第355話 ブリジットの追い打ち

 ブリジットの質問に、多くの者が驚いた。

 バレンタインデーとホワイトデーの話は、誰もが知っているような話だからだ。

 しかし、すぐに考え直す。

 人間とエルフでは伝わる話が違う。

 それだけではなく、ブリジットは二百年前の種族間戦争のあとに生まれている。

 知らない物語があってもおかしくない。


「ハンカチというのは、ドラゴンに大きく関わるものなんですよ。大昔の話なんですが――」


 リサがブリジットに、バレンタインデーとホワイトデーの説明を始める。

 その内容は、ブリジットを驚愕させるのに十分だった。


「えー、そうだったの! 女心をもてあそんだようなものじゃない! そういう事はやっちゃダメでしょう」


 彼女の容赦のない言葉がアイザックの心に突き刺さる。


「だいたいね、あんたは何年か前にリサからハンカチを受け取ってるでしょっ! ハンカチに籠められた想いがどんなものかわかっていたのに、なんで軽々しく受け取るのよ」

「それは……」


 アイザックはリサの方をチラリと見る。


 バートン男爵とアデラは、困ったような表情でアイザックを見ていた。

 彼らは「リサがアイザックにハンカチを渡した」という話を聞いていない。

 たった今、ブリジットの口から知ったところだ。


 だがそれでも――


「アイザックの立場上、正室を誰か娶ることになるのは仕方ない。でも、リサからハンカチを貰っていたなら、ホイホイ何人からも受け取ったりしなくてもいいのに……」


 ――という不満は感じている。


 しかし、未来の娘婿とはいえ立場が違い過ぎるので、それを言い出せない。

 どうすれば良いかわからず、二人はただ困るばかりだった。

 だが、肝心のリサは違う。

 彼女は露骨にうろたえていた。


 ――アイザックにハンカチを渡したという事を、なぜ家族に言わなかったのか?


 その事が大きく影響しているからだ。

 ブリジットは、アイザックの婚約者であるリサを援護しようとして怒っていたのだが、それはリサにとって大きなお世話だった。

 今はまだ、そこまで意思の疎通が取れていなかった。


「リサのハンカチ、ね。はぁ……」


 自分がよく知っている話題になり、マーガレットが驚きから立ち直った。

 彼女の溜息に、リサはビクリと体を震わせる。


「ブリジットさんが話題に出さなければ、私も触れようとは思わなかったのですけどね。こうして話題になってしまった以上、このままではいけません。アイザックのためにも、事情を教えて差し上げないと」

「あ、あのっ、大奥様」

「お婆様、リサの事は言わなくていいです。僕が複数人からハンカチを受け取ったのが悪かっただけです。あの事は僕も忘れようとしていた事ですから」


 今回はアイザックも自分に負い目のない事なので、止める余裕があった。

 しかし、マーガレットに止める気はない。


「あら、そうなの。では、バートン男爵と男爵夫人はいかがかしら? 親として知っておきたいのではなくて?」


 彼女はリサの両親に声をかける。

 こうすれば、必ず「聞きたい」と答えるとわかっていたからだ。


「どんな内容か怖いですが……。婚約が破談するような内容でなければお聞きしたいです」

「私もリサが何をしたのか気になります」

「お父さん、お母さん……」


 リサは悪さを両親に知られされる子供のように身をすくませる。

「それは言わないで」と懇願する視線は、先ほどまでのアイザックのように情けない姿だった。

 だが、マーガレットは容赦しない。

 アイザックの事を守ろうとしているのもある。

 しかし、自分が一生懸命に探してやった婚約者候補を袖にされた恨みもちょっぴりだけ、ほんのちょっとだけある。

 その本当に極わずかな恨みが、マーガレットが発言するのを後押しした。


「リサはね。卒業を間近に控えたバレンタインデーで、複数の男子生徒にハンカチを受け取ってもらおうとしていたのよ。でも、誰にも受け取ってもらえなかった。私が用意したリサの立場で望み得る最高の相手を袖にしてきたんだから、その時期まで残っている男がリサと婚約する器量があるはずがない。だから、みんなに断られていたのよ。その事を私は噂で聞いて知っていました。……ブリジットさん。ここまで言えば、アイザックに渡したハンカチがどういう性質のものかわかりますよね?」

