第280話 アマンダからのお誘い

 アイザックは、科学部が廃部になってから部活動に所属していない。

 勉強会は週に一回だけなので、それ以外の日は早めに帰る事にしている。

 レイモンド達と勉強をする事もある。

 それ以外は、家に帰ってから軽く戦闘訓練をしたり、ケンドラと遊んだりしていた。


「ねぇ、アイザックくん。今日もこのまま帰るの?」


 いつも通りアイザックが帰ろうとしたところで、アマンダが声をかけてきた。

 彼女と一緒に、ティファニーとモニカもいる。


「そうするつもりだよ。どうかしたの?」

「ひ、暇だったら家庭科部を見学してみない? 入部とかじゃなくて、見学だけ。今日は一年生が料理実習の日なんだ」

「見学かぁ。部外者が見学って邪魔じゃないの?」

「大丈夫だよ。他にも男子を呼んでいる子もいるし」


 アマンダが言った事は嘘ではない。

 料理実習は、その名の通り料理を作る。

 だが、女子生徒ばかりでは食べきれない。

 運動系の部活動をしている者が、練習が終わったあとに食べに来たりする。

 部外者が調理場にお邪魔をするのはよくある事だった。

 しかし、アマンダが話していない事もある。


 ――大体の場合は女子生徒の婚約者や恋人が呼ばれて、男友達はあまり呼ばれないという事だ。

 

 まったくなしというわけではないので、アイザックを呼ぶのは問題ない。

 アマンダが勇気を出して、アイザックとの関係を進めようと声をかけたのだった。

 本当の関係になれるように。


「あっ、でもその……。お友達も一緒にね」


(土壇場でヘタレたな)

(ヘタレたね)


 レイモンドとルーカスが、アイコンタクトで会話する。

 アイザックを誘ったところまではいいものの、最後の最後で「友達も一緒に」とヘタレてしまった。

「そこまで言ったなら、そのままもう一押しすればいいのに」と、彼らは思っていた。


「どうする?」


 アイザックは、アマンダの心の中で起きている葛藤に気付かず、レイモンド達の方に振り向いて声をかけた。


「いや、僕達はやめとくよ」


 レイモンドが代表して答えた。


「あれ? 何か用事があったっけ?」

「勉強だよ。予習、復習をしっかりしておこうと思ってね。中間テストも、そう遠くないし」


 彼の答えは、至ってわかりやすいもの。

 学生らしく勉強しようというものだった。


「それじゃあ、僕も――」

「いや、今日はアイザックくん抜きでも大丈夫だよ。むしろ、歓迎かな」


 アイザックもそれに加わろうとすると、ルーカスが口を挟んだ。

 当然、アイザックは自分がのけ者にされそうになっている理由を聞く。


「なんで、二人だけで?」

「そりゃあ、アイザックに追いつくためさ。一緒に勉強していたんじゃあ、いつまで経っても追いつけない。アイザックもたまには息抜きをして、僕達に追いつけるチャンスを作ってくれないとね」


 レイモンドがパチリとウィンクをする。

 アイザックは、彼のウィンクを「部下にも上を望む機会を与えてないと困る」と、注意されているように受け取った。


(それもそうか。自分を売り込める一芸があった方がいいに決まってる。俺よりも成績がいい方が、働き始めた時に同僚へのアピールになるもんな)


