第262話 突然の来訪者

 夏休みに入っても、特に代わり映えのしない日々だった。

 アイザックと顔繋ぎをするために屋敷を訪れる貴族の相手をしたり、苦手分野だと判明した格闘技術を習う。


 ――入学前と同じような生活。


 今までと違ったのは、公爵になったおかげで面会に余裕を持てるようになった事くらいだろう。

 これまでは侯爵の孫でしかなかったので、爵位持ちの相手との面会を拒否はできなかった。

 だが、今は違う。

 公爵という貴族として最高位にまで昇り詰めたので、面会の相手を選べるようになっていた。

 もちろん、会った方がいいので会えるだけは会う。

 面会の日取りに間隔を空けたりして、ゆとりを持った生活を過ごせるようになっている。

「こんな平穏な生活を過ごしていていいものか?」と、アイザックは思い始めていた。

 今、アイザックにはどうしても欲しいものがある。


 ――しかし、それは簡単には手に入らないものだった。


(やっぱり、プールがほしいよな)


 アイザックは自室の窓から庭園を眺める。

 門から玄関まで伸びる道の左右には、彫刻や花壇などが飾られている。

 庭の隅にでもプールがあれば、さぞかしブルジョアな気分を味わえるだろう。

 表側でなくてもいい。

 裏庭にでもいいから、クロードかブリジットにプール用地を作ってもらっておけばよかったと後悔する。


(内陸部だからって、泳ぐ習慣がないってなんだよ。もったいない!)


 湖の近くや川沿いに住む者は泳いだりしているそうだが、他の者達は泳いだりしない。

 プールを作ったり、水を入れ替えたりするのに大変な労力を必要とするからだ。

 今までのアイザックは泳ぎたいとは思わなかったのでスルーしていたが、学生になった今は違う。

「プールを作ったから遊びにこない?」と、パメラやジュディスを誘いたかった。

 水着イベントが楽しめるのは夏場だけだ。

 学生時代という貴重な時間を満喫するには、プールが欲しいところだった。


 しかし、クロードやブリジットにプールを作ってもらっても維持が大変だ。

 水を交換するための排水はどうするのか?

 そもそも、大量の水をどうやって運び入れるか?

 これらの問題を解決しなければならない。

 全部魔法でやってもらえば楽ではあるが、さすがに自分の都合よく魔法を使わせるのは気が引ける。

 さりげなく思考を誘導して、自分から「プールが欲しい」と思わせるしかないだろう。


(はっ、そうか!)


 ここで一つの可能性に気付いた。

 ニコルが作るまでブラがなかった。

 という事は、水着も胸を隠す部分がないので、泳ぐ時はトップレスなのかもしれないという可能性にだ。


(くそっ、なんでこんな簡単な事に気付かなかったんだ! 俺は、俺はなんていう無駄な時間を……)


 アイザックは拳を握りしめて悔しがる。

 もし、ブリジットと知り合ってから今までの間にプールを作っていれば、夏場は屋敷で半裸を見放題という楽園になっていたのだ。

 アイザックは自分の考えの甘さを深く悔やむ。


 今までにないほど真剣に悔しがっていたアイザックの視界に、動く集団が入ってきた。

 十騎ほどの騎兵が門のところへ向かって駆けてきている。

 彼らが門番の前に止まると、すぐに門番は門を開けた。

 先頭を進む騎兵には、アイザックも見覚えがあった。


(えっ、親父!?)


 今は鎧を着ていないが、戦場では傍でよく見ていた姿だ。

 まだ距離はあるが、父の姿は一目でわかる。


(到着が早くないか? ……いや、急げばこんなものか?)


 ティファニーの件から三週間ほどが経っている。

 早馬がウェルロッドに到着して、急いで出発すれば王都に到着してもおかしくない。

 もしかすると、今頃は馬車で母達も移動しているのかもしれない。


 ここで疑問なのが、ハリファックス子爵や伯父のアンディの姿が見えない事だ。

 彼らが来ていないとは考えられない。

 王都に到着した時点で別れたのだろう。

 今頃はティファニーのもとへ向かっているはずだ。


(なら、俺は親父のもとへ向かうか)


