第263話 チャールズの告白
王都に着いた翌日。
ランドルフはティファニーと会ったが、上手く慰める言葉が思い浮かばずに気持ちは空回りするだけだった。
結局、父親のアンディに任せる事にして、ランドルフは屋敷でハリファックス子爵達が到着するのを待つ事にする。
彼らが到着するまでの間、ランドルフは暇を持て余す事になる――はずだった。
ランドルフは屋敷の騎士や兵士達の人気者になっており、彼らとの手合わせで時間を潰す事ができた。
もっとも、彼の急上昇した評価ほど、実力が身に付いているわけではない。
当然のように本職の騎士には負けてしまう。
だが、それは戦前にランドルフと手合わせをした時と同じ結果である。
ランドルフが負けたとしても不思議に思うものはいなかった。
彼らは「生死を賭けた戦場じゃないと燃えないんだろう」と思って、ランドルフの本番での強さを疑わなかった。
もちろん、ランドルフの強さを信じている者は他にもいる。
王都に到着したハリファックス子爵やアダムス伯爵も、ランドルフの実力は本物だと信じていた。
そのため、ハリファックス子爵は「頼もしい味方を得た」と思って堂々と、アダムス伯爵は「襲い掛かられたら防げない」と戦々恐々としていた。
----------
ハリファックス子爵達が到着した翌日。
さっそくアダムス伯爵との会合が開かれた。
ランドルフやアンディが到着した時点で、すぐにハリファックス子爵家と話し合いを始められるよう手回しをしておいたので、スムーズに物事は進む。
場所はウェルロッド侯爵家の屋敷。
アダムス伯爵にとっては避けたかった場所だ。
ウィンザー侯爵など違う者の仲介だったならともかく、ウェルロッド侯爵であるモーガンは当事者であるアイザックの祖父。
こういう時は爵位の差がものを言う。
拒否したかったが、断れる雰囲気ではなかったので受け入れるしかなかった。
ウェルロッド侯爵邸にある会議室では、三つの家が長机を囲んでいた。
上座にはウェルロッド侯爵家。
机の左右にはハリファックス子爵家とアダムス伯爵家の面々が向かい合って座っていた。
ウェルロッド侯爵家の出席者は、司会進行役としてモーガン。
そして、ハリファックス子爵家に縁があるランドルフとルシア、当事者であるアイザックの四人。
マーガレットはケンドラと一緒に別室で待機している。
ハリファックス子爵家の出席者は、当主であるフィルディナンドと妻のジョアンヌ。
ティファニーとその両親であるアンディとカレンの五人だった。
アダムス伯爵家は、罰を受ける者を最低限にしようとしているのだろう。
当主であるジョンと妻のマギー。
そして、チャールズ。
この三人だけだった。
この場に居る者の目に付くのは、チャールズの顔にある青あざだった。
少し日が経ったもののように見えるが、顔の半分ほどの範囲が青くなっている。
(これじゃあ、学校にも行けないよな……)
ティファニーと顔を合わせて事態を悪化するかもしれないという懸念もあったかもしれない。
だが、それ以上に青あざの顔のまま学校に行かせるのはみっともないという思いもあったのだろう。
ここまでの暴力は、前世の世界であれば余裕で児童相談所の案件である。
しかし、この世界にはそんな組織はないので、チャールズを助けてくれる者はいない。
そして、顔を真っ青にしている者はあと二人いた。
――アダムス伯爵夫妻だ。
上座にはランドルフがいる。
それだけではない。
自身の背後にはマット、ハリファックス子爵家の背後にはトミーもいた。
先の戦争の武闘派オールスターとも言える面子だ。
彼らは部下を引き連れて壁際で待機している。
マットとトミーが壁際で待機しているのは、乱闘騒ぎに備えるためだった。
主にハリファックス子爵家の面々が、アダムス伯爵家の者達に掴みかかったりする事を警戒している。
だが、アダムス伯爵夫妻は違う意味で受け止めた。
――これほどの腕利きを揃えて威圧している。
――もしかしたら、このまま外に連れ出されて処刑されるのでは?
