第217話 ギャレットの誤算
ヘクターと会った翌日、アイザックはランドルフと共にギャレットと会っていた。
場所は街道上で騎乗したまま。
これはお互いに問題が起きた場合、すぐに逃げられるようにするためだ。
安全というのは大事である。
「話したい事とはなんだ?」
ギャレットの表情は「警戒している」という胸中の思いを隠さないものだった。
それもそのはず、昨日アイザックに対して攻撃的な発言をしたばかりだ。
「何かを仕掛けてくる」と思い、警戒していた。
だが、彼に話しかけたのはアイザックではなく、ランドルフだった。
「捕虜について伝えておきたかった事があります。我々はソーニクロフトでの戦いで一万人ほど捕虜にしました。講和交渉が終わったあとの彼らの取り扱いについて話しておきたかったんです。昨日は話題に出すどころではなかったので」
ランドルフの隣でアイザックが悔しそうな顔をして下唇を噛んでいる。
その姿を見て、ギャレットは「交渉の席から外される事になったのだろう」と判断した。
まだ出席する事ができるのなら、交渉の席で捕虜の事を持ち出せばいいだけだ。
別途交渉の場を設ける必要などない。
その事から、ギャレットは勝ちを確信した。
今朝方、ファーティル王国からの使者が「重要な決断が必要になるので、ヘクター陛下が交渉する」と言っていた。
――外務大臣のグレンヴィル伯爵には任せられない重要な決断。
これを「ヘクターは割譲を真剣に考えている」とギャレットは受け取っていた。
メナス公爵を説得する使者まで出すのだ。
「アイザックを交渉の場から排除する」という狙いは成功しているはずだった。
(グレンヴィル伯爵が交渉から外されるのは痛いが、差し引きプラスだな)
そのようにギャレットは思った。
さすがにフォード元帥に勝ったアイザックを悪く言ったのが悪かったのだろう。
ヘクターに不信感を植え付ける事に成功しても、リード王国側への配慮からグレンヴィル伯爵が交渉から外されてしまった。
彼が全権を委任されていれば、本当に東半分を割譲させる事ができたかもしれない。
だが、アイザックによって阻まれた可能性もある。
ベストの結果ではないが、メナス公爵領を含む一部地域を手に入れられればそれでいい。
ファーティル王国の東側、四分の一でも手に入れられれば一息つけるようになる。
平原や森など、まだ手付かずの場所はたくさんある。
そういったところを国を挙げて開拓を行う。
そうすれば、飢えに苦しまずに済むようになるはずだった。
「捕虜か……。一万という事は、テスラ将軍が降伏したようだな。無事か?」
「いえ、テスラ将軍は降伏するまでの間に亡くなっており、エルフによる治療はできませんでした。騎士トムも戦死しています」
ランドルフが答えると、ギャレットは渋々彼の主張を認めるしかなかった。
昨日会った時に腹芸ができるタイプではない事がわかっている。
本当に戦死したのだろうと思われる。
降伏後に嬲り殺しにあったのではないのが救いだ。
「それは残念だ。捕虜はファーティル王国に引き渡しておいてほしい。その方が交渉も一本化できるし、彼らも交渉の材料を得られて喜ぶだろう」
基本的に捕虜は身代金を支払って返してもらう事になる。
いくら払って返してもらうかをリード王国側と交渉するよりも、ファーティル王国側と交渉した方が楽になる。
「捕虜を返してもらうかわりに、この地域を諦めよう」と言って、金銭を払わずに返してもらう事ができるからだ。
本当にファーティル王国の東半分を欲しがっているわけではないので、ただで返却してもらえるも同然となる。
リード王国側と交渉する理由はなかった。
「わかりました。では、捕虜はファーティル王国と交渉する事にしましょう」
ランドルフの答えにギャレットは満足していた。
アイザックがファーティル王国から、いくらふんだくろうが知った事ではない。
「憂さ晴らしにいくらでも奪い取ってくれ」というのがギャレットの思うところだった。
「そちらにテスラ将軍達と親しかった方はおられますか?」
ここでずっと悔しそうな顔をしていたアイザックが動く。
アイザックの意図はわからないが、無視できない問いかけだ。
ギャレットはフェリクスを見る。
フェリクスはうなずいて了承の意を示す。
「私だ。なんだ、テスラ将軍をけなしたいのか?」
当然「ロクな話題ではないだろう」とフェリクスは思っていた。
その感情が言葉に現れる。
しかし、アイザックは平然としたものだった。
「そのようなつもりはありません。ノーマン、フェリクスさんに剣と遺髪を」
アイザックが命じたのは、鎧を着ているものの「文官です」と雰囲気で主張している若者だった。
彼がフェリクスにゆっくり近づいてくる。
