第258話 ジョン・アダムス伯爵

 自宅に戻るアイザックの足取りは重い。

 停学になるなど、前世を含めて初めての事だ。

 ティファニーほどではないが、家族にどう言われるか心配していた。


(うわぁ、気まずいな……)


 門番を任されている兵士がアイザックの姿を確認して動きを見せている。

「あれ、アイザック様じゃないか?」とでも話しているのだろうか。

 まだ距離はあるが、彼らと視線が合ったような気がする。

 一度どこかの公園にでも行って、下校時間まで時間を潰しておきたい気分だ。

 しかし、ウェルロッドに帰っていったハリファックス子爵家の面々に連絡しなければならない。

 逃げ出したいのを我慢して屋敷へと向かう。

 ある程度、門に近づいたところで兵士が二人ほど駆け寄ってくる。


「アイザック様、何か問題でも?」

「いや、今日は帰ってもいい事になったんだ。だから、帰ってきたっていうだけ。心配しなくてもいいよ」

「左様でございますか」


 兵士達は安堵の表情を見せる。

 アイザックに何かあれば、どこまで責任の追及があるのかわからない。

 学校から早く帰ってきたというだけなら問題はない。

 もし、問題があるというのなら、それはアイザックが気まずいと感じている事だけだ。

 アイザックは屋敷の門を抜ける。

 今度は庭師達の視線を感じるが、気付かない振りをして屋敷へ一直線に向かう。


(くそっ、悪い事なんて……したけどさ。こうして注目を浴びるのはきついな)


 ――暴力事件を起こして停学処分。


 その後ろめたさは、かなりのものである。

 まるで犯罪者を見る目で周囲から見られているように感じてしまい、アイザックは萎縮してしまう。 


 アイザックは公爵で何をやっても許される立場なのだが、だからといって好き放題やれるほど開き直れない。

 前世の記憶を引き継いでいるせいで、小物っぷりも引き継いでいるせいだ。

 それはそれで「出世しても横暴な振る舞いをしない」と好意的に見られているので、悪い事ではなかった。


 屋敷の中に入ると、今度はメイドが驚いた。

 一人が慌てて近寄ってくる。


「熱などの体調不良でしょうか? 医者を呼びますか?」


 この時間に帰ってきた理由を病気によるものだと思ったようだ。

 アイザックは苦笑いを浮かべる。


「大丈夫、健康そのものだよ。むしろ、元気が良すぎて困るくらいかな。お婆様は今どこにいる?」

「中庭でお茶を召し上がっておいでです」

「わかった。ありがとう」


 マーガレットがこの時間にティータイムを楽しんでいるという事は、朝の仕事が一段落ついたところのはずだ。

 彼女は一日中好き放題しているわけではない。

 来客の相手をするというのもあるが、手紙を書いて遠くの貴族と繋がりを持ったり、情報の収集などを行ったりするのも彼女の役割だ。

 今は手紙を書いて一服といったところだろうか。

 手が空いているのならちょうどいい。

 アイザックは中庭へと向かう。



 ----------



 中庭で祖母の姿を見つけると、ちょうどあちらもアイザックの姿に気付いた。

 ブフォッとお茶を噴き出しそうな驚きの表情を見せながらも、マーガレットは強靭な意思の力で抑え込んだ。

 みっともない姿を人前で見せられないからだ。

 お茶を飲み込んだあと、咳き込んでいるのは我慢した代償だろう。


「驚かせてしまったようですね」


(あとでもっと驚くけど)