そう思って顔から血の気が引いてしまうのも無理はない。
ハリファックス子爵家だけが相手なら、爵位の差や人脈を使って何とかできたかもしれない。
しかし、ティファニーの従兄弟にはアイザックがいる。
さらに、叔母はウェルロッド侯爵家次期当主であるランドルフの愛妻。
アダムス伯爵が狙った「ランドルフと遠い縁戚になって、彼の好印象を狙う」というのが完全な裏目となってしまった。
狙い自体は間違っていなかったというのに……。
「さて、役者は揃った。そろそろ始めるとするか」
準備が整ったと見て、モーガンが話を始めようとする。
ハリファックス子爵家の面々は、ティファニー以外がチャールズを睨みつけている。
そのせいでアダムス伯爵を始めとして、アダムス伯爵家側は誰も口を開こうとない。
ここは司会役である自分が動くべきだと、モーガンが動く。
アダムス伯爵にとって、モーガンが最後の希望だ。
彼だけはティファニーに深い思い入れはない様子だった。
公正な判断をしてくれそうな気がしていた。
とはいえ、公正な判断をしてくれても救いのない結果は見えているので、儚い希望でしかない。
「まずは最初に聞くべき事であり、最終的な解決に直結する事をチャールズに尋ねたい。ティファニーとよりを戻す意思はあるのか?」
ど真ん中のストレート。
だが、正しい質問である。
もし、チャールズがよりを戻すつもりがあるのなら、しばらくはぎこちない関係になるだろうが両家は復縁できる。
問題はティファニーとよりを戻すつもりがない場合だ。
その場合は、一方的な婚約解消による賠償をどうするのかという話し合いになる。
周囲が話し合うよりも、本人の口から聞くのが一番効果的だった。
「わかっているな? チャールズ」
「ちゃんと謝って仲直りなさい」
アダムス伯爵夫妻は、前もってチャールズに何を言うのかを教え込んでいたらしい。
「予定通りの事を言ってくれ」と、すがるような目で息子を見ていた。
チャールズは何も言わず、まずはティファニーの目を正面からしっかりと見据える。
「酷い言い方をしてしまったと後悔している。すまなかった」
「……うん。顔の怪我、大丈夫?」
「大丈夫……、ではないね。こんなに殴られたのは初めてだよ」
チャールズの謝罪を受けたティファニーが、彼の顔にあるあざを見ながら心配の言葉をかける。
このような姿を見た事がなかったのだろう。
アイザックも同様なので、今のチャールズはインパクトのある姿だ。
彼の事を忘れられていないのなら、ティファニーが心配するのも無理はない。
「本当にすまない」
「ううん、いいの」
二人の様子を見て、アダムス伯爵夫妻の表情が和らいだ。
「このまま仲直りしてくれそうだ」と思ったからだ。
――だが、チャールズの謝罪の言葉は、よりを戻すためのものではなかった。
「今こうして話していても、やっぱりニコルさんの事が忘れられないんだ」
「チャールズ!」
アダムス伯爵がチャールズの胸元を掴むが、すぐにマットがその腕に手を置いた。
「話し合いの場ですので、暴力行為はご自重願います」
「くっ……」
この場にいる者の中で、もっとも暴力の臭いをまき散らす男に言われたくはない。
しかし、マットが言う事は正しい。
この場を混乱させれば、場を提供したモーガンの顔を潰す事になる。
「作戦タイム!」と言って、家族で話し合う時間を要求したいところだが、そんな事は許されないだろう。
アダムス伯爵は、前もって話し合っていた内容と違う事を言い出したチャールズを睨む。
「チャールズ。ティファニーと和解するのなら、今が最後の機会になるだろう。決別する覚悟はあるのか?」
モーガンが助け舟を出す。
このまま縁が切れるのはお互いのためにならないと思ったからだ。
「それもやむ無しと思っています」
「ふざけるな! 王立学院に入学してから婚約の解消をされてしまっては、ティファニーはどうなる!」
「そうだ! あとは卒業を待って結婚するだけという状況だっただろう! 何を今更!」
ハリファックス子爵とアンディが立ち上がって、チャールズを非難する。
せめて、婚約の解消が入学前ならばよかった。
世間には二人の婚約を知られているが「学院でより良い相手を探すため」とでも理由をつけて別れさせる事ができただろう。
だが、入学してから。
それも、人前で軽んじるような事を言って別れてしまうのはダメだ。
