第243話 ニコルとパメラの口論
ゼンマイバネは、グレイ商会も協力して新商品の研究と開発を進め、今後商品化した際に利益の一割をピストに渡すという契約をした。
この世界において、科学という分野は軽んじられている。
「いつか役に立つかもしれない」と思われているので廃止はされていないが、望んで専攻する者は変わり者扱いをされていた。
部員が少ないとはいえ、部室が掘っ建て小屋なのも科学という学問の地位が低いからだった。
――と、アイザックは思っていた。
だが、実際はピストが異臭騒ぎを起こしたりしたせいで、校舎内から追い出されたというのが理由らしい。
自業自得である。
所属する生徒が少ないのは、科学を学ぼうとする変わり者しか入部しないせいだ。
クランは三年生なので、彼女が卒業してしまうと誰もいなくなる。
廃部になる恐れがあるから、アイザックを必死に勧誘していたのだろう。
でも、もう大丈夫。
酸化銅か塩化銅かまでは見ただけではわからないが、銅線を使ってロウソクの炎の色が変わったりするのを見てレイモンドが科学に興味を持って体験入部を決めたからだ。
「部の維持には何人以上必要」という条件がないようなので、彼が本入部すれば三年は安泰である。
しかし、部活に割り当てられる予算は所属生徒数によって増減するので、ゼンマイバネの契約金として一千万リードを渡しておいた。
これでアイザックはフリーとなり、ピストに絡まれる事はなくなった。
しかし、それはそれで新しい問題ができた。
アイザックの部活はまだ決まっていないからだ。
ここ数日は一人で見学に行っている。
(どうしようかな。やっぱり、俺も科学部に……。でも新しい友達を作って交流を広げるって目的が達成できないもんなぁ)
――ピストにアイデアを渡し、資金を提供して何かを作ってもらう。
それは入部しなくてもできる事だ。
どこか他の部活がいいと思って、見て回っているがどこもしっくりと来ない。
なぜかわからないが、美術部では顧問の教師に「美的感覚は磨いておいた方がいいですよ」と優しい目つきをされて勧誘された。
だが、母のルシアに絵画は教わっていたので、アイザックは自分が人並みの感覚を持っていると思っている。
美術部を見るだけではなく、他の部活の見学もする事にした。
(弓はそこそこ使えるようになったけど、まだまだ練習が必要だ。そうなると馬術部か)
戦場では馬車ではなく、馬に乗っての移動ばかりだった。
おかげで騎乗には慣れている。
それに、馬術部にはジェイソンも入部するらしい。
そばにいれば、ニコルへと誘導しやすくなるかもしれない。
アイザックにとって都合の良い結果となるはずだ。
(それにしても、レイモンドが科学部か。でもまぁ、気持ちはわかる。小学生の頃、理科の実験はなんだか楽しかったような覚えがあるしな)
レイモンドも、ちょっとした体験が新鮮に思えたのだろう。
普段とは違った世界に触れたいという気持ちは、アイザックにも理解できるものだった。
(俺はどうしようかなぁ。カイやポールは戦技部だけど、俺はフレッドの近くにいたくないし……)
「――……!」
「ん?」
どこの部にしようか迷いながら校舎内をうろついていると、空き教室の中から穏やかではない雰囲気の話し声が聞こえてきた。
(やれやれ、入学早々に誰かいじめでもやってんのか? だったら、止めに入らないと)
人助けというだけではなく「アイザックに助けてもらった」と良い評判を言い触らして欲しいという打算もある。
結果的にはいじめられている側にもメリットはあるので、お互いにwin-winの関係だ。
(未来の足場固めのために利用させてもらおう)
そう思い、アイザックは教室のドアを少しだけ開いて中の様子を窺う。
教室の中では、金髪のドリルヘアーの女の子と黒髪ストレートの女の子が向かい合っていた。
「ニコルさん。あなた、誰に言い寄っているのかわかってらして?」
「そんな、言い寄るだなんて……。殿下から話しかけてこられるのですから、仕方ないじゃないですか」
――パメラとニコルだ!
「あなたがこれ見よがしに殿下の近くをうろつくからでしょう!」
「同じクラスなんですから、近くを通りかかる事くらいあります」
話している内容から判断すると――
・ニコルがジェイソンに話しかけられている。
・パメラは「ニコルが話しかけられやすい状況を作っている」と思っている。
――というところだろうか。
(おいおい、入学から間もない頃になんかイベントが起きてるぞ! これもニコルのステータスが高いおかげか! ジェイソン攻略に本気なのはいいとしても、パメラが心を痛めるのはちょっと悪い気がするな)
まさかパメラが問い詰める側だとは思いもしなかった。
だが、アイザックは二人を止めたりせず、ドアの隙間から様子を見守る事にする。
これがジェイソン攻略に必要なイベントだというのなら、邪魔をしてフラグを折るような事はできないからだ。
「それにあなた。殿下だけではなく、他の男の子にも色目を使っているでしょう。はしたないから、そういう事はおやめなさい」
「色目なんて使ってません。ほら、チャールズくんとは勉強のお話ししてたじゃないですか。学生として普通の世間話をしているだけです」
「あなたも男の人が自分の事をどういう目で見ているかくらいわかっているでしょう? 婚約者がいる相手とは距離を置くのもマナーですわよ」
どうやらパメラは「ジェイソンに近付かないで」と感情的に怒鳴り散らしたりしているのではなく、ニコルの振る舞いを指摘しているようだ。
アイザックは魅力的に見えないが、ニコルの美しさはジェイソンも息を呑むほどのもの。
クラスの男子の注目を浴びているのは間違いない。
それをパメラが「婚約者の事も考えて自重しろ」と注意しているところに出くわしたのだろう。
アイザックは、このあとの展開がどうなるのかジッと見守り続ける。
「ごめんなさい。昔から男の人とはすぐ仲良くなれるから、みんなそういうものだと思ってました……。私も至らぬところがあると思いますので、パメラさんが色々と教えてくれませんか?」
(おっ、ニコルが攻めていった! あいつめ、本能的に何か感じ取りやがったな!)
