第330話 金の使いどころ

 ランカスター伯爵とブランダー伯爵の和解交渉が終わってから初めての週末。


(あぁ、早く来ないかな……)


 この日は、アイザックが待ち焦がれていた相手との面会の予定があった。

 その相手から連絡があるかもわからなかったので「面会したい」と連絡があった日は自室でこっそり小躍りしていたくらいだ。

 すでにもてなす準備もできている。

 あとは本人が登場してくれるのを待つだけだった。

 自室でソワソワしていると、ドアがノックされる。


「閣下、アッシャー子爵がお越しになりました」

「わかった。例の部屋に通しておいて」

「かしこまりました」


(ついに来たか)


 アイザックは心臓の動悸が激しくなるのを感じていた。

 今回は中立派の貴族を味方に引き入れる行動の第一弾だ。

 マイケルが馬鹿をやってくれたおかげで、ブランダー伯爵派から引き抜きができるようになった。

 その理由は金だ。

 ブランダー伯爵を支持する貴族の多くが借金をしている。


 ――では、多額の賠償金を支払わなくてはならず、収入も激減するとしたら?


 当然、ブランダー伯爵は借金を返してもらおうとするだろう。

 ランカスター伯爵家に支払う分だけでも、かなり厳しい金額だ。

 それを一年以内に支払わなくてはならなくなった。

 貸した金を回収し、ランカスター伯爵家に対する慰謝料を支払うしかない。

 すでに派閥の顔役になれないほど面子が潰れているので、金を貸していた貴族の支持を失っても痛くはない。

 そのせいで社交界で肩身の狭い思いをするだろうが、マイケルのせいで十分に苦しい立場になっている。

 もう名声に関しては失うものがない。


 アイザックが鉱山の利益に関して口出ししたため、賠償金を支払えなかったら「ブランダー伯爵領の採掘権をランカスター伯爵家に譲れ」と言ってくるだろうと警戒しているはずだ。

 こうなるとわかっていたから、アイザックはウェルロッド侯爵家の金を使おうとしていた。


(今度は俺が恩義で縛る番だ)


 元が乙女ゲームの世界だからか、この世界の貴族は真面目なところがある。

 アイザックの知る限り前世の貴族像に合致する者は、チョコレートの利権を奪おうとした先代のウォリック侯爵と、メリンダに協力していたであろう先代のウィルメンテ侯爵の二人くらいだ。

