第332話 金銭感覚

 夏休みに入ると、アイザックは祖父の部屋に呼び出された。

 そこではモーガンだけではなく、マーガレットもいた。


(この状況は……。そうか、あの件だな)


 アイザックは、すぐ用件に気付いた。


「美術は現状維持でしたが、成績が落ちていないというところを評価していただけないでしょうか」


 成績表を見て、その結果についての話だろうとアイザックは見当をつける。


「いや、その話じゃない」

「決闘騒ぎやジュディスの事があったのを考えれば、一学期の成績は十分でしたよ」 


 しかし、それは間違いだった。

 二人が即座に否定する。


「お前を呼んだのは、貴族達に金を貸している件だ。座りなさい」


 まずモーガンは席に座るように勧める。

 アイザックは言われるがままにモーガンの正面に座った。

 そして、疑問を投げかける。


「困っている人を助けるのが悪い事なのですか?」

「いや、そうではない。新しく自分の派閥を作るためだったら困るが、中立派でいるように説得しているみたいだから、それは問題はない。問題は金額だ」


 モーガンが大きな溜息を吐く。

 商人から噂を聞いた者やアッシャー子爵から話を聞いて、ブランダー伯爵に借金の返済を求められた者達が救いを求めて押し寄せた。

 中にはブランダー伯爵とは関係なしに、高利貸しから借りて困っているだけの者も混じっていた。


 ――だが、アイザックは彼らの理由に関係なく金を貸した。


 それもそのはず。

 アイザックの目的は、できるだけ多くの貴族に恩を売る事である。

 普通の借金で困っている者が来ても、恩を売るチャンスだとしか思わなかった。

 しかし、それはそれで問題がある。


 ――金を貸すという事は、貸すための金を用意しなければならないという事だ。


 アイザックは各商会からの借入額を増やした。

 今では総額四十億リード借りている。

 つまり、返済額が八十億リードである。

 この金額は、モーガンにとって無視できるようなものではなかった。


「当然、多額の資金を商人から借り入れている理由は理解している。借金で困っている者が多い中、ウェルロッド侯爵家だけが儲けていると嫉妬から逆恨みされたりするかもしれない。こういう機会に貯め込んだ金を吐き出した方がいいというのもわかっている。だが、半年で倍額にして返すというのはやり過ぎではないのか?」

「金が王都の屋敷にあれば借りる事はなかったでしょう。ですが、今は金がない。急遽金を都合させる手数料を上乗せしているんです。自主的に寄付金を出してもらった感謝も含んでいますけどね」

「そうなのかもしれんが……。八十億、八十億リードだぞ」


 モーガンが頭を抱えた。

 八十億リードという金額は、モーガンでも簡単には動かせない額だった。

 侯爵家の財産・・全てで考えれば、何千億リード分はあるだろう。

 しかし、財産はあっても、さほど現金は持っていない。

 ある事はあるが、収入に見合ったものではなかった。

 その理由は、侯爵という立場にある。


 リード王国には侯爵家は四家しかない。

 しかも、派閥の顔役であったり、国家の重鎮であったりする。

 領地の収入があったとしても、爵位にふさわしい見栄を張るため、収入に見合った出費を必要としていた。

 そのため、宝石や美術品などの財産があっても、現金が残る事は少なかったのだ。


「アイザック、覚えているか? お前がブラーク商会のデニスに怒った時の事を」

「もちろんです。父上から一億リードを騙し取ろうとしました」


 あの時の事は、アイザックが大きく動き始めるきっかけだったのでよく覚えている。

 生まれ変わってから初めて本気で怒りを覚えた事件でもあった。


「そう。一億リードの商品を買ってくれれば、あとで違う商人が二億リードで買い取る。そういう儲け話に引っ掛かって騙された。では、なんでそんな話に乗ったのかだ。わかるか?」

「お金を稼ぐためでは?」


 アイザックの答えにモーガンは首を横に振る。

 マーガレットも同様の反応を示した。


「それはその通り。だが、それでは不十分だ。一億リードもの現金・・を稼ぐという事は、次期当主であるランドルフにとって手柄となる。だから、話に乗ったのだ。わかるか? たとえ侯爵家であっても、一億リードという金は大金なのだ。なのに、お前は湯水のように使う。必要だという事はわかっているが、もう少し連絡をしてくれてもいいのではないか?」

