第328話 ブランダー伯爵への追加の要求

 アイザックの言葉を認めるわけにはいかない。

 ブランダー伯爵は、すぐさま否定する。


「ランカスター伯爵家との手打ちは済ませました。それに、エンフィールド公も『賠償金で済ませる事を約束する』と仰ったではありませんか。話が終わったあとでひっくり返すなど、約束破りだとは思わないのですか?」


 モーガンは「昨日の事か」と思うだけだったが、他の者達は「約束? あぁ、穏便に話を済ませるように、あらかじめ頼んでいたのか」と察した。

 アイザックが約束していたのならば、ブランダー伯爵が取り乱すのもわかる。

 ある程度の安全が確保されていたはずなのに、いきなり死の淵まで追い込まれてしまったからだ。


 ――では、なぜアイザックが約束を破ったのか。


 アイザックが何を言うのか耳目が集まる。


「約束は守っているじゃないですか。だから、マイケルに関しては甘すぎるくらいの処分に終わった。ですから、マイケルに関する約束は守っています。僕が言っているのは、ブランダー伯爵家・・・・・・・・の責任・・・に関してです。グラハムに教会内での発言力を与えていたせいで、今回のような事件が起きたのです。この件に関して触れないとは、何一つとして約束はしていなかったでしょう?」

「それは……」


 ブランダー伯爵が口をパクパクとさせる。

 言葉が出てこないのだ。

 本来ならば、その事も話すつもりだったのだ。

 だが、アイザックが怒ってしまったので話せず仕舞いだった。

 ブランダー伯爵は、ある事に気付く。


(はっ! そうか、そうだったのか。あの怒りは演技だったのだ! 妙に親身になってくれているなと思っていたが、すべてはランカスター伯爵家に肩入れするためのものだったんだ!)


 ――あのアイザックが、たかが小娘一人を気にするはずがない。

 ――昨日の事は、すべてマイケル以外の話をさせないための演技だった。


 ブランダー伯爵は「アイザックから威厳を感じられないのは、こういう時に利用するためだったのだ」と確信する。

 まだマイケルの方が貴族らしい雰囲気を纏っているくらいだ。

 アイザックがそこらへんにいる学生程度の雰囲気を持たないはずがない。

 やけに気合の入っている演技ではあったが、演じられるのはウェルロッド侯爵家の血筋というところだろうか。

 アイザックは、絶句しているブランダー伯爵からハンスに視線を移す。


「ハンスさん。グラハムが影響力を持っていた理由とは、どういうものでした?」

「そっ、それは……。ブランダー伯爵家が多額の寄付金を納めていてくれたからです」


 突然、話を振られてハンスは戸惑う。

 下手をすると、ブランダー伯爵家を潰す片棒を担がされるかもしれないからだ。

 だが、アイザックが求めているであろう答えを率直に述べた。

 ブランダー伯爵家を潰す共犯者になるのと、アイザックを敵に回すのとでは、どうするか考えるまでもない。

 せめて、天秤が釣り合うレベルでなければ話にならない。

 自分の発言でブランダー伯爵家がどうなるのか不安ではあるが、身を守るために黙っておく理由などなかった。


「では、以前からジュディス・ランカスターを魔女として処刑しようと家ぐるみで考えていた可能性もあるという事ですね。教会を利用するため、グラハムに影響力を持たせていたと」


 アイザックは、あえて断定するように言った。

 しかし、これはブランダー伯爵を困らせるためだ。

 本気で責める気などない。


「それは違います。そのような事は考えておりません。教会への寄付は……」


 だが、混乱のあまり、ブランダー伯爵の言葉が途中で止まる。

 こんな状況では最低限の冷静さと思考力は残っていたが、それが逆にブランダー伯爵の足かせとなってしまった。


(ハンスを事務局長の座から追い落とすためだと言えば、ウェルロッド侯爵家まで明確な敵となってしまう)


