第265話 とりあえずの終わり

 リビングでは、マーガレットがケンドラとあやとりをしていた。

 傍らでリサがケンドラを見守っている。

 遊んでいる最中だったが、アイザック達の姿を確認すると彼女達は手を止めた。


「どうやらダメだったようね」


 マーガレットが溜息混じりに言った。

 彼女も一般論ではあるが、ティファニーにアドバイスをした立場である。

 上手くいかなかった事を少しだけ気にしていたので、今回の結果が気になっていた。


「残念ですが……」


 アイザックはそこで言葉を止めた。

 これ以上、言わなくても十分に伝わるからだ。

 そもそも、上手くいっていればティファニーの顔には笑顔があるはず。

 その顔に笑顔がない時点で一目でわかる。

 はっきりとした言葉を言って、ティファニーをこれ以上傷つける必要を感じられなかった。

 アイザックは、リサのもとへ一直線にティファニーを連れていく。


「リサ。女同士って事で、しばらくティファニーを慰めてあげてくれないかな? 抱きしめるなり、なんなりしてさ」

「かしこまりました。さぁ、ティファニー」


 リサがティファニーをアイザックから受け取ると、優しく抱き寄せた。


「リサお姉ちゃん……」

「何があったかは今は聞かない。話す気になったら教えてね」


 余計な事は聞かず、リサはティファニーを近くのソファーに連れていく。

 そこで自分の胸を貸して、思う存分泣かせてやる。


 幼馴染でもあるリサに会って安心したからか。

 それとも、決定的な別れのあとだからだろうか。

 ティファニーは、今までになかったほど激しく泣き出していた。


「お姉ちゃんに悲しい事があったの?」


 ケンドラがアイザックに尋ねた。

 ティファニーの様子を見て、心配そうな顔をしている。


「ああ、そうだよ。……心配ならケンドラが隣に座って、手を握ってあげたりするといいかもね」

「うん」


 ケンドラはリサが座っているのと反対側に座ると、ティファニーの腕を両手で握った。

 今はリサの体に抱き着いているので、ティファニーの手が握れないからだ。

 アイザックは慈しむ目で、ケンドラを見つめる。


「アイザック、座りなさい」


 どうやらジッと見つめてばかりもいられないようだ。

 マーガレットがアイザックに、自分の正面に座るように声をかける。

 まだケンドラを見ていたいアイザックは、渋々祖母の言葉に従った。


「まったく……。なんですか、あのエスコートの仕方は。肩を抱くとか腰に手を回して支えるとかあるでしょうに」


 ――アイザックは、お説教が始まる気配を感じる。


 お説教を回避するために、言い訳をする事にした。


「いや、まぁ……。年頃の女の子に、そういう行動はちょっとできなくて……」


 アイザックの返答を聞き、マーガレットはまたしても溜息を吐く。

「何を思春期真っ盛りのうぶな少年みたいな事を言っているのか」と思ったからだ。

 そして、すぐに「そういえば、アイザックもお年頃だったわね」と思い直す。

 今までの行動から普通の男の子とは違うと思っていたが、こういうところは年相応なのだと気付かされる。


「ダンスの練習では、普通に抱いているでしょうに」

「ダンスとそうでない時は違いますよ。気の持ちようの違いですね」


 もう子供の頃とは違う。

 ダンスだとか護身術の練習だなどで、正当な理由もなく女性の体に触れるという事ができなくなっていた。

 子供の頃のように、ティファニーと手を繋いで歩くという事すら大きなハードルとなっていた。

 成長するのも良い事ばかりではなかった。


「それで、どういう話だったの?」

「婚約は解消になるでしょうね。ですが、ティファニーがチャールズの事を忘れられないようですので、チャールズの心変わりした時に備えて、退学や廃嫡といった処罰を求めたりはしませんでした。その分、ハリファックス子爵家は賠償金を。お爺様がアダムス伯爵に財務省のポストや便宜を図る事を要求していましたね。僕個人としては、何も求めないという方針です」