「あぁ……、それはすみませんでした。自由にしていいと言われたので、あとで知らせればいいと思っていました」


 アイザックは祖父が多額の資金を勝手に動かした事に関して、一言文句を言いたかったのだと思った。

 億単位ではなく、十億単位で動かしているので、不安になったのだろうと。


「それと、ノーマンに一億リード以上の報奨金をやるそうだな? それも教えておいてほしかった」

「なぜですか? 確かに一千万リードはその場で支払いましたが、ウェルロッドに帰った時には自分の貯めている資金から支払うつもりですけど?」


 モーガンの言う事を、アイザックは理解できなかった。

 部下への支払いまで家の金を勝手に使うのはいけないとわかっていたので、ノーマンに渡す分は自分の貯金から支払うつもりだった。

 自腹でやるので、さすがに文句を言われる筋合いはない。


「そうではない。自由にしていいと言った以上、ウェルロッド侯爵家の金を使う事に文句はない。私が言いたいのは、ノーマンに褒美を渡す事を教えておいてほしかったというものだ」

「なんで……、あっ……」


 アイザックはようやく気付いた。

 これはノーマンだけの問題ではないと。


「ベンジャミンにも……」

「そうだ。それにベンジャミンだけではない。我らがいない間、留守居役を務めるフランシス達にも褒美をやらねばならん。ノーマン以上の額をな」


 ノーマンは、ネイサンが生きていた頃からアイザックに付き従っていた。

 貴重なアイザックの味方ではあった。

 一億六千万リードもの褒美を与えるというのも、アイザックの気持ちを考えれば否定するつもりはない。

 だが、モーガンには、その行動によって困る事があった。


 ――自分の家臣団への褒美だ。


 アイザックが太っ腹であればあるほど、どうしても祖父であるモーガンが比較される。

「あれ、俺達にはないの? 最近儲けているのに」と、皆に思われてしまうからだ。

 モーガンは何もせずにはいられない。

 アイザックの後追いとはいえ、彼らの働きに見合った褒美をやらねばならなかった。

 完全に他家の話であれば無視できたが、アイザックはエンフィールド公爵というだけではなく、ウェルロッド侯爵家の跡取りでもある。

 モーガンは孫に負けないよう、奮発せねばならなかったのだ。


「とりあえず、ベンジャミンとフランシスには二億リード支払う。他の者達も役職に見合った額を支払うつもりだ。先に教えておいてくれれば、同時に褒美を与える事を知らせる事ができたのだが……」


 モーガンが少し恨みがましい目でアイザックを見る。

 器の大きすぎる孫のせいで、まるで自分がケチになった気分だ。

 十分な給与は与えているというのに。


「あなた、アイザックには言うだけ無駄よ」

「お婆様!?」


 マーガレットの突き放すような一言に、アイザックは驚く。


「この子は六歳にして何百億も稼いでいたのよ。場を提供してくれたオルグレン男爵にも九十億リードほどの分け前を与えた。文字通り桁違いの金銭感覚を持っているの。十億単位でとやかく言うものではないわ」

「そういえばそうだった……」


 またしてもモーガンが頭を抱える。

 アイザックは商人から目もくらむような大金を巻き上げていた。

 しかも、六歳で。

 金銭感覚が狂うのも当然だ。

 彼がその事に気付かなかったのには訳がある。


「あの時、アイザックに『いくらか家に入れてくれないか』と何度言おうと思ったか……。しかし、六歳の孫が稼いだ金にたかるような真似はできんので、考えないようにしていたから忘れてしまっていた。そうだな、六歳でそれだけ稼いでいたら一億単位など気にしなくなるというわけか……」


