第348話 祭りのあと

 フリートホーフ・ルイーネでは、盛大な祭りが開かれた。

 前回の酒盛りで学んだ者達は酒を控えようとしたが、めでたいムードに流されてしまい、酒を控える事ができなかった。

 近衛騎士達も、しこたま飲まされた。


 主役であるはずのアイザックも、こればっかりは蚊帳の外だ。

 ブリジットやジークハルト、ニコラスと共に食事やデザートを楽しむ事しかできない。

 街の子供達にリード王国の話を聞かせてやったりしていたので寂しくはなかったが、一緒に酒を飲んで楽しめないのは残念だった。


 翌日から二日ほど、大人達は楽しんだ分の代償を支払う事になった。

 ドラゴンの脅威も去ったという事もあり、近衛騎士もドワーフとの親善活動に精を出すしかなかったので、他の者達と同じく苦しんでいた。

 平気なのはドワーフだけという有様である。

 とはいえ、喜んでくれれば嬉しく感じるもの。

 一部の者は二日酔いに苦しみながらも、気分よく街を去る事ができた。


 ――だが、大人達はアイゼンブルクに到着した時点で絶望する。


 話は伝わっているので、街に住む者達が街道沿いに出て歓迎してくれた。

 それがなぜ絶望を感じる事になるのかというと、歓迎される・・・・・事自体に恐怖を感じるからだ。

 また二日酔いの苦しみを味わうのかと思うと、気落ちするのも仕方がない。

 酒をいつも飲む程度に控えればいいのだが、ドワーフと一緒に飲むと度を過ごしてしまう。

 嫌がらせだとわかっていれば断れるが、歓迎で酒を飲まされるのは避けられないイベントだ。

 大人達は覚悟を求められる状況だった。


 しかし、アイザックは違う。

 空気の悪い街に長居はしたくはないが、この街でやっておきたい事がある。

 大人達が二日酔いで潰れている間に、ジークハルトに頼んでおくつもりだった。


 歓迎してくれているドワーフ達に手を振りながら、アイザック達は道を進む。

 今回も評議会ではなく、ホテルに案内された。

 ホテルの前では、やはりルドルフ達評議員が表に立って待っていた。

 行きの時も笑顔だったが、中には愛想笑いの者もいた。

 それが今回は、全員が本物の笑顔になっている。

 やはり、結果を出せば人間に対して思うところがあるものも変わるのだろう。

 アイザックが馬を下りると、彼らが駆け寄ってくる。


「エンフィールド公ならやってのけると思っていましたが、まさか骨まで手に入れるとは。お見事です」

「開発者としてだけじゃなく、商人としてもとんでもないやり手だねぇ」

「ドラゴン相手に物怖じしない勇敢さもなかなかのもの。本当に素晴らしい」


 彼らは口々にアイザックを褒める。

「アイザックなら、もしかしたら成功するかも?」という思いはあったが、予想以上に上手く進んだ事は彼らの度肝を抜いた。

 気球を見せた事もあり、アイザックはドワーフのアイドルのような存在になっていた。

 誰も彼もがアイザックに握手を求める。


 握手を求められる方も、歓迎されて悪い気はしない。

 笑顔で手を握り返していく。


「相手が話を聞いてくれたおかげですよ」

「いやいや、そもそもこれだけの軍勢を率いていれば退治してしまおうと考えるもの。危険を顧みずに交渉しようとされたエンフィールド公だからこそ成功できたのです」


 アイザックは謙遜するが、ルドルフの感情は収まらない。

 ドラゴンの被害をなくしただけではなく、骨や鱗といったものまで手に入れたのだ。

 しかも、継続的に入手できる手段を残している。

 理想的な形でドラゴンの問題を解決してくれたのだ。

 興奮せずにはいられない。


「さぁさぁ、お疲れでしょう。宴の準備ができてますので存分にくつろいでください」

「ありがとうございます」


 表情には出さなかったが「歓迎される」と聞いて、大人達の表情が少しだけ沈んだものになった。

 だが、アイザックは違う。


(あぁ、そうか。ドワーフの歓迎って、年寄りが孫に「お菓子食べる?」とか聞くようなものの延長なんだ。お腹が空いているかどうかじゃなくて、そういうもてなし方が一番だと思っているから、こういうやり方をするんだな)