「確かに驚いたわ。学校はどうしたの?」

「その件でお話があるんです。みんな、悪いけどちょっと席を外してくれるかな?」


 アイザックが頼むと、マーガレットの傍に控えていたメイド達が離れていく。

 以前なら「人払いをしてください」とマーガレットにお願いしなければいけなかったが、今ではアイザックの命令で動くようになっている。

 これは、マーガレットよりもアイザックが出す命令の優先度が高くなったからだった。

 子供とはいえ公爵位を得たアイザックは、ウェルロッド侯爵家内部では当主であるモーガンに次ぐ権限を持つようになった。

 最初は戸惑ったが、今ではこういう変化にも慣れてきている。

 アイザックはマーガレットの正面に座った。


「どうやら体調を崩したとかではなさそうね」

「はい、実はチャールズを殴って停学になりました」


 もし、この時マーガレットがお茶を口に含んでいれば、アイザックはマーガレットが噴き出したお茶を被っていただろう。

 そう思ってしまうほど激しく咳き込んでいる。

 しばらく咳き込み、落ち着いた頃にお茶を一口飲んでからマーガレットが質問する。


「どうしてそんな事になったの?」

「はい、実は――」


 アイザックは学校であった一連の流れを話した。

「好きな人を奪う」という内容は省かれていたが、マーガレットを驚かせるのには十分だったようだ。

 体がふらつき、体を支えようとしてテーブルに手をついた。


「お婆様、大丈夫ですか! すみません、驚かせてしまって……」


 慌ててアイザックはマーガレットの傍に駆け寄る。

 まさかここまでショックを受けるとは思わなかったからだ。


「本当に驚かされたわ。まさか、ティファニーとの婚約を解消しようとするだなんて……。詳しくは知らないけれど、チャールズは頭の良い子だったのでしょう? いくらニコルさんが美しく育ったからって、普通婚約を解消すると考える?」


 どうやら彼女は、チャールズの馬鹿さ加減に驚かされたようだ。

 彼女の両肩に添えるアイザックの手にも体の震えが感じられる。

 それほどまでにショックな出来事だったらしい。


「……僕もチャールズの考えはわかりません。この状況を整理するためにも、まずはお爺様に知らせて、相談してからハリファックス子爵家に早馬を送りたいと思っています。ティファニーの家族抜きでこちらで話を進めるわけにはいきませんから」

「そうですね。ハリファックス子爵家とアダムズ伯爵家の婚約話となれば、ウェルロッド侯爵家も無関係ではありません。早馬を送るにも少し話し合ってからの方がいいでしょう」

「無駄に噂が広まるのは好みません。騒ぎが大きくなると、ハリファックス子爵家やアダムズ伯爵家も周囲の雰囲気に呑まれて、いらぬ行動をしてしまうかもしれません。まずは僕が停学になったという話だけを伝えましょう。お爺様が屋敷に帰ってきてから、ティファニーとチャールズの話をしてほしいです」

「わかったわ。あなたは優しいわね」


 マーガレットはアイザックの成長を感じていた。

 暴力的な解決手段ではなく、穏便な解決方法を模索できるようになっている。

 しかし、ウェルロッド侯爵家の当主としては、過去のアイザックの方が睨みが利く。

 どちらのアイザックを歓迎するべきか、マーガレットは悩んでいた。



 ----------



 モーガンの帰宅は早かった。

 使者から話を聞いて、すぐに帰ってきたのではないかと思うくらいに。

 今回は重要な話をするので、マーガレットが口の堅いメイド達を揃え、アイザックと共に応接室で待っていた。

 モーガンが一人の男を連れて帰ってきているので、その準備が役立つ事となった。


 ――ジョン・アダムズ伯爵。


 チャールズの父親だ。

 四十過ぎで財務事務次官にまで昇り詰めた能吏である。

 今回の事件の関係者として、一緒に連れて帰ってきたのだろう。


(本当にこの国大丈夫か?)


