第358話 それぞれの想い ティファニー パメラ ニコル

「まったく、ああいう話はもっと早くしておいてほしいところだ」

「そうよ、ビックリしたじゃない」

「ごめんなさい。でも、アイザックからハッキリ言われたわけじゃなかったから、家族に話すのもどうかと迷ってたの」


 屋敷に戻ると、ティファニーは両親から責められた。

 アイザックから遠回しの告白を受けたのは、チャールズに別れを告げられた日の事。

 あのあと、家族が揃ってティファニーと会っていたので、その時に話しておいてほしかったからだ。


 しかし、ティファニーが言うように、家族に相談するのを迷ったのにも一定の理解ができる。

 アイザックがティファニーに断られるのを恐れて、明言を避けていたからだ。

 すべては状況証拠でしかない。

 モーガンに問い詰められるアイザックを救うためでなければ、ティファニーが話す事もなかっただろう。


「それで……。今はアイザックという選択肢もできたかもしれないと言っていたが、お前の気持ちはどうなのだ?」


 ハリファックス子爵が、最も肝心なところをティファニーに尋ねる。

 まんざらではないという反応をしていたが、ハッキリとした答えを改めて聞いておかねばならない。

 それによって、どう動くかも変わってくるからだ。


「私も格好いいとは思ってる。思ってるけど……。今までは弟みたいな感じにしか思ってなかったし……」


 ――弟。


 ティファニーは、確かに今までそう思っていた。

 しかし、数か月早く生まれたというだけだ。

 今ではその程度の差など考慮する必要がないほど、アイザックが立派な大人のように見えている。

 その点に関しては、父や祖父よりも立派な大貴族になっているので疑う余地はない。

 一人の男として見ても、十分に魅力的である。

 だが、それでも今までの関係から「男として好きだ」とは言いだせなかった。


「まぁいいじゃない。まだ時間はあるのでしょう? ゆっくり考えるといいわ。焦って答えを出したら後悔するかもしれないわよ」

「……お婆様の言う通りです。一度落ち着いて考えたいです」


 ジョアンヌが焦る事はないと言うと、ティファニーはそれに乗っかった。

 すぐに答えが出せるような簡単な問題ではない。

 チャールズの事も踏ん切りがつきそうというだけで、完全に吹っ切れたわけではない。

 アイザックがくれた考える時間を有効に使うべき時だろう。

 こういう時、アイザックが本当に配慮していてくれたのだと、ティファニーは実感する。


「では、父上が無事に帰ってこられたお祝いをしましょう。エンフィールド公だけではなく、父上も主役の一人なのですから」


 アンディがハリファックス子爵をねぎらおうという話を切り出す。

 これにはハリファックス子爵も恥ずかし気にしていた。


「私は本当についていっただけなのだがな。皆に土産もあるから、マイクも呼ぼう。誰か起こしてきてくれ」


 お留守番をしていたマイクを呼んでくるように使用人に命じる。

 屋敷に戻った時には寝ていたので起こさなかった。

 ティファニーの話は、まだマイクには早いだろうという判断からだ。

 だが、お土産に関しては別である。

 起こしてやらねば「僕も昨日欲しかった」と駄々をこねたりするかもしれない。

 ハリファックス子爵の「少しでも早く孫の喜ぶ顔を見たい」というわがままも多少は含まれていた。

 

 しばらくすると使用人に起こされたマイクが眠そうに目を擦りながらやってくる。

 