 呑気な事に、ドワーフの歓迎方法について考えていた。


 ――一緒に酒を飲む事が仲良しの証。


 そう思っているから、どんどん酒を飲ませるのだろう。

 人間を歓迎するいい方法が他にもあると知れば、違うやり方をしてくれるようになるはずだ。

 少なくとも、二日酔いで苦しむほどには飲ませないように気を付けてくれるようになると思われる。


(でもまぁ、今はいいか)


 アイザックは、その事を誰にも言わなかった。

 すでに準備が整っているのなら、水を差すような事を言わなくていい。

 自分が成人する前に教えておけばいいだろうと考えたからだ。


 大人達も面子があるので「もう酒を飲みたくない」とアイザックに泣きつくわけにもいかない。

 とてつもなく恐ろしい歓迎の宴を大人しく受ける事しかできなかった。



 ----------



 翌日。

 大人達は、やはりベッドの中で苦しんでいた。

 時間の空いたアイザックは、ジークハルトやブリジット、ニコラスという若者だけで話をしていた。


「はい、これが頼まれていたネックレスだよ」

「ありがとう」


 以前、ジークハルトに頼んでいたリサへのお土産を持ってきてくれたようだ。

 まずは中を確認する。


「おぉっ」

「わぁ、とっても綺麗」

「これがドワーフの作った装飾品……」


 ネックレスの主役として、大きなエメラルドが中心に取り付けられている。

 エメラルドを取り巻くように、小さな宝石が散りばめられていた。

 削りカスのような小さな宝石とはいえ、添え物としては十分な輝きを放っていた。

 エメラルドを選んだのは、アイザックがリサに「赤紫の髪が薄い緑色のドレスのお陰で映えるよ」と言っていた事を覚えていたからだ。

 ネックレスがリサの美しさを引き立ててくれるとアイザックは信じていた。


「ありがとう。思っていたよりも綺麗にできている。さすがはドワーフの中でもトップクラスのルドルフ商会だね」

「喜んでくれて嬉しいよ。アイザック用の鎧もできているから確認してみてよ」


 ジークハルトが商会員に命じて、鎧も運んでこさせる。

 設計としては人間の流行である丸みのある鎧ではなく、どこか角ばった印象を受けるものだった。

 だが、ドワーフ製というだけで、避弾経始に優れた丸みのある鎧よりも頑丈そうに見える。

 装甲は以前に貰ったものより薄そうだが、その分まともに動けるようになるだろう。

 サイズの調整もあるので、さっそく着る事にする。


「いやぁ、本当に助かるよ。前に貰った鎧を着ていたら安全だろうけど、逃げられそうになかったからね。ドラゴン相手なら潰されて終わるから着るだけ無駄だろうと思って持ってこなかったし。適度に動きやすいのが一番だ」

「そう言うだろうと思って、動きやすさを重視した鎧にしたよ。それでも人間製の槍や弓矢くらいなら軽く弾き返すはずだ。魔法はきついだろうけどね」

「魔法は仕方ないね。食らわないようにしておくよ。ドラゴンの鱗を貼り付けたら防げるとかないかな?」


 アイザックは、エルフ百人の魔法を受けても死なないドラゴンの話を思い出した。

 魔法の威力を軽減させる何かがあるとすれば、体を覆う鱗にあるはずだ。

「それなら貰った鱗を鎧に貼り付ければ、魔法防御がアップするんじゃないか?」というゲーム的な発想を持ち出した。

 ジークハルトが、かつてないほど良い笑顔を浮かべる。


「できるよ。ドラゴンの鱗は魔法を防ぐ働きがあるから、表面に付けるだけでも効果はある。使っていいの?」

「もちろんだ。命には代えられないしね。代金は骨の売却資金から出してくれ」

「いらないよ! ドラゴンの鱗、それもまだ新鮮なものを使って作業ができるんだ。職人達にいい経験をさせる事ができるから、お金なんていいよ。僕だっていい経験させてもらってるんだからさ」


