第222話 ロレッタの告白

 周囲は静まり返った。

 アイザックも黙って、彼女が次に何を話すのか黙って見ていた。

 彼女は、今にも泣きそうなほど悲し気な表情を浮かべていた。


「酷いです、お爺様。アイザックさんは我が国を救ってくださった方なんですよ。お爺様にそんな聞かれ方をされたら、可愛くないなんて答えられません」


 ロレッタの言葉を聞いて、アイザックは頭の中でハテナマークを浮かべる。

 アイザックには可愛い女の子にしか見えないからだ。


(あぁ、これもあれか。美的感覚の違いとかそういうのかな?)


 アイザックは前世の記憶を持っているせいで、この世界の人間とは美しさの基準が違う。

 家族との会話によって、美的感覚の違いを自覚しているので「これで可愛くないのか?」とアイザックは思った。


 ロングストレートの銀髪は綺麗だと思えるし、愁いを帯びた悲し気な表情は庇護欲を誘う。

 もちろん、顔はなかなかの美形。

 まだ若いが将来性を感じさせる体型もしている。

 彼女のどこに問題があるのかわからなかった。


「嘘は言っておらん。お前と結婚すれば未来の王になれるし、こんなに可愛いじゃないか」

「嘘です!」


 ヘクターの言葉を、強い口調でロレッタが否定する。

 この状況に、アイザックは戸惑っていた。

 戦勝記念のパーティーなのに、自分が原因で微妙な雰囲気になってしまっているように感じていたからだ。

 ヘクターが原因だが、国王である以上誰も非難できない。

 自然と「自分が何とかしなければ」という思いに駆られる。


「ロレッタ殿下、僕の目から見てもお美しく見えますが……」


 そのため、ついそんな言葉が口から出てしまっていた。

 しかし、彼女は余計に悲しそうな顔をするだけだった。


「醜いところを隠しているだけなんです……」


 ロレッタは髪で隠れた部分――顔の左半分――を手で押さえる。


(中二病的な理由かな?)


 一瞬、アイザックはそんな事を考えてしまう。

 だが、その考えをすぐに捨てた。

 さすがにそんな理由だったら、すぐに矯正されるはずだ。

 そうなると、選択肢は限られる。


「怪我が残っていたりされるのですか?」


 ロレッタは体をビクリと震わせると、ゆっくりとうなずいた。

 アイザックの予想は当たっていたようだ。


「子供の頃に花壇の柵に倒れ込んで頬が裂けてしまいました。宮廷魔導士の魔法で怪我は治ったのですが、傷痕が残ってしまって……」


 悲しそうだったロレッタの表情が「傷のない綺麗なアイザックの顔が少し羨ましい」という気持ちが籠められた表情に変わる。


「アイザックさんはとても素敵な方です。私なんかでは不釣り合いなくらいに。それなのに、王位をエサに釣ろうとするなんて……。お世話になった方に、そんな方法を使ってほしくなかったです」