「息子さんを殴ってごめんなさい」と言う前に、アイザックはそんな事を思ってしまった。

 普通の家ならばいい。

 子供が心配で早退するというのはある事だ。

 だが、アイザックが公爵という事を考えても、外務大臣と財務事務次官という政府高官が早退してまで対応する案件ではない。

 この国の政府は大丈夫かとアイザックは、つい心配してしまう。


「まったく、アイザックも年相応の若者という事だな。同級生を殴るなんて」


 モーガンが苦笑いを浮かべながら、アイザックの頭をポンポンと叩いた。

 アダムズ伯爵の前ではあるが、今日はエンフィールド公爵ではなく、失敗をやらかした孫として扱う事にしたようだ。


「普段と変わった環境に身を置き、慣れていくために学院があるのです。そういう時もあるでしょう」


 アダムズ伯爵がアイザックを庇う。

 学生の揉め事は時々ある事だ。

 軽い喧嘩くらいで目くじらを立てる気はない。

 それに、アイザックは恩には恩を、仇には仇で返す傾向がある。

 チャールズが大怪我をしたわけでもないので、ここは恩を売っておこうという考えもあった。


「確かに。私もサム……、ランカスター伯爵にからかわれた時に殴り飛ばして停学になった事もある。学院は法秩序というものを身近に学ばせる社会の縮図のような場所だからな。暴力を振るっての停学処分は仕方ない」


 二人の間に流れる雰囲気は和やかなものだった。

 アダムズ伯爵が笑顔を見せているくらいだ。

 これもまだ「アイザックがチャールズを殴って一週間の停学になった」という事しか知らないせいである。


「アダムズ伯、ご子息に暴力を振るってしまい申し訳ありませんでした」


 まずは謝罪から入る。

 もし、ティファニーが殴っていたのであれば謝る必要はないかもしれないが、アイザックは婚約破棄の当事者ではない。

 殴る理由が従姉妹のためというものしかない以上、私怨の暴力でしかない。

 一言謝っておく必要があった。


「いえいえお気になさらないでください。私はチャールズをどう褒めてやろうかと思っているくらいです。まさか、エンフィールド公とやり合うという気概があるとは思いませんでしたよ」