 アイザックが貰った骨は、受賞者達と同じく評議会に売却する事にした。

 その売却によって得られた金と魔力タンクを、すべてピスト研究所に渡すように頼んでいる。

 持ち帰っても使い道がないからだ。


 そもそも、アイザックはアイデア料として何もしなくても金が入ってくる。

 その金はジークハルトに資金運用を任せているので、さらに増えているらしい。

 彼はリード王国から仕入れる品物を運ぶ運送業を始めた。

 人間と交易を始めた事によって、ニーズにすっぽりとはまり込む商売である。

 一度に大きく稼げはしないが、細く長く稼げるという確実性のある仕事だ。

 他人の金を運用しているという事もあり、慎重に考えてくれているのだろう。

 だが、それでもまとまった金を自由に動かせるというのは、新米商人にとって夢である。

 ジークハルトにとって、アイザックは最高の金主だった。


「そうかい? それなら、もう一つ一緒に頼もうかな。ドラゴンの鱗を貼ったヒーターシールドも一つ作ってくれないか?」

「もちろんかまわない。でも、それだと剣とかも欲しくなるんじゃない?」


 ジークハルトは満面の笑顔を見せている。

 ドラゴンの鱗を使った鎧と盾に合うものを作らせるのを面白がっているのかもしれない。

 だが、アイザックは首を横に振る。


「僕が使うんじゃないよ。陛下への献上品にするんだ。オリハルコン製の剣にドラゴンの鱗を使った盾が合うんじゃないかなと思ってさ。大人達の二日酔いが醒めるまでにできるんなら、盾も作ってほしい」


 一応、アイザックもエリアスにお土産を持って帰るつもりだった。

 散々な目に遭ったので、今回はちゃんと要求しようと考えている。

 だが、いきなり要求したら「こいつの忠誠怪しくないか?」と思われそうなので、ワンクッション置きたかった。

 そのワンクッションが、ドラゴンの鱗を使った盾である。

 鱗をそのまま渡そうとも思ったが、盾にした方がインパクトがあるので、作れるのなら作ってもらいたかった。


「新しく作るのには間に合わないから、既製品に貼り付けるという形になってもいいならできるよ」

「なら、それでいい。でも、極力量産品っぽいのは避けてくれると助かるかな」

「この国では兵士みたいに統一された装備を支給していない。この街にある物は全部オーダーメイド品と思ってくれていい。その心配はしなくても大丈夫だよ。一番良いのを用意するからさ」

「それなら安心だ。選ぶのは任せるよ」


 すべてがオーダーメイドと聞いて、アイザックは安心する。

 それと同時に「気楽に旅行をできる時代になった時、恋人にお土産をねだられる男はたまらないだろうな」と、財布の心配をしてしまう。

 オーダーメイドの品をねだられるなど、前世のアイザックなら考えるだけでも恐ろしい事だった。

 この世界の庶民も、いつかは恋人の要求を恐れる事になるだろう。

 とはいえ、前世のアイザックには贈る相手などいなかったので、心配する事などなかったのが悲しい。

 恋人ができた時に備えての無駄なイメージトレーニングだった。


「そういえば、今は物流の仕事を始めてるんだよね? だったら、鉄道にも手を伸ばしたらいいんじゃないか?」

「鉄道は無理だよ。評議会主導で敷設しているところだ。今から製造の仕事を受注するのは無理だよ」


 アイザックの提案は魅力のあるものだが、すでに大きな商会が中心となって進めている計画だ。

 馬車で荷物を運ぶだけの商会に参入できる余地などない。

 ジークハルトは即座に「無理だ」と首を振る。

 しかし、その考えは間違いだとアイザックが否定する。


「違う違う。そっちじゃない。鉄道の運用が始まった時の事を考えてみるんだ。今は鉄道が一本だけ。つまり、片道分しか使えないんだ。今日はアイゼンブルク方面からザルツシュタット方面へ。明日はザルツシュタットからアイゼンブルク方面へ。そんな風に運航を管理するところが必要になるんじゃないかな?」

