第290話 意外な人物との遭遇

 年が明けると、アイザックはグレイ商会の王都支店を訪れた。

 今回は頼み事もあるので、グレイ商会の会長であるラルフとブラーク商会会長のオスカーも呼んでいた。

 そして、もちろんピストも参加させている。

 彼について重要な用件もあるからだ。


「――というわけで、研究所については以上です。物資の搬入などは皆さんでお願いします」


 研究所は、ザルツシュタットに作る事となっていた。

 これは主にドワーフの工房を利用するためだった。


 ――ピストが必要とするパーツをすぐに用意してもらう。


 そうする事で、作業の効率化を図る狙いがあった。

 もちろん、それだけではない。

 ドワーフ側がかなり乗り気だったので、材料費などもかなり負担してくれる事になった。

 そのためアイザック側は酒や食料、雑貨といったものを運び入れるだけとなり、経済的な負担は今よりも軽減される見込みである。

 研究成果を独占されないように気を付けておけば、理想的ともいえる状況だった。


「次にピーラーやスライサーの生産についてですが、他の商会にもライセンス生産を認めているので、流通などはブラーク商会が取り纏めておいてください」

「かしこまりました」


 オスカーは快く承諾する。

 刃もそうだが、ピーラーの持ち手部分やスライサーの本体部分である木工部品の生産に時間がかかる。

 どちらも本拠はウェルロッド侯爵領である。

 いきなり新しいものを作れと言われても、作る職人の数が足りないのだ。

 しかもピストに職人の手を取られているので、グレイ商会王都支店にはピーラーの生産まで手が回らなくなっていた。

 そのため、他の商会に生産の仕事を回している。


 ブラーク商会は過去に色々とあったが、今でもウェルロッド侯爵領一の規模を誇る商会だ。

 冷遇したままにしておくのはもったいないので、彼らに流通を管理させる事にした。

 アイザックが領主代理になった時、一部商会の便乗値上げを潰す手伝いをしてもらっているので禊は済んでいる。

 これから少しずつ利益を分け与えるつもりだった。

 当然、その分働いてもらうつもりではあったが。


「とりあえず、初回生産分はウェルロッド侯爵家に納品してもらうので、その事だけは覚えておいてください」

「はい。ですが、付き合いのある方々への贈答用としては不向きではないかと思われますが、大丈夫でしょうか?」


 オスカーが質問する。

 ピーラーやスライサーは料理人が使うのであって、当主が使うわけではない。

 しかも、贈り物にするにはあまりにも貧相だ。

 言うまでもない事だが、万が一の事を考えて質問をしていた。


「大丈夫ですよ。贈答用に使うものの、その対象は学生です。家庭科部といって、生徒が自分で調理をする部活動があります。そちらに寄付して、口コミで良いものだと広めてもらおうかと思っています」

「なるほど、貴族のご息女による口コミですか。それはよさそうですな」


 テレビもラジオもない世界なので、口コミは重要な宣伝活動だ。

 アイザックが考案した新商品なら、生徒の家族も珍しがって話のネタにしてくれるだろう。

 貴族社会に広まれば、徐々に下にも広まっていく。

 数多く売れそうな商品なので、客に知ってもらえれば最初の寄付分くらいは元が取れそうだった。


「さて、ある意味今回最大の議題ですが……。ピスト先生。いえ、ピストさん。僕が心配する必要はないと思われるでしょうが、できれば身を固めていただきたいと僕は考えています」

「なぜですか?」


 ピストはストレートな疑問を投げかける。

 アイザックが言うように、他人に心配されるような問題ではないからだ。


「ピストさんの科学に対する情熱はかなりのもの。それはきっと、ドワーフ達にも伝わるでしょう。でも、それが問題です。仲良くやってくれるのはいいのですが、彼らのやり方に付き合うと、いつかは体を壊してしまう。身近に健康を心配してくれる人がいた方が、こちらとしても安心して送り出せます」

