第218話 時間稼ぎ
アスキスに着いて一週間が過ぎた頃、ヘクターからアイザックに使者が届いた。
至急話したい事があるという呼び出しだ。
今回もランカスター伯爵に同行してもらう。
ついでと言っては何だが、セオドアにも同行してもらう事にした。
ヘクターに挨拶するためだ。
王宮に到着したアイザック達は、すぐに応接室に通された。
そこにはヘクター達がすでに待っていた。
アイザック達が待たせた事を詫びる前に、ヘクターが「早く座ってくれ」と椅子を指差して促した。
命じられるがままに、アイザック達は椅子に座る。
自然とアイザックが中央に座らされ、左右にランカスター伯爵とセオドアが座る。
セオドアが挨拶をすると、ヘクターも答える。
だが、ヘクターは「挨拶どころではない」という焦りを見せていた。
「この間の話し合いのあと、グレンヴィル伯の事がどうしても気になってな。奴の疑いを晴らすために家探しを行った。何も出てこなければ無罪放免。外務大臣は無理でも、何か違う役職を与えてやろうと思ったからだ。しかし、そこでこれが出てきた」
ヘクターがアイザックに一通の手紙を差し出す。
アイザックは、うやうやしく両手で受け取った。
「読んでもよろしいのですか?」
「ああ」
アイザックは手紙を二人にも見えるように開く。
「うわぁ……」
「これは!」
「えっ、どういう事なんですか?」
アイザックはドン引きし、ランカスター伯爵は驚いた。
セオドアは、今ファーティル王国で何が起きているのかわからず混乱する。
だが、説明してもらえなかったので、とりあえず黙って様子を見る。
手紙はロックウェル王国に駐在する大使からのものだった。
『現在、王都の街中ですら衛兵の姿が露骨なまでに減っています。ロックウェル王国にて、衛兵まで動員する大規模な戦争準備が始まっている模様。不穏な気配あり、注意されたし』
短く要約すれば、このような内容が書かれていた。
ロックウェル王国に派遣されていた大使はちゃんと仕事をしていた。
仕事していなかったのは大臣であるグレンヴィル伯爵だったのだ。
「という事は……」
ランカスター伯爵が息を呑んだ。
これほど重要な情報を報告せずにいるなど考えられない。
「これだけで奴が裏切っていたと考えるのはまだ早い。ただ報告するのを忘れていた可能性も考えられる」
皆の視線がヘクターに集まる。
それはそれで大問題だ。
彼が深刻な顔をしているのも理解できる。
「……そう思ったのだがな。この手紙を見つけた時点で、奴の屋敷で働く使用人が『この一年、グレンヴィル伯が普段見慣れない者と会っていた』と白状した。さらに調べたところ『ロックウェル王国に協力すれば、領地持ちの貴族として迎え入れる』という密書が見つかった」
密書を残していたのは、戦後に「ちゃんと報酬を払ってくれ」と言うためだろう。
報酬の確約を得るためのものが、自分の裏切りを証明してしまった。
「大問題ではありませんか!?」
セオドアが驚きの声をあげる。
まさか挨拶に伺ったところで、いきなり重要な案件を聞かされるとは思いもしなかったからだ。
「そう、大問題だ。もしもアイザックがいなければ、我が国は大変な事になっていただろう」
ヘクターが顔をしかめる。
ソーニクロフト侯爵も同様に、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
国家の重鎮である外務大臣が他国に寝返っていたなど笑えない出来事だった。
軍の動員に関する情報を握り潰させるだけでも効果は絶大だ。
しかも、侵攻に失敗した時の保険にもなる。
現にアイザックがグレンヴィル伯爵を糾弾していなければ、領土を引き渡す必要などないのに割譲してしまっていたかもしれない。
「一つ一つの事象が何を意味するのか考え、行動の裏に隠されたものを見抜く。確かに凄い分析力だ。事前に話していなければ、神のように全てを見通す目を持っているのかと思っていたところだ」
「先代ウェルロッド侯の言動も、ひらめきによるものだと思っていましたが……。分析能力が非常に優れていて、その場で思いついた発言のように見えていただけかもしれません」
ヘクターが感心すると、ソーニクロフト侯爵もそれに追従する。
ただの憂さ晴らしのための言い掛かりが、本当になってしまったようだ。
――瓢箪から駒が出る。
その言葉がアイザックの頭に浮かんでいた。
