第220話 ロックウェル王国の切実な事情
六月に入り、一週間が過ぎた頃。
メナスに向かった使者が戻ってきた。
これにより、講和に向けて本格的な交渉が始まる事になる。
モーガンがヘクター達と打ち合わせも終わらせたので準備も万端。
あとは、ウォリック侯爵家やウィルメンテ侯爵家の軍が到着するのを待つかどうかだ。
彼らも遅れまいと急いでいるのか、あと数日のところにまで来ている。
モーガンは、彼らの到着するのを待っての本交渉を望んだ。
両家の軍を合わせれば三万はいる。
それだけ追加の援軍がいれば、ギャレットは無条件に近い降伏をするかもしれない。
一方、フィッツジェラルド元帥は到着を待たずに本交渉を行う事を望んだ。
これは奇襲効果を期待しての事だった。
今現在、リード王国とファーティル王国の連合軍は総勢十万を超える。
この大軍相手に決戦を挑むとしたら、少しは勝機があると考えての事。
ギャレットに希望を持たせ、決戦を覚悟させる。
そのうえで戦争再開後、伏せておいた援軍を登場させる事でギャレットの計算を狂わせるつもりだった。
「大規模な動員をしたのだから、せめて一戦はしたい」と願うフィッツジェラルド元帥達は、少しでも戦争再開の可能性を確保しておきたいと考えていた。
モーガンはファーティル王国との話し合いよりも、主戦論を唱える軍人達を説得する事に苦労したくらいだ。
結局「援軍が到着する前に本交渉を始める」という事になった。
交渉が長引くようであれば、援軍にはアスキスから離れた場所で待ってもらう。
そうしておいて、突然戦場に登場する事によって奇襲効果を狙う事にした。
戦争再開に備えるのは必要な事だし、軍首脳部の意見を完全に無視するわけにもいかない。
仲間割れをするのも馬鹿らしいので、モーガンが妥協した形となった。
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交渉の席には、アイザックも同席させてもらう事にした。
ギャレットが吠え面をかくところを見るためだ。
会談は以前と同じ場所で開かれる。
前回と違うのは、モーガンやヘクターが参加している事だ。
今回は三か国の代表者が集まり「どう講和するか」の最終決定を行う。
今回はリード王国とファーティル王国の者達が先に集まっていた。
あとから来たギャレット達がアイザックを見て顔を微かにしかめた。
そして「アイザックがいるのに、グレンヴィル伯爵がいない」という事に気付く。
あまり良い状況ではない事をギャレットは察した。
だが、動揺を顔に出さないまま席に座った。
席に着くなり、ギャレットは質問をする。
「メナスから使者が戻ってきたそうだな」
「ああ、戻ってきた。メナスでは包囲されているだけで、戦闘は起きていないらしい。アイザックの予想した通り、メナスを包囲している軍は戦力にならぬハリボテのようだな」
ヘクターが余裕の笑みを浮かべて答えた。
彼の答えを聞き、ロックウェル王国の出席者の視線はアイザックに集まる。
「メナス公爵は『領土を明け渡すつもりなどない』という返信を送ってきた。私も同感だ。ここで決戦するのと、大人しく国に帰るのとどちらがいい?」
「それは話が違う!」
ダッジ将軍が思わず声を荒らげて反応する。
この反応は予想の範疇だった。
モーガンが彼に尋ねる。
「ほう、どのような話がついていたのか教えていただけるかな?」
「それは……」
――グレンヴィル伯爵から領土を割譲する方針だと聞いていた。
そんな事を口にする事はできない。
この場に彼はいない。
しかし、だからといって裏切りがバレたとは限らない。
自分達からバラすような真似はできなかった。
「もしや、グレンヴィル伯から何か聞いていたのか? 彼は二週間前に内通が発覚したので身柄を拘束したぞ」
「なっ……」
今度はロックウェル王国側の出席者全員が絶句する。
二週間前といえば、グレンヴィル伯爵から密書が届いた時期だ。
あれが偽物で、自分達を足止めするものだと気付いたからだ。
そんな中で、ただ一人。
ギャレットだけは、全てを悟ったかのように目を閉じて落ち着いた姿を見せていた。
「こちらもアイザックが見抜いた。厄介な相手を交渉の席から遠ざけようとしたのだろうが、動きを見せたせいで見抜かれるとは滑稽だな」
ヘクターは上機嫌でネタ晴らしをする。
しかし、アイザックは反対に気分が沈んでいった。
(こいつ、俺にヘイトを集めようとしてるんじゃねぇだろうな? そりゃあ、曽爺さんみたいに相手をビビらせるネームバリューは欲しいけどさ……)
