての教育係がルシアからマーガレットに変わる事に気付き、リサは青ざめていた。

 それもそのはず、ルシアは「侯爵家に嫁いで苦労した」という経験から、リサに「侯爵家に嫁ぐ心構え」も教えていた。

 だが、マーガレットは違う。

 彼女はソーニクロフト侯爵家の女だ。

 リサやルシアとは育ってきた環境が違う。

 当然、厳しい目で見られ「なんでこんな事もできないの?」と、お小言をもらう事になるのは確実だ。

 必要な事なので逃げはしないが、憂鬱な気分になるのは避けられなかった。

 アイザックが上手く彼女の心をケアしていかねばならない状況となっていた。


(リサに集中できるよう、ダミアンの一件を早く片付けないといけないな)


 アイザックは、早速マットのところへ向かう。

 この時間なら騎士の詰め所にいるはずだ。

 詰め所といっても、エンフィールド騎士団専用のものはない。

 ウェルロッド侯爵家の騎士と兼用のものである。

 騎士自体も両家の騎士団を兼ねている者ばかりなので、運用に問題はなかった。

 騎士団長と副団長である、マットとトミーの分の部屋を用意するだけだった。


「やぁ、おつかれさま。そのままでいいよ」


 詰め所に入ると、最初に「そのままで」と伝える。

 入口付近にいた騎士は一度礼をする。

「そのままで」と言われても、本当に何もしないわけにはいかないからだ。


「マットはいる?」

「はい、今は部屋で仕事中かと思われます」

「わかった。ありがとう」


 アイザックは、マットのために用意された部屋に向かう。

 ノックをすると、中から「入れ」という返事が聞こえた。


「仕事中お邪魔するよ」

「閣下!? これは失礼致しました」


 ノックの主がアイザックと知り、マットは慌てて立ち上がって頭を下げる。

 トミーもマットに倣って同じ行動をする。

 当然ながら、アイザックは怒ったりはしない。


「気にしなくてもいいって。僕から来るとか思わないだろうしさ」


 普通はマットを呼びつけるところだ。

 アイザックから出向いたりはしない。

 この場合、失礼なのはアイザックの方だと言える。

 だが、失礼でも許されるのがアイザックの立場だった。

 だから謝ったりはしない。


 このやり取りの間、アイザックは素早く部屋をチェックする。

 エンフィールド公爵家の騎士団は小規模なので、マットが処理する書類の量は少ない。

 しかし、四苦八苦している様が見て取れる。


「本日はどのようなご用件で?」

「仕事の様子を抜き打ちで確認しにきた――」


 マットも傭兵だったが、商人に代金を誤魔化されないために読み書きや計算はできる。

 とはいえ、彼に組織の運営に必要な知識はない。

 今もトミーに教わり、書類作成の手順を学んでいる最中だった。

 アイザックの言葉に、マットはビクリと体を震わせる。


「――というわけじゃないよ。いきなりそんな事をされても迷惑なだけだろうしね。実はフレッドに頼まれたんだ。またマットと手合わせをしたいって」

「ウィルメンテ侯のところの……」


 マットが、一瞬嫌そうな表情を見せた。

 アイザックは良くも悪くも、公爵とは思えない気さくさがある。

 フレッドも一見気さくそうに見えるが、騎士にとって悪夢とも言える悪癖を持っている。

 できるだけ関わりたくないというのが本音だろう。

 それはアイザックもわかっている。


「気を使って負ける必要はない。普通に戦うだけでいいんだ。もし、わざと負けるよう暗に要求されたら、僕の名前を出して断ってかまわない」

「ウィルメンテ侯爵家との関係が悪化しませんか?」

「勝てないからと嫌がらせするようなら、思いっきりコケにしてやるさ。もちろん、小馬鹿にするような態度は、いつだって見せてはいけないけどね。一定の敬意は見せつつ、勝負事では譲らないという態度を取っていれば問題ない。勝てないからと癇癪を起こすようなら、適当に引き上げてくれていい。あとの問題は僕が片づける」

