第264話 チャールズの処遇

 悩んだ末、モーガンは――


「エンフィールド公は、当事者としてどう思われますか?」


 ――アイザックに話を振った。


 これは考えを放棄したわけではない。

 人に意見を聞くというのは、人の上に立つ者にとって必須の行動である。

 自分自身の判断で決断を下す事もできる。

 しかし、それは侯爵家の当主としては避けるべき事だった。


 ――誰だって手柄を立てたいし、上司に良い印象を与えたい。

 ――だが、チャンスがなければどうしようもない。


 そのため、自分の中で「こうしよう」という考えがあっても、まずは周囲に意見がないかを尋ねるのが癖になっていた。

 そうする事によって、自分の考えに近い意見が出るかもしれない。

 自分の考えに近い意見が出たならば、自分で決める時と違って「部下に手柄を立てさせる」というワンステップを踏む事ができる。

 このワンステップが重要だった。


 それに自分の考えよりも、より良い意見が出るかもしれない。

 ワンマン振りを発揮するのもいいが、それでは部下が育ちにくい。

 自分で考える力を身に着けさせるためにも「人に意見を求める」という行為は、自分一人で考えて行動するよりもずっといい。

 モーガンは、普段から誰かに意見を求めるという方針を取っていた。

 決して楽をしようとして、アイザックの意見を求めたわけではない。

 当事者であるアイザックに、こうして意見を求めるのは自然の流れともいえる。

 公爵という肩書きを持ち出したのは「身内としてではなく、そろそろ公爵という立場で物事を考えてほしい」という気持ちが籠められていたからだ。


 意見を求められたアイザックは困っていた。


(うーん、どうしようか……)


 突然のキラーパスに考えがまとまらない。

 考える時間がほしかった。

 少しゆっくりと話して時間を稼ごうとする。


「僕個人としては、チャールズのせいで停学になったなどと逆恨みするつもりはありません。根気よく話し合って解決するべきところで、暴力を振るってしまった僕にも落ち度がありますから」


 ――アイザックの言葉。


 これはアダムス伯爵を喜ばせるのに十分な内容だった。

 アイザックを敵に回さなくて済むからだ。

 だが、わざわざゆっくりとした口調で話すような内容ではないので、逆に彼の心胆を寒からしめる。

 何かをとんでもない事を、このあと告げるつもりなのかもしれないからだ。


「ティファニーに確認をしておきたい。今回は婚約の解消を避けられないだろう。でも、一年後や二年後。チャールズが心変わりしてティファニーに謝ってよりを戻したいと言ってきたらどうする?」


 これはアイザックにとって重要な事だった。

 チャールズよりもティファニーの意見を優先したい。

 もっとも「仲直りして、また別れる」なんていう二度目が起きた時は許すつもりはない。

 それでも、今回だけはティファニーの意見を尊重する事にした。


 とはいえ、これは優しさではない。

 アイザックなりにチャールズを許すきっかけを欲していたからだ。


 それは――


「チャールズが勘当されたりしたら、ニコルはどういう行動を取るんだろうか?」


 ――という心配からだった。


 これは非常に重要な事だった。

 もしも、ニコルに「男の子を奪い取ったら、その子は実家から叩き出されるんだ……」と思われたら一大事だ。

「じゃあ、ジェイソンもただのイケメンになって旨味がなくなっちゃうね」と思って、攻略をやめるかもしれない。

 ニコルに肉食獣のままでいてもらうためにも、最初の犠牲者であるチャールズに厳しい処罰はしたくなかった。


 そこで、心苦しいながらもティファニーを利用する事にした。

 彼女ならば、きっと厳しい処罰を求めないだろう。

 そう言ってくれれば、アイザックは「ティファニーの意見を尊重したい」という意見を言えるようになる。


「わからない……。わからないよ……」


 ティファニーは涙声で答える。


 ――チャールズに好かれようと勉強を頑張ってアピールしていたら、それが原因で別れる事になった。


 彼女自身、今はなにがなにやらわけがわからない状態だろう。

 だからこそ、アイザックは一つの道を指し示す事によって、自分にとって都合のいい方向へと話を持っていこうと考える。


「わからないか……。それじゃあ、仲直りできたらするかもしれないし、もう二度と話もしたくないという状態になるかもしれないんだね?」


 アイザックの質問に、ティファニーはコクリとうなずいた。


「……今のところはチャールズを廃嫡する事を要求したりせず、今まで通りの生活をしてもらう方向で考えた方がいいかもしれません」

「それはあんまりだ! ……です」


 ハリファックス子爵がアイザックの判断に抗議の声をあげる。

 咄嗟に叫んでしまったが、アダムス伯爵がいるので「です」という言葉を付け加える。

 一応、アイザックは孫というだけではなく、公爵という立場があるからだ。

 先ほどモーガンが「エンフィールド公」と呼んだので、それに合わせるしかなかった。


「あんな馬鹿げた理由で婚約を解消されるのですよ! こちらとしては納得できません!」

「ちゃんと理由はあります。ティファニーが今後どのような判断をしても大丈夫なようにするためです。もしかしたら、仲直りできる機会ができるかもしれません。でも、取り返しのつかない報復を行うと、実質的にその機会がなくなってしまいます。それに、これはハリファックス子爵家のためにもなるんですよ」