決して悪い事ばかりではない。
悪名であろうが、名を上げる事には変わりはない。
しかし、アイザックはどこか釈然としないものを感じていた。
「そうか、それは残念だ」
ギャレットは落ち着いた声で答えた。
アイザックが出席しているのに、グレンヴィル伯爵が欠席している。
その時点で「裏切りに気付かれた」と思っていたからだ。
今は驚きを通り越し、物事を達観して見ている。
「では、要求を変更しよう。我々は撤退する。ロックウェル王国に戻るまでの安全の保証と、食糧の提供を要求する」
ギャレットの要求は、とても負けた人間とは思えないほど、ずうずうしいものだった。
「そのような要求ができる立場だとでも思われているのですか?」
フィッツジェラルド元帥が思わず口を出してしまった。
今のギャレットは、多額の賠償金を差し出す事を約束して許しを乞わなくてはならない状況だ。
要求を突きつけるなど言語道断。
「グレンヴィル伯爵が捕まった」と聞き、頭がおかしくなったのではないかとすら思っていた。
元帥の言葉に、ギャレットは皮肉に満ちた笑みを浮かべて答えた。
「なんだ、そなたは何も知らぬのだな。本当に戦争を再開するつもりか? それはヘクターが望まぬだろう」
「確かに国土が戦場になる事は避けたいでしょう。ですが、ここであなた方を打ち破り、ロックウェル王国に攻め込むという事もできるのですよ」
「攻め込む? フフフ、ハーッハッハッハッ」
ギャレットは大声をあげて笑う。
だが、気が触れたような笑い方ではない。
フィッツジェラルド元帥を嘲るような笑い方だった。
「ヘクター、お前の口から言ってやれ。ロックウェル王国に攻め込まないでほしいとな」
「……ロックウェル王国軍を追い払えればそれでいい。攻め込む必要はない」
ヘクターは苦々しい表情で、ギャレットの言う通り攻め込む事を否定した。
「なぜです? ここで主力を打ち破れば、本国は空っぽ。全土を陥落せしめる事も容易でしょう」
(確かにその通り。千載一遇のチャンスじゃないか)
フィッツジェラルド元帥の意見に、アイザックも心中で同意する。
だが、モーガンは何か思い当たる事があるのか、その態度は落ち着いたものだった。
攻め込まない理由があると思われるので、口には出さず事態を見守っていた。
「攻め込む度胸が……。いや、ロックウェル王国を統治する覚悟がないのだ」
「統治する覚悟?」
「そうだ。ファーティル王国が我らに何をしているか知っているか?」
ギャレットに問われて、フィッツジェラルド元帥はかぶりを振る。
アイザックも頭の中で「知らない」と考えていた。
何か知ってそうなモーガンに視線を向けるが、モーガンが答えるよりも早くギャレットが話しだす。
「ファラガット共和国やグリッドレイ公国と共謀し、我が国の鉄を安く買い叩いているのだ。食料を盾にして相場の半値以下でな」
(おっと、何やら雲行きが怪しくなってきたぞ)
ファラガット共和国はロックウェル王国の東、グリッドレイ公国は北にある国だ。
――周辺諸国と談合し、鉄を買い叩いている。
その話を聞いた時点で、アイザックはヘクターに攻める気がなかった理由がわかったような気がした。
「ここで我らを皆殺しにしたとしよう。それで、そのあとはどうする? 六万もの兵士がいなくなれば、当然鉱山の運営にも影響する。新たに徴兵しなくてはならないからな。結局、生産量が減って鉄を安く買っているファーティル王国が損をするだけだ。攻め込まないのも同じ事。直接統治すれば、国民に対する責任が生じる。たとえ奴隷のような扱いをするにしても、直接支配しているかどうかの違いは大きい。統治者としての責任を回避しつつ、甘い汁だけ吸い続ける。そのためにも、我らに無事に帰ってほしい。だろう、ヘクター?」
ギャレットの話はアイザックに衝撃を与える。
彼の開き直りは、持たざる者故の開き直りだったからだ。
(そうか。経済的な奴隷ってわけか。国を空っぽにしても他の国が攻め込んだりしないのは、ファーティル王国と同じく鉄を買い叩いているから。ヘクターがロックウェル王国に攻める気がなかったのは、統治する手間を省いて鉄を安く手に入れるため。定期的に戦争が起きるのは、奴隷の反逆みたいなものか。えっ、なに? この世界って本当に乙女ゲームの舞台だったのか? 結構、国同士の関係がエグいんだけど……)
アイザックは、この世界に疑問を感じた。
略奪愛をテーマにしているとはいえ、恋愛ゲームとは思えないほど重い設定だ。
「もしかして、本編もエグい内容なのでは?」と思うと、これからの学園生活が不安になる。
