第349話 二つのお願い
「年寄りは家に帰って日向ぼっこでもしているよ」
エルフ達の多くは村に帰る事を選んだ。
長期間の遠征で疲れを感じているのだろう。
王都に同行するのは、マチアスなど一部の長老衆だけとなった。
ドワーフはジークハルトを始め、お礼の品を運んでいる者達が同行する事になっている。
アイザックが一人で解決したとはいえ、そのアイザックを派遣してくれた事に対してリード王国にも礼をせねばならない。
装飾品を中心とした財宝が用意されていた。
ちょうど十二月に入った。
地方の貴族が王都に向かう季節なので、アイザックは家族と共に王都へ向かう。
その道中に立ち寄った貴族の屋敷では熱烈な歓迎を受けた。
ドラゴンを弁舌によって大人しくさせた帰りだ。
退治するのではなく、対話による解決で済ませたなど初めて聞く話である。
誰もがアイザックの話を聞きたがって、精一杯の歓迎をしてくれた。
そして、それは王都でも同じだった。
王都では先触れによってアイザックの帰還を知った平民達が沿道に集まっていた。
彼らは、ドラゴンの鱗を貼り付けた鎧を着ているアイザックの姿を見て熱狂する。
「おい、あれってまさか」
「何かの鱗っぽいな。もしかして、ドラゴンの鱗か?」
「すげぇ、やっつけたのか!」
貴族の間では「交渉によって解決した」という話が伝わっているが、平民には「ドラゴンの問題を解決した」としか伝わっていない。
そのため、アイザックがとんでもない事をやってのけたと思われていた。
ドラゴンの鱗を使った鎧も、誤解を助長させる効果があった。
アイザックは平民にアピールするために着ていたので、狙い以上に事が上手く進んでいた。
手を振って平民にサービスをすると、沿道から黄色い歓声が沸き起こった。
アイザックは両親譲りの整った顔立ちをしている。
しかも、優しそうなのは顔立ちだけではなく、平民の事すら心配する優しさを持っている事も知られている。
そして、兄を殺した事件以外は恐ろしい噂もない。
女性人気は上々だった。
だが、アイザックだけが人気なわけではない。
「おい、あれ見ろよ。あの馬車は家族が乗ってるのかな?」
アイザックを先頭にしたエンフィールド公爵家の隊列が過ぎると、今度は違う家紋をつけた一団が続いていた。
その中にある馬車を、一人の男が指差す。
「俺は知ってるぞ。あれはウェルロッド侯爵家の紋章だ」
「っていう事は、サンダース子爵が乗ってるのか!」
「まじかよ!」
今度は男達の野太い歓声が沸き起こる。
アイザックは「古今無双」と呼ばれるほどの活躍をしており、彼らもその実績は認めている。
だが、その活躍がイマイチわかりにくいというのが難点だった。
「凄く頭が良い」というくらいにしか理解されないのだ。
その点、ランドルフの活躍はわかりやすい。
アイザックの懐刀であるマットもトムと互角に戦える強い男だったが、ランドルフはその上を行く。
なんといっても、トムを一突きで仕留める凄腕だ。
誰にでもわかりやすい強者である。
平民の――特に荒くれ者の間では「剛勇無双のランドルフ」や「一騎当千のランドルフ」と呼ばれて敬われている。
純粋な強さから、ファンをガッチリ掴んでいた。
声援を送られる理由がわからないので、ランドルフは馬車の中で苦笑いを浮かべるばかりだった。
貴族街に入ったところで、一行は四方に別れる。
アイザック達はウェルロッド侯爵家の屋敷に向かい、近衛騎士達は王宮へ。
ジークハルト達はドワーフの大使館へ、マチアス達はエルフの大使館へと分散した。
だが、すぐに合流する事になる。
休むことなく、王宮へ参内する事になっているからだ。
一晩くらいは休みたいところだが仕方ない。
屋敷ではマーガレットが待っていた。
ロレッタとニコラスの婚約者であるソフィアもいた。
モーガンの姿がないのは、王宮にいるからなのだろう。
「おかえりなさい。元気そうで何よりだわ」
「ただいま戻りました」
アイザックの顔を見て、マーガレットも安心したようだ。
アイザックも、祖母の顔を見て家に帰ってきた事を実感する。
「無事に帰ってこられる日を、ずっと待っていました。本当に長く感じました……」
ロレッタは涙で潤んだ目でアイザックを見つめている。
アイザックは「そんなに喜んでくれているんだ」と素直に喜ぶ。
「ドラゴンは恐ろしかったですけど、頂いたお守りのおかげで勇気が出ましたよ。お土産も用意してますので、楽しみにしておいてください。……殿下もこのあと王宮へ?」
「はい。成人した貴族と学生は王宮に集まるようにとの事ですので、私も参ります」
「そうですか、それは……困ったな」
アイザックは、本当に困ったのでアゴを掻く。
「なぜでしょうか? 私は邪魔なのですか?」
