第292話 ティファニー、ジェイソンの側室候補に!?

 二月に入ると、アイザックの心は浮き立っていた。

 もうすぐバレンタインデーだからだ。

 この世界におけるバレンタインデーの内容は重い。

 気軽に男の子にプレゼントを渡せはしない。

 それでも「義理チョコみたいなものをくれないかな」と期待してしまう。


 せっかくイケメンに生まれたのだ。

「ちょっとくらいは、バレンタインデーを前にワクワクしてもいいだろう」とアイザックは思っていた。

 ようやく家族以外から何か貰えるかもしれないからだ。

 今まで義理チョコは残酷な文化だと思っていたが、いざ自分が貰えるかもしれないとなると「義理チョコの文化はやっぱり広まってほしい」と思い直していた。

 前世からの悲願が叶うかもしれないので、帰宅の足取りも軽い。


「ただいま」


 玄関ホールにいたメイドに対する挨拶も、普段よりも明るいものになる。

 だが今回、アイザックに声をかけられたメイドの返事は少し暗いものだった。


「お帰りなさいませ、アイザック様。ハリファックス子爵夫妻がお待ちです」

「ハリファックスのお爺様達が? 用件は聞いてる?」

「いえ、ご用件までは……。ただ、深刻そうなお顔をしておられましたので、何か大事な用件ではないかと思われます。ランドルフ様やご家族の皆様方と応接室にいらっしゃるはずです」

