第373話 二年生のバレンタインデー

 二月十四日。

 この日は、例年通りアイザックには何一つ関係のない日になるはずだった。

 だが、今年は違った。


(やっぱり、知ってしまうと見方が変わるな)


 いつも通り、みんなで昼食を食べている。

 しかし、周囲にアマンダやティファニー、ジュディスにロレッタまでいる事に、アイザックは思うところがあった。

 彼女達の想いを知ってしまったので、彼女達がここにいる理由も察しがつく。


 ――好きな人と一緒に居たいから。


 想いを告げられたので、自意識過剰な思いこみではないはずだ。

 前世なら喜んでいたところだが、今は喜べない状況である。


(アマンダとティファニーは一年の時から一緒だったけど……。俺の事が好きだったから、一緒に食べていた? 友達が少ない奴を憐れんでじゃなくて? だったら、結構酷い事していたような気がするぞ……)


 ウォリック侯爵に言われて渋々一緒にいたのではなく、本人の意思でいたのだ。

 恋心を抱かれているとは知らず、かなり素っ気ない態度を取ってしまっていた。

 その事を申し訳なく思う。

 だが、申し訳なく思うのは食事をしている最中だけだった。


 ――異常は教室に戻る時に感じた。


 廊下の角で、三年生の女子が待っていた。

 勉強会でも見かけた事のある生徒である。

 彼女はハンカチを握り締めて、アイザックを見ていた。


(もしかして、俺に?)


 アイザックは彼女に興味を持っていなかった。

 しかし、助けたりした女の子ではなく、普通に接しただけの女の子に好意を持たれたのだ。

 告白しようと思ってくれる気持ちは素直に嬉しい。

 前世ではありえないシチュエーションだった。

 だが、彼女の様子がおかしい。


 ――すぐに恐怖を顔に貼り付けて、その場をすぐに立ち去ってしまった。


 アイザックは「何事だ?」と首をかしげるばかりだった。

 しかし、二度、三度と似たような事が続いたので、アイザックも異変の原因に気付いた。

 立ち去った者達は、アイザックを見て逃げたのではない。


 ――アマンダ達を見ていたのだと。


 アイザックは、アマンダに視線を向ける。


「んっ、なに?」

「いや、なんでもない……」


 彼女は無垢な笑みを返した。

 だが、アイザックは騙されない。


(そうだよ。なんで気付かなかったんだ。俺の立場を考えれば、ニコルほどじゃなくても『とりあえず、告白するだけしてみよう』と思う女子が、学年に一人くらいいてもおかしくない。なのに、去年の告白はゼロ。それはつまり、邪魔する者がいたという事だ)


 おそらく、アマンダが睨んで遠ざけたのだろう。

 正妻の最有力候補に睨まれてまで、アイザックにハンカチを渡そうとする事はできない。


(いや、待てよ。怖さを感じないアマンダだけなら恐れたりはしないだろう。今年はアマンダだけじゃない。王女のロレッタやジュディスまでいる。彼女らにも睨まれたりしたから、怖がって逃げたんじゃないのか?)


 アイザックは、ロレッタやジュディスを見る。

 ロレッタは「なにもしていませんよ」と笑みをアイザックに返した。

 ジュディスも笑みを浮かべている。

 髪留めをしているので、その表情がよくわかる。

 だからこそ、アイザックは確信を深めた。


(きっと彼女達も威嚇していたんだ。だから、勝利の笑みを浮かべているんだ……)


 彼女達がやっている事は、アイザックがやっている事と本質的に大差はない。

 むしろ、ライバルになりそうな相手を威嚇して追い払うだけで済ませているので、アイザックよりも優しいやり方だ。

 アイザックに非難する事はできなかった。


 このアイザックの考えは、ある程度正しかった。

 去年はアマンダと彼女の友人達がアイザックを守り、今年はそれにロレッタやジュディスも加わっていた。

 だが、勝利の笑みを浮かべているというのは、アイザックが受けた印象である。

 実際は「知りませんよ~」と、とぼけるために笑みを浮かべていただけ。

 その点は、アイザックの驚きを受けた事で疑った見方をしてしまったせいだった。


(……あれ? これってマズイよな……)