「……あぁ、そうか。鉄道は線路の上を通らないといけない。普通の馬車と違って、向かい合ってしまうと避ける事ができないのか」

「そうだ。だから、今のうちに運航計画を立てて、運用を任せてもらえるように働きかけるといい。最初は大変だろうが、鉄道の運用は長期的に利益を出せるものになるだろう」


 アイザックの「鉄道会社を作れ」という意見を聞いて、ジークハルトは声をあげて笑い始める。


「やっぱりアイザックは面白いね。発想が貴族じゃなくて商人寄りだ。……わかった。鉄道の運用を任せてもらえるように働きかけよう」


 彼が笑ったのは鉄道を使えば、荷馬車よりも多く、早く荷物を運べるという事を理解しているからだ。

 鉄道の運用を任されれば、荷馬車よりも継続的かつ大きく稼げる仕事になる。

 しかも、鉄道を扱う商会などどこにもない。

 一から始める新しい仕事だ。

 商人としてやり甲斐のある仕事だった。


 そんな二人の話に、ついていけない者もいる。


「なんだか凄い話を聞かされている気がします。アイザック兄さんといると、とんでもない話に触れる機会があって飽きませんね」


 ニコラスだった。

 若者だけのお茶会だと思っていたら、いきなり大きな取引の話になって驚いている。


「いつかはニコラスも、こういう話をするようになるさ。なんなら、ジークハルトにソーニクロフトの特産品を売り込んでみたら?」

「小麦か野菜ですかね……。ドワーフ相手に売り込むなんてものないですよ」

「アイザックのようにアイデアを売り込んでくれてもいいよ」

「なおさら無理です」


 ニコラスが苦笑で答える。

 アイザックのように、ドワーフが喜ぶものを考え付く自信などない。

 バネの価値はなんとなくわかるが、ハトメの価値などさっぱりわからない。

「革や布の穴が破れたのなら、新しいのを買えばいいじゃないか」と考えてしまうからだ。

 この辺りは高位貴族の子息といったところだった。


 ニコラスは話に入ってきている。

 だが、ブリジットはなぜか黙ったままだ。

 アイザックは彼女の様子を見る。


(やっぱり女の子だな。宝石に夢中か)


 彼女はリサへのお土産のネックレスをジッと見ている。

 それだけよくできているという事だろう。

 リサもきっと気に入ってくれるはずだ。


(ブリジットも一緒に来てくれたし、応援してくれたからお礼はしておいた方がいいよな)


「ブリジットさんにもお礼をしておきたいので、このあと似合う宝石がないか見に行きましょうか」

「えっ、いいの?」


 彼女は喜びつつも「意外だ」という反応を見せる。


「ブリジットさんが声をかけてくれなかったら、ドラゴンにビビッて動けませんでしたしね。みんなが助かったのはブリジットさんのおかげだと言えるかもしれません。好きなのを選んでくださって結構ですよ」

「あぁ、あの時のキスは驚きましたね」

「キス? キスなんてしたか?」


 ニコラスの言葉に、アイザックが不思議そうな顔をする。


(あの時、ブリジットは俺に頑張れと言ってくれただけのはずだ。キスなんてしてなかったはずだぞ)


 さすがにキスをされれば気付くはずだ。

 そんな覚えなどアイザックにはない。


「頬に――あぁぁぁ!」


 ニコラスが説明しようとすると、彼は大きな悲鳴をあげる。

 テーブルの下で、ブリジットに太ももを強くつねられたせいだ。

 爪が食い込みそうなほど強くつねられているので、ニコラスの目にはうっすらと涙すら浮かんでいる。


「ブリジットさん、もしかして……」


 腕の角度でブリジットがニコラスに何かをしているというのがアイザックにもわかった。

 その反応から、アイザックは「頬にキスをされたのではないか?」という思いが湧く。


「ドラゴンから目を離せなかったけど、そういえば頬に湿った感触があったような……」

「もう、いいでしょう! そんな事は!」

「イタタタタ! 痛いですって」


 ブリジットが誤魔化すように大きな声を出すと、指にも力が入ったようだ。

 ニコラスが逃げるように立ち上がって、ブリジットから距離を離す。

 逃げる彼に、ブリジットが強く睨みつける。


「気付いていないみたいだったから、そのまま黙っておけばよかったのに」

「ですけど、本当に気付いていなかったとは思わないじゃないですか。気を使って知らない振りをしていると考える方が自然でしょう」

「だからって、わざわざ話題に出さなくてもいいじゃない」


 ブリジットも立ち上がって、ニコラスにジリジリと近寄っていく。

 ニコラスは、またつねられたりしないよう防御態勢を取っている。


「あの……、ブリジットさん。なんで頬にキスを?」


 そこにアイザックが横槍を入れる。

 ニコラスを守りたいというよりも、純粋な疑問だった。


「あ、あんたがしっかりしないとみんな死にそうだったからよ。おかげで目が覚めたでしょう」

「それはそうですけど……」


(命懸けの状況だったから? でも、それなら顔を引っ叩けばよかったのに、なんでキスだったんだろう?)


