第326話 ブランダー伯爵との面会

 ランカスター伯爵が王都に到着した翌日。

 夕食後に、アイザックはモーガンと話をしていた。

 用件は、やはりジュディスに関する事だ。


「お前がアダムズ伯爵を使おうと考えたのは正解だった。彼が部下を使って色々と調べてくれたおかげで、請求金額がある程度決まった。ブランダー伯爵が散財をしているという話も聞かないので、二十億リードから四十億リードの現金を持っていると予想されるらしい。よってその倍額くらいは要求しようという事になった」

「二十億以上ですか。結構貯め込んでますね」


 ウェルロッド侯爵家の財産で考えれば、二十億リードくらいは気にする事はないレベルである。

 しかし、現金で・・・となると話は違う。


 十年以上前ではあるが、ランドルフがブラーク商会のデニスから一億リードの取引を持ち掛けられた事がある。

 ウェルロッド侯爵家でも、当時は現金の一億リードは大金だった。

 当然、現金自体はある。

 だが、そのほとんどは領地の運営に使われるもの。

 自由に使えるものとなると、非常に限られた額になる。


 ――その自由になる金を二十億リード以上も伯爵家が持っている。


 それだけで、鉱山収入でたんまりと稼いでいるのがよくわかる。

 今までは農業や林業、商業といったもので運営できていたのだ。

 そこに鉱業が加わり、その増益分が丸々浮いているのだろう。

 しかし、アイザックは一つの疑問が浮かぶ。


「鉱山を開発するために資金を投じたりもしているでしょう。その分を考慮しておかないといけないのではありませんか? それに、付き合いのある貴族に金を貸したりもしているはずです。二十億リード以上も持っているかは疑問です」


 アイザックの疑問は「納税額から逆算するだけでは正しい額がわからないのではないか?」というものだった。

 無茶な金額を請求して、ブランダー伯爵家が潰れてしまっては困る事になる。

 ここは慎重な対応をしておきたかった。


「その心配はない。財務省の官僚を動員して、ウォリック侯爵領にある鉱山の過去の情報などを参考にし、鉱山の開発や運営に必要な資金を算出してくれた。それも計算にいれての事だ。アダムズ伯爵はよくやってくれたぞ」


 アイザックの心配をモーガンが笑い飛ばした。

 だが、アイザックは笑えなかった。


(官僚に恨まれそうだな……)


