第225話 無欲な忠臣アイザック・ウェルロッド

 ランカスター伯爵からの返事は「是非とも貸してくれ」というものだった。

 やはり、突然の支出は厳しかったらしい。

 普通の戦争であったならば、戦争はもっと長く続いている。

 今までは戦争が続いている間に、領地で金銭の準備が行われていた。

 しかし、今回の戦争は非常に素早く終わった。

 そのせいで、現金の準備がまだ完全に終わっていなかった。


 そこにアイザックから金を貸すという申し出が来た。

 ランカスター伯爵は、渡りに船とばかりにこの申し出を受けた。


 ――無期限無利子の催促なし。


 しかも、借用書もいらないという。

 こんな好条件を提示してくれる者など他にはいないはずだ。

 ランカスター伯爵は、モーガンと友人であった事に感謝した。


 アイザックと知り合うきっかけを作ってくれた事もだが、いくら轡を並べた仲であっても「ただでやる」と言わんばかりの条件で金を貸してくれるほどの仲ではなかった。

 モーガンという繋がりがあったからこそ、五十億リードという大金を貸してくれたのだと思っていた。

「大金過ぎて金銭感覚が麻痺していた」などとは考えもしなかった。



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 十月十日が過ぎ、アイザックは十五歳になった。

 いつもなら十一月になってから王都に向かうところだが、今年は十一月初めに論功行賞があるので早めに王都に集まるようにとの知らせがあった。

 そのため、アイザックの誕生日が過ぎてからウェルロッドを出発する事にした。


 王都に到着したのは二週間後。

 アイザックは到着早々にマーガレットから熱い歓迎を受ける事になった。


「アイザック、ありがとう!」


 飛びつくように抱き着いてきた。


「あなたが後継者でよかった。そうでなかったら、ソーニクロフトがどうなっていたか……。本当に私って馬鹿ね。あなたをもっと大切にするべきだったわ」


 そう言って、マーガレットはアイザックの胸の中で泣く。

 ネイサンが後継者になっていたら、アイザックの意見など誰も聞き入れてはくれなかっただろう。

 そうなると、ファーティル王国への援軍は間に合っていなかったはずだ。

 もしマーガレットの企みが成功していれば、ファーティル王国を滅ぼす事になっていた。

「自分の企みが失敗していてよかった」と、マーガレットは過去の行動を反省していた。

 祖母を抱き締め返しながら、アイザックは複雑な感情を抱いていた。


(でも、俺がドワーフと関係を持ったせいで戦争が起こったんだよな……。いや、早まったと言うべきか。自作自演のような感じであんまり嬉しくないな)