今回はチャールズが悪いが、よく事情を知らない者にはティファニーにも過失があったと思われてしまう。
――ティファニーの経歴に大きな傷を付けられてしまった。
家同士の縁も重要だが、ティファニーの未来も大切である。
相手が伯爵家の息子だからといって、ここまで一方的な離縁を認めるわけにはいかなかった。
それはランドルフも同じ事。
彼らと同じように立ち上がって抗議しようとした。
だが、ルシアが震える手で隣に座るランドルフの手を取った事によって止められた。
意識しての行動ではなかったが、唇を噛み締めて俯いているティファニーの心情を考えるとルシアは体が震えてしまっていた。
気が付けば、自然と隣に座る夫の手を取っていたのだ。
ランドルフは、それが妻からの「争いはやめて!」というメッセージだと思い、自分は口出しせずにハリファックス子爵家の者達に任せる事にした。
「チャールズ」
ここでアイザックが口を開く。
ハリファックス子爵達もひとまずは非難をやめ、アイザックが何を言うのか耳を傾ける。
「君がティファニーと別れたいのは、ニコルさんの事が本当に好きだからというだけじゃないよね?」
「……さすがはアイザックだね」
チャールズは観念したような表情を見せる。
「どういう事だ? チャールズ!」
当然、ハリファックス子爵は理由を問い質そうとする。
しかし、チャールズは何も答えなかった。
代わりにアイザックへと、皆の視線が集まる。
「君が話しにくいのなら僕が話す。それでいいのかい?」
チャールズはしばしの逡巡のあと、コクリとうなずいた。
自分の口からはプライドの問題などもあって言いにくいのだろう。
アイザックもうなずいて返すと、ティファニーに視線を移す。
「チャールズはね。自分より成績が良かったティファニーの事が嫌いだったんだ」
アイザックは
ティファニーは「信じられない」という目でチャールズを見た。
今までずっと嘘の好みを教えられていたのだと思ったからだ。
「えっ、だって……。だって、頭の良い子が好きだって言ってたのに……。頭が悪い子だった方がよかったの?」
「違う。ニコルさんは頭の良い子なんだって知っているだろう。頭の良い子が好きだ。でも、それは勉強だけができる子だって意味じゃない」
「……どういう事?」
今にも泣きそうな目をしたまま、ティファニーはチャールズに尋ねる。
答えを聞けば、絶対に後悔してしまいそうだとはわかっている
だが、この機会に聞かねば一生聞かないままになってしまいそうだとも感じていた。
そのため、自然と口から理由を尋ねる言葉がこぼれてしまった。
チャールズはティファニーの目を見返す。
「ティファニーは、僕に成績がよかった事を自慢してくる。それがたまらなく嫌だったんだ」
そこまで言うとチャールズは、への字口になる。
そして、アダムス伯爵に向き直った。
「僕だって男です。婚約者よりも劣っているという事を気にしているのに、ティファニーは僕の気持ちを理解してくれず、成績の良さをアピールするばかりでした」
「お前、そんな事で!」
アダムス伯爵が怒りに任せてチャールズの顔を殴ろうとする。
だが、その手はまたしてもマットによって止められた。
「アダムス伯、いけません」
相手は伯爵だ。
マットは耳元で優しく語り掛ける。
しかし、その優しい語り口が「いい加減にしないと殺すぞ」と、ささやいているようにアダムス伯爵には聞こえた。
「百戦錬磨の元傭兵だけあって、何か迫力のようなものがある」ようにアダムス伯爵は感じていた。
マットはそのような感情を込めていなかったが、彼の経歴がそのように考えさせてしまっていた。
アダムス伯爵は今すぐにでもチャールズを黙らせたいが、暴力ではできない。
言葉で止めようとする。
「チャールズ、婚約者とはそういうものだ。多少の不満点があっても、一緒にいるうちに受け入れられるようになる。お前達はまだこれからではないか。考え直せ」
だが、チャールズは静かに首を横に振る。
「ニコルさんは違いました。彼女は男のプライドを尊重してくれた。それに彼女が口にする言葉の一つ一つが僕の心を揺さぶるんです。頭の良さは勉強ができるかどうかだけではない。さりげない会話の端々に知性を感じさせられるかどうか。ニコルさんは美しさだけではなく、最高の知性を兼ね備えた理想の女性。彼女と出会ってしまっては、他の女性と結婚する事など考えられません」