 アイザックに頼まれたアダムズ伯爵は、チャールズの件もあるのでおそらく必死に取り組んでくれたはずだ。

 公私混同など気にせず、部下にも手伝うように命じたのだろう。

 日常の業務をこなしつつ、本来の役割に関係のない余計な仕事をこなさなくてはならなくなった。

 残業や休日出勤もする事になったと思われる。

 いい発想だと思ったが、財務省という重要な部署の官僚に不満を持たせたかもしれないと考えると、良い事ばかりではなかったようにも思える。


「そうですね。アダムズ伯爵はよくやってくれたみたいで安心しました」


 誰に聞かせているわけでもないが、アイザックはアダムズ伯爵に責任をなすりつけた。

「自分が官僚を使えと命じたわけではない」と思う事で、アイザックは考えないようにした。


「チャールズの事があるので、彼も必死だ。お前から頼まれて喜んでいたぞ。少しは借りを返せるとな」

「借りを返すのなら、ティファニーやハリファックス子爵に返すべきだとは思うんですけどね。まぁ、そう思うのをわかって僕も頼んだんですけど」


 アイザックもわかって頼んでいた。

 何もせず放置では、アダムズ伯爵も今後どうなるか不安だろうと思ったからだ。

 チャールズはともかく、アダムズ伯爵には恨みはないので、仕事を与える事で気分を軽くさせてやろうとしていた。


「ブランダー伯も到着したようなので、明日陛下の仲介で話し合いが行われる。お前も学校を休んで同席しなさい」

「わかりました」


 事件に居合わせた当事者として呼び出されるのはわかっていた。

 呼ばれなくても、何か理由をつけて出席していただろう。

 ランカスター伯爵も冷静な判断ができているようだったが、ブランダー伯爵をいざ前にしたらマイケルの処刑を要求したりするかもしれない。

 マイケルを守るためにも、同席しなければいけなかった。

 来いというのなら大歓迎だ。


「しかし、呼び出しなら使者を送ってくるんじゃないんですか?」

「私がそうだ。侯爵家の当主が使者ではご不満ですか? 閣下」


 モーガンがおどけてみせると、アイザックが小さく笑う。


「お爺様は、サプライズとかやっていた頃より接しやすくなられましたね」

「あの事は言わんでくれ。……まったく、あんな事を教えてきた奴をどうして助けてやらねばならんのだ」


 モーガンがぶつくさと文句を言う。

 だが、ランカスター伯爵もモーガンがケンドラの出産を黙っていて、アイザックへのサプライズのネタにするとは思っていなかったはずだ。

 さすがに責任を問うのは難しい。

 アイザックも、どちらかといえば加減をわかっていなかったモーガンに非があると思っていた。

 モーガンがランカスター伯爵家を救う事に関して自問自答し始めたところで、来客の知らせが入った。


 ――来客の名は、ハロルド・ブランダー伯爵。


 マイケルの父親だ。

 突然の来訪ではあるが、これは予想できる範囲内だった。

 ジュディスを助けたアイザックを説得し、マイケルの情状酌量を求めるのだろう。

 アイザックはモーガンを見る。

 すると、モーガンもアイザックを見ていた。


「どうします?」

「ブランダー伯爵家を取り潰すのでもない限り、今後も付き合いをしていかねばならん。門前払いというわけにもいかんだろう」

「でしょうね」


 モーガンは会うという選択をする。

 それにアイザックも異存はなかった。

 モーガンが使用人に応接室へ案内するように命じる。

 だが、アイザック達はすぐに応接室に向かおうとはしなかった。

 動こうとしないアイザックを見て、モーガンは満足そうにうなずく。


 やらかしたのはマイケルで、ブランダー伯は助けを求めねばならない立場。

 少し待たせて焦らした方が、こちらに有利な条件を引き出せる。

 アイザックがその事を理解している事を喜んでいた。


(いや、この程度の事は理解していて当然か)


 モーガンは、ブランダー伯爵家の騎士から上手く自白を引き出したアイザックの手腕を思い出す。

 相手を焦らす程度の事など、今のアイザックにとっては交渉のテクニックではないはずだ。

 成長し過ぎた孫の姿を見て、安心と畏怖を覚える。


 そのアイザックはというと――


(あれ? 行かないの?)