 いきり立つハリファックス子爵に、アイザックは冷静な口調で語り掛ける。


「考えてみてください。ここで『婚約を解消するのなら、責任を取ってチャールズを廃嫡にしろ』と要求するとして、何の利益があるんですか? アダムス伯爵も『責任を取って事務次官を辞任する』と言っていたんですよ。それらによる悪影響を考えれば、責任を取らせるよりも、今のままでハリファックス子爵家のために働いてもらう方がよっぽど利益になります」

「なにっ」


 皆の視線がアダムス伯爵に向かう。

 辞任するほどの覚悟があったというのは、ハリファックス子爵家の面々には初耳だった。

 到着した翌日に話し合いの舞台を用意したせいで、細かい連絡ができていなかったせいだ。

 そこまでしっかりと「責任を取る」という意思がある事にも驚いていた。

 チャールズを切り捨てて終わりにするのだろうという認識があったからだ。


「では、アダムス伯爵家に責任を取らせたとしましょう。その場合、僕達はアダムス伯爵の力を使う事ができなくなります。やはり、現役の事務次官という肩書きは強い。辞任しなければ肩書きを上手く利用して、ティファニーの婚約者探しに協力させるなどができるでしょう」


 これは以前にアダムス伯爵と話した内容と同じだった。

 それをハリファックス子爵家の面々に伝えただけである。

 アイザックは、アンディに視線を向ける。


「チャールズも同じです。殺したりせずに生かしておけば、心変わりした時にティファニーの判断に任せられるようになります。今すぐにどうこうしなくてもいいのではないでしょうか? 先ほど僕も言ったように、根気よく話し合っておけばと後悔する時がくるかもしれません。アンディ伯父さんの気持ちはわかっているつもりですが、感情に任せた行動は将来の選択肢を狭めるだけです。とりあえず、王立学院の卒業式くらいまでは様子を見てみませんか?」


 卒業式が終われば、チャールズがどうなろうが知った事ではない。

 とりあえず、そこまでは何とか生かしておいてほしかった。

 そのため、ティファニーをだしに使って助命を提案する。


「それでは、何も要求せずに我慢するべきだと仰るのですか?」


 カレンがアイザックを非難がましい目で見る。

 しかし、モーガンが「エンフィールド公」と言ってしまったので、言葉を荒らげたりせずに上位者向けのものとなっていた。


「いえ、そんな事を言うつもりはありません。婚約をダメにした責任を、賠償金や慰謝料といったもので支払ってもらえばいいでしょう。アダムス伯やチャールズに、辞任や廃嫡という形で責任を取らせる事だけが全てではありませんよ。それに――」


 アイザックは椅子から立ち上がると、ハリファックス子爵夫妻の間に立つ。

 そして、二人の肩に手を回して抱きしめる。 


「それに、怒り続けるのは体に良くありません。先代ウォリック侯も怒りのあまりに憤死なされたみたいですし、お爺様とお婆様にそのようになってほしくありません。恨みを晴らす事に固執するのではなく、婚約を解消したあとの事を前向きに考えた方がいいのではないでしょうか?」

「アイザック……」

「あなた、立派に育って……」


 アイザックがハリファックス子爵・・・・・・・・・ハリファックス子爵・・・・・・・・・夫人・・ではなく、お爺様・・・お婆様・・・と呼んだ事で、二人の表情が和らいだ。

