第372話 途中経過の報告
二月に入ると、アイザックはモーガン達と話し合いの場を設けた。
一度、途中経過を話しておく必要を感じたからである。
「使者は今頃国境付近か。上手くやってくれる事を祈るばかりだな」
「祈る必要はありませんよ。少なくとも、失敗はあり得ませんから」
モーガンの言う使者というのは、同盟国とその周囲にある国に、ドラゴンとの交渉記念で贈り物を届ける役目を与えられた者達だ。
一応、アイザックの配下からも一人ずつ同行させているが、メインはウェルロッド侯爵家の者達である。
こういう時、モーガンの配下を使える事がありがたかった。
彼らには、アイザックから特別任務を与えられているからだ。
贈り物はドラゴンに見向きもされなかった絵画を中心にしたもの。
それらの品々が、モーガンと関わった事のある各王家や外務大臣、大使や元大使に
ここまでは、なんら不自然なものではない。
アイザックは、今まで大使経験者とその家族に花を贈っていたからだ。
その延長線上として、贈り物を届ける相手が増えただけ。
慶事のお裾分けという意味合いで受け取られる。
だが、アイザックはそこに手を加えた。
――使者に同行した者に『大使館に泊まれ。そして、夜になったら裏口から出て、街をうろついて大使館に戻れ』と命じたのだ。
もちろん、手ぶらではない。
「大使館を出る時には、石を入れた袋を持って出かけるように」とも命じている。
ある程度、街をぶらついたら石は川にでも捨てて大使館に戻る。
それだけだ。
それだけなのだが、それだけでは終わらない。
大使館内はリード王国の騎士が守っているが、大使館の外は各国の騎士や兵士が警備に就いている。
最初は「誰かへの贈り物か」と思うだけだろう。
しかし、裏口からこっそり出ていくのが何日も続けば、動きを怪しんで尾行するはずだ。
時には、不審者として衛兵に手荷物検査をされるかもしれない。
だが、持っているのは石が入った袋だけ。
法に反しているわけではないので、捕まるような事はありえない。
当然「なんで石を?」と怪しまれるだろう。
その
中身を調べられても「有力者に付け届けをするための囮か?」と思われるだけだ。
アイザックが贈り物を届けるのは、モーガンと仕事上の付き合いがある者だけ。
だが、普通であれば宰相や元帥といった政治や軍事のトップに贈り物をしていてもおかしくない。
とはいえ、どちらか片方だけに贈れば、贈られなかったもう片方が不満に持つ。
「両方に渡す品物がないので、こっそりと贈り物を届けようとしているのでは?」と思ってくれればいい。
――今のところは。
アイザックが狙っているのは、自分が行動を起こした時に、周辺国の足止めをする事だ。
フォード元帥も、あと三日ほど時間があれば、ソーニクロフトを陥としていただろう。
そうなれば、野戦用の装備しか持っていないリード王国軍は時間を稼がれ、ロックウェル王国がファーティル王国を占領していたはずだ。
時間は重要である。
その時間を稼ぐための用意だった。
リード王家からの援軍要請があった時、彼らは思い出すだろう。
――『そういえば、エンフィールド公爵家の者が怪しい動きをしていたな』と。
アイザックは、周辺国にジュードのような男だと思われている。
そのイメージを利用して「すでに内通者がいる」と疑わせるための仕込みだった。
反乱を起こすのなら、ウィンザー侯爵が冷静になる前に味方に引き込む必要がある。
ならば、一年後か二年後には反乱を起こすしかない。
――『アイザックが反乱を起こす一年前。エンフィールド公爵家からの使者が怪しい動きをしていた。援軍を出す前に内通者を先に探すべきだ』
そう思わせられたら、アイザックの勝ちだ。
リード王国に援軍を出したあと、裏切り者が首都を襲撃すれば大惨事となる。
「本当に内乱が起きたのか、こちらから使者を出して確認する。その間に内通者を探す」と判断してくれれば十分だ。
それだけで一ヶ月か二ヶ月は時間を稼げる。
援軍が来る前に、リード王家を滅ぼしてしまえばいい。
そうすれば、彼らも軍を動かす大義名分を失ってしまう。
この機会を選んだのは、やはり「人類初、ドラゴンと交渉を成功させた」というインパクトのある結果を残したからだ。
インパクトのある事件なだけに、その前後に起きた出来事も記憶に残りやすい。
「そういえば、あの時……」と思い出しやすくするのが目的である。
平時に似たような事をしても、日常の業務の一つで記憶に残らないだろう。
贈り物を届ける使者が訪れた時にやるからこそ、より効果的だった。
「まったく、よく父上のような事を考えるものだ。あのエンフィールド公がなにもしていないわけがない。なにもしていないのに、疑心暗鬼を生じさせるとはな……」