 ――と思っていた。


 ウェルロッド侯爵家の屋敷に訪ねてきたのだから、会うのはモーガンがメインだろうとアイザックは思っていた。

 モーガンが動かないので、アイザックもどうしていいのか迷って座ったままになっているだけ。

 モーガンの完全な買い被りとなっていた。



 ----------



 しばらく雑談をしてから、アイザックはモーガンと共に応接室に向かう。

 ドアを開けると、椅子に座らずに立ったまま待っていたブランダー伯爵と出くわす。


「エンフィールド公、ウェルロッド侯。このような時間に突然の来訪、大変申し訳ございません。マイケルの事でお話があってお訪ねいたしました」


 ブランダー伯爵は、まず突然訪ねてきた事を謝った。

 そして、アイザックに近付く。


「エンフィールド公のおかげで、ささやかな行き違いでジュディス嬢を死なせずに済みました。ありがとうございました!」

「僕もジュディスさんは助けたかったので……」


 ブランダー伯爵がグイグイ押してくるので、アイザックはちょっと引き気味だった。

 今までパーティー会場で軽く挨拶を交わした程度の面識なので、ここまで押してくるとは思わなかったからだ。

 なによりも、マイケルの父親だという事が先入観に大きく影響していた。

 容姿は椅子に座って、ワイングラス片手に猫を撫でながら笑っている姿が似合いそうなタイプだった。

 しかし、声ははきはきとして心地が良い。

 マイケルとは違い、明るそうな印象を受けるものだった。


 だが、その内面は違う。

 彼としては、ジュディスに死んでいてほしかった。

 そうすれば「ジュディスは魔女だったから仕方ない」で押し通す事ができた。

 責任を問われても「魔女だと認めて刑を執行した教会側に責任がある」と強弁する事もできたのだ。

 とはいえ、そんな態度はおくびにも出さない。

 マイケルが告発していたという事実が知られ、ジュディスが助かっている。

 使えない言い訳にこだわるより、今できる事をするべきだとブランダー伯爵は考えていた。


「証言を取られた騎士から話を聞きました。エンフィールド公は、マイケルとの友情から公正な裁きを受けさせたいと。それは事実なのでしょうか?」

「ええ、事実ですよ。証言がなければ、一方的にマイケルを悪者にできますからね。ランカスター伯がどう考えているかはわかりませんが、ブランダー伯爵家のお取り潰しとかまでいくのはやり過ぎな気もしましたから」

「ありがとうございます。エンフィールド公のご温情には、感謝の念に堪えません」


 ブランダー伯爵は涙を流し始める。

 アイザックは、その涙を見て「マイケルみたいな息子を持って大変だな」と同情してしまう。


「まずは座って話そうではないか」


 モーガンがこの場をリードする。

 立場ではアイザックが上だが、ここはウェルロッド侯爵家の屋敷の中。

 公式の訪問ならともかく、今回は私的な訪問という事もあり、家長であるモーガンが取り仕切ろうとしていた。

 アイザックとモーガンが座ったのを確認してから、ブランダー伯爵は「失礼します」と言ってから椅子に座る。


「それで用件は?」

「ウェルロッド侯とランカスター伯の仲は、私もよく存じております。ですので、協力の要請ではなく、こちらの事情の説明をさせていただこうと思い参った次第です」


 ブランダー伯爵家がランカスター伯爵家と婚約関係にあったから、モーガン達の関係を知っていたというわけではない。

 それくらいの事は誰もが知っている事。

 そして、誰もが知っている仲の良さだからこそ、ウェルロッド侯爵家の協力は得られないというのはわかりきった事。

 助けを求めるのではなく、必要以上に敵対しないよう説得するために彼は訪れていた。


「まずはマイケルが告発したという事。これは事実です。婚約者であるジュディス嬢を告発するなど、本当に情けない事をしました」

「そうだな」


 ブランダー伯爵の言葉にモーガンがうなずく。

 マイケルがニコルに告白したという事は、貴族社会に広まっている。


 ――ジュディスに別れを切り出す事ができず、魔女として処刑させる事で関係を切ろうとしたのでは?


 というような噂も流れているくらいだ。

 別れ話の一つも切り出せない情けない男として、マイケルは馬鹿にされている。

 代わりに、アイザックを前にしてティファニーに別れを切り出したチャールズを見直す動きがあるくらいだ。

 モーガンもマイケルの行動に庇える点が見つからないので「そんな事はない」とは言わなかった。

 ブランダー伯爵も、モーガンの態度を当然との事だと受け止めていた。


「しかし、一点だけ。一点だけ覚えておいていただきたい事があるのです。マイケルは確かにジュディスを魔女かもしれない・・・・・・・・と告発しました。ですが、その告発を受けて証拠を集め、実際に処刑まで進めたのは誰か? それはグラハムとセス大司教猊下ではありませんか?」


 ブランダー伯爵の言い分に、今度はモーガンも反応を示さず、黙ってブランダー伯爵を見るだけだった。

 この主張は予想されるものだった。

 そして、言い返しにくいものでもあった。


 グラハムが生きていれば、ブランダー伯爵家の関与を証言させる事ができたかもしれない。

 だが、グラハムが死んでしまった以上、どこまでブランダー伯爵家がジュディスの処刑に積極的な動きを見せていたのかわからなくなった。

 アイザックが考えた通り、100%の責任をブランダー伯爵家に被せる事ができない状態である。

 それをブランダー伯爵は主張する。


 これは「もしも、マイケルやブランダー伯爵家に厳しい責任を問うのなら、セスにも責任を取らせろ」というものだ。

 当然、リード王国の教会を取り纏める大司教のセスに責任を取らせるのは難しい。

 セスを一蓮托生として巻き込む事で、ブランダー伯爵家の安全を確保しようとしていた。


「その事はわかっています。なんのためにドサクサに紛れて、グラハムを火刑にしたと思っているのですか」

「へっ……」


 この主張は、自分でも完璧なものだと思っていた。

 それがアイザックに用意されたものだと知り、ブランダー伯爵の思考がフリーズする。


「ジュディスさんは助かった。けれども、マイケルとの友情もある。だから、廃嫡や家のお取り潰しといった厳しい処罰を求める必要はない。そう思ったんですよ。なのに、グラハムにベラベラと喋られたら困るじゃないですか。彼はいない方が都合がよかったんです。ですから、その場の流れを利用して、彼を火刑にする事にしたんですよ」


