第271話 レイモンドの疑問

「おまたせ」


 ニコルが教室を出ていって間もなく、レイモンドが教室に戻ってきた。


「クラン先輩の様子はどうだった?」

「落ち着いた様子だったよ。夏休みの間に、先生がそういう決断をしそうだってわかっていたみたい。休みの日に手伝いにいけばいいだけだからって気にしてなかった」

「なるほど。やっぱり、好きな人の考えは理解できるんだねぇ」


 アイザックが一人で勝手に納得して、うんうんとうなずく。

 だが、レイモンドは不思議そうな顔でアイザックを見ていた。


「先輩が先生の事を好きそうだって知ってたの?」

「そりゃわかるさ。僕を誰だと思ってるんだ。女の子の気持ちくらい、手に取るようにわかるよ」


 アイザックは自信満々に答える。

 とはいえ、それは本心ではない。

 ちょっと冗談めかしている。

 そんなアイザックに対し、レイモンドは「何を言っているんだ、こいつは?」という表情を見せていた。


「……なに?」

「いや、凄いなぁって思ってさ」


 彼の言う「凄い」というのは「アマンダの気持ちにも気付いていないのに、なんでそんなに自信満々なんだ?」という意味の皮肉である。

「もしかしたら、わかって知らない振りをしているのか?」とも思ったが、アイザックは女性に対しては誠実そうに見える。

 アマンダの気持ちを知っていて「何かに利用しよう」と気付かない振りをしているようには思えなかった。


 ――レイモンドの目に映るのは「あれほどわかりやすいアマンダの気持ちにすら気付いていない鈍感男」というアイザックの姿。


「女の子の気持ちがわかる」という言葉は、同意しかねるものだった。


「なんか引っ掛かるけど……、まぁいいか。このあとどうする? どこか部活の見学とかにいく?」

「僕も先輩と同じく、週末に研究所に行こうかなって思ってるんだ。平日は勉強を頑張って、週末は先生のところでお手伝いって感じで」

「それもいいかもしれないね。今からどこかの部活に入るのも半端だし」


 アイザックは、レイモンドの考えに理解を示した。

 今言ったように、二学期から違う部に入るのは厳しいと思われる。

 同じ部活に所属していて、気の合う者同士固まっている時期だ。

 今から新参者が入部しても、寂しい思いをするだけだろう。

 レイモンドのように、ピストの研究所へ手伝いに行くのもいいかもしれない。

 活動する場所が、学校から研究所になる違いだけだ。


「でも、辞めるなら辞めるで夏休み中に会った時に教えてほしかったかな」

「それだね。だけど、先生に最高の環境を用意したアイザックも悪いよ。教師をやっていたのは研究費用確保のためって話してただろ?」

「そんな話を聞いたような覚えはあるけど……。まさか、こんな半端な時期に辞めるなんて思わなかったんだ。もっと良識があると思って油断していたよ」


 アイザックにとって、ピストが教師を辞めたのは良い事だ。

 ニコルと接触する可能性が減ったので、彼を魅了される危険性も低くなったという事だからだ。


 しかし、手放しでは喜べなかった。

 夏休み中に彼が使った経費は一億リードを超えていた。

 本格的に研究にのめり込んだら、どれだけの開発費を使い込むのかが不安である。

 グレイ商会にだけ支払わせるのは、さすがに無理が出てくるだろう。

 対策を考えておかねばならない。


(……ジークハルトにでも手紙を書いてみるか)