 ――人に侮られるような者ではいけない。

 ――同時に、自分一人で完結するような者でもいけない。


 組織を運営していくのであれば、部下のやる気を引き出してやる方がいい。

 アイザックにも「前世の記憶がある分だけ同年代の子供達より有利だから、テストでズルをしている」という思いも少しはあった。


「わかった。なら、今日は二人で勉強を頑張ってよ。でも、僕もまだまだ負けるつもりはないよ」


 自分から勉強を頑張るというのは、中々難しいものだ。

 何も言わずとも自分からやる気を見せてくれるのなら、それを後押しするべきだとアイザックは考えた。


 ――しかし、アイザックは彼の意図を全て理解していなかった。


 確かに、レイモンドがウィンクした意味に「アイザックに追いつくチャンスをくれ」という意味は含まれていた。

 だが、彼がウィンクを送った相手はアイザックだけではなかった。


 ――「頑張ってね」という意味を含んで、アマンダにも同時にウィンクが送られていた。


 これは「アイザックとくっつけば、アマンダに対して貸しを作る事ができる」というものではない。

 恋を叶えようと頑張るアマンダの事を、純粋に応援したいという気持ちからだった。

 アイザックもアマンダの事を嫌っていないし、ティファニーも一緒にいる。

 たまにはアイザックも彼女達と過ごしてもいいと思ったから、レイモンドは引くことを選んだのだ。


「お友達がこられないのは残念だね。でも、僕達がいるから寂しくないよ。さっ、いこっ」


 まったく残念そうに見えない笑顔をして、アマンダがアイザックを部室に誘う。

 その時、一度振り返ってレイモンド達にウィンクを返した。

 彼らの配慮に感謝してだ。

 あとはアマンダ次第である。



 ----------



 家庭科部は部室が複数ある。

 その理由の一つが調理実習だった。

 使用できる調理台やかまどの数に限度があるからだ。

 そのため、学年毎に分かれて交代で調理室を使う事になっていた。

 アマンダがアイザックを誘ったのも、一年生が調理室を使う日だったからである。


 家庭科部では豪華な料理ではなく、日常で食べる家庭料理を教えている。

 実家を離れて、使用人を雇う余裕がない暮らしをする新婚家庭のためである。

 一度レシピを教えて「はい、終わり」ではない。

 定期的に実習で同じ料理を教える事で、ちゃんと作り方を身に付けてもらおうという方針で活動していた。


(半年の成果を見せる時!)


 彼女は意気込んでいた。

 今日作るのは、平凡な野菜スープ。

 これは、以前にも作った事のある料理だった。

 家庭科部の方針のおかげで、彼女は作り方をちゃんと覚えられていた。

 同じ調理班には、ティファニーやモニカ。

 そして、ジャネットもいる。

 頼り甲斐のある友人達だった。


 ――しかし、ここでアマンダに大きな誤算が起きた。


「久々にやったけど、結構やれるもんだな」


 ――アイザックだ。


 彼が「ジャガイモの皮むきだけでも手伝うよ」と手伝いを申し出てきた。

 アマンダは「手を切ったりして危ないんじゃない?」と、自分の経験から注意をしたが、アイザックは気にせず包丁でジャガイモの皮をむき始めた。

 誤算というのは、皮むきが無駄に上手かった事だ。

 アマンダも皮をむけるようになったが、皮だけではなく実を削る事も多い。

 だが、アイザックは皮だけを綺麗にむいていた。

 半年間の頑張りを見せようとしていただけに、アマンダは少し意気消沈してしまう。


「昔やってた事があるの?」

「ん、あぁ。ちょっとね」


 アイザックは曖昧に笑う。

 さすがに前世での経験だと話す事などできない。

 頭がおかしいと思われてしまうからだ。

 だが、笑って誤魔化すだけでは限度がある。

 適当な理由をつけて言い訳をしておく必要を感じていた。


「お菓子作りとかの時に色々手伝ってたんだ」

「そうなんだ」


 アイザックがお菓子作りに関わっているのは有名な話だ。

 しかし、世間的にはアイザックが言った新世代のお菓子・・・・・・・ではなく、お菓子本来の姿を・・・・・・・・取り戻した・・・・・という事で知られていた。


 元々、ケーキなどのお菓子自体は存在していた。

 だが、砂糖が出回り始めると、貴族向けのお菓子は珍重な砂糖を大量に使う事によって、見栄を張るための道具・・として使われ始めるようになった。

 アイザックが程よい味付けにする事を主張した事によって、美味しく食べられるお菓子・・・としての姿になったのだ。

 見栄を張らずに済むようになり、ティータイムを純粋に楽しめるようになった。

 もちろん、今も見栄のために砂糖タップリのお菓子を食べる者もいるが、それは少数派となっていた。


 アイザックは菓子業界に大きな影響を与えていた。

 その事はアマンダも知っていたので「自分でお菓子作りをする時に、包丁の扱いも慣れたのだろう」と納得した。

 同時に、世間で噂されているアイザック像とは違う、意外な一面を知る事ができた事を心の中で喜んでいた。

 そして、もっとアイザックの事を知りたいと思い、もう少し質問する。


「でも、なんでお菓子を作ろうと思ったの? 職人に任せておけばいいのに?」


 これはアマンダの考えの方が侯爵家ゆかりの者として正しい考え方だった。


 ――自分がやらずに、専門家に任せる。


 普通なら、その方がいい結果が出るはずだ。

 アイザックが何を思って、そんな事をしようとしたのかが気になった。

 こうやって、アイザックの考えを知っていく事で関係を近づけるきっかけを探ろうとアマンダは考えていた。


「きっかけはティファニーだよ」

「えっ、私?」


 いきなり自分の名前を出された事で、ティファニーが驚きの声をあげる。


「そうだよ。三歳くらいの時だったかな。僕も不満があったし、ティファニーがお菓子を美味しくなさそうに食べているのを見て、もっと食べやすくて美味しいお菓子を作ってもらおうと思ったのがきっかけだったんだ。一緒にお菓子職人のアレクシスのところに行ったのを覚えてない?」

