第329話 奇跡の聖女のネタばらし

 アイザックが登校したあと、放課後までは賑やかなものだった。

 やはり、皆も気になっていたのだろう。

 担任の教師も「マイケルはどうなるんだ?」と聞いてきた。

 アイザックが「三年生になるまでの停学処分と教会での奉仕活動をする」と答えると、誰もが「軽いな」と驚いていた。

 聖女であるジュディスを殺しそうになったのだから、処刑されると思っていたのだろう。

 マイケルへの処分が軽い分、ブランダー伯爵家が多額の賠償金を支払うと聞いて納得していた。


 ジュディスの事件に進展があったので、またホットな話題となっていた。

 しかし、今日もジュディスとマイケルが学校を休んでいるので、本人のもとへ集まるような事はできなかった。

 代わりにアイザックのところに生徒が集まっている。

 帰りのホームルームが終わり、他の生徒が部活に向かう時になってようやく解放された気分になった。

 だが、まだやる事は残っている。


「ティファニー、今晩の予定は空いてるかい」


 アイザックの言葉で、周囲にいた者達が息を呑む。


(いつの間にそんな仲に……。あっ、そうか! ジュディスさんのために泊まりに行っていた時なんだ!)


 アマンダも驚いていた一人だった。

 ティファニーから、ウェルロッド侯爵家の屋敷に泊まっているという話は聞いていた。

 だが、アイザックとの仲が進展しているとは聞いていない。

 きっと、自分の想いを知っているから言い難かったのだろうと思われる。

 アマンダがチラリとティファニーを見る。


「空いてるわ。ジュディスさんの事で何かあるの?」


 ティファニーは平然としていた。

 それもそのはず、アイザックの紛らわしい言葉で、すでに赤っ恥をかいていたからだ。

 自宅に帰った時の「どう? やってきた?」という視線。

 あの目は、これからずっと忘れられないだろう。

 すでに勘違いをした経験があるので、ティファニーはアイザックの紛らわしい言葉を気にしないようにしていた。


「そうなんだ。ランカスター伯がお礼をしたいらしくてね。僕も今晩の夕食に誘われたんだ。ティファニーも誘いたいと言っていたから、屋敷の方に使者が向かっているだろう。予定が空いているなら、部活で遅くならないようにしてあげてほしい」

「うん、わかった。私はジュディスさんとお話ししていただけなんだけどね」


 謙遜はするものの、ティファニーもまんざらではなさそうだった。

 アイザックの従姉妹という立場がなければ、ランカスター伯爵家の夕食に呼ばれるような機会など、他家の傘下にある一介の子爵家の娘にはない。

 ジュディスの事件は悲惨だったが、交流を広められるのは悪くはない。

 自分や結婚する相手の将来のためにも、出席を拒むつもりなどなかった。


「あぁ、そういう事……。私にもジュディスさんの保護の話を持ってきてくれてもよかったんだよ」


 アイザックとティファニーの仲が男女の関係ではないとわかり、アマンダがホッとした表情で会話に混ざってくる。


「アマンダさんの協力を得られると心強かったとは思います。ですが、ウォリック侯爵家のように力のある家が関わると、ブランダー伯爵家を潰すしかなくなってしまうほど天秤が傾いてしまいます。適度な調整をするには、貴族派と中立派の間で収まる問題にしておかねばならなかったんです」

「うーん、難しいんだね」

「ええ。ですから、より大きな力を頼らないといけない時には真っ先にご相談します。その時は助けてください」

「わかった。その時は任せて!」


 アマンダは力一杯に答えた。

 アイザックが人に頼る姿が想像できなかったが、必要になったら最初に相談すると言ってくれた事が嬉しかったからだ。

 本気で力を貸そうと思ってくれているのがわかるので、アイザックの頬も緩む。

 それが優しい微笑みに見えたので、アマンダが顔を赤らめた。


 しかし、それは一時的なもの。

 すぐにアイザックの表情が真顔に戻る。


「さて……と」


 アイザックは一人の女子生徒に視線を向ける。

 その相手はニコルだった。

 彼女は数歩離れたところで、アイザックの話を聞いていた。

 アイザックはニコルの前に立つ。


「な、なにかな?」


 叱って以来、彼女はアイザックから少し距離を取っている。

 ランカスター伯爵家とブランダー伯爵家の和解が済んだ今、こちらの問題も解決しておかねばならない。

 少しだけ優しいところを見せておくつもりだった。


(本当に男漁りをやめられても困るしな)


「この間はきつく言い過ぎました。僕も感情的になっていたようです。すみません。マイケルは三年生になるまで長期の停学となり、教会での奉仕活動に従事します。こうなったのは彼の責任です。ですが、そう思わない者もいるでしょう。例えば、ブランダー伯爵とかね」

「ど、どういう事?」


 なにやら雲行きの怪しい話を振られて、ニコルは不安そうな顔をしている。

 ここでもっと不安を煽って、そこを助けるというやり方でもいいのだが、アイザックはニコルに興味がない。

 紛らわしい事はせず、ストレートな内容を話すつもりだった。


「鬱憤晴らしに『マイケルをたぶらかしたのだから、その責任を取れ』とでも言うかもしれません。ニコルさんは女男爵。ブランダー伯の要求という形を取った実質的な命令には逆らえないでしょう。もし『マイケルと結婚しろ』とか要求されたらどうします?」

「それは……、嫌かな。格好良いとは思うけど、学生なのに後先考えず行動する人はちょっと……」


 ニコルがマイケルの告白を断ったのは、いきなりの行動だったからという可能性がある。

 チャールズの時もそうだった。

 彼の時は普通の別れ話だったので「お友達でいましょう」で済んだが、マイケルはやり過ぎた。

 ドン引きして、つい断りの言葉が出てしまったのかもしれない。


「まぁ、そうだろうね。ニコルさんが気のあるような素振りを見せたのも悪いだろうけど、一番悪いのはマイケルだ。だから、ブランダー伯がニコルさんに責任を押し付けようとするのは許せません。もし、ブランダー伯がニコルさんに責任を求めようとしたのなら、僕の名前を出して拒否してください。名前を出しても信じないようであるならば、僕に使者を送ってくだされば、いつでも出向きましょう。マイケルとブランダー伯にはちゃんと反省していただかねばなりませんので」


 アイザックが懸念していたのは「うちの息子の結婚相手がいなくなった。お前が結婚しろ」とブランダー伯爵がニコルに要求する事だった。

 そんな事をされては、アイザックの計画が根本から崩れ落ちてしまう。

 ニコルに手出ししないよう、話に出しておくべきだったのだ。

 彼女の事がなぜかすっかり頭から抜け落ちてしまっていたので、こうして自分の名前で保護しようとアイザックは考えた。


「そ、そう。ありがとう……」


 言葉とは裏腹に、ニコルはあまり喜んでいないようだった。

 むしろ、アイザックに対して引いているような気配すら見受けられる。


(あぁ、そうか。マイケルの心を奪ったあとの事を考えてなかったんだな。まったく、そういうところは年相応の女の子って事か)


 アイザックは、ニコルの反応をブランダー伯爵の復讐を恐れているからだと考えた。

 そして、それが間違いだったのではないかとも思った。


(しまった! ビビらせちまったか。そりゃそうだよな。王子様を攻略するとか普通じゃ考えるはずがない。恐れ知らずの馬鹿だからやれる事なんだ。ブランダー伯爵から恨まれているとか教えたら、怖がって大人しくなってしまうかもしれなかったんだ)