 アイザックは彼女達の行動に戦慄を覚える。

 自分と大差ない行動という事は、彼女達も自分を手に入れようとしているという事。

 特にアマンダは同級生を味方にしている様子。

 アイザック包囲網を張っている。

 もしかすると、包囲網を張り終わっているかもしれない。


 女の子達の想いを知った事で、アイザックは彼女達の見方が変わった。

 そして、自分の置かれている状況にも気付いた。


(俺がパメラを手に入れるのが早いか、逃げ道を塞がれて結婚しなくてはいけなくなるか……。前世だったら幸せだったのに……)


 女の子達に奪われ合うなど、漫画の中でしか見た事がない夢のような出来事だ。

 しかし、それも時と場合による。

 パメラを狙っているアイザックには重荷でしかなかった。


「そろそろ昼休みが終わるから、教室に行こっ」


 ティファニーが、みんなに声をかける。

 彼女は「アイザックに愛されている」と思っているだけで、アイザックを手に入れようとはしていない。

 この場において、アイザックの癒しともいえる貴重な存在だった。

 だが、いつかは本当の事を説明しないといけない。

 その事を考えると気が重くなってしまうので、今は考えないようにしていた。


「アイザックくんと……、クラスが違うの……、寂しい……」


 教室に戻ろうとすると、ジュディスが「行かないで」とアイザックの手を取ろうとする。

 その手をロレッタが素早く、かつ優しく掴んで止める。


「先輩。殿方の腕に抱き着くのは、はしたなくってよ。おやめになった方がよろしいですわ」


 ロレッタは声を荒げたりしない。

 冷静かつ静かに、ジュディスをたしなめる。

 ジュディスは一瞬ムッとした表情を見せるが、相手がロレッタなのですぐに平静を装いながら手を下げる。

 ロレッタは、ジュディスと対照的に満足そうな表情を見せた。


「私もアイザック先輩と同じクラスではありません。それどころか、学年も違います。それでも我慢しているんですよ。先輩も我慢してください」

「まぁまぁ、そんな風に言わなくても。肝心なのは、アイザックくんの気持ちだよ。何人かの側室を迎える事だって十分に考えられるんだ。ジュディスさんだって、その一人になるかもしれない。あんまり責めるのはよくないよ」

「それは……」


 ロレッタが「してやられた!」という表情を見せる。

 彼女は、とっさにジュディスの行動を止めてしまった。

 これは感情的な行動である。


 それに対し、アマンダは大人の対応を見せた。

 ロレッタをなだめ、複数の夫人を持つ事を認めると言った。 

 これはティファニーの存在を考えての事だったが、ロレッタにはそうは思えなかった。

 アイザックに対して「理解ある正妻のアピール」として、彼女の目に映っていた。

「アマンダに一歩リードされた」と思い、悔しそうな表情を見せる。

 だが、ロレッタが考えているように、アマンダがアイザック正妻候補としてリードしたわけではなかった。


 ――アイザックが彼女達のやり取りに引いていたからだ!


(えぇ……。こんな風に奪い合いになるのか……。まったく嬉しくないぞ……)


 漫画で読むヒロインに奪い合われる主人公は、羨ましい立場に見えていた。

 しかし、自分を奪い合う彼女達の姿を見ると、嬉しいと思うよりも、怖いと思う感情の方が強い。

「この場をどう収めよう」という事しか頭になかった。

 彼女らの必死の駆け引きなど、アイザックには効果がない。

 むしろ、逆効果だという事も知らず、火花を散らし続ける。


「……ティファニーの言う通り、教室に戻ろうか」

「そうだね」

「そうしましょう」


 アイザックの反応を見て、このまま続けるのは逆効果だと悟った彼女達は静かな争いをやめた。

 失敗だったと察したからだ。


 そして――


 何も行動しなかったティファニーが一番ポイントを稼いだ。


 ――とも気付いた。


 アイザックと付き合いの長い彼女だ。

 どのような態度を取るのが正解なのかを知っているのだろう。

 だが、その行動は他の者には真似ができないとも気付いた。


 ――ティファニーは、アイザックとの付き合いが長い。


 だから、リサと同じく信頼のできる相手としての立場を確保している。

 付き合った時間が短いロレッタ達が同じ行動をしても、ポイントを稼ぐのは難しいはずだ。

 アイザックの興味を引くために、行動しなくてはならない。

 思わぬ強敵が身近なところにいたと、ロレッタとジュディスは焦った。

 そして「頑張ろう」と、より強い決意をする。


 女達の争いは、水面下で激化していく。



 ----------



(あー、疲れた)