 グラハムがいない方が都合がいいというのは本当の事だ。

 しかし、それはブランダー伯爵家のためではない。

 アイザック自身のためだ。

 結果的に、ブランダー伯爵家のためになっているというだけに過ぎない。

 だが、ブランダー伯爵には違った。

「本当にマイケルがそこまで仲良くなっていたのか?」と不思議がる。


 ウェルロッド侯爵家の当たり年のいる間は、リード王国内外で粛清の嵐が吹き荒れる。

 こんな混乱を起こしたマイケルを、アイザックは許さないだろうと思っていた。

 なのに、そのアイザックがマイケルを庇っているのだ。

 アイザックの言葉は、ブランダー伯爵には想像すらした事のないものだった。


「お心遣いありがとうございます」


 咄嗟に言葉が出てこず、それだけしか言えなかった。

 モーガンは「聞いていた事とは違うぞ?」と思い、心配そうな顔でアイザックを見る。

 また悪巧みをしていそうだったからだ。


「でも、グラハムがいなくなったからといって、完全に罪が消えたわけではないですよ。マイケルが告発したという事は事実。騎士の証言で、マイケルがジュディスさんの処刑をランカスター伯爵家の者に邪魔させないよう動いていたという事もわかっています。マイケルがジュディスさんに間接的に危害を加えようとしていたのは明白です。ランカスター伯爵家に対して謝罪と賠償は必要となるでしょう」

「はい、その事は重々承知しております」


 責任を感じていますという口調で答えたが、ブランダー伯爵は安心していた。

 もしもアイザックが「マイケル許すまじ!」と怒っていたのなら、きっとエリアスはブランダー伯爵家を取り潰していただろう。

 王国内で最もエリアスの考えに影響を及ぼすであろうアイザックが、マイケルを守るために動いてくれている。

 明日の交渉に希望が見えたのだ。

 安心するのも無理はない。


「マイケルが関与していたとはいえ、教会側が中心となって行動していた以上、廃嫡や処刑といった処罰を求めるのは厳しいでしょう。僕もランカスター伯爵家に賠償金の支払いなどで済ませるように説得しておきます。精一杯の謝罪をなさるのがいいでしょう」

「ありがとうございます!」


 金で済むのなら、ブランダー伯爵には何も異存はない。

 金額にもよるが、時間をかければ返せる額に抑えれば致命的ではないはずだ。

「実は全部嘘」と言われてもおかしくないくらいにアイザックが協力的なのが怖いが、この流れはブランダー伯爵にとって最高の展開だった。


 ――謝罪を済ませて和解ができたかどうかの差は大きい。


 一時的にブランダー伯爵家の権威は地に落ちるだろうが、時間が経てば取り戻せる。


(そうか。エンフィールド公は、ブランダー伯爵家の金を目当てにしているんだ)