 ブリジットの行動は、アイザックには不可解なものだった。

 いくつも選択肢があったのに、わざわざキスという選択を取った理由がわからない。


(ハッ! そうか、そうだったのか……。わかったぞ、俺の事が好きになったな!)


 そこで、アイザックは答えを導き出した。


 ――長年の付き合いがあり、今の自分は顔も良い。

 ――社会的な立場もあるので、生活の心配をしなくてもいい。


 自分が彼女の立場だったら、異性として意識していてもおかしくない相手だ。

 きっと、何かをきっかけに一人の男として見られ始めたのだろうとアイザックは考えた。


(いや、待てよ。本当にそうなのか?)


 だが、アイザックは自分の考えに待ったをかけた。

 顔だけでモテるのなら苦労はない。

 前世でモテなかったのは、性格面で魅力がなかったからかもしれない。

 なら、今は顔がよくてもモテないという状態という可能性もある。

 早合点で行動するのは早い。

 まずは確認をしておく必要性を感じていた。


「ブリジットさん」


 アイザックは、いつになく真剣な顔でブリジットに話しかける。


「なによ」


 ブリジットの顔は紅潮している。

 かなり緊張しているのだろうという事がアイザックにもわかった。

 だからこそ、誤解を招かないようハッキリと確認しなければならないと思う。


「もう一度頬にキスしてくれませんか? あの時はドラゴンにビビっていて覚えがないんですよ」


 非常にわかりやすい要求だった。

 これでキスしてくれれば好意を持っているという事がわかる。

 緊張していても、考え違いをするはずがない。


 アイザックの頼みを聞いて、ブリジットが近づいてくる。


(おっ、もしかして本当に?)


 あと一歩というところまで近付いたところで、彼女が素早く動く。

 アイザックは「唇に飛びついてくる?」と思ったが、飛んできたのは鉄拳だった。

 鎧を着ていたものの、兜は被っていなかったので顔を守るものはない。

 鼻に強烈な一撃を食らい「ぐへぇ」と情けない悲鳴をあげながら背後に倒れる。


「バッカじゃないの!」

「今、馬鹿な事を言ったと痛感してます」


 怒り心頭のブリジットの言葉に、アイザックは素直に同意する。


(なんだよ、違うじゃねぇか。くそう、恥ずかしい勘違いをしたな、もう)