 アイザックの謝罪を聞いても、アダムズ伯爵は笑っていた。

 チャールズは揉め事になりそうであれば、上手く避けようとするはず。

 しかも、相手は戦争の英雄というだけではなく、外交や内政といった分野でも実績を残している文官の憧れ。

 そんな相手と揉める勇気があるとは思いもしなかったので、彼は息子の事を見直していたくらいだった。

 ティファニーとの婚約があるので、世間的にはアイザックと揉めても内輪の喧嘩扱いというのも大きい。

 今のところは「子供の喧嘩」くらいにしか思っていなかった。


「子供の喧嘩だとわかっていたが、念の為に陛下に報告したところ『アダムズ伯を連れてすぐに帰れ』と言われてしまった。陛下も心配性だな」


 モーガンも笑いながら話す。


 ――学院という集団生活の場。


 新生活に困惑し、他者と揉め事を起こすのは年に何人かいる。

 そのほとんどは上位貴族の子息だった。

 屋敷での上位者としての生活と皆が対等に扱われる集団生活の違いに慣れず、他者と衝突してしまうのだ。

 学院は普段接しない者との集団生活に慣れさせ、貴族間の摩擦を減らす教育の場でもある。

 停学一週間くらいなら「やっちゃったな」で済ませられる程度の失敗だった。


「いえ、実はまだ話していない重要な案件があるのです。アダムズ伯もおられるのであれば丁度いい。どうぞ、席に着いてください」

「なんだ、なんだ。聞くのが怖いな」


 真剣な表情で話すアイザックの話はロクな事がない。

 モーガンは怖がりながらも、言われるがままにアイザックとマーガレットの間の椅子に座る。

 その正面にアダムズ伯爵が座った。

 丁度、ウェルロッド侯爵家の人間と向かい合う形になる。

 彼らが出されたお茶を一杯飲み、落ち着いた頃を見計らってアイザックが本題を切り出した。


「僕がチャールズを殴ったのには理由があります」


「まぁ、そうだろうな」という表情を二人が見せる。

 いくらなんでも「目の前に叩きやすそうな頭があったから」などという理由ではない事はわかっている。

 そんな事をしているところを教師に見つかったのなら、一週間の停学では済まないからだ。


「チャールズがティファニーに婚約の解消を告げたからです」

「はぁっ!?」


 アダムズ伯爵が大きく顔を歪ませて立ち上がった。


「ありえません。いくらなんでもそんな事を!」

「事実です。チャールズが学校から帰ったら聞いてみてください。ティファニーはショックを受けているので、今日は会わないでいただきたいですね」


 それから、アイザックは学校であった事を二人に話す。

 その内容はアダムズ伯爵だけではなく、モーガンまで信じられないといった表情を浮かべた。

 話が進んでいくにつれてアダムズ伯爵の顔が、段々と青白くなっていくのを見て「不謹慎ながら面白い」とアイザックは感じてしまう。

 アダムズ伯爵が体を震わせる。

 その時、そっとメイドの一人が空のフィンガーボウルを彼の前に差し出した。


「オェッ、オロロロロ」


 チャールズがしでかした事の大きさに耐え切れず、アダムズ伯爵は目の前のフィンガーボウルの中に胃の内容物を吐き出した。

 吐き出したものがフィンガーボウルの中を跳ね回る音が聞こえ、臭いまでがアイザックのもとに届いた。

 不快ではあるが、彼の心境を考えると責める気にはならない。

 それはモーガンとマーガレットも同じようで、視線を逸らして彼が落ち着くのを待っていた。


 しばらくすると、アダムズ伯爵は落ち着いた。

 メイドが嘔吐物の入ったフィンガーボウルを受け取ると、フィンガーボウルを持って外へと出ていった。

 違うメイドが新しいフィンガーボウルを、そっとアダムズ伯爵の前に置く。

 こういう非常時に本来の実力がわかる。

 侯爵家に仕えるメイドだけあって、彼女達は慌てずに適切な行動を取っていた。


「ほ、本当に申し訳、オェッ」

「お気持ちはお察しします。少し時間を取りましょう」


 もう吐き出すものもないのに、何かを吐き出そうとして苦しんでいるアダムズ伯爵を見てアイザックは優しい言葉をかける。

 この件は「仕事で失敗した」どころの話ではないからだ。


 アダムズ伯爵は、原作のゲームでも財務事務次官だった。

 その事はアイザックも何となく覚えている。

 彼は実力で、そこまで昇り詰める能力のある人物なのだろう。

 だが、この世界では違う。


 この世界では――


 チャールズがティファニーの婚約者。


 ――という事が大きく影響していた。


 ティファニーはアイザックの従姉妹である。

 その婚約者の父親という事で、周囲の評価が甘いものとなり、事務次官の選定にも有利に働いたらしい。

 これはアイザックが貴族社会の事を調べている最中に知ったものだ。

 原作ゲームとは違い、自分が色々とやってきた影響の一つである。

「実力だけではなく、ティファニーという存在の後押しがあって、若くして事務次官に就任できた」と、アダムズ伯爵本人も思い込んでいた。

 そのティファニーとの縁を切ろうとしたと聞いてしまったら、取り乱すのも無理はない。


「しかし、にわかには信じられん。チャールズといえば、将来を嘱望される若者だと聞いているぞ。そんな愚かな事をするか?」


 モーガンがアイザックに尋ねる。

 人並みの知能があれば、ティファニーとの縁を切ろうとはしないだろう。

 あまりにもあり得ない事なので、話を聞いても半信半疑だった。


「事実です。どうやらニコルさんの魅力と学力に惚れ込んだようですね」

「ネトルホールズ女男爵か……。確かに私もあと三十歳若ければ側室にでもしたいと思う美しさだが……」


 モーガンがニコルの魅力を認める発言ではなく、一歩踏み込んだ発言をした時にマーガレットの目が冷たく鋭いものに変わる。

 大方「いい年をして!」とでも思ったのだろう。

 だが、それはすぐに静まり、普段通りの目に戻ったので誰も気付かなかった。


「そうか、アダムズ伯が先ほど言った『普段と変わった環境に身を置き、慣れていくために学院がある』という事が答えとなっている。チャールズは学生生活に慣れる前に暴走してしまったのだな」


 モーガンは、冷静にどうしてこんな事が起こってしまったのかを考える。

 彼にとってティファニーは親戚というにはやや遠い。

 どちらかというと、アイザックの幼馴染という認識でしかなかった。

 だから、驚きながらも冷静に考える事ができていた。


(ニコルの本当の力って言っても、信じてもらえないだろうしなぁ……)