 グレイ商会の稼ぎ頭は、ドワーフ製の商品だ。

 もうちょっと多く卸してくれないか頼んでみるのも悪くない。

 それに、ドワーフ側の蒸気機関がどうなっているのかも気になる。

 一度、連絡を取ってみてもいいだろうと、アイザックは考え始めていた。


「とりあえず、今日は帰ろうか」

「うん、そうした方がよさそうだね」


 アイザックが下校を提案すると、レイモンドが同意する。

 過ぎた事を、こうして話していても仕方がない。

 それよりも、家に帰って予習や復習でもしていた方が有意義な時間を過ごせる。

 二人とも学生らしく勉学に励もうとした。


「どうする? 帰りにどこかの店に寄っていく?」


 放課後「ファストフード店に行こうか」というような言葉を言ってから、アイザックは前世を思い出して懐かしい気分になった。


「いいですね。是非とも行きましょう!」


 ルーカスが姿を現し、アイザックの意見に賛同する。


「……いたの?」

「はい、ちょうど今来ました。いつものお店でどうでしょうか」


 さすがにアイザックも、ルーカスがタイミングよく姿を現した事に目を丸くして驚いていた。

 だが、いつものお店・・・・・・に誘われた事で、彼が何の用件で教室に戻ってきたのかを察する。


「レイモンドも連れていっていいのかい?」

「もちろんです。友達ですから」


 友達というのも、ただの友達という意味ではない。

「アイザックがパメラとコッソリ会っている事を知っている仲だ」という意味だ。

 これはルーカスの独断で決められる事ではない。

 すでに「レイモンド達が協力してくれるようになった」とパメラに報告済みで、彼女の了承を得てレイモンドも誘っているのだろう。


「それじゃあ、みんなで行こうか」


 全てを理解したアイザックは、微笑みを浮かべる。

 久し振りにパメラと会えるのだ。

 自然と頬も緩む。

 その笑みを、レイモンドは「本領を発揮できる場面がきて嬉しいんだな」と思うと共に「この短い会話で色々と察する事ができるんなら、アマンダの気持ちにも気付いてあげればいいのに」と思わざるを得なかった。



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 アイザックが経営するお菓子屋。

 その二階に用意されている個室では、すでにパメラとシャロンが待っていた。

 こうしてパメラに会うのは久し振りだ。

 美しく、胸も大きく育ってはいるが、彼女に性的な感情の昂りは起きない。

 それとは違う、何か特別な感情が込み上げてくる。

 それはパメラも同じであるように、アイザックには見えていた。


「お久し振りです、アイザックさん。始業式の日に呼び出したりして申し訳ございません」

「いいんですよ。こちらも話しておきたい事もありましたし。彼はレイモンド。覚悟を持って手伝ってくれている者です」

「お初にお目にかかります。オグリビー子爵家ルースの息子、レイモンドです」


 挨拶をするレイモンドに、パメラはうなずいて応える。


「ルーカスから伺っておりますわ。心強い味方が増えて頼もしく思っております」


 そう言ってから、パメラは自分の名を名乗り、シャロンの紹介も済ませる。

 いつも通り注文した商品が届いて、店員が部屋から出ていってから本題の話に入る。

 先に口を開いたのはパメラだった。


「ティファニーさんの事は残念でしたね。……そこで念の為に確認しておきたいのですが、殿下から目を逸らさせるために、ニコルさんをチャールズさんに誘導するような真似はなさってはいませんよね?」


 これはシャロンが危惧した事だった。

 一組の中では、チャールズがジェイソンに次ぐイケメンである。

 彼をニコルに捧げて、ジェイソンを守ろうとしたのかもしれないと彼女は考えていた。

 それを「シャロンの意見です」とは言わず、自分の意見であるかのように質問したのは、パメラの責任感によるものだった。

 部下に責任を押し付けるような真似を、彼女はできなかったからだ。


「そのような事はしていません。ティファニーは大事な幼馴染です。従姉妹の幸せを壊すような手段を取ってまで目的を果たすつもりはありません。そんな手段を取る前に、やれる事が他にいくつもあるからです。そうではありませんか?」

「確かにその通りだと思います」


 パメラはアイザックの噂を思い出す。

 手段を選ばなければ、ニコルの問題はすでに片付いていただろう。

 アイザックがティファニーを犠牲にしたのなら、二人が婚約して収まるところに収まっているはずだ。

 

