第276話 先発隊の歓迎パーティー

 エルフとドワーフの先発隊を歓迎するパーティーが開かれる。

 出席できるのは、王都に今いる貴族の当主だけという、出席者を限定したものだ。

 種族を代表する大使が到着する前に、まずは軽く話して慣れようという目的だった。

 このように慎重な対応をする事となったのは、原因となる者がこの場にいたからだ。


「なんで私だけアイ……、エンフィールド公の付き添いがないとダメなのでしょうか」


 ――ブリジットだ。


 彼女は初めて王都にエルフを呼んだ時、ギルモア子爵という外務省の審議官に膝蹴りを食らわした。

 もちろん、ギルモア子爵がブリジットのお尻を触ったのが原因なので、ブリジットだけが悪いというわけではない。

 しかし、王国側がこれ以上不興を買わないように気を付けるのも無理はない。

 エリアスがアイザックをブリジットのエスコート役として付け、ブリジットに近付く者が世間話以上の事をしないよう自重を促していた。


「なんだかなぁ……。ブリジットさんが、そういう話し方をしているのって違和感があるんですよね」


 アイザックは、猫を被った態度のブリジットに違和感を覚えてしまい、つい本音を漏らす。


「あら、そうなのですか?」


 ブリジットがそっと片足を上げて、アイザックの足を踏――まなかった。

 鋼の意思によって、アイザックの足を踏むという行為を我慢する。

 こうして表面を取り繕っているのも、すべては歓迎パーティーのためだ。

 ここで騒ぎを起こせば、二度とパーティーに呼んでもらえなくなるという事は、さすがに彼女も理解している。

 アイザックの言葉を、黙って見過ごすほかなかった。


 こうして彼女が耐えられるのは意思の力だけではなかった。

 彼女はティファニーに会いに行き、アイザックが傷心のティファニーのために力を尽くした事を聞いている。

 ブリジットは良い事をしたアイザックに、ちょっとだけ寛容な心を持って接してあげる事にしていた。


 ――だがこの時、彼女はアイザックの足を踏む権利があった。


(パーティドレスって胸元が開いてるもんだと思ったけど、ブリジットのは胸元が閉じてるタイプなんだな。まぁ、開いてても谷間が見えそうにないけど)


