第十章 王立学院一年生前編

第231話 勤労意欲に燃えて

「おめでとう、アイザック」

「無事に帰ってこられてよかった」

「ありがとう」


 アイザックが公爵位を授かったのと、無事に帰還した事をポール達が祝う。


「……カイもおめでとう」

「ありがとう……」


 この席にはカイも出席していた。

 ネイサンの友達だった頃の因縁があるせいで、お互いに気まずそうにしている。

 アイザックもその事を理解していたが、カイを許した以上は今後ポール達とも関わっていく事になる。

 どこかで顔合わせをしておかねばならなかった。


「昔、カイとの間に色々あったという事は聞いている。でも、いつかはウェルロッド侯爵家傘下の貴族として一緒に働かないといけなくなるんだ。少しずつでも仲直りしていった方がいいんじゃないかな」


 アイザック自身はカイにちょっと嫌味を言われただけなので、あまり気にはしていない。

 だが、ポール達は違う。

 一緒に居た時間が長い分、嫌な思いをした時間も長い。

 アイザックに言われても、簡単にわだかまりが解ける事はなさそうだった。


 そして、その事はカイもよくわかっている。

 今の彼のように扱いが悪いだけではなく、馬鹿にされたり使い走りにされたりしていた。

 自分は馬鹿にしていた方なので、ポール達と簡単に仲直りできるとは思っていない。

 アイザックの言う通り、これから少しずつ関係を改善していくつもりだった。


「何を話せばいいんだろう」と、気まずい空気が流れる中。

 場の雰囲気を変える者が姿を現した。


「アイザック、呼んだか?」


 ――ランドルフだ。


 ポール達が希望したので「暇になったら顔を出してほしい」と頼んでおいた。

 彼が姿を現すと、ポール達だけでなくカイまで席から立って出迎える。


「ランドルフ様、この度の大手柄おめでとうございます!」

「勇猛果敢な戦いぶりだったそうですね。凄いです!」

「あ、ありがとう……」


 そう、ランドルフは貴族派の若者達にとって憧れの的となっていた。

 貴族派には今までにもアイザックのように知謀を発揮するタイプの指揮官はいたが、ランドルフのように『闘将』と呼ばれるほどの戦いぶりを見せる者は、五百年の歴史の中でも極稀にしか存在しなかった。

 王党派の武官連中にも負けない戦いぶりは「文官の家系でも、戦場でここまで戦えるんだ」と、若者達に夢と希望を持たせる事になった。


 ランドルフも自分が周囲にどう見られているかはすでに気付いている。

 戦争前には向けられなかった視線だ。

 こういう視線にまだ慣れていないので、どこか気恥ずかしい。

 だが、無邪気な視線を向けられて悪い気もしない。

 ランドルフが右手を差し出すと、ポール達が嬉しそうに両手で握り締める。

 さりげなくカイも並んでいた。

 彼らは嬉しそうに笑顔を浮かべていた。


「もしかして、これだけのために呼んだのかい?」

「そうですよ。未来を担う若者達に少しくらいサービスしてほしかったんです」

「それはいいんだけれどさ、私だって恥ずかしいんだぞ」


 アイザックの返答に、ランドルフが照れながら笑う。


「僕の命を助けて、あのトムを討ち取ったんですから堂々としてもらわないと困ります」

「偶然とはいえ、やっぱりトムを討ち取ったのは大きいか……」


 もし、ランドルフがとしての戦いの最中にトムを倒していたら違っただろう。

 やはり、武名が周辺諸国に鳴り響いていたトムを、個人・・の力で打ち取った事が彼の評価に強く影響していた。

 その事は、これまでのパーティーなどでランドルフも理解している。


「でも、カイもよくやってくれたよ。お爺様の仇を取ってくれたんだからね」


 ジュードの事は好きではなかったが、それでも祖父である事に変わりはない。

 ランドルフはカイの肩に片手を乗せ、微笑みながらお礼を言った。


「そんな偶然です」

「私も偶然だよ。だけど、もう『自分の実力で立てた手柄ではない』と思うのはやめた。いつまでも自分を卑下する事はない。今から手柄にふさわしい人物になれるように努力していけばいい。今回の手柄は、これから頑張る分の先渡しだと思うと楽になるよ」


