第246話 戦略の授業

 ――戦略の選択授業。


 貴族の当主になる可能性のある者は、この授業を一度は選んでおかないといけない。

 戦争に関する事だけではなく、経営戦略の基礎なども学ぶからだ。


 当然アイザックも戦略の授業を受講する事になったが、それだけが理由ではない。

「ファーティル王国での戦争を、どのような考えで乗り切ったのか」を皆に話してほしいと頼まれたためである。

 わざわざ教師が学生に話させようとするほど、アイザックの活躍は鮮烈な印象を多くの者達に与えていた。

 アイザックの話を聞くために去年よりも聴講生が多いそうだ。

 そのため、教室ではなく講堂で授業は行われる。


「……やけに人が多くないですか?」

「今回はアイザックくんの話を聞きに多くのゲストが来ている。普段通りやっていれば大丈夫だ」


 教師の声は堂々としたもの。

 彼は戦略を教えるだけあって「切れ者」といった風貌を持つ。

 その双方が合わさる事で、その言葉を聞くだけで心強いものを感じられる――はずであった。


 今の彼は態度や声とは裏腹に、その目は落ち着きがない。

 せわしなく周囲を見回し、まばたきの回数も非常に多い。

 明らかに動揺している。

 彼を見ているだけのアイザックにまで動揺が移ってしまいそうなくらいだった。

 その理由はすぐにわかった。


 ――最前列にエリアスが座っている!