「そりゃあ、まぁ……」


 ブリジットは頬を掻きながらリサに視線を移し、すぐに外した。


 ――アイザックに渡したハンカチは、誰にも受け取ってもらえなかった残り物。


 バレンタインデーの風習を知ったばかりとはいえ、誰にも受け取ってもらえなかった残り物に価値があるとは思えない。

 アイザックに「リサを大事にしなさい」と叱る理由にはならない事に、さすがに彼女も気が付いた。

 気まずい思いをしながら、リサに「ごめん」という視線を送る。


「いいんだよ、あれは! 卒業後、リサはケンドラの乳母として働く事になった。だから、最後に姉としての立場でプレゼントをくれた。それだけだ。僕が婚約を申し込んだのとは関係ない事なんだからさ」

「アイザック……」


 アイザックはリサを庇った。

 あれを根拠に「婚約してよ!」と言われていれば「えぇ……。ないわぁ……」とドン引きしていただろう。

 だが、あの時の事を持ち出して、婚約を要求されるような事は一言も言われていない。

 あくまでも乳姉弟としてのプレゼントだった。

 だから、婚約を求めてのものではなかったと必死に否定する。


 この一連の流れは「女ったらしなのかもしれない」というアイザックの評価をいくらか回復させた。

 だが、リサは両親から憐れみに満ちた視線を向けられるというダメージを負う事になる。

 ブリジットはリサを助けようとして言った事だが、背中から刺すような行為になってしまった事に気付いて、話題をリサとは違うものにしようとした。


「じゃあ、ティファニー達から受け取っていたのはなんで? まるでバレンタインデーの事を忘れていたかのようじゃない」


 ブリジットの言葉は、アイザックにとって非常にか細い。

 しかし、希望に満ち溢れた蜘蛛の糸だった。


(はっ、そうか! ここにいるのは身内の人間だけだ。忘れたって素直に言ってもいいんじゃないか?)


 幸い、忘れていたと言う土壌はできている。

 ここはブリジットの発言を利用するべき時だと確信する。


「……実はその通りなんです」

「えっ?」

「ブリジットさんもドラゴンを見たよね? あの時どう思いました? とても怖かったですよね? ドラゴンに立ち向かうのは、とても勇気がいる事です。出発前にバレンタインデーの事なんて思い出す余裕なんてありませんでした。どう対策するかを考えるのに必死だったからです。だから、お守り代わりに持っていってほしいと言われ、そのまま受け取ってしまったのです」


 アイザックは「リサのせいで忘れようとしていた」というのではなく「ドラゴンの対策を考えるので精一杯だった」とする事で、ダメージを減らそうとしていた。

 それが成功したかは、まだわからない。

 だが、咎めるような視線は薄まっていた。


「しかし、アイザック。お前は対策が思いついたと余裕を見せていたではないか? 謁見の間でも覚えていると言っていた。あれはどういう事だ?」


 とはいえ、疑問が完全に解消されたわけではない。

 モーガンが気になっているところを質問する。


「……あれは見栄です」

「見栄?」

「はい。対処方法が成功するという確信はありませんでした。でも、陛下に命じられてしまった。泣き叫んで嫌がっていれば、陛下も命令を取り消してくださったでしょう。ですが、そのような姿は誰にも見せたくありませんでした。どうせなら泣き叫ぶみっともない姿よりも、若者特有の根拠のない自信に満ちた姿の方を、最後の思い出に残したかったのです」

「そうか、見栄か……。まぁ確かにコンテストを開くなど、突拍子もないアイデアに自信を持てはしなかっただろうな」


 モーガンに限らず、この場にいた者達が一定の理解を示す。

 アイザックが何の実績もない若者であれば、くだらぬ見栄だと鼻で笑っただろう。

 だが、アイザックは多くの実績を残している。

 その名声を守りたいという気持ちもわからなくはない。

 それに男として、女に情けない姿を見せたくないという気持ちはわかる。


 ――特に惚れた相手には。


 アイザックが見栄を張っていたという言葉を、皆が信じ始めていた。


「謁見の間の事は……。陛下にロレッタ殿下の事を持ち出された時に、バレンタインデーの事を思い出しました。その時、ついわかっていると答えてしまったのです。これも見栄ですね。……陛下に忠節を尽くしていたのに、捨て駒のような使い方をされたショックがあったとはいえ、ドラゴンとハンカチでバレンタインデーの事を連想するべきだったと反省しています。ティファニー、ごめんね。せっかくの想いを台無しにしちゃって」