「えっと……。さすがに三歳の時の事は覚えてないかな。アイザックはよく覚えていたわね」

「あれ、そうなの? みんなは?」


 アイザックが周囲を見回すが、誰も三歳の頃の記憶は残っていないようだ。


「そんな昔の事を覚えているなんて、さすがはエンフィールド公……といったところだねぇ」


 ジャネットが漏らした気持ちに、アマンダやモニカが同意する。

 その記憶力の良さが、アイザックの実績に繋がっているのだろうと思ったからだ。


「あっ、待って。何か思い出せそう……。そういえば、自宅で切って出されただけの果物は美味しかったのに、ウェルロッド侯爵家のお屋敷で食べたお菓子とかはあんまり美味しくなかった……ような気がする」


 ティファニーが必死に過去の記憶を絞りだした。

 おぼろげながらも、お菓子が美味しくなかった事を思い出す。

 そのついでに、奇妙な記憶も思い出した。


「……あれ? アイザックって干し肉を食べてなかったっけ?」


 ――三歳くらいの小さな子供がお菓子を食べずに、干し肉を齧っている。


 あまりにもおかしな思い出に、ティファニーは「子供の頃の記憶は、なんて曖昧なものなのだろう」と感じていた。


「食べてたよ」

「食べてたんだ!」


 衝撃の告白に、ティファニーだけではなく、アマンダ達の驚きの声も重なる。

 みんなに驚かれたので、アイザックは自己弁護を行う。


「いや、だってお菓子が甘すぎて美味しくなかったし。お菓子の代わりに干し肉を食べてアゴを鍛えようかなって食べてただけだよ」

「…………」


 それは言い訳になっていなかった。

 余計に「おかしな子供だったんだな」という印象を強くしただけだ。

 アマンダ達だけではなく、話が聞こえていた他の班の女の子達も「さすがにそれはどうだろう?」と首をかしげている。

 アイザックに同意してくれる者は、この場にいなかった。


 ――アマンダ以外は。


「へ、へぇ、そうなんだ。子供の頃から色々と考えて行動していたんだね」


 若干引きながらも、彼女はアイザックの行動を理解しようとしていた。

 だが、よろしくない流れだと感じたジャネットが話を変えようとする。


「そういえば、勉強だけじゃなくて、最近は体育も頑張っているとか。アマンダから聞いてるよ」

「一学期は護身術でティファニーに負けちゃってたしね。好きな女性を守れる程度には強くなりたいから、武器の使い方だけじゃなくて素手の格闘術も真剣に学び始めたんだ」


 これは事実だ。

 さすがに文学少女のティファニーに負けているようでは、いざという時に誰も守れない。

 本音を言えば「マットやトミーに守ってもらえばいい」という思いだってある。

 しかし、それでは格好がつかない。

 パメラは侯爵家の娘で、王太子の婚約者だ。

 万が一の事を考えて、護身術は徹底的に仕込まれているはずだった。

 アイザックも、好きな女性には少しでも格好いい姿を見せたい。

 見栄のために、素手でも戦えるように練習を頑張っていた。


 だが、これはアイザックが考えた事である。

 周囲の――特にアマンダとティファニーの反応は違った。

 彼女達は「アイザックはティファニーの事を好きだ」と思っている。

 だから「ティファニーを守りたいから、彼女には負けていられない。俺はもっと強くなるんだ」と、アイザックが言っているように聞こえていた


「好きな女性……。そういえば、アイザックさんはどんな女性が好きなんですか? 大きな女性とか小さな女性とか、そういう曖昧な内容でもいいので教えていただけませんか?」