「未然に防げたというわけではないが、取り返しのつくところで気付く事ができた。感謝する」
頭を下げたりはしないが、ヘクターの真剣な眼差しから感謝の気持ちが伝わってくる。
でまかせとはいえ、
「いえ、同盟国の者として当然の事をしたまでです。我々は助けに来たのですから」
この状況で「でまかせです」と言えば、アイザックだけではなくヘクター達も気まずい思いをする。
仕方がないので、本当に気付いていたフリをする。
アイザックなりの気遣いだった。
その手柄を誇らない態度がヘクターに気に入られた。
「援軍に来てくれたリード王国には当然謝礼をする。だが、そなたには別途礼をせねばならぬな」
「……それでしたら、僕が助けを求める事になった時には、他の者よりも優先して助けていただけますか?」
「もちろん、かまわない。しかし、そなたに助けが必要になるとは思えないし、助けになれるとは思わないが」
「いえいえ、きっと頼る時が来ます。その時はよろしくお願いします」
ヘクターは苦笑する。
アイザックが助けを求めている姿など想像できないからだ。
それに助けを求めるとしたら、エルフやドワーフ関連で問題が起きた時だろう。
自分達がどこまでアイザックの役に立てるのかわからない。
実質何も求められていない。
見返りは「実質タダ」でいいという太っ腹な答えだった。
おかげですぐに返事をする事ができた。
もちろん言葉通りに受け取らず、金銭などによるお礼も考えていた。
この間、セオドアは口をポカンと開けて二人の話を見守っていた。
確かにグレンヴィル伯爵の話はアイザックから聞いていたが、裏切っているとまでは聞いていない。
あまりの展開の速さと事態の大きさについていけなかった。
それはランカスター伯爵も同様だ。
グレンヴィル伯爵とは今までにも会談したりした事があるので、その驚きは一際大きい。
今までファーティル王国を裏切っている素振りは見せなかった。
「まさか彼が裏切っていたとは」と思うと喉がカラカラに乾いてしまう。
驚きのあまり出してしまいそうな叫びを、出された紅茶と共に飲み込んでいた。
周囲が困惑している中、アイザックは一人考え込んでいた。
(ざまぁみろ! と笑う事は簡単だけど……。ちょっとマズイ事になったな)
裏切り者がどうなろうと知った事ではない。
それに、グレンヴィル伯爵はギャレットの言葉に乗って自分を蔑ろにした相手だ。
同情の余地はない。
だが「裏切り者を見つけた」という事が与える影響は大きい。
(裏切り者が交渉から外されて、連絡取れなくなったりしたら怪しむよな)
疑惑の段階なら、偽の情報を与えて泳がしたりできた。
しかし、もう証拠まで見つかっており、グレンヴィル伯爵も自分の立場を理解しているはずだ。
今更自由に行動させる事などできない。
できる事が大幅に制限されてしまった。
(いや、そもそも――)
「グレンヴィル伯はまだ生きているのですか?」
まだ生きているのかが問題だ。
戦時中なので「裏切り者は一族郎党、即刻死刑」にされているかもしれない。
生きているか死んでいるかで、取れる手段が大きく変わってくる。
今後の事を考える前に、生死を確認しておかねばならなかった。
「忌々しいが、戦争が終わるまでは生かしておくつもりだ。何かに使えるかもしれんからな。もしかして、策があったりするのか? あったら聞かせてほしい」
ヘクターは期待するような目でアイザックを見ていた。
まるで「アイザックがどう使うのか楽しみにしている」と言わんばかりの目つきだ。
そこまで期待されては応えるしかない。
「それでは、最後にファーティル王国のために役立ってもらいましょう」
アイザックはニコリと笑い、思いついた策を話し始めた。
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深夜、ロックウェル王国軍の陣地に一人の男が近付いてきた。
「何者だ!」
当然、見張りの兵士はその男を呼び止める。
かがり火に照らし出された姿は貧民のようなみすぼらしい服装をした男。
しかし、その血色のいい顔は貧民ではないという事がわかる。
これ以上ないほど怪しい男だ。
兵士は「スパイか?」と疑った。
それはある意味正しかった。
「しーっ、声を下げてください。ギャレット陛下に『協力者からの使いが来た』とお伝えください。それでお分かりいただけると思います」
「えっ、陛下に?」
兵士は戸惑った。
