第270話 ニコルの探り

 ソーニクロフト侯爵は、ファーティル王国の大使館だけではなく、ウェルロッド侯爵邸にも数日滞在してから国に帰っていった。

 久しぶりにマーガレットとの語らい……というのはあまりなかった。

 さすがに数十年も離れて暮らしていると、何を話せばいいのかわからなくなるのだろう。

 アイザックやケンドラの事が話題の中心となっていた。


 ソーニクロフト侯爵は子供の扱いが上手い。

 彼には子供が多いというのもあるが、孫も多い。

 だからか、ケンドラもすぐに懐いていた。


 その姿をマーガレットが羨ましそうに見ていたのが印象的だった。

 彼女も子供が大勢欲しかったが、モーガンが子供達をジュードに利用される事を恐れて、ランドルフしか子供を作れなかった。

 そのため、実家のソーニクロフト侯爵家と比べて、ウェルロッド侯爵家の寂しさを余計に強く感じてしまうのだろう。

 ひょっとすると、リサをアイザックの側室にしようとしたのも、曾孫の顔を多く見たかっただけなのかもしれない。


 ソーニクロフト侯爵が国へ帰る頃には、少しだけマーガレットがケンドラをあやすのが上手くなっていた。

 兄のやり方を見て学んだのだろう。

 子育てのやり方は、ウェルロッド侯爵家では学べなかった事だ。

 義母となるジュードの妻が生きていれば学べたかもしれないが、彼女は娘が謀略の道具に使われた時点で狂い死にしてしまった。

 そのせいで、マーガレットは全て手探りでやるしかなかった。

 ネイサンを後継者に推そうとしたのも無理もないのかもしれない。



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 アイザックの夏休みは楽しいものではなかった。

 最初はティファニーの件で忙しかったが、ひとまず落ち着いたあとも部活動くらいしかやる事がなかった。

 本当は科学部の活動に行くのは嫌だったが、レイモンド以外の友達は運動系の部活動に入っている。

 運動部の一年生は基礎体力作りのために夏休み中は遊んでいられない。

 遊ぶ友達がいないから、これからの計画を立てるくらいしかできなかった。

 ケンドラやマイクと遊ぼうとしても、なぜか今年は祖母が子供達によくかまっているので、アイザックも邪魔をするのが悪い気がして遠慮して一歩引いたところで見守っていた。


 自然と停学になったアイザックのご機嫌伺いに来る貴族の対応がメインとなっていた。

 それはそれで人脈作りができるいい機会だったが、楽しいとは思えない。

「来年こそは、もっと楽しい夏休みにしたい」と決意をして夏休みが終わった。




 九月になり、二学期が始まった。

 二学期初日はティファニーの事が心配だったが、彼女の心配をする必要はなかった。

 むしろ、自分の心配をしないといけない。


「アイザックくん、大丈夫だった?」

「心配してたのよ」

「元気そうでよかったぁ」


 ――クラスメイトの女の子達に取り囲まれたからだ。


 彼女達はアイザックとチャールズの間にあった事を知っている。

 もちろん、ティファニーの事も。

 だが、ティファニーは一学期末に登校しており、アマンダがそばにいた。

 彼女の婚約解消の話はタブー視され、話題に出す者はいなかった。

 それに夏休みを挟んでホットな話題とは言えなくなってしまっている。

 今はティファニーよりも、一学期末に休んでいたアイザックの方が話題のネタにしやすかったのだ。

 当然、彼女達もティファニーの事には触れないように気を付けて、アイザックに話しかけている。


「心配してくれてありがとう。僕は大丈夫。こうしてみんなと会える日が待ち遠しかったよ」


 アイザックが優しく微笑むと、周囲の女の子達が黄色い歓声を上げる。

 テレビのない世界なので、シックスメンズが学院のアイドルのようになっている。

 中身がイケメンと程遠くても、アイザックの外見だけは学院内上位。

 優しく微笑むだけで周囲が好意的な反応をしてくれていた。


「アイザックくん、久し振りっ」


 アマンダが女の子の壁をかき分けて、アイザックに挨拶をした。