 しかも、その周囲にはジェイソンもいるし、ウィルメンテ侯爵やウォリック侯爵、フィッツジェラルド元帥などの武官が揃っていた。


「ちょっと先生。陛下が足を運ばれるなんて聞いてないんですけど!」


 アイザックは小声で。

 だが、しっかりと力を籠めて抗議した。

 教師の方は視線を逸らして対応する。


「教えないように言われていたのだ。きっと驚くだろうと言われてな」

「そりゃあ、驚きますよ。驚く演技くらいするので、前もって教えてください」


 アイザック達は小声でヒソヒソ話をしていた。

 そこにエリアスが声をかける。


「いるはずのない者がここにいる。ロックウェル王国軍が味わった驚きをエンフィールド公爵にも体験してもらえたかな」


 エリアスは意地の悪い笑みを浮かべていた。

 普段はアイザックに驚かされる事が多いので、突然来てビックリさせようとしていたのだろう。

 その目論見は大成功だ。

 アイザックだけではなく、他の生徒達まで全員体を硬直させて、この状況に驚いていた。


「確かに奇襲を味わわせていただきました。しかし、なぜ陛下がここに? しかも、元帥閣下まで」

「先の戦争でエンフィールド公爵が何を思い、何を考えたのか。それを知りたいと思うのは当然だろう?」


 エリアスがニヤリと笑みを浮かべた。

 どうやら、アイザックから一本取ったのが嬉しいらしい。

 彼は上機嫌な様子で答えてくれた。


「それなら、一言『教えろ』とおっしゃってくださればよかったでしょうに……」

「聞けば教えてくれていたのか!」

「隠す必要のあるものでもありませんでしたし、聞かれれば答えていました」


 アイザックの返事を聞いてエリアスは――いや、同席している武官達も呆気に取られた顔をした。


「聞けば教えてくださっていたと! これほど重要な事を!」


 最初に反応したのはフィッツジェラルド元帥だった。


「はい。尋ねていただければ・・・・・・・・・お答えしていました」

「先代ウェルロッド侯は秘密主義者でしたが、エンフィールド公は聞けば教えてくださるとは……」


 フィッツジェラルド元帥と同様の事を周囲の者達も思ったようだ。

 中には、うなずいたりして仕草で賛意を表している者もいる。

「アイザックに聞いても詳しくは話さない」と彼らが思っていたのは、やはりジュードのせいだった。

 彼は政治に関わる重要な事でもあるので説明しなかっただけだが「自分の手柄をひけらかすような事をしない」や「手の内を明かさない」という考えがあるのだと思われていた。

 ジュードの後継者と目されているアイザックも同様に秘密主義者だと思われている。

 だから、ランドルフやランカスター伯爵からの報告だけで我慢し、アイザックに詳細を聞かなかった。


 なので、今回アイザックが王立学院の授業で戦争の話をすると聞き、話を聞きたかったエリアスや武官達が集まってきていた。

 エリアスは興味本位で。

 武官達は、将来自分が手柄を立てる時の参考のために。


 ――人はいつまで経っても学び続けなくてはならない。


 武官は自分や部下の命が懸っているだけに、その事をよく知っていた。


「特に隠す必要のある事でもありませんので」


 アイザックにしてみれば、全て偶然の産物である。

 本気で戦おうとせず、一戦して撤退しようと考えていたくらいだ。

 これから説明する事は、それっぽく聞こえるように後付けの解説を取って付けただけ。

 アイザック本人には、価値があるとは思えないものだった。


 だが、アイザック以外の者達には違う。

 ロックウェル王国の行動を見破り、フォード元帥を打ち破った知略を惜しげもなく披露するのだと受け取った。

 その太っ腹な対応に、ただただ感心するばかりだ。


「では、皆様をお待たせするのも申し訳ないと存じますので、そろそろ授業を始めさせていただきたいと思います」


 アイザック達が話している間に、演壇の背後の壁にファーティル王国の地図を貼り付けていた教師が話を進めようとする。

 ゲストが来ているとはいえ、一応授業である。

 話が終わるのを黙って見ているという事はできなかった。

 この言葉で場の雰囲気がガラッと変わる。

 誰もが聞き漏らすまいと、アイザックに耳を傾ける。


「まずは、どうやってロックウェル王国の行動を読み取ったのかを説明してもらおう」


 教師は震えながらも、いつも通りの口調でアイザックに命じる。

 王立学院では教師と生徒の間に身分は関係ない。

 だが、つい先ほどフィッツジェラルド元帥がアイザックに公爵としての対応をしていたばかりだ。

 エリアスや武官の面々に「無礼な奴だ」と思われないかが心配だった。

 もちろん、彼らも卒業生なので教師の態度は当然のものだとわかっていたので、杞憂に過ぎなかったが。


 アイザックは大勢の前で話す事に緊張したが「ランカスター伯爵の屋敷で話した時よりもマシだ」と思い、少し気が楽になった。

 あの時は適当に話していたが、今回は前もって準備をしてきた。

 アドリブで対応しなくていい分だけ気楽なものだった。


「陛下が来られるとは思っていなかったので、ご本人の前で話すのは少々恥ずかしいのですが……。予定通りの話をさせていただきます。ではまず、国と国王の違いというものをわかっていただきたいと思います」


 アイザックは大きな声で話を始める。

 戦場で命令を遠くまで伝えられるほどではないが、講堂の中では十分に響き渡る声量だった。


「リード王国は王に恵まれています。エリアス陛下も『賢王』と呼ばれるほどのお方です。その理由は、不要な戦争をせずに民の暮らしを第一に考えておられるからです」


 アイザックは「王」の話から入る予定だったので、本人がいるからといって変えられなかった。

 エリアスが目を大きくして驚いているのが見えるが、そのまま話を続ける。


「他の王ならば、こうはいきません。例えば、先代ロックウェル国王のサイモン陛下も戴冠三年目で戦争を始めました。理由を想定するのは簡単です。『国王としての実績を早く残したいから』というものです。戦争で勝てれば、誰もが新しい国王を歓迎するでしょう。そうすれば、以後の統治はやりやすくなるはずです」


 これが事実かどうかは関係ない。

 戦争に行っている最中、父やランカスター伯爵に適当に話していた内容に合わせるため、同じ事を話しているだけだった。


「それはギャレット陛下も同じだと思いました。去年で戴冠二年目、そろそろ王としての実績を求め始める頃だと思いました。そして、三月頃に『ファーティル王国東部で食料品をロックウェル王国が少しずつ買い占め始めて相場が上がっている』という情報を商人から聞いたのです。もう少しで春の収獲がある時期に食料品を買い占める必要があるでしょうか? しかも、一気に買うのではなく、まるで動きを知られたくないように少しずつ買い集めるような必要が」


