第226話 エンフィールド公爵、誕生
十一月一日。
この日はリード王国中から貴族が集まり、論功行賞が始まる。
今頃は大広間に集まって整列しているはずだ。
「はず」というのは、アイザック達は大広間で整列していないからである。
アイザックを筆頭に、軍の指揮を執ったランドルフとランカスター伯爵。
マット、トミー、カイといった敵将を討ち取った者達。
大きな手柄を立てた者達は特別扱いだ。
最後に入場して、左右に貴族が立ち並ぶ中をエリアスの前まで歩いていく予定となっている。
これはエリアスの考えた演出だった。
――英雄達が文武百官が見守る中、王の前まで進んでひざまずく。
ただそれだけのために彼ら六人は別室で待機させられていた。
アイザックは赤の生地に金の刺繍や宝石による装飾を施された服を着ている。
金無垢のボタンには、中央に大粒の宝石が埋め込まれていた。
完成品を確認した時、太陽の光が反射して「うぉっ、眩しい」と視線を逸らしたくらい光り輝いている。
ちなみにランドルフは同じ赤の生地に金の刺繍をしている服だったが、宝石はアクセント程度に抑えられていた。
大人は年相応に落ち着いた雰囲気の服装でいいらしい。
マットとトミーも大人しめの服装だった。
子供のカイは、子爵家でやれる範囲で派手な恰好をさせられている。
その事にアイザックは「子供は親の見栄を張る道具じゃないぞ」という思いを感じていた。
「皆様、準備はよろしいでしょうか?」
部屋に入ってきた文官が皆に尋ねる。
そろそろ出番という事だろう。
アイザックも緊張はするが、褒められるために皆の前に行くので気楽なものだった。
ブリストル伯爵の件のように、エリアスの前に犯罪者として連れていかれるのとは違う。
「悪い事にはならない」という確信が、緊張を和らげてくれていた。
「大丈夫だと思いますが……」
ランドルフが答えながら、トミーとカイを一瞥する。
彼らは王の前に出る緊張からか、待っている間に何度もトイレに行っていた。
「もう大丈夫です」
「いつでも行けます」
彼らは緊張から震えた声で返事をした。
大丈夫そうではないが、本人が大丈夫だと言う以上は信じるしかない。
「では、陛下を待たせるわけにはいかないから行こうか」
ランカスター伯爵がそう言うと、皆が立ち上がった。
彼も少し興奮気味だ。
やはり、特別扱いされているので嬉しいのだろう。
文官の先導により、大広間の扉の前まで向かう。
ここまで来て落ち着いているのは、アイザックとマットだけだった。
二人とも「処罰されたり、命を取られたりするわけではない」という理由で落ち着いていた。
決して褒美を与えられる前に考える事ではない。
大広間の扉が開かれると、盛大な拍手によって出迎えられる。
王国中の貴族が祝ってくれている。
その中を通り、最奥にて待つエリアスのもとへと歩いていく。
「よく見れば、ランドルフも中々凛々しい男だな」
「ランカスター伯爵も、武官に負けぬ雰囲気を持っているように見えるな」
「狂人と言われた男のあの落ち着きよう。噂とは大違いだ」
「あちらの若者も、大人しそうな顔をしてかなりの腕前だそうだな」
「先代ウェルロッド侯の仇を取った若者も悪くない」
「だが、そんな彼らをまとめ上げたあの者はやはり別格だ」
周囲からひそひそ話が聞こえてくる。
拍手の中でも、意外とこういう話は耳に入るものだ。
一同は気恥ずかしくなるが、歩みを早めたり止めたりする事なく、変わらぬ速さで歩き続ける。
慌てた方が恥ずかしいからだ。
先頭を歩いていたランカスター伯爵が立ち止まると、その場にひざまずく。
アイザック達も彼に合わせて、その場にひざまずき、首を垂れる。
ランドルフも、エリアスの前に呼び出されるのは初めてだった。
こういう公式の場では、立ち止まる位置やひざまずくタイミングを知っているランカスター伯爵が頼もしい。
アイザック達がひざまずいたのを見て、玉座に座っていたエリアスが立ち上がる。
その表情は暗いものだった。
「諸君、この度多大な功績を残した者達を表したい。だが、一つ大きな問題がある。アイザック・ウェルロッドだ」
「えっ……」
思わぬ言葉に、アイザックは頭を上げてエリアスを見てしまう。
すぐに失礼な行為だと気付き、また首を垂れた。
「かまわん。皆の者、面を上げよ」
その動きに気付いたエリアスが、顔を上げるように告げる。
エリアスはアイザックに視線を向けたまま、話を続けた。
「そなたの功績は比類なきものだ。エルフとの交流再開に始まり、街道や河川の整備。蒸留という新しい研究分野を切り拓き、戦場においても無類の働きを見せた。過去にも英雄と呼ばれる者は居たが、そなたほど様々な分野で功績を残してはいない」
エリアスは出席者を見回す。
誰も彼の言葉に異論はなさそうだった。
「それだけなら問題はなかった。だが、そなたに問題がある」
(なんだか、最近不当に責められている気がするぞ……)
アイザックは、ついそのように考えてしまった。
「ウェルロッド侯爵領に近い場所に領地を新たに与えようと思っていたが……。どうだ?」