チャールズの言葉はアダムス伯爵を絶句させた。
ニコルに対しての愛の強さに驚いたのではない。
この場でこのような事を口にする愚かさに驚いていたのだ。
水から揚げられた魚のように口をパクパクとさせている。
「よく言った」
アンディが信じられない言葉を口にした。
ティファニーの父親が言うような言葉ではないからだ。
皆の視線が彼に集まる。
彼は立ち上がると、冷たい視線でチャールズを見下ろす。
「そこまで言うという事は覚悟を決めているのだろう。決ちょう――」
格好良く決める場面だったのだろうが、トミーがアンディに飛びついて口を塞いでしまった。
そのせいで間の抜けた言葉になってしまう。
「申し訳ございませんが、今回は平和的な話し合い。決闘の申し込みなどはお控えくださいますよう、お願い申し上げます」
マットほどの速さではないが、決定的な一言を言わせなかったので、トミーの行動は間に合ったといえる。
アンディは振りほどこうとするが、騎士として本格的な訓練を受けているトミーを振り払えず、諦めたように彼の手をタップする。
大人しくなったと見たトミーが手を放す。
アンディが椅子に座り直すと、モーガンが大きな溜息を吐く。
「まさかこんな事になるとはな」
その場のテンションで行動してしまう時は誰にだってある。
モーガンは、冷却期間があったので二人はよりを戻すだろうと思っていた。
だが、チャールズのニコルへの思いは強い。
当主同士が結婚させると決めても、すぐに結婚生活が破綻する事は目に見えていた。
ならば、ここで別れさせた方が被害は最低限に抑えられるはずだ。
少なくとも、ハリファックス子爵は。
アダムス伯爵家の方は致命的だった。
跡継ぎの一人息子が、この有様である。
――たった一人の息子をまともに育てられなかった親。
――あんな奴と付き合っていたら、こっちまで巻き込まれてしまう。
――ティファニーの価値もわからないほど愚かだったら、チャールズとは付き合わない方がいい。
そのように思われて、アダムス伯爵家は貴族社会で完全に孤立してしまうだろう。
もうティファニーは「地方に住む子爵家の娘」ではなく「アイザックの従姉妹」という評価で固まっているのだ。
普通の娘とは違う。
その事はアダムス伯爵もチャールズに嫌というほど教え込んだはずだが、土壇場でニコルへの愛が勝ってしまったらしい。
(アイザックがネトルホールズ女男爵に夢中になっていなくてよかったと考えるべきか。アイザックが惚れていたら、どんな混乱を引き起こしていた事やら……)
モーガンは顔を真っ青にするアダムス伯爵家と、顔を真っ赤にするハリファックス子爵家の様子を見ながら、そんな事を思っていた。
もし、今のアイザックがパメラに見せた恋心をニコルに見せていたら、王国を巻き込む混乱になっていたかもしれない。
孫が大物になるのは嬉しいが、大物になり過ぎると違う心配が出てきてしまう。
アイザックは王立学院でパメラと再会しても、チャールズのような暴走はしなかった。
チャールズを見ていると、アイザックがどっしりと地に足のついた子に成長してくれてよかったと思わざるを得ない。
こうして他人事のように考えられているのも、他の者達と違ってモーガンには関わりの薄い立場だったからだ。
せいぜい、アイザックがチャールズを止めようとして停学になったくらいだろう。
それも、実際に暴力という手段を使ったアイザックにも過失があるので「よくも孫を停学にしてくれたな!」という気持ちはない。
(さて、これからどうするか)
モーガンは、自分の見通しが甘かったと痛感する。
本来なら今頃は――
「一時の気の迷いで嫌な思いをさせてしまった。ごめんね、ティファニー」
「ううん、わかってくれたらいいの」
「本当に申し訳ない」
――という流れになっているはずだった。
チャールズのニコルへの愛はかなり強いらしい。
普通ならティファニーとよりを戻すという判断をするところだが、とんでもない決断を下してしまった。
そのせいで、モーガンの考えていた予定が大幅に狂ってしまっていた。
(だが、ワシが何とかするしかあるまい)
チャールズの暴走に戸惑うものの、どういう形でも終わりへと話を進めていかねばならない。
それは司会進行役であるモーガンの役割だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます