第269話 ロレッタとの婚約話

 八月も半ばに差し掛かった頃。

 アイザックは王宮から呼び出しを受けた。


 ――用件は「ロレッタ・ファーティルとの婚約」について。


(断ったはずなんだけどなぁ……。いや、はっきりと断ったわけじゃないけど)


 怪我が治ったり、戦争に勝ったりしてテンションが上がっている時に決めるべきではない。

 そう言って遠回しに断ったような気がする。

 そのせいで戦後半年以上経った今ならば、良い頃合いだと思われたのかもしれない。


(はっきり断ると角が立つし、難しいところだったもんな。でも、ちゃんと言っておけばよかったかなぁ)


 曖昧な言葉で断った事が悔やまれる。

 だが、今更悔やんでももう遅い。

 使者が来ているらしいので、ちゃんとその使者に自分の意思を伝えるしかない。

 アイザックは意を決して王宮に向かう。


 今回はエンフィールド公爵という立場で王宮に向かうので、親は伴っていない。

 外交に関する事なので、外務大臣の祖父が同席する事になっている。

 王宮でモーガンと合流すると、エリアスのもとへ向かう。



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「アイザック・ウェルロッド・エンフィールド。ただいま参りました」

「待っていたぞ。座るがよい」

「はっ、失礼いたします」


 貴族としての義務は免除されているが「おはよー」などという風に声をかけられるという意味ではない。

 仕事を割り振られたり、強制的に命令されたりしないだけで、礼儀作法は人として守らねばならないというのは変わらない。

 まずは礼儀正しい対応をする。

 アイザックとモーガンが座ると、氷の入った水が出される。


「冷蔵庫のおかげで暑い季節も少しは楽になった。良い物を贈ってくれたな」


 エリアスが一口だけ水を飲む。

 ホスト側が先に口をつける事で、ゲストが飲みやすくするためだ。


「陛下のお役に立っているのなら、それが臣下にとっての喜びです」


 アイザックもおべっかを使ってから、水を一口飲んだ。


(冷えた飲み物を飲むのはクロードやブリジットと離れて以来か)