 どうせ「話を聞きたい」と呼び出されるのはわかっている。

 だったら、自分から出向いた方が手間が省ける。

 それに、到着を知らせる先触れもなかった。

 出迎えに行ったら、きっと驚くだろう。

 アイザックは玄関ホールへと向かった。



 ----------



 ――急な客人が来た。


 そう思った使用人達も、客を出迎えるためにホールに集まっていた。

 アイザックは彼らの前に立ち、ドアが開かれるのを待つ。

 少し待ってからドアが開かれると、ランドルフが驚いた顔をした。


「アイザック、出迎えにきてくれていたのか。大きくなったな」


 ランドルフがアイザックに抱き着いてくる。


「いえ、入学前から変わってませんけど……」


 すでに成長しきっているので身長や体重は変わっていない。

「何を言っているんだ?」と思っていた。

 その事よりも、アイザックはランドルフの体臭が気になった。

 抱き着いているので臭いがよくわかる。


「あぁ、急いできたからな。まずは水浴びをしてこよう。あとでティファニーの件の話を聞かせてくれ」

「アンディ伯父さん達は来ていないんですか?」

「ハリファックス子爵はカレン達と一緒にこっちに来ている。一緒に来たのは強行軍に付いてこれるアンディだけだ。彼は自分の屋敷に直行した」

「そうなんですね。わかりました。お爺様は仕事でいませんが、お婆様がいますので呼んでおきますね」

「頼む」


 ランドルフは井戸のある裏庭へと向かっていった。

 アイザックは使用人達に、マーガレットにランドルフの到着を知らせるよう指示を出したり、護衛の騎士に飲み物や食事を用意するように命じる。




 夏場だったので行水で済ませられる。

 お湯を沸かす時間が省けるので、ランドルフが戻ってくるのは早かった。

 アイザックはマーガレットの他に、屋敷で働く秘書官や政務官達も呼んでおいた。

 ここで話す事はアダムス伯爵家に対する行動に影響するかもしれない。

 無駄になるかもしれないが、念のためにである。

 手紙で伝えているが、まずはティファニーが振られた当時の流れを説明する。


「なるほど。他に好きな女ができたから、あっさりとティファニーを捨てたというわけか」


 ランドルフが拳をテーブルに叩きつける。

 ルシアという惚れた女と結婚していても、メリンダとも結婚した男には「他に好きな人ができたから」といって女性を捨てるという行為が許せないようだ。


「あんなに良い子なのに捨てるなんて信じられない。ここはやっぱり、アダムス伯爵と話し合わねばならないようだな」


 ランドルフが立ち上がった。

 ティファニーはルシアの姪というだけではない。

 アイザックの幼馴染だし、家によく遊びにくるティファニーの事を可愛がっていた。

 そんな彼女に酷い扱いをするチャールズが許せなかった。


 この状況に慌てる者がいた。

 それはアイザックでもマーガレットでもない。


 ――秘書官達だ。


「サンダース子爵、落ち着いてください。まだハリファックス子爵も到着しておりません。まずは彼らを始めとしたハリファックス子爵家でどうするかという方針を決めていただくべきです」

「お怒りはごもっともですが、ハリファックス子爵家のためを思われるのなら、今は静観すべきです」

「行動したいと思われても、今はティファニー様の様子を見に行く程度に留めておくべきだと思われます」


 彼らはランドルフが言った話し合い・・・・という言葉を勘違いしていた。

 それは、サンダース子爵・・・・・・・という爵位をもらうきっかけが原因だった。

 今のランドルフは、トムを一騎討ちで討ち取った剛の者だと思われている。

 そのため、暴力話し合いによる解決だと誤解されてしまったのだ。


 戦争で武闘派だと思われてしまったせいで、周囲の認識が一変してしまった。

 本人は「何も変わっていないのに、どうして……」と戸惑うばかりである。

 今回も「話し合いにいくだけなのに」と困惑させられている。

 戦争が終わって以来、いつもこんな感じで周囲が大袈裟に騒ぐという事が続いている。

 ランドルフは黙って椅子に座り直した。

 しかし、怒りは収まってはいないようだ。


「アイザックはよくやった……。そう褒めてやりたいくらいだが、褒めると私が怒られてしまいそうだしな……」


 ランドルフがマーガレットの方をチラリと見る。

 彼も四十近いが、怖い母には頭が上がらないままだ。

『闘将』と呼ばれるようになっても、この辺りは昔のままである。


「当然でしょう。それくらい強い思いを持つのはかまいません。でも、実際に行動に移すような浅はかさは必要ありません」


 マーガレットがきっぱりと切り捨てた。

 彼女はアイザックの方を向く。


「あなたもですよ。チャールズの目を醒まそうとする意気込み自体はいいとしても『エンフィールド公爵が殴った』という事実は、チャールズのためになりません。周囲があなたの気持ちを勝手に読み取って、アダムス伯爵家と距離を取ったりして孤立してしまうでしょう。上位の貴族は、その動きを周囲に見られていると自覚しなさい」

「はい」


(やべぇ、確かにその通りだ)