確かにただの貧民ではなさそうだが、いきなりギャレットにまで話を持っていくのは躊躇われる。
同僚に視線を投げ掛けて「どうしよう?」と意見を求める。
「俺達で判断するのは無理だ。とりあえず、隊長に話そう」
「そこの天幕の陰で待っていてよろしいですか? あんまり外の誰かに見られたくないんです」
「……怪しい動きをしたら斬るからな」
下っ端といえども、密使の姿が誰かに見られるのはまずいという事を知っている。
二人が男の見張りに付き、外から見えない位置まで移動する。
見張りの隊長らしき者はすぐにやってきた。
「いきなり陛下に会わせるわけにはいかないが……。身分を証明するようなものを持っているのか?」
隊長も無茶を言っている事は自覚している。
密使が身分を証明するものを持っているはずがない。
だが「フォード元帥がリード王国の人間に陣内で暗殺された」という事は噂で聞いている。
怪しい人間をギャレットのもとに連れていくわけにはいかなかった。
「ございます」
「あるのか!」
男があっさりと「持っている」と言ったので、隊長は驚くしかなかった。
あまりにも不用心である。
しかし、男が懐から割符を出した事で合点がいった。
割符なら名前などを証明する必要はない。
「ギャレット陛下にお伝えいただければ、割符の片割れを持った方が確認しに来ると思います。それで身分の証明と致します」
「わかった。すぐに伝えよう」
身分を証明するものがあるのなら、ここで問答を続ける必要などない。
隊長は部下に命じ、ギャレットのもとへ報告に向かわせる。
「言うまでもないと思いますが、私のような者が来たという事は内密にお願いします」
「もちろん、わかっている。今晩は誰も来ていないし、誰とも話していない。部下にもよく言っておく」
「内通者がいる」と誰かに知られただけで行動が取りづらくなる。
表向きは誰も来ていないという事にするのが、こういう場合に取る正しい対応だった。
平の兵士ではないので、隊長もそれくらいは知っていた。
確認に来た秘書官と割符を合わせ、グレンヴィル伯爵からの使者だと確認が取れると、すぐにギャレットのもとへ連れていかれた。
深夜なので寝ていたのだろう。
ギャレットは眠そうな顔をしている。
「お休みのところ申し訳ございません。ですが、昼間だと誰かに見られるかもしれなかったので、この時間に来るしかありませんでした」
「かまわん。用件は?」
「手紙がございます」
男が服を脱ぎ、襟の内側に縫い込んだ手紙を取り出した。
その手紙は秘書官を経由して、ギャレットの手に渡る。
「ほう、これは凄い」
軽く読んだだけで目が覚める内容だった。
『私がヘクター陛下に働きかけ、アイザック・ウェルロッドへの不信感から、リード王国全体への不信感へと拡大させる事に成功しました。不信感は新たな援軍が来た今も変わりません。メナス公爵領を含む東部地域の一部を割譲し、ロックウェル王国との関係を改善する事に前向きになっています。ただし、割譲できる限度は国土の四分の一程度まで。それ以上要求されるのなら、徹底抗戦も辞さずとの事です』
グレンヴィル伯爵は良い仕事をした。
アイザックを軽んじた事によって交渉の席から外されたようだが、ヘクターからの信頼はまだあるようだ。
ヘクターの思考を上手く誘導し、ロックウェル王国のために働いてくれた。
しかも、それだけではない。
要求できる限度まで教えてくれている。
これを知っているかどうかでは大違いだ。
ヘクターの我慢を越えず、妥協できるギリギリの線を狙う事ができる。
――どこまで妥協するつもりか。
それを知っているだけで、今回の講和交渉は勝ったも同然。
わからなければ探りを入れて様子を見なければならない。
まったく妥協する意思がないなら、多少の被害を覚悟してでも早めに退却するところだ。
だが、ヘクターが妥協してくれるのなら退却する必要はない。
「決戦も辞さず」という態度を見せ続けて、このまま交渉を続けていけばいい。
そうすれば、遠からず正式に肥沃な土地を手に入れる事ができる。
この情報のおかげで有利な立場になった。
「グレンヴィル伯に感謝している。約束は守ると伝えておいてくれ」
ギャレットは、そう言って密使を下がらせようとする。
だが、すぐに動こうとしない。
もたもたとしている。
それを見て、何を求めているのかに気付く。
「手紙を届けてくれた礼を渡して陣地の外まで見送ってやれ」