 彼なりに自分の実力と周囲の評価の違いを受け入れるため、色々と考えていたようだ。

 年長者としてカイにアドバイスを残して、ランドルフは去って行った。


「ランドルフ様って恰好良いよな」

「気遣いもできる優しい人だし、やっぱり強い人は心に余裕を持ってるんだなぁ」


 ポールとレイモンドがランドルフを褒め称える。

 やはり、結果を残した者は好意的な視線で見られるのだろう。

 ランドルフの事で笑顔になっていたポールが、今度は気まずそうな顔をしてカイに向き直る。


「カイも凄ぇよ。敵の将軍を討ち取ったんだからさ。……よかったら、握手してくれないか?」

「あ、あぁ。もちろん、いいよ!」


 ――ポールからの歩み寄り。


 これはこれからの彼らの関係に影響を与える大きな一歩だった。


「僕も握手してもらってもいいかな」


 レイモンドもカイに握手を求め、ぎこちないながらも彼らの関係が進んでいきそうな予感を感じさせる。

 そして、この展開はアイザックが考えた通りでもあった。

 顔合わせを今にしたのは、カイも手柄を立てた事が記憶に新しいからだ。

 今なら「カイも頑張った」という事で「ポール達も受け入れやすいはずだ」とアイザックは考えた。


「でも、これからはカイ様って言わないといけないね」

「それは公式の場だけでいいよ。普通にカイって呼んでくれていい」


 アイザックの狙いは成功したといえるだろう。

 しかし、何かを見落としているかのようにも思える。


(……あっ、俺だけ握手を求められてねぇ!)


 確かに「敵将を討ち取った」というのは、子供心をくすぐるものだろうとは思う。

 しかし、一応はアイザックが敵の作戦を見抜いたという事になっているのだ。

「自分にも握手を求めて来てほしいな」という気持ちがあった。

 物欲しそうな視線に気付いて、ポール達がアイザックにも握手を求める。

 彼らもアイザックを軽んじるつもりなどなかった。


 今回の戦争は意外な事だらけだった。

 だが「アイザックは自分達が理解できない事をやってもおかしくない」と周囲に思われている。

 そのせいで、戦争に勝ったとしてもインパクトが他の者達に比べて弱かった。

 意外性のある者に注目を持っていかれてしまっていただけだ。

 それだけ、ランドルフやカイが戦争で大活躍するとは誰も思わなかったという事でもある。


 ――今までの事を考えれば、戦争に勝つくらいは常識の範疇の出来事。


 そう感じる者もいるという事だ。

 アイザックに対する周囲のハードルが上がっている証拠でもあった。



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 アイザックは公爵になった。

 とはいえ、いきなり屋敷を構えて別家を立てたりするようなものではない。

 あくまでも、この公爵位は一代限りの名誉称号。

 本格的な家臣団を形成しても、アイザックが死んでしまえば解散せざるを得ない。

 そのため、後々ウェルロッド侯爵家で受け入れられる規模で作らねばならなかった。

 そこでアイザックは考えた。


 ――量よりも質を厳選すべきだと。


 文官は貴族の子弟から集める事ができる。

 騎士も交代できるだけの人数が確保できればいい。

 今、最も必要としている

 それは、文官でも武官でもない。

 第三の役割を果たせる者だった。




 アイザックは、祖父の許可を得て街へ出た。

 これから王都に住む事になるので、自分の足で歩き、見て感じたいという理由で。

 護衛はマットとトミーがいれば大丈夫だろうという事で、許可はあっさりと出た。

 だが、アイザックは貴族街を散策するつもりはない。

 平民街のさらに外周部、貧民街に近いとある店によるつもりだったからだ。


「歩くのって、こんなに疲れるものだったかな……」


 すでに何時間も歩いているような気分だ。

 今までは馬車や馬に乗っての移動ばかりだったので、さすがに疲れを感じ始める。


「もう少し鍛錬を積まれるといいでしょう。学校に行く時も歩きますので」

「ああ、そういえば通学は徒歩だっけ」


 トミーの言葉に、アイザックはウンザリする。

 貴族なのに徒歩で通学するのには理由がある。


 ――王子様と下校デート。


 そういうイベントがあるからか、この世界では通学に馬車を使わないという決まりになっていた。

 通学するのが嫌になる。

 このどこか気の抜けた雰囲気を察してマットが注意喚起をする。


「ここから先は貧民街に近い場所です。治安が悪いので、これ以上進まれるのはお勧めできません。やはり、行くのはやめませんか?」

「大丈夫、二人を信じているからね」


 アイザックが目指しているのは、貧民街に近い場所にある名もなき酒場だ。

 そこにいるサブ攻略キャラクターのゴンザレスを勧誘するつもりだった。


 彼は貧民街に根を張る裏社会のボスで、貧民でありながら貴族街にも入り込める凄腕の盗賊でもある。

 ニコルがお金に困っている時に現れるキャラで、ネトルホールズ男爵家に盗みに入ったゴンザレスが「この家、なにもないな……」と呟いているところを目撃するのが最初の出会いらしい。

