第232話 ジャネットの努力
貧民街に行った帰りに、アイザックは商業区画に向かう。
出掛けたついでに見学したいというのもあるが、家に帰る前にどこかで一休みしたいと思っていた。
歩き疲れたというだけではなく、スカウトが空振りに終わった精神的な疲れもあったからだ。
アイザックが「一度平民向けのレストランに行ってみたい」と店を希望すると、トミーが「アイザック様を連れていくのは気が引けるのですが」と言いながらも、行った事のある店に案内してくれた。
彼が案内したのは平民街に近い場所にある、レストランというよりは食堂といった雰囲気のお店だった。
昼時を過ぎてしまっているので空席が目立つ。
人のいない奥の方にあるテーブルを選んで座った。
さすがにこの辺りなら人目についてもいいので、フードは脱いでいる。
注文をすると、アイザックは軽く雑談を始める。
「こういうお店を知ってるんだね」
「貴族といっても、男爵家の三男坊が来られる店といったらこういう店になるんです」
トミーは、なかなか世知辛い事情まで教えてくれた。
もしアイザックがネイサンに負けていたとしても、外で食べるとしたらもっと良い店に行けていただろう。
爵位の差によって子供のお小遣いまで差があるようだ。
(まぁ、それもそうか。ニコルも一人娘なのにバイトするくらいだったし)
貴族といっても、平民から税を搾り取って贅沢している悪徳貴族ばかりではない。
ほとんどの者が国家公務員の延長線上のような暮らしをしている。
子供の数が多ければ養育費で苦労するし、投資などに失敗すれば貧しい暮らしを強いられる。
しかも、後継ぎの確保や他家との繋がりを考えれば一人だけ子供を作るというわけにはいかない。
そのため、後継者が無事に育てば次男以降の扱いは悪くなる。
トミーへの嫌がらせではなく、貴族としての見栄を考えてもお小遣いを多く渡せなかっただけなのだろう。
「友達と一緒に来たりしてたの?」
「いえ……、貴族街から離れた店に来ていたのは、ジュリアとのデートで使っていたからです」
「えっ」
「えっ」
アイザックとマットの驚きの声が重なる。
それもそうだろう。
ここはランチタイムに賑わいそうな食堂だ。
学生が恋人と放課後にファミレスのドリンクバーで楽しむような空気を味わえる店ではない。
どちらかというと、牛丼チェーン店でデートするようなもの。
お店のチョイスに二人は驚いていた。
「あの、何か?」
二人に驚かれた事で、トミーはうろたえていた。
「……トミー。褒美のお金を早めに渡すから、今度ジュリアさんを貴族街のレストランに連れていってあげてね」
マットとトミーには、ドワーフ製の武具一式を褒美として与えるつもりだった。
だが、男爵位を貰ったので支度金として一億リードも個人的に与える予定だ。
その金銭を早めに渡し、ジュリアのために使わせてやろうとアイザックは考える。
「はい。私も男爵になりましたので、これからは身分に合ったお店に連れて行くつもりです」
前世で恋人のいなかったアイザックですら「この店で逢引きはない」と思うくらいだ。
ジュリアも、きっと「もう少しゆっくり話せるお店で会いたい」と思っていただろう。
こういうお店を選んだトミーに失望したりせず、ずっと付き合っていたジュリアの優しさにアイザックは感動してしまう。
「そういえば、マットはどうなの? モーズリー男爵家が婚約者を選んでくれそうとか聞いたけど」
「結婚というものを考えた事がなかったので、返事は保留しています。ですが、今はもう呪いもないので前向きに考えていきたいと思っています」
マットは呪いに苦しんだ分、子供を作らず自分の代で終わらせるつもりだったようだ。
だが、クロードのおかげで呪いがなくなった。
男爵位を授与されたので、新しい人生を考えるのにはいい機会なのかもしれない。
アイザックとしても、マットが身を固めるのは歓迎だった。
家族ができれば、闇落ちモードになる可能性が減るかもしれない。
今のままのマットの方が付き合いやすいので、このまま変わらないでいてもらいたい。
