第261話 話し合う事ができれば
アイザックは終業式の日も休んだ。
これはルーファスに言った「一ヶ月の停学を受け入れる覚悟がある」という事を示すためでもある。
とは言っても、本当は「一週間の停学だから、停学が明けたら登校しよう」と思っていた。
しかし「あんな事を言っておいて、すぐに登校したら教師達に反省していないと思われるのではないか?」と思い直し、自主的に謹慎する事にした。
世間体というものを考えれば、この方が無難な気がしたからだ。
通知表は答案用紙とは違い、さすがに友人経由で返されはしなかった。
代わりになぜか学院長のルーファスが、自ら手渡しにくるというVIP待遇だった。
持ってきてくれたのがモーガンが帰宅している時間だったので、彼なりの計算もあったのかもしれない。
事実、学院長が屋敷にやってきたので、モーガンもそのまま返さず少しばかり話す時間を作ってあげていた。
――通知表を持っていく。
ただ、それだけの事。
なのに、ウェルロッド侯爵と顔繋ぎをする機会を作っていた。
こういう抜け目なさが彼の強みなのかもしれない。
――ルーファスが持ってきた通知表。
それを持ったモーガンとマーガレットを前にして、アイザックは大人しく座っていた。
「国語、数学、歴史、地理、戦略は十か。アイザックならこれくらいは当然だろうな」
「でも、慢心してはダメよ。あなたは公爵家の当主。人に恥ずかしくない成績を残すように頑張らないとね」
「はい、わかっているつもりです」
座学に関しては申し分のない成績だった。
特に戦略などは「一教師である私には評価できませんが、評価をしないといけないので十を付けさせていただいております」という補足が書かれていた。
この成績には二人とも満足そうだ。
「しかし、体育は八か……。もう一歩というところだな」
「あなたは成績優秀組。運動が苦手そうな子が多いのだから、もう少し頑張らないとダメよ」
「……弱点がわかりましたので、そこを補うように頑張ります」
体育は前世と大違いだった。
サッカーやバレーなどといったものではなく、剣や弓といった貴族に必要な実戦的な授業が行われていた。
満足に教育を受けられなかった子供達の救済手段としても学院が存在するので、こういう方面の授業が行われる事は悪くない。
アイザックも、今まで練習していたので人並み以上の実力を身に着けていた。
――しかし、予想外の出来事が起こった。
体育の授業には護身術も含まれていた。
アイザックは武器を使った戦闘訓練はしていたが、素手による格闘訓練はあまりしていなかった。
その事が裏目に出る。
剣や弓はアマンダ以外に負けなかったが、護身術は女子のほとんどに負けてしまった。
なぜ女子の格闘技術が高いのかというと、これも学院の事情によるものだ。
王立学院の設立当初は良かったが、時代が進むにつれて家を継げない次男、三男が条件の良い婚約者のいない娘と既成事実を作ろうと動き始める。
これには厳しい処罰で対応したが、泣き寝入りする娘も大勢いた。
しかし、初代国王スティーブが男女混合の学校にすると決めたので、男子校、女子校と分けるような真似はできなかった。
そこで、女子は自分の身を守るために幼少の頃から護身術を徹底的に身に着けるようになっていった。
婚約者のいない娘だけではなく、婚約者持ちも含めて全員である。
女子にとって人生を左右する問題なので、必死に護身術を身に着けていたらしい。
アイザックも、まさかティファニーにまで投げ飛ばされるとは思ってもみなかった。
そのため、教師もアイザックに甘い点数を付けられず、体育は八という結果になっている。
最後は芸術の成績である。
「芸術の授業か。確か一学期は美術だったな」
「その通りです」
モーガンは自分が通っていた頃の事でも思い出したのか、芸術の授業内容を思い出しているようだ。
「成績は七か。頑張っているではないか」
「ええ、この成績ならよくやっていると褒めてあげてもいいと思います」
「そこで優しい言葉をかけられると、かえって傷付くんですけど!」
美術と聞き、モーガンとマーガレットは優しい笑顔を浮かべていた。
しかし、優しさは時として残酷なものとなる。
二人の笑顔が、かえってアイザックにショックを受けさせる。
いっその事「もっと頑張れ」と叱られた方がマシなくらいだった。
「まぁ、いいではないか。苦手な分野がある方が人間味があるというものだ」
「そうよ。ただでさえ公爵という立場の違いを感じる爵位ですもの。同級生に親しみやすさをアピールするのにいいわね」