 アイザックも、彼女には特別いい笑顔を見せる。


「おはよう、アマンダさん。ティファニーの事ではお世話になったらしいね。本当にありがとう」


 アイザックはアマンダの右手を取り、両手でしっかりと握りしめる。

 これは感謝の気持ちだ。

 自分が暴力行為を働いていなければ、ティファニーのそばにいて心無い言葉から守ってやれた。

 だが、停学になってしまったために、それはできなかった。

 そんな時、ティファニーを守ってくれたのはアマンダだ。

 困っている従姉妹を守ってくれた彼女に、アイザックは心から感謝している。


 ――嘘偽りのない感謝の気持ち。


 しかし、それはアマンダに伝わらなかった。


「あ、あ、あいざっくくん……」


 アイザックに手を握られてしまったせいで、思考がフリーズしてしまっていたせいだ。

 恥ずかしさのあまり、手を振り払おうとするが腕が動かない。

 突然の事態に反応できず、体が固まってしまっていた。


「と、ともだちだからね」

「それでもだよ。抱きしめて感謝の気持ちを表したいくらいだけど、さすがに女の子相手にそんな事はできないのが残念だ」


 最後にグッと力を籠めてからアイザックが手を放す。

 こうして手を握れたのも、まだアマンダに男の子っぽい雰囲気が残っていたからだ。


 一瞬アマンダの手がアイザックの手を求めて追いかけようとするが、アマンダは意志の力で抑え込んだ。

 下手な真似をして「はしたない女だと思われるかもしれない」という恐れが、アイザックを求める気持ちに勝ったからだった。

 アイザックの手を求める代わりに右手を自分の胸に当て、左手を重ね合わせる事で、少しでもアイザックの感触を心に刻み込もうとしていた。


 アイザックが久し振りの登校でクラスメイト達と話していると、教師が教室に入ってきた。

 だが、担任のピストではない。

 ニールという体育教師だった。


「さぁ、みんな。始業式の前に話がある。席に着いてくれ」


 貴族であっても、教師相手には従うしかない。

 成績だけではなく、内申点も稼いでおきたいからだ。

 アイザック達は、話をやめて席に着く。


「さて、みんなに悲しいお知らせだ。『本当にやるべき事を見つけた』と言い残してピスト先生が退職された。パトロンが見つかったので、これからは研究一筋でやっていくらしい」

「うぉぉぉい! あいつ、何やってんだ!」


 アイザックが驚きのあまり、叫びながら立ち上がった。


(普通、仕事をやめるか? ……あぁ、普通じゃなかったっけ)


 いつ支援が打ち切りになるかわからない研究に打ち込むのは異常だ。

 もちろん、彼なりに「アイザックは研究を打ち切らない」という計算があったのかもしれない。

 だが、王立学院という安定した職を辞めるのは理解できない。

 貴族相手の仕事なので、公務員の中でも好待遇だったはず。

 それをあっさりと捨てられる「研究者の中でも一線を越えるタイプだった」という事を思い出させられた。


「……アイザックくんの言う通りだと認めざるを得ないが、短い期間とはいえ一応は担任だったんだから、その言い方は適切ではないね」


 アイザックが「あいつ」と言った事に対して、ニールが注意をする。

 その言葉で自分が取り乱していた事に気付かされた。


「す、すみません」


 一言謝ってから、アイザックはイスに座り直す。

 体育教師は、やれやれといった表情を見せる。


「まぁ、今の反応を見ればみんなもわかると思うが、パトロンとはアイザックくんの事だ。ピスト先生は『湯水のように研究開発費を使えるのが楽しくて仕方がない』と言い残していったよ」

「誰も引き止めなかったんですか?」


 アイザックがニールに質問する。

 いくら何でも年度末に辞めるのならともかく、二学期が始まろうとしている時に辞めるなんて半端すぎる。

 普通は止めるだろうと、アイザックは思った。


「引き止める理由がなかったしね。今年は戦略授業の受講者が多かったから、科学の選択授業を選ぶ者が今年はゼロ。科学部も存続できるギリギリの人数しかいなかった。担任の問題さえ解決できれば、どうしても必要という事もなかったからね」