「お帰りなさい」

「ただいま。さぁ、マイク。こっちへおいで」


 ハリファックス子爵はマイクを手招きして自分のもとへ呼び寄せる。

 彼の手には一振りの剣が握られていた。


「マイク、お前も来月十歳式を迎える。そこで、この剣をやろう。ドワーフ製の剣だ。家を守り、家族を守り、そして、国を守れる。そういう男を目指せ」

「ありがとうございます!」


 眠そうだった目が見開かれ、マイクは満面の笑みを浮かべた。


 ――自分専用の剣。


 しかも、それがドワーフ製だという。

 武官になるかどうかはわからないが、男の子として喜ばないわけがない。

 剣を少し抜き、刀身を確かめたりし始める。


「よく切れるから気を付けるんだぞ。怪我をしないように気を付けなさい」

「はい!」


 マイクの返事はいいが、どこか危なっかしい気もするので、エルフからもらった傷薬も一緒に渡しておく。

 次にティファニーの番である。

 こちらは五十センチほどの箱が使用人二人の手で慎重に運ばれた。


「それはアイザックからのお土産だ。置物らしいぞ」

「置物ですか……」


 アイザックなら、珍しい花とかを持って帰ってくるものだと思っていた。

 それだけに、どんなものをお土産にしたのか想像できない。

 使用人が箱の蓋に打ち付けられた釘を抜いていく。

 釘が抜かれ、蓋が開けられた。


「えっ」


 この場にいた者の声が重なる。

 箱の中には丸められた紙やおがくずで敷き詰められていたからだ。

 しかし、驚きは一瞬のもの。

 すぐに置物が傷つかないようにするためのクッション代わりだと気付く。

 ハリファックス子爵が使用人に、テーブルの端で慎重に取り出し作業をするように命じる。


「私からのお土産はネックレスだ。お前もファッションに気を遣う年頃だろうしな。……あぁ、せっかくならパーティーの時に渡しとけばよかったか」


 ハリファックス子爵が笑うと、他の者達も笑みを浮かべた。

 こうして笑っていられるのも、被害者がいないからである。

 ウェルロッド侯爵家の方は笑うどころではない状況だろうが、ハリファックス子爵家には笑う余裕があった。

 ジョアンヌやカレンには同じく装飾品を、アンディには槍をお土産として渡す。

 場に和やかな雰囲気が流れ始めた時、使用人の「うぉっ」という驚きの声が場に緊張感を与える。


「これってあれか?」

「かもしれないけど……」

「どうした? 問題があったか?」

「いえ、問題はありませんが……。私達が触れていいものかどうか判断しかねます。一度ご確認ください」


 使用人が箱から離れる。

 中身が気になったハリファックス子爵達は、箱のもとへ集まる。

 そして「うぉっ」と使用人達と同じように驚きの声をあげた。


「これは……。この色、この質感……。ドラゴンの鱗か!」


 特にハリファックス子爵にはよく見覚えのあるものだった。

 アイザックのお土産は、まだ半分ほど埋まっている。

 だが、ドラゴンの彫刻に、細かく割られたドラゴンの鱗が貼りつけられたものだという事は一目でわかった。


 アイザックは、フリートホーフ・ルイーネでドラゴンの彫刻が売られている事に気付いていた。

 作った職人が言うには「ドラゴンのせいで被害を受けているんだから、ドラゴンで少しは元を取り返さないとな」というものだった。

 そこでアイザックは彫刻を買い取り、人間の大人達が二日酔いで潰れている間にドラゴンの鱗を割って貼り付けてもらっていた。


 ――本物のドラゴンの鱗を使った彫刻。


 これならば、お守りをくれた女の子へのお土産には十分だろうと考えたからだ。

 前世の父が、お土産にはペナントや彫刻を持って帰ったりしていたというのも影響している。

 だから、お土産に彫刻を選んだ。

 それだけである。

 本当にそれだけだ。

 だが、受け取った側は、それだけでは済まなかった。


「まさか、こんなものをプレゼントにするとは……。ドラゴンの鱗を使ったドワーフ製の彫刻。こんなもの、値が付けられんぞ」


 ドラゴンの鱗には魔法を防ぐ効果があるという。

 盾に使ったり、鎧に使ったりする方がいいと誰もが考える。

 そんな材料をアイザックは、惜しみなく彫刻に使った。

 エリアスなら国宝として宝物庫に仕舞い込むだろう。

 ティファニーへの気持ちの本気の度合いがよくわかるというものだ。

 皆の視線がティファニーに集まる。

「もう決めてしまえば?」という言葉が視線に籠められているのを、ティファニーは察した。


「もう、考える時間をくれるって言ったばかりじゃない!」


 ティファニーは、そう言ってそっぽを向く事でこの場を乗り切ろうとした。

 そうでも言わなければ、あっさり気持ちが揺らいでしまいそうになる。

 それほどまでに、ドラゴンの彫刻は素晴らしいものだった。


 しかし、物で転ぶのはアイザックに失礼だという気持ちが、ティファニーにはあった。

 ちゃんと一人の男として、好きになった時。

 その時に「私も好きだ」と言うべきだろうという気持ちが。



 ----------



 パメラは屋敷に帰ると、食事を済ませた。

 ジェイソンの隣にいたので、パーティー会場でお腹がいっぱいになるまで食べるような真似はできない。

 会場では、お腹が鳴ったりしない程度に軽く食べるだけだ。

 部屋で着替えを済ませると、使用人を出ていかせてベッドで横になる。


(あぁ、こういうのって面倒だな。せっかくの貴族令嬢っていう立場なのに、パーティーを楽しめないなんて……。それだけじゃないけど……)