 ニコルが強引にマイケルと婚約させられたら、ジェイソンを狙えなくなってしまう。

 それを防ぐための忠言だったが、逆効果になってしまったとアイザックは受け取った。


「一番悪いのは、婚約者がいるのにニコルさんに心を奪われたマイケルだ。それはわかるね? だから、僕は逆恨みを許さない。ブランダー伯に何かされそうだったら、僕がニコルさんを守る。その事はしっかりと覚えておいてほしい」


 アイザックは、もう一度「悪いのはマイケルだ」と念押しする。

 ニコルにも責任があるが、それをここで言っても意味がない。

 今大切なのは、彼女がジェイソンを攻略するという事だ。

 行動を制限するような真似はしたくない。

 むしろ、背中を押したいくらいだった。


 だが、アイザックが守ると言っても、ニコルの顔色は冴えない。

 良くなるどころか、目が泳いで明らかに動揺している。

 アイザックの言葉が逆効果になっているようにしか思えなかった。


(なぜだ? せっかく助けようとしているのに……。あっ、そうか)


 アイザックは、一つの可能性を思いついた。


(ブランダー伯に逆恨みされるのも計算の内ってわけか。どうするのか見当もつかないけどな。まったく、頼り甲斐のある奴だ)


 アイザックがニヤリと笑う。

 それを見て、ニコルがビクリと体を震わせた。


(大丈夫、俺達は共犯関係みたいなもんだ。お前がパメラとの事を話さない限り、俺も黙っておいてやるよ)


 ニコルの反応を、アイザックは「ブランダー伯爵を利用する事を見抜かれて驚いた」ものだと思った。

 ならば、これ以上助けるとアピールする必要はない。

 彼女の自由にさせておいた方が、きっといい結果を出してくれるだろう。

 アイザックは余計な事をせず、ニコルに任せようと決めた。


「ねぇ、アイザック。もうニコルさんの事はいいでしょ」


 ティファニーがアイザックの袖を引っ張る。

 彼女は当然ニコルに良い感情を持っていない。

 ニコルにたぶらかされた男が悪いのは確かだが、ティファニーにはそこまではっきり割り切って考えられなかった。

 彼女にとって、ニコルはチャールズを奪った憎い相手だ。

 アイザックが助けようとしている事を不満に思っていた。


「そうだね。……ニコルさん、注意はしたよ。気を付けてね」


 アイザックもチャールズの事を思い出し、これ以上ニコルと話すのはまずいと思って切り上げた。

 部活に向かうティファニー達を見送ると、アイザックも帰ろうとする。

 その背中を、ニコルが困ったような視線で見つめていた。



 ----------



 アイザックはモーガンの帰宅を待ってから、祖父母と共にランカスター伯爵家を訪れる。

 到着した時にはランカスター伯爵家の者達が総出で出迎えてくれた。

 ジュディスはアイザックがプレゼントした髪留めをつけてくれている。

 先に到着していたティファニーの姿も見える。

 馬車からアイザック達が降りると、ランカスター伯爵が話しかけてきた。


「突然の招きに応じ、足を運んでくださった事感謝致します。ジュディスを助けてくださった恩義は非常に大きく、どのようにお礼をすればいいのかわからず……。気持ちばかりのささやかな宴ではありますが、楽しんでいただければと思い、精一杯のものをご用意させていただきました」


 ランカスター伯爵はアイザックを見る。


「真っ先に駆けつけてくださったエンフィールド公には感謝の言葉もありません。ランカスター伯爵家にできる事であれば、どのようなご用命でもお申し付けください」

「ありがとうございます。ですが、ちょうど助ける力を持っていて、助けに行ける場所に僕がいた。だから、助けに向かっただけです。深く考え過ぎないでいただく方が、僕としても気楽な関係でいられて嬉しいですね」