 寄付をしていたのは、グラハムを教会の次期事務局長にするためだ。

 それには、ハンスに勝ちたいというグラハムの要望が色濃く反映されている。

 ブランダー伯爵としても、教会の要職に身内の人間がいてくれると心強いという考えがあったので、喜んで支援をしていた。


 だが、だからこそ言えない。

 彼らも多額の寄付をして、ハンスを事務局長にしていたからだ。

 下手な事を言えば「ハンスを追い落とす=ウェルロッド侯爵家への敵対」と思われかねない。

 いや、今のアイザックなら、確実に揚げ足を取ってくるだろう。

 迂闊な事は言えなかった。


 ハンスが事務局長になった時の経緯に触れる事も出来ない。

「グラハムを事務局長にするために、ウェルロッド侯爵家と同じく寄付をしていた」と言えば「教会の役職は金で買える」と公言するようなもの。

 実情はともかく、そのような事をこの場で言えば、教会まで完全に敵に回してしまう。

 それに、ハンスの時は公然の秘密という形ではあったが「アイザックの後見人をしてくれたお礼」という多額の寄付をする理由があった。

 ブランダー伯爵家も鉱夫の治療などで教会の世話になっているが、教会の人事を左右するほどの寄付をする理由としては弱い。

 この場にセス達を呼んだのがアイザックで、寄付に関する理由を言わせなくしているのではないかという思いをさせられていた。


 含み笑いをして、ただ者ではない雰囲気を醸し出しているだけのマイケルとは違い、ブランダー伯爵は頭が回る。

 しかし、その頭脳のせいで問題を難しく考えすぎていた。

「神のお役に立てればいいと思って寄付しました」という、至ってシンプルな答えをすぐに言えなかったのだ。

 アイザックは、そこを突く。


「返事に詰まったようですね。何かやましい事でもあるのですか?」


 思考するために言葉が止まったブランダー伯爵を、アイザックが責め立てる。

 寄付の理由を答えられなかった時点で、周囲は疑うような視線をブランダー伯爵に向ける。


「違います。寄付は……、資金に余裕があったからです。少しでも困った人のお役に立てればいいと思って寄付をしただけです。やましい事などありません」


 ブランダー伯爵は答えに困ったものの、黙っているのは悪手だと気付いた。

 そこで、少々無理のある内容を答えた。

 考えすぎて、シンプルかつ説得力のない答えを口にしてしまう。


「へー、お金に余裕があるんですね」


 しかし、それこそ悪手だった。


 ――金があるから人が集まり、人が集まるから影響力を持つ。


 アイザックが狙っているのは、ブランダー伯爵家の財布だったからだ。

 そこに付け込む隙を与えてしまった。


「では、当然教会にも改めて寄付をするんですよね? 以前から計画していたものではなく、マイケルの告発を利用してグラハムが勝手に行動を起こしたのだとしても、ブランダー伯爵家による多額の寄付がグラハムに発言力を与えていたのは事実。お金に余裕があるのなら、慰謝料を支払うんでしょうね?」

「も、もちろんです。教会の事も忘れてはおりません。グラハムが迷惑をかけた分の謝罪はちゃんとさせていただくつもりです」


 ブランダー伯爵も教会の事は忘れていない。

 だが、賠償に関する事はまだ話していなかった。

 この話し合いが終わったあとにと考えていたので、ここで急に話題に出されても困るだけだ。

 しかも、金額が明示されていないとはいえ、ランカスター伯爵家との和解条件を聞かれたあとでは、半端な金額では納得してくれないだろう。

 非常に厳しい状況になってしまった。


「そういえば、聖堂は歴史ある建物だったので老朽化が進んでいるように見えました。そろそろ補修工事とかも必要なのではありませんか?」


 アイザックが今度はセスに話しかける。


「そうですね。修繕していただけると助かります」


 話を振られたセスは悩むような表情を見せたが、アイザックの話に乗る事にした。

 この流れだと、ブランダー伯爵は修繕費を出すと答えるしかない。

 聖堂を修繕したいとは思っていたし、グラハムに利用された事に対する謝罪もしてもらいたい。

 断る理由など一つもなかった。


「修繕費も我が家で負担させていただきます。支払わせてください」


 ここまで追い詰められると、ブランダー伯爵もヤケを起こすしかない。

 考える事なく、聖堂の修繕費を出す事を了承した。


「ブランダー伯はグラハムの行いを悔やみ、自責の念に駆られている。寄付金はあくまでも心付けなので金額を指定していないものの、きっと贖罪として十分な額を出してくれるでしょう」