ゲームをプレイしていないので、本編の内容がわからないせいだ。
こういう時、自分もプレイしておけば良かったと後悔する。
「しかし、安く買われるといっても、その分多く掘ればいいだけではありませんか?」
「鉱物は麦や野菜とは違うのだ。掘ればなくなる。その辺りの事は、ウォリック侯爵がいれば理解してくれただろうな。百年後、二百年後の民の暮らしを考えれば、今の内にファーティル王国を確保するしかなかった。資源がなくなってから行動しても遅いからな。だが、もう望みはなくなった」
ギャレットが静かに涙を流し始める。
ダッジ将軍やフェリクスといった者達も、もらい泣きをして涙を流し始める。
「アイザック・ウェルロッド。そなたに言った事は謝らぬ。戦争の元凶というのは嘘ではないからだ」
「えっ……」
突然話を振られて、アイザックは困惑する。
「ドワーフと関係が深くなったリード王国は強化されていく。しかも、噂ではドワーフから大量の製鉄が行える技術を教えてもらったそうではないか。鉄が多く流通するという事は、相場も下がるという事。我が国の鉄は今までよりも安く買い叩かれるだろう。もう二度と戦争を起こす余裕などなくなるくらいまで弱体化する事は必至。だから、今動くしかなかった。……もう次の戦争は起こせないだろう」
ロックウェル王国側の出席者のすすり泣く声が大きくなる。
現状を変えるために戦いたいが、戦う事すらできなくなる。
これからは経済的な奴隷として、周辺諸国に食い物にされるだけだ。
武人として、これ以上ないくらい悔しい現実だった。
アイザックも、さすがに彼らの事を少しは可哀想に思った。
だが「ドワーフから大量の武器は買えませんよ」と、本当の事を教えてやる義理はない。
黙ってギャレット達を見ているだけだ。
(あぁ、そうか。わかったぞ。これ絶対にご先祖様が関わってる。独立だけじゃなく、反目し合わせるのはウェルロッド侯爵家っぽいやり方だ)
ロックウェル王国でリード王国に友好的な王を擁立させるように動く事もできただろう。
しかし、それでは代替わりしてしまえばどうなるかわからない。
だから、ファーティル王国を独立させたのだ。
――鉄がなくても不便なだけだが、食料がなければ人は死ぬ。
ロックウェル王国から食料を自給する方法を失わせる。
そのうえで、唯一の資源といえる鉱物を安く買い叩いて、経済を弱体化させれば脅威は大幅に減る。
もしかしたら「談合して買い叩く」という方法も、ウェルロッド侯爵家の人間が教えたのかもしれない。
ロックウェル王国の恨みは、足元を見て買い叩くファーティル王国やその他の国に向かう。
中でも、元々同じ国だったファーティル王国への恨みは特に強いはずだ。
そして「恨まれている」という思いはファーティル王国の人間にも伝わる。
誰だって、恨まれているとわかっている相手の統治下に入りたくはない。
ファーティル王国の人間は、必死になってロックウェル王国と戦ってくれるはずだ。
もちろん、ファーティル王国がリード王国に攻め込むような事はできない。
そんな事をすれば、ロックウェル王国がファーティル王国に攻め込むからだ。
両国を反目し合わせる事で、リード王国は東側の安全を確保できるようになった
イギリスが植民地で行った分断統治のようなものなのかもしれない。
国全体がウォリック侯爵領のようなものという、ロックウェル王国の弱みを見事に突いていた。
(ご先祖様、やり過ぎだって。さすがに俺もドン引きだわ)
直接統治すれば、王としての責任を果たさなければならない。
だが、商品を買うだけなら責任は発生しない。
国家の運営は、ロックウェル王家の責任だからだ。
――無責任な立場にいながら、甘い汁を吸い続けられる。
ヘクターも、こんなに美味しい状況を壊すつもりはないだろう。
ギャレットが要求した事を素直に受け入れ、今いるロックウェル王国軍には無事に国元へ帰ってもらいたいはずだ。
だが、そうなると賠償金などをどうするのかという問題が出てくる。
被害が出たのはファーティル王国とウェルロッド侯爵家、ランカスター伯爵家だけだ。
とはいえ、正規軍や他の家の軍も兵士の動員に金が掛かっている。
手ぶらで帰る事はできない。
(でも、この雰囲気だと賠償金を要求するのは難しそうだな)
アイザックがそう思っていると、モーガンが動いた。
「ファーティル王国は特に要求をしないようなので私から。賠償金などを支払う能力はなさそうなので、代わりにリード王国にも鉄を売っていただきましょうか。もちろん、ファーティル王国と同額で」
(行ったー、爺ちゃんが行ったー!)
