第327話 慰謝料の請求

 ランカスター伯爵家とブランダー伯爵家の和解の場は、王宮の一室に用意された。

 本来ならば、両家で解決する問題であって、エリアスの出る幕はない。

 しかし「争いを起こさないため」という名目で、強引に王宮で話し合いをさせる事にした。

 両家の仲裁を行なった実績が欲しい――というだけではなく、結末を自分の目で確かめたいという思いもあったからだ。


 ランカスター伯爵家の出席者は、当主のサミュエルと次期当主のダニエルの二人。

 ブランダー伯爵家からは、ハロルド一人が出席していた。

 当事者のジュディスとマイケルはいない。

 ここは後始末を話し合う場であり、感情的になられては話が進まなくなる恐れがあったからだ。


 もう一方の当事者として、セスとハンスも出席していた。

 セスだけでもよかったのだが、アイザックを恐れたセスがハンスにも同行させたのだ。

 当然、この場にはエリアスも出席し、派閥の代表としてウィンザー侯爵とクーパー伯爵も同席している。

 アイザックやモーガンも出席しているので、顔ぶれだけなら豪華なものだった。 


 ――だが、話す内容は豪華とは程遠いもの。

 ――辛気臭い内容になるというのは、始まる前から誰もが理解していた。


 まずは進行役として、クーパー伯爵の秘書官が現状の説明をする。


「ブランダー伯爵家の騎士から聴取した証言、及び火刑に関わった教会関係者から得た証言をまとめております。お手元にある用紙の二ページ目をご覧ください」


 アイザックは自分の前に置かれている書類を見る。

 一枚目には「ジュディス・ランカスター殺人未遂事件」と書かれていた。

 アイザックは文官の悪ノリのように思ったが、他の出席者はタイトルにツッコミをいれようとしない。

 きっと、前世で推理小説のタイトルで「〇〇殺人事件」とかを見過ぎたせいだろう。

 この場にいる者の中で、アイザックだけが不謹慎さを感じていた。


「騎士と教会側の証言の内容から、ブランダー伯爵家の令息であるマイケルの関与が窺えます」


 彼の言う通り、書類にはマイケルが関わっていたという証言が書かれていた。


 しかし、ブランダー伯爵家の騎士の証言には多少のブレが見える。

 マイケルから直接命令された者と、上官から命じられた者との違いだ。

 だが、このくらいのブレはあって当然である。

 これで「虚偽の証言をした」と騎士達を問い詰めるような気などアイザックにはない。


 彼らの証言で最も重要なのは――


「ジュディスが魔女として処刑されるので、ランカスター伯爵家の騎士が邪魔しないように処刑場を警護しろ」


 ――というところだ。


 マイケルがグラハムに命じたかどうかはわからない。

 しかし、ジュディスが処刑される事をわかっていた――誰かに前もって知らされていたという事がわかる。

 少なくとも、グラハムと連絡を取り合っていたという事が推測できる内容だった。


 それに加えて、教会関係者からの事情聴取もマイケルの関与を裏付けていた。

 グラハムが部下に「どうして彼女を調べるんですか?」と聞かれて「可愛い大甥の頼みがあったからだ」と答えていたからだ。

 教会関係者は神に仕えるので結婚しない。

 だから、身内の子供に頼られて嬉しかったのだろう。

 口が滑ってしまったようだ。


 証言内容を見て行くにつれて、ランカスター伯爵とダニエルの表情が険しいものになる。

 ブランダー伯爵は目を泳がせていた。


「また、マイケル・ブランダー本人から証言を取れていないものの、他の女性に恋慕しているという情報もあります。婚約者であるジュディス・ランカスターを亡き者にし、婚約状態を強引に解消しようとしていた疑いも出てきております」


 ダニエルが怒りのあまり、書類をクシャリと握り潰す。 

 別れたいのなら別れたいと言えばいい。

 魔女という疑いをかけて殺してしまおうとするなど、到底許せるものではなかったからだ。


「現状ではどこまで深く関与していたのかはわからないものの、ジュディス・ランカスター殺人未遂事件にマイケル・ブランダーの関与は確実という状況であります。和解の条件を提示されるさいには、その事を念頭に置いてくださいますようお願い申し上げます」