 彼女が婚約を嫌がった理由は、ヘクターのやり方にあったようだ。

 ちゃんと顔の傷の事を話して、両国にとってこの婚約がどれだけ良い事かを丁寧に話したあとだったら違ったかもしれない。

 だが、ヘクターは顔の傷を隠したロレッタを見せて、アイザックから「美しい」という言葉を引き出した。

 それでは、傷を見てから「美しくない」とは言えなくなってしまう。

 すでに「美しい」と、人前で言ってしまったあとだからだ。

 それでは、婚約話を断りにくくなる。


 ――アイザックを身内にしたいというのはわかる。

 ――でも、王位などのおまけがあるとはいえ、救国の英雄を騙すような事をしたくない。


 その思いから、ロレッタはヘクターが進めようとする婚約話を遮ったのだった。


「怪我ですか。……確かに女性は気にされるかもしれませんね。でも、それがどうしたというのですか」

「それがって……、顔に大きな傷がある女など嫌ではないのですか?」

「だって、傷くらい治せばいいではありませんか」


 感情を表すロレッタに対して、アイザックは平然としたものだった。


「あそこにいるエルフの方々の魔法だったら、きっと治せますよ。僕もお腹を大きく切り裂かれましたけど、傷痕は残ってませんよ」


 アイザックは庭園の一角を指差す。

 エルフ達は、そこでのんびりとお茶を楽しんでいる。

 エルフ一人に対し、リード王国とファーティル王国側から一人ずつサポート役が付けられていた。

 これは貴族が殺到しないように防ぐためだ。

 挨拶の順番もしっかりと整理され、複数人で取り囲むような事のないように配慮されている。

 街の復旧作業を手伝っていたというのもあるが、ファーティル王国にとって初めてのエルフとの公的な接触という事もあり、慎重な姿勢が見て取れた。


「エルフ……。ああっ、エルフ!」


 ロレッタはエルフを見て感激の声を上げる。


 ――こんな身近に救ってくれる者達がいた。


 ファーティル王国は今までエルフと交流がなかっただけに、彼らに頼み事をするという考えがなかった。

 しかし、街の住民や兵士達に治療を施し、街の後片付けを手伝ってくれている。

「だったら、自分の顔も」と、ロレッタは期待し始めた。


「アイザック、エルフにロレッタの顔を治すよう頼んでもらえるか?」

「もちろん、喜んでお引き受けします。では、殿下。行きましょうか」


 アイザックがロレッタをエルフのもとに誘う。

 その後ろを、ヘクターやモーガン達もついていく。

 やはり、エルフの魔法が気になるのだろう。

 彼らの後ろを両国の貴族達がゾロゾロとついていったので、エルフ達は何事かとアイザック達の方に視線を向け始めていた。


 クロードはマチアスやレオナールと一緒にいた。

 家族で話でもしていたのだろう。

 邪魔する事になるが、クロードなら女の子の顔を治療するのを嫌がったりはせず、喜んで引き受けてくれるはず。

 アイザックは、真っ直ぐに彼のところへ向かった。


「皆さん、こちらはロレッタ殿下です」


 アイザックは最初にロレッタを紹介し、次にクロード達をロレッタに紹介する。

 初対面同士、まずは挨拶からだ。

 それから、本題に入る。


「実はロレッタ殿下は、顔の傷を気にされておられます。よろしければ、治療をお願いできないかと思いましてお邪魔しました」

「ああ、そういう事か。婚約者が決まったから紹介にでも来たのかと思ったぞ」


 クロードの軽口にアイザックは笑って返し、ロレッタは顔を真っ赤にして俯いた。


「どこを怪我しているんだ?」

「顔です」


 ロレッタは俯いたまま、恥ずかしそうに髪を手でかきあげた。


「むっ」

「それは」


 傷痕を見て、マチアスとレオナールが反応する。

 ジロジロ見るのは悪いと思いながら、アイザックも視線をロレッタの頬に移す。


(うわっ、ひでぇ……)


 口元から頬の奥まで続く痛そうな傷痕があった。

 これだけの傷なら女の子は隠そうとするし、コンプレックスにもなる。

 直系の王女なのに十三歳まで婚約者が決まらなかったのも、ロレッタが誰かと婚約する事を嫌がったのだろう。


 ――こんな顔で誰かと結婚するのは嫌。

 ――王位目当てのお情けの結婚なんて惨め過ぎる。


 といったところだろうと、アイザックは想像する。

 親譲りの美形に生まれたので、同じ傷痕が自分にあったらアイザックもコンプレックスの塊になっていたはずだ。

 女の子だったら、その苦しみは倍増するだろう。

 かなり辛い人生だったのだと思われる。


 だが、マチアス達が驚いた理由は違った。


「古い傷だな……。すまないが、これは治せない」


 クロードの言葉は、残酷な事実をロレッタに突き付ける。


「何故ですか? 胴体が千切れても治せるほど強力な魔法なのに」


 アイザックは、治せない理由を尋ねる。

 これにはレオナールが答えた。


「どういう歪な形であれ、古い傷は怪我が治った状態になる。治療魔法は怪我を治す事ができるが、一度治ったところをさらに治すという事はできないんだ。すまない」


 彼の説明を聞き、アイザックはその理由を考える。


(細胞同士がばらけていると効果はあるけど、一度くっついた細胞を分解して再構成させるのができないとかかな? 魔法は便利そうでも、万能ではないか)


