第238話 複雑な乙女心

 入学式は屋外で行われる。

 全学生とその家族が入れる建物がないからだ。

 学生とはいえ、貴族の子供達を体育座りで敷き詰めて座らせるわけにはいかないという配慮のせいだ。


 中央には新一年生。

 彼らを挟むように右側が二年生、左側が三年生が座る。

 その一年生の最前列にアイザックは座っていた。


(……これ、教室に集まった意味あるのか?)


 一年生の最前列中央にジェイソン。

 その左右をアイザック達「4W」こと、侯爵家の子息が挟み込むように配置されていた。

「学校内では身分は関係ない」という規則があるにもかかわらず、高位のものは前に座らされるというチグハグな対応。

 クラス単位で行動するものだと思っていたアイザックは、教室に一度集められた無意味さを考えていた。


(でも、これはこれで悪くはない)


 今、アイザックの隣にはパメラが座っている。

 膝丈のスカートから伸びる白い足に目が行きそうだった。

 しかし、その視線に気づかれたらまずいので、一時の欲望に負けないように我慢する。

 アイザックが雑念にとらわれている余裕があるのは、学院長の話の最中だからだ。


 ――貴族としての意識を持ちつつ、身分を越えた友人作りなども頑張れ。


 ただそれだけの事を語るのに、小難しい話し方をして長引かせている。

 しかし、最前列なので壇上にいる学院長――いや、ジェイソンが入学するのでエリアスを始めとした政府要人もいる――から丸見えの場所。

 あくびをしたりしてみっともない姿は見せられない。

 入学式と関係のない事を考えて、顔だけは真剣に聞いているフリをしていた。

 そして、それは来賓の代表としてエリアスが祝辞を述べたり、ジェイソンが新入生代表の挨拶をしたりしている間も続いた。


 ホッと一息をついたのは、入学式が終わった時だった。

 隣に座っていたパメラも軽く溜息を吐いていたので、この世界の人間にとってもつまらない時間だったのだろう。

 アイザックは、仲間がいた事を少し嬉しく思う。


 新入生が退場するように促されると、教師の誘導に従って会場から離れていった。

 もちろん、先頭はジェイソン。

 そのすぐ後ろを公爵のアイザック、パメラ、フレッド、アマンダと爵位順で他の生徒が続いていく。

 この時、アイザックは家族の姿に気付いた。

 侯爵家だけあって、彼らも保護者席の最前列にいたのですぐにわかった。

 ケンドラがアイザックの姿に気付いて手を振ってきたので、アイザックも手を小さく振り返してやる。

 真面目に聞いているフリをしていたせいで無表情のまま固まっていた顔がほころぶ。


 動きがあったのは校舎に入ってからだった。

 玄関口に入ったところでジェイソンが振り向き、アイザックに話しかける。


「いやぁ、緊張したよ。やっぱりアイザックに任せるべきだったかな」

「いえいえ、堂々としておられて恰好良かったですよ。さすが殿下だと感服致しました」


 アイザックは、とりあえずジェイソンを持ち上げておく。

 今は好青年といった風体で本性を窺えないが、自尊心の高いタイプだ。

 嫌われるような事を言うよりも、褒めておいた方がいい。

 言われたジェイソンも嬉しそうなので、誤った選択ではなかったはずである。


「ありがとう。それと、学校ではジェイソンと呼んでくれ」

「わかったよ、ジェイソン」


 アイザックが名前で呼ぶと、満足そうにジェイソンがうなずく。


「今まではフレッドとかの一部の友人達しか名前で呼んでくれなかった。これからが楽しみだよ」


 ジェイソンが笑顔を浮かべる。


「そうそう、ネトルホールズ女男爵は一組だったぞ。アイザックは同じクラスになれなくて残念だったな」


 その言葉で、彼が何を楽しみにしているのかをアイザックは察した。

 同時に「チャンスが来た」という事も察する事ができた。


「僕はニコルさんの事は好みではないですよ。ですから、残念ではありません」


(よし、パメラのいるところで言ってやった!)