「あぁ、ドワーフの歓迎で体を壊す心配をされているわけですね」

「そうです。歓迎してくれるのは嬉しいのですが、彼らは種族が違うという事を忘れがちですからね」


 ドワーフの歓迎とは酒盛りだ。

 それも、つまみを食べながら一杯飲むというレベルではない。

 彼らは蒸留酒だろうが、水でも飲むかのようにグイッと飲む。

 そして、翌朝には二日酔いなど感じていないかのようにケロッとしている。


 だが、人間はそうはいかない。

 二日酔いで苦しむ時があるし、毎日飲んでいればいつかは酒で体を壊す。

 歓迎されているからといって、毎晩酒盛りに参加していれば寿命を縮める事になるだろう。

 それくらいはピストも理解していた。


 ――だから、アイザックが身を固めろと言っているという事も。


 結婚していれば「嫁さんに怒られるから今日は帰る」と、酒盛りを辞退する理由が作れる。


「その他にも、ピストさんは研究に熱中し過ぎて食事も満足に取らないという事があるそうじゃないですか。使用人ではなく、家族として心配してくれる人がそばにいてくれた方がいいのではないですか?」


 さすがにアイザックも「クランと結婚しろ」とまでは言わなかった。

 そこまで直接的に言って、強制するような事はしたくなかった。

 アイザック自身も婚約者に関しては、自分で決めるとわがままを言っている。

 他人に強制する事が許される立場とはいえ、それをしてしまうのはどこか間違っているように思ってたからだ。


「あぁ、確かに食事を取り損ねる事はありましたね。教師だった頃はクランがよく差し入れをしてくれていました。ですが、それだけなら使用人でもいいはずです。結婚相手を使用人扱いというのは気が引けますね」

「では、科学に興味があって、一緒に研究しつつ健康に気を使ってくれる人がいれば、その人と結婚する事も前向きに考えられますか」


 アイザックの言葉に、ピストは大きな声を出して笑う。


「科学に興味があって、気を使う事ができて、その上で私の事を好きになってくれる女性がいればですけどね。そんな人がいるのなら喜んで結婚しますよ。そんな相手を探してくださるのなら歓迎です」

「なら、探すだけ探しておきましょう」


 そう答えながら、アイザックは心の中でピストに呆れていた。


(自分で「クランが差し入れしてくれていた」と言っていたのに、彼女の存在に気付かないなんてな)


 年齢が離れているからだとか、相手が生徒だからとかの理由で結婚対象として頭に浮かばなかったのかもしれない。

 だが、すぐ身近にいて、あれほどわかりやすい好意を向けている相手に気付かないピストに、アイザックは呆れてしまうしかなかった。


「こちらでも探しておきましょう。科学に興味を持っているというところが難しいかもしれませんが、探す範囲は広いほうがいいでしょう」

「ならば私も手伝わさせていただきます」

「お願いします」


 ラルフとオスカーが、ピストの嫁探しに参戦してくる。

 これからのドワーフとの関係を考えれば、ピストは取り込んでおいた方がいい。

 そう考えて、嫁探しを手伝うつもりなのだろうと思われる。

 問題になるのは、やはり科学に興味のある女性という点だ。

 そこが難しいが、探せばどうにかなると考えて、嫁探しを手伝うと申し出たのだろう。


「では、この件は今後の課題という事にしましょう。個人の結婚と考えればたいした事のない問題のように思えますが、ピストさんは今後重要になってきます。些細な事でも問題を潰しておきたいですからね。ピストさんは引っ越しできるように、今は研究よりも身の回りの整理を優先してください」


 そう言ってアイザックは席を立つ。

 これで話は終わったという事だ。

 他の者達からも意見はないようなので、このまま解散となった。



 ----------



 アイザックを見送るため、皆が馬車のところまで見送りに来てくれていた。

 ラルフやオスカーだけではなく、グレイ商会の支店長も一緒だ。

 その時、荷馬車の列が支店の敷地に入ってきた。

 先頭の馬車から一人の男が降り、支店長のところに駆け寄ってくる。


「ちわーっす。荷物のお届けでーす」


 左の眉毛から頬まで縦に大きな傷跡を持つ強面の男が、満面の笑みで愛想のいい態度で書類を支店長に差し出した。


「ああ、お疲れ。ゴンザレスも輸送隊の隊長を任されるようになったのか?」

「そうなんすよ。これでも一応顔役やってたんで、その経験を買われての抜擢っすね」


(あれっ、こいつって……)


 アイザックはゴンザレスと呼ばれた男の顔をジッと見る。

 その視線に気付いて、ゴンザレスは慌てた。


「あー、すいません。お貴族様の邪魔をするつもりはなかったんです」

「彼はウォリック侯爵領から鉄を持ってきてくれる運搬業者の者です。いつも納品優先でやらせているので、今日もいつも通りに納品のサインを求めてきただけです。決してエンフィールド公を軽んじたりしているわけではありません」