 アイザックもその事はわかっているつもりだった。

 だが、行動が伴っていなかった。

 チャールズの時は「何とかしないといけない」と思って殴りかかってしまった。

 そのあと、どうなるかまでは考えていない。

 このままではティファニーと縒りを戻しても、しばらくは肩身が狭い思いをする事になるだろう。

 親子揃って「軽率な行動をするな」と注意されてしまった事に親近感を覚えながらも、二人は大人しく反省する。


「じゃあ、ティファニーの様子を見にいくかな」

「いえ、今日はやめておいた方がいいでしょう。アンディ伯父さんが来ているのなら、しばらく親子でゆっくりさせてあげた方がいいでしょう」


 ランドルフをアイザックが止める。

 ようやく肉親と会う事ができたのだ。

 今頃は泣きついているだろう。

 そこに割って入って邪魔をするのは野暮というものだ。


「……なら、私が王都に来た意味は?」


 アイザックはそっと視線を逸らす。


(聞かれてもわかんねぇよ。お袋達と一緒に馬車で来てもよかったのに)


 両親への手紙は何が起こったのかという報告書のようなものだった。

 ハリファックス子爵家に送った手紙とは違い「早く来い」というようなニュアンスは含まれていなかった。

 ティファニーを心配しているのは良い事だとは思うものの「親戚の叔父さんという立場で真っ先に駆けつけるのもなぁ」という思いもあった。


「ところで、母上達も来ているんですか?」

「あぁ、ハリファックス子爵に同行しているよ。もちろん、ケンドラも一緒だ」

「それはよかった」


 どちらかと言えば、ケンドラがいる事が嬉しい。

 この四ヶ月ほど会えなくて寂しかったところだ。


「よくありません」


 だが、マーガレットが怒りの籠った声を出す。


「エルフやドワーフの大使を王都まで案内するという役割を任されていたでしょう? 夫婦揃って王都に来てどうするつもりですか」


 今年の冬頃。

 いつもウェルロッドから王都に向かっていた時期に、エルフやドワーフの大使達を王都に連れてくる。

 それは以前から決まっていた事だった。

 だから、エンフィールド公爵家の屋敷を使わせてほしいと頼まれていたのだ。

 当然、出迎えにはモーガンも向かうが、国境を接するウェルロッド侯爵家はホスト役としての任務を任されている。

 マーガレットは「任務を放棄するつもりではないのか?」と心配していた。


「大丈夫です。このままずっと王都にいるわけではありません。ちゃんとこの件が終われば、出迎える時期にはウェルロッドに戻っていますよ」

「ならいいのだけれど……。話が終わってなくても帰るようにね」


 マーガレットは念押しを忘れない。

 ランドルフの性格なら「ティファニーが心配だ」と言って、帰るのを渋るかもしれない。

 時期を見て、ちゃんとウェルロッドに帰らせようと考えていた。


「それにしても、サンダース子爵というのは父上に似合わない気がしますね」

「そう言うな。私自身、サンダース子爵という爵位が似合っているとは思っていないんだからな」


 二人は同じ思いを抱いていたようだ。

 しかし、意見が一致したのに、二人とも苦笑いを浮かべている。


 アイザックは「鬼軍曹っぽい名前だ」という意味で言ったが、ランドルフは違う。

 サンダース子爵家は、二百年前の種族間戦争で断絶した武門の家柄だ。

「アイザックのおかげで戦争に勝っただけなのに、武門の家柄の爵位をいただいてもいいものか?」という意味で、自分には似合っていないと思っていた。

 アイザックも予想外の爵位をもらったが、それはランドルフも同じ事。

 爵位の価値を理解している分、ランドルフの方が困惑しているくらいだった。


「では、父上には落ち着いていただくためにもケンドラの話でもしてもらいましょうか」


 ここで父を落ち着かせるために、アイザックが妹の話題を催促した。

 ケンドラの話をしていれば、チャールズへの怒りも収まるだろうと思ったからだ。

 あと、単純にケンドラの話を聞きたいという思いもあった。


「私はお前の学生生活の方が気になるな」


 父親の立場からすれば、息子の学生生活が気になるのも当然だろう。

 一学期から停学になるなど、目立つ行動をしている。

 しかし、停学の話をすれば、また「チャールズ!」といきり立つかもしれない。

 その事を理解しているマーガレットも「私もケンドラの話が聞きたいわ」と、ケンドラの話をしてもらえるように誘導するのを手伝ってくれた。

 ランドルフの態度を見て、アイザックは「ハリファックス子爵家の方は、もっと凄まじいんだろうな」と思っていた。

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