 彼女がパーティーを楽しめない理由は他にもある。


 ――ジェイソンの事。

 ――アイザックの事。

 ――そして、ニコルの事。


 ジェイソンの事は言うまでもない。

 普段はまだいいが、ニコルが視界に入ると彼女しか目に入らなくなる。

 すぐ隣に自分がいるというのにだ。


 アイザックという運命の相手を諦めてまで、ずっと好きになろうと努力し続けていた。

 王太子妃になる事だけが自分に求められていた。

 だから、その役割を演じるために頑張っていた。

 その努力もあって、王立学院に入学する頃には本当に好きになれていた。

 なのに、ジェイソンはあっさりとニコルになびいてしまった。

 やはり・・・、その程度の男だったのだと思うとガッカリする。


(でも、ジェイソンじゃなくて、アイザックと婚約していても安心できなかっただろうな……。なによ、あの女ったらしは!)


 アイザックはアイザックで問題があった。


 ――故事に倣ってハンカチを渡した。


 これはかなりの勇気を必要とした。

 生まれた時から婚約者がいたため、パメラは誰かに告白する事になるなど考えもしなかったのだ。

 今までにもそんな機会はなかった。


 ――記憶のある限り、初めての告白。


 それを、アイザックは台無しにした。

 あっさりと、しかも最悪の形で。


(他の女からも、ハンカチを受け取ってるってどういう事? 怖かったとか言ってたけど、絶対嘘に決まってる。家督争いに勝って、戦争に勝って、鉄道や気球を考え付いて、エルフやドワーフなんていうファンタジーな存在と仲良くできる完璧超人の心が、そんなに弱いわけないじゃない! あのドスケベ! 女だったら誰でもいいんだ!)


 彼女の目には悔し涙が浮かんでいた。


(婚約者がダメ男なら、初恋の人もダメな男……。ほんっっっと、パメラって男運ないんだから!)


 パメラは両手でシーツをギュッと握り占める。


 ジェイソンも昔は誠実で利発な少年であり、愚かさとは無縁の性格だった。

「これならきっと大丈夫だ」と思って信じていたのに、ニコルと会ってから変わってしまった。

 あれだけ美しいと言われている相手なら、ふとした瞬間に目を奪われたりもするだろう。

 それくらいなら、ムッとするだけで済む。

 だが、今のように別れを切り出してきそうな雰囲気まで持つようになるのは許せない。

 せめて「ニコルを側室にするというラインで、我慢してくれてもいいではないか」と考えてしまう。


 アイザックはアイザックで、最初はよかった。

 初対面では「この子が本当の恋人になるべき相手なんだ」と思ってしまうほど、魂が惹かれるような強い想いを持たせてくれる存在だった。

 まるで自分との婚約を認めてもらうために頑張っているかのように、自分と出会ってから凄まじいほどの活躍をし始める。

 それほど一途な想いに、パメラ自身も悪い気はしなかった。

 だから、学生になってから、想いを伝えた事もあった。


 ――自分を救ってくれるのは彼だけだ。


 そう思い、ジェイソンの婚約者を演じながら助けてくれるのを期待していた。

 だが、アイザックに大きな期待を持っていただけに、その思いは酷く虚しいものとなる。


 ――アイザックのような者は当然モテる。


 それもそのはず、少女漫画におけるヒーローポジションをジェイソンから奪うような活躍を見せていたのだ。

 婚約者のいない女の子達が群がるのも当然だ。

 それに関しては、パメラも仕方ない事だと受け止めていた。

 しかし、認められない事もある。


(大体なによ、あれ。私の事が好きだったんじゃないの? ジュディスの胸が手に当たったら『おっ、ラッキー!』みたいな顔をしちゃってさ! ニコルの時もだけど、ちゃんと見てたんだからね! モテるはずなのに、ちょっと胸が当たっただけで喜ぶなんて、どんだけ女好きなのよ!)


 ――本当に他の女の子に気を取られてどうする?