「そう、それは妥当ではあるわね」


 マーガレットも子爵家と伯爵家の問題で、賠償を多くは求められないというのはわかっていた。

 アイザックが何も要求しないのなら、今回の問題を賠償金で済ませるのは妥当なものだと彼女には思えた。


 ――今回のキーマンはアイザックだった。


 公爵であるアイザックが処罰を求めるかどうかが、アダムス伯爵家の命運を左右する。

 ティファニーの従兄弟であるアイザックがいるからこそ、アダムス伯爵家もハリファックス子爵家に強気に出られない。

 そのため、アイザックが処罰を求めないというのなら、今回の決定は妥当というよりも、ややハリファックス子爵家有利な結末なようにすら思えた。


「でもね、あなたはエンフィールド公爵という爵位を持っているのよ。何も求めないというのは悪手。ウェルロッド侯爵家やハリファックス子爵家としての請求だけじゃあダメよ。形だけでもいいから、あなたからもちゃんと請求しなさい。『エンフィールド公は甘い』と舐められる可能性もありますよ」

「はい、それは僕もわかっているつもりです。ですが、そうやって舐めてきた相手を一人か二人叩き潰せば、不埒な輩は現れなくなるでしょう」


 アイザックが自信満々で自説を語る。


 ――やられたらやり返す。


 専守防衛の考え方だ。

 しかし、その考えはマーガレットに、今までで最も大きな溜息を吐かせる事になった。


「相手が愚かな行為をする前に『手を出してはいけない』と思えるようにしてあげなさい。ただでさえ、あなたはランドルフに似て威圧感がないのよ。行動で示さないといけません」


 ――マーガレットが心配していたのは、アイザックの風格・・だった。


 戦争帰りで公爵になった者とは思えないほどの威厳のなさ。

 もし、アイザックに威厳があれば、マーガレットもこんな事を言わない。

 誰だって「あいつに手出しするのはヤバイ」と見てわかる者に喧嘩は売らない。

 しかし、今のアイザックは「なんだか勝てそう」と思わせるほど強そうには見えなかった。

 そこがジュードとの違いだった。

 多少は気品を感じられるのでマシだが「その辺にいる平民の優男」と言っても通じるかもしれないくらいだ。

 その点をマーガレットは心配していた。


 相手を油断させるという意味では、ウェルロッド侯爵家の当主にふさわしいのかもしれない。

 しかし、不要な争いを避けるという点では、ジュードのような威圧感があった方がいい。

 マーガレットは、アイザックに足りないのは美的センスと威圧感の二つだけだと考えていた


 だが、この件に関してはアイザックにも言い分があった。


「いくら威圧感がなくても、公爵になった僕に喧嘩を売るような馬鹿はいないでしょう。そんな者は……、数人かな……」


 フレッドのような特別な理由のある者は別としても、ニコルに攻略された者が自分に敵対してくるかもしれない。

 チャールズのように異常な状態になっていたら、肩書きなど気にせずに喧嘩を売ってくるだろうと思われる。

 アイザックは「いない」とは断言できなかった。


「その数人は、勇者か限度を超えた愚か者のどちらかね……。『見てわかる』というのは大切よ。威圧感のある風貌になれない以上、肩書きだけではなく、行動でわかるようにするのも一つの優しさなのよ」

「わかりました。今後は気を付ける事にします。でも、今回は事情が事情でしたので」


 アイザックとしても、余計な争いを避けられるのなら、それに越したことはない。

 祖母の言い分にも一理あると認めていた。

 問題は、多少の威圧感が通用しない相手だ。

 ニコルを始めとした取り巻き連中には効果を期待できない。

 そこは別途、対策を考えておかねばならない事だった。



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 しばらくすると、泣きつかれたティファニーがリサの胸の中で眠り始めた。