 ニコルが好みではないという事は、パメラに伝えたかった。

 だが、二人きりで話し合う事は難しい。

 学院内で会うにしても「あの二人がコッソリ会っていた。逢引きしてるんじゃないのか?」と噂されてしまうかもしれない。

 そんな噂が流れてしまえば、お互いにまずい事になる。

 こうして自然な流れで「ニコルが好みではない」と否定できるのは大歓迎だった。


「確かにそう言っていた気もするな。そういえば、ウェルロッド侯が父上に『アイザックの美的感覚は人とは違う』と話していたそうだし……。あれほどの美しさを理解できないというのも可哀想な気がするな」


 ニコルの前ではないので、今のジェイソンは冷静だった。

 過去に好みではないと話をしていた事を思い出す。

 美の化身と言っても過言ではないニコルを美しいと思えないアイザックに同情を示す。

 だが、アイザックは同情された事を気にしていなかった。

 むしろ、喜んでいたくらいだ。


(爺ちゃん、外で何話してくれてるんだ! でも、おかげで助かったから許す!)


 世間話の最中に出たのだろうが、あまり人に話してほしくない内容だ。

 しかし、美的感覚の事を話しておいてくれたおかげで助かった。

 ジェイソンの話を聞いたパメラの表情が、心なしか和らいでいるように見える。

 祖父のお喋りが自分を助けてくれた事に、ただただ感謝の気持ちで一杯だった。


 ――だが、すぐにパメラは真顔に戻り、アイザックの事を冷たい視線で見始めた。


 これにはアイザックも動揺する。

 ニコルに興味がないという事がわかってもらえたはずなのに、こんな冷たい視線で見られる理由など心当たりがない。

 何かあるとすれば、先ほどのジェイソンの発言にヒントがあるのだろうが……。


(あっ、そうか! 『美的感覚がおかしい奴に好かれる=パメラはブス』って事になるんだ! ちがっ、違うって。俺が好きじゃないのはニコルだけなんだって。爺ちゃん、何余計な事言い触らしてくれてんだよ! 絶対に許さない!)


 パメラの視線の意味に気付き、先ほどとは違って逆にモーガンの事を恨み始める。

 ニコルに興味がない事をアピールできたのはいい。

 だが「ブス専に好かれた」と誤解された事で、パメラの中で非常に複雑な感情が湧き上がっていた。

 その事に気付いたアイザックは必死に否定しようとするが、どう否定すればいいのかがわからなかった。

 まず前提である「ニコルは美しい」という事を否定している以上、他の者と美的感覚が違うという事がハッキリとしている。

 下手に否定してしまえば、余計に墓穴を掘ってしまうかもしれなかった。


(なんだよ、こいつ。ニコルに対しての好感度を下げるだけじゃないのかよ! さりげなくパメラの好感度まで下げてくるって、どれだけ嫌な奴なんだ!)


 今のアイザックは、ジェイソンの言動を恨む事しかできなかった。

 無茶振りをしてニコルへの好感度を下げるだけではなく、普段の会話でまでパメラの好感度を下げてくるジェイソンは、男にとって天敵ともいえる存在にしか見えない。

 アイザックにとって、ジェイソンは嫌がらせの達人にしか見えなくなっていた。

 しかし、この状況を歓迎する者もいる。


 ――アマンダだ。


 彼女は「アイザックの美的感覚がおかしい」という事を歓迎していた。

 ベリーショートだった昔と違って髪を伸ばしたとはいえ、アゴに掛かる程度のショートヘアー。

 他の女の子達のように魅力的だという自信が持てなかった。

 そして何よりも、自分の体を気にしていた。

 背の低さは気にしていなかったが、同年代の女の子に比べて胸元が貧相なのが心配だった。

 もし、アイザックが胸の大きな女の子が好きなら、自分は絶望的だ。

 だが「アイザックの美的感覚がおかしいというのならば、自分にも十分チャンスがある。今まで優しかったのも実は……」という希望を持てた。

 アイザックとは正反対で、アマンダだけはジェイソンの発言を喜んで聞いていた。



 ----------



(ジェイソンめ、やってくれたな! 今に見てろよ。お前の人生はニコルが滅茶苦茶にしてくれるからな!)