 ――魔法のある世界なので、科学分野が軽んじられている。


 その傾向が顕著に出てしまった。

 念の為に維持をしていた専攻科目だが、受講者がいないのなら無理に維持する必要はないと考えられたのだろう。

 ピスト個人の性格により、他の教師が絡みづらかったというのもあるかもしれない。

 才能はあっても、人付き合いの下手さによって能力が認められないタイプなのだろう。


 本来なら、あと三年くらいは科学教師として学院に在職するはずだった。

 アイザックと出会ってしまったせいで、彼も人生が狂ってしまった一人なのかもしれない。

 本人が幸せそうなのが救いだろう。


「アイザックくんは聞いていなかったのかい?」

「夏休み中に会っていましたが、一言もそんな事を言っていませんでした。まさか、自分の研究室を持てたからといって、教職を辞めるとは思いもしませんでした」

「それはこちらも同じだ。一つの事に打ち込むのは良い事だが、それしか見えなくなるのはなぁ……」

「周囲に迷惑をかけるのは、困ったものですね」


 アイザックとニールは困ったような表情をしながら、乾いた笑い声をあげる。

 一つの事しか目に入らなくて、一直線に暴走するような者は厄介でしかない。

 アイザックが困惑しているくらいだ。

 ニールも突然担任を任されて、アイザック以上に戸惑っているだろう。


「あの、科学部はどうなるんでしょうか?」


 戸惑っているのはレイモンドも同じだった。

 ピストが辞めたら、担任が変わるだけではない。

 科学部顧問がいなくなるという事だ。

 これから先、部活動がどうなるのかを心配していた。

 ニールは辛い現実を告げる。


「残念だが、廃部という事になるな。君達は新しいクラブ活動を選ぶかどうするか考えなくてはならない。入らなくてもいいが、どうするかは君達の考えに任せる」

「そんなぁ……」


 レイモンドは夏休み中、ピストの手伝いをしたりして科学の面白さを感じ始めてきたところだ。

 こんなにあっさり部活がなくなるなんて考えもしなかった。

 ガックリと肩を落とす。

 そんなレイモンドの姿を見て、ニールが手を打ち鳴らす。


「さぁ、気を取り直して始業式に行こう。色々やっているうちに立ち直れるさ」


 いつまでもピストの事を引きずってはいられない。 

 ニールは目の前の事に集中させて、ピストの事を忘れさせようとしていた。



 ----------



 始業式は退屈な時間でしかなかった。

 しかし、前世と違って自分の立場があるので退屈そうにしている姿を見せられない。

 他の生徒達のように、真剣な顔で学院長の話を聞いていた。


 始業式が終わると、あとは部活動に向かう者だけが学校内に残る。

 二学期初日から授業が始まらないのは、夏休み気分の抜けていない生徒にはありがたかった。

 アイザックは部活がなくなったので、まっすぐ家に帰るつもりだったが、レイモンドが「クラン先輩の様子を見てくる」と言って彼女の教室に向かった。

 一緒に行ってもよかったのだが、レイモンドのように真面目に部活に出ていなかったので、クランともそれほど親しくない。

 泣きつかれても対応に困るので、レイモンドに任せ、自分は誰もいなくなった教室で待っていた。


 そこへ、一人の女子生徒が姿を現す。


「アイザックくん、久し振りー」


 ――ニコルだった。


 彼女は戦技部で使われている皮の鎧を着ているので、部活を抜け出してきたのだろう。

 わざわざ彼女が会いに来た事に、アイザックは言いようのない不安を感じる。


「ニコルさん、お久し振りです。何か御用ですか?」

「やだなぁ、そんな他人行儀な事を言わないでよ」


(他人だよ!)


 アイザックは心の中でツッコミをいれるが、当然ニコルはそんなものを意に介さずに近づいてくる。


「ちょっと聞きたい事があったんだ。普段はみんながいるし、こういう時じゃないとゆっくり話せないしね」


 ニコルの言う事は確かにその通りだ。

 普段はアイザックの周囲には女の子が集まり、ニコルの周囲には男の子が集まっている。

 なかなか二人で話す機会などない。


(こんな貴重な機会はパメラとの方がよかったな……)


 アイザックは、どうしてもそう思ってしまう。

 ニコルと二人っきりで話したくはなかった。

 だが、今から逃げるわけにはいかない。

 あまりにも不自然過ぎるからだ。


「聞きたい事ってなに?」

「チャールズくんが私とできるだけ話さないようにって言われてるんだって。あんまり親しそうに話していると、遠くに行かされるんだって。もしかして、アイザックくんが手を回したの?」


 ニコルが聞きたかった事は、チャールズの態度のようだ。

 しかし、それに思い当たる事はない。

 アイザックは首を横に振る。


「僕じゃないよ。おそらく、アダムズ伯爵が言いつけたんじゃないかな?」

「ふーん、そうなんだぁ」


 言葉とは裏腹に、ニコルはアイザックの言葉を信じていないようだった。


「確か、マットさんはアイザックくんの部下なんだよね?」

「そうだよ」

「ピスト先生もアイザックくんが引き抜いたんだよね?」

「違うよ。先生が勝手に居心地のいい場所を見つけて教師を辞めたんだ。僕は何もしていない」

「なるほど。アイザックくんは・・・・・・・・何もしてないんだね」


 ニコルは一人で何かに納得したように、うんうんとうなずいている。

 アイザックは、彼女の顔を不思議そうな表情で見つめていた。


「もしかして……、ライバルになりそうな相手を排除したりしてる?」


 意を決したような表情でニコルが訊ねてくる。

 アイザックは、その質問を鼻で笑った。


「ライバル? 彼らは僕のライバルなんかじゃないよ」


(俺のライバルはジェイソンだけだ)


 だが、ニコルには「奴らは俺の敵になる器じゃない」と言っているように聞こえていた。

 だからか、何かの確証を得たような表情を浮かべていた。


「私も、ちょっとくらいなら独占欲がある人も嫌いじゃないけどね……。じゃあ、私はクラブがあるから。またね」


 ニコルはそう言い残して去っていった。

 まるで嵐のような女である。


(なんだったんだ? いったい……)


 残されたアイザックは唖然としていた。

 チャールズの件を確認しに来ただけだと思ったら、わけのわからない事を言って去っていった。


 この件の事を、アイザックはなぜか「新学期早々、ニコルに話しかけられるなんて縁起が悪いなぁ」と思うだけだった。

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