第223話 パトリックとの別れ

(こうして気を使われてもなぁ……。正直迷惑だ)


 夜のパーティーでは、ずっとロレッタがアイザックのそばにいてサポートをしてくれた。

 彼女は髪を編み込んでアップスタイルにし、頬が見えるようにしている。

 やはり、顔の傷が治った事が嬉しいのだろう。

 アイザックが頬を見ると、微笑み返してくれた。


 しかし、王女自らサポートしてくれるのは有難迷惑だった。

 アイザックのそばにはノーマンと、ギリギリ十九歳でお酒の飲めないトミー。

 そして、カイがいる。

 ロレッタがいるせいで、彼らはパーティーなのに気が休まらなかった。


 アイザックは、やんわりと「他のところに行ったらどうか?」と尋ねたが――


「私も子供ですので」


 ――と断られた。


 夜は立食形式のパーティーだが、当然お酒も提供される。

 アイザック達のようにお酒を飲めない未成年者には肩身の狭いパーティーだ。

 しかも王女が近くにいるので、気を休める事すらできない。

 アイザック達にとっては、勝利を祝う楽しいパーティーではなく、かなり気を使う接待という状況だった。


(早く帰りたい……)


 アイザックはどうしてもそんな事を考えてしまう。

 他国の王女様なので、どうしても気を使ってしまうからだ。

 早く国に帰って、身内でのパーティーを開くのが楽しみとなっていた。


「あの……、またお会いできますよね?」


 パーティーが終わりそうな雰囲気になってきたとき、何故か不安そうな顔をしてロレッタがアイザックに尋ねた。


「ええ、もちろん会えますとも。いつかまたお会いするために来ると思いますよ」


 アイザックは微笑みながら答えた。


(俺が国王になったら隣国には当然挨拶するし、下剋上を諦めたとしたら文官として訪問したりするもんな)


「また会う機会はある」と、アイザックは思っていた。

 それが近いか遠いかは別として。


 アイザックの返事を聞いて、ロレッタは満足そうにしていた。



 ----------



 戦勝パーティーの翌日には、リード王国に帰国するため出発した。

 帰る途中でソーニクロフト侯爵家の者達と会った時は、気軽な雰囲気で交流できた。

 やはり、身内の人間というのは大きいのだろう。

 ハリファックス子爵家以外のまともな親族との出会いは、アイザックの心を和ませる働きがあった。


 ――そして、九月に入ろうかという頃。


 ようやく領都ウェルロッドに戻る事ができた。

 傘下の貴族達は兵を部下に任せ、供回りだけを連れてウェルロッドの自宅で一晩休む事になる。

 翌日、兵の遠征手当や弔慰金を受け取るためだ。

 今日は完全オフの日として休んでもらう事になる。

 他の領から来た軍は、ランカスター伯爵領を通ってそのまま自領へ帰っていった。

 モーガンも正規軍と共に王都まで一直線に向かった。


 住み慣れた屋敷に到着した時、家族総出で出迎えてくれていた。

 アイザックが馬から降りると、ルシアが駆け寄ってくる。


「アイザック! あなた大丈夫なの?」


 ランドルフの手紙で怪我をした事を知っていたようだ。

 継ぎ接ぎされたジュードの鎧の腹の部分を触って無事を確かめようとしていた。

 ソーニクロフト侯爵家から借りていた鎧は返してきたので、ジュードの鎧を着て帰る事にしたがまずかったようだ。

 完全に修理されていない鎧が、余計に心配を掛ける事になってしまっていた。


「クロードさんのおかげで、怪我は傷痕もなく綺麗に治りました」

「本当に? 本当に大丈夫なのね?」

「大丈夫です。安心してください」


 アイザックが微笑みかけて、母を安心させようとする。

 ルシアはホッと溜息を吐くと――平手打ちをアイザックに見舞った。


「母上!?」

「この馬鹿。怪我をしないで帰ってきなさいって言ったはずですよ」


 二回、三回と平手打ちが続く。

 とても「今は・・怪我をしていない」と言える様子ではなかった。


(痛いけど仕方ない。ここは甘んじて受け入れるか)