この重苦しい空気の中、モーガンが要求を突き付けた。
「仲介に来たんじゃないの?」と少し思ったが、リード王国も戦っているので賠償金代わりにこれくらいは請求してもいいだろう。
雰囲気に流される事なく、最低限必要な要求ができる度胸にアイザックは感心した。
「かまわん。どこに売ろうが変わりはない」
ギャレットの声は静かなものだった。
怒りや悲しみを越え、諦観に至ったのだろう。
敗北を受け入れているようだ。
それもそのはず、これからはファーティル王国に攻撃する事ができなくなってしまう。
さらに、ドワーフの製鉄技術のせいでリード王国の鉄の生産量が増加するだろう。
モーガンが動いた事で、アイザックも動きやすくなった。
「ついでにと言っては何ですが、ここにいる六万とメナスを包囲している四万。彼らの武器と防具を賠償金代わりに置いていっていただけませんか?」
今聞いた話を考えると、ロックウェル王国は周辺諸国から攻め込まれる事はなさそうだ。
ならば、完全な武装解除を求めても大丈夫なはずだ。
「用心深いな」
ギャレットがフフフと力なく笑う。
食料さえ渡してくれれば大人しく帰るつもりだった。
だが、アイザックはまだ警戒している。
そう思ったギャレットは、子供とは思えないアイザックの慎重さを評価する。
「念のためですよ」
もちろん、アイザックは安全のために武装解除を提案したというだけではない。
本当に賠償金代わりに剣や鎧を受け取るつもりだった。
――武器や防具は精錬された鉄。
これをそのままドワーフに
十万人分の装備ともなれば、かなりの量になる。
軍を動員した全ての家に分配したらどれだけ手元に残るかわからないが、それでもないよりマシだ。
しかも、新しく装備を作り直すのに時間と金が掛かる。
その間、ロックウェル王国は完全に身動きが取れなくなるはずだった。
――多少なりとも金を手にする事ができて、数年はロックウェル王国の行動を制限できる。
しかも、国境まで見送る間、突然襲い掛かられる心配がなくなる。
アイザックは「思いつきの割には悪くない考えだ」と思っていた。
「その条件を受け入れてもいい。だが、貴族や騎士の武装は除外してほしい」
ギャレットの要求を聞き、アイザックは祖父に視線を投げ掛ける。
この話を持ち出したはいいが、このまま進めていいのかまでわからなかったからだ。
「それくらいなら……。陛下はいかが思われますか?」
モーガンは、ヘクターに話を持ちかけた。
「私もかまわない。ロックウェル王国軍が国へ帰り、今まで通りの取引をしてくれるのならな」
ヘクターは、
やはり、ここでロックウェル王国軍を殲滅したり、攻め込んだりするつもりはないらしい。
両国の関係を考えると、今まで通りの関係がロックウェル王国にとって十分な罰にもなる。
刃を交える機会を失って寂しくはあるが、フィッツジェラルド元帥が少しだけ不満そうな表情を見せただけに終わった。
ヘクターが講和に前向きな以上、強く反対する事はできない。
またどこかと戦う事になる日まで、実戦がお預けになってしまうという現実を受け入れた。
ヘクターがこれ以上のものを望まず、ギャレットも戦闘継続の意思がない。
自然と講和するという方向で話は進んだ。
フィッツジェラルド元帥達のように、あとから到着した者達には消化不良だが「ファーティル王国を守る」という戦略的目的は達成された。
今はそれで良しとする雰囲気になっていた。
今後について詳細を詰めている時、ふとギャレットが呟いた。
「メリンダを娶っていれば、未来は変わっていただろうか?」
確かにギャレットがメリンダを娶っていれば、大きく変わっていたかもしれない。
リード王国との婚姻を盾にして、ファーティル王国に買い叩く事をやめさせる事だってできたかもしれなかった。
アイザックも、メリンダとネイサンに危機感を覚えて行動したりはしなかった。
力を見せようとしてティリーヒルに行く事もなく、ブリジットとも会わなかっただろう。
彼女と会わなければエルフとの交流再開もなく、ドワーフと接触する事もなかった。
つまり、ギャレットが戦争を決意したドワーフ関連の出来事が起きなくなる。
メリンダとの婚姻を解消した事が遠因となり、巡り巡って自分のところへ返ってきてしまった。
だが、彼の言葉に答えるものはいない。
ギャレットも答えを求めての言葉ではなかったので、以後はその事を口にする事はなかった。
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