 身内として親身になって考えてくれていると思ったからである。

 特に祖母のジョアンヌの方は、感動で涙を浮かべていたくらいだ。

 彼女は夫とは違い、アイザックと出会う機会が少なかった。

 そのため兄殺しの印象が強かったが、慈愛に満ちた優しい子に育っている事を目の前で見られて感激していた。

 もう片方のハリファックス子爵はというと、理解したいような、したくないような複雑な表情をしている。


 今回の件でウェルロッド侯爵家が関わっていない場合――


 ルシアがランドルフと結婚しておらず、ハリファックス子爵家単独で抗議した場合。


 ――の事を考えてしまっていたからだ。


 その場合は爵位の差を使って、婚約の解消を無傷で乗り切られていたかもしれない。

 リード王国では、領地を持てるのは伯爵以上の家だけ。

 子爵家以下は上位貴族から代官に任命されなければ、村の一つも運営する事ができない。

 たった一階級ではあるが、伯爵位と子爵位の権力の強さには隔絶した開きがあった。

 それを理解しているが故に「アイザックのおかげで慰謝料を請求できるだけマシか」とも思い始めていた。

 当然ながら、将来チャールズが心変わりした時に「婿殿」と歓迎できるような気はまったくしなかったが。


「アンディ伯父さんとカレン夫人はどうですか?」


 アイザックが尋ねると、二人は顔を見合わせる。

 アンディは決闘を申し込もうとしていたくらいだ。

 今も腹の内に怒りを秘めている。

 しかし、ティファニーはあんな事を言われても、まだチャールズの事を忘れられない様子。

 ここで厳しい処罰を求めてしまえば心に深い傷を残す事になるかもしれない。

 彼らはアイザックの言うように、卒業式くらいまで様子を見るのも悪くない気がしていた。


「何もなし、というわけではないしな……」

「腹立たしくはあるけれど……。ティファニーはそれでいいの?」


 カレンがティファニーに、アイザックの意見でいいのかを尋ねる。

 彼女は泣いているので、返事はせずに黙って一度うなずいた。

 恨み言は言いたいとは思っているが、腐っても今まで好きだった相手だ。

 仕返しに不幸にしてやりたいとまでは思えなかった。

 ティファニーの反応を見て、アイザックも満足そうにうなずく。


「というわけで、ウェルロッド侯。以上が僕の意見です」

「えっ、あぁ、うん……」


 ――意見・・と言うよりも、すでに説得済み・・・・という状況にまで持っていかれてしまった。


「ウェルロッド侯」と呼ばれたのにもかかわらず、モーガンはエンフィールド公爵であるアイザックに対して曖昧な返事をする事しかできなかった。


(せっかく爵位で呼んで公爵という立場を意識させたのに、ハリファックス子爵家の者達を身内として説得するのは、なんだかズルイような気が……)


 モーガンは、ついそのように考えてしまう。

 今までどうしようか悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなった。

 アイザックからアダムス伯爵に視線を移す。


「エンフィールド公が恨みに思わないと仰っておられるので、その分は請求しない。ただし、次回の人事異動における財務省内のポストをいくつか貴族派の者に用意する事。財務事務次官として、貴族派に属する者達に職責を逸脱しない範囲で便宜を図る事を要求する。これは孫が厄介な事に巻き込まれたウェルロッド侯爵家当主としての要求だ」