剣を持っているので、フェリクスもそっと腰の剣に手を当てる。
「レオ将軍、テスラ将軍、騎士トムの遺髪です。それと、騎士トムが持っていた剣をお返しします」
ノーマンが三つの小袋と剣をフェリクスに差し出す。
フェリクスは呆気に取られながらも、それらを受け取った。
剣がやけに軽い事に気付き、鞘から抜く。
「剣が砕けている……」
剣の根本から先がなかった。
刀身の断面から、折れたのではなくボロボロに崩れ落ちた事が見て取れた。
その事から、この剣を魔剣として使った事を察する事ができた。
「騎士トムの剣は僕に届きました。腹を切られてしまって、死ぬかと思いましたよ」
アイザックは腹を鎧越しにさする。
トムに切られたところだろう。
「単身で敵陣に乗り込み、決死の覚悟で敵将の首を取ろうとする。とても勇猛果敢な方でした。騎士トムの勇気に敬意を払って、剣と遺髪をお返しします。彼らの遺体はソーニクロフトで他の兵士達同様丁重に弔っていますのでご安心を」
アイザックは「暗殺しに来る外道」と罵りたかったのだが、それはマットとトミーの手前なのでやめておいた。
代わりに「勇気のある者」と評する事で、間接的に二人を褒める方向で話す事にしておいた。
「マット達を褒めている」と思えば、トムを褒めるのもギリギリ我慢できる。
だが、フェリクス達には言葉通りに聞こえていた。
――自分の命が危うかったのに、命を狙った者を高く評価する豪胆な若者。
アイザックの事が、彼らには立派な姿に見えていた。
特にフェリクスには。
彼はアイザックの事を曽祖父や母の仇にしか思えなかった。
そんな自分との器の違いを見せつけられ、復讐しか頭になかった自分の事を強く恥じる。
――人を罠に陥れて、高みから見て喜ぶ外道。
そう思っていたアイザックが、想像とは違って人の心を持っているように感じられた。
「ありがとうございます。よろしければ、彼らの最期を教えていただけませんか?」
そのせいで、フェリクスは話しかけてしまう。
先ほどまでは声を掛けるどころか、視界にすら入れるのが不愉快だったのに不思議なものだ。
「もちろん、かまいませんよ」
アイザックは快く頼みを聞き入れてくれた。
彼らの最期を話し始める。
・レオ将軍は、奇襲に失敗した事を悟り、兵士を逃がすためにしんがりを務めた。
・テスラ将軍は、ランカスター伯爵の軍に重傷を負わされ、おそらくそのまま死んだ。
・トムは、テスラ将軍の首を持って本陣を訪れ、アイザックを殺そうとしてランドルフに殺された。
テスラ将軍が傷を負っていた事はフェリクスも知っている。
自分と別れたあとに亡くなったのだろうと思うと、涙がこみ上げてくる。
フェリクスは親しかった者達の最期を聞き、彼らの死を悼む。
他の者達も同様だったが、それ以上に気になる事があった。
――ランドルフの事だ。
彼はアイザックと同じく覇気をまったく感じられない。
トムを討ち取るほどの腕前を持っているとは思えなかった。
だが、トムの剣がある現実を否定できない。
そのせいで、ランドルフは「わざと弱そうなフリをして、人を油断させる事に長けている」と、アイザックの父親らしい評価をされる事になった。
アイザック達は「もう用事は済んだ」と帰っていった。
彼らの後ろ姿に視線を向けたまま、フェリクスはギャレットに話しかける。
「陛下。アイザック・ウェルロッドは思っているほど悪人ではないのかもしれませんね」
「騙されるな。そうやって自分の評価を変えようとしているだけかもしれん」
ギャレットはアイザックの狙いがわからないので警戒したままだ。
フェリクスも少し気を取り直した。
「そうでした。ああ見えてやり手の謀略家でしたね」
「父親のランドルフも、ああ見えてかなりの武闘派らしい。あの親子は厄介な敵になるぞ」
――アイザックが知恵を出し、ランドルフが実行する。
親子の相性は抜群だ。
戦場で会いたくないコンビだが、ランドルフはギャレットと同じ年齢。
アイザックなど二十歳は若いので、死ぬまで待つという事ができない。
ずっと敵として対峙せねばならない相手だった。
「今だけは相手をしなくて済んだ事を喜ぶべきだな」
なりふり構わず、初手でアイザックを交渉の席から外しにかかるという判断が成功だったと、ギャレットは胸を撫で下ろしていた。
----------
さらに三日後、ウィンザー侯爵家の軍が到着した。
予想よりも三日程度早いが、それは軍の様子を見れば理由がすぐにわかった。
誰も彼もがへとへとになって疲れている。
よほど急いで来たのだろう。
強行軍を続けていたという事が一目瞭然だ。
(これで戦うつもりなのか? それとも、道中で休戦を知ったから急いだだけか?)