「どうだと聞かれましても……。来年から学生になります。新たな領地をいただいても、統治ができません。それに、将来ウェルロッド侯爵領を受け継げるだけでも十分だと思っております。できれば、辞退させていただきたく存じます」
本当は貰えるものは貰っておきたい。
だが、今ここで貰うわけにはいかなかった。
「領地の経営に手を取られて、準備が整えられなかった」では元も子もない。
目先の領地に飛びつくよりも、数年後に王国全土を貰った方がお得感がある。
慣れぬ経営に苦労するのは、それからでも遅くはない。
それに「もし下剋上を諦めたらどうするか」という事を考えても、領地は欲しいとは思わない。
ウェルロッド侯爵領は十分に広い。
エリアスの代の間は大丈夫かもしれない。
だが、ここでさらなる領地を貰ってしまっては「ウェルロッド侯爵家は力を付け過ぎた」と、ジェイソンに危険視される恐れがある。
下剋上を諦めて一貴族として生きる事を選んだのに、安全な生活を確保できなくなってしまうかもしれないのだ。
新たな領地は、利益よりも危険をもたらす可能性の方が高いとアイザックは考えていた。
しかし、この返答はエリアスの望むものではなかった。
「やはりな。そう答えるだろうと思っていた。では、金銭はどうだ?」
「ドワーフとの交易によって、資金は十分にございます。今回の戦争は、援軍として来てくださった皆様のおかげでロックウェル王国の継戦の意思を打ち砕く事ができたのです。もし、私に褒美をいただけるというのなら、軍を動員してくださった全ての方々に分配してくださると嬉しいです」
アイザックは金銭による褒美も断った。
これは以前考えていたように、鎌倉幕府の元寇の事例を考えたからだ。
今回は防衛戦争なので、国土が増えたわけではない。
リード王国の国家予算から褒美を出さないとならないのだ。
当然、軍を動員したコストに見合った金額は出せないだろう。
だから、アイザックは「自分にくれる褒美を皆に分配してくれ」と言った。
そうする事で「アイザックは良い奴だ」と思わせつつ「それでもリード王国からの報奨金はこんなものか」と失望させる事ができる。
自分に好印象を持たせつつ、王家への忠誠心を削ぐ考えだった。
アイザックがそんな事を考えるとは知らないエリアスは大きな溜息を吐く。
「そう、それだ。そなたは無欲過ぎる。今回の戦争において、最も活躍した者が何も受け取らないでは示しがつかん。何か欲しいものはないのか? どんなものでも叶えてやろう。言ってみよ」
「望みですか……」
(さすがに王位を譲ってくれとは言えないよなぁ……)
「どんな望みも叶える」と言われても、やはり限度がある。
王位は即座に却下される事はわかっているので言うだけ無駄だ。
(パメラの事は……、今のエリアスを見る限りくれそうだけど無理だなぁ)
エリアスが「オッケー、いいよ」と言ってくれても、パメラを希望する事はできなかった。
いつかはジェイソンに死刑を宣告されるにしても、順序というものがある。
今アイザックがパメラを奪い、ジェイソンがニコルと仲良くなったとしよう。
その場合は「ニコルと出会えたが、アイザックにパメラを奪われた」という思いがずっと残ってしまう。
ジェイソンが国王になった時、何らかの報復をされる恐れがあった。
パメラを安全に手に入れるには「ジェイソンがニコルに攻略されて、パメラに興味を失ったあと」でないとダメだ。
そうでないと、幸せな結婚生活など過ごせない。
ここでエリアスにパメラの事を希望するわけにはいかなかった。
「申し訳ございません。今すぐには欲しいものが思い浮かびません」
アイザックは保留とする事にした。
思いつきで要求を言ったりすると、あとで困るかもしれない。
「王家は功績を立てた者に何も与えられない」という悪評も、それはそれでアイザックに有利になる。
それならば、何も要求しないほうがいいだろうと考えたからだ。
「まったく、若者はもっと『あれが欲しい、これが欲しい』とガツガツしている方がいいのだぞ」
エリアスは苦笑交じりに言った。
彼の考えは見当違いなのだが、アイザックが無欲な若者に見えているのでそう思うのも当然の事である。
ここで彼はあらかじめ考えていた褒美を与える事にした。
「では、アイザック。そなたにはいつでも望みのものを陳情する権利と爵位を与えよう」
「爵位ですか?」
アイザックは不思議そうな顔をする。
爵位は以前断っていたはず。
なのに、爵位を渡そうとするエリアスの考えがわからなかったから。
エリアスが今度は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「そう、爵位だ。以前、そなたは『爵位を貰っても学生の間は貴族の義務を果たせない』と言って断ったな」
「はい」
アイザックの返事に、周囲の貴族達がどよめいた。
アイザックはウェルロッド侯爵家の子息なので、男爵位や子爵位を貰っても「名誉」というだけだ。
男爵家や子爵家の当主としての働きを求められるわけではない。