 支店長がゴンザレスを擁護する。

 普段は納品書を確認してから、そのまま倉庫に運び込ませている。

 平民が礼儀を知らないのは許容される範囲だが、相手が公爵のアイザックである。

 念の為にフォローをしておこうと考えての行動だった。


 ――だが、アイザックは違う事を考えていた。


「ゴンザレス……。そして、その顔の傷……。もしかして、裏社会のボスだったゴンザレス?」

「ど、どうしてそれを!?」


 ゴンザレスが驚くと、護衛として付いてきていたマットと彼の部下がアイザックとゴンザレスの間に立つ。

 剣には手がかけられていた。

 彼もゴンザレス探しに同行していたが、裏社会の人間はどんな危険があるかわからない。

 アイザックを守るために、必要な行動を取っていた。

 騎士に剣を向けられそうになって、ゴンザレスは慌てる。


「どうしてって、協力してもらおうと思っていたからだ」

「へっ、協力?」


 ゴンザレスの混乱は極みに達していた。

 騎士に警戒されたと思ったら、協力を要請しようと考えていたと言われた。

 状況に追いつけていないのは彼だけではない。

 ラルフやオスカー、ピストといった者達も理解できない内容だった。


「そう、協力さ。僕も公爵になったからね。政治家の一端になった以上、裏社会の人間と協力関係になっておくべきだと思ってね」


 アイザックは周囲に自分の協力者しかいない事を確認し、ゴンザレスと仲良くなろうとした理由を話す。

 その理由を聞いた者は全員衝撃を受ける。


 ――特にゴンザレスの衝撃は大きかった。


「そんな話、聞いた事ないんすけど……」

「えっ?」


 そして、次にアイザックが衝撃を受けた。


「裏社会のボスだったんだよね? 貴族と癒着はあったでしょ?」

「いやいや、そんなもんないです。俺達がやってたのは……、その……」

「盗みとか暗殺じゃないの?」

「暗殺なんてやってねぇっすよ!」


 ゴンザレスは「心外な!」と言いたそうな顔をして、全力で否定する。


「そりゃあ、たまに勘違いした貴族のボンボンが誰かを殺してくれって頼みに来る事はあったさ。けど、俺達みたいなのが貴族に手出しをしたら、貧民街自体が潰されちまう。やっていい事と悪い事の区別くらいつきまさぁ」

「そ、そうなんだ……」


 ――勘違いした貴族のボンボン。


 その言葉がアイザックにクリティカルヒットする。

 裏社会の人間だと聞いて、そっち方面だと思い込んでいた。


「じゃあ、何をやっていたの? 正直に言ってくれたら罪に問うような事はしないからさ」

「……盗みとか縄張り争いの喧嘩とかくらいでさぁ。人を殺す度胸のある奴は、傭兵になるといって街を出ていって、街には残っていやしません」

「彼の言う事は正しいかと思われます。傭兵時代、街でくすぶっているよりは一攫千金を狙って戦場にきたという者が多かったですので」


 マットがゴンザレスの発言を肯定する。

 中には街に残った者もいるだろうが、腕に自信のある者は出稼ぎに戦場に行ったりしているようだ。

 わざわざ街に残って暗殺者の道を選ぶ方が珍しいのだろう。


「どういった理由で俺に会おうと思ったんで?」


 ここでゴンザレスが触れてほしくない内容に触れてきた。

 下手な答えを言えば、世間知らずだと馬鹿にされてしまう。

 迷惑ではあるが、気にしない素振りをしながら答える。


「さっき言ったように、貴族と癒着しているものだと思ったからだよ。深い関係にあるのなら、そこから色々と聞き出せるかと思ってさ」


 これは嘘ではない。

 情報を得る手段として使えればと思っていた。

 嘘なのはそれ以外のところだ。


 ――サブ攻略キャラだったから、何かの役に立つと思った。


 そんな事は言えないので、適当な事を言って誤魔化しているだけだ。

 だが、アイザックの今までの実績が、出まかせの言葉を周囲に信じさせた。

『貴族と裏社会の癒着』

 そこを気にしているような素振りが、周囲に勘違いさせたからだ。


 ――アイザックは後ろめたい事をしている貴族を調べて、何かをしようとしていたのだと。


 考えなしに裏社会の人間と知り合おうとしていたように思える「政治家の一端になった以上、裏社会の人間と協力関係になっておくべきだと思ってね」という発言も、リード王国の腐敗を暴くための行動にすら思えた。