「それならば、喜んでお受け致します」


 マットは、ご機嫌取りの必要がないとわかると快諾した。

 彼の剣は殺しの剣。

 手加減をして貴族のご機嫌を取る方法など知らなかった。

 わざとらしく負ける事ができなかったので、容赦なく叩きのめしていた。


「問題は片づけるとは言ったけど、取り返しのつかない大怪我をさせたりしないでよ。魔法で治せるといっても、心の傷が残るからね。クロードさんに何度も頼んだりするのは申し訳ないし」

「わかっております。生かさず殺さずですね」


 マットが微笑むと年長者の余裕というものが見えるのが、アイザックには不思議だった。

 

(全然わかってねぇのに、なんでこんだけ自信があるんだろう……)


 アイザックは一言も「生かさず殺さずのギリギリまでやれ」とは言っていない。

「大怪我をさせるな」と言っただけだ。

 こういった認識の違いを修正しておかねばならない。

 しかし、アイザックが上から言っても聞き入れにくいかもしれない。

 あとで教育係のトミーから忠告してもらう事にする。


「それでさ、もう一つ話があるんだけど……。マットはモーズリー男爵家から婚約者の紹介とかしてもらっていたはずだよね? あれってどうなってるの?」


 ジャネットの事を持ち出す前に、これは聞いておかねばならない事だった。

 モーズリー男爵家が探しているのに、横から口を挟むような真似をすれば反感を買ってしまう。

「たかが男爵家」と考える事は容易だが、ダミアンが引き起こしている今の状況を考えれば、男爵家相手でも侮るような真似は避けるべきだろう。

 火種になりそうなら、避ける事も選択の一つだった。


 尋ねられたマットは、少し困ったような表情を見せる。

 だが、アイザックに問われた以上は答えるしかなかった。


「実は……、断り続けています」

「だろうね。良い相手がいれば婚約してるだろうし、そういう話がない時点で上手くいっていないんだろうとは思っていた。何か理由はあるのかい?」


 アイザックに聞かれたとはいえ、この質問にどう答えるのかマットは迷った。

 しかし、正直に答えるべきだと考え、渋々ながら返事をする。


「……貴族の娘が嫌いなのです」

「嫌い!? どうして?」

「美しさを保ち、男の隣にいればいいと考えているところが苦手です。家事は使用人任せにすればいいと考えたりしているところなどが特に」

「あぁ、そうか。モーズリー男爵家は本当に条件の良い相手・・・・・・・・を紹介してくれていたんだね」


 学生にも二種類いる。

 アイザックのように領地の運営を学ぶため親と同居するタイプと、卒業後は独立して暮らす事を考えるダミアンのようなタイプだ。

 当然「親と同居する=使用人付きの屋敷で住む」という事が確定している。

 マットが紹介されているのは、高位貴族にも嫁ぐ事ができる立ち位置にいる娘達ばかりなのだろう。

 親も相応の立場にいるはずなので、貴族としては条件のいい相手だ。

 モーズリー男爵家が、マットの事を丁重に扱っている事がわかる。

 だが、彼女達がマットの好みに合うかどうかは別問題である。


「使用人任せで自分は何もしない。まるで自分の収入や財産目当てのようで気分が悪いって事かな?」

「もしかしたら、そういう感じなのかもしれません」 


 マットも彼女達が合わない感覚を上手く説明できなかった。

 しかし、アイザックの言葉で、その理由がわかったような気がする。


「美しい女は嫌いではありません。ですが、貴族の女はイマイチ合いません。リサ様やジュリアのような女がいれば、相手として考えないでもないのですが……」

「……そういう事なら、早く相談してくれればよかったのに」

「そうですね」


 アイザックは、トミーと見つめ合う。

 マットは傭兵暮らしが長かったため、貴族の事を詳しく知らない。

 パーティー会場で様々な令嬢達と話す機会はあるが、ああいった場所では姿を取り繕っている。

 下級貴族の娘達が、本当はどんな姿をしているのかを知らないのは無理もない。


「マット、リサはケンドラの乳母役をやっていたけど、貴族の娘が子守りをする事自体は珍しい話じゃない。素性がはっきりとしているから、短期間のアルバイトとして雇ったりするんだよ」