モーガンは感心して、それ以上なにも言えなかった。
本当になにもしていないので、詳しく調べられても痛くない。
使者の中に偶然「石をカバンに詰めて街を徘徊する癖」を持つ者がいるだけだ。
リード王国からの使者ではないので、公式に外交ルートで苦情を言われる筋合いもない。
そもそも、有力者に対する付け届けは違法ではない。
「随分とうさんくさい事をするんだな」とは思われるだろうが、現段階ではそれだけである。
彼らが勝手に深読みして、身動きが取れなくなるだけだ。
国際問題にはなったりしないはずだ。
「曽お爺様の行動を参考にしただけです。書斎で記録を読むだけでも、かなり勉強になりましたから」
アイザックも調子に乗ったりはしない。
落ち着いた態度を見せる。
この件は、モーガンの部下がいたからできた事だからだ。
外務大臣の役割には、他国の情勢を調べる諜報活動も含まれる。
そういった活動を得意とする者に、肝となる怪しい行動を取ってもらう事になっている。
モーガンを味方にできたから取れた手段なので「自分の手柄だ」と威張る気にはなれなかった。
アイザックの落ち着いた態度が、モーガンとマーガレットに安心感を与えていた。
そして、その安心感がマーガレットに以前から抱いていた大きな疑問を言葉にさせた。
「ねぇ、前から気になっていたのだけれど……。ルシアがあなたをそこまで仕込んだの?」
「へっ?」
思わぬ人物の名が出てきたので、アイザックが調子はずれな声を出す。
「なぜ母上が?」
「ここ数年噂になっているのよ。『ルシアがメリンダを邪魔に思い、まだ幼かったアイザックをウェルロッド侯爵家の当主にふさわしい男になるよう教育した』ってね。ずっとこの事が気になっていたのよ」
「……母上は見たままの方です。僕はパメラを手に入れるために、ご先祖様のやり方を必死に学んだだけですよ」
「そうだったのね。少しスッキリしたわ」
――ルシアは関係なく、アイザック自身が学び、行動に移していた。
普通の子供ではあり得ない事だが、ウェルロッド侯爵家の血を引いている以上、こういう事もあり得るのだと思えてしまう。
それはそれで恐ろしい事だったが「実はルシアが黒幕だった」というよりは納得できる。
(えぇ……。そんな噂が流れていたのか。なんで? 疑うような要素があったのか?)
しかし、アイザックは違った。
アイザックは自力で頑張ってきたと思っている。
なぜルシア黒幕説などが流れているのかが不思議で仕方なかった。
誰かに復讐するよりも、一人で悲しむようなタイプだ。
人を陥れる事から、最も縁がない人間だったからだ。
「なぜそのような噂が?」
当然、その事を尋ねる。
「普通は子供があんな事をするとは思わないわ。自力で学ぶとも思わない。だったら、誰かが裏で操っていると思って当然でしょう? 一番怪しいのがルシアだったというだけよ」
「ああ、なるほど……。そういう事でしたか」
説明を聞けば難しい事はない。
至って単純な理由だった。
アイザックに前世の記憶があると誰も知らない以上、子供を教育した者がいると思われても不思議ではなかった。
乳母だったアデラも人畜無害なタイプなので、直接メリンダにいじめられていたルシアが、アイザックを教育したと思われても仕方がない。
「その事、母上は……」
「知らないわ。周囲の態度はいくらか変わったみたいだけれど、ランドルフがサンダース子爵になったから、そのおかげで敬意を払われるようになったと思っているみたいね」
「……まぁ、その方がいいでしょう」
ルシアが「アイザックを使ってメリンダを殺した黒幕だ」と思われている事を知れば、きっとショックを受けるだろう。
「戦功で爵位を勝ち取ったランドルフの妻だから」という理由で、周囲の態度が変わったと思っている方が幸せなはず。
知らぬが仏という状態のままいてくれた方がいい。
それはマーガレットも同感なのだろう。
本人に知らせるつもりはないようだ。
その気があるのなら、すでに知らせているはずだからだ。
「お茶会では他にも噂が流れているわ。今はあなたの噂でもちきりよ」
話が逸れ始めたと感じたので、マーガレットは本題に戻そうとする。
彼女の役割は、奥様方からの情報収集だった。
「ドラゴンとの交渉も話題になるけど、今は気前の良さが話題の中心になっているわ」
「それはよかったです」
記念品は要人にだけ贈っているわけではない。
エリアスから下賜されたドワーフからの感謝の品を、国内の貴族に分け与えている。
一つ一つの品は、ドワーフと取引すれば買えるもの。
だが、それにアイザックから「ドラゴンとの交渉記念品として贈ります」と書かれた手紙があれば違う。
――アイザックから贈られた品物。
――ドラゴンとの交渉記念の品物。