 これはウェルロッド侯爵家が、代々不正者を処罰してきた家柄だったから誤解された事だ。

 アイザックも似たような事を考えているのだと思うと、ゴンザレスと接触しようとする事も不思議には思えなかった。


「すんません、俺は貴族と知り合うような事はなかったんでさぁ。お役に立てるような情報はねぇっすわ。それに、今は……」

「わかっている。今の生活が気に入ってるんだよね」

「そうなんすよ。仕事を奪い合ったりしなくてもいい。当たり前のように自分の仕事があるってのはありがてぇ事です。エンフィールド公のおかげだそうなんで感謝はしてやす」

「それはそれでいいんだ。真面目に働いてくれている分には助かってるし」


 ゴンザレスもアイザックのおかげで助かった者だ。

 しかし、クランと違って助けようと思って助けたわけではない。

 どこか釈然としないものを感じさせられる。


「あのぉ、エンフィールド公」


 ここでオスカーがおずおずとした態度でアイザックに話しかけてくる。


「貴族社会の情報がほしいという事であれば、ブラーク商会にお声をかけてくだされば喜んでお伝えさせていただきます。グレイ商会も最近は取引が増えたみたいですが、我が商会は長年お抱え商人だったおかげで、王都の商会と広くお付き合いさせていただいております。貴族の醜聞なども耳に入ってきておりますので、情報をお求めなら私にお命じください」


(そういや、そうか。ブラーク商会は避けてたから気付かなかったな)


 貴族の家に出入りする事の多い商人なら、貴族や使用人達から噂を聞く機会が多いのも必然。

 屋敷に忍び込んで密書を探す事ばかりが情報の入手方法ではない。

 情報漏洩に関する意識が薄い時代なら、噂話程度でもよく調べれば確度の高い情報になる可能性は高い。

 商人のネットワークは無視できないもののはずだ。


「そうだな。そろそろブラーク商会にも仕事を回してもいい頃だろう。でも、ウェルロッド侯爵家の情報を漏らすのは許さないよ」

「もちろんです。今までも『ランドルフ様は普段はどうされている? 猛訓練されているのか?』という問いに『真面目に政務に励まれています』と答えたり『ルシア様は実は凄い謀略家なのではないか?』という質問には『ごく普通のおしとやかなご婦人です』といった答えられる事しか話しておりません。ウェルロッド侯爵家の情報を漏らすなんてとんでもない!」

「ならいいんだけどね」


 オスカーは喜びを隠しきれずに頬がほころぶ。

 アイザックに頼りにされるという事は、役に立ちさえすればお抱え商人の座をキープできるかもしれない。

 ダメだったとしても、従う姿勢を見せていれば酷い扱いはされないだろう。

 いずれせよ、先代のデニスが残した負の遺産を清算するチャンスだ。


 アイザックにとっても、オスカーの存在はありがたい。

 自分では知り得ない情報を手に入れる事ができれば、今後の戦略に幅を持たせられる。

 ゴンザレスが使い物にならなかったのは計算外だが、嬉しい誤算もあったので差し引いてもプラスになる。

 十分な収穫だった。


 そして、実はここで一番喜びを感じていたのは、意外にもゴンザレスだった。

 彼は当初戸惑っていたが「英雄と言われるエンフィールド公が俺みたいな奴の事を知っていてくれた」と思うと、つい嬉しいと思ってしまったのだ。

 まさか、自分を知っていた理由が前世の知識によるものだなんて思わなかった。

 同時に「そんな大物に思われてたんなら、王都にいたら仕官もできたかも?」など惜しいと思う気持ちも込み上げてくる。

 しかし、すぐに気持ちは冷めた。

 盗みなどはしていたので、貴族が雇ってくれるはずがないからだ。

 貴族街にも忍び込んだ事があるので、いつかは捕まっていたかもしれない。

 そう思うと「今の仕事を毎日頑張っている方がいい」と、高望みする事を諦める事ができた。


 ――採掘場や運搬の仕事が増えたのはドワーフとの関係ができたから。


 そのきっかけを作ったアイザックに感謝しているので、同僚や酒場で会った相手に地道に良い評判を広めてささやかな恩返しくらいはしておこうと、ゴンザレスは考えていた。

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