第351話 卑怯な考え

 ――エリアスが謝罪し、モーガンが謝罪を受け入れた。


 謁見の間には、それで終わったという空気が流れ始める。

 だが、まだ終わってはいない。

 終わらせたくない男が残っていた。


 ――アイザックだ。


 彼はロレッタに声をかける。


「ロレッタ殿下には謝らねばなりません」


 さすがにアイザックも少し気が咎める。

 しかし、今後の事を考えれば、やっておかねばならない事だ。

 色んな意味で自分の犠牲になってもらわねばならない。

 だから、エリアスに責任をなすりつけるのは弱めないつもりだった。


「陛下に命じられた時、私は手勢を率いて向かう事になっておりました。家臣には腕利きの者が揃っているとはいえ、ドラゴン相手に通常の武器が通用しない。あの時は本当に死を覚悟しておりました。ですから、心配してくださったお気持ちは本当にありがたかったです。ですが、それに甘えてしまいました」


 ここまでは本当の事だ。

 死を覚悟していたし、心配してくれる気持ちは嬉しかった。

 バレンタインデーの事がなければ、今も純粋に喜べていただろう。

 だが、思い出してしまった今は到底喜べない。

 しかも「わかって受け取った」と言ってしまったせいで、とんでもない窮地に追い込まれている。

 これから起きる事に対する恐怖と、自分の情けなさに泣き出したくなっているくらいだった。

 言葉にしようと考えるだけでも嫌だが、言わねばならない事がある。

 

「まともに戦える戦力もないまま、異国の地へ送り込まれるのです。ドラゴンを退治する事などできないので、交渉によってどうにかするしかないと考えました。それでも、ドラゴンの機嫌が悪ければ会話にならず簡単に殺されてしまう可能性が高い。本当に死を覚悟していました。そこで、私は卑怯な考えを持ってしまったのです」

「卑怯な考え……、ですか……」


 アイザックの言葉を聞き、ロレッタは不安そうな表情を浮かべる。

 あのアイザックが・・・・・・・・卑怯な考えだと言うのだ。

 よほどえげつない内容に違いない。

 どんな内容を打ち明けられるのかと身構える。


「昔話では、ドラゴンを退治した褒美に王女との婚約を求めていました。ですが、ドラゴンを退治する事など不可能で無駄死にするだけの任務。どうせ死ぬのなら、ハンカチを受け取ってもかまわないだろうという軽い気持ちで受け取ってしまいました。最後の思い出が欲しいがために、ハンカチを渡そうとした方の想いを踏みにじってしまいました。今はその事を深く反省しております。申し訳ございませんでした」


 アイザックは素直に謝る。

 だが「どうせ死ぬから」という事を強調し、命令したエリアスが悪いという印象を植え付けようとしていた。


「ドラゴンを退治しないから……。どうせ死ぬから……。だから、ハンカチを受け取っても想いに応えなくてもいいと思っていらしたのですか?」

「……その通りです。卑怯な考えをしていました。先ほど申し上げたように、女性を褒美として受け取る物扱いをするつもりもなかったので、最初から婚約を求めるつもりはありませんでした。申し訳ございません」


 責めるような口調のロレッタに、アイザックは頭を下げるばかりだった。

 しばしの間、気まずい沈黙が訪れる。

 ここで状況を変えようと、口を開いたのはロレッタだった。


「……それだけ追い詰められておられたのですね。エンフィールド公でも勝算がないと諦めてしまうくらいに」

「はい。ウェルロッド侯が陛下に抗議して、近衛騎士の派遣を引き出していなければ、今でも屋敷で震えていた事でしょう」


 ロレッタの言葉に、アイザックは即座に反応した。

 彼女がどう思ったのかわからないが、アイザックにとって、これは最高のタイミングで出された助け舟だったからだ。

 彼女はまだ何かを言いたそうな顔をしていたが、アイザックの顔をジッと見つめるだけだった。


(なんだろう? 何か……は、はうあ! あった、あったよ! そういえば、出発前に解決の糸口があるとか話していたような気がするぞ……)


 モーガンが帰ってきた時にロレッタとニコラスも連れてきていた。

 その時に「過去の文献を見て、解決方法が浮かんだ」と話していた覚えがある。

 だとすると、彼女に「余裕があったじゃないか」と責められてもおかしくない。


 なのに、ここで黙っているという事は――


(今は見逃してくれるって事か)