秘書官の一人にそう命じると、男は一礼したあと軽やかな足取りで立ち去っていった。
「現金なものだ。
「ですが、そのおかげで助かっています。これくらいは大目に見るべきでしょう」
「そうだな。功績を立てた者には見合った褒美をあたえなければならん」
働きに見合った褒美を与えるのは当然の事。
しかし、グレンヴィル伯爵は国を裏切っている。
裏切りを持ち掛けたギャレットが言える事ではないが、報酬目当てで裏切るような輩は、その存在だけで気分が悪くなる。
とはいえ、その働きに頼っているのも事実。
辺境の農村地帯ではなく、それなりに良い場所を領地として用意してやらないといけないだろう。
「私はもう少し休む。お前達も適度に休め」
ギャレットは部下達を自分の天幕から出ていかせ、簡易ベッドの上に横たわって目を閉じる。
リード王国の援軍が到着し、交渉がどうなるか心配だった。
だが、その心配は払拭された。
彼の表情は安らかなものだった。
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「――という感じの事をヘクター陛下に進言していたんだが……。この年でえげつない事を思いつくな。噂以上だ」
少し時は戻り、ヘクターとの会談が終わったあと。
陣地に戻った際にセオドアがランドルフに会談で感じた事を話していた。
アイザックはグレンヴィル伯爵の親族を助命する代わりに、彼に協力をさせる事を提案した。
裏切り者の手で虚偽の情報を知らせる。
それにより、ロックウェル王国軍をリード王国正規軍が到着するまで足止めする。
さらに「実質的に戦争は終わった」と安心させる事で、奇襲などの手段を使う必要がないと思わせて安全を確保できる効果がある。
――身の安全を確保しつつ、相手の取れる選択肢を限定的なものにさせて勝利を確実なものにしていく。
セオドアには、アイザックはすでにジュードのような圧倒的な存在にしか見えなかった。
「ところで、私はウィンザー侯爵家の者だという事は知っているな?」
「はい、もちろんです」
アイザックは、セオドアが今更そんな事を言う理由がわからなかった。
しかし、このあとの言葉で何が言いたいのかを察する事ができた。
「ちなみにランドルフとも良好な関係だ」
「はい」
「同じ貴族派だという事も忘れてもらっては困る」
「……はい」
(なんだかしつこいな)
「私はパメラの父親だぞ」
「わかっております。パメラさんも、ジェイソン殿下も今では僕の友人です。ご安心ください」
セオドアは、万が一にも自分に矛先が向かないように必死だった。
両家の間が友好的な関係である事をアピールし、安全を確保しようとしていた。
そのためにパメラの事まで持ち出した。
これはアイザックが気を利かせて「パメラの事が好きだから」ではなく「パメラと友達だから」と周囲に思わせる発言をした。
パメラの事を持ち出すくらい、セオドアは取り乱していた。
しかし、アイザックが気を利かせたのに気付き「パメラの事を話題に出すのはまずかった」と肝を冷やす。
「とりあえず、私達も仲良くやろう。なっ」
「え、ええ。もちろんです」
アイザックは握手を求めるセオドアの手を握り返す。
未来の義父なので、友好的な関係を作るのはアイザックも大歓迎だ。
断る理由などなかった。
「セオドア。いくらなんでも子供相手にそれはちょっと……」
「先代ウェルロッド侯のようになってからでは遅い。今のうちに仲良くなっておく方がいいじゃないか」
呆れるランドルフに、セオドアは言い返す。
婿養子の立場で苦労しているからか、人に取り入る事に熱心なようだ。
「でも、そこまで僕と仲良くしようとしなくても……」
「何を言ってる。もっと自信を持つんだ。フォード元帥を討ち取っただけでも凄いのに、会って間もないヘクター陛下から意見を求められるくらい信頼されているじゃないか。下手な政治家より影響力あるんだぞ」
「そうなんですか?」
「そうだ」
自信なさげなアイザックに、セオドアが力強くうなずく。
そう言われても、アイザックはイマイチ実感がない。
前世でそこまで大きな事に関わった事がないからだ。
しかし「凄い」と言われて調子に乗ると、また痛い目に遭いそうだ。
とりあえず、アイザックは相槌を打ち、話題を変えて「自分がいかに凄いか」という話から離れていった。
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