 下校中、アイザックは酷い倦怠感を覚えていた。

 ロレッタ達に好かれるのはいい。

 だが、奪い合う姿は見たくなかった。


(ニコルは凄ぇよ。なんであんな状況で耐えられるんだ? とんでもなくタフな奴だよ……)


 自身で経験したからこそ、ニコルの異常性がよくわかる。

 頑強な心を持っているというだけでは済まされない。

 心が強いだけではなく、心を支える何らかの強い思いがなければ耐えられないはずだ。

「イケメンに囲まれたい」というだけで、やれるはずがない。

 ニコルのようになれればいいのだが、自分にはなれそうにないと思ってしまう。


(パメラを手に入れるために頑張ってきただけなのに、どうしてこうなったんだろうなぁ……)


 女の子達に好かれるのは嬉しいが、意図したものではない。

 しかも、いつかは断らねばならないのも事実。

 断り方など知らないアイザックは、先の事を考えると気が重くなった。

 肩を落としながら、屋敷に帰る。


「お兄ちゃん、お帰り」

「お帰りなさい」

「待ってたわよ」


 すると、ケンドラがリサやブリジットと共に出迎えてくれた。

 彼女達の笑顔を見て、アイザックも元気が出る。


「ただいま。今日はどうしたの?」


 ケンドラを抱き上げ、頬ずりをしながら尋ねる。

 みんな揃って、アイザックの帰りを玄関で待っているなど珍しい事だ。

 その事を不思議に思った。


「お兄ちゃんにプレゼントがあるの。食堂にきて」

「食堂に? いいよ、楽しみだな」


 アイザックは、今日がバレンタインデーだという事を思い出した。

 おそらく、前世の義理チョコにあたるものをくれるのだろう。

 妹から義理チョコを貰うのは久し振りだ。

 アイザックに断る理由がない。


(そうかそうか、今年も良い事もあるんだな)


 リサとブリジットは、ケンドラのサポートするために付いてくれているのかもしれない。

 こういう穏やかな集まりなら、囲まれるのも悪くない。

 アイザックは、ケンドラの手を引きながら食堂に向かう。

 食堂に着くと、アイザックは椅子に座って待っているように言われた。

 メイドが飲み物を出してくれたので、それを飲みながら待つ。

 しばらくすると、ケンドラがお皿を持ってやってきた。

 リサとブリジットが、ケンドラを心配そうに見守っている。

 お皿を落とさないのか心配なのだろう。


「お待ちどおさま」


 アイザックの前に置かれたお皿には、パンケーキが三枚載せられていた。

 二枚は上手く焼けているが、一枚は少し焦げている。

 この三枚・・という数でアイザックは察した。


(そうか、みんなが一枚ずつ焼いてくれたってわけか)