「ううん、私はいいの。アイザックにハンカチを渡した時は、無事に帰ってきてほしいって思っていただけだから……」


 ハンカチを渡した時は・・・・・・・・・・という事は、今は違うという意味である。

 その事をアイザックも理解している。

 これからどうするべきか、真剣に考えないといけない事を思い知らされる。

 それでも「見栄でやらかした」と告白できた事で、アイザックの心にはいくらかの余裕ができていた。


 ――だが、それも束の間の事だった。


「そういう事だったのね。アイザックも怖かったのに、みんなを心配させないように平然と振舞っていたんだ……。近くにいたけど全然気付かなかった。少しくらい弱いところを見せてくれたって良かったのにね」


 ハンカチの件で怒っていたブリジットが一転。

 なぜかモジモジしながら頬を赤らめていた。


「そういうところ、私は好き……かも」


 言ってから、ブリジットは顔を真っ赤にして俯く。


 ――ほっとしたところに、予想外の一撃。


 彼女の言葉には、リサとハリファックス子爵。

 そして、クロード以外の者達が呆気にとられた。


 リサやクロードは、ブリジットから相談を受けていたので、彼女の気持ちを知っていた。

 ハリファックス子爵は彼女がアイザックにキスをしているところを見ていた。

 だから、まだ衝撃は少なかった。

 それでも「この場で言うのか?」と驚きはあったが。


(えぇ、なんでそういう事言うの? しかも、このタイミングで……。って言うか、今までに俺を好きになる要素あったか?)


 中でも、アイザックの驚きは一際大きかった。

 このタイミングで想いを打ち明けるという事は、アイザックと女の子達との間に割って入るつもりだという意思表示でしかない。

 だが、アイザックにはまったくもって、その理由がわからなかった。


 ――ロレッタには、国を救われた事や顔の傷を消す手助けをした。

 ――アマンダは、ウォリック侯爵家の経済を立ち直らせた。

 ――ジュディスは、処刑されそうなところから命を助けた。

 ――ティファニーは、チャールズの一件で親身な対応をして、誤解を招くような言い方をした。


 他の女の子達なら、まだ自分を好きになってくれそうなきっかけがあったので理解はできる。

 しかし、ブリジットは違う。

「チェンジ」という発言を筆頭に、普通なら女の子に嫌われるような発言をしていた。

 少なくとも、彼女に好かれる要素などなかったはずだ。

 女性に気の利かないアイザックでも、ブリジットへの対応が異性として好かれるものではなかったと理解している。

 それだけに、ブリジットの意図がわからなかった。

 ふと、一つだけ理由がアイザックの頭に浮かぶ。


(あっ、そうか。さては俺をからかおうとしてるんだな。いくらなんでも、このタイミングでやるのは悪趣味過ぎるぞ)