 アイザックの行動を見かねたモーガンが、ブランダー伯爵を庇う。

 だが、ブランダー伯爵を助けたかったわけではない。

 たかり屋のような真似をしているアイザックを止めたかっただけだ。

 今はまだ教会に寄付するように要求しているだけだが、このままでは自分の分も要求しかねない。

 ここらで待ったをかける必要を感じたからだ。

 アイザックは祖父の考えている事を察して、方向を変える事にした。


「そうですね。反省しているという事はわかります。ですので、反省を求めるばかりではなく、救済を与えるべきでしょう」


 ――救済。


 その一言が、ブランダー伯爵の心を落ち着かせる。

 しかし、アイザックには、まだ追及の手を休めるつもりはなかった。


「お金があると、どこでどんな風に悪影響を及ぼすかわかりません。ブランダー伯の救済とランカスター伯への謝罪という意味も兼ねて、今後五十年間は鉱山で得られる収入の利益を、すべてランカスター伯爵家に納めるというのはいかがでしょうか?」

「はぁっ!?」


 アイザック相手ではあるが、ブランダー伯爵は「何を言ってるんだ、お前は」という意思が混じった驚きの声をあげる。

 鉱山からの収入は重要な資金源だ。

 それをランカスター伯爵に譲渡する事などできなかった。


「それでは六十億リードなど払えなくなります! さすがに鉱山の権利を譲渡する事など認められません」


 これには、ブランダー伯爵もさすがに抗議する。

「金を支払え」というのならば認められるが、鉱山の権利を譲る事だけは認める事ができなかった。


「鉱山の権利を譲れなどとは言っていません。売り上げから利益を渡せと言っているだけです。そこは勘違いしないでいただきたい。それに、それくらいしてようやく謝罪の意思を感じられるというものです」

「それは……」


 ブランダー伯爵は自分のミスを悟った。

 マイケルの停学と金銭の支払いで済むと思って安堵してしまった。

 その余裕がランカスター伯爵に不満を抱かせ、アイザックがその意を汲み取って、追加で賠償するように言い出したのだと。


「その根拠はどのように考えられているのですか?」


 ウィンザー侯爵が横から口を挟む。

 ブランダー伯爵家への制裁という意味が含まれているにしても、アイザックの考えが気になったからだ。

 他の者達も、アイザックが何を言うのか黙って見ていた。


「まず、鉱山収入の利益を支払えというのは、ブランダー伯爵家に配慮しての事です。経営権をランカスター伯爵家に渡せというのでは、ブランダー伯爵家も自分の領地で好き勝手されるのは嫌でしょう。それに、ブランダー伯爵家が通行税を引き上げたりするなど有形無形の嫌がらせをする可能性もあります。それに、突然仕事が増えればランカスター伯爵家にも負担となります。ブランダー伯爵家に経営させつつ、利益をランカスター伯爵家に渡すという方がお互いのためになると思いました」


 ここまでは、この場にいる者達なら十分に理解できる事だった。

 アイザックの説明は続く。


「では、利益だけを渡すというのならどうでしょうか。それなら、ランカスター伯爵家は鉱山の採掘量と鉱物の取引量を調べるだけで済みます。ランカスター伯爵家の負担にならず、ブランダー伯爵家も領内で他家の人間が我が物顔で歩く事もありません」

「しかし、利益を渡せというのは厳しいだろう。それではブランダー伯が利益がないと思って鉱山を閉じてしまうのではないか?」


 エリアスがアイザックの考えが甘いと指摘する。

 だが、アイザックは首を横に振った。


「鉱山で働く者から税金という形で収入があります。それに、鉱物を運搬する商人達の通行税もです。鉄を売った利益は入らなくなるものの、一定の収入は得られます。一時の感情で鉱山を閉じてしまえば、それらの収入がなくなります。しかも、大量の失業者を領内に抱える事になるので、治安の悪化も懸念されます。鉱山の閉鎖はブランダー伯爵家にはなんの得もありません。そのような行動は取らないでしょう」