パメラはニコルがステータスが低い状態で会うと「あなたのような者が殿下のお傍に近づくのは不愉快でたまりません」と、勉強を教えてくれたりダンスを教えてくれたりするキャラだと攻略サイトに書いていた。
彼女の侯爵令嬢としての気高さを利用した能力値底上げ方法だ。
序盤は真面目に授業を受けるよりも、パメラと会ってステータスの底上げする方が効率がいいらしい。
ゲームの主役だけあって、嗅覚が優れているのだろう。
ピンポイントでパメラの懐に飛び込んでいった。
その姿はとても頼もしく「いつかはジェイソンを攻略してくれる」ものだとアイザックは確信を持てた。
「お断りですわ。なぜ、わたくしがあなたに教えなくてはならないのですか」
「えっ?」
(えっ?)
――まさかの拒絶。
ニコルと同じく、アイザックも思わず声に出して驚いてしまいそうだった。
だが、すぐその理由を察する事ができた。
(そうか、ニコルは魅力と知力に関してはすでに高水準。目に見えないからわかりにくいけど、他のステータスも十分に高いんだろう。パメラは直感でニコルのステータスの高さを感じとって、わざわざ教える必要がないと思ったんだ)
それはつまり、すでにジェイソンを攻略できるくらいのステータスをニコルが持っているという事を意味する。
子供の頃に接触して、チョコレートの対価として資金提供をしていた甲斐があったというものだ。
あとは時間の経過を待ち、ジェイソンがニコルに入れ込むのを待つだけでいい。
アイザックは勝利を確信する。
ジェイソンはアイザックから見ても悔しいくらい立派な青年だ。
だが、それだけにニコルに入れ込む姿を周囲にさらせば、ジェイソンは周囲の支持を失っていくだろう。
優等生がちょっと悪い事をすると、不良が同じ事をするよりも評価が落ちるのと同じである。
評価が高いからこそ、評価が落ちるのも大きくなる。
(女に目が眩んで、何を大切にすべきかわからないような奴に自分の上に立ってほしくないもんな)
アイザックは「フフフッ」と笑いそうになる。
だが、それはできない。
二人に自分の存在を気付かれるわけにはいかないからだ。
「そうですか、残念です」
言葉とは裏腹に、ニコルは残念そうな表情をしていなかった。
あっさり拒絶されて一度は驚いたものの、それくらいは想定の範囲内だったのだろう。
すぐに立ち直ったようだ。
「あなた……、本当にそう思っているの?」
パメラが冷え切った声色でそう問いかける。
対するニコルは平然としていた。
その姿を見て、パメラは溜息を吐く。
「もういいわ。あなたには何を言っても無駄なようですしね。でも、覚えておきなさい。婚約者のいる殿方に手出しはしないように。そのような振る舞いはわたくしが絶対に許しません」
パメラがニコルに最後通牒を言い渡す。
未プレイのアイザックにはわからなかったが、これがニコルに対するパメラの宣戦布告シーンなのだろう。
入学早々、ここまでイベントを進めたニコルの頼もしさに感動する。
味方にすれば、やはり頼り甲斐がある相手だ。
「わかりました、気を付けます。でも、アイザックくんやフレッドくんの事はいいんですか? あの二人も女の子が集まっていますし、中には婚約者のいる女の子も積極的に話しかけていますよ」
「……彼らにもちゃんと注意をしておきます」
(おっと、なんだか空気がおかしくなってきたぞ。ニコルめ、余計な事を言いやがって)
なぜか自分にまで飛び火しそうになっているのを見て、アイザックは不安を感じ始める。
「ニコルさん、あなたも分をわきまえなさい」
そう言い残してパメラが立ち去ろうとする。
(やばい、逃げないと)
アイザックは音を立てないように気を付けながら、その場を離れる。
さすがに盗み聞きをしていたと知られるわけにはいかないからだ。
今回はニコルの働きぶりを知るのにちょうどよかった。
隣のクラスとはいえ、一々「ニコルの様子はどう?」と聞いたりはできない。
そんな事をすれば、アイザックが彼女に気があるように思われてしまう。
今はこうして間接的に知る以外にいい方法がなかった。
リアルタイムで情報を得る方法を探さなければならないだろう。
(ニコルは仕事をしてくれている。あとは俺がしっかりやらないと)
アイザックは「いっそ帰宅部でもいいかもしれない」と思い始めていた。
その方が自由時間が増える。
時間があれば、校舎内をうろついて味方を増やす方法を探したり、放課後に貴族の当主と会って仲間に引き入れたりもできる。
――友達作りをしながら校内で勢力を広げるか。
――それとも、校外で有力者に働きかけて味方を増やすか。
早くもニコルが動いている事を知り、アイザックも素早い決断と行動を迫られていた。
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