 モーガンがしみじみと呟く。

 器が大きいどころではない。

 シチュー皿を見て「深い」「広い」と評価していたところに、浴槽を持ってこられたようなものだ。

 すでに自分が評価できるような大きさではない。

 あの時、アイザックは十六億リードもの金を外務大臣の裏工作用資金として融通してくれていた。

 家に金を入れずとも、六歳にして仕事に関しては惜しむ事なく金を使うという事を実行していた。

 アイザックの事をわかっているようで、本当はわかっていなかった事にモーガンは気付いた。


「友好的な関係にあるとはいえ、サムにも五十億リードをポンと貸し出すくらいだからな。その懐の大きさは計り知れないものがある」

「ええ。どこにお金を使うべきかを理解していても、惜しまずに使うのは躊躇するもの。その思い切りの良さも大きな武器ですわね」


 モーガンとマーガレットがアイザックの器の大きさを褒める。

 決断力があるだけでも、頭が良いだけでも駄目だ。


 ――決断できないよりはマシとはいえ、考えていなければ決断しない方がマシという結果になる時がある。

 ――頭が良くて素晴らしい案が浮かんでも、決断ができなければ意味がない。


 知性と胆力を兼ね備えているからこそ、アイザックは結果を残せている。

 金を貸す事に関してまで器の違いを思い知らされるとは考えてもみなかった。

 しかし、二人は間違っていた。


 ――アイザックの器が計り知れないほど大きいのではなく、常人よりもずっと小さいのだという事に。


 アイザックの器は小さい。

 前世の大学生時代、授業の関係で友人と食事をとれない時の事。

 昼食にハンバーガーを食べようという気分だった時に、近くにある牛丼屋で並盛250円のキャンペーンをやっていた。

 食べようと思っていたハンバーガーのセットは350円。

「ハンバーガーを食べようと思ってたけど、100円も安いなら牛丼でいいや」と、食べるものを変更した。

 その節約に「車が欲しいから貯金するため」などの深い意味はない。

 100円もの差に惹かれただけだ。


 だが、アイザックは風を感じるためにバイクや軽自動車などではなく、わざわざオープンカーを買っていた。

 百万単位の買い物をする時は、金銭感覚が麻痺してしまったのだ。

 これは多かれ少なかれ誰にでもある事。

 世の中にはスーパーのチラシを見て数円の差を気にするのに、一軒家を買う時には数万、数十万単位の差を誤差だと思ってしまうものもいる。

 アイザックは、そのしきい値が人より低い。

 だから、ある程度大きな金額になると金銭感覚が麻痺してしまい、一見太っ腹のように見えているだけだった。


「お金を貯める事に意味はあるとわかっています。お金がなかったら、戦死した兵士の家族への弔慰金や、働き手が減った街や村の減収分の補填などができませんでしたから。でも、ある程度お金があるなら、人に投資した方がいいでしょう。頼れる者のやる気を引き出せれば、投資した分以上の価値を証明してくれるでしょうから」

「わかっている。わかってはいるが……。文官、特に秘書官は結構実入りがいいんだぞ。口利きしてもらうために心付けが贈られるからな。その辺りも考慮するといい」

「わかりました。今後は気を付けます」


 アイザックも祖父が自分の金銭感覚を気にしているという事がわかったので、助言を大人しく聞きいれた。


(でも、適度にはやるべきだよなぁ……)


 しかし、あと二年は必要があれば、必要なだけ金を使うつもりだ。

 心付けを貰うのはこの世界では当たり前の事なのだろう。

 慣習となっているだけなのかもしれない。

 だが、それは裏を返せば、今の給与に不満を持っている可能性もあるという事だ。

 小銭で重要な情報を漏らされては困る。

「その程度の額では喋れない」と思わせておく必要が、アイザックにはあった。


「ところで、父上が王都に来る時に二百億リードほど持ってきてほしいのですが……。その頃にはそれ以上の金を貯めていられるはずなのでいいですよね?」


 アイザックはモーガンの助言を受けたばかりなので、控えめな態度でとんでもない要求をした。

 モーガンもさすがに眉をひそめる。


「二百億? 百億リードもあれば十分ではないのか?」

「商人への返済なら、百億リードで十分です。ですが、貸し出したのは王都にいる貴族だけ。今は領地に帰っている貴族もいます。彼らに貸し出す分を考えれば、多めに資金を用意をしておいた方がよろしいかと思います」