 ――借りができたという事である。


 今はその事を言い訳するだけの理由が思い浮かばない。

 ならば、借りておくだけだ。

 彼女の優しさに甘えさせてもらうしかない。


「そ、そこまで思い詰めていたとは思わなかった。本当にすまない事をした」


 二人の話を聞いて、エリアスが口を挟んできた。

 彼の行為は自らを心胆寒からしめていた。

 忠臣を失いかけたというだけではない。

 こうしてアイザックが心中を告白する毎に、他の家臣の心が離れていってしまっているような気がしていたからだ。


 ――無欲な忠臣のアイザックですらこんな扱いをされるのなら自分達は?


 エリアスは、この場に集まる者達がそう考えているように感じられていた。

「アイザックならなんとかしてくれる」という信頼から、軽い気持ちで頼み過ぎてしまった代償だ。


「そなたならば、見事にやり遂げると思っていたのだ。……!?」


 ここでエリアスは何か思いついたような素振りを見せる。


「そう、そなたならば達成できると私は確信していた。だから、送り出したのだ。そなたは自己評価を低く見積もり過ぎている。もっと自信を持つべきだ」


 ――起死回生の一手。


 アイザックならばやり遂げられると信じていたと言う事で、無茶な命令を出したという印象を薄めようとしていた。

 しかも「アイザックの自己評価が低い」とする事で「自分は本当のアイザックの実力をわかっていた」と思わせようとする。


 このエリアスの狙いはある程度成功していた。

 貴族達は、アイザックが控えめな性格だという事を知っている。

 他の者がアイザックと同じ事をしていれば「俺はこれだけの事をやってきたんだぞ」と自慢するはずだ。

 特に若者であれば、驕りが見えてもおかしくない。

 エリアスの言うように、アイザックの自己評価が低いのならば、その態度にも納得がいくというもの。

「陛下はエンフィールド公の器を見抜いていたから、自信をつけさせるために命じたのでは?」と思う者も出始めていた。


「自信……ですか」

「そうだ。そなたは実際にやり遂げたではないか。ドラゴンを退治したという話は記録に残っているが、交渉によって大人しくさせたなどという話は聞いた事がない。そんな前人未到の偉業であろうとも、そなたなら成し遂げる事ができる。そう確信していたから送り出したのだ。そなたは自分の評価が低いようだが、私は正しく評価していたのだぞ。だが、説明が不足していた事は否定できん」


 エリアスとしても必死である。

 アイザックの事を本人よりも理解していたと主張して、決して死ぬ事を前提とした命令ではなかった事をわかってもらおうとしていた。

 アイザック本人にも、そして貴族達にも。

 そのためには身を切らねばならないという事を理解していた。


「この一件は、そなた一人で解決したようなもの。ドワーフからの贈り物はそなたが受け取るべきだ。すべてそなたに褒美として与えよう」


 アイザックでも、エリアスが自分の行動を誤魔化そうと考えている事がわかった。

 だからこそ、邪魔をしようと考える。

 彼に責任を取ってもらわねばならないからだ。

 財宝を受け取るよりも、自分の身の安全を優先しようとする。


「陛下にそこまで評価していただけているとは存じませんでした。……では、褒美として半分だけいただけますでしょうか? 今回の件は私一人で成し遂げたわけではありません。リード王国の最精鋭である近衛騎士団。マチアス様が集めてくださったエルフの古強者達。そして、ドワーフの勇敢な戦士達。彼らがいたからこそ、勇気を出してドラゴンの前に立つ事ができたのです。私だけではなく、近衛騎士団とエルフの皆さんにも報酬を受け取る権利があります。私から彼らに感謝の気持ちを伝えられる分だけいただければ十分です。私への褒美は陛下の命令の拒否権とウェルロッド侯への謝罪で十分でございます」