 アイザックには、そうとしか思えなかった。

 ブリジットの事を、一人の女として扱っていれば違っただろう。

 だが、アイザックは軽口を言える友達としてしか扱っていなかった。

 ブリジットに惚れられる理由など、アイザックにはない。

 今までの仕返しをするつもりなのだという理由がしっくりくる。

 アイザックは、どうやってやり返してやろうかと考え始めた。


 しかし、アイザック以外の者達は、この状況を放置はできないと思っている。

 ブリジットはエルフだ。

 他の娘達とは違い、簡単に「アイザックの妻になってくれ」と思う事などできない。

 種族の違いというハードルが高すぎる。

 もし本気なのだとしたら、どこまでなのかを確認しておかねばならない。


「ブリジットさん。あなたはどこまで本気なの? 人間とエルフとでは寿命も違う。生半可な気持ちだと、辛い思いをするだけよ。よく考えて出した答えなの?」


 ルシアがブリジットに質問を投げかけた。

 結婚に関しては、彼女も辛い思いをしている。

 困難な道を選ばずとも、違う道を選ぶ事もできるはずだ。

 ルシアは困難な道でも幸せだと思う事ができたが、ブリジットもそうだとは限らない。

 少なくとも、覚悟くらいはあるのかどうかを聞きたかった。


「……はい、ちゃんと考えました。アイザックは他の男とは違う。それはリサがアイザックに思ったのと同じ意味でもあるし、別の意味でも全然違いました」


 ブリジットは潤んだ目でアイザックを見つめる。

 惚れたや悲しいではなく、恥ずかしさで胸が一杯といった意味で目が潤んでいる。

 だが、見つめられたアイザックには、そんな事はわからない。

 彼女の想いが理解できずに、たじろぐばかりだった。


「人間の男達は、私の事をいやらしい目で見る人ばかりでした。でも、アイザックは違う。リサに婚約を申し込むような年頃になっても、私を性的な目で見てこなかった。エルフの若い女・・・・・・・ではなく、私個人・・・として扱い続けてくれた。種族や容姿だけで判断しない。それだけでも、素敵な人なんだと思います……」


 ブリジットの言葉は真剣なものである。

 アイザックをからかおうとしての演技だとは思えないものだった。

 それだけに、アイザックには一際強い驚きを与える。


(えぇ、女扱いをしていなかったのが惚れる原因!? 嘘だろ!?)


 ブリジットには前世の妹を思い出させる雰囲気があったので、一人の女として扱わなかっただけだ。

 妹や友達に接するように、からかったりしていたのもそのためだ。

 それに、彼女が美人である事はアイザックも認めている。

 だが、性的な目で見なかったのは、妹分だと思っていたからではない。

 特別大きな理由があった。


 ――胸のサイズが控えめだからだ。


 この世界では評価が低いリサの美貌も、前世なら「婚約してくれてありがとうございます」と、アイザックが土下座して感謝するくらいの美しさである。

 一定以上の美女であるならば、アイザックの評価基準は顔以外のところになる。


 ――その評価基準は胸だった。


 ブリジットの事を美人だと思っていても、他の者に比べて性的な魅力を感じにくかったからというだけ。

 妹のような雰囲気を持っていた事もあり、アイザックが性的な目で見られなかっただけなのである。

 まさか、その失礼極まりない態度が好意を抱かせる要因になるなどとは考えもしなかった。

 アイザックにはまったく理解できない事だったが、それほどまでに周囲の視線が気になっていたという事なのだろう。


(みんな、どれだけいやらしい目で見てんだよ!)


 アイザックはそう思ったが、みんながみんな性的な目で見ていたわけではない。

 エルフが珍しいと思って見ていただけの者もいる。

 ギルモア子爵のように尻を触る者がいたので、ブリジットが周囲の視線に過敏に反応しているだけだった。


「クロードさんはどう思われるんですか?」

「私としては……。いえ、私共としては本人が望むのならば止めはしない。そういう方針で固まっております。ブリジットの両親も本人が望むのならばと認めています」


 ブリジットは以前からアイザックの事を想っており、すでに家族との相談も済んでいた。

 あとはアイザックの考え次第というところまで話が進んでいる。

 予想以上に素早く根回しを済ませていた事に、この場にいた者達は驚きを隠せなかった。


 ――だが、これにはわけがあった。


 アイザックがリサに告白したところを見たブリジットは感化され、村に戻った時に恋人を作ろうと奔走した。

 しかし、彼女と深い仲になろうとする者がいなかった。


 幼馴染の男の子には『友達としては好きだよ。けど、結婚してお前の尻拭いで終わる人生は嫌だ』と言われ、近くの村の男の子には『大事な場面で膝蹴りを食らわせるような人はちょっと……』と避けられてしまった。