「金を貸してくれたけど、返す金がないから返さない」と開き直る者の話は、今のところ聞いた事がない。

 ここで恩を売っておけば、未来に向けて大きく前進できる。

 次のステップへ続く大事な一歩だった。



 ----------



 屋敷にいくつかある応接室の内、一室はアイザックがしばらく自分専用の部屋として確保していた。

 そこには、とある荷物があるからだ。


「お待たせしました」

「急な面会の申し出を受けていただき、ありがとうございます」


 アイザックが入室すると、すぐにアッシャー子爵が立ち上がって挨拶をする。

 その声には緊張が含まれている。

 それもこれも、アイザックがこの部屋に置いている荷物と十名の文官のせいだった。


 部屋の片隅には皮の袋が山積みにされていた。

 一つ一つに一千万リード分の金貨が詰まっている。

 客が盗まないようにするための見張りも兼ねて、今はウェルロッド侯爵家の文官として働いている将来のアイザックの直臣候補が壁際に並んでいた。

 彼らがいるせいで、圧迫面接のような雰囲気をアッシャー子爵に与えて緊張させてしまっていた。


 アイザックが座ると、アッシャー子爵が話を切り出す。


「実はとある事情で商人と話し合う機会があったのですが、その際にちょっと噂を耳にしまして……」


 彼の言葉が止まり、額にジワリと汗が滲み出る。

 ここから話す内容は恥を晒すようなものだ。

 いざ会いにきたものの、本当にアイザック相手に話していいのか本人を前にして迷ってしまっていた。


「お気持ちはわかりますよ。僕のような若造に話を持ち込むのは気が引けますよね。しかも、ブランダー伯とも友好とは言えない関係ですし」

「いえ、そんな事は……」


 アイザックがアッシャー子爵の感情を読み取った。

 彼がここにきた理由はわかっている。


 彼がおかれた状況からすると――


 アイザックのような若造を頼るという心理的抵抗。

 ブランダー伯爵を支持していたので、恥を忍んで頼んだのに拒絶されたらどうしようかという不安。


 ――頼み事をする直前で口籠る理由は、この二つが考えられる。 


 だから、アイザックはアッシャー子爵が頼みやすい流れを作ってやろうと思っていた。


「ですが、商人達に噂を流すように頼んでおいたのは僕です。必要な金額を言ってください」

「えっ、エンフィールド公が?」

「そうです。ブランダー伯爵家が支払う賠償金の金額が決まった時点で、借金の返済を求められている人が出る事はわかっていました。僕もいくらかは関わっていましたからね。商人から高利で借りて首が回らなくなる方が出ては心苦しいので、僕が無利子でお貸ししようと考えたからです。そこに山積みになっているのが、そのお金ですよ」


 アッシャー子爵は、反射的に部屋の片隅で山積みになっている袋を見る。 

 山盛りの袋は、ウェルロッド侯爵家の資金力がどれほどのものかを見せつけられているようだった。

 

 しかし、この袋の中身全部が現金ではない。

 半分以上が石を詰め込んだ偽物だった。

 アッシャー子爵が感じたように、豊富な資金力があるように見せるために底上げをしていたのだ。

 本物は上部に積み上げられた二十億リード分だけ。

 残りは急ごしらえの張りぼてだった。


 これはウェルロッド侯爵家の資金による問題だった。

 領地には大金があるが、王都の屋敷には非常用の資金があるだけ。

 それではせっかく資金があっても意味がない。

 そこで、アイザックは王都の商人から金を借りる事にした。

 この時、アイザックは戦後に寄付金を出してくれた商会に話を持ち込んだ。


 ――半年の期限で、金利は十割。


 これには「寄付金を出してくれたから、儲けている我が家がちょっとだけ補填する」という意味も含まれていた。

 金は貯めこむばかりでは意味がない。

「ケチな守銭奴」と思われるよりも「使いどころがわかっているし、太っ腹」と商人達に思われていた方がいいからだ。


 ウェルロッド侯爵家が稼いでいる事は、商人達もよく知るところ。

 半年で倍になって返ってくるのだから考えるまでもない。

 アイザックと繋がりを持っておく事も悪くないので、彼らは快く金を貸してくれた。

 とはいえ、いきなり「十億貸して」と言っても、商会側も運営費などの関係で難しいという事にアイザックも気付いていた。

 一か所から借りるのではなく、寄付のリストにあった商会から小口で金を借りていた。

 商会が追加で貸し出せる金を用意してくれたら、三十億リードまでアイザックは借りるつもりだった。


 この三十億リードという金額には理由があった。

 倍にすれば六十億リード。

 ブランダー伯爵家がランカスター伯爵家に渡す金額と同じである。


 この金額を半年後に商会にちゃんと返す事で――


「ウェルロッド侯爵家はブランダー伯爵家などとは比べ物にならないほどの財力を持っている」


 ――と、商人達にわからせるためだ。


 金があれば人が集まる。

 それはブランダー伯爵家が勢力を伸ばしていた事からもよくわかる事だ。

 どこの誰が金を持っているかをわかりやすく教えてやれば、今まで以上に商人達はウェルロッド侯爵家に近付いてくるだろう。

 今回は中立派と商人を味方につけるいいチャンスだった。


「これ全部がですか……」


 中身は見えないが、公爵であるアイザックが小銭を用意するとは思えない。

 金貨が詰まっているとすると、百億リードは下らない量があるはずだ。

「ウェルロッド侯爵家には、いったいどれほどの財貨があるのか」と、アッシャー子爵がごくりと唾を飲み込む。

 話に飛びつきたいくらいだが、その前に確認しておかねばならない事がある。


「なぜエンフィールド公が我らに金を貸してくださるのでしょうか?」

「まぁ、気になりますよね」


 アイザックがフフフと笑う。

 誰もが気になる事だろうとわかっていたので、この質問は十分に想定していたものだったからだ。


「金を借りにきた貴族がいたら、僕が金を貸す準備をしている。そう伝えるように商人達へ頼んでいました。アッシャー子爵も高い金利の金を借りるのは嫌でしょう?」

「それはまぁ……、その通りです」

「僕からお金を貸すと使者を送ってしまえば、痛くもない腹を探られます。僕を嫌う者が『あいつは自分の勢力を作ってどうするつもりだろう』という噂をするかもしれません。だから、商人のもとを訪れた貴族に話してもらうよう頼んでいたんです」