 アイザックにもよくわからないが、ニコル相手に魂が惹かれるような不思議な感覚を感じている。

 それを「魂が惹かれ合う特別な関係があるからだ」と思ってしまうと、抗えないというのはアイザックもよくわかっていた。

 もし、アイザックに婚約者が決まっていたら、どうなっていたのか……。

 だが、それを説明するわけにはいかない。

「前世の記憶があって、この世界はゲームを下地にした世界だ」なんて言ったら、即座に田舎の療養所に送り出されて軟禁生活を過ごす事になるだろう。

 とても表に出せないからだ。

 そんな生活は嫌だったので、アイザックは何も言わずに様子を見ていた。


「息子を殴ったのも目を醒まさせるため。しかも、それでエンフィールド公だけが停学になるなど……。エンフィールド公には何とお詫びを申し上げればいいのか……」


 アダムズ伯爵は、今にも心臓発作や脳溢血でも起こして死んでしまいそうな表情をしていた。

 吐き気が落ち着くと、今度は椅子から降りて片膝を地面に突き、アイザックに向かって頭を垂れる。

「どうにでも処分してくれ」という意思表示だろう。


「息子の責任は私の責任です。まずは事務次官を辞任し、息子共々屋敷にて蟄居致します。それでもお心が静まらないというのであれば、いかなる処分でも甘んじてお受けいたします。ですが、誠に勝手ではございますが、家の断絶だけはお許しください。断絶をお許しいただけるのであれば、これに勝る温情はございません」


 アイザックが思った通り、彼は「打つ手なし」と諦めていたようだ。

「家の断絶だけは許してほしい」と屋敷にやってきた時とは正反対の態度になってしまっている。


「アダムズ伯」

「はっ!」

「僕はアダムズ伯爵家の処分など考えてはいませんよ」

「えっ!」


 予想もしなかったアイザックの温情に、アダムズ伯爵は思わず頭を上げてしまう。

 その目は驚きで極限まで見開かれていた。

 ブリストル伯爵の一件があるとしても、アイザックの暴力的なイメージはまだ強く残っている。

 そんなアイザックが、ここまで甘い事を言うとは思えなかった。

「きっと家畜のように一生飼われ続けるんだ」と、アダムズ伯爵は絶望した。


「なぜだ、アイザック? ティファニーを助けようとしたのに聞き入れられず、そのせいで停学にもなったのだ。何らかの処分を求めてもいいのではないか?」


 アイザックの判断はモーガンも疑問に思った。

 何も求めないのは優しさではなく、貴族として他の家に侮られるきっかけになってしまう。

 甘すぎる処分はアイザックのためにならない。

 祖父として、孫の過ちを正してやろうと思っていた。

 しかし、アイザックにはアイザックの考えがちゃんとある。


「処分を求めるのは、ティファニーやハリファックス子爵家の方々の意見を聞いてからでもいい。そうではありませんか?」

「その通りです」

「あっ……」


 マーガレットがアイザックの考えを読んだ。

 モーガンもアダムズ伯爵も、この考えが頭から抜け落ちてしまっていた。

 彼らが「まずはアイザックの判断はどうなのか?」と思ってしまうほど、ティファニーとアイザックの差が大きすぎた。


「例えば、ハリファックス子爵家の方々がチャールズと話し合って和解したら? その時、アダムズ伯爵が事務次官を辞任していたりしたら、ハリファックス子爵家にとって大きな損となります。もちろん、二人の関係が解消された時もです。現役の事務次官の方が代わりの婚約者を探しやすいでしょう。辞任したり、他の処罰を受けたりするのは、当事者であるハリファックス子爵家と話し合ってからではありませんか?」

「その通りでございます」


 ――アイザックが処罰を与えないのは、ティファニーの事を考えてだった。


 その事はアダムズ伯爵を安心させ、同時にダメだった場合どうなるのかという不安が胸を締め付ける。


「大体、チャールズが婚約を解消すると言っただけでは効力を発揮しないでしょう? まぁ、実質的に婚約関係は破綻しているので、婚約関係を解消するしかなくなるかもしれませんけど。それでも、今日起きた事だけで判断して、僕達だけで結論を出すのは早いのではないかと思います」