 という事を、アイザックが考えていたからだ。

 AカップかAAカップくらいだと思われるアマンダよりは胸がある。

 あるが、この世界の女性は全般的にスタイルがいいので、ブリジットはない方に分類される。

 そのため、アイザックは「ブリジットが胸元の開いていないドレスを着ているのは、見せるほどのものがないからだ」と思っていた。

 これはブリジットが怒ってもいい考えである。

 とはいえ、表向きはそんな事を考えている素振りがないので、ブリジットがアイザックに報復措置を取る事はなかった。


 二人がこうして話していられるのも、エリアスの挨拶が終わっているからだ。

 挨拶自体は簡素なものだった。

 エルフとドワーフの出席者の軽い紹介と、この歓迎パーティーの目的慣れる事を話しただけ。

 あとは実際に話して、異種族との交流を試してほしいという事だった。

 クロード達も本番の練習という事を理解しているので、遠慮のない質問をされるという事を納得している。


 ブリジットも遠慮のない質問は覚悟していた。

 だが、不安を覚えたクロードがエリアスに提案したため、アイザックをお目付け役に付ける事となったのだ。

 ついでにというのも失礼ながらも、ジークハルトもアイザックと同行する事になっている。

 お酒の飲めない年齢の者同士、一か所に集めておこうという判断だった。


「二人は仲がいいんだね。僕ももっと早くエンフィールド公と友達になっていたかったよ……」


 ジークハルトが悔しそうな顔をして言った。

 アイザックと友達といっても、ブリジットのような気楽な関係にはなっていない。

 もっと早く知り合っていれば、様々なアイデアを聞いたりして、そのアイデアを実現したりできていただろう。

 今まで共に過ごせなかった時間がもったいなく感じる。


「大丈夫だよ。僕達はまだ若い。これからがあるさ」


 アイザックはジークハルトを慰める。

 彼の事は嫌いではないが「もっと早く出会いたかったとかいう話は、女の子と話したかったな」とも思ってしまう。


「さて、そろそろ人が来るよ。話はあとにしよう」


 エリアスの話が終わったあと、貴族達は思い思いの相手に話しかける。

 その中でも、一番人気はクロードだった。

 エリアスが「エンフィールド公を救ってくれた恩人であり、ひいては我が国にとっても恩人であるお方だ」と紹介したからだ。


 エンフィールド公爵であるアイザックに対する挨拶は真っ先にするべきだが、今回はエルフやドワーフと話して慣れる事がメイン。

 クロードや他の出席者に比べると、ブリジットやジークハルトはどうしても優先度が低くなってしまう。

 だからか、クロード達に話しかける順番待ちを待っている者達が、ブリジットやジークハルトに話しかけようと近寄ってきていた。


「さすがはエンフィールド公。すでに友人を作られておられますな」


 彼らは最初にアイザックに声をかけてから、ブリジットやジークハルトに声をかける。

 優先的に挨拶をする必要がない場でも、ブリジット達と一緒にいる以上は無視できない。

 それに、アイザックに話しかければ、ブリジットにも自然な流れで話しかけるきっかけにもなる。

 会話の流れを作るのに、アイザックは都合のいい存在だった。


 彼らが話すのは、大体が容姿に関してだ。

 二人の事をよく知らないので、無難な話題だったのかもしれない。

 ブリジットは美しさを、ジークハルトは逞しい体付きが話題となっていた。

 だが、ジークハルトの方は話し始めるとすぐに知性の高さを理解され、ドワーフという種族の特徴よりも、商売や技術の方面の話へと移っていく。


 ブリジットの方は、容姿や魔法に関しての内容がメイン。

 表向きはレディーを気取っていても、難しい話はダメだろうと思われたようだ。

 彼女の姿を見て、アイザックは「表面だけ取り繕ってもダメだ。ちゃんと知的な会話ができるようになっておかないと……」と、反面教師として学ばせてもらっていた。


 アイザックも交えて話をしていると、なぜか周囲が静まり返る。

 それは一人の男がブリジットに近寄っていったからだ。

 緊張が走る。


 ――ギルモア子爵。


 かつて彼女の尻を触って、顔面膝蹴りを食らった男だ。

 周囲が静まったのは、彼の動向を見守るためだろう。

 アイザックは「謝りに来たのか。なかなかのチャレンジャーだな」と思うと同時に「なんでこんなナイスミドルが痴漢行為を?」と思ってしまう。

 脂ぎったおっさんならわかるが、この世界の人間に違わず、五十過ぎでもなかなかの美形だ。

 前世なら、ハリウッドで俳優をやっていそうな渋みのある顔。

 痴漢行為をするほど、女性に困っているようなタイプには見えなかった。


「ブリジット殿。十年前は大変失礼な事を致しました。誠に申し訳ございませんでした」


 ギルモア子爵は深く頭を下げて謝罪をする。

 彼としては、謝罪する機会をずっと待っていたのだろう。

 痴漢事件によって審議官という立場から一転、無役に転落した。

 ブリジットの許しを乞う事で、審議官に返り咲く事はできなくても、また何か役職を与えられているのを期待しているのかもしれない。


「いえ、わたくしもあの時はやり過ぎたと反省しておりますの。こちらこそ、申し訳ございませんでした」


 ブリジットは、あっさりと彼を許した。 

 彼女の中では膝蹴りをした時点で報復が終わっていて、そのあとの解任騒動などは想定外だったのだろう。

 交流再開をダメにするところだったかもしれないので、本人も「やり過ぎた」と反省しているのかもしれない。


(でもなぁ、俺はなんだか気に入らない。謝る機会なら今までにもあったのにさ)


 だが、アイザックはギルモア子爵のやり方が気に食わなかった。

 謝るつもりなら、ウェルロッド侯爵家の屋敷に滞在している時に訪ねてくればよかったのだ。


 ――大使が来る前に仲良くなろうというタイミングで、人前で許しを乞う。


 これでは、ブリジットが本気で怒っていても許すしかない雰囲気になってしまう。

 アイザックは痴漢行為よりも、その卑劣さの方が気に入らなかった。

 とはいえ、ブリジットが許しているので、横から余計な口出しはしない。

 むしろ「外交に携わっていた人間が、これくらいやるのは普通だろう」と考え直した。


「そう言っていただけると助かります。これからはエルフやドワーフの皆さんと友好的な関係を築けるよう、微力ながら尽くさせていただきます」


 ギルモア子爵は安堵の表情を見せる。

「エルフの不興を買った」という風評がまとわりつくだろうが、ブリジットから許しの言質を取った。

 あとは根回し次第で役職を得られるかもしれない。

 これで第一段階は上手くいった。

 このあと一言、二言言葉を交わして、ギルモア子爵はジークハルトの方に挨拶をする。

 あまりしつこくブリジットに話しかけて、また嫌われてしまったら元も子もないからだ。


 ギルモア子爵にアイザックは少し不満を持ったものの、他の者には違ったように受け取られていた。

 ブリジットが誰にでも掴みかかるような者ではなく、ちゃんと話し合いができる相手だと受け取られたからだ。

 暴力的な行動を取っていた過去のアイザックの、スケールが小さい版のように思われていたのかもしれない。

 先ほどまでよりも、ブリジットを囲む人の輪が心持ち縮まっていた。


 挨拶を交わし、取り巻く人が減ってきた頃。

 また周囲が静まった。

 だが、今度はギルモア子爵の時のような緊張感ではない。

 アイザックに挨拶に来たとある少女の美しさに息を呑んで静まっていたからだ。


「アイザックくん、こんばんは。パーティ会場で会うのって初めてだね」


 ――姿を現したのはニコルだった。


(そういえば、こいつもネトルホールズ男爵家の当主だった!)


 当主限定・・・・のパーティーなので、ジェイソンすら今日は欠席となっている。

 だが、当主であるニコルが出席してもおかしくはなかった。

 しかし、アイザックは彼女が出席している可能性を失念してしまっていた。

 あまりにも貴族らしくないからだ。

 学院内でもないのに、アイザックに馴れ馴れしく挨拶をしている時点で貴族として間違っている。

 

(これで誰も注意しないんだもんな。どうなってんだよ、主役補正にしても凄すぎだろ)


 アイザックはそう思って周囲を見回すが、誰にもニコルをたしなめようとする気配がなかった。

 しかし、これは主役補正などというものではない。

「エンフィールド公相手に、なんと気安い口の利き方。きっと、ただならぬ仲なのだろう」と、周囲が勘違いしていたせいだ。

 アイザックが周囲を見回したのも「彼女の口の利き方に何か文句でもあるのか?」と、威圧しているかのように思われていた。

 だから、誰もニコルに注意しようとはしなかったのだ。


「そうですね、ネトルホールズ女男爵」


 アイザックは、ニコルの事を家名と爵位で呼ぶ。

 こうする事で自分の立場をわからせるためだ。


 今のニコルは、落ち着いた淡い紫色のドレスを着ている。

 という事は、爵位の低い家が派手な色のドレスを着てはいけないという基本的な事を理解しているはずだった。

 貴族社会について最低限の知識を持っているのなら、こうしてやんわりと注意をして立場をわからせてやればいい。

 これはニコルのためでもあった。

 常識のない者がジェイソンと結婚できるはずがないのだから。


 これが人のいないところなら放置でもいいのだが、パーティー会場でニコルと仲が良いと勘違いされる事だけは避けなくてはならなかった。

 将来、事を起こした時に「ニコルと共謀した」と言われてはたまらない。

 ジェイソンにニコルを押し付けないといけない以上、適度な距離は取っておかなければならないという事情もあった。


「もう、アイザックくんってば他人行儀な事を言っちゃって」


 だが、ニコルにはアイザックの配慮が理解できなかったようだ。

 グイグイと押してくる。


「エンフィールド公、こちらのご婦人はどなたですか?」


 アイザックがはっきりと注意しようとすると、ジークハルトがニコルの事を尋ねてきた。


「こちらはニコル・ネトルホールズ女男爵。僕の同級生ですよ」

「よろしくね」


 ニコルが笑顔でジークハルトに声をかけると、彼は少しだけ頬を赤く染める。


(種族を越える魅力パワー。半端ないな……)