「なるほどな」


 エリアスが理解してくれたので、アイザックは期間の話に移す。


「五十年という期間は、マイケルの孫が領主代理を務めているであろう頃だからです」


 大体、二十歳くらいで子供を産むとすれば、五十年後にはマイケルの孫が二十歳から三十歳前後になっている。

 領主代理として、統治をしていてもおかしくない年齢だ。


「マイケルの孫は、祖父のマイケルの事を知っているでしょう。ですが、マイケルの曾孫はどうでしょう。僕は先代ウェルロッド侯の噂を聞いてはいますが、実際に会った事はありません。実際に会った皆さんのように、どんな人物だったのか想像ができないのです」


 祖父母ならともかく、会った事もない曾祖父母となるとどんな人物だったのかわからない。

 日記などが残っていれば考え方を知る事はできるが、本当の人となりを知る事ができないからだ。

 アイザックの言葉は、皆にも共感できるものだった。


「マイケルの曾孫も、マイケルが寿命で死んでいる頃なので、直接顔を合わせる事はないでしょう。会った事もなく、よく知らない者の責任を負わせるのは酷というもの。曾孫が物心つく頃には、鉱山の収入を返すようにしてあげたいと思ったので、五十年としました。期限がなければ得がないとわかっていても、子孫の誰かが暴走して本当に鉱山の閉鎖をしてしまう可能性がありますしね」

「そこまでお考えでしたか」


 ウィンザー侯爵が満足そうに何度もうなずいていた。

 当然、五十年後にはブランダー伯爵は死んでいる。

 しかし、子供に家を継がせていきたいと考えるのは貴族の本能である。

 五十年後には今の隆盛を取り戻せるとなれば、我慢して鉱山の利益を大人しくランカスター伯爵家に渡すかもしれない。

 ウィンザー侯爵にも「余計な事をさせないようにするのと反省させるためにも悪くない考えだ」と思わせた。


 しかし、アイザックの言葉は嘘だった。

 本当は二年ほどブランダー伯爵家の力を削げれば、それで十分だと思っていた。

 だが「二年だけ」というのではあまりにも短すぎる。

 ブランダー伯爵家の影響力を削ぐため、それっぽく聞こえるように、アイザックが一晩で考えた言い訳に過ぎない。


 アイザックはブランダー伯爵に視線を向ける。


「金が余っているのなら、慰謝料に上乗せすると申し出てもよかったのでは? 謝罪するべき相手はそこにいて、たった一言を言葉にすればいいだけです。それとも、自分が苦しまない範囲で払える金額しか払いたくなかったのですか? それって、謝罪の気持ちが籠っていると言えるんですかねぇ? ジュディスさんが魔女として処刑されれば、魔女を輩出した家としてランカスター伯爵家も非常に肩身が狭い思いをしたというのに」