 どうしても、そんな想いが胸の中にどす黒く渦巻いてしまう。

 あれがリサであれば、少し寂しい思いを感じるだけで済んだだろう。

 自分自身も婚約者という立場から、ジェイソンの腕を取っている。

 だから、アイザックの婚約者であるリサであれば、パメラも嫉妬したりはしなかった。

 それほどまでに、婚約者という関係は重要なものだとわかっているからだ。


 だが、アイザックの魔の手は婚約者だけで収まらなかった。

 パメラが知るだけでも、ロレッタからハンカチを受け取っている。

 そして、おそらくアマンダとジュディスの様子から察するに、彼女らもハンカチを渡していた。

 もしくは、男女の仲を深めるような何かがあったはずだ。

 確かに彼女達は独り身だ。

 アイザックが手を出したとしても、表向きは婚約者がいるパメラは非難できない。

 しかし、それはそれ。

 これはこれである。

 パメラが悲しむだけの理由があった。


(私はジェイソン以上の特別な存在だと思っていたのに……。アイザックにとって、私は興味のある女の子の一人でしかなかったの?)


 ――女ったらしが興味を持った女の一人。


 そういう扱いを受けたと思ったからである。

 一度くらいならば、少し嫉妬するだけで終わる事だ。

 だが、アイザックは「女にだらしないプレイボーイではないのか?」と思える出来事が何度もあった。

 そのせいで、彼の事を信じられなくなってしまったのだ。


(物腰が柔らかくて、良い人そうだったのになぁ……。あれは全部、女を落とすための芝居なのかな?)


 何しろアイザックは、謀略家の家系であるウェルロッド侯爵家の子供だ。

 人を騙すくらいは普通にできるだろう。

 しかも、アマンダやジュディスは婚約者に捨てられたという傷を心に持っている。

 きっと簡単に心に付け込めただろう。

 ロレッタがアイザックに惚れたのも、トラウマだった顔の傷を治したのがきっかけだという。


(……あれっ? もしかして、アイザックって普通の恋愛ができない人なの? 人の弱みに付け込まないと親しくする事ができないとか? ……あっ、そうか! 子供の時の境遇だ!)


 パメラは、アイザックの恋愛観が歪んでいるのだと考えた。  

 アイザックくらい実績があるのに偉ぶったりせず、顔も良くて高身長な男なら、その辺りにいる女の子に微笑むだけでものにできるだろう。

 女ったらしなら、普段から女の子を口説いたりしていてもおかしくない。

 だが、アイザックは特定の女の子にしか手をつけなかった。


 パメラが思い浮かんだ理由は――


 アイザックは、自分が絶対的優位に立てる相手でないと恋愛ができない。


 ――というものだった。 


(確かリサも、ずっと婚約者が見つからなかったっていう可哀想な境遇だったのよね。女の子なら誰でもいいっていうわけじゃなくて、心に傷を負った女の子じゃないと手を出せないとか?)


 ――歪んでいる。


 パメラはそう思ったが、アイザックの幼少期の境遇を考慮すれば仕方ないように思えてくる。

 誰も彼もが兄の派閥で、信用できる相手はごくわずか。

 そんな辛い時期を乗り越えた代償として、表向きは人を信じているように見えても、裏では誰も信じられなくなっているのかもしれない。


(だから、婚約者に捨てられた女の子を助けているの? それだったら感謝してもらえて、自分を裏切らない恋人ができるもんね)


 女漁りをしているのも、心の隙間を埋めるための行動なのかもしれない。

 そう考えると、アイザックが可哀想な男に思えてきた。 


(じゃあ、私は? 私はフラれたりしてないのに、アイザックは気があるそぶりをしていたよね。じゃあ、私だけは特別? やっぱり、アイザックとは二人でちゃんと話し合わないといけないんだろうけど……)


 アイザックに関してはわからない事が多すぎる。

 だが、二人っきりで話す機会がないので、アイザックの事を知る事ができない。

 その事はわかっているが、アイザックが出発する前に二人で話せたのが特例なのだ。

 年頃の男女が二人っきりになるチャンスなどない。

 それに、女にだらしない理由があるとしても、目の前でイチャつく姿を思い出すと腹が立つ。

 あっさりと「腹を割って話そう」という気分にはなれない。


(アイザックの性格が悪いのよ。女ったらしなら女ったらしで、もっと軽薄そうな態度を取りなさいよ!)