「いえ、邪魔というわけではありません。ただまぁ……。陛下に求める褒美を言いにくいなと思いまして」
「そ、それは!」
ロレッタが誰にでもわかるほど強い動揺を見せる。
その理由はシンプルである。
――アイザックが褒美として、ロレッタとの婚約を求める。
そう思ったからだ。
これは彼女一人の誤解ではない。
――ロレッタがいると、婚約を認めてもらえるようファーティル国王に働きかけてほしいとエリアスに頼むのが恥ずかしい。
だから、彼女に出席されると困っているのだろうと、マーガレットも考えていたからだ。
「……出席を取りやめた方がいいのでしょうか?」
「いえ、陛下に頼むのはどうにかしますので、無事に帰ってこられた事を共に祝いましょう。その方がきっと楽しいでしょうから」
「はい!」
ロレッタがアイザックにもわかるほど、ウキウキとしている。
彼女はランドルフやルシア、ケンドラ、そしてリサに上機嫌で挨拶をしていく。
アイザックは、ニコラスの婚約者のソフィアにも声をかける。
「ソフィア、ニコラスを借りて悪かったね。幸い怪我はしていないから無傷で返すよ」
「ニコラスはお役に立てましたでしょうか?」
ドラゴン相手でなければ違ったが、いくらなんでも相手が悪すぎる。
彼女にはニコラスがアイザックの役に立ったとは思えなかった。
「役に立ちましたよ。やはり、親戚が身近にいてくれるのは、信頼のできる部下とは違う安心感がありましたからね。おかげでドラゴンに立ち向かう事もできましたから」
「お役に立てたのならよかったです」
「酷いじゃないか。もう少し僕の事を信じてくれてもよかったんじゃないか?」
「だって――」
「でもさ――」
二人がイチャつき始める。
アイザックは一瞬イラッとしたが、今は自分も婚約者がいる立場だ。
リア充相手にイラつく事などない。
すぐにその思いを振り払った。
「再会を喜ぶのもいいが、まずは着替えよう。陛下を待たせるわけにはいかないからね」
ランドルフが二人の睦言を止める。
無事の帰還を喜ぶのは理解できるが、エリアスを待たせるわけにはいかない。
ハリファックス子爵も、自宅に帰って準備をしているはずだ。
道中で合流した他の貴族も同様である。
主役は最後でもいいとはいえ、遅れすぎるのは問題外だ。
今、優先すべき事を優先しようとランドルフが声をかけた。
「そうですわね。ソフィア、私達は王宮で待っていましょう」
「はい、殿下」
ロレッタはこの場を去る事を名残惜しむが、すぐに後ろ髪を引かれる思いを吹っ切った表情になっていた。
これからアイザックとは、いくらでも会う事ができる。
それも、今までとは違う立場で。
新しい関係になれる事を考えれば、この一時の別れなどどうというものでもなかった。
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王宮に到着すると、アイザックは家族と別れて、一緒に遠征していたハリファックス子爵達と合流した。
ランドルフ達は先に謁見の間に向かい、アイザック達遠征組は準備が整うまで控室で待っておくように言われたからだ。
アイザックが皆と話して緊張をほぐしていると、文官が呼びにきた。
文官の誘導に従い、謁見の間の扉の前まで移動する。
「よし、行くか」
扉が開かれる直前、アイザックは皆に声をかけた。
緊張するとはいえ、戦争から帰ってきた時の論功行賞でも似たようなものだった。
アイザックは二度目なので、まだマシだ。
ブリジットやジークハルトも、エリアスに会うのはまだ慣れている。
ニコラスもロレッタの付き添いとして会う事があるので平気だった。
年長者のハリファックス子爵が、実は一番経験が少なかった。
アイザックのおまけだとしても、大勢の貴族が見守る中、エリアスの正面にひざまずく事など未経験の出来事である。
顔が紅潮し、呼吸も早くなっていた。
扉が開かれると、謁見の間で待っていた貴族達の視線がアイザックに集中する。
アイザックは意識して余裕のある笑みを見せながら、エリアスを見ながら進む。
キョロキョロと視線を動かしていたら、みっともないからだ。
だが、視界の端に学生服が見えているので「どこかに友人達がいるかもしれない」と思って視線を動かしてしまいそうになる。
それを我慢できたのは、これからの重要な事があるからだった。
エリアスの前まで進み、アイザックはひざまずく。
「アイザック・ウェルロッド・エンフィールド公爵。ドラゴン対策の任より帰還致しました」
「報告は受けている。今まで退治をしたという話があっても、対話による解決など初めて聞いた。今までに誰もできなかった事を成し遂げるのは、そなただけだと思っていた。見事な働きだったぞ。よくやった」
エリアスは上機嫌だった。