二人はアイザックから視線を逸らしていた。
そうやって視線を逸らす行為から「美的感覚が人と違ってもいいんだよ」という優しさが感じ取れてしまった。
どうせなら、その優しさを違うところで使ってほしいとアイザックは思ってしまう。
「オホン。一学期は終わり以外は問題なさそうだな。学生になってどうだった?」
モーガンが咳払いをして話を変えようとする。
釈然としないものを感じていたが、アイザックは話の変化に応える。
「そうですね。学校という環境に慣れるのに忙しかったです」
正確には「ニコルの様子を見ているだけでいっぱいいっぱいだった」と言いたいところだが、さすがにそんな事を言えるはずがない。
良くてストーカー、悪ければニコルに惚れていると思われてしまう。
そんな最悪の事態は避けたかったので、無難な答えをするしかなかった。
「停学になったのも、ティファニーのため。さらにはチャールズのために行った行動ですもの。取り立てて咎める事でもないわね」
「うむ。他人のために自分を犠牲にできるというのは、成長したともいえる。ただし、犠牲にし過ぎないように気を付けてもらわねばならんがな」
停学になった事は怒られるべき出来事だったが、その理由は厳しく叱りつけるようなものではない。
ネイサンを殺した時のように暴力的な行動を取るよりは、ずっといい。
自己犠牲が過ぎて、家を傾けるような事さえしなければ文句を言うつもりはなかった。
「そろそろ、ウェルロッドに早馬が着いた頃だろう。となると、彼らがやってくるまであと二週間かかるという事だ。それまでの間ティファニーを支えてやるといいだろう」
「はい、そのつもりです。……アダムス伯の様子はどうでしょうか?」
「憔悴しきっているな。だが、無理もない。どこぞの公爵閣下が陛下のお気に入りでな。その公爵が停学になった責任をアダムス伯の息子にあると知って、大層ご立腹のご様子だ。アダムス伯が所属する派閥の中立派筆頭であるクーパー伯も庇いきれん様子だったな」
モーガンは他人事のように話す。
実際、彼には他人事ではあるのだが、一応はアイザックが巻き込まれている事件に関わる態度ではない。
今までアイザックが関わった事件の中でも軽い方だからだろう。
嫌な慣れである。
祖父に嫌な慣れ方をさせたアイザックはというと、少し困ったような表情をしていた。
「それは困りましたね。ティファニーとチャールズが仲直りした時、アダムス伯爵家が冷や飯食いになっていたら意味がありません。ハリファックス子爵家との話し合いが終わるまでは、大事にはしたくないんですけどね」
(可能性は低いけど)
人前でニコルに告白までしてしまったのだ。
「上手くいかなかったから、やっぱり縒りを戻す」なんて事はできないだろう。
ここまでされてチャールズを許すのであれば、きっとティファニーは天使の生まれ変わりだ。
ただ、どこまで心にチャールズとの思い出が強く残っているのかわからない。
万が一があり得るので、アダムス伯爵家が貴族として死んでもらっては困るところだった。
しかし、仲直りできたとしてもチャールズの未来は暗い。
エリアスにまで悪い意味で名前を覚えられてしまった。
ジェイソンの代になるまでは、窓際族として過ごさねばならないだろう。
ニコルの魅力のせいだとしても、若気の至りというには、あまりにも大きな犠牲を払ってしまった。
その事はモーガンもよくわかっている。
だから、アイザックがティファニーのためではなく、自分のために行動しているのではないかとも思っていた。
「……アダムス伯に恩を売って都合の良い手駒にしようと考えているのではあるまいな? 財務事務次官という立場の者を都合よく利用できれば旨味があるが、さすがにそのような事は王国貴族として許されんぞ」
「僕が陛下にお願いすれば、大体の望みは叶えられるんですよ。そんな事をする必要がありません」
アイザックは不満そうな表情を見せるが「それも悪くないかな?」とも思い始める。
ティファニーの婚約者の実家であれば、さすがに気が引ける。
だが、縁が切れてしまえば気にする事もないだろう。
ティファニーに嫌悪感を抱かれない程度に、アダムス伯爵家をしゃぶり尽くすのも悪くない。
「さすが経験豊富なだけあって、良い提案をしてくれた」と、アイザックは前向きに受け取った。
モーガンも警戒し過ぎたと思い、少し反省するような素振りを見せた。
アイザックも昔に比べれば成長している。