 ジェイソンの評価を下げるどころか、逆に自分の評価を下げられている。

 王立学院に来てからジェイソンに一方的にやられるばかりだった。

 パメラを手に入れるためにも、ニコルに頑張ってもらいたいところだ。


「――というわけで、みなさんには基本科目の他に好きな科目を一教科選んでもらいます。猶予は一週間ありますので、わからない事は教師や身近な人に尋ねるなどしてください」


 アイザックがジェイソンを恨んでいる間にも、担任の教師はこれからの事について話し続けていた。

 国語、数学、社会、体育、芸術。

 この五教科の他に、一年毎に一教科だけ自由に選んでいいらしい。

 家庭科などがこの選択科目に含まれていた。


「ですが、アイザックくんには戦略科目を選んでほしいという要望がありましたので、戦略の授業を選択してください」

「えっ、何でですか?」


 ただ一人名指しで選択科目を決められたアイザックが疑問を口にする。

 戦略の授業は嫌ではないが、その理由が知りたかった。


「この間の戦争の件で色々と聞きたいそうです。実際に戦争を最初から最後まで動かしたのはアイザックくんだそうですね。今後のためにも、記憶に残っている内に話を聞いておきたいとの事でした」

「ああ、そういう事ですか。そういう事でしたら大丈夫です。でも、一応他にどんな授業があるのか調べてから返事をさせていただきたいと思います」

「なら結構です」


 担任が満足そうにうなずいた。

 だが、その顔はどこか申し訳なさそうなものへと変わる。


「ついでに……というわけではないですが、学級委員もお願いできますか?」

「……別にいいですけど、なぜでしょうか? 王立学院では爵位などは気にしないというルールがあったと思うのですが?」

「例年通りならその通りです。ですが、今年はジェイソン殿下がご入学なさりました。おそらく、殿下が一組の学級委員になられるでしょう。学校に慣れる来年以降ならともかく、今年からいきなり殿下と学級委員として付き合うのは、他の者には気苦労が大きいはずです。せめて、男子の学級委員だけでも、付き合いのある生徒にやってもらいたいと思っています」

「ああ、そういう事ですか。わかりました。引き受けましょう」

「ありがとうございます」


「王立学院には爵位を気にしないルールがある」と言っても、本当に気にしないわけにはいかない。

 どうしても生徒の立場を考えてしまう。

 レイモンドは公爵となったアイザックと付き合いがあるとはいえ、ジェイソンの前に出れば体が固まってしまうだろう。

 それでは学級委員としての役割を果たせず、ジェイソンの前で失態を晒す事になってしまう。

 生徒が学校に慣れるまでは、アイザックのようなジェイソンと渡り合える者に学級委員になっておいてもらった方が被害が少なくなる。

 その事を考えれば、アイザックも嫌だと断る事ができなかった。


「さらに申し訳ないのですが、部活は科学部に入部してください」

「わかり――ません! なんで部活まで!? ……あっ!」


 最後の理不尽な要求でアイザックは担任教師の正体に気付いた。


「ピスト先生って科学教師でしたよね!」

「ちっ」


 自分の正体に気付かれたピストが舌打ちをする。


「その頭脳を有効活用してあげようっていうんだ。ちょっとくらい入部してくれてもいいだろう。勧誘するためにわざわざ担任を持つなんて面倒な仕事を引き受けたんだから」

「いやいやいや、今の流れで強引に入部させようっていうのはおかしいでしょう」

「おかしくない! ドワーフをも魅了させるその頭脳を見たいというのは、科学に携わる者として当然の事。入部してくれたら科学の成績を十にしてあげるから入りなさい」

「成績をエサに生徒を釣るのは教師としてやっちゃいけない事でしょう!」


(なんだ、こいつ。担任教師がヤベェ奴だ!)


 アイザックはジェイソンという強敵だけではなく、ピストという科学教師まで相手にしないといけないという事に眩暈を感じていた。

 彼は魔法の存在する世界で科学を追究するという変わり者である。

 初日から変な相手に目を付けられ、前途多難な学生生活を予想せざるを得ない状況となっていた。

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