かなり無茶な任務ではあったが、思った通りアイザックはやり遂げて帰ってきた。
「一部の騎士が酒を避けるようになった事以外は被害なし」という報告も受けているので、戦争であれば完勝といってもいい終わり方を迎えている。
ロックウェル王国との戦争以上の大戦果だ。
しかも、それだけではない。
先ほどロレッタから「アイザックが褒美として求めるものがある」という話を聞かされた。
それがどんなものかは一発でわかる。
――ロレッタとの婚約を求める。
「出発前にハンカチを受け取ってくれた」という話も聞いているので、それしか考えられない。
何もかも理想的な方向に動いているので、上機嫌にもなるというものだ。
「ありがとうございます。話を上手くまとめたという事で、ドラゴンから鱗などの褒美を授かりました。そこで、陛下への手土産にと思い、ルドルフ商会の協力を得て鱗を使った盾を作っていただきました」
アイザックが盾の事を持ち出すと、ノーマンが王宮の文官に風呂敷で包まれた盾を渡す。
中身はチェック済みなので、文官はエリアスのもとまで持っていって風呂敷を開く。
中から緑色の鱗が貼られたヒーターシールドが見える。
「ほう、これが竜の鱗か」
エリアスは思わず鱗に触れる。
意外とサラサラしていて弾力性がありそうだが、かなり硬そうな感触でもあった。
初めて触れる感触に、人前だという事を忘れて触り続けてしまいそうになっていた。
「年月の経った古い鱗では、その感触がないそうです。ある程度新しいものだからこそ、硬さと弾力性を持つとの事。魔法への耐性もあるらしいので、盾にすればいいと思い、一番大きな鱗を使って仕立てていただきました。オリハルコンで作られた剣と並べても遜色のないものでございます」
「その通りだ! 確かにあの剣にも遜色のない見事な盾だ。ありがたく受け取ろう」
エリアスはアイザックの配慮に感謝した。
――ドワーフが作ったオリハルコンの剣とドラゴンの鱗を使った盾。
こんなに素晴らしいものを他の国は持っていない。
この場に居合わせる各国大使の口から、この事は世界に広まるだろう。
ドワーフとの関係も強調できる逸品なので、リード王国の威信も高まる。
最高の土産を貰えたと満足していた。
エリアスにとって最良の出来事は、まだまだ続く。
「我らからもエンフィールド公を派遣していただいたお礼をご用意させていただいております。ご笑納いただければ幸いです」
評議会から派遣された使者が「このタイミングで渡した方がインパクトがあっていいだろう」と思って、お礼の品の目録を差し出した。
文官が目録を受け取り、エリアスへ手渡す。
「ほう、これだけのものをいただけるとはありがたい」
「エンフィールド公のおかげで、ドラゴンの骨が手に入るようになりました。感謝してもしきれないほどです。リード王国との友好が末永く続く事を願っております」
「私も同じ気持ちだ」
目録には馬車十台分の財宝が書かれていた。
アイザックに褒美を半分下げ渡すとしても、今のリード王家にとって本当にありがたい贈り物である。
エリアスは「今日が人生最良の日だ」と思っていた。
――この時までは。
「同行した者達もよくエンフィールド公を支えてくれた。褒美を与える――と言いたいところだが、まず与えねばならない者がいる。さて、エンフィールド公。そなたが無欲である事はわかっている。だが、他の者達のためにも、そなたに褒美を受け取ってもらわねばならない。何か希望するものはあるか?」
これは茶番だ。
エリアスは、アイザックが求めているものがわかっている。
――無欲なアイザックが、褒美としてロレッタとの婚約を求めた。
そういう形を作る事で、アイザックに求められたロレッタの名声も高まる。
ファーティル王家も婚約を望んでいて「婚約? はい、オッケー!」と即答する状況であっても、他国の王女である事は変わりないので安売りするような真似をエリアスにはできない。
いくらかは、面子を保てるようにする必要があったので、このような言葉をアイザックにかけた。
「実は二つお願いがございます。ですが、この場では申し上げにくい内容ですので……。また後ほどという事にできませんでしょうか?」
エリアスに問われたものの、アイザックは言葉にする事を躊躇する。
やはり、他国の者の前で言うのは、はばかられるからだ。
「かまわん。何を求めようとしているのかはわかっている。最大の功労者であるそなたの希望を聞かなければ、他の者に褒美を与えにくいと言ったばかりではないか。遠慮せず言うがよい」
「えっ、ご存知だったのですか!」
「当然だ」
驚くアイザックの姿を見て、エリアスはニヤリと笑う。
「策士も恋愛関係になると頭が鈍るのだな」と思うと面白く感じるからだ。