アイザックはウィンザー侯爵家の指揮官に不安を抱いた。
ここまで兵士が疲れ切っていては、戦場で一方的にやられるだけだ。
急ぐのは大事だが、それはあくまでも戦える体力を残したうえでの事。
戦場に到着する事だけが目的ではないのだから。
ウィンザー侯爵家の軍から、十騎ほどの騎兵が陣地に向かってくる。
立派な鎧を着ているので、指揮官だろうと思われる。
彼はランドルフの姿を見付けると、一直線で駆け寄ってきた。
「ランドルフ! 戦いは終わったのか?」
指揮官はパメラの父親であるセオドアのようだ。
彼の顔には焦りがある。
「今は講和交渉中だよ」
「あぁ、なんて事だ……」
セオドアは両手で頭を抱え込んだ。
見るからに気落ちしている。
「ランドルフ、私の立場を理解しているだろう? 少しくらい残しておいてくれてもいいじゃないか……」
どうやら戦えなかった事を悔やんでいるようだ。
(そういえば、この人って婿養子だっけ。確かに手柄を立てておきたいところだったろうな)
アイザックは彼の様子を見て「家の中での立場を確保したかったのだろう」と思った。
アリスからセオドアの話を聞いた時に、彼の事は「妻の尻に敷かれている夫」という印象を受けていた。
戦場で手柄を立てていれば、一気に扱いが変わっていたかもしれない。
今回の戦争は、人生を変える大きなチャンスだったのだろう。
なのに、戦場に到着した時には全て終わっていた。
悔やんでも悔やみきれないところだろう。
「しかも伝令に聞いたぞ。お前、あのトムを討ち取ったんだって? 羨ましいなぁ、もう。おめでとう。ランカスター伯爵もテスラ将軍を討ち取ったそうですね。おめでとうございます」
悔しがりながらも、セオドアはちゃんと祝いの言葉をかける。
彼は馬から降りると、ゆっくりとアイザックに近付いて両肩を掴む。
「フォード元帥を討ち取ったんだって? 本当に凄いよ、おめでとう。でも、戦争を終わらせるのが早過ぎると思わないかい?」
「ありがとうございます。でも、その……。あちらが講和しようと言いだしたので、問答無用で襲い掛かるわけにもいかず……」
彼もランドルフ同様に温和な顔付きをしているが、鬼気迫るものを感じさせられていた。
そんなセオドアに迫られて、アイザックは腰が引けていた。
「君の言う通りだとはわかっている。でも……、あぁ……」
セオドアは、また両手で頭を抱えてくねくねと体を動かす。
戦争に勝ったのは喜ばしい事だが、手柄を立てる機会がなかった事は悲しい。
アイザックも「ウィンザー侯爵家も弱いんだから被害が出なかっただけマシですよ」とは言えなかった。
ウェルロッド侯爵家も被害を出していたが、それ以上の成果を残した。
アイザックだけではなく、ランドルフやランカスター伯爵もかなりの褒美をもらえるだろう。
そして、名声も。
褒美よりも名声が欲しかったセオドアに、アイザックが何を言っても慰めにはならない。
どう対応していいものか困ってしまう。
「ウィンザー侯爵家が到着した事で、講和交渉も有利になります。それに交渉が決裂した場合、活躍する機会が訪れます。まだまだ戦時中です。気を落とさないでください」
せめてもの気休めを言うのが精一杯だった。
ただ、この言葉は嘘ではなかった。
アイザックは、もう二度と危険な思いをしたくはないので戦うつもりなどない。
戦う機会があれば、セオドア達に出番を喜んで譲る。
「確かにまだ講和が決定したわけではないだろうが……」
セオドアはチラリとアイザックの顔を見る。
「考えがあるのか?」
アイザックが講和をぶち壊す事を期待している目だ。