 ブランダー伯爵は、そう考えた。

 マイケルとの個人的な友情よりも、そう考えるのが自然だったからだ。

 私利私欲のためではなく、リード王国のためになる事をさせようというのだろう。

 大きな事をするには金がかかる。

 今もドワーフ相手に科学研究所とかいうものを建てて、共同研究をしているらしい。

 その金を出させるつもりなのだろう。


 しかし、それはそれで悪くはない。

 ドワーフとの友好に役立つのなら、それはブランダー伯爵家にとっても悪い話ではない。

 何か成果をあげたら、資金を出していたブランダー伯爵家の評価も上がる。

 これは良い利用のされ方だ。

 アイザックと関係を深めるきっかけになるかもしれない。

 敵に回すのが厄介な相手なら、その下で都合の良い駒として使われた方がいい。

 ブランダー伯爵は「鉱山の開発をしていてよかった」と、自分の判断が正しかった事を実感していた。


 モーガンも似たような事を考えていた。

 だが、こちらは「恩を売っておいて何かに利用したいのだな」という程度である。

 金という点では、ウェルロッド侯爵家は莫大な資産を築き上げているからだ。


 これはアイザックの「ドワーフ製の商品を一度買い上げて、倍額で商人に卸す」という自主的な関税のおかげだった。

 本来なら関税として王家に入るはずの金が、すべてウェルロッド侯爵家に入ってきている。

 先の戦争のせいで一時的になくなってしまったが、領地ではこの一年半ほどで二百億リード相当の現金を貯め込んでいる。

 ドワーフ製品を買い取ったり、贈答品として様々な家に贈り届けていたりしても貯まる一方だった。

 ドワーフとの取引量が増えれば増えるほど、ウェルロッド侯爵家に入ってくる金も比例して増えるからである。


 ブランダー伯爵家との資金差は、素材と加工品との違いによるものだ。

 1kg分の鉄と、1kg分の加工品とでは値段が雲泥の差がある。

 その加工品の価格分が収入として入ってくるので、ウェルロッド侯爵家は短期間で蓄財ができていた。

 傘下の貴族に支援をしても余裕があるので、アイザックが資金面でブランダー伯爵家に頼るなどとは思っていなかった。

 中立派の貴族に対する根回しなどで利用するのだろうと思うくらいである。

 さすがに「マイケルがいないとニコルの動きが読めない」などという理由は考えもしなかった。


 ――自分に利用価値があるとわかれば、人は安心する。


 今はブランダー伯爵家の分が悪い。

 普通なら、深い付き合いのあるランカスター伯爵家の肩を持つところである。

 利用価値がないのに、友情というだけでマイケルやブランダー伯爵家を助ける理由などない。

 ブランダー伯爵も「自分達を利用するために助けようとしているのだ」と、アイザックなりにちゃんとした理由があると思って安心した。


 ――安心してしまった。


「エンフィールド公のご配慮に感謝致します。何かご用命があれば、なんなりとお申し付けください。しかし、マイケルだけではなく、アダムズ伯爵家のチャールズまで魅了するネトルホールズ女男爵こそ魔女なのではないでしょうか」


 そのせいで言わなくてもいい事を言葉にしてしまう。


「ニコ――ネトルホールズ女男爵が?」


 アイザックの顔が強張る。

 そこには触れてほしくなかったからだ。


「ランカスター伯爵はエンフィールド公と共に戦った先の戦争の英雄。その孫娘との婚約を破談にしようなどおかしいではありませんか。それに、チャールズの婚約者だったハリファックス子爵家のティファニー嬢は、エンフィールド公の従姉妹という立場。しかも、次期ウェルロッド侯爵夫人の姪という事もあり、普通の者なら婚約を解消しようなどとは思わないでしょう。ニコル・ネトルホールズ女男爵こそ、本物の――」

 

 ――ニコル・ネトルホールズ女男爵こそ、本物の魔女。


 そう言おうとしたところで、アイザックが鬼の形相で睨んでいる事に気付いた。


(ニコルを魔女扱いにする? って事は、こいつはニコルを魔女として告発する気か!?)


 アイザックはブランダー伯爵の発言が許せなかった。


 ――自分が苦心してマイケルを助けようとしているのは誰のためなのか。


 ニコルがいなければ、マイケルやブランダー伯爵家を助ける理由などない。

 ランカスター伯爵に肩入れして、徹底的に叩き潰してやってもいいくらいだ。


(マイケルがいなくなっても、その分は俺がニコルをフォローすればなんとかなるかもしれない。いっその事、本当に叩き潰すか)


 沸々と怒りがこみ上げてくる。

 今すぐにでも掴みかかりたいくらいだが、それではダメだ。

 根絶やしにするには、明日の会議でエリアスにブランダー伯爵家の取り潰しを願い出てからの方がいい。

 名分というものは大切だからだ。


「ネトルホールズ女男爵の祖父だった先代のネトルホールズ男爵は、アイザックの家庭教師をしていたのだ。ネトルホールズ女男爵個人とも交流がある。だから怒っているのだろう」