「そうか、わかった。なら、応接室に行ってみるよ」


 アイザックはカバンをメイドに渡す。

 こうして仕事を任せるという事は、相手を信頼しているという意思表示でもある。

 むしろ、カバンを預けない方が「信頼していませんよ」と言っているようなもの。

 前世のノリで「カバンくらい自分で部屋に持っていこう」とするのは褒められた行動ではない。

 前世とは逆で、人に任せた方がいいという価値観だ。

 入学当初は戸惑っていたが、今ではメイドに自然な動きでカバンを預けられるようになっていた。


 メイドにカバンを預けると、アイザックは応接室に向かう。

 着替えるべきかもしれないが、相手は身内だ。

 学生服で会っても問題はない。

 それに、大事な用件があるのなら早めに会っておいた方がいいだろうと思っていたので、着替える時間を惜しむ気持ちもあった。

 浮ついた気分は消え、足取りも自然と早くなる。


 応接室には、仕事で家にいないモーガン以外の家族が揃っていた。

 マーガレットとランドルフ、ルシアの三人が並んで座り、正面にハリファックス子爵夫妻が座っている。

 そして、二人の間に座って笑顔を見せるケンドラの可愛さがアイザックの視界に入った。


「ただいま帰りました」

「お帰りなさい」


 最初にルシアが返事をする。

 彼女は困った顔をしていた。

 いや、彼女だけではない。

 他の者達も似たような表情だ。

 ハリファックス子爵夫妻が立ち上がり、アイザックに一礼する。


「お帰りなさいませ、エンフィールド公」

「……孫に対しての話ではなく、公爵に対しての話というわけですか?」


 祖父の態度を見て、アイザックはそう判断する。

 いくらマーガレットがいるとはいえ、プライベートな場で孫に接するのにそこまでかしこまる必要はない。

 それだけ重要な話を持ち込んできたというわけだ。

 だが、だからこそアイザックは優しい笑みを浮かべる。


「内容を聞かないと、どう答えていいかわかりません。まずは孫に話すという体で聞かせてください」


 これは祖父母に対するアイザックの気遣いだ。

 特に祖父のフィルディナンドは、ジュードのせいでまともに交流できる親族がいないウェルロッド侯爵家にとって貴重な親族である。

 アイザックにとっても数少ない味方だった。

 精神的に助けられた事もある。

 その祖父が助けを求めているのだ。

 アイザックも助けられる事があるのなら助けてあげたかった。


 立場を考えれば、いつもモーガンが座っている上座に座るべきだったが、今回は違う。

 ケンドラを抱き上げ、彼女が座っていたところに座り、膝に妹を座らせる。

 左右に座る祖父母の顔を見て、優しく微笑む。


「せっかく来てくださったのです。いきなり公爵に対してというのでは、僕も寂しいですから」

「アイザック……」

「本当に立派になって……」


 ハリファックス子爵夫妻が目を潤ませる。

 ティファニーとチャールズの間で問題が起きた時にも感じていたが、アイザックは実力だけではなく優しさも兼ね備えた立派な青年に成長している。

 普段はウェルロッド侯爵家に遠慮して会っていない分、こうして接した時に、より一層アイザックの成長を感じる事ができた。

 彼らはアイザックの言葉に甘えて、そのまま席に着く。

 そして、用件を話し出した。


「実は今日、王宮に呼び出された。パーティーに呼ばれる事はあっても、個人として呼ばれる事はなかった。だが、不思議に思ったりはしなかった。呼び出される心当たりがあったからだ」


 フィルディナンドは、アイザックをジッと見る。

 その目を見なくても、フィルディナンドが王宮に呼び出されたというだけでアイザックには予想がついた。


「僕の事でしょうか?」


 フィルディナンドは母方の祖父。

 その線を使って、アイザックとの関係を強化したい。

 どうせ、そんなところだろうと、アイザックは思っていた。

 だが、フィルディナンドの表情は渋い。


「そう思っていた。しかし、それは違った。陛下の用件はティファニーに関してだった」

「えっ、ティファニーですか!?」


 この答えは予想外だった。

 思わず周囲を見回す。

 アイザックが帰る前に話を聞いていたのだろう。

 今の話を聞いて驚きはしなかったが、困惑の色が見える。

 マーガレットのみ、なぜかそれが当たり前かのような態度を取っていた。


「そうよ。陛下は婚約者がいなくなったティファニーを殿下の側室に考えていると仰ったの」

「ええっ!」


 祖母のジョアンヌが詳しい理由を話すと、アイザックは目をひん剥いて驚いた。


「そういえば、王族に年頃の娘がいれば僕と婚約させたかったと仰っておいででした。ティファニーと殿下を婚約させる事で、僕との関係を強化する――という事でしょうか」


(これは原作になかったよな? あったら主なイベントみたいなので書いてたよな? っていう事は、やっぱり俺のせいなのか?)


 婚約者を奪われた女の子は酷い目に遭うのが基本的な流れだ。

 だが「婚約者を奪われたあとでジェイソンの側室になる」などという救済は行われなかった。

 そんなイベントがあるなら、攻略サイトに書かれていたはずだ。

 これは原作の流れを壊して、公爵にまでなってしまった自分のせいだとアイザックは気付く。


「そういう事だろう」


 フィルディナンドがアイザックの言葉を肯定する。

 本来ならば、娘が王太子の側室に選ばれるのは貴族にとって最高の栄誉。

 だが、その顔には喜びの色は見えなかった。


「理由はどうあれ、ジェイソン殿下の側室候補に選ばれるのは喜ばしい事だ。しかし、心からは喜べん」


 彼はルシアに視線を移す。


「心底惚れて『幸せにします。守ります』と言われたルシアですら肩身の狭い思いをさせられていた。なら、殿下が望んだものではなく、ただ政治的な理由でのみ求められたティファニーは王宮でどうなるか? 考えるまでもないだろう」


 ランドルフに対して言外に意味を含む・・・・・・・・どころか、直接嫌みを言っているようなものである。

 嫌みを隠す気のない義父の言葉に、ランドルフの目が泳ぐ。

 彼はその言葉を否定したりはしなかった。

 ルシアやアイザックに肩身の狭い思いをさせていたのは事実。

 本人達を前に「そんな事はありませんでした」とは言えなかった。


「ハリファックス子爵、今はそんな事を言っている時ではないのではないですか?」


 マーガレットがフィルディナンドをたしなめる。

 その言葉自体は間違っていない。

 今はティファニーがジェイソンの側室に選ばれるかどうかの大事な時。

 ランドルフを責めるより、そちらの話を優先すべき時だった。

 間違っていたとすれば、彼女が家庭内の混乱を助長した立場だったという事だろう。

 だが、この場でその事を知っているのはアイザックのみ。

 他の者達には冷静に場を取り仕切ろうとしているようにしか見えなかった。


「ティファニーは王宮で上手く生きていけるようなタイプではないでしょう。できれば、上手く断りたいところですね」


 アイザックは、フィルディナンドの心配に同意する。

 というよりも、アイザック個人の考えでも断らせておきたいところだった。


(チャールズにフラれて、ジェイソンにまでフラれるとかいう二重苦を背負う必要はないからな)