 当然、ブリジットは落胆した。

 彼女の両親も「自業自得のところもあるけど、このままではさすがに可哀想だな」と思っていた。

 そこに「リード王国に正式な駐在大使が派遣される。これを機に、ウェルロッド侯爵家とはもっと仲を深めたい」という噂が耳に入る。

 誰も公に口にはしなかったが、仲を深める手っ取り早い方法は婚姻関係を結ぶ事。

 初めて交渉した時の事を考えれば、ウェルロッド侯爵家の人々がエルフに酷い扱いはしないはず。

 アイザックにあてがうちょうどいい娘が、どこかにいないのかと探されるようになった。

 ブリジットの両親が彼女にアイザックをどう思っているかを尋ねると、良い感じに思っている事がわかった。


 そこで「このまま独り身でいるよりは……」と思った彼女の両親が、村長のアロイスに相談すると――


「そこそこ長い付き合いもあるし、お互いに嫌がってなければオッケー!」


 ――と、あっさり了承された。


 アイザックと婚姻関係を結ぶのなら、ブリジットが最適だったからだ。

 彼女の両親から相談に来たのは、アロイスにとって渡りに船。

 大使になるエドモンドに「ブリジットがアイザックと結婚してもいいと言っていた」と伝えておいた。

 エルフ側としては、ブリジットがアイザックと結婚するのを止める理由などない。

 むしろ、歓迎する事態である。

 だから、ブリジット自身が根回しをするどころか、彼女が気付いた時にはお膳立てが整えられていたのだった。

 本人も「えっ、いいの!?」と驚くくらいに。


「アイザックは、私じゃ……、嫌?」


 ブリジットは、拒絶される事を恐れる目でアイザックを見る。

 その目を見て、アイザックは「あぁ、こういう状況って恋愛ゲームとか漫画にあったような気がするな」と現実逃避していた。


「……リサはどう思う?」


 それだけではなく、返答からも逃げようとする。

 一見、婚約者の意見を尊重しているように見えるが、実際はどう返事していいのかわからなかったので、リサにやんわりと断る口実を作ってほしいというだけだった。


「私はブリジットさんやティファニーなら歓迎です。どうせならよく知っている人に第一夫人になってほしいですから」


 だが、アイザックの願いとは裏腹に、リサはあっさりとブリジットを受け入れた。

 しかも、ティファニーまでもだ。

 リサはアイザックに考える時間を与えてくれなかった。

 まるで、ブリジットとの間で話がついているかのような早さだった。

 これがアイザックの計算を大きく狂わせる。


 ――しかし、誰も彼もがアイザックの敵というわけではなかった。


「アイザック、その返事はしてはならんぞ」


 モーガンがアイザックに返事をしてはいけないと注意を促す。


「ブリジット殿の事を不満に思っているわけではない。しかし、今日は一日で様々な事があった。状況を把握し、ウェルロッド侯爵家全体で協議をした上で、どのような返答をするかを考える時間をいただきたい。もちろん、最長でアイザックの卒業式まで伸びるという事もあるでしょうが、その点はご了承願う」

「あっ、はい。私もみんなに負けないようにと焦り過ぎたと反省していますので……。今はどう思っているかを伝えられただけで十分です。結果は急ぎません」


(じいちゃーーーん! ありがとう、本当にありがとう!)


 アイザックは、いまだかつてないほどの感謝をモーガンにしていた。

 リサの時のように考える時間があれば違ったが「ここで返事をしろ」と言われていれば、どう答えていいのかわからなかっただろう。

 勢いや責任感で婚約するのは、何か違うと思っていたところだ。

 だが、当事者であるアイザックが「ちょっと待って」と言うのと、モーガンが「ちょっと待て」と言うのでは、受け取られる意味合いが変わってくる。

 ここでモーガンが待ったをかけてくれた事には、本当に助かる思いだった。


「だが、アイザック。元々はお前の行為が招いた事態だ。一言、二言言わねばならぬ事があるから、あとで私の部屋に来い」

「……はい」


 しかし、すぐにパメラの話が残っている事を思い出させられる。

 パメラの事は人前では話せない。

 部屋に呼び出されて、その事を確認されるのだろうという事は容易に想像がつく。


 周囲には「そりゃあ、叱られるよな」と思われているのが救いだった。

 身内の人間ばかりとはいえ、人前で叱りつけて恥をかかせるのはよろしくないからだ。

 誰もアイザックが王国をひっくり返すような、とんでもない事を考えているなど思いもしていない。


 リサとティファニー、ブリジットの三人がお互いの顔を見て、照れ笑いを浮かべている。

 大人達は戸惑いながらも、彼女らを微笑ましく見守っていた。


 ただ三人だけ。

 アイザック、モーガン、マーガレットの三人だけは、笑っていられる状況ではない事を理解していた。

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