そういった付加価値によって、金では買えない品物としての価値を付けて渡した。
アダムス伯爵やブランダー伯爵といった者達は複雑な気分で受け取ったが、ほとんどの者は素直に喜んで受け取った。
気前よく金品を振舞ってくれるのだ。
断る理由などなかった。
だから「ウェルロッド侯爵家のお孫さんは、きっぷの良い男だ」という評価をされていた。
「ブリストル伯爵家の一件も影響しているわ。喧嘩を売ってきた相手でも、受け入れられる懐の大きさが高く評価されているの。今回の一件で更に評判がよくなったようね」
言葉とは裏腹に、マーガレットに喜んでいる様子はなかった。
ブリストル伯爵家で何が起きたかは、アイザックから話を聞いている。
アイザックの器の大きさによる行動ではなく、状況を利用しているだけなので、百点満点には思えなかったせいだ。
「王家はドワーフからのお礼の品を国庫にしまい込むだけだったから、余計に違いが際立ったようね」
「お前が地道に歳出を増やす要求をしていたおかげだな」
モーガンはアイザックの行動に感服する。
一見、アイザックは王国のためになる行動をしているように見える。
実際に役立つ事は確かだ。
しかし、その目的は王家の財政を締め付けるためのものだった。
――裏切る素振りを一切見せず、王家の力を削ぐ。
その手腕は、ジュードを越えるものにすら思えてしまう。
そんなアイザックが頼もしくもあり、恐ろしくもあった。
もしかすると、自分達も利用されている可能性もあったからだ。
常人の理解を越えた存在なだけに、理解できないところに恐怖も感じてしまっていたのだ。
「大義名分さえあれば、あなたに協力してくれそうな雰囲気はある。でも、それは表向きの事。ちょっとやそっとでは王家への忠誠を失ったりはしないはずよ。あなたに命を救われたジュディスも、王家への反逆を警戒していたでしょう? よほどの事がないと厳しいわね」
「それは大丈夫です。ある程度の目星はつきました」
アイザックはパメラの話題に触れようとする。
これは祖父母に話しておかねばならない事だった。
「実はノイアイゼンに出立する前、パメラさんからもハンカチを受け取っていました」
「なんだと!」
「なんですって!」
今まで知らされていなかった新事実に、二人は驚きを隠せなかった。
「パメラさんは、学院で話した時でも『私は殿下の婚約者だから』と義理堅いところを見せていました。そんな彼女が見放してしまうほど、今のジェイソンは救いがたい男になっているようです。きっと、大きな失態を見せてくれる事でしょう」
「そうか、パメラが……。王宮でのジェイソンはあまり変わった様子はなかったが、学院では違うのだろうな。やはり、ネトルホールズ女男爵の影響か?」
「はい。ニコルさんを前にすると、自制できなくなっています。ニコルさんにデレデレするところを多くの生徒に見られています。一人の女に目が眩んで、かつての聡明さは失われているようです。このまま、ジェイソンは周囲の信用を失っていくと思われます」
マーガレットは「あなたも気を付けなさいね」と言いたいところだったが、ここは我慢した。
アイザックがパメラに目が眩んでいるのは確かだが、聡明さを失ってはいないからだ。
むしろ、頭は冴えている。
それなら、わざわざ言わなくてもいい。
本人が自覚していないようなら、その時言ってやればいいのだから。
「ならば、あとは準備を進めながら待つだけか。他にも手は考えているのだろう?」
「ええ、いくつかは。ドワーフから火薬を購入する話も決まっているので、正面から戦闘になっても勝てるはずです」
「なるほど、ドワーフか。しかし、火薬だと? あれは採掘用の道具ではないのか? 武器の供与を求めた方がいいだろう」
ドワーフの協力を得られるのなら、優れた武具を求めるべきだ。
モーガンは、そうするようにアイザックに言った。
だが、アイザックは含み笑いをしながら首を振る。
「それは違います。火薬があれば、十倍の軍を相手にしても勝てる武器を作る事ができるんですよ」
「十倍! それは言い過ぎではないのか?」
「まぁ、実際に試したわけではありませんので言い過ぎかもしれません。ですが、ウェルロッド侯爵家単独で王家の軍を倒す事も可能にはなるでしょう。それほど強力なものです」
「むむむ……」
自信ありげに語るアイザックの言葉を、モーガンはそれ以上否定する事ができなかった。
すでにジュディスの占いで勝利するとわかっている。
ならば、その武器も機能するのだろう。
こうしてアイザックに協力し始めると、その用意周到さに舌を巻くばかりだ。
敵に回るであろう者達に、心の中で静かに祈りを捧げる。
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