 ――女をよく口説く軽薄そうなキャラ。


 しかも、そういうキャラの女を口説く理由が「寂しいから」「女性不信」「人間不信」「弱い自分を隠すため」などという理由があるのは、漫画などでもよくある話だ。

 だから、アイザックが軽薄そうなキャラであれば、そういうものだと受け入れられたかもしれない。

 パメラが腹が立つのは、一見「女性に誠実ですよ」というフリをしているからだ。

「えっ、俺ってこんなにモテていたのか?」と、しらばっくれている姿が見ていて腹が立つのだ。

 いくらなんでも、そこまで鈍感な人間がいるはずがない。


(モテる男なんだから、もっと堂々としなさいよ。もう……)


 ――アイザックは政治に関しては頼りになっても、女性関係では頼りにならない。


 どうしても、パメラはそんな事を考えてしまう。

 

(女性の人権に関する意識とか先進的な考えを持ってると思ってたけど、あれってただモテたいだけだったの? そういう設定のキャラだったのかもしれないけど、何を考えているのかわからなすぎ)


 アイザックの弱点が女なのであれば、ニコル対策では頼りにならない。

 アイザック自身、攻略される側のような予感がするからだ。

 今回の一件は、自分でも何か行動しなければいけないだろうと、パメラが考え始めるきっかけになった。



 ----------



「ニコル、殿下にまであんな態度を取ったらダメじゃない」


 屋敷に帰ると、ジェニファーが娘を叱る。


「大丈夫だって。ジェイソンやフレッドとは仲良しだもん。作り笑いじゃなくて、本物の笑顔で対応してくれてたでしょ? それに、ああいう態度を取った方が好きなんだって」


 だが、叱られたニコルはどこ吹く風という態度だった。

 まるで、それが当たり前であるかのように。


「確かにそうだったけれど……。エンフィールド公も仰られていたじゃない。礼儀正しくしないと、あなたが困る事になるのよ」

「わかってるって。でも、いきなり態度を変えたらあっちが戸惑っちゃうじゃない。ちょっとずつね」


 ニコルが「これから気を付ける」と答えるが、ジェニファーには信じられなかった。

 言葉に真剣味を感じられなかったからだ。


「今はいいわ。母親の私でもあなたは美しいと思うもの。でもね、年を取って美しさに陰りが見え始めた時に、美しさ以外の取り柄がないと周囲に見捨てられてしまうわよ。あなたは頭もいいのだから、もう少し賢い立ち回りというものを意識してちょうだい」


 少し酷ではあるが、親として娘にちゃんと教えておかねばならない事がある。

 ニコルが美しいのは確かである。

 しかし、美しさにばかり頼ってしまっては、美しさを失った時に惨めな思いをしてしまう。


 ――娘に惨めな人生を送ってほしくない。


 今ならまだ間に合うと思って注意をする。


「わかった。綺麗なうちにガッチリ地盤を固めておくから心配しないで。それじゃあ、私着替えてくるね」

「ニコル……」


 自室に向かう娘を、ジェニファーは悲し気な顔をしながら見送る。

 彼女がニコルを厳しく叱らないのにはわけがあった。

 ネトルホールズ男爵家の女当主だからというのが理由ではない。


 ――ニコルがずっと家計を支えているからだ。


 ニコルの父だったゲイブは、家族の事を大切に思っていても金に縁のない男だった。

 彼に比べると、ニコルは比べるのが失礼だと思えるほどのやり手である。

 チョコレートやブラジャー、エッセンシャルオイルの製法をウェルロッド侯爵家に売り込み、定期的な収入を獲得した。

「お父さんよりも家の役に立ってるよね?」と言われれば、夫を庇い切れないほどの大きな差があった。


 ニコルはよくやっている。

 このままなら、ジェイソンの側室として王宮に入る事も十分に考えられた。

 ネトルホールズ男爵家としては、これまでにないほどの栄達である。

 父が頼りなかった分だけ、ニコルが立派に見える。


 そして、ニコルが稼いでいる恩恵はジェニファー自身も大きく受けていた。

 以前はパーティーに出るドレスを使い回していた。

 布切れを買い、リボンや花を作って取り付けたりして誤魔化そうとしていたものだ。

 だが、今は違う。

 ニコルのおかげでドレスに困る事はなくなったし、装飾品も気軽に買えるようになった。

 今、身に纏っている物はすべてニコルが稼いだ金で買ったものだ。

「家を支えているのはニコルだ」という事実が、ニコルに対して厳しく言えなくしていた。




(ドレスって、綺麗だけどなんだか疲れるのよねぇ)