 そう言っておきながら、彼は自分で「これで和解など無理だろう」と思っていた。

 今、この場でブランダー伯爵を殺しにかかってもやむなしという状況である。

 どんな方法で和解を進められるのか、まったく想像ができなかった。

 領地に戻って戦争の準備をし始めてもおかしくない。

 かつては侯爵家の争いを避けるために伯爵家の領地を配置されていたが、そのおかげで侯爵家の領地が邪魔で伯爵家同士の争いができなくなっている。

 過去に転封を提案した者も、伯爵家同士の争いを防ぐ事になるとは思ってもみなかっただろう。


 しかし、彼の危惧した事は起きなかった。

 怒りで顔を真っ赤にしてはいるが、ランカスター伯爵親子は睨むだけで済ませている。

 やはり、エリアスの前だというのが大きい。

 無様な姿を見せられない相手だからだ。

 彼らが何かを言う前に、アイザックが動く。


「今回の件におけるマイケルの責任は重い。ですが『聖女ジュディスが助かった』という事もよく考慮すべきでしょう」


 アイザックは、ジュディスの無事を主張する。

 死んでいればマイケルの廃嫡や処刑、ブランダー伯爵家の取り潰しも求める事ができただろう。

 だが、彼女は生きている。


 ――聖女という肩書きを持って。


 聖女に魔女の汚名を着せて、教会に処刑させようとした。

 それだけでも、マイケルの名声に致命的な傷がつく。

 一生付きまとう評価なので、貴族としてはすでに死んだようなものだ。

「ジュディスが生きているので、わざわざ廃嫡にしたりする必要はない」と、ランカスター伯爵達に吹き込んだ。

 アイザックは、次にブランダー伯爵に対して語りかける。


「とはいえ、ブランダー伯爵家が責任を取って、マイケル本人には処罰なしとはいきません。唯一の子供という事もあり、でき得る限り守りたいだろうとは思いますが、ご自分でもどのような処分を下すかは考えておかれた方がいいでしょう」


 被害者側のランカスター伯爵家にだけ自重を促すのは公平ではない。

 加害者側であるブランダー伯爵家にも、責任を自分で取れと伝える。

 しかし、あまりにも厳しい処分であれば、アイザックが助け舟を出すつもりだった。

 ニコルのためにも、マイケルには無事でいてもらわなければならない。

 自分がマイケルを庇わないといけないのは面倒だが、いつかは見返りがある事を期待して助けるしかない。


「本来なら僕がこうして口出しをするべきではないのでしょうが、マイケルとジュディスの両名を知る者として、黙ってはいられませんでした。僕個人・・・としては『ジュディスさんを助けるのに手間をかけさせられた』とブランダー伯に何かを要求するつもりはありません。ランカスター伯の要求に全力で応えていただければ、それで結構です」

「はっ」


 ブランダー伯爵が頭を下げる。

 ここでアイザックにまで「教会を相手にしての聖女救出は大変だったなー。あー、本当にどうなるかわからなかった」と、チラチラと視線を投げかけられて動いた代償を要求されていたら困るところだった。

 アイザックを怒らせはしたが、節度を保ってくれている事に安堵する。


「では、ランカスター伯。言いたい事があるなら言うがいい」


 エリアスがランカスター伯爵に発言を促す。

 仲裁者としてどう動こうか迷っていたが、幸いな事にアイザックが穏便に済ませようという動きを見せている。

 その流れを断ち切る事なく上手く乗りこなせば、この案件を綺麗にまとめたという結果を得られるかもしれない。

 罵り合いが始まる前に、話を進めようとしていた。


「……エンフィールド公が仰せられたように、ジュディスは助かりました。ですから、ブランダー伯爵家嫡流の唯一の男児であるマイケルの廃嫡や処刑を求めるつもりはございません。金銭による賠償を中心としたものを考えております」


 ランカスター伯爵は苦々しい面持ちで答えた。

 対するブランダー伯爵は、緊張した表情は変わらなかったが、少し和らいだ雰囲気を感じさせる。


「しかしながら、それはあくまでもブランダー伯爵家に求める代償であり、マイケル本人に求める罰ではありません。危害を加えないにしても、社会的な制裁もなく無傷というのでは納得できません。公式の記録に残る形で処罰を与えてください」