 いつかは戦争が起こっていたとはいえ、それを早めたのは自分の行動のせいだ。

 偶然助けられたからよかったが、助けられなかった可能性の方が高い。

 アイザックは、自分が助けたという思いはあまり持っていなかった。


「偶然ですよ、偶然。たまたま演習していたから間に合っただけです」

「またそんな事を言って……。たまたま戦争の準備をしていて、偶然フォード元帥を討ち取るなんてできるはずがないでしょうに。謙遜も過ぎれば嫌味になりますよ」


 マーガレットはソーニクロフト侯爵家出身。

 フォード元帥の事はよく知っている。

 彼女の物心がついた時には、すでに戦場で名を上げていた宿将だ。

 そんなベテランを相手にして勝ったのだ。

「偶然だ」と言っても誰も信じたりはしない。

 マーガレットも、アイザックの言い分を信じたりはしなかった。

 彼女はアイザックから離れると、今度はランドルフに抱き着いた。


「あなたもよくやったわ。まさか自分の手で敵将を討つなんてね。そんな勇ましい子だったなんて今まで知らなかったわ……。私って本当に人を見る目がないわね」

「あ、いえ。トムを討ち取ったのは偶然でして……」

「もう、親子揃って何言ってるの!」


 マーガレットが泣きながら笑う。

 彼女からすれば、二人とも過剰なくらい謙遜しているようにしか聞こえなかった。

 本当に偶然が重なった結果だと知らないので、その反応も仕方ないのかもしれない。


「アイザックが怪我をしたと聞いたけれど、大丈夫そうでよかったわ」

「それはクロードさんのおかげです。危ないところでした」

「ちゃんとお礼をしないといけないわね。さぁ、中に入って。ゆっくり休んでちょうだい」


 マーガレットはランドルフから離れると、皆を屋敷に案内する。


 彼女が言ったように、クロードにもお礼をしなければならない。

 だが、今回はエルフ全体に対するお礼をする必要がある。

 まずリード王国からのお礼を終わらせるのを確認してから、ウェルロッド侯爵家から贈り物をする予定だ。


 今回はクロードとブリジットがエルフ代表としてエリアスと会う事になっている。

 これは「エルフの代表者を王都に呼びつけて、王家から下賜する」というように、上から見ていると思われるのを避けるためだ。

 大使である彼らが目録を受け取り、後日正式な使者が贈り物を届けるという事になる。

 ブリジットもようやく大使としての役割を任される事となったのだった。



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 他の貴族達は、すでに王都に集まっていた。

 これは軍が受けた被害の違いによるものだ。

 ウェルロッド侯爵家とランカスター伯爵家は被害を出していたが、他の家は食料や運搬する人手の人件費を使ったくらい。

 諸々の手続きがなかったので、戦後処理自体は楽に終わっていたからだ。

 最後に王都に到着した貴族はウェルロッド侯爵家の者達だった。


 とはいえ、他の貴族達に「待たされた」という思いはない。

 待っている間も、彼らの話題で楽しんでいたからだ。


 「かかれ、かかれ」と攻撃一辺倒で引く事を知らず、自らも名のある敵将を討ち取るという勇ましい働きをした『闘将』ランドルフ・ウェルロッド。


 血気盛んなランドルフを年長者としてフォローし、冷静沈着な判断力を活かして敵の背面を突くなどサポートに徹した『いぶし銀』サミュエル・ランカスター伯爵。


 フォード元帥を討ち取り、トムと互角の戦いを演じた『百戦錬磨』マット・モーズリー。


 マットと共にシャーリーン・フォードを討ち取った『新進気鋭』トミー・オルコット。


 まだ学生にもなっていないのにもかかわらず、ジュードの仇を討つという活躍をした『大物新人』カイ・マクスウェル。


 そして、ロックウェル王国の企みを見抜き、戦場においてフォード元帥を上回る知謀を発揮し、大陸広しと言えども並ぶ者はいない活躍をした『古今無双』アイザック・ウェルロッド。


 この中でも、ランドルフの話題が特に面白おかしく話されていた。

 普段は大人しく戦争に無縁だと思われた男が、戦場で無類の働きを見せた。

「三代の法則は間違いだった。ランドルフの代は戦争の才があったのだ」という噂が広まっていた。

 ウェルロッド侯爵家は、傘下の貴族も戦争が弱い。

 だから、今までの当主はその才能を発揮する機会がなかった。

 アイザックによってまともに戦える状況が作られ、その才能をついに開花する事ができたのだと。


 ランドルフの次にトミーが注目されていた。

 マットは元々名のある傭兵だった。

 それに対し、トミーは何も実績がない。

 なぜアイザックの護衛騎士になれたのか不思議な若者だった。

 だが、今回の活躍で「アイザックがその才能を見抜いて、自分の護衛騎士に選んだのだ」と噂されていた。


 やはり、注目されていなかった者が活躍すると目立つようだ。

 元外務大臣だったランカスター伯爵は、要職についていた者として落ち着きを持っていて当然だと思われ、アイザックは「アイザックだから」でよくやったなと思われただけだった。