 アイザックの怒りを感じ取ったモーガンが、ブランダー伯爵に説明をする。


「失念しておりました。誠に申し訳ございません」


 ブランダー伯爵は、机に頭をぶつけんばかりに勢いよく頭を下げる。

 貴族社会では交流関係の把握が重要だが、十年以上前に半年ほど家庭教師をしていたというのは些細な事。

 うっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

 本来ならば補佐する秘書官も、アイザックの靴の裏を舐めてでも許しを乞うつもりだったブランダー伯爵が同席させていなかったが、そのせいだけではない。

 ブランダー伯爵は、アイザックの駒としての安全を確保した事で安心し過ぎて、言わなくてもいい事を言ってしまった。

 その事を本気で深く反省する。


 アイザックも、モーガンが説明したのを聞いて、怒りが顔に出ていた事を反省して落ち着きを取り戻そうとしていた。


「ネトルホールズ女男爵は美しい方だと思います。ですが、惚れられるのが罪ではないでしょう。ネトルホールズ女男爵を魔女だというのなら、教会を騙して婚約者を殺させようとしたマイケルの方がよっぽど邪悪な存在です。マイケルを異端審問にかけられたくなければ、二度とそんな事を口にしないでください」

「……息子を守ろうとするために言い過ぎてしまいました。申し訳ございません」


 ブランダー伯爵は、何度も「申し訳ございません」と繰り返す。

 まだ激しい怒りは心の中にあるが、モーガンに様子を見られている事に気付いて、アイザックは表面上は取り繕おうとする。


「ブランダー伯爵」

「はい」


 ブランダー伯爵は頭を下げたまま、体をビクリと震わせる。


「約束は約束です。一度言葉にした事を覆すような事はしません。それは保証します。ですが、マイケルのしでかした事の責任を他人になすりつけようとしないでください。不愉快です」


 表面を取り繕おうとしたが、やはり怒りが滲み出てしまっている。

 ブランダー伯爵は、アイザックの触れてはいけないところに触れてしまった事を後悔する。

 このあともずっと謝り続ける。

 鬱陶しくなったアイザックに帰るようにうながされるまで。



 ----------



 ブランダー伯爵が退出すると、モーガンがアイザックに話しかける。


「ブランダー伯爵家には賠償金を支払わせるだけでいいのか?」

「基本的には、そうしようと思っています」


 モーガンはニコルの事を聞いたりしなかった。

 ニコルが男爵家の当主とはいえ、ブランダー伯爵が彼の息子と同じ年頃の娘に責任をなすりつけようとしたのは彼も不愉快だったからだ。

 アイザックはニコルと顔見知りでもあるので、怒るのも当然のものだと思っていたから、怒った理由を一々聞いたりしなかった。


「ですが、少し足りない気もしますね。マイケルだけではなく、ブランダー伯にも反省を促す必要があるでしょう。お爺様、ウェルロッドにあるお金を使ってもいいですか?」

「かまわんぞ。あの金はお前が稼いだようなものだしな。ただ、今すぐには無理だぞ。運ぶのに時間がかかる」

「わかっています。それは僕がなんとかします。許可をいただけるのなら、それで結構です」


(ふざけるなよ。ニコルには絶対手出しをさせない。余計な事を考えても実行できなくしてやる)


 約束は守る。

 だから、マイケルやブランダー伯爵家を叩き潰すような真似はしない。

 だが、約束していない部分は違う。

 影響力を削がないなどとは一言も言っていない。

 アイザックはブランダー伯爵が「ニコルは魔女だ」と言っても、誰も信じないようにするつもりだった。

 そのために、彼の影響力を極限まで小さなものにする必要があった。


 モーガンはアイザックが怒っている事を理解している。

 その上で、止めようとはしなかった。

 約束は守ると言った以上、ブランダー伯爵家に過剰な処罰はしないはずだ。

 それに、マイケルの愚かな行為とブランダー伯爵の失言には、彼も失望していた。

 少しくらいはお灸を据えた方がいいと思っていた。

 これには「ダメだと言って他の家を巻き込むような事をされるより、我が家から素直に金を出しておいた方がマシかもしれない」という考えも含まれていた。


 ――たった一言の失言。


 だが、それはパメラの次に触れてはいけないものだった。

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