 ウェルロッド侯爵家の屋敷に来た時、ランカスター伯爵は金銭による賠償で納得していた。

 しかし、先ほどの報告を聞いて、金銭だけでの解決を認められなくなってしまったようだ。

 マイケル本人に対する処罰を求める。


 この反応はアイザックにとって予想の範疇だった。

 だが「殴らせろ」といった直接的な要求ではないのが厄介だった。


 ――公式の記録に残る処罰。


 エリアスによる叱責なら、罰したとして公式の記録に残る。

 しかし、それくらいではランカスター伯爵も納得しないだろう。

 そうなると、牢に入れて幽閉するといったものくらいしかない。

 だが、そこまでされれば廃嫡と同意義である。

 ブランダー伯爵家の親族が「罪人のマイケルは当主として不適格である」と騒ぎ立てるだろう。

 それでは、マイケルを庇った意味がない。

 ニコルのエサとして、卒業するまでは伯爵家の嫡男・・・・・・という立場でいてもらわなくては困る。

 アイザックとしては、ブランダー伯爵に上手く躱してほしいところだった。


「公式の記録に残る処罰か……。エンフィールド公はどう思う?」

「僕ですか?」


 モーガンやウィンザー侯爵、法務大臣のクーパー伯爵や当事者の親であるブランダー伯爵をすっ飛ばして、エリアスから指名された。

 表面上は取り繕っているものの、アイザックは非常に困ってしまった。


(知らねぇよ、そんなもん。俺が知っているのは国家反逆罪は家族も連座するって事くらいだ……)


 アイザックも何をしたらダメかという、日常生活に必要な法律は学んでいる。

 だが、どこまでが公式の記録に残る処罰かなどという事は、まったく知らなかった。

 法律に関する知識は「日常必要な事」と「反逆に関する事」という両極端なものしか持ち合わせていなかった。

 ここで話を振られても困るだけだ。

 しかし、皆の視線が自分に集まっている。

「わかりません」とは言いにくい状況だった。


(あぁ、もう知らん。やけくそだ)


「僕がチャールズを殴った時の事ですが、停学一週間か一ヶ月にするかで先生方は悩んでおられました。経歴に傷がつくと思われるのが一ヶ月くらいからだからでしょう。ならば、マイケルを長期の停学処分にすればいいのではないでしょうか? 三年生になるまでといったところでいかがでしょうか?」


 アイザックは、自分が知っている範囲で答えた。

 この世界の学校は高校のようなものだが留年がない。

 世間一般で想像される「貴族の馬鹿息子」でも卒業できるようになっている。

 もちろん、成績が軽視されるわけではない。

 役職に就く際には、学生時代の成績が考慮される。

 あまりにも馬鹿だとまともな仕事に就けず、貴族年金で細々と暮らすか平民がやるような仕事をするしかなくなってしまう。


 そして、マイケルは学生だ。

 三年生になるまで停学になれば、二年生の成績は最低のものとなる。

 将来、大臣や高級官僚に誰を指名するか話された際に、書類選考で真っ先に落とされる事になるだろう。

 もっとも、成績を別にして、今回のような騒動を起こすような者は選ばれないというのはわかりきった事だったが。


 アイザックは周囲の反応を見る。

 思ったよりも悪い反応はなかった。

 特にエリアスは、満足そうにうなずいている。


「クーパー伯、どう思う?」


 エリアスが今度はクーパー伯爵に尋ねた。

 法務大臣としての意見を聞きたいと思ったのだろう。

 聞かれたクーパー伯爵は、あごに手を当てて少し考え込む。


「エンフィールド公の意見を採用すれば、マイケルはもうまともな役職には就けなくなります。ですが、ブランダー伯爵家は領地持ちの貴族。領地の収入がありますので、宮廷貴族と違って仕事に就かねば困るという事はありません。公式の記録に残り、今後は貴族社会で肩身の狭い思いをする。ランカスター伯爵が認めるかどうか次第ではありますが、今の状況ではベストな選択でしょう」


(へー、そうなんだ)


「アイザックが言ったから」という補正もあるかもしれない。

 しかし、意外な事にアイザック自身の経験を活かした提案は悪くはなかった。

 問題があるとすれば、ランカスター伯爵が受け入れるかどうかだ。

 そのランカスター伯爵は、ブランダー伯爵を睨んでいる。


「……それに加えて、教会での奉仕活動に従事させましょう。今回は教会にも迷惑をかけておりますので」


 ブランダー伯爵が追加の処罰を申し出た。

 ジュディスを殺しそうになった罪を考えれば、それは微々たるもの。

 だが、ランカスター伯爵を納得させるには、自分から追加の処罰を申し出る事が必要だと察していた。

「処罰の軽重が重要ではなく、申し訳なく思っているという事を態度で示せと要求しているのだ」と。

 だから、彼は自分から教会での奉仕活動を申し出たのだった。


「ならば、それでいい。ただし、婚約は正式に解消。今後、ブランダー伯爵家に関係する者がジュディスに何かした場合は、家を取り潰されても文句は言わない。それと、マイケルにはジュディスに直接謝罪をしてもらう。これらの条件も認めてもらう」