 無茶をした自分を心配しての行動だ。

 何度か叩かれるくらいは我慢する事にした。

 しかし、四回、五回と終わりそうにない。

 たまらず、アイザックはルシアの手を掴んだ。


「母上、ちょっと待って」

「待てません」


 ルシアは涙を浮かべながら、まだアイザックを叩こうとする。

 それだけ心配を掛けたのだとはわかるが、さすがにこれ以上叩かれるのは勘弁してもらいたい。

 アイザックは、ルシアに抱き着いた。


「心配をお掛けしてすみませんでした。ですが、ファーティル王国を救う事で間接的に母上達を助けたかったんです。許してください」


 ふざけたりせず、真剣さを感じさせる声で謝った。

 こうする事で叩こうという気を削ぐつもりだった。


「そういうのは大人に任せておけばいいのよ……。馬鹿、馬鹿ぁ……」


 アイザックの目論見は成功し、ルシアは泣きながらアイザックに抱き着いた。

「これでもう叩かれない」と思って安心しそうになるが、ここで油断してはいけない。

 神妙な面持ちのまま、母を抱き締めていた。

 この状況にランドルフが助け船を出す。


「ルシア、私が悪かったんだ。アイザックが怪我をする前に助けてやれなかった。心配を掛けてすまない」


 アイザックからルシアを受け取り、今度はランドルフがギュッと抱き締める。

 ルシアはアイザックが無事で安心したのか、何も言わずにランドルフの腕の中で泣いていた。

 母の対応は父に任せ、アイザックはケンドラの方に向かう。

 膝を曲げて顔をケンドラに近付ける。


「ただいま、ケンドラ」

「おかえりなさい!」


 そう言うと、ケンドラはアイザックの顔をペチペチと叩く。

 きっとルシアの真似をしているのだろう。

 アイザックはケンドラを抱き締めて頬ずりする。


「それは真似しなくてもいいんだよ。おかえりなさいだけでさ」

「おかえりなさい!」


 今度はちゃんと言葉だけで「おかえり」と言ってくれた。

 そんな妹が可愛くて仕方がない。

 ケンドラを抱き上げながら、アイザックはリサに話しかける。


「ただいま、リサお姉ちゃん」

「おかえりなさいませ、アイザック様」


 人前なので他人行儀な話し方だが、優しい笑みを投げ掛けてくれている。

 ケンドラを右腕で抱き抱えながら、左腕でリサに抱き着く。

 こういう時は「鎧を脱いでおけば」と思ってしまう。

 無事に帰ってこられたからこそ考えられる、ちょっとしたスケベ心だ。

 アイザックが健康な男児である証拠でもある。

 体を真っ二つに切り裂かれた後遺症はないようだ。

 アイザックはケンドラをリサに渡すと、ブリジットの前に立つ。


「留守番ありがとうございました」

「いいわよ、別に。何にもしてなかったしね」


 彼女にも抱き着いたが、鎧越しでもリサよりも体の厚みが薄いのがよくわかった。


「……なんか失礼な事を考えてない?」

「考えてませんよ。やだなぁ、ハハハ」


 アイザックは笑って誤魔化すが、ブリジットは言葉を疑うような視線で見ていた。

 二人が離れると、ブリジットは鎧の継ぎ接ぎ面をポンポンと叩く。


「綺麗にぶった切られてるじゃない。あんたはお坊ちゃんなんだから、安全なところに居ないとダメでしょ」

「居たんだけどねぇ……」


「敵将の首を持った兵士が偽装かも?」など考えもしなかった。

 まさか真っ昼間から敵陣に忍び込んでくる奴がいるなど、誰が予想できただろうか。

「暗殺=夜」という固定観念を持っていたせいで痛い目にあってしまった。


「そう、アイザックは安全なところにいた。あれは敵が見事だったとしか言えないな」


 クロードが二人の話に口を挟む。

 それだけ印象的な事だったからだ。


「アイザックの体が地面に落ちた時は目の前が真っ暗になった気分だった。これからは身の安全に気を付けるんだぞ」

「わかってますって」


 話している内容は日常生活のものではない。

 だが、こうして皆と話していると心が安らぐような気がしていた。

 家に帰って来られた効果だろう。

 自然と笑みがこぼれる。

 そんなアイザックの顔を真顔に戻す内容の話をケンドラがする。


「おにいちゃん、パトリックげんきないの」

「パトリックが?」


 確かにパトリックは出迎えに来ていない。

 体調を崩したのではないかと思い、アイザックは心配になる。


「パトリックはそろそろ年みたいだし……ね」

「あっ……」


 ブリジットの言葉で、アイザックはパトリックがどんな状態なのか想像がついた。


 ――老衰。


 大型犬は小型犬よりも寿命が短いという話を聞いた事がある。

 戦争に出かける前に遊んでいた時も、確かに昔ほどの元気の良さは感じなかった。

「年も年だから、そろそろ危ない」と言われたら信じざるを得ない。