 カイはまだ情報が少なく、憶測を呼ぶだけで大きな噂話になるほどではなかった。


 もちろん、この噂話を喜んで聞いている者ばかりではなかった。

 ウォリック侯爵は別として、ほとんどの武官は「戦う機会さえあれば、自分達も活躍できていたのに」と羨ましく、悔しい想いを胸に秘めていた。

 それほどまでに、アイザック達の活躍は輝かしいものだった。


 しかし――


 尊敬、安堵、羨望、妬み。


 ――様々な感情が入り乱れ、アイザック達の噂話のネタが尽きる事がなかった。




 アイザック達が王都に到着しても、エリアスはまだ悩んでいた。

 全てアイザックのせいだ。


「あやつに何を与えればいい?」

「……申し訳ございません。良い案が思い浮かびません」


 ウィンザー侯爵にこの事を尋ねるのは何度目だろうか。

 アイザックは物欲がない。

 金や領地を与えると言っても、あまり喜ばないだろう。

 しかも、ファーティル王国を救った働きを考えれば、どれだけ与えればいいのかもわからない。

「アイザックに何を与えればいいのか?」は、これまでずっと悩んで答えが出なかった問題だ。


「手柄を立てるのはいいが、立てすぎるのは問題だ。嬉しい悩みだなど言ってられん」


 以前は「何を与えればいいのか困るのは嬉しい悩みだ」と言っていたが、今回ばかりは違った。

 今までのように「今度良いものを与えよう」では済まされない。

 ちゃんと皆の前で働きに見合ったものを与えてやらねば「リード王家のために働いても報われない」と思われてしまう。

 だが、良い案が思い浮かばない。

 アイザックが大きな手柄を立て過ぎたせいだ。


「いくらかの褒美と共に、爵位でも与えればいいのではありませんか?」

「爵位か……。しかし、ブリストル伯爵の時に話していたが、爵位には興味がないようだったぞ」

「まったく興味がないわけではないでしょう。これから学生になるので爵位を持つ貴族としての役割を果たせるかが不安だっただけのはずです。学生の間は義務を免除するなど、いくつか条件を付ければ喜んで受け取るのではないでしょうか」