 ジェイソンはパメラとの婚約を破棄するくらいだ。

 側室に選ばれたティファニーとの婚約もなかった事にするだろう。

 しかも、ただの恋人ではなく、婚約者だ。

 短期間で二人の婚約者に捨てられるなど、その精神的ダメージの大きさは計り知れない。

 ジェイソンとの婚約は、アイザックとしても断らせてやりたいところだった。


「陛下が考えられた事を否定するわけにはいかないだろう。しかし、ティファニーのために何かしてやりたい。だから、家に話を持ち帰る前に、いい知恵がないかを聞きにきたんだ」

「いえ、ですから穏便に断りましょう。正式な決定ではなく、考えているという段階なのですよね? なら、まだ間に合うでしょう」


 アイザックの中では断らせる方向で固まっていた。

 さすがにこれ以上ティファニーが不幸になる姿は見たくはない。

 彼女は従姉妹で、大事な友人でもあるのだから。


 しかし、それはアイザックだから考える事。

 他の者達は、そうは考えなかった。


「殿下の側室に選ばれるのは名誉な事よ。特に婚約者に捨てられた娘にとっては望外の申し出。それを断るなんてありえませんよ」


 マーガレットがアイザックの考えを否定する。

 彼女の考えは貴族として正しかった。

 その事はアイザックもわかっている。

 だが、将来の事を抜きにしても、この婚約は断わらせようと思っていた。


「確かにお婆様の言う事は正しいのかもしれません。お爺様達もその事はわかっているはずです。それでも、何かいい案がないか聞きにきたという事は、心のどこかで断りたいという気持ちがあるからです。僕はその気持ちを尊重したいと思います」


 マーガレットは一度溜息を吐くと、それ以上は何も言わなかった。

 今アイザックが言った事は、彼女も感じていた事だ。

「王族と繋がりを持てた。ラッキー!」と考えるような者達なら、ルシアの事も「侯爵家の跡取り息子と結婚できてよかった」と思うだけで、肩身の狭い思いをしているかどうかなど気にも留めなかったはず。

 家族への愛が深いだけに、内心では今回の話を断りたいと思っているのだろうとは勘付いていた。

 しかし、エリアスが決めた事を覆すのは容易ではないという事もわかっている。

 アイザックがどうするのか様子を見る事にした。


「……その通りだ」


 フィルディナンドがアイザックの言葉を肯定する。


「陛下のお考えを否定するような事はしたくはない。しかし、ルシアの事があった。だから、同じような辛い思いをティファニーにまでさせたくはないという思いがある。アイザックに話したいというのも、いい断り方がないか教えてほしかったからだ。ジェイソン殿下もパメラ様もお優しいお方だと聞いてはいるものの、いきなりティファニーが側室になると聞けばよくは思わないだろう。ルシアの事がなければ、喜んで差し出していたところなのだが……」


 フィルディナンドは事ある毎にルシアの事を持ち出した。

 かなり根に持っているのだろう。

 立場の違いをわかっていても、どうしても口から不満が漏れ出てしまっている。


 それがわかっているのか、ルシアの名前が出るたびにランドルフのまばたきの回数が増え、居心地が悪そうにそわそわとする。

 彼は結婚早々にメリンダとも結婚し、子供も先にメリンダとの間に作ってしまった。

 家庭内の混乱を招いたのは全部自分の責任だと思っているので、反論もせず黙って義父の言葉を受け入れていた。


「母上の時も周囲の嫉妬や友人の態度が変わったりするなどがあったと聞いております。殿下の側室となれば、その嫉妬はより強いものとなるでしょう。お爺様が孫娘を政治の道具として利用し、貴族社会でのし上がれる方なら意味はあります。ですが、そうではないというなら、断る方がみんなのためでしょう」