「父上、母上の事はお任せします。ノーマン、マット、トミー。今日はゆっくり休んでくれ」


 もう屋敷に着いた。

 さすがに屋敷の中で暗殺者に狙われはしないだろう。

 自分の部下に休むよう告げると、ケンドラと共にパトリックの部屋に向かう。

 その背後をリサやブリジット達も付いていった。




 パトリックは、ベッド代わりに使われているクッションの上で丸くなっていた。

 アイザックの姿を見ても、以前のように近寄ってきたりはしない。

 首を動かしてアイザックを見るだけだった。


 パトリックの前に座ると、籠手を脱いで優しく背中を撫でる。

 すると「遅いじゃないか」と抗議するように、パトリックはアイザックの腕を尻尾で叩いた。


「ごめんな。すぐに帰ってこられる状況じゃなかったんだよ。これでも早く帰ってこられた方なんだぞ」


 言葉が通じないのはわかっているが、アイザックは説明をしてやる。

 以前なら顔を舐めたりしてきたのに、そういった反応がないのが寂しく感じる。

 一年ほど前まではアイザックが困るくらい元気に走り回っていたのに、たった数か月離れていただけでここまで弱るとは思わなかった。


「もうちょっと待っててくれ。着替えてくるからさ」


 アイザックはパトリックの頭を撫でると、別室に行こうと立ち上がった。

 その時、パトリックが悲しそうな声を出す。


「大丈夫、ちょっとだけだから。ケンドラ、パトリックと一緒に居てくれるか?」

「うん、いいよ」


 パトリックの相手をケンドラとリサに任せ、アイザックはブリジットを連れて部屋の外に出る。

 彼女に聞きたい事があったからだ。


「ブリジットさん。パトリックは……、いつまで持つかわかりますか?」


 この事が聞きたかった。

 エルフなら犬の寿命を察知したりできるのではないかと思い、ブリジットに尋ねる。

 彼女は言い辛そうな顔をした。


「今生きているのが不思議なくらいね。もう長くはないわ」

「そうですか……。ありがとうございます」


(俺を待っていてくれたのかな)


 頑張って生きてくれていたのなら、最後は少しでも長く一緒に居てやりたい。

 アイザックは足早に着替え部屋へと歩いていった。




 着替え終わると、すぐにパトリックのもとへと直行する。


「ありがとう、ケンドラ。そういえば、父上にお帰りなさいしたか?」

「まだ」

「じゃあ、お帰りなさいって言ってあげないとな。きっと寂しがってるよ」


 アイザックはリサに目配せをする。


「では、ケンドラ様。お父様にお帰りなさいを言いに行きましょう」


 リサはアイザックの「ちょっとパトリックと二人になりたい」という思いをくみ取ってくれた。

 ケンドラを連れて、ランドルフのもとへと向かう。

 アイザックはパトリックに笑いかけた。


「二人になるのって久し振りだな」


 そう言いながら、パトリックのお腹を枕にしようとする。

 だが、今日はやめた。

 代わりに床に横たわって、自分の腹にパトリックの頭を載せる。


「たまにはこういうのもいいだろ」


 アイザックはそう言うが、パトリックは頭の収まり心地が悪いようだ。

 しばらくの間、頭を動かしてちょうどいい体勢がないかを試していた。


「来月に十五歳の誕生日だから、お前と会って十年ぐらいか。長いようで短かったな」


 アイザックの言葉をわかっていないだろうが、相槌を打つようにパトリックは小さく鳴く。


「お前がいたおかげで寂しさを紛らわせたよ。男友達ができてからは遊ぶ時間が減ったけど、こうなるともっと遊んでやった方が良かったと後悔するな」


 パトリックがアイザックの腹に頬ずりするように頭をこすり付ける。


「ケンドラの遊び相手になってくれてありがとな。おかげでケンドラも楽しかったと思う」


 パトリックが「クーン」と小さく鳴くと、それを最後に息遣いを感じられなくなった。

 アイザックの目に、自然と涙が溢れてきた。


「待っててくれてありがとう」


 嗚咽混じりに感謝の言葉を述べる。

 これは自分のためではない。

 パトリックのための涙だ。

 メリンダとネイサンを殺した時にも泣いたが、あれは自分のための涙という意味合いが強かった。


 ネイサンの部屋を見た時もそうだ。

 涙が枯れ果て、前世とは違って自分が誰かのために涙も流せない冷たい人間だと思わされた。


 ――だが、違う。


 こんな自分でも、ちゃんと誰かのために涙を流す事ができるのだとパトリックが教えてくれた。

 パトリックが最後に残していってくれたものに感謝し、アイザックはパトリックの体を抱き締めながら、一人泣きじゃくっていた。

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