「はい、もちろんやらせていただきます!」


 アダムス伯爵にとって、アイザックの行動は予想外の助け舟となっていた。

 これほどの好条件を逃す理由などないので即答する。

 卒業まで、あと二年半もチャールズが暴走しないようにしないといけない。

 だが、アイザックを敵に回した場合の最悪の状況を考えれば、その程度はたいした苦労ではない。

 当然、アダムス伯爵には「こっそり裏で動き、反撃して徹底的に潰してやろう」などという気はさらさらなかった。

 それはモーガン達も同じである。


 リード王国内において、貴族間の争いは基本的に役職の奪い合いや金銭の授受で済ませられる。

 酷い時は決闘になったりするが、家を潰し合ったり、乗っ取ろうとするほどエスカレートしたりはしない。

 これは、だいたいウェルロッド侯爵家の影響であった。




 建国以来、定期的に国を乱しそうな不穏分子が一掃される時期がある。

 ウェルロッド侯爵家で傑物と評される者が当主となった時だ。

 汚れ役を厭わない彼らの行動により、リード王国内の不穏分子は徹底的に叩き潰されて歴史から消えていった。

 これは先代のウォリック侯爵が侯爵位にある者なのにもかかわらず、子供のアイザックにチョコレートの利権を要求するというスケールの小さい要求をしてきた事からもわかる。

 現代のリード王国内の貴族間では、何か問題が起きた時はウェルロッド侯爵に粛清されない程度の要求をするだけで済ませるのが一般的となっていた。


 近いところではジュードが良い例だ。

 不穏分子達は「ジュードに呼び出された時点で殺される」とわかっていた。

 だから、ジュードの娘と結婚するまでは、呼び出しには決して応じなかった。


 ――ウェルロッド侯爵家が治安を乱す輩を定期的に粛清しているという事は広く知られている。


 もし、ジュードが生きていれば、先代のウィルメンテ侯爵もネイサンを跡継ぎにしようとするメリンダを止めていただろう。

 ジュードが死に、アイザックがまだ幼かったから行動に移せた事である。

 ひょっとすると才能の片鱗を見せ始めたアイザックを恐れ、ネイサンを「がんばれ、がんばれ」と心の中で応援していた者もいるかもしれない。

 それほどまでに当たり年の当主は恐れられていた。

 そのため、アダムス伯爵も「アイザックを怒らせずに済んだ。多少の便宜や金銭で済むのなら安いもの」と思って快諾したのだった。




「では、婚約の解消はやむなしとして、どの程度の賠償金を払うのかを決めるとするか」


 モーガンが司会進行役として、その存在をアピールする。

 ちょっと意見を聞いただけだったのに、アイザックに出番を全て取られてしまった。

 この辺りで仕事をしておかないと「あれっ? もう代替わりしてもいいんじゃないか?」と周囲に思われかねない。

 彼はアイザックの子供が生まれるくらいまでは現役でいたいと思っている。

 そのため、最後のおいしいところは持っていくつもりだった。


「あっ、ちょっと待ってください」


 ここでアイザックがモーガンに待ったをかける。


「まだ何か意見でも?」


 内心では「出番は残しておいてくれ」と願いつつ、モーガンは聞き返す。


「いえ、そうじゃありません」


 アイザックは首を横に振る。

 そして、ハリファックス子爵夫妻から離れて、今度はティファニーの方へ向かう。


「ティファニー。僕が提案しておいてなんだけど、これから賠償金の話が始まる。君とチャールズの今までの関係をお金に換える話だ……。きっとそんな話を聞いていたら辛い事になるだろう。一緒にケンドラのいる部屋に行かないか? そこにはリサもいるしさ」


 アイザックには、モーガンの出番を奪うつもりなどなかった。

 ただ、目の前で「以前〇〇な事があったから、その分も慰謝料は上乗せしてもらう!」などという話をされては、ティファニーの心がズタズタに引き裂かれるだろうという心配をしていただけだった。

 アイザックも言っているように、賠償金の支払いで済ませようと提案した者が心配する事ではない。

 しかし、ティファニーの事を考えれば、一言声をかけておかねばならなかった。


 ティファニーは涙ながらにチャールズを見る。

 こんな状況でも「ごめん、今までの事は全部嘘。ビックリさせようとして、みんなと一緒に騙していたんだ」と言ってくれないかという期待からだ。

 本来ならそんな事を言われたら、すりがねおろしで背中の皮でも削るところだが、そうであってほしいという願望もある。

 今言ってくれるなら何も言わずに、チャールズを許せそうな気がしていた。


「すまない、ティファニー。僕は真実の愛を見つけたんだ。たとえどうなろうとも、この気持ちに嘘はつけない。お別れだ、ティファニー」


 だが、チャールズの口から出たのは無情な言葉だった。

 周囲の者達には「仮に心変わりしても、もう許す必要はないだろう」と思わせるのには十分な言葉だ。

 ティファニーは大粒の涙を流し始める。


「さようなら、チャールズ……」


 そう言い残して、ティファニーは席を立つ。

 ショックでふらついているので、アイザックが肩を貸してやる。


「すみませんが、あとの事は大人達にお任せします」


 アイザックはこの場にいる者達に任せる事を告げると、ティファニーと共に退室しようとする。

 ドアから出ようとしたその時。

 アイザックはチャールズを振り返った。


「チャールズ、君は以前『人と獣の違いは知性を有しているか否か』と言っていたね。感情に動かされている今の君は、知性のある人間なのかな?」


 言われたチャールズがハッとする。

 一応、自分の言葉を理解できる程度の知能が、まだ少しは残っているらしい。

 だが、彼の答えを期待しているわけではないアイザックは、チャールズの返事を待たずにティファニーを連れて部屋を出ていった。

 その際に寂しげに笑っていたのが、この場に残った者達に印象的だった。


 これは――


「チャールズをライバル視していたから、ライバルの愚かな振る舞いを悲しんでいるのかな」

「ティファニーとよりを戻すだろうと信じていたのに、その思いを裏切られたからだ」

「幼馴染のティファニーが悲しんでいるのを見て、自分も悲しくなってきたんだろう」


 ――といった感じに受け取られた。


 しかし、実際は違う。

 アイザックは「チャールズがニコルに寝取られそうなのはわかっていたのに、見捨ててしまっていた。そんな自分が何を偉そうな事を言っているんだ」と、自嘲じみた笑みを浮かべただけに過ぎなかった。

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