 ニコルと知り合ってからは金を貢ぐようになり、盗賊から足を洗って真っ当な仕事でニコルを支えていこうとするキャラだ。


 アイザックは、そんな彼を先に手懐けるつもりだった。

 裏社会のボスなら、貴族とは違う情報の入手ルートもあるはずだ。

 裏工作の手駒としてやりやすくなる。

 クーパー伯爵が貧民街の話をしてくれなければ、彼の事など忘れたままだっただろう。

 法務大臣との世間話が、アイザックと裏社会との繋がりを促したのだから皮肉なものである。


 もちろん、アイザック達は変装をしている。

 フード付きのマントを着用し、フードを目深にかぶっている。

 普段なら明らかに胡散臭い三人組だが、冬場という事もあって特に気に留める者もいなかった。


「ここです」


 マットに下調べをしてもらっていたおかげで、店まではすんなりと着いた。

 問題はここからだ。

 上手く接触する方法がわからないので、ゴリ押しするしかない。

 荒事になる可能性を二人に伝え、アイザックは酒場の中へと入る。


 店の中は客がおらずに閑散としていた。


「ここは貴族様が来るような店じゃないよ」


 酒場のマスターが気怠そうな口調でそう言った。


「なぜ貴族だと思うんですか?」

「そのマントの生地を見るだけでわかるよ。うちの店で揉め事は勘弁だ」

「それはすみませんね」


 アイザックはカウンターの上に金の入った小袋を置く。

 ジャラッという音が、多くの硬貨が入っているという事を主張する。


「ゴンザレスさんかその部下と渡りをつけたいんです。この店が彼らのたまり場だと聞いています。紹介してくれませんか?」

「奴らはいない」


 最初は小袋に釘付けだったマスターも、ゴンザレスの事に触れると即座に否定した。


(それもそうか。裏社会の人間の事をあっさり紹介できないよな)


 アイザックの事を貴族だとわかっているので、簡単には言えないのだろう。

 彼らは反社会的勢力だ。

「仲間を売った」と思われて殺されるかもしれない。

 慎重になるのも当然だった。


「確かに警戒するのはわかります。ですが、彼らにとって良い話を持ってきただけです。盗みを働いたりせずとも生きていけるちゃんとした仕事を与えようと思っているんです」


 この言葉は嘘ではない。

 というよりも、盗みを働かれてニコルと出会われたら困るから、金だけはちゃんと渡すつもりだった。

 マスターが口を割りやすいように、もう一つ小袋をカウンターに置く。

「さぁ、これでどうだ?」と言わんばかりに、アイザックはニヤリと笑う。


「奴らはいないんだ。とっくの昔にウォリック侯爵領に行っちまったよ」

「へっ?」


 予想もしなかったマスターの言葉に、アイザックは間の抜けた返事をしてしまう。


「だから、鉱夫とか人足の募集があった時に奴らはさっさと応募して行っちまったよ。俺も稼ぎの減った店なんかやめて、応募したいくらい良い条件だったしな」

「嘘だろ……」

「ほんと」


 アイザックはカウンターに拳を叩きつける。


「なんで裏社会の住人が勤労意欲に燃えてるんだよ!」

「盗みをしたり、貧民街の住民から金を巻き上げたりするよりも鉱山で働いた方が稼げるからな。憲兵にビビらなくて済むようになるし」


 魂の叫びは、マスターの的確なツッコミによって冷や水を浴びせかけられた。

 アイザックは一度深呼吸をして、マスターに他の事を訪ねる。


「でも『ちんたら働いてられるか! 俺は残る!』みたいな人もいたんじゃ?」

「人の物を盗んだりしても、簡単には売りさばけない。売れたとしても足元を見られた価格で買い取られる。危険の割には儲けが少ないんだ。貧民街から抜け出すきっかけがあるなら、誰だってそれに飛びつくさ。奴らは喜んで募集の第一陣に押しかけていったよ」


 アイザックの質問に、マスターが困ったような表情で答える。

「これだから貴族は」と、世間知らずっぷりに呆れているのかもしれない。


(裏社会のボスがあっさり立場を捨てるんじゃねぇ! あっ、でも原作でもニコルのために足を洗うんだっけ……)