ティファニーの件からも、それは窺える事だ。
もう少し信じてやるべきだろうと思い直す。
「確かにそうだな。すまなかった。陛下には関係を修復できた時の事を考えて、アダムス伯にきつく当たらないようにお伝えしておこう。それとも、自分の口からお伝えするか?」
「いえ、当事者である僕の口から伝えれば、アダムス伯の立場がなくなってしまいます。お爺様からそれとなくお伝えください」
「わかった。そうしよう。しかし、ティファニーを捨てるなど今でも信じられん」
「それは僕もです」
アイザックもニコルと魂が引き合うような思いを感じていたが、婚約者を捨ててまでというほどのものではない。
(もしかしたら、婚約者持ちにだけ特別な効果がある魅了とか? でも、レイモンドには効果が薄そうだったしなぁ……)
ニコルに関しては、考えれば考えるほど謎が深まるばかりだ。
原作通りの流れなのかもしれないが、チャールズの行動が不可解過ぎる。
(これも全てシナリオライターのせいだ)
略奪愛をテーマにしておきながら、攻略キャラとのイベントに注力し過ぎた。
もうちょっと攻略キャラが家族に相談するなどのシーンがあれば、彼らも思いとどまっていたかもしれない。
だからこそ、家族の出番をなくしてシナリオの破綻を誤魔化していたのだろう。
しかし、アイザックは縁故採用のシナリオライターを恨んだりはしなかった。
むしろ、感謝をしているくらいだ。
穴だらけの世界だからこそ、上を目指す事ができたのだから。
(パメラと二人っきりで話したいなぁ……。さすがに穴だらけの性格ってわけじゃないだろうし)
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一方、ウィンザー侯爵家でも話し合いが行われていた。
ウェルロッド侯爵家と違うのは、当主ではなく、パメラがシャロンとルーカスを呼んで話し合っているという事だった。
「アイザックさんは休んだままだったのね」
「はい。本人から今学期は自主的に謹慎しておくという事を聞いています」
パメラの質問にルーカスが答える。
残りは休むという事は、アイザックから聞いていた。
単純なサボリではなく、暴力行為への反省という事もあり、学校を休む事に関しては皆に受け入れられていた。
だが、パメラにとっては、頼りになる味方がいなくなる心細い状況となっていた。
「でも、ちょっと意外だったかも。エンフィールド公って兄殺しのイメージが強いから、もっと暴力的な人だと思っていたわ」
シャロンが本音を曝け出す。
今までの行動を考えれば、同級生を殴った事を反省して自主的に謹慎するタイプだとは思えなかったからだ。
意外な一面を見せられて、シャロンの中にあったアイザック像が揺らぎ始める。
「後継者争いに勝って暴力を振るう必要なくなった……、という事ではないかしら。兄殺しのあとは暴力的な行動をしなくなっているもの」
パメラは「必要がなくなったからだ」と、アイザックが大人しくなった理由を考えていた。
これはアイザックがカーマイン商会の一件以来、暴力的な行動をしなくなったからだ。
「……逆に考えれば、エンフィールド公ですら手段を選ばずに行動しないと危ない状況だったという事ですね」
ルーカスが当時の状況を考えて、少し寒気を感じていた。
――『古今無双』という二つ名で呼ばれるアイザックが手段を選ばないで行動しないといけなかった。
まだ幼かったというのもあるだろうが、アイザックなら裏で多数派工作をして、ネイサンを幽閉する流れにも持っていけたはずだ。
だが、それをしなかった。
危機的な状況で、そんな余裕などなかったのだろうと思われる。
圧倒的に有利な状況へ持っていったメリンダの力も凄いが、そこから巻き返したアイザックも凄い。
「自分はとんでもない相手と交友を持っているんだ」という事を再確認する。
「そんな辛い状況を乗り越えてきたんですもの。リード王国の未来のためにも、力をお借りしたいわね」
もちろん、パメラも力を借りるだけではない。
何かお礼をしたいと思っているが、今の自分にはできる事がない。
好意にすがる事しかできない状況を心苦しく思っていた。
「ねぇ、ルーカス。本当にチャールズさんの事とは無関係なの? パメラに頼まれたから、思わずやってしまったとかではないの?」
シャロンが聞き辛い事をルーカスに尋ねる。
ルーカスは「心配ないよ」と首を横に振る。