 ここでアッシャー子爵の脳裏に浮かんだ疑問は「どうして商人がアイザックの要請を聞いたのか?」というものだった。

 誰だって儲けたいと考えるのが自然だ。

 商人が儲ける機会をわざわざ見逃すとは思えない。

 大人しくアイザックに従っているのが不思議でしかなかった。

 それをやってのけるのが、アイザックという存在なのかもしれないと思い知らされる。


「このタイミングで僕が金を貸そうと思ったのは……。言うまでもないでしょう」

「はい、ブランダー伯爵家とランカスター伯爵家の和解が終わったあとだからですね」


 賠償金の支払いのためにブランダー伯爵家が金を集める。

 その手っ取り早い方法が、借金の早期返済を求める事だった。

 これはアッシャー子爵自身も、よく理解している事だ。

 当事者であるアイザックが、ブランダー伯爵家の行動を読んでいてもおかしくない。

 ただ、アイザックが金を貸そうという理由だけがわからなかった。


「アッシャー子爵のような立場の方々がお金に困るようになったのは、僕にも責任があると思っているからです」

「エンフィールド公が!? そんな……、私にはエンフィールド公に責任があるとは思えません。私達が賭けに負けただけです」


 アッシャー子爵がアイザックの言葉を否定する。

 しかし、アイザックの評判を思い出し「我々をハメるためにやった? でも、その理由は?」と思考を巡らせる。


「フォード元帥が戦争を早く終わらせようと素晴らしい作戦を立案したため、僕も触発されて『戦争を早く終わらせないといけない』と思わされました。あそこで休戦などせず、リード王国の本隊が到着してから攻撃を仕掛けるという選択肢もあったかもしれません。二十年ぶりの戦争という事もあり、気合を入れて傭兵を集めた方々もいるなどとは考えずに戦争を終わらせてしまった。その事を申し訳なく思っているのです」


 アイザックの感情が籠った言葉で、アイザックを疑ったアッシャー子爵は自責の念に駆られた。

 日頃の行いや、ウェルロッド侯爵家の印象で悪く考え過ぎていたと後悔する。


「戦っていても手柄を立てられるとは限りませんし、戦死していたかもしれません。それに、商人達に働きかけて寄付金を納めさせたではありませんか。あれで私もいくらか助かりました。エンフィールド公はよくやっておられます」


 自責の念に駆られたアッシャー子爵が、アイザックをフォローする。

 いくら優れた人物であろうとも、まだ成人していない若者だ。

 自分の考えに根拠のない自信に満ち溢れた者よりも、自信を持てていないところに好感を持てる。

 むしろ「そうじゃない。自信を持っていいんだ」と庇護欲を掻き立てられるような気さえしていた。


「そう言ってくださると嬉しいですね。でも、僕自身が納得できないんです。ですから、遠慮なくお金を借りてください。そうする事で、僕の気も晴れますから」

「エンフィールド公……」


 ――あくまでも自分の罪悪感を晴らすため。


 そう言い張るアイザックに、アッシャー子爵は感動していた。

 戦争の終わらせ方で悩んでいるのも事実かもしれないが、きっと金を借りやすくするために言ってくれているのだろうと思っていたからだ。


「ありがとうございます。それでは二千万リードを五年で返すという内容でお貸しいただけるでしょうか?」


 だからこそ、あえてアッシャー子爵は遠慮なく希望する金額と返済年数を言った。

 ここまで気を使ってくれているのだ。

 正直に言わないのは失礼極まりない。

 恥も外聞も捨てて、正直に望むものを心の内から吐き出した。


「いいでしょう」


 アッシャー子爵の覚悟に対し、アイザックは落ち着いて望みに応える。

 アイザックが視線で文官に指示を出すと、彼は袋の山から取り出した二つの袋をアッシャー子爵の前に置いた。


「ブランダー伯に返すのはいいのですが、利子の分は足りてますか?」

「利子も含めての二千万リードですので大丈夫です」


 アッシャー子爵は、もったいぶったりせずに金をすぐ用意させたところにアイザックの器の大きさを感じる。


「もう一つ取ってくれ」


 文官がアイザックの命令に従い、追加で袋を一つ取ってアイザックに手渡した。


「二千万リードで十分なのですが……」


(やはり、ただではすまなかったか)