 幸い鼻血は出ていないものの、顔の痛み以上に勘違いをした事が痛かった。

 そしてこのあと、顔の痛み以上に痛い出費がアイザックを待つ事になる。



 ----------



 ブリジットには指輪やイヤリングといったものを買わされた。

 ニコラスにも婚約者への土産を買ってやった。

 だが、二人にだけ買うわけにもいかない。

 ハリファックス子爵は当然として、ついてきてくれたエルフや近衛騎士にもお土産代を出してやる事にした。

 エンフィールド公爵家の騎士やウェルロッド侯爵家の兵士にもだ。


 エルフ達は、日用品を中心としたものだった。

 近衛騎士やウェルロッド侯爵家の兵士は、恋人や家族への小物を土産に買った。

 エンフィールド公爵家の騎士は武器や鎧を買う。

 武器を買うところを近衛騎士は羨ましそうに見ていたが、彼らは買っても使えないので指を咥えて見ている事しかできなかった。

 彼らの鎧は支給されたもので統一されており、好きなものを着る事ができない。

 武器も使わないので、剣や槍も必要としない。

 ドワーフ製の武具は持っていても意味がないのだ。

 こういう時は、王家ではなく貴族に仕える騎士の自由さが羨ましくなる。


 アイザックは当然、ハンカチをくれた女の子達や友人の分のお土産も買っておいた。

 もちろん家族の分もだ。


 ウォルフガングとはザルツシュタットで別れ、護衛に就いてくれたお礼にドラゴンの鱗を数枚プレゼントした。

「なにかを作ってみる」と嬉しそうにしてくれていたので、プレゼントした甲斐があったというものだ。


 ジークハルトはアイザックに同行している。

 どうせ王都へ遊びにいくつもりだったので、一緒に行動しておいてもいいだろうという考えからだ。

 ノイアイゼンからリード王国へのお礼の品も運んでいるので、近衛騎士を護衛として頼れるのもちょうどいい。

 それでも、やはり「アイザックが何をするのか?」と気になっているのが一番理由として強い。

 どんな風に表彰されるのかも気になっているので、同行するという選択しか彼にはなかったというのが一番大きかった。


 アイザックがウェルロッドに帰ってきたのは、十一月の末だった。

 すでに寒さを感じる時期である。

 だが、そんな寒さを感じないかのように、領民がアイザックを出迎えた。


 屋敷へ向かう道中――


「アーイザック! アーイザック!」


 ――と領民が叫ぶ。


 未来の領主が優秀であれば優秀であるほど、領民にとってはありがたい。

 アイザックが私利私欲で私腹を肥やすようなタイプでない事も大きい。

 彼らは歓喜の声をあげて、アイザックの帰還を祝う。

 アイザックも喜んでくれている事がわかっているので、笑顔で手を振り返す。

 それを見て、歓声がより一層大きなものとなる。

 それで気分がよくなったアイザックは、また愛想よく手を振り返す。

 すると、また歓声が沸き起こる。

 アイザックは領民の反応が楽しくなり、屋敷に着くまでの間手を振り続けていた。


 屋敷では、やはり使用人総出で出迎えてくれていた。

 今回は笑顔を向けるだけで、一人一人声をかけたりはしない。

 アイザックとしても、早く家族と会いたかったからだ。

 玄関口で待つ家族のもとに着き、馬を下りると今回はリサが抱き着いてきた。


「お帰りなさいっ。本当に無事でよかった」

「ただいま。なんとか争いにならずに済んだよ。みんながいたから頼もしかったしね」


 リサが潤んだ瞳でアイザックを見上げる。

「もしかして、ここはキスをしてもいい場面なんじゃないか?」とアイザックは考えたが、ブリジットの事もあって抱きしめるだけで我慢する。

 リサは少し残念そうにするが、アイザックが無事に帰ってきてくれただけでよしとする。


「報告は聞いている。しかし、ドラゴンだぞ、ドラゴン。屋敷よりも大きい相手によくもまぁ、本当にやってのけたものだ」


 ランドルフがアイザックの肩をポンポンと叩く。

 戦争に行った時も危険ではあったが、あの時は周囲に味方がいた。

 だが、ドラゴンが相手では人間など木の葉のようなもの。

 近衛騎士やエルフがいても、ドラゴン相手では心細かっただろう。

 説得できる自信があっても、容易に交渉できる相手ではない。

 勇気があればいいというものではないので、アイザックの規格外の活躍ぶりに感心するばかりである。


「お父様、アイザックはどうでしたか?」

「ドラゴン相手だから前に出るだけでも危険だ。だが、ドラゴンの前に出る以外は危なっかしい事はしておらなんだ。安心しろ。傷一つ負っていない」


 ルシアがハリファックス子爵に、アイザックの様子がどんなものだったかを尋ねる。

 彼女の心配していた事を感じ取ったハリファックス子爵は、安心させるように応えてやった。

 その言葉を聞いて、ルシアはホッとした様子を見せる。

 アイザックは時々信じられないほど無茶な事をするので、交渉するためにドラゴンの前に出ただけならまだマシだからだ。


「お兄ちゃん、お帰り」


 ケンドラが駆け寄ってきたので、アイザックは妹を抱き上げる。

 アイザックの両手には、リサとケンドラの二人が抱きしめられる事になる。