 アイザックは追撃をやめない。

 万が一にもニコルを魔女扱いされないため、確実にブランダー伯爵家の力を削ぐためだ。

 とりあえず、あと二年ほどは大人しくしておいてほしかった。

 アイザックも必死である。

 ブランダー伯爵は露骨なまでにうろたえながらも、アイザックの問いに答える。


「……利益・・でいいんですね」

「ええ、売り上げではなく利益です。もちろん、経費の水増しなどは許されません」

「それならば、今後ランカスター伯爵家に鉱山で得られた利益をお支払いするとお約束致します。こちらも申し訳なく思っておりますので」


 ブランダー伯爵は観念した。

 利益ならば、鉱山の経営にかかる経費は鉱山収入から支払える。

 一番旨味のあるところはランカスター伯爵家に奪われるが、労働者から税金がいくらか入るというだけでもまだマシだ。

 収支がマイナスに転じるのではなく、微々たるものではあるがプラスのままだからだ。

 アイザックをこれ以上本気で怒らせれば、鉱山の権利自体をランカスター伯爵家に渡せと言い出すかもしれない。

 下手をすると家の取り潰しもあり得るので、渋々ながらもこの提案を受け入れるしか道はなかった。


「ランカスター伯爵とダニエルさんはいかがですか?」

「鉱山の利益までいただけるというのであれば、異論はありません」

「エンフィールド公の配慮に感謝致します」


 当然、貰える慰謝料が増えた二人に異存はない。

 しかも、継続的な収入となる。

 いくらか溜飲が下がったのだろう。

 スッキリした目でブランダー伯爵を見ていた。


 見られているブランダー伯爵は、心底悔しそうだった。

 先ほど見せていた余裕はない。

 少なくとも、自分が生きている間は鉱山の利益を奪われ続ける事になる。

 もう派閥の代表の座など望めないだろう。

 だが、アイザックが言うように、大人しく支払っていれば自分の玄孫の世代からは裕福な暮らしになるはずだ。

 将来、子孫がブランダー伯爵家を羽ばたかせてくれるという希望を持てる事が唯一の救いだった。


「では、最後にもう一つ条件を提案します」

「まだあるのですか……」


 ブランダー伯爵は憔悴しきった表情を見せる。

「もういい加減にしてくれ」と叫びたいくらいだった。


「これが最後ですよ。最後の条件はマイケルを廃嫡しない事。また、こっそり暗殺して病死や事故死をしたなどと言わない事。マイケルをちゃんと後継者にするようにというものです」

「ほう、それはいいですな。私もその条件を飲んでもらえると嬉しく思います」


 ランカスター伯爵が、アイザックの提案に乗ってきた。

 マイケルの事を心配しているわけではない。


 ――マイケルが将来のブランダー伯爵となる。


 その事に意味があった。

 これだけの大失態を演じたのだ。

 数十年後にまともな人間になっていたとしても、やはり色眼鏡で見られてしまう。

 ブランダー伯爵家にすり寄る者はいないだろう。

 だから、マイケルを後継者のままでいさせる事に賛同した。


 ――拷問したり処刑したりするよりも、五体満足で生かしておいた方がブランダー伯爵家にとって痛手となる。


 そう思ったからだ。

 親族から養子を取られるよりも、マイケルをそのままにしておいた方がランカスター伯爵にとっても復讐になるのだ。

 反対する理由などない。


 その事はブランダー伯爵も理解している。

 だが、ここでマイケルを見捨てるくらいなら、最初から見捨てている。

 ニコルの事を悪し様に言う前に、自分からマイケルの処断を提案していただろう。

 腐っても愛息子である。

 助けられるのなら、その条件を受けるしかなかった。


「その条件もお受けしましょう。他にも条件があるのでしょうか?」


 ブランダー伯爵は、この条件を受けた。

 彼にも断る理由がない。

 むしろ、親族を説得する材料に使えるプラス材料にもなると思っているくらいだ。

 しかし、これ以上の条件を付けられると困るので、しっかりと確認をする。


「いえ、僕からはありません。ブランダー伯の態度を見る限り、以前から計画していたと疑う必要はないでしょう。反省もしているようですしね」


 僕から・・・というところでブランダー伯爵は体をビクリと震わせる。

 慌てて周囲を見回す。

 だが、誰も新たな条件を言わなかった。

 アイザックが突き付けた条件で十分だと思っていたり、やり過ぎだと思っていたりしたからだ。


「マイケルを後継者として確定し、暗殺をしたりはしない事。鉱山収入の利益を今後五十年間支払うという事を条件に加えよ」


 エリアスがクーパー伯爵の秘書官に声をかける。

 すぐさま彼は手元の紙に追記する。

 その手は震えていた。

 これは尋問テクニックだけではなく、アイザックの手腕をさらに見る事ができた歓喜の震えだった。


「他にご意見のある方はおられますか? 本当にこの条件で書類を作成してもよろしいのですね?」


 そして、最後に意見がある者がいるかどうかを確認する。

 ランカスター伯爵は満足そうにし、ブランダー伯爵は打ちひしがれている。

 お互いに何かを言う気配はない。

 他の者達も意見を言わなかったので、彼は書類のひな形を作り始めた。



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 ランカスター伯爵とブランダー伯爵が書類にサインをしたあと、彼らは帰っていった。