 気が付けば、ケンドラもティファニーに寄り掛かるように眠っている。

 リサは、そんな二人を母性溢れる笑みを浮かべながら眺めていた。


 やがて、ガヤガヤとした音と共にモーガン達が姿を現した。

 ウェルロッド侯爵家とハリファックス子爵家の者ばかりで、アダムス伯爵家の面々の姿はなかった。

 おそらく、話し合いが終わって帰したのだろう。

 彼らは、ティファニーとケンドラが眠っているのを見て声を潜める。

 ルシアとカレン、ジョアンヌは、ティファニーに近づいて様子を見ている。

 男衆はテーブルに着いて、アンディがアイザックに話しかける。 


「とりあえず、チャールズは様子見。アダムス伯爵家はハリファックス子爵家に賠償金を支払う事になりました。さっき話していた内容と同じですね。エンフィールド公にはなんとお礼を言ったらいいのか……。決闘を申し込んでいたら、どれだけの利益を失っていたか。ティファニーのためにお力添えいただき、誠にありがとうございます」

「いいんですよ。従姉妹で幼馴染でもあるティファニーのためですしね。アンディ伯父さんも大人しい振りをして、やる時はやるんだなって思いましたよ」


 かしこまるアンディに対して、アイザックは身内としての態度を示した。

 アンディはフフフッと笑う。


「そりゃあね。娘をあんな風にコケにされて黙ってはいられないよ。もっとちゃんとした理由だったんなら、歯を食いしばって我慢もできたんだけどね」


 アイザックの気持ちを察したのだろう。

 アンディも身内としての態度を取った。


「私でも腹が立ったんだ。アンディがどれほど怒っていたのかよくわかるよ」


 ランドルフがアンディの言葉に同意する。

 叔父である自分でも、ティファニーのためとはいえ、今でもアイザックが甘い判定を下した事に不満を持っているくらいだった。

 実父であるアンディのはらわたが煮えくりかえっていた事は想像に難くない。

「よく我慢できたな」と感心しているくらいだった。


「ウェルロッド侯もなかなかお人が悪い。財務省内の人事に踏み込むとは。中立派の中でもアダムス伯爵の肩身が狭くなるではありませんか」

「当然だ。大切な孫の経歴に傷をつけたのだからな。子爵など、孫二人分の恨みがあるのではないか?」

「もちろん、ありますとも。しかし、アイザックに怒り過ぎるなと言われましたからな。怒りは抑えております」


 二人は悪い笑みをニヤリと浮かべる。

 ハリファックス子爵には、アダムス伯爵がどうなろうと同情するつもりなどない。

 しかし、アイザックに体を心配されたので表向きは冷静に見えるよう努めている。

 本当は「もっとやれ」という気持ちで胸の中がいっぱいで、今にも溢れ出しそうなくらいだった。

 もし、アイザックが止めなければ、本当にあの場で憤死していたかもしれない。

 そう考えると、アイザックはティファニーだけではなく、ハリファックス子爵にとっても恩人であるともいえる。


「しかし、卒業式までは様子見か。期限を卒業までにしたアイザックの考えを教えてくれないか?」


 モーガンがアイザックに気になっていた事を尋ねた。

 一年や二年ではなく、卒業までという期限。

 切りのいいところではあるが、それなら二年生になった時などでもよかったはず。

 最初から卒業・・までという期限にした事が気になっていた。


 この質問にはアイザックも困った。

「その方が都合がいい」などとは言えない。

 それっぽい言い訳をしなくてはいけなかった。


「……チャールズのニコルさんへの想いは、かなり強いものに見えていました。さっきもそうでしたでしょう? あの状態から、一ヶ月やそこらで元通りになるとは思えません。少し時間を長めにとっておきたかったんです。それに、その頃にはティファニーにも好きな人ができて、チャールズへの想いが薄れているかもしれないでしょう? すぐに見切りをつければ、これからも『チャールズとの仲が元通りになっていたかも?』と引きずってしまうかもしれません。ティファニーのためにも時間が必要だと思ったんです」