 その姿はまるで、かつて使用人達が感じていた「あの三人は親子のようだ」と感じた姿そのものだった。

 アイザックとリサが婚約しているので、そう遠くないうちに本物になるだろう。

 ブリジットが、その光景を少し寂しそうに見つめていた。


「みんなにお土産があるんだ。リサには約束通りのものを用意しているから期待してくれていいよ」

「ありがとうございます。明日には両親もウェルロッドに到着するはずです。その時に見せたらどんな反応をするのか楽しみです」

「アデラ達にも心配させちゃったね。とりあえず、婚約者を置いて先立つような事はしないよって言っておかないと」


 無事に帰る事ができた安心で、アイザックも緩んだ顔を見せる。

 それを見て、リサも笑顔を浮かべた。


「さぁ、中に入ろう。僕達がここで話しているとみんなが休めないからね」


 アイザックが屋敷の中に入ろうと促す。

 玄関口で話していると、使用人も騎士達も解散できない。

 長旅で疲れているのは彼らも同じだ。


 ――上司が休むから部下も休める。


 その事を知っているだけに、アイザックは部下に気を利かせる事ができた。

 その半分でも女性に気を利かせる事ができれば、アイザックも前世でモテていたかもしれなかった。



 ----------



 その日の夜。

 ブリジットがリサの部屋を訪ねた。

 リサは彼女を招き入れ、用件を伺う。


「ねぇ、リサ。私ね……。リサとアイザックの事を見ていて羨ましいなぁって思うようになって……」


 ブリジットが何を言おうとしているのかリサはなんとなく感じとった。

 ブリジットの隣に座り、そっと肩を抱き寄せ、優しくささやく。


「エルフには良い人がいなかったの?」

「みんな普通っていうか、面白みのない人ばかりで……。アイザックってさ、十七年しか生きていないと思えないほど凄いよね。見ていて面白いし、その……格好いいかなと思うし……」


 ブリジットは自分がとんでもない事を言ってしまった事に気づくと、顔を真っ赤にしてうつむいた。

 だが、リサは彼女を笑ったり、彼女に怒ったりしない。

 優しく微笑むだけだった。


「わかります。私もアイザックのせいで、本当なら良縁だと喜ぶ相手でも喜べなくなってましたし。……私はブリジットさんなら歓迎します」

「本当に!?」


 リサが「アイザックは私の夫になる人だ!」と拒絶しなかった事に、ブリジットは驚きを隠せない。

 その考えを感じ取ったリサは理由を説明する。


「だって、アイザックの正妻候補は隣国の王女様かウォリック侯爵家のご令嬢。上手くやっていける自信がないもの。知らない人が正妻になるより、ブリジットさんが正妻になってくれた方が私も嬉しいですから。アイザックの事を好きになってくれたのなら、私は応援します」

「リサ……。ありがとう、ごめんね」


 ブリジットは感謝を述べると共に、二人の間に割り込むような思いを持った事を詫びる。

 だが、悪いと思っていても、リサに相談しにくる事をやめられなかった。

 それほどまでに、アイザックの存在がブリジットの中でも大きくなっていたのだ。


「ところで、いつからアイザックの事を?」

「リサの事を手放したくないって話していた時かな。二人がそういう関係になるんだって思ったら、自分がアイザックの事をどう思っているかを考え出して……。後、大人達にアイザックとの結婚を考えてほしいって頼まれたのもあるかな。私もアイザックの事は嫌いじゃなかったし、変な奴と結婚するくらいならって思ったら段々と気になっていったの」


 ブリジットは、リード王国に大使を派遣すると決まった時に大人達から「よければアイザックと結婚してくれ」と頼まれていた。

 リード王国において、今後はアイザックが中心人物となる。

 だから、より深い関係を築いておいてほしいという思いから、子供の頃から一緒にいたブリジットに結婚を考えるように頼んでいたのだ。

 他の娘を突然送り込むよりも、その方が自然だからだ。

 幸いな事に、その時にはブリジットもアイザックの事が気になっていたので、強く拒否するような事はなかった。

 今回の一件を経て、ブリジットも一歩踏み込もうと考え、まずはリサに相談しに来たのだった。

 彼女の様子を見て、リサがクスリと笑う。


「ブリジットさんも恋する女の子なのね。ブリジットさんもアイザックに『あんたのせいで他の男を選べなくなった』って迫ってみる? 意外と効果があるかもしれないわよ」

「えー、嫌よ。そんなみっともない」

「……やっぱり反対しようかしら」

「嘘っ、嘘よ。やっぱり、それくらいの積極性はあった方がいいかもしれないわね。鈍いところあるし」


 二人は「やっぱりダメ」「ごめんってば」というやり取りを繰り返したあと、アイザックの事を話し始めた。

 十年以上一緒にいるので、話す内容は簡単には尽きない。

 和気あいあいとした雰囲気が続く。


 アマンダとティファニーのタッグに続き、この日の夜、二組目のタッグが誕生した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る