 理由を考えているアイザックの横で、ロレッタは体を震わせていた。

 希望を持ったのに「やっぱりダメだった」という事で、悲しみのどん底に突き落とされたからだ。

 彼女は大粒の涙を流し始める。


 ――泣き顔を誰にも見られたくない。


 そう思い、ロレッタはこの場を立ち去ろうとする。

 彼女の腕をアイザックが掴み、立ち去らせなかった。

「嫌がらせか?」と思ったロレッタだったが、アイザックは普段通り平然とした顔をしていた。


「まぁまぁ、ちょっと待ってください。一つ確認してからでも遅くはないですよ」

「えっ……」


「まだ他にも案があるのか?」とロレッタは聞きたいところだったが、泣いている事によって聞けなかった。

 アイザックは彼女が立ち去ろうとするのをやめたと見ると、腕を掴んでいた手を放した。


「腕を掴んだりして失礼しました。ですが、そう悪い結果にはならないかと思います」


 アイザックは揉み手をしながら、マチアスの座っている席の横に立って耳打ちする。


「経験豊富なマチアスさんにお聞きしたいんですけど、よろしいですか?」

「この状況で、どう断れというんだ」


 ロレッタはすがるような目で見てくるし、周囲の者達もアイザックとマチアスに視線を集中させている。

 ここで「嫌だ」などとは、マチアスでも言えるはずがない。

 苦笑いを浮かべながら、アイザックが何を聞こうとしているのか待っていた。


「実はですね……。古傷は治せないなら、新しい傷を作ったらどうなるんですか? 例えば、傷痕のところを切り取ったら、傷痕が残ったまま怪我が治るのか? それとも傷痕が消えて怪我も治るのか? こういう事例ってご存知でしょうか?」

「はぁ?」


 マチアスだけではなく、クロードとレオナールの間の抜けた声が重なった。

 彼らはエルフだけあって、耳が良い。

 アイザックが耳打ちしていた内容がしっかりと聞こえていたからだ。


「ちょ、ちょっと待て。なんでそんな無茶苦茶な事を考える?」

「いえ、なんとなく思い浮かんだので、確認だけしておこうかと思いました。いかがでしょうか?」

「わざわざそんな事をしたなどというのは聞いた事がないぞ。確かに試す価値はありそうだが……」


 エルフなら、怪我をすれば自分ですぐに治すので古傷は残らない。

 人間やドワーフに古傷があっても、魔法をかけても治らないので「そういうものだ」と諦める。

 わざわざ新しい傷を作って、治療するなど狂気の沙汰だ。

 試した事のあるエルフなどいないはずだった。

 現にマチアスも長い間生きてきたが、そんな方法など聞いた事がない。


「では、この機会に一度試してみてはいかがでしょう? 魔法による治療の幅が広がりますしね」

「いや、しかしそれは」


 マチアスはロレッタを見る。

 いくら何でも、効果があるかどうかわからない方法を少女に試すような真似はしたくない。

 それはアイザックも同じだった。

 だから、一緒についてきていたヘクターに話を持ちかける。


「陛下。もしかすると、新しい方法で殿下の古傷を治せるかもしれません。ただ、古傷のところに新しい傷を作るという痛みを伴う方法なので、希望者で試してからの方がいいでしょう」