 ここでもアイザックは「ティファニーのため」という建前を使って誤魔化した。

 今なら大抵の事は、ティファニーのためと言って誤魔化せそうな気がする。

 だから、アイザックは遠慮なく使った。

 モーガンも納得してくれたようだ。

「うむ」と言って、うなずいている。


「ありがとう、アイザック。それほどまでにティファニーの事を考えていてくれたんだな。最初からチャールズなどではなく、お前と婚約させておけばよかったな」


 ハリファックス子爵の表情には、悔しさが滲み出している。

 元々、彼はアイザックをルシアと共に引き取ろうと考えていた。

 いくつかあった案の一つに、ティファニーの婚約者として引き取るというものもあった。

 もし、それが実現していればこのような事にならなかっただろう。


「それは言わないでください。もし、ティファニーと婚約していたら、その時は僕がニコルさんにたぶらかされていたかもしれません。もしもの話はやめましょう。虚しいだけです」

「そうだな……。その通りだ。だが、どうしてもそんな事を考えてしまうのだ」


 ハリファックス子爵は遠い目をして壁を見つめる。

 アイザックとティファニーが婚約していた場合を考えているのだろう。


「ところで、私はアンディ伯父さん・・・・なのに、なんでカレンはカレンさん・・・・・なんだ? 伯母さんと呼ばない理由が気になっていたんだけど」


 ここで話を変えようと、アンディがアイザックに疑問をぶつけた。

 このままでは、傷心のティファニーをアイザックに押し付ける流れになるかもしれない。

 お互いのためにならないだろうと思い、雑談をして流れを変えようとしていた。


オバさん・・・・と呼ばない理由ですか? 簡単ですよ」


 アイザックはティファニーの様子を見ているカレンの方を向いて、ティファニーとケンドラを起こさない程度の声量で話しかける。


「カレンさん。アンディ伯父さんがカレンさんの事をオバさんって呼べって言うんですけど」


 カレンはムッとした表情を見せる。

「娘が大変な時に何を話しているんだ」と「何て事を吹き込んでくれているんだ」という怒りの感情を目に込めて、アンディに向けられている。

 見られていないアイザックですら、ゾッとするような視線だった。


「いや、違っ!?」


 アンディは狼狽する。

 一言も「伯母さんと呼べ」などとは言っていない。

 呼ばない理由を聞いただけだ。

 とんでもない事を言ってくれたなと、アンディは恨みがましい目でアイザックを見る。


「ねっ、アンディ伯父さんのその反応が答えです。幼い頃から言っていたのならともかく、今更呼び方を変えられません」


 だが、アイザックは子供らしい笑みを返してきた。

 小憎らしい限りだが、正論でもある。

 カレンも微妙なお年頃。

 呼ばれたくない呼び方もあるのだ。

 伯母さんオバさんという呼ばれ方をされたくないだろうという配慮の上で、アイザックは「カレンさん」と呼んでいた。

 その事から、アイザックは女性に配慮のできる子に育っているという事がわかる。


「でもさ、その配慮を私にもしてほしかったなぁって……」

「男性には特別料金がかかりますねぇ」


 アイザックがおどけた感じで肩をすくめながら話すと、その場の空気が少し軽くなった。

 こんな状況でも軽口を叩けるというのは、たいしたものだ。

 アイザックがティファニーのために行動しているのを知っているので、彼女の事を軽んじているわけではないとわかっている事も大きかった。


 しばらくみんなと話をしたあと、アイザックはティファニーを羨ましそうな目で見つめた。

 彼女はまだリサの事を「リサお姉ちゃん」と呼べる気楽な立場だ。

 雇用関係にある家の者ではないというのが大きかった。


 それと同時に、リサの胸の中で眠っているのもアイザックには羨ましかった。

 柔らかそうな胸に顔を押し付けるなど、同性だからできる事だ。

 アイザックがやれば、きっと突き飛ばされてしまうだろう。

 彼がティファニーの事を羨ましいと思う程度には、リサの胸が大きかった。

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