「もし、チャールズを利用するとしたら、確実に成功する方法を取っています。他人を犠牲にしてでも目的を果たすというのは、パメラさんも望まないところでしょう。今は時間をかけて地道にやっているところです。僕を頼ってきた方に合わせた、よりよい解決方法を常に考えています」


 アイザックはキッパリと言い切った。

 それを聞いて、パメラはホッとした表情を見せる。


「これは大変失礼致しました。アイザックさんを頼ろうと思ったのは、幼い頃から知っているというだけではありません。ウェルロッド侯爵家の方だからです。先代ウェルロッド侯は凄まじい方だったと伺っておりますので、もしやと思ってしまいました。その言葉が聞けてよかったです」

「あぁ、曽お爺様は……」


 自分の娘を三人とも謀殺の道具に使うくらいだ。

 ジュードから三代後にあたるアイザックも、彼のようなやり方をしてもおかしくないと思われていても不思議ではない。

 ウェルロッド侯爵家三代の法則は広く知られている。

 アイザックもジュードと同じく、身内のティファニーを犠牲にしてでも目的を果たすと思われていた。

 だが、これはパメラ達が悪いわけではない。

 アイザックがネイサンやメリンダを殺したり、カーマイン商会を力で屈服させるなど「ジュードの正当な後継者だ」と思わせる行動をしていた事が悪いのだ。

 あと、パメラにアイザックの所業を逐一教えていたウィンザー侯爵も悪い。


 訊ねられたアイザックも、気にした素振りを見せなかった。

 すでにレイモンドから同様の質問をされていたからだ。

 おかげで「周囲からはそういう風に見られている可能性がある」と、心構えができていた。


「僕は僕なりのやり方でやっていくつもりです。曽お爺様と違うところを、これからの働きでお見せしますよ」


 アイザックはパメラに信用されていない事を実感したが、それも仕方ない事だと受け取った。

 今までまともに話す機会がなかったのだから、自分がどういう人間かをこれから少しずつ知ってもらえばいい。

 マイナスから始まっている分だけ、プラスに転じるのも早いはずだ。


「私も他の人を犠牲にするやり方は嫌でしたから、勘違いだとわかってよかったです。でも、そうなるとチャールズさんが一方的に惚れ込んだという事になるのでしょうか?」

「そうなりますね。話し合いをした時に、かなりの覚悟を決めてニコルさんが好きだと公言していましたし」

「そうですか……。まだ一年の一学期が終わったばかりだというのに、随分ニコルさんに傾倒するのがお早いんですね」


 パメラが困ったような顔をする。

 それを「男性にはニコルがそこまで魅力的な女性に見えているのか……」と困っているように、アイザックには見えていた。


「卒業までには、まだ時間があるんですけどね。チャールズも競争率が高いと思って、焦って行動してしまったのでは?」


 チャールズの行動をニコルの魅力だけではなく、競争率の高さを危惧したものではないかとアイザックが話す。

 正直に「ニコルだから」という理由を話す事はできない。

 この世界にいる者では、誰一人として理解できる者がいないはずだからだ。

 おかげでこういう時は、適当な理由付けをするのに困ってしまう。


「競争率の高さ。確かにそうかもしれませんね。ニコルさんはとてもお美しい方ですから……。私では負けてしまいます……」


 誰だって「彼女は自分を選ぶ」という自信がなければ「誰かに取られる」と不安になってしまう。

 ニコルは男子に人気なので「誰かに取られる前に」と思って、チャールズが急いで告白したのだとしても不思議ではない。

 結果は悲惨なものだったが、好きな人を手に入れたいという気持ちは誰にでもわかるものだった。


 ――だが、それだけにジェイソンの事が不安になる。


 ジェイソンは王太子という立場にある。

 当然、自分にも自信を持っているだろう。

 だから、チャールズのように焦って行動はしないと思われる。

 しかし、それは良い事ばかりではない。

 行動に移さないという事は、ジェイソンの本心もわかりにくいという事だ。

 警戒しにくいという点ではデメリットとなる。


 ――気が付いた時には、すでに手後れ。