それだけに、望みが二つというのが気になった。
(ロレッタの婚約で一つだろう。もう一つは、婿入りするからファーティル王国への移住を認めてほしいというものか? それとも、嫁として迎え入れたいからファーティル王家への説得を手伝ってほしいというものか? まぁ、そのどちらかだろうな)
とはいえ、想像するのが難しい内容ではない。
どちらも可能な範囲だ。
できれば、リード王国に残る道を選んでほしいとは思っていたが、それはアイザックの判断に委ねるつもりだった。
「陛下がそのように仰るのでしたら……」
アイザックは言い辛そうにする。
(くそっ、すべてを見透かされているなんて……。でも、わかった上で「言え」と言えるなんてとんでもない奴だな。器がでかい。能天気に見えても、やはり一国の王か。まぁいいさ。なら、言ってやる)
この時、アイザックは国外の客人達がいる方をチラリと見た。
その動作を、ロレッタは自分を見たのだと勘違いする。
いや、そう思ったのは、彼女だけではなかった。
アイザックが言い淀んでいるのは、それ相応の理由があるからだと考える者が少なくとも五人はいた。
――ロレッタは、アイザックが恥ずかしがっているのだ思っていた。
アイザックは戦争や政治では、考えられないほど大胆な行動を取る。
しかし、一人の男としては年相応の少年なのだろう。
リサに告白したのも、せざるを得ない状況になったからだ。
アイザックの意外な弱点を知り、彼女は微笑ましく思っていた。
――パメラは「ジェイソンの婚約者である自分を求める事の重大さから、アイザックが言い淀んでいるのだろう」と考えていた。
今のジェイソンはニコルに夢中なので、このままではニコルが王太子妃になり、いつかは王妃になるだろう。
だが、他の誰もそんな未来など想像していない。
「アイザックが功績を盾にして強引にパメラを奪った」と世間に思われるはずだ。
バレンタインデーの話を真似したと理解されたとしても、アイザックの立場が非常に危ういものとなる。
特にアイザックは王家への忠誠心が厚いだけに、言い出せなくなっても仕方ないものだと受け取っていた。
――アマンダは「自分とティファニーの二人と婚約したいとは言い辛いのだろう」と思っていた。
どちらか一人ならば、まだ言い出しやすい。
しかし、二人同時というのは少々欲張りな気もする。
アイザックは無欲な事で知られているので、同時には求めにくいのだろう。
そうなると、ティファニーとの婚約だけを求める可能性もある。
とはいえ、アマンダは心配していなかった。
アイザックが「お願いは二つ」と言ったからだ。
――ジュディスは「マイケルに酷いフラれ方をしたばかりの自分を求める事を、この土壇場で躊躇しているのだろう」と考えていた。
アイザックは優しい男だ。
マイケルの事件のあと、婚約話を持ち掛けても「怖がって冷静ではない時に決める話ではない」と配慮してくれていた。
だが、ハンカチを受け取ってくれたという事は「もうジュディスの心は落ち着いている」と判断してくれたという事。
実際にジュディスの心の準備はできているが、その事を知らないアイザックは、最後の最後で本当に婚約を求めていいのか迷っているのだろう。
「心の準備はできています」と伝えたいところだったが、大勢の前なので彼女は声が出せなかった。
――そして、ティファニーは「アイザックは優しいところがあるから、チャールズを忘れられない自分との婚約を求める事を迷っているんだ」と思っていた。
望みが二つという事は、自分とアマンダの二人を求めるのだろうという事が容易に想像できる。
アイザックはリサを婚約者に選んだ事から、付き合いの長い女性を選ぶ傾向がある。
自分も付き合いが長いし、アマンダもそれなりに長い付き合いだ。
なのに、すぐに求めないという事は「自分の事で遠慮しているからだろう」という事くらいしかティファニーには理由がわからなかった。
(いっその事、ハッキリ言ってくれればいいのに……)
彼女は、ついそのように考えてしまう。
バレンタインデーとホワイトデーの話は絵本で何度も読んだ。
女の子であれば、誰もが夢見るロマンティックな告白方法だ。
チャールズを吹っ切るきっかけになるかもしれないので、複雑な思いを抱きつつも、アイザックの言葉が待ち遠しかった。
すべての耳目がアイザックに集中する。
「それでは、陛下の命令を拒否する権限とウェルロッド侯への謝罪を求めます」
アイザックは、誰もが予想しなかった言葉を発する。
「えっ!」
エリアスと名前を出されたモーガンだけではない。
謁見の間のあちらこちらから驚きの声があがった。
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