 アイザックはそこで一度言葉を切り、周囲を見回す。

 武官だけではなく、学生達も「なるほど」という表情を見せていた。

 この情報は、戦後聞いた事だった。

 ファーティル王国の商人達は「食糧庫が火事にでもなったのだろう」と、食糧を買い集めるのを疑問に思わなかったらしい。


「せっかく元帥閣下がおられるので質問させていただきます。食料を現地調達する場合、食料を持たずに手ぶらで出陣されますか?」


 アイザックは、ちょっとだけアドリブに挑戦する。

 今後を考えると、少しは慣れておいた方がいいからだ。


「いえ、さすがに一ヵ月分か二ヵ月分は用意しておくでしょう。現地調達するまで食料なしというのはありえません」

「僕もその通りだと思います。ギャレット陛下が国王としての実績を求める時期にロックウェル王国が食料を買い集める。その時点で、何らかの行動を取るのではないのかと思いました。そこで、ウェルロッド侯爵領の全軍で演習をしながら備えておく事にしたのです」


 アイザックの説明を聞き、エリアス達は「むぅ」と唸り声を上げながら感心した。

 こうして説明を聞いてしまえば簡単な判断方法だ。

 だが、それは結果を知っているからそう思えるだけ。

 リアルタイムで状況を判断しながら決断を下すのは難しい。

 その事を理解しているだけに、アイザックの評価はどんどん上がっていく。


「これはリード王国で生きる者にとっては見抜くのは難しいかもしれません。陛下はすぐに結果を求めて戦争を起こしたりはなさいませんでした。エルフやドワーフとの交流を再開した事を喜ぶなど、平和と融和を優先されておられる、まさに賢王と呼ばれるにふさわしいお方。陛下をよく知る我らが『国王としての実績を積むために戦争を起こす』というのは想像し難いものです。僕も歴史の勉強中に偶然気付かなければ、ロックウェル王国の動きを見逃していたかもしれません」


 エリアスがいるので、ちょっとサービスしてやる。

 行動を起こす時までは、エリアスのご機嫌取りをしておいて損はない。

 英雄のアイザックに高く評価されて、エリアスは照れている。

 褒めておいて正解だった。


「ただ、ウェルロッド侯爵家の大演習は戦争に備えるためだけではありませんでした。エルフやドワーフと立て続けに交流を再開できた弊害か、家中に『これからも平和が続く』というような浮ついた空気が流れていました。その弛緩した空気を払拭するためという意味もあって始めたのです。それが功を奏した形になりましたね」


 アイザックは「演習は意識改革のためでもある」という事を説明した。

 今年もランドルフが領に戻ってから大演習を始める予定だ。

 演習をあと三年は続ける事になっている。

 ソーニクロフトの戦いで、ランドルフも軍の弱さに気付いたからだ。

 予算の問題もあるが、戦死者の家族に払う弔慰金の方が懐に響く。

 少しでも被害を少なくするためにも、しばらく演習は続けるつもりだった。


 しかし「ロックウェル王国の侵略を防いだのに、なぜまだ大規模な演習をしているんだ?」と思う者も出てくるはず。

 王家や他の貴族達に軍の強化を不自然に思われないよう、領内の意識改革である事をこの場で説明しておいた。

 この場にいない者達にも、噂という形で耳に入るはずだ。

 本来なら生徒達を通じて伝えるつもりだったが、武官が集まっているので彼らがより効率的に噂を広めてくれるはずだ。


「なぜあの時期に演習をしていたのか不思議だったが、そのような理由があったのか……」


 ウォリック侯爵が思った言葉を口にした。

 自領に戻った時は、不在の間に溜まった仕事を処理をするのが普通だった。

 なのに、ウェルロッド侯爵家は領に戻ってすぐに大規模な演習を始めた。


 ――すぐに戦場に向かうためと、いつ戦ってもいいように心構えを持たせるため。


 二つの意味で戦争に備えていた事に感心してもしきれなかった。

「やはり、婿にするしかない」と、今まで以上に強く心に決める。


「いや、それだけではない。ロックウェル王国があれだけ素早い侵攻をすると予想していなければ、早期対応できるようにはしていないはず。エンフィールド公は、戦争が始める前からどのような戦争になるのかわかっていたのではないだろうか」


 ウィルメンテ侯爵の言葉で周囲がざわつく。

 同時にアイザックの心もざわついた。

 そんな事わかっているはずがないのだから。

 予想外の展開になり、少し動揺する。


「ロックウェル王国の戦い方は、過去に類のないものでした。それをどうやって予測したのか教えていただきたい」

「それは……」


(そんな事できるわけねぇだろ!)