 久々の心地良い喉越しにゴクゴクと飲んでしまいそうになるが、それは下品だと言われそうなので我慢する。


 ――たかが冷たい飲み物。


 だが、それだけの飲み物がとてつもなく贅沢なものに思えた。

 ブリジットに初めて冷えた果実を作ってもらって以来の感動だ。

 まだ彼らと別れて半年も経っていないのに、その存在を愛おしく思える。

 早く帰ってきてほしいと思ってしまう。


「さて、話は聞いているな?」


 アイザックが快適だった生活に思いをはせていたところ、エリアスがさっそく本題に入ろうとする。


「はい。ロレッタ殿下の件ですよね」

「そうだ。重要な事なので率直に聞こう。婚約する意思はあるのか?」


 エリアスはストレートな質問をした。

 婚約の条件はモーガンから聞いているはずだからだ。


「陛下によくしていただいているのに、僕はまだ何もお返ししておりません。良い縁談があったからといって、あっさりと仕える国を乗り換えるつもりはございません」


 アイザックは、はっきりと断言した。

 ロレッタとの婚約の条件は素晴らしいものだった。


・アイザックを次々代の国王として迎える。

・ロレッタだけではなく、気に入る者がいれば王族の中から気に入った娘を追加で側室に迎えてもいい。


 他にも金銭面などで好条件はあったが、この二つはアイザックの目から見て特に目立つものだった。

 前世のアイザックではありえなかった好待遇だ。

 だが、後ろ髪を引かれる思いで断る事にした。

 理由は簡単。


 ――リード王国を乗っ取った方がメリットが大きいからだ。


 リード王国の方が大きな国。

 経済的にも、戦争で疲弊したファーティル王国よりも魅力的だ。

 しかも、ニコルのおかげで乗っ取れそうなところまできている。

 その気になれば、あとでファーティル王国を属国にする事だってできるかもしれない。

 わざわざロレッタと婚約しなくても、ファーティル王国を手にいれる事も夢ではない。


 だが、安全確実に王様になれる道も魅力的だとも思う事もある。

 もしも、パメラとの出会いがなければ……。

 出会うとしても、もっと遅い時期であれば違ったかもしれない。


 ――でも、今までの頑張りを無駄にするのはもったいない。


 そう思ってしまう段階にまで進んでいるので、断るという選択肢一択だった。

 アイザック自身、タイミングの違いでここまでおいしい婚約話を断るとは思わなかった。

 前世の自分では考えられなかった事だ。

 こういう決断ができるようになっている自分に、アイザックは心の中で驚く。


 その決断に、エリアスは満足そうにうなずいていた。


「嬉しい事を言ってくれるではないか。しかし、良いのか? 国王になれば私と肩を並べられるようになるのだぞ?」


 エリアスは、まるでアイザックがどう答えるのかわかっているかのような、少し意地悪そうな笑顔を浮かべながら言った。


「陛下と肩を並べたいと思った事など一度もございません」


 この言葉はアイザックの本心だ。

 エリアスと肩を並べたい・・・・・・と思った事など一度もない。

 アイザックは上に立ちたい・・・・・・のだ。

 エリアスを国王の座から引きずり降ろし、自分がそこに座る事しか考えた事はない。


 嘘の混じらない誠実な・・・アイザックの言葉は、エリアスやモーガンにも本当の事だと伝わった。

 二人とも「リード王国の貴族としての自覚が育ちつつある」と、アイザックの成長を嬉しく思っていた。

 揃って頬がほころぶ。


「そなたのような者が、そう思ってくれているというのは嬉しい事だな」


 エリアスは喜びを隠そうとするが、鼻がひくついているので感情を隠しきれていなかった。

 アイザックはリード王国だけでなく、周辺国を含めて得難い人材である。

 そのアイザックにこれほど慕われているというのは、エリアスにとって自慢できる事だ。

 この場にいるメイド達によって「エンフィールド公は陛下の事をとても慕っていらっしゃる」という噂が流れるだろう。

 それはエリアスの評判を高める事になる。

 更なる名声を手に入れる事ができるのだ。

 彼の言葉も、また本心からだった。


「しかし、残念だな。リード王家にも独身の娘がいれば婚約話を持ち出すのだが……。私の従姉妹くらいしかおらんな」

「陛下の従姉妹殿といえば、確か四十過ぎの未亡人。しかも子供が二人いらしたはず。初婚のアイザックには少々荷が重いでしょう」


(少々どころじゃねぇよ!)


 エリアスとモーガンの話を聞き、アイザックは絶対にごめんだと思った。

 連れ子が義理の親と上手くやっていくのは難しいと聞く。

 しかもそれが年の近い父親だとなれば、絶対にギクシャクとした関係になってしまうだろう。

 それを乗り切る経験など、前世を含めても積んでいない。

 初婚は共に夫婦生活というものを学んでいける相手がよかった。


 さすがにエリアスもその事はわかっている。

 アイザックに従姉妹との婚約を無理に勧めようとはしなかった。

 親族をあてがって取り込むにしても、不満を持たれるような強引な話は逆効果だと知っているからだ。

 本気で話を進めようという気はなかったので、この話題はやめて話を戻す事にした。


「では、ロレッタ王女とは婚約をする気がないのだな?」

「はい、僕は王位に目が眩んで殿下と結婚するなどという事はしたくありません。貴族らしくない考えかもしれませんが、ちゃんと好きになった相手と結婚したいと思っています」