 アイザックは優しい言葉をかける。

 これは半分は本心で、半分は演技だった。

「そうだ。俺が助けてやったんだから感謝しろよ」などとのたまう者に、誰が素直に感謝できるだろうか。

 せっかくランカスター伯爵ではなく、ランカスター伯爵家・・・・・・・・・が従うと言ってくれているのだ。

 それをドブに捨てるような真似をする必要などない。

 この場で求められている言葉を口にする。


 アイザックの配慮にランカスター伯爵だけではなく、彼の家族や使用人など、この場にいた者達が感動する。

 ランカスター伯爵は、次にモーガンに視線を向ける。


「ウェルロッド侯……。ジュディスを助けに向かってくれただけではなく、我々が到着するまでの間保護してくださった事、なんとお礼を申し上げていいか」

「サム……」


 モーガンはランカスター伯爵を愛称で呼ぶと、それ以上は何も言わなかった。

 言葉の代わりにランカスター伯爵を抱きしめる。

 すると、ランカスター伯爵の口から嗚咽が漏れる。

 ジュディスが無事で、ブランダー伯爵との交渉も終わった事で耐えていたものが溢れたのだろう。

 ランカスター伯爵も、友人の体を抱きしめ返した。

 周囲の者達ももらい泣きで目を潤ませる。

 その中の一人、ランカスター伯爵夫人のレイチェルがマーガレットに声をかける。


「マーガレットさん。屋敷にいる間、ジュディスの面倒を見てくれていたそうね。ありがとう、本当にありがとう……」

「いいのよ。私がウェルロッド侯爵家に嫁いだ時、リード王国の貴族の輪に入れるようにしてくれたのはあなたじゃない。そのお返しよ」


 二人もまた抱きしめ合う。

 モーガンとランカスター伯爵が友人関係であったため、妻であるレイチェルもマーガレットと仲良くしようとしていた。

 特にマーガレットは隣国から嫁入りした身である。

 リード王国内における人脈を持っていなかった。

 夫人達の輪に入っていけたのは、レイチェルが手助けしてくれたからだ。

 でなければ、先代のウェルロッド侯爵夫人が早世していたため、マーガレットはリード王国に馴染めず苦労していただろう。

 彼女もモーガン共々、ランカスター伯爵家の気配りに助けられていたのだ。

 ジュディスの世話くらいは、苦労でもなんでもなかった。


(この流れだと、俺にはジュディスか!)


 アイザックは祖父母の姿を見て、真っ先にその事が思い浮かんだ。

 しかし、残念な事にアイザックにジュディスが抱き着いてくるような事はなかった。


 ――ジュディスの父であるダニエルが抱き着いてきたからだ。


「エンフィールド公にはお礼の申し上げようもない。戦場から無事に帰ってこられたのも、エンフィールド公のおかげ。親子揃って命の恩人です」


(チェンジで)


 思わず本音が漏れそうだったが、ここはグッと堪える。


「ジュディスさんを助けたのは先ほど言った通り、助けられる場所にいたからです。戦場では僕も死にたくなかったので、自分が生きて帰るために必死になって考えていただけですよ」

「またまたご謙遜を。エンフィールド公はもう少しご自身の力を誇るべきです。当世一の傑物なのですから」


(誰の事だよ、それ)