「誰か良い相手が見つかりそうなら応援するよ。これから長い人生一緒に過ごす人だから、焦らずに選ぶといい」
「はい、そのつもりです」
マットにはモーズリー男爵家以外からも縁談の話が持ち込まれていた。
――フォード元帥を討ち取ったアイザックの右腕。
周囲の注目を集めるのに十分な理由だ。
中には十歳くらいの娘を連れてくる者がいて困惑するくらいだった。
誰を選ぶにしろ、今の状況が一段落してからになるだろう。
アイザックに言われるまでもなく、焦らずに婚約者を選ぶつもりである。
「そういうアイザック様は誰かいるのですか?」
「僕はねぇ……、学生になってから探す事になるかな」
「そうやって後回しにすると、いざという時に困ったりしますよ」
マットの問いにアイザックが答え、その答えにトミーが忠言する。
三人は婚約者関係の話で盛り上がりつつ、食事を済ませた。
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店を出ると、アイザックがトミーに話しかける。
「いやー、たまにはこういう店もいいね」
先ほどの店で食べたのはフライドチキンとフライドポテト。
そのジャンクフードっぽい味わいに、アイザックが前世を思い出して感動していた。
屋敷で出される料理は、手の込んだ料理ばかりだったからだ。
たまにはシンプルな味のものを食べるのも美味しかった。
だが、ハーブで臭いを消し、塩で味付けされただけのフライドチキンに感動するアイザックの姿を見て、マットとトミーは「アイザックの味覚音痴」という噂を信じそうになっていた。
やはり、この世界に生きる者との価値観の違いは大きいようだ。
アイザック達は家路につく。
その途中で、ウィンドウショッピングを楽しんでいた。
せっかく外出許可が出たのだから、少しは楽しみたいという思いがあったからだ。
今まではお菓子屋に行ったりするくらいで、決まった場所にしか行けなかった。
こうして王都を自由に歩くのは初めてだったので、少しは見学しておきたい。
これは、戦争で死に掛けた事も影響していた。
ただの
この違いを自覚した事により、アイザックの世界を見る目が変わった。
少しでもこの世界を見て、知っておきたいという思いが強くなったのだ。
ゲームに対する興味本位ではなく、自分が生きている世界。
少しでも多くのものを見て覚えようという気分になっていた。
アイザックの世界を見る目が変わり、新鮮な気分で街中を見物しながら歩いていると、一人の少女が通り掛かった。
――ダークグリーンのロングヘアー。
――他の女性達よりも頭一つ分くらい背が高くて、モデルのような体型。
その特徴から、一目見るだけで誰だかわかった。
ジャネットだ。
彼女は手に買い物袋を下げている。
なぜ子爵家の令嬢である彼女が自分で買い物をしているのかわからない。
「ジャネットさん、お久しぶりです」
だから、つい声を掛けてしまった。
それに、街中で知り合いを見かけて無視するわけにもいかない。
だが、これはジャネットにとって驚きだった。
「なんでこんなところに? その地味な恰好は!?」
商業区画の貴族向けとは言えない場所で、公爵になったアイザックに話しかけられたのだ。
「わけがわからない」という心情があからさまなくらい表情に出ていた。
「街中に出る許可が出たので、ちょっと散策しているところです。あっ、今はお忍びで目立ちたくないので、言葉や態度は以前の通りでお願いします」
「あ、ああ、わかったよ。まさかこんなところで会うとは思わなかったから驚いたよ」
「こちらもですよ。ジャネットさんは夕食のお買い物ですか?」
彼女の持っている買い物袋からはキャベツが見えている。
夕食の買い出しといったところだろうとは思うが、なぜこんなところまで一人で来ているのかがわからない。
治安が良いところだとしても、女性の一人歩きは危ない気がする。
ジャネットはアイザックの疑問を感じ取って、照れ笑いをした。