 フィルディナンドは、ルシアがランドルフと結婚しても政治的に利用はしなかった。

 それどころか、意識してウェルロッド侯爵家との関係をひけらかすような真似を避けていた。

 自分の権勢を強めようとするタイプではないのだろう。

 それだけに、ティファニーがジェイソンの側室になる事を喜ぶのではなく、結婚したあとの苦難の人生を想像して苦しんでいる。

 権力に貪欲な人間の方が人生を楽しめているのかもしれない。


「でも、陛下のお考えを否定するというのは失礼な事よ。それも悪い話ではなく、良い話なのだから……」

「時間の猶予を与えていただくという形にすればいいでしょう。例えば、卒業後にチャールズとよりを戻せていなかったらという条件などを付ければ納得していただけるかと思います。それなら、ティファニーも受け入れる心の準備ができるでしょうし」

「そういうものかしらねぇ……。でも、決定までに猶予をいただくというのは良い考えかもしれないわね。今はまだ決定ではなく、考えておられるだけだもの」


 マーガレットはアイザックの案に理解を示した。

 アイザックはフィルディナンドに視線を送る。


「確かに、いつまでもチャールズを想い続けて婚約者が決まらないというのは困る。卒業までに婚約者が決まらなければ、側室になるという選択肢が残っているのはありがたい。しかし、陛下や殿下に対して礼を失するのではないかな?」

「大丈夫ですよ。それは僕が話をつけてきます」


 アイザックはケンドラを持ち上げて立ち上がると、妹を椅子に座らせる。


「ちゃんと話し合えばわかっていただけるはずです」

「なら、私も――」


 同行しようとするフィルディナンドを、アイザックは優しく肩を押さえて制止する。


「お爺様が同行すればカドが立ちます。あくまでも話を聞いた僕個人の考えである事を主張して、陛下にお伝えした方がハリファックス子爵家のためにもなるでしょう」

「しかし、そこまでしてもらってもいいのか? 陛下に時間が欲しいと伝えるのは自分でやるが」

「いいんですよ。困った時の逃げ場になると言ってくださったのは本当に嬉しかったですし、僕としてもティファニーには幸せになってもらいたいですしね。それに、陛下にいつでも会える権利を持ってるんです。一回くらい使ってみたかったんですよ」

「すまない。だが、頼む」


 アイザックは「気にするな」という態度を取る。

 フィルディナンドは「ここは頼もしく成長した孫に任せよう」と決めた。

 肩に置かれたアイザックの手を一度しっかりと握り「頼んだ」という気持ちを伝える。


「では、着替えてきます。お爺様達は家で待っていてください」

「今から行くのか?」


 ランドルフがアイザックに尋ねる。

 あまりにも唐突過ぎるからだ。


「そうですよ。陛下の考えを聞いた者が噂を広めてからでは遅いですからね。さすがに先触れくらいは出しますけど」

「そうか。なら、先触れは私が出しておこう。着替えてきなさい」

「はい。では、またのちほど」


 アイザックは軽く会釈をして、応接室を出る。

 そして、足早に自室に戻った。


(ダメだ、ダメだ。ジェイソンだけはダメだ。ジェイソンはパメラを処刑しようとするんだ。だとすると、ティファニーまで危ないかもしれない。またフラれてしまうにしても、フレッドの方が……。いや、あいつもトゥルーエンドでアマンダを森に放り出すんだっけ。とりあえず、あいつらはダメだ! 既成事実を作られて、ティファニーに男が近寄ってこなくなる前に話を収めないと)


 ――ゴメンズ以外の男なら誰でもいい。


 彼らは本当にダメな男ばかりなので、その筆頭であるジェイソンとの婚約だけはアイザックとしても避けたかった。

 他の男と婚約しても幸せになれるとは限らないが、不幸になる可能性は低くなる。

 大切な従姉妹の未来のために、アイザックは王宮へと向かう。

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