 本当なら「罪人で試そう」と言いたいところだが、あまりそういう発言をするといらぬ誤解を招いてしまう。

 なので「希望者」という名目で、自主的に実験台になってくれる者を募集させようとした。


「殿下のためになるのであれば、私が志願します」


 アイザックとヘクターの話を聞いていた貴族が一人名乗り出る。

 彼は左手の手袋を外すと、アイザック達によく見えるように手を広げて見せた。


「過去の戦争で人差し指と中指の指先を失いました。切り傷の方がよければ腕にありますので、ご自由にお試しください」


 自分の怪我が治ればいいというのと、ヘクターの前で良いところを見せたいという思いがあるのだろう。

 どんなことをされるのかわからないというのに、臆する事無く名乗り出てきた。


「うーん、治っているのにまた傷つけてというのはなぁ……」

「自然のままが一番だと思うぞ」


 クロードとレオナールが渋い顔をする。

 彼らは新しい傷を作ってまで治療するという行為に忌避感があるようだ。

 しかし、マチアスは違った。


「面白そうではないか。一度やってみよう。もし、成功するのなら助かる人が増えるし、ダメならダメでもう二度とやらなければいいだけだ」


 彼は乗り気だった。

 戦争や事故で手足が不自由になってしまう者を見てきた。

 乱暴な方法だが、もしこの方法で治療ができるというのなら多くの者が助かる。

 アイザックの提案に乗るのも悪くないと考えたからだった。


「お、おい。アイザック」


 モーガンが心配になってアイザックに声を掛ける。

 何やら不穏な雰囲気を感じる。

 止めておいた方がいいような予感がしたからだ。


「大丈夫ですよ。痛い事は痛いですけど、新しい傷はちゃんと治りますから」


 だが、アイザックは自信満々に答える。

 痛い思いはするが、新しい怪我が残る事はない。

 チャレンジしてみる価値はあると思っていた。


 とはいえ、こんな人前で挑戦するわけにはいかない。

 名乗り出た貴族とマチアス、パーティー会場を警護していた騎士には物陰に向かってもらい、そこでやってもらう事にした。


 しばらくして――


「うぉぉぉ!」


 ――貴族のものらしき雄叫びが聞こえた。


 彼が物陰から飛び出すと、左手でピースをする。


「治った、治りました!」


 ピースサインしていたわけではなく、指が元通りになった事をアピールしていたようだ。

 彼の指先を見て、周囲がどよめく。


「エルフの魔法は凄いな」

「確かにそうだが、使い方も凄いぞ」

「新しい治療法が確立された瞬間だ」


 後遺症が残るような怪我でも治療はできる。

 だが、そんな後遺症が残った手足でも、ぶった切ってエルフの魔法を使えば治る。

 乱暴な治療法ではあるが、怪我によって不自由な生活をしている者達にとって、希望溢れる治療法でもあった。


「さすがに殿下に乱暴な事はできませんので、痛みを和らげる薬などがあればそれを使いましょう。すぐに傷痕なんて消えてしまいますよ」

「本当に、この傷が……」


 ロレッタはヘクターを見る。


「痛みを抑える薬ならあったはずだ。すぐに用意をさせよう。おい」


 ヘクターは自分の秘書官に命じ、手配をさせる。

 これはエルフ達が帰る前にやっておかねばならない事だ。


「アイザック、王位を餌にしてロレッタを押し付けようとしてすまなかった。だが、怪我が治れば文句なしに可愛らしい女の子になる。どうだろう、本当に婚約を考えてはくれぬか?」


 今度は真剣な面持ちで、正式に婚約を申し込んできた。

 しかし、アイザックは申し訳なさそうな顔をしてかぶりを振る。


「戦後に婚約話を持ち出してもロクな事にはなりません。ギャレット陛下とメリンダ夫人の事がありますから。今は僕に殿下と婚約させてもいいと思っているかもしれませんが、日が経てば考えが変わるかもしれません。戦争が終わったばかりの、今この時期に話を進めるのは殿下のためにならないと思います。申しわ――」

「かまわん、許す。突然持ち込むような話ではなかったな」


 アイザックに謝罪の言葉を言わせる前に、ヘクターは遮った。

 そこまでアイザックに気を使わせては、完全に悪者になってしまうからだ。


「ウェルロッド侯にも心配をかけたな。すまなかった。ロレッタの事はこちらでエルフの方々と進めておこう。アイザックと共にパーティーを楽しんでいってくれ」

「陛下のお心遣いに感謝致します」


 モーガンは喜んでヘクターの申し出に乗った。

 アイザックに「ちょっとやり過ぎではないか?」と話したいところだったからだ。

 ヘクターやマチアスに挨拶をして、アイザックと共にその場を離れていった。


「アイザックさんはとても機転の回られるお方なんですね」


 アイザックの背中を見ながら、ロレッタがそう呟いた。


「ああ、そうだな。ところでロレッタ。お前は留学に興味がないか?」

「留学? あっ、あります!」


 ヘクターが尋ねた内容は、わかりやすいものだった。

 戦争のゴタゴタの中で婚約話を進めるのがダメなら、学生生活の間に親しくなってしまえばいい。

 そうすれば、気兼ねなく仲良くなれる。

 ロレッタは傷のある左頬を押さえ、ウットリとした目をする。


 ――この傷がなければ、堂々と顔を向き合わせて話す事ができる。


 灰色の人生を覚悟していたところに、アイザックは彩りを与えてくれた。

 こんな傷を負ったのも、アイザックと親密になるための運命だったのだとすらロレッタは思い始めていた。

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