 想定外の質問が来た事によって、アイザックの動揺は大きなものへと変わっていく。


「その辺りの事は、様々な要素を複合的に考えつつも、広い視野を持って可能性を検討した結果……という事になりますね」

「なるほど」


 アイザックの曖昧な返答に、なぜかウィルメンテ侯爵は納得する。

 その反応の意味がさっぱりわからず、逆にアイザックが質問したいくらいだった。


「ウィルメンテ侯。どういう事だ? 今の説明で理解できたのか?」


 代わりにエリアスが聞いてくれた。

 アイザックは心の中で「グッジョブ!」と親指を立てる。


「戦争に関する事は惜しみなく話す。ですが、政治に関わるような事は話せないという意味だと思います。ファーティル王国の外務大臣だったグレンヴィル伯がファーティル王国を裏切っていたように、ロックウェル王国内部にも内通者がいたりするのかもしれません。その者からの情報だとバラす事はできないので、はぐらかしたのだと思われます」

「そこは先代ウェルロッド侯と同じというわけか……」


 大人達はジュードの事を知っているので、アイザックも諜報に関する事は話さないのだと思っていた。

 外国の諜報活動は外務大臣にとって重要な役割の一つである。

 アイザックも将来は外務大臣の座を狙っているので、貴重な手の内を大勢がいる場で明かす事はできないのだと受け取った。


「まだ若いのに、そこまで用意周到だとは……。公爵に任じた私の目に狂いはなかったという事だな」


 エリアスは満足そうにうなずく。

 アイザックを高く評価したのは自分自身だ。

 本当は侯爵にするつもりだったが、戦勝によってテンションが上がっていて公爵にしてしまった。

 それが「結果的には正しかった」とわかり嬉しくなる。


「もしや、グレンヴィル伯の事まで見抜いていたのでは? そこのところはどうなのだ?」

「そこまでです」


 エリアスが尋ねようとしたところを、教師が申し訳なさそうに遮った。


「本日はここまでです」

「なぜだ? まだ始まりの部分だけではないか?」


 エリアスが不満そうな顔をする。


「これは授業です。まずは『なぜ最初に戦争が始まる事を見抜けたか』という事を議題にして、生徒達に討論させてからレポートを提出させる予定です。これは陛下も学生時代にされていたはずです。ファーティル王国とロックウェル王国の戦争は最高の題材ですので、じっくりと取り組んでいきたいと思っています。早く全貌を知りたいというのでしたら、授業とは関係のないところで話を伺っていただきたい」


 教師はエリアスの逆鱗に触れる事を恐れながらも「授業が優先だ」と主張する。

 これは彼の立場上、言わなければならない事だった。


「確かにその通りだ。この話の続きは、後日改めて聞く事にしよう。授業を続けてくれ」


 エリアスも馬鹿ではない。

 ここで激怒するような事はせず、素直に反省する。

 その態度を見て、教師はホッとしつつ授業を進め始める。

 ……とはいえ、エリアスや多くの武官が集まる中、自分の意見をハッキリと主張できる生徒などいない。

 ジェイソンですら「戦争が始まる前に他国の動きをどう見抜くか」という案をすぐには答えられなかった。

 それだけに、アイザックの評価がどんどん高まっていく。


 ――大人達は、ジュードの影を重ねて、アイザックの底知れぬ知謀に恐れを抱く。

 ――ジュードを知らない子供達は、普段の威厳も何もないアイザックの姿を「あれは本当の姿を隠す仮の姿。日頃の何気ない行動も人を油断させる計算なのだ」と思って恐れを抱く。


 この授業を通じて、またしてもアイザック本人が知れば白目を剥いて驚くほどの評価を得てしまう事になった。

 ハードルは周囲の誤解で高くなるだけではなく、その場を取り繕うためのアイザックの言動によっても高くなってしまっていた。

 おそらく、それはこれからも続く。

 男も、女も。

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