 予想外の事なので、アッシャー子爵は驚き「甘い話などなかった」と観念した。

 きっとブランダー伯爵に対して、何らかの行動を取る事を要求でもされるのだろうと。

 しかし、アイザックの行動には、ブランダー伯爵の事など関係なかった。


「本当に二千万リードで十分ですか? あと半年もすれば、お孫さんの十歳式でしょう? 祝ってあげるだけの余裕はありますか? 借金の返済の事ばかり考えて、お孫さんを祝う事まで忘れてしまったりはしていませんか? 僕は自分の十歳式の前年に兄を殺したのであまり楽しい雰囲気ではありませんでしたが、それでも『これからリード王国の貴族の一員になるんだ』とワクワクしたものです。ちゃんと祝ってあげてください」


 アイザックは手に持った袋をアッシャー子爵の前に置く。


「これは僕が勝手に貸し付ける分です。ですので、アッシャー子爵には返済が負担となるでしょう。そこで、返済期限は十年に延長しようかと思います。いかがでしょうか?」

「……本当によろしいのですか?」


 アッシャー子爵の視線は、アイザックと革袋の間を行ったり来たりしていた。

 無利子で追加の一千万リードを借りる事ができて、返済期限も二倍になった。

 こんなに美味しい話に、今までの人生で遭遇した事などない。

 相手がアイザックなのが不安ではあるが、忠臣という一面も持っている。

 リード王国を混乱に導くような事はしないという安心もあった。


「かまいません。返済は年に一度分割で支払うか十年後に一括で支払うかはご自由にどうぞ。催促はしません」


(返済方法まで自由というのか!)


 至れり尽くせりの好待遇に、段々とアッシャー子爵は怖くなってきた。

 このあと「嘘だよ」と言われて、首をはね落とされるのはでないかとすら思えてくる。


「このような好条件ありがたい事ですが……。求められるものも厳しいものになるのでは?」


 アイザックが親切で金を貸すとは言っても、アッシャー子爵は信じられなかった。

 やはり、条件が良すぎるのが問題だった。

 せめて「利子は取るぞ」と言われていれば、利子を稼ぐために返済期限を延ばすという事も考えられる。

 いくら戦争の早期決着をしてしまった事を気に病んでいるとはいえ、ここまでしてもらえるなど異常である。

 金を受け取ってから、厳しい条件を騙し討ちのように突き付けられるのではないかと考えていた。


「そうですね。できれば、二つほど聞いていただきたい事があります。あとで話そうと思っていたんですけどね」


(やはり、そうか……)


 アイザックの返事を聞き、アッシャー子爵は何故か安堵していた。

 理由があったのなら、この好条件も納得できる。


「一つ目は、クーパー伯を支えてあげてほしいというものです」

「クーパー伯を! エンフィールド公ではなく?」


 予想外の条件を出されたので、アッシャー子爵は大きな声を出して驚いてしまった。


「先ほど言ったではありませんか。僕が勢力を拡大すると、僕を嫌う者がいらぬ噂をするかもしれませんと。僕を支持しろという条件など出しませんよ」

「しかし、なぜクーパー伯なのですか? ウェルロッド侯でもいいでしょうに」

「それは至って簡単な理由です。クーパー伯は法務大臣というだけあって、堅実な考え方をされるお方。中立派の筆頭として、王党派と貴族派を相手に調整役として最適な方だと思っています。クーパー伯が中立派の筆頭である事が、リード王国の安定に繋がると思っているからこそ、彼を支えてあげてほしいのです」