「ティファニーさんの事を心配していたみたいだから、それはないよ。もし、裏でニコルさんとチャールズくんをくっつけようとしていたなら、演技が上手過ぎて人間不信になっちゃうよ」
「そうよね。前にフレッドさんとくっつけようとしているって言ってたし、考えすぎよね」
シャロンもフレッドにニコルを押し付けようとしていた事はわかっている。
だが、これは聞いておかねばならなかった。
アイザックがそこまで非情な人間なのかどうかは、パメラの今後に関わってくるからだ。
こうして心配してしまうのも、アイザックの曾祖父にあたるジュードが、自分の娘を謀略の道具として扱った事が影響している。
「アイザックもチャールズとティファニーの関係など気にしないのでは?」と思うと、心配で仕方がなかった。
――しかし、パメラは一人違う事を考えていた。
(もしかすると、私と出会ったせいで性格を変えちゃったのかもしれない……)
初めてアイザックに合った時は、可愛らしいショタっ子だった。
だが、エルフとの接触から始まる活躍の数々は、自分と出会ってからの事。
才気あふれるウェルロッド侯爵家の人間だったとしても、意識して行動しなければ、あれほどの結果は残せなかっただろう。
自意識過剰かもしれないが「自分と出会ったのがきっかけで、アイザックが変わってしまったのではないか?」と、どうしても考えてしまう。
子供ながらに「いっぱい頑張ればパメラと結婚できるかもしれない」と思って行動していたのかもしれない。
そう思うと、アイザックにジェイソンとの仲を守る手助けをしてもらうのは心苦しい。
しかし、自分が生き残るためには手助けをしてもらうしかなかった。
(ニコルにジェイソンを取られたら、私は殺されちゃう。婚約者の王子様を奪われた侯爵家の娘なんて、どんな仕返しをするかわからないから仕方ないかもしれないけど……)
パメラが自分に好意を寄せているであろうアイザックに頼み事をしたのは、身の危険を感じたからだった。
命が懸っては「心苦しいから」といって遠慮などしていられない。
彼女がなりふり構わず助けを求められるのは、アイザックだけしかいなかったせいだ。
本来ならば、家族に相談するのが一番である。
しかし「ニコルにジェイソンを奪われそうだ」と言っても信じてくれないだろう。
これはパメラが子供の頃にやらかした事が原因だった。
アイザックと出会う前にやらかした事のせいで、ニコル対策のために家族に助けを求める事ができない。
「ジェイソン殿下が、別れるなんて愚かな行為をするはずがないだろう」と言われて終わりだ。
一番手っ取り早い解決方法は、ニコルの暗殺だろう。
だが、パメラには命令を出す権限がないし、そこまでする度胸もない。
家族に報告しないと信頼できる者もシャロンとルーカスくらいしかいないので、彼らを通してアイザックに手を貸してもらう事しかできなかった。
本来ならばジェイソンと婚約して、そのまま結婚という安定した未来があったはずだ。
しかし、ニコルのせいで未来は波乱に満ちたものになってしまった。
普段のジェイソンの事は好きだし、彼の事を嫌ってはいない。
でも、ニコルといる時のジェイソンを見ると心を大きく揺り動かされてしまう。
命が懸っているかもしれない状況を何とかしようと考える事に、パメラは少し疲れを感じ始めていた。
(アイザックと二人でゆっくり話してみたいなぁ。色々と話したい事もあるし……)
――初めて会った時の事から、今まで会えなかった間の事。
パメラはそのように思うが、実際に二人で密会などはできないだろう。
いい年をした男女が密室で二人っきりなど許されない。
王太子の婚約者である以上、普通の女の子以上に二人っきりでの密会など無理だ。
せめて、ティファニーのように従姉妹という関係であれば違っただろうに。
アイザックには、ジェイソンにも話せなかったような事も話せるような気がする。
だが、その機会が作れない事には意味がない。
――ジェイソンと婚約していなければ。
――侯爵家の娘でなければ。
しかし、現実にはウィンザー侯爵家の娘でジェイソンと婚約している。
この状況は自分一人でどうこうできるものではなかった。
今のパメラの希望は、アイザックだけだ。
ニコルに篭絡されないというだけでも、誰にも負けない頼もしさを感じさせてくれる。
アイザックならば、やがて訪れるであろう最悪の結末を避けてくれるのではないかという気がしていた。
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