 焦げているのはケンドラの分だろう。

 去年は綺麗だったので、今年はリサの補助なしで焼いてくれたのだろう。

 だが、焦げているとはいっても食べられる程度だ。

 問題はない。


「今日は好きな人にプレゼントする日なんだって。だから、お兄ちゃんにプレゼントするの」

「ありがとう。嬉しいよ」


 アイザックは妹の可愛らしさのあまり、抱きしめて振り回したいくらいだった。

「好きな人」が恋人の事だと気付くまでは、妹を一人占めしたい。

 しかし、食べ物の近くで暴れるのは、ケンドラの教育上よろしくない。

 代わりにケンドラの頬にキスをする。


「リサとブリジットさんもありがとう。一緒に作ってくれたんだよね?」

「ええ、ケンドラ様一人では心配でしたので。それに、今日はバレンタインデーですから」

「たまには料理をしないと、腕が錆びついちゃうからね」


 リサは、ケンドラのお守り兼婚約者へのプレゼント。

 ブリジットは、ケンドラと遊ぶ感覚で久々の料理を楽しんだのだと言う。

 だが、アイザックはそれくらいでは騙されない。


「ありがとうございます。気持ちは嬉しいのですが……。ブリジットさんの分は、友人として・・・・・いただきます」

「えっ、なんでよ!」


 ブリジットはバレンタインデーの存在を知ったものの、刺繍が苦手なので手料理を振舞おうと考えた。

 そこでリサに手伝ってほしいと誘ったら、ケンドラが話に乗ってきた。

 リサやケンドラの作ったものと一緒なら、アイザックもそのまま食べてくれるだろうと思っていたのだ。

 なのに、アイザックにはあっさり見抜かれてしまった。

「これくらい黙って食べてくれてもいいのに」と不満を感じる。


「友人としてならともかく、特別な意味を持って、手料理をいただく事はできません。ブリジットさんの想いを受け取るという事は、大きな意味合いを持つ事になるんですから。味噌を受け取るのとは意味が変わってくるんです」


 アイザックはブリジットからリサに視線を移す。


「リサはブリジットさんを応援しているようだね。よく知っている人に正妻になってほしいという気持ちはわからなくもない。でも、よく考えるべきだ。僕がブリジットさんと婚約するような事になれば、きっとドワーフも婚約者候補を送り込んでくる。断れば『なぜエルフだけ? ドワーフを軽んじているのか?』と言われるだろう。僕としても望まぬ相手と結婚はしたくない。それはわかってくれるね?」

「……はい」


 リサもアイザックの言葉を認めるしかない。

 彼女自身、自分が選ばれたのは、アイザックがよく知っている人間だったからだとわかっている。

 見知らぬ相手と婚約する事になるのは、アイザックも嫌なはずだ。

 ブリジットとの仲を良くする手伝いはともかく、仲が良い以上の関係になる手伝いはしてはならなかったと後悔する。


 リサが反省していると見て、アイザックはブリジットに視線を戻す。


「ブリジットさんは、エルフとしてはまだまだ若い。焦る事はありません。これから人間との寿命の違いを感じたりして、考えが変わるかもしれません。五年後、十年後を考えて行動された方がいいでしょう。今は良き友人でいる。それでいいではありませんか」

「むぅ……」


 ブリジットもアイザックの説得を理解はしているのだろうが、イマイチ納得しきれていない様子だった。

 だが、強く要求したりはしてこないので、最低限の事はわきまえているのだろう。


「わかった。今はそれでいい。周囲を納得できる状況を作ってくれると、もっといいけどね」

「それは自分で……。いや、やらなくていい」


 ――自分でやれ。


 そう答えて、本当にやられたらアイザックが困る。

 屋敷にも安らげる場所がなくなるような事にはなってほしくない。


「さて、温かいうちにいただこうかな。美味しそうだし」


 問題をはぐらかして、うやむやにする事しかできなかった。


「私が作ったの焦げちゃった」

「大丈夫だよ、ケンドラ。ちょっと香ばしさがあるってだけさ。初めてリサが作ってくれた時は、食べ物かと不安になるくらい真っ黒だったからね」

「もう、そんな事……。忘れてください」

「今はちゃんと作れているんだからいいじゃないか」


 ケンドラを慰めるために、リサが昔作ってくれた謎の物体の話を持ち出した。

 しかし、その話はアイザックにとって、ただの笑い話ではない事に気付く。


(そういえば、リサに「初めての手料理は婚約者になる相手に食べさせてやれ」って言ったけど、まさか自分が食べる事になるなんて思ってもいなかったな)


 過去のやり取りを思い出すと、たかがパンケーキにも感慨深いものを感じる。

 ブリジットのアピールは困るものの、ロレッタ達ほど恐れを感じなかった。

 アイザックは自宅に安らげる場所、安らげる相手がいる事のありがたみを、パンケーキと共に噛み締めていた。

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