 口先ではもっともらしい事を言っているが、アイザックには十分な勝算があった。

 自分が怪しまれないようにするため、協力が必要な日までクーパー伯爵に預けておくつもりだった。


 アイザックに頼まれてクーパー伯爵を支持したとしても、いざとなれば恩義を優先させるはずだ。

 なんと言っても、肝心の借金の返済を助けてやったのはアイザックである。

 クーパー伯爵ではない。

 その恩を忘れてしまうような者であれば意味はないが、あっさりと恩を忘れてしまうような者なら惜しくはない。

 それに、心を縛る方法はもう一つ考えている。


「二つ目は、問題が起きたら僕かウェルロッド侯に相談しにきてください」

「えっ、それが条件なのですか?」


 借金をするための条件にはまったく思えない内容である。

 アッシャー子爵は目を大きく見開いて驚いていた。


「そうですよ。だって、アッシャー子爵にはお金を貸しているんです。ちゃんと返してもらうためにも、から嫌がらせをされたりしたら困るじゃないですか。無事に返してもらうためにも、トラブルの早期解決はこちらにも必要ですからね。もちろん、そちらから仕掛けた場合は助けませんよ」


 アイザックの言う他家とは、主にブランダー伯爵家を指している。

 ブランダー伯爵に恩を感じていても、急に金を返せと言われて不満どころか恨みに思っている者も出てくるはずだ。

 金を返す時に嫌みを言って、逆恨みされる可能性もある。

 恩を売るだけではなく、自分の支持者を守りたいという考えから、この提案をアイザックは考えていた。


「本当によろしいのですか? あとになって違う条件を出されても、応えられるかどうかわかりませんが」

「かまいません。そもそも、誰にいつどれだけ貸したかの記録は残しておきますが、借用書を作成するつもりはありません。本人のサインがない借用書など無価値。借金を盾に何かを強要する事はできませんよ」