 そんな事態になりかねない。

 だからこそ、早めの行動が必要なのだ。


「ニコルさんも美しいとは思いますが、パメラさんの方が美しいですよ。負けてなんていません」


 アイザックが思い切った事を言った。

 それは「パメラの方が可愛い」と言うだけではなく「ニコルの美しさもわかっている」という、美的感覚がおかしいという誤解をフォローしようとする不純な動機もあった。

 だが、パメラにはそれで十分だった。

 頬を赤らめて少しうつむく。


「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」


 このやり取りを見て、他の三人が「嬉しいか?」と首をかしげる。

 すでにアイザックに美的感覚がおかしいというのは周知の事実。

 そのアイザックに「美しい」と言われて喜んでいるパメラの事を「優しい人だな」と思うだけだった。

 残念ながら、すでに周囲の評価は修正不可能なところまできてしまっているようだ。


「夏休み中に問題は起きませんでしたか?」

「さすがに、ニコルさんも王宮を訪ねたりはしていないようです。夏休み中は特に問題は起きませんでした。ですが、これからどうなるか不安ですね」

「やはり、接触を避けられない学校生活の間が不安ですね。ですが、安心してください。以前言ったように、パメラさんをお守りしますから」

「ありがとうございます。でも、停学にならないように気を付けてくださいね」


 アイザックの今までの実績から上手くやってくれるだろうとは思っていたが、パメラは念のために一言だけ注意をしておく。

 また停学になったりすると、アイザックの経歴に大きな傷がつくからだ。


「あれは若気の至りというかなんというか。今日、登校した時の気まずさといったら……。さすがにもうやりませんよ」


 アイザックがおどけながら言うと、パメラが気を使って笑ってくれた。

 

 今日はティファニーの件の確認と、久々の顔合わせという目的だったのだろう。

 このあとは、ピストの話などの雑談をして解散となった。

 今回は先にパメラ達が帰っていった。

 ルーカスも一緒に。

 二人だけ残った事で、レイモンドがアイザックとパメラの会話で抱いた疑問を口に出す。


「ねぇ、アイザック。幼い頃から知っているって、いつ頃から知ってたの?」

「大体十年くらい前だよ。お爺様に連れられて、ウィンザー侯爵家の屋敷に行った時に会ったのが最初だね」

「へ、へぇー。そうなんだ……」


 レイモンドはある事に気付いた。

 気付いてしまった。


(もしかして、アイザックの好きな人って……)


 部屋に入った時、一瞬二人が見つめ合う間があった。

 ひょっとすると、幼い頃から二人は恋心を持ち合わせているのかもしれないと、直感的にレイモンドは理解していた。

 そういう理由があるならば、こんな割に合わない面倒な頼み事を引き受けるのも納得できる。

 だが、それを表沙汰にする事はできない。

 彼女は王太子であるジェイソンの婚約者だ。

 お互いに想い合っているという事を口にすれば、王家からどんな処罰を言い渡されるのかわかったものではない。

「幼い頃から婚約者がいた」というのもパメラに当てはまる。

 だから、アイザックは「好きな人の名前」を言わなかったのだと思った。


(いやいや、そんなはずがない。奪い取ってでもとか言ってたんだぞ。さすがにアイザックが殿下から奪い取ろうとするはずがない)


 しかし、レイモンドはすぐに考え直した。

 忠臣としてエリアスの信任厚いアイザックが王家に反逆するはずがないと思ったからだ。

 それに、アイザックが王国を二分する反乱を起こす姿よりも、アマンダやティファニーに「どっちを選ぶの?」と詰め寄られている姿の方が想像しやすい。


 胸中に秘めておいたり、誰かに相談するにしても重過ぎる内容だ。

 だから、ポールやカイにも相談したりするつもりはない。

 レイモンドは「忠臣アイザックにそぐわないくだらない妄想は、さっさと忘れてしまおう」と考えていた。

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