にもかかわらず、アイザックは「与えられていた場合、貴族としての義務を果たすつもりだったのだ」と、周囲の者達をその勤労意欲で驚かせた。
この一件で「根は真面目な少年なのだ」という印象を与える事になる。
同時に「そういえばジュードも仕事にはこれ以上ないくらい真面目だったな……」と、嫌な事を思い出させてもいた。
「そなたはよくやった。特別に二十歳になるまでは貴族としての義務を果たさなくても良しとしよう。それなら受け取れるだろう?」
「……陛下のお心を苦しませてしまうのは臣下として恥じ入るばかりです。爵位はありがたく頂戴致します」
アイザックが爵位を受け取る事を決めたのは「二十歳までは爵位に応じた働きをしなくてもいい」というところだった。
二十歳なら「王になっている」か「一貴族として生きる」かを選んでいる頃だ。
義務を果たさず、利益と権利を享受するだけでいいのなら断る理由がない。
それに、今回の働きを考えれば伯爵くらいの爵位を与えてもまだ足りないはず。
「アイザックにその程度しかやれないのか」と貴族達に思わせられるだろう。
それに「あれもいらない、これもいらない」と断り続けて不愉快になられては困った事になる。
ここらで受け入れるのが無難だと判断した。
――しかし、その判断をアイザックはすぐに後悔する事になる。
「そうか、受け取ってくれるか。皆の者、新しいエンフィールド公爵の誕生だ。喝采せよ!」
「えっ」
アイザックは一瞬世界が止まったように感じた。
他の者達が静まり返ったからだ。
しかし、それは本当にわずかな間の事。
割れんばかりの大喝采によって現実に引き戻される。
「あ、あの。陛下」
アイザックは声を掛けるが、エリアスのもとまで届いていない。
周囲に視線を向けると、ランドルフと目が合った。
「どういう事ですか?」
「私にもわからん。異例の事だという事だとしか……」
ランドルフの言葉にアイザックはうなずく。
これが異例の事だというのは、アイザックもよくわかっていた。
かつて公爵家は二家存在した。
――エンフィールド公爵家。
――ヴィッカース公爵家。
しかし、その両家は王位を争った挙句、取り潰しになった。
それ以来、公爵位は功績のあった者に与える一代限りの爵位となっていた。
他の爵位とは違い、子供には受け継がせられない特別の爵位である。
今いる主だった者の中なら、ウィンザー侯爵が宰相を引退したあとに与えられるくらいだろう。
現役を退いて老い先短い者にしか与えられない爵位。
その一つをまだ若いアイザックに与えるというのだ。
珍しいというよりも、初めての事例だろう。
エリアスが身振り手振りで皆を静かにさせる。
「公爵位の事は今更説明するまでもないだろうが、一応言っておく。年十億リードの貴族年金に、王宮への出入りが自由になる。もちろん、私に面会したい時も最優先で会える。その他、王家と国家に対する罪以外は法で裁かれなくなる」
(そこぉ! そこが一番大事なんだよ!)
やはり、当時の王を暗殺して王位に就いた過去の事件が影響しているのだろう。
法律によって行動を制限されなくなるといっても、王家に危害を加えたりする事までは、さすがに許されないようだ。
アイザックが一番望んでいる部分がピンポイントで潰されていた。
エリアスはアイザックの心中を知らず、フフフと笑う。
「まぁ、そなたなら余計な心配をする必要もなかろう。この度ロックウェル王国の動きを読み、ファーティル王国を救った働き見事だった。そして、これまでの働きを評価し、アイザック・ウェルロッドをエンフィールド公爵に任ずる」
エリアスがそのように宣言すると、文官がトレイを持ってアイザックの前に近付いてきた。
トレイの上には、片手で持てそうな袋が置かれていた。
「こちらはエンフィールド公爵家の印章でございます」
「印章……」
印章とは印鑑のようなものだ。
署名の代わりに使ったり、手紙を送る時に蝋で封をしたりするのに使う。
当主としての証明となる品物だ。
アイザックは両手で慎重に受け取った。
(俺が公爵閣下か……。それはこの国にとって良い事じゃないと思うけどな)
公爵家の者達が過去にやった事を考えれば、歴史の繰り返しになる可能性が高い。
「簒奪を狙っている自分が公爵になるというのも面白い」と思っていた。
だが、印章を受け取ったアイザックの手は震えていた。
これは将来起こす事に対しての武者震いでも緊張でもない。
――歓喜による震えだった。
前世を含めて、ここまで誰かに高く評価された事はない。
印章自体の重さは軽いものだが、そこに含まれた自分への評価を感じると手からこぼれ落ちてしまいそうなくらい重く感じ、つい落としてしまいそうになる。
しかし、嫌な気分ではない。
「もっと頑張ろう」とすら思える心地良い重さだった。
アイザックも自分がやろうとしている事の意味はわかっている。
だが今は、この心地良い気分に浸っていたかった。
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