「謝罪に関しては、もとよりそのつもりでした。婚約関係はすでに破綻しているので、婚約の解消に異論はありません。身体の安全を心配するという事も十分理解できます。ですが、今のブランダー伯爵家から距離を取ろうとする者もいるでしょう。行き掛けの駄賃として、ランカスター伯爵家と協力して自作自演の騒動を引き起こす可能性があります。私とマイケル、その他は親族関係の家という範囲内なら受け入れましょう」

「……その心配はもっともな事だ。いいだろう」


 ――ランカスター伯爵家がジュディス襲撃事件を自演する。


 その可能性を指摘される事は、ランカスター伯爵もわかっていた。

 むしろ、これから落ち目になるブランダー伯爵家から距離を置こうとする者を取り込んで、実際にブランダー伯爵家を潰してやろうと思っていたくらいだ。

 無礼な指摘ではあるが、怒鳴り散らすような事はしなかった。

 代わりに怒りに満ちた視線を向けて「そんな事は考えていなかったのに無礼な奴め」という憤りを演じる。


「慰謝料として六十億リードを一年以内に支払う事。払えなかった場合は、資産の差し押さえをさせてもらうという事も認めてもらいます」


 だが、ダニエルは我慢できなかった。

 娘を殺されそうになり「お前達が何をするのかわからなくて怖い」という事をブランダー伯爵に言われた。

「被害者面するな」という憤懣が溢れ出てしまったのだ。

 本来なら五十億リードを要求する予定だったが、十億リードを上乗せして要求する。

 ここで「百億リードを支払え」と言えないのは、特筆する特産物のない領地で生まれ育った者の悲哀である。


「むぅ……」


 マイケルの話題が終わった途端に、多額の慰謝料の要求である。

 しかも、必死になれば払えなくもないギリギリの金額だ。

 この短期間に、ブランダー伯爵家の資産をよく下調べをしているようだった。


(一年の猶予があるのなら払えなくはない。むしろ、それくらいで済むならマシか)


「慰謝料は金銭のみですか?」


 先ほどのマイケルの時のように、あとで条件を上乗せされては困る。

 慰謝料の内容を確認しておくべきだと、ブランダー伯爵は考えた。


「その通り、金銭のみです。破格の要求だと思いますが、断られるのですか?」

「わかりました。受けましょう。ランカスター伯爵もよろしいですか?」


 ブランダー伯爵は金銭のみだとわかると、すぐに了承した。

 現在所有する現金と、支払い期限までの間に入る鉱山の収入で支払える範囲だ。

 一時的に節約しなくてはならないが、それで済むのだから断る理由がない。

 マイケルのしでかした事を考えれば、まさに破格の条件だった。

 思わず笑みがこぼれる。


 それを見て、ランカスター伯爵は顔をしかめる。

 大金ではあるが、それがブランダー伯爵家を傾けるような致命傷ではない。

 余裕をもって対応できる程度のものだった事が悔しかったのだ。


「かまわん」


 しかし、六十億リードの現金はランカスター伯爵家にとって無視できるものではない。

 アイザックに五十億リードという大金を借りたままだ。

 いつまでも借りたままではいられないので、借りた金を返さなければならない。

 気に食わなくとも、受け入れるという選択しかなかった。


「それでは、マイケル・ブランダーは三年生になるまでは停学処分となり、その間は教会での奉仕活動に従事する。ブランダー伯爵家は逆恨みしてジュディス・ランカスターに手出しをしない事。手出しをした場合、家を取り潰す。慰謝料として六十億リードを一年以内に支払う。これらの条件でよろしいでしょうか?」


 クーパー伯爵の秘書官が条件をまとめる。


「それでいい」

「その条件を認める」


 ランカスター伯爵とブランダー伯爵が条件を認める。

 このあとは、誤解を招かない内容の文章を作成して、二人にサインしてもらうだけだ。

 両家の関係は険悪のままではあるが、暗殺者の応酬などの最悪の事態は避けられた。

 この場に「一段落した」という弛緩した空気が流れる。


 ――しかし、ここで空気を読まない者がいた。


「では、次の議題に移りましょう」


 ――アイザックだ。


 誰もが「次の議題?」と不思議そうに首をかしげる。


「マイケルがジュディスさんを魔女として告発する。そこまでは誰にでもできます。では、なぜ処刑寸前にまで話が進んでしまったのか。それはマイケルだけではなく、家ぐるみでジュディスさんを亡き者にしようと画策していたからではないでしょうか?」

「エンフィールド公! なにを仰る!」


 ブランダー伯爵が椅子から飛び上がるように立った。

 アイザックの言っている事は、ブランダー伯爵家を潰しかねない内容だったからだ。

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