「貴族としての義務の免除か……。確かにそれなら大丈夫そうだ」


 エリアスはウィンザー侯爵の意見を採用する事にした。

 というよりも、他に思い浮かばなかったという事が大きく影響していた。


「『無欲な者は信用できない』という言葉もあるが……。何を与えれば良いのかわからぬ者が八つ当たりで言っているだけではないのか?」


 エリアスは溜息混じりに愚痴をこぼす。

 今なら無欲な者を疎む気持ちが少しだけだがわかった。

「あれが欲しい。これが欲しい」と希望を言ってくれる方がずっと楽だ。

 他の者の手前褒美を与えなければいけないのに、与えるものが思いつかないというのは、上に立つ者にとってなかなかの苦痛である。

 アイザックが忠臣だと確信している・・・・・・・・・・からこそ、エリアスはその言葉が嘘だと思い込んでいた。


 ウィンザー侯爵は、アイザックが欲しがっているものに心当たりがあった。

 だが「パメラとの婚約を望んでいます」という言葉だけは口にする事ができなかった。

 今のエリアスなら、悩んだ末に許可を出しかねない。

 しかし、その結果はパメラとアイザックのためにはならなかった。


 今のところジェイソンとの仲は良好。

 なのに、ジェイソンとパメラを引き離してしまえば、ジェイソンとアイザックの間に致命的な亀裂ができてしまうだろう。

 それでは、リード王国に不要の混乱を起こしてしまう事になる。

 ウィンザー侯爵は答えを知っているのに言えぬもどかしさを感じていた。



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 十月三十日。

 二日後には論功行賞が行われるが、ウェルロッド侯爵一家はそんな事を感じさせない穏やかな雰囲気でテーブルを囲んでいた。

 理由は簡単。

 ケンドラの誕生日だからだ。

 パトリックが死んで以来、寂しそうにしていたケンドラの笑顔が見れるはずの日。

 一同の顔からは自然と笑みがこぼれていた。


「さぁ、ケンドラ。箱を開けてごらん」


 モーガンがケンドラに目の前の箱を開けるようにうながす。


「いぬだ!」


 ――かつてのアイザックと同じ反応。


 ケンドラは箱の中の子犬を撫でる。

 犬種はパトリックと同じゴールデンレトリバーだった。

 ケンドラがパトリックと同じように可愛がれるよう同じ種類にしたのだろう。


「その子はテレサって言うのよ。女の子同士仲良くしてあげてね」

「おじいさま、おばあさま。ありがとう!」


 ケンドラはテレサを持ち上げようとするが、上手く持ち上げられなかった。


「リサ、持って」


 そこで、リサに持ってもらう事にした。

 過去にあったアイザックとのやり取りを思い出したのだろう。

 リサの目が少し潤んでいた。

 テレサを持ち上げると、ケンドラがよく見えるように目の前に差し出した。


「ケンドラ様、どうぞ」

「かわいー」


 ケンドラは、ぬいぐるみのようなテレサの可愛さに魅了されたようだ。

 優しく顔を撫でまわす。


「あそびにいこっ」


 おそらく、パトリックの部屋に連れていって遊ぶのだろう。

 テレサを持ったリサと共に部屋を出ていってしまった。

 アイザックは笑顔で彼女らを見送る。


「なるほど、僕の時もこんな気分だったんですね」

「可愛いだろう」

「そうですね」


 アイザックの質問にモーガンが答える。

 自分もこのように見られていたのかと思うと恥ずかしい。

 だが、心に温かいものを感じさせられた。

 パトリックを失った悲しみはまだ残っているので、少し癒されたような気分になれた。


「アイザックはいいのか?」

「はい。父上にも言いましたが、これから学生になります。一緒に遊んでやれる時間が取れなくなるでしょう。ケンドラと一緒に時々テレサと遊ぶだけで十分です」


 アイザックはパトリックの代わりを求めなかった。

 その事に関しては、割り切って代わりを求めるような性格になっていない今の自分に感謝していた。

「死んだから次」とあっさり違う対象に切り替えるのは、あまりにも酷過ぎる。

 ケンドラのように死の意味を理解していない子供ならともかく、今の自分は死の意味を理解しているつもりだ。

 そこまで非情な人間ではないと、またパトリックが教えてくれたような気がしていた。


「それならいい。パトリックの事は残念だったが、今は明後日の事だけに集中しろ。大勢の目が集まっている。醜態は晒せんぞ」


 モーガンは論功行賞の事にアイザックの意識を集中させようとする。

 今言ったように人目が集まっているのは事実だ。

 だが、同時に仕事に集中させる事でパトリックの悲しみを少しでも薄れさせようとしていた。


「ええ、わかっています。国中の貴族が集まっているんですからね。……ですが、服はもう少し地味にできませんでしたか?」

「ダメよ。あなたは英雄と言っても過言ではない存在になったのよ。晴れの舞台で地味な恰好なんて許されません!」


 アイザックの弱気な発言に、マーガレットがダメだと強く否定する。

 あらかじめ寸法を送って用意してもらっていた服は「フィギュアスケートの選手でも、ここまで派手なのは着ないだろう」と思うほど煌びやかなものだった。

 金無垢のボタンどころか、宝石が服のあちこちに縫い付けられている。

 晴れの舞台とはいえ、一歩歩くたびに宝石が落ちていないか気になる服などアイザックは着たくなかった。

 しかし、その望みは叶えられない。

 マーガレットだけではなく、家族全員がアイザックに派手な服を着るように言っていたからだ。


(手柄を立てたのに、わがままが通るどころか強制させられる事があるなんて……。貴族って本当に面倒だな)


「見栄というものは本当に厄介だ」という事を、アイザックは再確認させられていた。

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