 これは原作ゲームでニコルのアルバイトの一つに子守りもあったから、最初から知っていた。

 リサのように乳母として長期間になるのは珍しいが、出掛ける時に子守りを頼んだりするのは珍しくない。

 彼女だけが特別というものではなかった。

 トミーも、マットに説明をする。


「ジュリアも特別というわけではありません。僕のような三男坊は実家からの支援がないので、結婚相手は使用人抜きで暮らす事を覚悟しておかねばならないのです。ですので、料理や掃除をする貴族の娘というのも大勢います。この屋敷で働いているメイドも、ほとんどが貴族の娘なのですよ。でも、彼女らは雑用をやっているでしょう?」

「確かにその通りだ……」


 マットは目から鱗が落ちた気分だった。

 侯爵家の屋敷で働く者は、素性がはっきりとしている者ばかり。

 つまり、貴族の令息・令嬢ばかりという事である。

 すぐ身近にわかりやすい例があった。

 だからこそ、マットにはわからない事もある。


「では、私が見合いをしていた者達は?」

「貴族としては良い相手だよ。代官を任されている家とかなら、親から仕事を学ぶ必要があるから同居する。だから、使用人がいる暮らしが前提となっているんだ。マットは男爵家当主で、エンフィールド公爵家の騎士団長だから、屋敷で使用人を使っているのは当たり前。その当たり前に合わせた相手を紹介してくれていたんだよ」

「そういう事だったのですか」


 事情がわかれば、どうという事もない。

 傭兵時代の感覚を引きずっているせいで、貴族の感覚を理解できていなかっただけだ。

「貴族の女はこういうもの」と思いこんでいたせいで、タイプではない相手を紹介され続けていただけ。

 一言「こういう女性がタイプ」と言っておけば、避けられていた事態だった。


「もし、よかったら僕の知っている人を紹介するよ。きっと気に入ると思う」

「閣下のご紹介であれば喜んで、と言いたいところなのですが、ダメだった場合に閣下の面子を潰すような事にはなりませんか?」

「それは大丈夫だよ。無理に結婚させようというつもりはないからね。ただ、孤児院の時の事もあるし、家庭内に支えてくれる人がいた方がいいんじゃないかとは思ってね。合わなければ合わないでいいよ」

「そういう事であれば、会わせていただきます」

「じゃあ、日取りが決まったら教えるよ」


 とりあえず、マットを会う気にさせる事はできた。

 あとは、フォスベリー子爵と口裏合わせをして、ウェリントン子爵とジャネットに気に入ってもらい、マットにもジャネットを気に入ってもらうだけである。


「相手はどのような者なのですか?」

「それは会ってからのお楽しみにしておこう。偏見の目を持たずに会ってほしいしね。けど大丈夫。美人だし、胸だって大きいよ」


 アイザックが手で胸の形を作ると、マットが含み笑いをする。


「今までで一番、閣下を身近に感じる気がします」


 とりあえずは、スタートラインに立てた。

 あとはお互いに気に入るかどうかである。


(孤児院の時のように、マットが暴走したら困る。ジャネットが手綱を握ってくれるのなら、それがいいんだけど……)


 アイザックとしては、マットがつまらぬところで罠に嵌められてほしくない。

 尻を引っ叩いてくれる妻がいるのなら、それが一番だ。

 ウェリントン子爵の怒りを鎮める事ができれば、キャサリンを救う事もできる。

 その上でフォスベリー子爵に恩を売り、ダミアンをニコルに捧げる事が出来れば満足だ。

 

 マットが見た目だけは、物腰柔らかな男でよかった。

 ついつい貴族の一員として見てしまう。

 中身は傭兵のままなのに。

 おかげでジャネットに紹介するチャンスを作る事ができた。

 問題は、傭兵時代とさほど変わらぬマットを、ウェリントン子爵がどう見るかだった。

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