 ニコルはドワーフからも魅力的に見えるようだ。

 ドワーフの女性とはタイプが違うというのに、不思議な事もあるものである。

 だが、このままジークハルトを魅了されては困る。

 いつかニコルと敵対する時が来るのだ。

 彼女の側に寝返られてしまっては、アイザックの計画が狂ってしまう。

 何とか二人が話すのを邪魔しようと、アイザックは考えを巡らせる。


「エルフの女の子って初めて見るけど、すっごく可愛いね!」


 アイザックの心配は無用だったようだ。

 ニコルはドワーフの男の子に興味がないらしい。

 すぐにブリジットの方に興味が移っていった。


「ありがとうございます。ニコルさんのようにお美しい方にそう言っていただけると嬉しいですわ」


 ブリジットもニコルのような美少女に褒められて悪い気はしない。

 自然な笑顔で対応する。


「腰の細さが羨ましいな。お腹周りがキュッと締まっているドレス姿とか、見ているだけで抱きしめたくなるもん」

「そ、そう?」


 エルフは人間に比べて細身の者ばかり。

 ブリジットも腰回りの細さなどは自信を持っていたので、そこを褒められて素直に喜んでいた。

 だが、アイザックは違う。

 首から下だけなら、ニコルの方が好みだった。

 もっとも、アイザックの場合は適度なボリュームがあるかどうかを重要視しているだけであったが。


 ニコルの視線が、ブリジットの爪先から頭の天辺までを何度も往復する。

 そして、何かがわかったかのような素振りを見せる。


「そっかぁ、年上の綺麗なお姉さんって……。エルフって寿命長いもんね」


 小声で呟いたあと、うんうん、とニコルは一人で納得する。


「どうかしましたか?」

「ううん、何でもない。こっちの事。それよりもさ、挨拶が終わったら私も一緒に居ていい?」


 ニコルはアイザックを上目遣いで見る。

「あざとい」と思ったが、女性にそういう視線を送られる経験のなかったアイザックには効果があった。


「まぁ、大人達の中に子供が一人っていうのは気を使うよね。挨拶が終わるまで待っててくれるならいいよ」


 アイザックは「ジークハルトが興味あるようだから」と自分に言い聞かせて、ニコルが一緒に居る事を認めた。


(まったく、女の武器っていうものを、さすがによくわかってる。あんな目をされて断れる男がどれだけいる事か。興味を持っていない俺にまで効果があるとか怖ぇな)


 残念な事に、アイザックは少しだけドキドキとしている。

 ニコルの魅力によるものだと思っているが、実際は女性経験の無さからくる狼狽えが大部分を占めていた。

 アイザックの周囲に女の子は多いが、ニコルほど露骨な事をしてくる子はいなかった。

 みんな貴族の娘という事もあって、最低限の慎みを持っているからだ。

 だからこそ、ニコルのようなやり方が有効なのかもしれない。


 このやり取りを見ていた大人達は「アイザックが婚約者を決めないのは、ニコルやブリジットという美少女がそばにいるせいでは?」と思っていた。

 彼らはニコルがアイザックの好みではない事を知らないせいだ。

 彼女達を前にしては、そこらの娘では太刀打ちできない。

 アイザックの目が肥えてしまっているから、ちょっと可愛いくらいの娘では色褪せて見えるのだろうと。

 あわよくば自分の娘や親族の娘を売り込もうとしていた者達が素直に諦めてくれたので、ニコルも思いがけずアイザックの役に立っていた。


 それからアイザック達は残った者と挨拶を交わすと、あとは若者同士で軽く雑談をして過ごした。

 これは主に、ドワーフ達に付き合って酒盛りが始まったせいだ。

 大人達が酒に付き合い、酒を飲めないアイザック達が自然とほったらかしになってしまったためである。


 この状況をアイザックは――


(下手に気を使ってパーティーを開くより、最初から酒瓶片手に語り合っとけばいいんじゃないの?)


 ――と思うしかなかった。

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