 もういない相手だから文句も言えない。

 その代わりに建設的な事を考え始めた。


「では、彼らの代わりに新しく台頭してきた組織とかはないんですか?」

「ないね。人をまとめられるような奴は、さっさと人を集めてウォリック侯爵領やブランダー伯爵領に行った。数が多い方が順番抜かしとかやりやすいからな」

「そうですか……」


 マスターの返事を聞き、アイザックは露骨に肩を落とす。

 裏社会の人間と繋がって、情報収集するという考えがスタート地点に立つ前に失敗したからだ。

 そんなアイザックを見て、マスターは不憫に思った。


「店を出て、左に真っ直ぐいけばウォリック侯爵家の募集所がある。奴らからなら何か話が聞けるかもな」


 だから、ついそんな事を言ってしまった。

 もうすでにゴンザレス達がいないとわかっているが、ウォリック侯爵家の人間と話をすれば納得するだろうと思ったからだった。


「そうですね……、そうしてみます。このお金は差し上げますので、誰も来なかったという事にしてください」

「わかった。俺はここで一人でいた。客は誰も来ていない」


 マスターは貰っていいとなると、サッと小袋をカウンターの内側に置いた。

 客がいなくなったので、経営が苦しいのだろう。

 アイザックは肩を落としたまま店を出た。

 そして、マスターに言われた通り左に向かい、ウォリック侯爵家の鉱夫募集所へと向かう。


 ウォリック侯爵家の募集所といっても、周囲の建物より多少はマシな程度の建物だった。

 貧民街に近いところに立派な建物を建てる必要性を感じられなかったのだろう。

 中に入ると、受付係と護衛の兵士らしきものしかいなかった。

 すでに募集のピークは過ぎているのかもしれない。


(なんで来ちゃったんだろうなぁ。とっくの昔に出ていったっていうから、いるはずもないのに……)


 アイザックは自分の諦めの悪さに呆れながらも、受付に話しかける。


「ここで応募した人達って、もう全員ウォリック侯爵領に送っちゃったんですか?」

「なんでそんな……、ヒィッ!」


 ――フードを目深に被った怪しい風体の男。


 しかし、受付の男は椅子に座っていたので、斜め下から顔を見る事ができた。


「これは失礼致しました。まさかこんなところにエンフィ――」

「ストップ! 今はお忍びで来ているんだ。それにしても、僕の事がよくわかったね」

「お屋敷で見かけた事がございますので」

「なるほどね」


 ウォリック侯爵家の者なら、その可能性もあるかとアイザックは納得する。


「一体どのようなご用件で?」

「貧民街の人間をウォリック侯爵家やブランダー伯爵家が連れていっているって聞いてね。どんな感じかと見に来ただけなんだ」

「左様でございますか。先ほどのご質問ですが、ある程度人数が集まり次第順次送り出しております。最近はブランダー伯爵家やブリストル伯爵家の条件を聞いて選ぶようになったらしく、一時期ほど人が集まらなくなっています」

「そうなんだ」


(どうせ、今から探しても『私が裏社会のボスです』なんて名乗り出ないだろう。ゴンザレスなんて名前の奴は他にもいるだろうし、今更探せるはずがない。組織も解散してそうだし、ウォリック侯爵領まで探しに行かせるほどの価値はないな)


 聞いてもいない情報まで教えてもらい、アイザックはゴンザレスに関して諦める気になった。

 これも自分のせいだからだ。


 ――ドワーフとの交易で鉄が必要になり、鉱夫を募集するようになった。

 ――その結果、サブ攻略キャラの人生にまで影響を与えていた。


(これじゃあ、他のキャラもよく調べてからじゃないと接触すらできないかもしれないな。自分に有利な状況を作ろうとして、原作にまで影響を与えてしまったせいだ。大人しく諦めるしかない)


「大切にしてあげてくださいね。あと、僕が来た事は内緒でね。こんなところに来たって知られると怒られるから」

「はい、もちろんです。貴重な労働力ですので大切にしています! 絶対に、誰にも言いません」


 アイザックは、一言だけ残して募集所を出ていった。

 すると、すぐさま受付の男のところに兵士達が集まる。


「さっきのは誰だ?」

「今言ったように言えない。けど、かなり大物の貴族だとだけは言っておこう」

「なんでそんな大物がここに?」

「そりゃあ、優しいからだろう。貧民がどう扱われているのか気に掛けるくらいだからな」

「へー、大物貴族が貧民をねぇ」


 受付の男の言葉に、兵士達は不思議そうにしていた。

 貧民に興味がある貴族などいるとは思えないからだ。

 彼らは「珍しい奴もいるもんだ」と話し合っている。


 だが、受付の男は違った。

 彼だけは、来訪したのがアイザックだという事に気付いている。

「エンフィールド公が貧民をどう扱われているのか心配していた」と、ウォリック侯爵にあとで報告しておかないといけないなと考えていた。

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