「ハリファックス子爵家に早馬は送ったのか?」


 モーガンの質問にアイザックは首を横に振る。


「いえ、お爺様と話してからお知らせしようと思っていました」

「そうか。しかし『お宅の娘さんが婚約を解消されました』とは書き辛いな……」


 ティファニーに強い思い入れがないとはいえ、昔から見知った顔ではある。

 その子の悲報を家族に知らせるのには辛いものがあった。


「ならば、私が責任を持って連絡させていただきます」


 アダムズ伯爵が「自分がやる」と名乗りでた。

 どんな処分が下るかハリファックス子爵家と話すまでお預けなど生殺しだ。

 少しでも役に立って責任を軽くしておきたいと考えていた。


「いえ、実はティファニーに『ウェルロッド侯爵家で連絡をしておく』と約束していましてね。アダムス伯にお願いしたいところですが、今回はこちらから連絡させていただきます」


(約束は約束だもんな。けど、アダムズ伯に頼んだ方が良かったかな? やっぱり、婚約した家の者同士の方が説明しやすいとかあるだろうし)


 アイザックはそのように考えていたが、アダムス伯爵は違った。


(自然な流れで申し出たのに断られてしまった。やはり、ハリファックス子爵家からの悪感情を抑えるために少々歪曲した表現で伝えようとしていたのが見抜かれたか。さすがはエンフィールド公だ……)


 彼はティファニーの家族がウェルロッドからやってくる前に、ティファニーとチャールズの仲を修復できないか試みようとしていた。

 ハリファックス子爵達が到着した時に、二人が元の鞘に納まっていれば、今まで通りの関係でいられるはずだ。

 だから「二人が仲違いした」などの柔らかい表現で誤魔化し、到着までの間に事態を収拾しようと思っていた。

 しかし、それはアイザックに見破られてしまう。

「完全に相手が悪すぎた」と、アダムズ伯爵は諦める事しかできなかった。


 そもそも、彼がチャールズとティファニーを婚約させたのは、次期ウェルロッド侯爵家当主であるランドルフに良い印象を与えるためだけだった。

 アイザックは後継者争いで脱落する事が目に見えていたので、アイザックの従姉妹という立場はまったく期待していなかった。

 アダムス伯爵が期待していたのは「ルシアの姪」という事だけだ。

 愛する妻の姪っ子なら、ランドルフの性格上可愛がるはずである。

 当然、婚約者のチャールズもランドルフに目にかけてもらえる。

 そう、目にかけてもらえる・・・・・・・・・だけでよかったのだ。


 だが、アイザックが後継者争いで勝ち、エルフやドワーフと交流を深めて、戦争の英雄にまでなってしまった。

 後継者争いで勝った時点で、ティファニーは連日ストップ高の人気銘柄となった。

 同僚達から「先見の明があるな」と、アダムズ伯爵は羨ましがられる毎日。

 しかも、アイザックが活躍するたびにティファニーの価値は上がっていった。

 最高の相手をチャールズの婚約者にできたと、自室で裸踊りをして喜んだ事すらあった。


 ――しかし、それだけに落差は大きい。


 ハリファックス子爵にしてみれば、ティファニーの婚約者は選り取り見取りだ。

「他の女の色香に惑うような男に孫娘は預けられん」と言って、正式に婚約を解消させられてしまうかもしれない。

 そうなると「あんないい女との婚約を無駄にするなんて、とんでもない馬鹿だ」と周囲に思われてしまう。

 アイザックに処罰されるまでもなく、貴族としては死んだようなものになってしまうだろう。


 ――二人の関係が元通りなる以外は詰み。


 本当ならいつも通りの仕事をこなす、いつも通りのつまらない日だったはずだ。

 だが、出勤からたった数時間で人生が一変してしまった。

 しかし、絶望するだけではない。

「まずはチャールズに事情を聞き、ティファニーに謝罪をする事からだ」と、アダムス伯爵は被害を最小限に抑える方法について考え始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る