 アイザックは曖昧な笑みを浮かべて返す事しかできなかった。

 それがダニエルには「自慢するような事ではないんだけどな……」と困って笑っているように見えた。

 彼は「やはり自分とは違う。あの成功の一つ一つが自慢話にすらならないんだ」と、アイザックの器の大きさに感服するばかりだった。


「ブリジット様とクロード様にも大変お世話になったようで。ジュディスのお相手をしてくださった事、家族一同感謝しております」

「ありがとうございました」


 二人にはジュディスの母であるローリーと兄のジョシュが感謝の言葉をかける。

 さすがにエルフ相手に抱き着いたりはせずに、両手でしっかりと握手を交わすだけだった。


「さぁ、中へどうぞ。今日は秘蔵のワインもお出ししましょう。もっとも、エンフィールド公やティファニー嬢には出せませんがね」


 ランカスター伯爵が屋敷の中へ誘う。

 そして、アイザックにウィンクをして茶目っ気のあるところを見せる。

 ブランダー伯爵への怒りが和らいでいるからこその余裕だろう。

 思っていたよりも落ち着いているようで、アイザックは安心させられた。




 食事は贅を尽くしたものではあったが、アイザックには珍しくないものだった。

 王宮のパーティーに比べればささやかなもの。

 しかし、ランカスター伯爵達のもてなそうという心意気は、王宮のパーティーとは比べものにならないものだった。

 彼らはジュディスを助けてくれた事と、破格の慰謝料を請求してくれた事を心から感謝していた。

 その感謝の気持ちが、ホストとしての役割以上の歓迎をさせていた。

 そういう歓迎をされると、アイザック達も嬉しい気持ちになる。

 ジュディスの無事を祝う気持ちも高まり、皆の顔が自然とほころんでいった。


 借金の返済にも話が及んだが、それはアイザックが断った。

 鉱山の新規開発には金がいる。

 その時、ブランダー伯爵が誰に金を借りるか?

 その答えは簡単なものだった。


 ――金があるところから借りる。


 商人からでは高い金利が付くので、ランカスター伯爵家に借金を申し込むはずだ。

 なんと言っても、これからは鉱山の利益がランカスター伯爵家に入る。

 自分が損しないためにも、安い金利で金を貸してくれるだろうと考えるだろうからだった。

 ブランダー伯爵が恥を忍んで金を借りにくる時まで、ランカスター伯爵家には五十億リードを貸し付けたままにしておくとアイザックが決めた。

 ランカスター伯爵達も「その時が楽しみだ」と悪い笑みを浮かべる。


 しかし、楽しい時間も終わりが近付く。

 子供であるアイザック達がいる以上、いつまでも楽しんではいられない。

 夜が更ける前に解散しようと雰囲気になっていった。

 そこで、アイザックが一つの提案をする。


「ランカスター伯。重要な話があるので、使用人達の人払いを願います」

「重要な……、わかりました。お前達、下がりなさい」


 ランカスター伯爵が人払いを命じると、場の空気が重苦しいものに一変する。

 アイザックが重要な話だというのだ。

 どれほど大きなものか想像できない。

 ティファニーが不安そうな表情でアイザックに尋ねる。


「私はいてもいいの?」

「ティファニーなら口外するなと言われた事をベラベラ喋ったりしないだろうしね。信用している。クロードさんとブリジットさんもだよ。ブリジットさんも本当に言ってはいけない事を喋るような人じゃないと思っている」

「なんで私だけ名指し?」


 ブリジットは「信用している」と言われた事は嬉しそうだったが、自分だけ「喋りそうな気がするけど大丈夫だと思っている」と言われた事は不満そうにしていた。

 アイザックは彼女の不満をスルーして、ジュディスを見る。


あの事・・・は家族に話されましたか?」

「……話してない」


 ジュディスも重要な事だとわかっていたので、今まで家族にも黙っていたようだ。

 アイザックは一度うなずくと、ランカスター伯爵に視線を向ける。


「ジュディスさんが聖女だと言われている件で、非常に大切な話をしておかなくてはいけません」


 ――ジュディスは聖女ではない。


 その事は話しておかねばならなかった。

 今は大丈夫だろう。

 だが、これから先ずっと「聖女様を孫に持つなんて羨ましい」と言われて、ランカスター伯爵が増長したりするかもしれない。

 聖女など大昔の逸話に書かれているくらいでしかない。

 その聖女を実際に身内に持つ事で、これから先ランカスター伯爵家の人々の人生を狂わせる事になる可能性が高い。

 ちゃんと説明をしておく必要があった。


「ジュディスが聖女ではない……。という事ですな」


 しかし、ランカスター伯爵はアイザックの言葉を先読みした。

 これにはアイザックも驚かされる。


「エンフィールド公が考えもなしに、神頼みでナイフを突き刺すような方だとは思っていません。なんらかの勝算があって、ジュディスをナイフで刺したのだという事はわかっているつもりです。例えば、兵士の格好をしたクロード殿がこっそり治療していた……という事もあり得るでしょう」