「一応そうなるね。ダミアンに大きな男になれと言うばかりじゃダメだとわかっているからね。私も夫を支えられる妻になれるように料理の練習をしているのさ。練習に使うなら平民街に近いところの食品の方が安いし、美味しく食べられるように腕の振るい甲斐があるってもんさ」
「え、でも料理人に――」
「アイザック様」
アイザックの言葉をトミーが遮った。
「フォスベリー子爵家は宮廷貴族。実家住まいなら使用人がいるでしょうが、家を出た場合は嫡男といえども使用人を雇うような余裕はないでしょう」
「そうなると奥さんの料理の腕に頼る事になるね」
貴族だからといって、皆が裕福な暮らしをしているわけではない。
その事は先ほどトミーが話していた内容からもわかる。
ジャネットは、新婚夫婦で新居に移り住んだ時の事を考えて料理の勉強をしているのだろう。
トミーの補足により、ジャネットが料理をする理由がアイザックにも理解できた。
「ダミアンに頑張れというばかりじゃ不公平だからね。私も夫を支えるための努力をしているのさ」
「なるほど。ダミアンは良い婚約者を持ったみたいだ」
(ニコル次第で悲惨な事になるけど……)
だが、まだニコルがどう動くかわからないので、アイザックは笑顔を浮かべてジャネットを褒める。
こんな風に努力をしている彼女なら、もしかするとダミアンの心を繋ぎとめられるかもしれない。
自分の行動が周囲に影響を与えているだけに「彼女らの運命も変わるのではないか?」と少し思った。
「ところで、ウォリック侯から怪我をしたらしいって聞いているけど大丈夫かい?」
ジャネットがアイザックの体を頭の天辺からつま先までを見回す。
しかし、アイザックは健康そのもの。
怪我の影響などまったく見られなかった。
「もう大丈夫だよ。エルフの魔法で治してもらったから」
「へー、魔法って便利なもんだねぇ。アマンダも心配していたからさ、一回会いに行ってやりなよ」
「アマンダさんも心配してくれてたんだ。じゃあ、ジャネットさんから大丈夫だって伝えておいてください」
アイザックがそう答えると、ジャネットは大きく目を見開いて何かに驚いていた。
「アマンダに会わないのかい?」
「もうすぐ学校で会えますよね?」
ジャネットの質問に、アイザックは疑問で返す。
すると、ジャネットは大きな溜息を吐いた。
「まぁ、そうだけどね」
「ジャネットさんも学校で会ったら気軽に声を掛けてください。友達が少ないので、話しかけてくれると嬉しいです」
「悲しい事を言うねぇ……」
「事実なので」
これ以上この事を話し続けると切なくなりそうなので、アイザックは自分の言葉を笑い飛ばし、別れの挨拶をして去っていった。
「頭が良いっていっても、仕事を優先する人っぽいねぇ。アマンダも苦労するよ」
アイザックの後ろ姿を見て、ジャネットはボソリと呟いた。
先ほどアマンダの事を話題に出したのは、遠回しに「アマンダが心配していたから、大丈夫な姿を見せに行ってくれ」と頼んだようなものだ。
なのに、アイザックは「学校で会える」と返した。
まるで人の心をわかっていない。
古今無双の英雄と呼ばれる男にしては、心の機微を読み取るのがおそまつ過ぎる。
――アイザックは仕事を第一に考える人間で、頭脳も全て仕事に使っているのだろう。
だから、ジャネットはそのように考えてしまった。
なぜなら、アマンダはアイザックの婚約者候補ナンバーワン。
しかも、以前話していた時にもアマンダに対して悪くない反応を示していた。
にもかかわらず、アマンダの事は後回しにしている。
そのせいで「仕事を優先する夫」と「夫の帰りを待つ妻」という、アマンダの寂しい未来を想像してしまった。
まさかアイザックが「アマンダにあまり興味を持っていない」などとは、ジャネットは微塵も考えもしなかった。
今までの会話から、興味を持っていないとは想像できなかったからだ。
おそらく、それはアマンダも同じのはず。
アイザックの態度は、周囲に誤解を振りまく事になっていた。
いつかはその結果を知る時が来るかもしれない。
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