 アイザックは、エリアスよりも先に「エルフ達への感謝の気持ちを贈りたい」と言う事にした。

 こうする事で「ああ、アイザックは人への感謝を忘れないんだな」と思わせるつもりだ。

 アイザックに合わせてエリアスが同調しても「アイザックが言ったから、それに合わせたんだな」と周囲に思われるはず。


 ――自分の評価を上げつつ、エリアスの評価を下げる。


 そのためだけに、この話題を持ち出した。

 拒否権の話題がうやむやにされそうだったので、ついでにこちらも持ち出した。

 うやむやにするなら、ハンカチの話題に関してうやむやにしてほしいところである。


 アイザックに改めて拒否権を要求された事で、エリアスは観念した。

 だが、そのまま受け入れるつもりはない。


「元々協力してくださったエルフの皆様方へのお礼や、遠征していた騎士達への褒美を考えていたので、こちらからも出させてもらう。抗命権についても認めよう。嫌な命令であれば無条件で断ってかまわん。ただし、期限を二十歳になるまでとする。それ以降は他国の使者の前であっても、遠慮せずに意見を述べてもよいものとする。無期限では後々困る事になるだろうからな。どうだ?」


 エリアスは期限を決める事によって、アイザックに拒否され続ける事を避けようとする。

 貴族としての義務を果たさなくてもいいと言った事は事実。

 期限をそれに合わせる事で、実質的な被害を最小限に抑えようとしていたのだ。


「それでかまいません」


 アイザックもエリアスの意図するところはわかっていたが、その内容で了承した。

 肝心なのは「卒業式まで邪魔させない」というところだ。

 卒業式後には混乱が起きるはずなので、それまで時間を稼げれば十分だった。


 もし、何も起きなければ普通の貴族として生きていくしかない。

 普通の貴族として生きていく場合「命令の拒否権を持つ家臣」など国王にとって目障りな存在でしかない。

 生活に悪影響を及ぼす事が考えられる。

 二十歳以降は貴族として真面目に働いていくのなら、期限が決まっていた方が都合がいい。

 アイザックには断る理由などなかった。


 一方エリアスは、アイザックがすんなりと受け入れた事を意外に思っていた。

 わざわざ大勢の前で言うくらいだ。

 かなりごねるだろうと考えていた。

 なのに、あっさりと受け入れてくれた。


(そうか、これは本気ではなかったという事か。本命はウェルロッド侯への謝罪。だが、それだけではしこりが残る。だから、抗命権などというものを求めてきたのだ)


 モーガンへの謝罪だけを求めれば、どうしても王家とウェルロッド侯爵家の間にしこりが残る。


 ――だが、抗命権を求める事で、そちらの印象を薄れさせればどうか?


 モーガンとしても「アイザックがとんでもない事を求めた」と、王家への怒りよりも動揺の方が強くなるはずだ。

 エリアスの謝罪も受け入れやすくなるだろう。


(もう一つわかったぞ! やけに厳しく追及してきているなと思っていたが、それは私のフォローにもなっていたのだ!)


 アイザックが自分のために行動していると考え始めると、エリアスはアイザックの厳しい言葉にも裏があったのだと悟った。


(やけに厳しい事を言うなというのは他の者達も感じているはず。それが私への同情を生み、失態に対する厳しい目を和らげる効果があったのだ)


 ――アイザックが「そんなに失敗を責めなくても」と思うような事を言っていたのは、自分を守るためだった。


 その事に気付くと、エリアスは「やはり忠臣だったのだ。もっと大事にしなくてはならない」と自分に言い聞かせる。


「では、この件は片付いたな」


 そう言って、エリアスはマチアスやドワーフの使者達に声をかけ始める。

 このあとには帰還パーティーが開かれる予定だ。

 そこでアイザックやウェルロッド侯爵家の面々との関係を修復せねばならない。

 目の前の用件を一つずつ片づけていく。

 しかし、このあとの事を考えると陰鬱とした気分になってしまう。


 ――だが、それはアイザックも同じ事。


(やっべぇよ。マジヤバイ。どれくらいヤバイかっていうとマジヤバイ。本当ヤバイって)


 ――パメラやアマンダ、ティファニーにジュディス。


 他の四人に「ロレッタからハンカチを受け取っていた」という事がバレてしまった。

 最初に「季節が違うからバレンタインデーの事は忘れていた」と言っていれば「あんな有名な話を忘れるなんて馬鹿な奴だな」で終わっていた。

 知ったかぶりをしてしまったせいで、説明が難しくなってしまった。

「こんな時こそ気絶できればいいのに……」と思わずにはいられなかった。

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