 ランカスター伯爵の予想により、今度は他の者達を驚かせた。

 モーガンとジュディス以外の者達が、アイザックとクロードを交互に見る。

 だが、クロード本人が「そんな事はやっていない」と戸惑いの表情を見せている。

 ランカスター伯爵の読みが外れているという事だ。

 しかし、彼の言葉は「神の奇跡ではないかもしれない」という考えを植え付けるのには十分だった。

 今度は何を話すのかという視線がアイザックに集まる。


「ジュディスさんが助かった奇跡は作り出されたもの、という点は正しいです。ですが、あの場でクロードさんに魔法を使ってもらった事実はありません。エルフを巻き込んで人を騙すというのは、お互いのためになりませんから」


 アイザックは、クロードを利用したという説をハッキリと否定する。

 食後のお茶用のスプーンとナプキンを手に取って、皆に見えるように持つ。


「僕はバネという物を作らせました。洗濯バサミに使うようなバネだけではなく、伸び縮みするバネもあります。こんな風にね」


 アイザックは折ったナプキンの中にスプーンを入れる。

 そして、出すといった動きを皆に見せた。


「あぁっ! ジュディスを刺したナイフというのはもしかして!」

「バネを仕込んだ刃引きのナイフです。刺せば刃が柄の中に引っ込み、抜けば刃が柄の外に出るというものでした」


 最初に気付いたのはジョシュだった。

 アイザックは彼の指摘が正しいと説明する。


「ブリジットさんは、ジュディスさんの胸に刃を隠したのではないかと言われました。しかしながら、それでは柄の角度でバレてしまいます。衆人環視のもと、怪しまれない角度で刺して怪我一つ負わなかったのには理由があったんですよ」

「そうだったんだ……」


 ブリジットは唖然としていた。

 答えを間違っていたどころか、予想を超える答えだったからだ。


「でも、どうしてあの時否定しなかったの?」

「そんな事をすれば、どうやったのかを説明しなくてはならなくなるじゃないですか。そうすると、色々とマズイ事になりますから。特に教会には教えられない事ですしね」

「それもそうか……。なんかごめんね」


 アイザックに「とんでもないムッツリスケベ」という疑惑をかけてしまった事を、ブリジットが謝る。


「でも、どうしてそんなものを持っておられたのですか?」


 ランカスター伯爵がアイザックに質問する。

 これは皆の気持ちを代弁したものだった。

 尋ねられたアイザックは遠い目をする。


「もともとは妹の遊び道具として作ったものでした。ですが、試作品ができてから気付いたのです。これは悪魔のおもちゃなのだと」


 悪魔・・というとんでもない単語が出てきた事で、ランカスター伯爵達は目を丸くする。

 まさか、アイザックがそこまで忌むような道具だったとは思わなかったからだ。

 おもちゃという単語とも似つかわしくないので、より一層の不安に駆られる。


「おもちゃのナイフで刺して驚かせる分にはかまいません。しかし、おもちゃのナイフだと思って本物のナイフで人を刺したりしたらどうでしょう? きっとケンドラの心に大きな傷を負わせます。こんなものおもちゃではない。絶対にケンドラに渡してはいけないものだと思い、自室で保管していました」


 だが、続くアイザックの言葉は「悪魔」という単語とはかけ離れたものだった。

 むしろ、言葉は大袈裟なものだが「ただのシスコンか?」と思ってしまうような内容で拍子抜けするものである。

 話を聞いていたものが首を傾げる。


「ジュディスさんを助けに行く時に、そのナイフを持っていたのは偶然でした。その場の流れで使えそうだったので使ったというだけです。しかし、大事なのはナイフがどういうものか、何故持っていたのかではありません。ジュディスさんが本物の聖女ではないという事です」