「むぅ……」


 アイザックの言う事は、もっともな内容だった。

 王都にいる貴族はすぐに行動できたが、地方にいる貴族はブランダー伯爵からの返済を求める手紙が届くまで時間がかかる。

 冬になって王都へ来た時に、金を借りにくる事は十分に考えられる。

 他の貴族には貸して、彼らに金を貸さないというのでは、不満に思われるかもしれない。

 貸さないという選択肢はなかった。


「……ランドルフには使者を出しておこう。これはお前の金ではなく、ウェルロッド侯爵家の金でやる事に意味がある。そうだな?」

「はい。人によっては『どちらも同じ金だ』と言う者もいるでしょうが、ウェルロッド侯爵家の財布から出す事に意味があります」


 アイザックの貯金から金を出せば、周囲が誤解する。

 特に学校では「第四の派閥」と称して、多くの学生を集めている。

「既存の派閥を超えた独自の派閥を作ろうとしている」や「現在の王国に不満を持って変えようとしている」などと思われてしまうかもしれない。

 余計な疑いは避けておいた方がいい。


 その点、ウェルロッド侯爵家から資金を出せば、まだマシだ。

 疑いの目はモーガンが引きつけてくれる。

 モーガン本人には派閥のバランスを大きく崩す気はないが「ウェルロッド侯爵家もブランダー伯爵家同様に、派閥の筆頭を狙っているのでは?」という風に見てもらえる。

 この件における懸念材料はウィンザー侯爵からどう思われるかだが、当然モーガンが話を付けているので問題にはならない。

 金に困れば、国家機密すら他国に漏らす者もいるかもしれない。

 ウィンザー侯爵も「借金が原因で暴走するかもしれない者を未然に防げている」と、国家の安定に役立つと歓迎してくれていた。


 そもそも、クーパー伯爵に従うように言っているので、権力目当ての行動だとは思われていない。

 モーガンが派閥の貴族に「ランカスター伯爵家を苦しめたブランダー伯爵家へのちょっとした嫌がらせ」と噂を流させている事もあり、アイザックが心配しているような事態になる様子はなかった。


「ああ、でもこの機会に僕の貯金から、いくらか王都に持ってきておいた方が良さそうですね。必要に応じて商人から借り入れるというのも面倒ですし」

「商人から借り入れるというのも、繋がりを持つという点では悪くはないがな。まぁ、莫大な利子を支払うよりかはいいだろう。手紙を書いて必要な額を持ってきてもらえ」

「そうします」


 今回は商人から借り入れるという方法でその場をしのげたが、いつもその方法を使えるとは限らない。

「信用がないので、担保がないと無理」と言われる時が来るかもしれない。

 そんな時に備えて、金を用意しておきたかった。


「ただし、大きな金額を動かす時は教えてくれ。反対したりしない。褒美に関するものは特にだ」


 さすがにモーガンも自分の面子を傷つけられた事に不満があったようだ。

 忘れないように念押しする。

 アイザックも苦笑いを浮かべたりせず、申し訳なさそうな顔をしていた。


「わかりました。でも、お爺様もウェルロッド侯爵家が大金を動かせるようになったという事に慣れてくださいね」

「それはそうかもしれないが……。なぁ」


 モーガンがマーガレットに困ったような視線を投げかける。

 彼女も困ったような表情を見せた。


「年寄りには厳しいわね。今までの人生で慣れているもの」

「もう家の事は完全にランドルフに任せた方がいいのかもしれんなぁ……」


 金の話から、引退の話にまで進展してしまった。

 アイザックの考えについていけないのを、モーガンが年で状況の変化についていけなくなったせいだと思ったせいだ。

 そもそも、アイザックについていける者の方が少ないのだから、これは誤解である。

 ノーマンも、マットも、トミーも。

 皆「アイザックを信じてついていけばいい」と考えているだけだ。

 考えを完全に理解して付き従っているわけではない。

 その事を、モーガンはわかっていなかった。

 もし、本当のアイザックの姿を知っていたら「絶対に引退などできない!」と決意していただろう。

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