「エンフィールド公……」


 アッシャー子爵は感激で体を震わせた。

 今回の面会は、ブランダー伯爵が借金の返済を求めてきた事を発端としている。

 ブランダー伯爵からの借金は「毎月少しずつ返してくれればいい」という内容だった。

 期限は決められていなかった。

 そのせいで、ブランダー伯爵からは「期限は決まっていないのだから、こちらが返せと言ったら返せ」と早期返済を求められた。


 アイザックは、その事も考慮してくれている。

 借用書がなければ「すぐに返せ」と言われても、借金の返済を求める根拠がない。

 公爵であるアイザックの借金は実質的に踏み倒せないとしても、返済の予定を繰り上げて求める事はないという意思表示だろう。

 しかも「借金をしている限り、エンフィールド公爵家とウェルロッド侯爵家の保護を受けられる」というおまけまで付いてきている。

 いや、おまけというには、あまりにも豪華な付属品だ。

 ちょっとやそっとの付け届けをしただけでは、有力貴族に保護などしてもらえない。

 アイザックが、それほどまでに戦争を早く終わらせてしまった事を気に病んでいるという事だ。


「そこまで仰られては断る理由などございません。エンフィールド公からお借りいたします。今後はエンフィールド公を支持します」

「いや、だからクーパー伯を支持してくれないと、僕が困るんですって」

「そうでした」


 アイザックは困ったような言葉を言ってはいるが、笑い混じりの声だった。

 アッシャー子爵もそれにつられて、自分のうっかり具合を笑う。


「もし、ブランダー伯からお金を借りている人を知っていたら、その人にも僕から借りるように教えてあげてください。僕からは声をかけたりはしませんので」

「かしこまりました」


 ――金を貸す側と借りる側。


 その立場が逆転したかのような不思議な条件。

 だが、アイザックと付き合っていくのなら、奇妙な状況にも慣れていかねばならない。

 アッシャー子爵は、最初の接触が恩恵を受ける形で済んだ事を神に感謝していた。



 ----------



「それで、今回のやり取りをどう思った?」


 アッシャー子爵が金を持って帰ったあと、アイザックは文官達に質問した。


「アッシャー子爵の感謝は本物でした」

「表向きはクーパー伯を支持しながらも、心は閣下にあるでしょう」

「金銭を無利子で貸し出した事で、今後ウェルロッド侯爵家が守銭奴と罵られる事はなくなるかと思います」

「商人達にも利子という形で寄付での支出を補填できるので、閣下の印象は良化するはずです」

「問題もあります。あまりにも好条件すぎるので、中には閣下を侮る者も出てくるかもしれません。対策を考えておく必要があります」


 彼らは口々に意見を述べる。

 考えていた通りなので、アイザックは満足そうにうなずく。


「ノーマン」

「はっ」


 ノーマンは意見を述べるチャンスを普段アイザックのそばにいない者に譲っていた。

 その事自体は問題ないはずだが、何か注意をされるかと身構える。


「そこの袋を両手で持てるだけ持ってみてくれ」

「かしこまりました」


 返事はしっかりとしていたが、頭の中では大きなハテナマークが浮かんでいた。

 言われるがままに両手を広げ、山積みになった袋を持ち上げる。


「じゃあ、それを机において」


 アイザックの指示に従い、ノーマンは持ち上げた袋を机の上に置いた。


「一、二、三……。十六個か。一億六千万リード分だね」


 アイザックは袋を一つ掴むと、それをノーマンに差し出した。


「このお金は貴族達に貸し出すものだから、全部を渡す事はできない。残りはウェルロッドに帰ってから渡す事を約束する」

「ど、どういう事ですか?」

「褒美だよ。目の前にお金があるから、ちょうどいい機会だ」

「いただくような事はしておりませんが……」


 ノーマンに褒美をもらう心当たりが今のところはない。

 普段通りの仕事をしていただけだ。


(……もしかして、おもちゃのナイフの口止め料か?)


 悩んだ結果、秘密の口止め料というところに行きついた。

 しかし、褒美などなくとも、ノーマンには喋るつもりはない。

 アイザックの口から、褒美の理由を説明してほしいところだった。


「確かに目立つような事はしていない。だから、あげるんだよ。マット達武官の功績はわかりやすい。問題が起きて、それに対処するという形になるからね。でも、文官は違う。文官は問題を起こさないように日頃の仕事をこなすのが役割だ。その功績は、問題が起きないのでわかりにくいもの。だから、こういう機会に思い切らないとなかなか褒めにくい。幼い頃から付き従ってくれていたし、戦場にも一緒に行った。その感謝を、金の詰まった袋の掴み取りという形で示させてもらう。今までありがとう。これからも頼むよ」

「閣下……」


 ノーマンは、うやうやしくアイザックから金の詰まった袋を受け取った。

 でという理由に気付いたからだ。

 他の者達にも、文官の働きをちゃんと評価するという姿勢を見せるためだと。

 だから、固辞したりせずに、素直に受け取る事にした。


「ですが、閣下。確か、戦後にカービー男爵やヘンリー男爵の褒美も五千万リードくらいだったような気がするのですが……。一億六千万リードは多すぎではありませんか?」

「あの二人は爵位を授かってるからね。ノーマンは爵位を授かっていないから、その分を金銭で支払うといった感じだね。二人が不満を持ちそうだったら、最近の働きを評価するという形で褒美を渡すから大丈夫だよ」

「そういう事でしたら、ありがたく頂戴いたします」


 ノーマンはマットやトミーの反感が怖かったが、その対処をアイザックがやってくれるというのならば問題はない。

 妬まれないように、同僚や部下には一杯奢るなどしてやればいいだろう。

 ノーマンは自分の働きを高く評価してくれた事を素直に喜んでいた。


 アイザックもノーマンがよくやってくれていると思っているので、今回は純粋な褒美としての行為だった。

 もちろん、他の文官達の前で見せつけるという意味もあった。

 これは前世の記憶で「武田信玄が褒美として甲州金を掴み取りで渡していた」という故事に倣ったものである。

 さすがにここまでダイナミックな褒美の渡し方ではなかっただろうが、それだけに見ていた者達へのインパクトは大きかった。

 アイザックは、アイザックなりに金の使い方というものを理解できていたようだ。


 ――だが、ここでアイザックに誤算が生じる。


 エンフィールド公爵家の文官候補だけではなく、ウェルロッド侯爵家の文官達にも影響を与えたのだ。

 ノーマンへの褒美の話を聞いた者達が、いつの日か自分の番が来た時のために備え始める。


 ――この日以降、文官達の間で筋トレが密かなブームとなっていったのだった。

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