「なるほどな」


 ――アイザックが打算ではなく、愛のある結婚を求めている。


 確かに貴族として、公爵家の当主として。

 そして侯爵家の跡継ぎとしては甘い考えだ。

 しかし同時に、アイザックが打算尽くめではなく、人間らしいところがあるところがあって安心する。

 ジュードのような恐ろしさしか感じさせない者よりはずっといい。

 それに、これはこれで硬軟織り交ぜた対応ができるという強みにもなるだろう。

 自分の代の時にジュードが思っていたよりも早く逝去し、アイザックが若くして頭角を現したのは幸運だったと、エリアスは神に感謝する。


「さて、今聞いた通りだ。エンフィールド公にロレッタ王女と婚約の意思はない」


 エリアスが隣室に繋がるドアに話しかける。

 するとドアが開かれ、一人の男が姿を現した。


 ――スタンリー・ソーニクロフト侯爵。


 マーガレットの実兄であり、アイザックの大伯父でもある人物だ。


「なぜ、ソーニクロフト侯がここに?」

「殿下の婚約話を持ち込むためですよ。遅ればせながら、公爵就任おめでとうございます」


 ソーニクロフト侯爵は、まずアイザックにお祝いの言葉を述べる。

 公爵位を授与された時に手紙で祝っていたが、直接顔を合わせた時にも告げておくべきだからだ。

 しかし、アイザックの疑問はまだまだ尽きない。


「ですが、ソーニクロフト侯は財務大臣だったはずでは?」

「あぁ、それはですね……」


 ソーニクロフト侯爵は気まずそうに頬を掻きながら、テーブルに着く。


「先任のグレンヴィル伯が裏切ってしまいましたからね。あのような結果になりましたが、かなり陛下の信任厚い者だったのです。その彼が裏切った。ロレッタ殿下との縁談をエンフィールド公に持ち込むのを、新任の外務大臣に任せていいものかと陛下が不安に思われました。ですので、親戚の私に任されたのです」

「あぁ、そういう事ですか……」


 そう言われてみれば、アイザックも納得ができる。

 ファーティル国王のヘクターと話をした時、雑談で「信頼していたからこそ、外交は全て任せていたのに」と残念がっていた。

 そんな相手が裏切っていたのなら、ショックはかなりのものだろう。

 アイザックもノーマンやマットが裏切っていたら、しばらくはショックで寝込むかもしれない。

「新任の外務大臣よりも、まだアイザックの親戚の方が信用できるだろう」と思ってしまうのも無理はない。


「では、隣の部屋にいらしたのは?」

「それは本心を伺うためです。ヘクター陛下も強引に婚約させようとは考えておりません。エリアス陛下やウェルロッド侯に協力していただき、エンフィールド公の本心を引き出していただきました。忠誠心あふれるその姿勢。感動的ではありましたが、それだけにヘクター陛下は残念に思われるでしょう。私としても残念です」


 ソーニクロフト侯爵は、言葉だけではなく本当に残念そうな顔をした。

 アイザックのように忠誠心あふれる臣下は、今のヘクターにこそ必要だろう。

 しかし、忠臣だけあって、簡単には主君を変えたりはしない。


 ――忠臣が欲しいのに簡単には手に入らない。

 ――簡単に手に入る臣下は信用ならない。


 まさにジレンマだ。

 だからこそ、アイザックには自分の意思でロレッタと婚約して、次期国王候補としてファーティル王国に来てほしかった。

 正当な理由があって、国を移るのならば問題ないと思ったからだ。


「ヘクター陛下は、エリアス陛下が羨ましいと仰るでしょう」

「いやいや、ソーニクロフト侯のような者もいる。羨ましがる事などないだろう」


 エリアスは満足そうに声を出して笑った。


 ――他国も欲しがる人材が自分を慕っている。


 その事がたまらなく愉快だったからだった。


「しかし、エンフィールド公も独身というわけにはいかないでしょう。どなたかを娶る予定でもあるのですか?」


 ソーニクロフト侯爵がモーガンに尋ねる。

 さすがにアイザックが独身のまま生涯を過ごすとは思えなかったからだ。


「『王立学院で良い人を探す』と言ってはいるものの、その気配がないのが少し心配ですな」

「なるほど、サンダース子爵と同じようにというわけですか。親子ですな」


 ソーニクロフト侯爵が笑うとモーガンも合わせて笑った。

 アイザックも「まだ一学期が終わったばかりなのに気が早いな」と思いつつも、とりあえず合わせて笑う。


 だが、この時ソーニクロフト侯爵が笑っていたのは、ランドルフとアイザックが似たような考えをしていた事が理由ではない。

「糸口を見つけられたかもしれない」という喜びで笑っていたという事は、この場にいた誰も気づいていなかった。

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