 エリアスの前で約束された事である。

 この和解条件を反故にする事はできない。

 ランカスター伯爵とダニエルは溜飲を下げたおかげで足取りは軽く、ブランダー伯爵の足取りは非常に重かった。


 アイザックも学校に行くため退出していった。

 その際に、近衛騎士に預けていたナイフをセスに渡すよう指示をする。

 セスが出席していた理由の七割方が、このナイフを手に入れるためだ。

「アイザックこそ悪魔の化身では?」と疑ったりもしてはいたが、やはり神器として扱われるナイフを手に取った時には笑みがこぼれた。

 彼はハンスと共に、満足そうに帰っていった。


 残ったのはエリアス、モーガン、ウィンザー侯爵、クーパー伯爵の四名。

 エリアスが興奮冷めやらぬ様子で、ウィンザー侯爵に話しかけた。


「エンフィールド公だが……。やはり、いいのではないか? 調整役までこなすとは思ってもみなかったぞ」

「はい、私もそう思います。最初はブランダー伯爵家にも配慮がされた条件でした。しかし、それではダメだと思ったのか、追加の賠償をさせる。そして、そのタイミングが絶妙でした」

「うむ、あのタイミングはよかった。私も最初の条件は甘すぎではないかと思っていたくらいだからな」


 二人が話しているのは、マイケルの処罰が決まった時の事だ。

 あの時、ランカスター伯爵は不満そうで、ブランダー伯爵は余裕を見せていた。

 あれでは反省の色が見えず、どちらが加害者で、どちらが被害者かわからない。

 その様子を見てとって、すぐさまアイザックが加害者と被害者のバランスを取ろうとしたように彼らには見えていた。

 鉱山収入の話が終わったあとの両者の姿を見てみれば一目瞭然だ。


 ――被害者は満足そうにして帰り、加害者は肩を落として帰っていった。


 あれこそ、両者にふさわしい姿だった。

 ブランダー伯爵が逆恨みしないかという点だけが不安だったが、ギリギリ我慢できる範囲内で納まっているので大丈夫だろうと思われる。


「最初からあの条件を提示していても、同じ結果にはならなかったでしょう。マイケルのやった事に対する慰謝料などが決まったあとで追加の要求をしたからこそ、ランカスター伯爵も溜飲を下げたのだと思います。教会への賠償は少々やり過ぎな気もしましたが、教会への謝罪も必要だったので、ちょうどよかったでしょう」


 クーパー伯爵も、エリアスの意見に同意した。

 アイザックは人の心を読み尽くしている。

 ランカスター伯爵とセスの怒りを鎮めるのに、考え得る最高の方法をとっていた。

 それには、ただただ感心するばかりである。


「しかし、ランカスター伯はよく耐えたな。例え話とはいえ陛下の前で言う事ではないとわかっているが……。もしもパメラと別れるためというふざけた理由で殿下に殺されそうになったら、私は領地に戻って軍を起こしていたところだろう。私がそんな事を考えてしまうほど、理不尽な出来事だったというのに、本当によく耐えた」

「やはり、ジュディスが生きていたという事が大きかったのでしょう。ランカスター伯は王国に混乱をもたらすような事は避けようとしていました。ジュディスが無事だったとはいえ、苦渋の決断ではあったと思います」


 ウィンザー侯爵の物騒な感想に、モーガンが答えた。

 ランカスター伯爵は元外務大臣だったからか、強靭なまでの精神力を持ち合わせている。

 彼の評価も今回の事で上がっているようだ。 


「ジェイソンは大丈夫だ。さすがにパメラとの婚約を解消する事の意味くらい理解している。しかし、若者の暴走というのは厄介なものだが、ここまで大規模な影響を与えるような出来事は初めてではないか? マイケルは愚かな行為で王国史に名前を残してしまったな。奴を後継者にしなければならないというのが、一番厳しい罰だったのかもしれん」


 エリアスも、ウィンザー侯爵の発言を咎めようとはしなかった。

 ジェイソンが、パメラを殺そうとしたのなら、それくらいされてもおかしくない。

「ジェイソンがそんな事をするはずがないから、反乱も起きるはずがない」という信頼があったからこそ、ウィンザー侯爵の発言を聞き流す事ができた。


 王国首脳部は、しばしの間アイザックやマイケルの事をネタに話をしてから解散した。

 あとはブランダー伯爵が約束を履行するかどうかという問題である。

 その結果がどうなるかは、時間が経たねばわからなかった。

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