 その事を知らないモニカが、興味を持ってアイザックの好みのタイプを尋ねた。

 大きな女性と小さな女性という言葉が出てきたのは、アマンダとジャネットがいるからだった。

 アマンダは身長150cm程度で、同年代の女性の中では小柄なタイプだ。

 一方、ジャネットはアマンダと正反対。

 180cmほどの身長で、そこら辺にいる男子よりも背が高い。

 平均的な女子よりも、アイザックの好みを知るのにちょうどいい対象だった。

 アマンダがいつになく真剣な表情でアイザックの反応を窺う。


「そうだね……。好みでいえば大きい方が好きかな」


 アイザックが照れながら、自分の好みを語る。

 まさか、女の子相手に胸の・・大きな女の子が好きだと告白する事になるとは思わなかったからだ。

 そして、ついジャネットの方を見る。

 彼女も大きかった・・・・・からだ。


 彼の言葉で「意外だな」とジャネットが驚き、アマンダが絶望を顔に浮かべる。

 彼女達は、モニカが聞いたのが身長・・の話だと思っていたからだ。

 しかし、アイザックが言った言葉の意味を理解していても、アマンダは同じような反応をしていたかもしれない。


 アマンダは男子と大差ないような体形をしている。

 胸の大きな女性がアイザックの好みと聞けば、やはり絶望していただろう。

 それに対し、ジャネットは平均的なサイズのように見えて、大きな胸をしていた。

 彼女は背が高い。

 180cmと160cmという身長差がある場合、バストサイズが同じ90cmだったとしても、背丈のサイズの分だけ高身長の方が小さく見えるというだけだ。

 ジャネットは、十分に大きなものを所有していた。


「でも、大きいか小さいかは関係ない。好きになったら、その人が理想のタイプだよ」


 アイザックが――


 ジュディス>ジャネット>パメラ≧リサ≧ニコル>ティファニー>ブリジット>>>アマンダ。


 ――という評価を思わずしてしまう程度には、ジュディスやジャネットの胸は大きい。


 だからといって、ジュディスを愛しているというわけではない。

 一番はパメラだ。

 胸のサイズだけで女性を判断しているわけではなかったのは事実である。


 アイザックの言葉を聞き、アマンダは希望を持った。

「大きな女性が好き」だけならば絶望的だ。

 だが、アイザックはティファニーの事が好きならば、好みの違いなどたいした事がない事だったというのがわかる。

 ティファニーは身長160cmほど。

 ちょっと足りないが、ジャネットとの身長差ほどではない。

 好きになってもらえば、10cm差など誤差の範囲でしかないはずだった。

 彼女の不幸は、アイザックが身長など気にしていないという事だろう。


「好きな人が理想のタイプか。そういう事を言ってもらいたいねぇ……」


 ジャネットが悲しそうにして呟く。

 その様子から、ダミアンからは「愛している」などの言葉をあまりかけられていないようだった。


「ダミアンとはうまくいってるの?」


 聞かなくてもいい内容だったが、このまま自分に対する質問が続くのも恥ずかしいので、アイザックはジャネットに話を振った。


「それなりに……といったところかねぇ。でも、最近は自分から立派な男になろうと頑張ってくれているんだ。入学当初も頑張り始めていたから、今度は長く続いてほしいねぇ。私もしっかり支えてあげないと」


(それ、ニコルのためなんじゃ……)


 入学当初、ダミアンが頑張っていた理由は何となくわかる。

 アイザックが彼と話した事で、本気を出そうと頑張っていたのだろう。

 しかし、ジャネットの言葉から察するに、それは長く続かなかったらしい。

 最近頑張り始めたのも、アイザックの言葉によるものだと思われる。

 ニコルにふさわしい男になろうと、努力を始めたようだ。

 それは、本来の婚約者であるジャネットのためではない。


(本人を前にするとさすがに罪悪感が……)


 関係が薄いとはいえ、こうして話している相手が不幸になるとわかっているのは、どこか後ろめたいものを感じさせられる。


「ジャネットさんのような素敵な女性に支えられて、ダミアンも幸せだね」


 だからか、つい慰めの言葉が口から出てしまう。

 ジャネットは高身長のモデル体型。

 凛々しい顔つきでちょっと威圧感があるとはいえ、美女に献身してもらえるのなら、多少期待が重くても頑張れるだろう。

 前世の記憶がある・・・・・・・・アイザックなら・・・・・・・――。


 だが、ダミアンがどう思うかは、また別問題だ。

 彼はこの世界の男子の中では小柄な方だ。

 ジャネットの隣に立つと、その小柄さが際立ってしまう。

 コンプレックスを刺激され、ニコルの方に心が揺れ動いてしまっても仕方がないのかもしれない。

 こればっかりは、チャールズと違って多少は理解する事もできる気がしていた。


(それにしても、見学に来てよかったな。ピーラーはまだなかったはずだから、ジークハルトにお土産としてアイデアを持って帰らせる事ができる)


 アイザックの隣では、アマンダが「新たなライバル出現!? でも、ジャネットはダミアンがいるし……」という複雑な目でジャネットを見ていた。

 しかし、アイザックは彼女の視線に気付いていない。

 久々に自分の手で皮をむいたジャガイモを、満足そうに見ているだけだった。

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