 ニコルは着替えを手伝わせたあと、使用人を下げさせた。

 そして、窓際に立って星空を見上げる。

 彼女が思い出すのは、一人の男だった。


(アイザックには感謝してる。感謝はしてるんだけど……。あれはないかな)


 ――隙間風の入らない屋敷。

 ――大勢の使用人。

 ――不自由のない生活。


 これらは、アイザックがアイデアを気前よく買ってくれたおかげだ。

 しかも、特許料として利益の一部を継続的に渡してくれている。

 大貴族が弱小貴族に対する支払いとして、破格の対応だという事はニコルでも知っている。

 だが、それでもアイザックの思いを受け入れられない理由があった。


(アイザックってキモイのよね)


 彼女がそう思う理由は、マイケルが起こした事件のあとにアイザックが「君を守る」と言ってきた事が原因だった。


(入学前にある程度、攻略が終わってるのはわかっていたけど……。入学してからは特に何もしていなかったのに、いきなりあんな事を言ってくるなんて信じらんない。やっぱり、他のキャラの攻略が関係しているんだろうけど……)


 アイザックは、ニコルが接触する前にマットやピストというサブキャラを囲い込んでいた。

 そして、チャールズやマイケルという、攻略が終わったキャラを社会的に殺そうと動いている。


 ――その理由はただ一つ。


(アイザックは私を一人占めしたいんだ)


 ――自分を一人占めするため。


 そう考えるのが自然だと、ニコルには思えていた。

 アイザックが、そういう行動を・・・・・・・取るキャラ・・・・・だとしたら、不思議な事ではない。

 チャールズやマイケルを競争から蹴落とそうとしているのだ。

 独占欲の強さがよくわかる。


(愛が重いキャラって漫画とかで読むのは好きけど、現実だと気持ち悪い。私はみんなで楽しく過ごしたいの。むしろ、みんなが私のものになってくれる方が好き。せっかく手に入れたチャンスなんだもん。邪魔しないでほしいな)


 愛が重いキャラも、本で読むのと現実で見るのとでは大違いだ。

 いきなり「君を守る」と言われた時は、気持ち悪さで寒気が走ったくらいだ。

 思わず「なに言ってんの? こいつ」と口から出てしまいそうだった。

 これもこの世界がゲームの世界で、一部のキャラはフラグが立ったら、フラグに合わせた行動をするという特性を持っているせいだろう。

 あそこでアイザックに行動を非難された方が、反応としてはよっぽどマシだと思えるほどだった。


(好きとか一言も言わないくせに、黙って粘着質な愛を向けられるのって正直迷惑だよ。隠しキャラの事は気になるけど、私は逆ハーの方がいいの。パメラくらいあげるから、もう私に関わらないでほしいなぁ)


 ニコルはそのように考えるが、ダメだろうなという気持ちもある。

 なぜなら、自分がモテるからだ。

 アイザックも簡単には諦めないだろう。


(アイザックには感謝してる。それは本当。でも、それとこれとは別。そりゃあ、ハーレム系キャラを攻略して自分だけのものにするのは面白いだろうけど……。逆ハー要員じゃなくて、逆ハーの邪魔をするだけの存在なら諦めるしかないもん。まぁ、私だけを愛してくれるのなら選択肢にも入ったかもしれないけど、あんな風に何人もの間をフラフラするような男じゃダメ。私にふさわしくない)


 最初は「ハーレム系男子の攻略もいいかも?」と思っていたが、今のアイザックを見るとイラつくだけだった。

 やっぱり、自分だけを愛してくれる男の方がいい。

 例えそれが、そう定められたものであっても。


(神様、お願いです。逆ハーエンドを達成させてください。せっかくモテるチャンスをくれたんだから、夢を叶えさせてください。あと、できればアイザックを遠ざけてほしいな。せめて、大人しくさせてちょうだい。ストーカーは嫌っ)


 ニコルは星空に向かって祈りを捧げる。

 彼女は彼女なりに真剣だった。

 残り、一年とちょっと。

 その間だけ、アイザックに大人しくしてほしかった。

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