「ノーマンを驚かせようと思って、腰に下げていました」という理由では格好が悪すぎる。

 本当に偶然持っていただけなので、アイザックはナイフから逸らそうとする。

 実際にジュディスの事がランカスター伯爵家には重要なので、まるっきり嘘というわけでもない。


「『我が家のジュディスは聖女なんだぞ』と政治利用しないようにしてあげてください。それが万が一事実が露見した時にランカスター伯爵家のためにもなりますし、ジュディスさんのためにもなります」


 アイザックはここで釘を刺した。

 ランカスター伯爵家は有力な味方になってくれそうだ。

 調子に乗って自滅されては、アイザックも困る。

 少なくとも、今後数年間は自重しておいてほしいところだった。

 だが、アイザックの心配は過剰なもの。

 言われずとも、ランカスター伯爵は理解していた。


「よくわかっております。以前、エンフィールド公にジュディスの占う力ばかりに注目するなと指摘されて以来、ジュディス本人の事を見るように気を付けております。占う力と同様に、聖女という肩書きにばかり注目するつもりなどありませんでした」


 彼も以前のジュディスとの付き合い方を反省している。

 それは他の家族も同様だった。

 皆がランカスター伯爵の言葉に同意する。

 アイザックの心配は杞憂だったらしい。


「差し出がましい意見だったようですね」

「いえ、この年になると誰も注意をしてくれなくなるものです。教えてくださるだけでもありがたく存じます」


 今までは家族一同、皆がジュディスの占う力にばかり注目していた。

 早い段階で誰かが注意してくれていれば、ジュディスの人生も大きく変わっていただろう。

 アイザックのおかげでジュディスを見る目が変わったので、ランカスター伯爵は指摘してくれる事を本気で歓迎していた。


「エンフィールド公は、家族の私達よりもジュディスの事を考えてくださっておられます。いかがでしょうか、ジュディスを娶ってはいただけませんか?」

「えっ!?」


 ――あまりにも突然な婚約の申し入れ。


 アイザックはランカスター伯爵を見て、次にジュディスを見る。

 彼女は顔を真っ赤にしてうつむき、もじもじとしていた。


「気持ちはわからんでもないが、いくらなんでも突然な……。あまりにも急過ぎるぞ」


 モーガンがランカスター伯爵をたしなめる。

 彼もまだ婚約の話を聞いていなかったからだ。

 おそらく、この場での思いつきだろう。

 冷静になれという思いを込めて、友人を見つめる。


「ジュディスの年齢やエンフィールド公の事を考えれば、早めに決めておいた方がいいだろう? ジュディスもそれを望んでいるはずだ」


 ランカスター伯爵はジュディスの気持ちに気付いていた。

 ジュディスのアイザックを見る目だけが違うのだから、嫌でも気付くというもの。

 これも髪の毛を上げたおかげで視線がわかるようになったからだ。

 アイザックが嫌っていないのであれば、このまま話を進めてやろうと思っていた。


 アイザックはジュディスを嫌っていない。

 むしろ、親密な仲になれれば歓迎だとすら思っている。

 だが、婚約者という関係にはなれないと思ってもいた。

 パメラをいつか迎え入れる事を考えれば、伯爵家の令嬢と婚約するのは大問題だ。

 いつか必ず内紛の火種となるだろう。

 それに、本人の気持ちもある。


「ジュディスさんはどうなんですか?」

「あ……、あっ…………」


 アイザックに問われて、ジュディスが答えようとする。

 しかし、その気持ちが強すぎて言葉にならなかった。

 肝心な時に言葉にならず、出てくるのは満足に気持ちも伝えられない情けなさに対する涙だけだった。

 だが、乙女心に鈍いアイザックにも、好意を向けられている事だけは伝わった。


(そうか、これがストックホルム症候群ってやつだな。初めて見たよ)


 実際は吊り橋理論なので間違っているが、処刑直前のところで助けた自分に好意を持つようになったという事だけは理解していた。


(問題は、それが本物の気持ちなのかどうかだ。恋愛感情だけじゃなく、感謝の気持ちとかが混じっているだけだろうしな)


 アイザックは本気で自分の事を好きになっているなどとは考えなかった。

 怖い思いをして、様々な感情が入り混じって勘違いしているだけだろうという答えを導き出す。


「気持ちはありがたいです。それでも、僕は婚約できません。今は失恋で辛いでしょう。命の危機に瀕して恐れているところでしょう。そんな状況で湧き上がる感情で判断するべきではありません。ちゃんと落ち着いた時に出した答えであれば、僕もどうするか考えるかもしれません。ですが、今は婚約をするかどうかを考える時ではありません。まずは落ち着く時だと僕は思います。これはジュディスさんだけではなく、ランカスター伯もです。今は慌てる時ではありません」


 まずは落ち着けと優しく諭す。

 これにはランカスター伯爵も何も言えなかった。

 一連の騒動で浮ついていたのは事実。

 そして何よりも、ティファニーの反応を見て、返事をする事ができなかったのだった。


 ティファニーはアイザックの言葉を聞き、自分が以前言われた事を思い出していた。

「君の事が好きだ。けど、今は辛い時だろうから落ち着く時が来るまで僕は君を待つ」という内容の言葉を。

 アイザックはそんな事を言っていないのだが、彼女にはそのように聞こえていた。

 過去を思い出し、ティファニーは顔を赤らめて潤んだ目でアイザックをチラチラと見ていた。

 その姿から、ランカスター伯爵は「アイザックはティファニーの事が好きなのか」と思いこんでしまう。


 そもそも、アイザックがリサと婚約したのは「子供の頃から支えてくれた女性」だからだ。

 幼い頃の境遇を考えれば、ティファニーもリサと同じくアイザックを支えていた女性である。

 チャールズと別れたあと、もしかしたら告白していたのかもしれない。

 だが、ティファニーがチャールズの事を忘れられていないというのは、噂で聞いて知っている。

 アイザックがジュディスとの婚約を断ったのは、ティファニーの返事を待っているからという可能性も考えられる。

 ジュディスと婚約してしまえば、ティファニーは第二夫人以降が確定する。

 ティファニーを第一夫人にして、ジュディスを第二夫人にすれば、ランドルフと同じような事が起きるかもしれない。

 アイザックがそれを避けようとしているのではないかと、ランカスター伯爵は思った。


 ならば、ここで無理強いするのはアイザックのためにならない。

 ジュディスの願いは叶えてやりたいが、ティファニーがどのような返事をするかまで待つべきだ。

 その方が恩義のあるアイザックのためになると考えた。


「確かに慌てる時ではありませんでしたな。酒に酔った老人の戯言として聞き流してください。モーガンが私のコレクションをどんどん空けるので、つられて私も飲み過ぎてしまったようです」

「めでたいと言って持ち出してきたのはお前ではないか。人のせいにするな」


 ランカスター伯爵がモーガンに責任を押し付けようとすると、モーガンも黙っていないで言い返す。

 この二人の話をきっかけにして、婚約の話から雑談へと変わっていった。

 モーガンとしてもジュディスとの婚約は歓迎するところ。

 だが、アイザックが望んでいないのなら、ここはお茶を濁すところだと感じていたからだ。


 しばらく話してから、宴はお開きとなった。

「ジュディスが聖女ではない」という事実を知って驚きはしたが、その事に関しては皆がどこかスッキリしたような表情を見せていた。

 しかし、ランカスター伯爵が持ち出したジュディスとの婚約話により、モヤモヤとした感情になったまま帰路に着く者達もいた。

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