その意味を感じ取り、アイザックはかぶりを振る。
「考えなんてないですよ。そもそも、なんで講和を壊すような事をしないといけないんですか!」
「別にそんな事は期待していない。気のせいじゃないかな」
セオドアはそっと視線を逸らす。
わざとらしいが、不穏な事は何も言っていない。
「アイザックが勝手に思い込んだだけ」と言われたら言い返せない状況だ。
「そうだ。道中、エルフ達を連れた部隊と合流したんだ。案内してこい」
セオドアは部下に命じる。
「エルフ? 何の用だ?」
ランカスター伯爵がアイザックに尋ねる。
追加で来るという話は聞いていなかったので、不思議そうにしていた。
「エルフの村に戦場に連れていくという事と、追加で治療行為の希望者を送ってもらえないか手紙を送っていたんです。多分その答えじゃないかと思います」
最初は
「一応希望者を連れては行くが、村に帰す必要があれば言ってくれ」と使者を送っていた。
ようやく、その返事が来たのだろう。
エルフ
「マチアスさんとクロードさんを呼んできておいて」
エルフの代表者もいた方がいいだろうと思い、アイザックもノーマンに命令を出す。
ウィンザー侯爵家の側からエルフが到着するのと、マチアス達が到着するのはほぼ同時だった。
「レオナール、何をしている」
「親父こそ何をしているんだ、まったく……。クロード、お前がダメだといって止めないでどうする」
「悪かった。けど、必要な事だったとも思っている」
追加のエルフは二十人ほど。
その代表者は、クロードの父であるレオナールだった。
(なんでこの人が?)
この人選にアイザックは疑問を持った。
彼は人間に協力するのに反対している。
そんな者を選んだ事の意図がわからなかった。
「村長から手紙だ」
レオナールはマチアスに手紙を渡す。
一応は長老という事で気を使っているのだろう。
もしかすると、暴走しそうなマチアスへの注意なども書かれているのかもしれない。
読み終えると、マチアスは手紙を懐に閉まった。
「大丈夫だ。問題ない」
「だろうな。戦況は道中聞いている」
手紙にはこう書かれていた。
『戦場で勝っていると断言できる状況なら、人助けをして恩を売ってほしい。もし、引き分けや負けそうな状況なら、エルフの魔法で戦ってくれと言われる前に帰ってきてくれ。その辺りの判断はレオナールに任せる』
アロイスも村長である。
恩を売るべき時には恩を売り、将来のためにより良い関係を構築しておきたいと思っていた。
だから、念のために志願者を戦場に送り、治療行為に従事させる用意をしていた。
それと同時に、深入りさせられそうなら引く事も考えていた。
元々、演習という事で協力をしていた。
「本当の戦争に駆り出されるとは思わなかった」と主張すれば文句も言えない。
引き分けていたら、レオナール達に戦場にいる者達を説得させて連れ帰る予定だった。
ここで問題になるのが、マチアスとクロードだ。
マチアスは人間との関係が深い。
クロードはアイザックが幼い頃から一緒にいるので、情が移っているかもしれない。
なので、肉親のレオナールに代表者を任せ、二人を説得する役目を託していた。
だが、その必要はもうない。
戦争は終わりそうで、戦場でも大勝利を収めている。
あとは治療行為などで、人間に恩を売るだけだ。
「親父が迷惑を掛けなかったか?」
「大丈夫ですよ。それどころか、クロードさんに命を助けられました」
「ほう、クロードが」
レオナールだけではなく、セオドアも興味深そうにしている。
それを見て、アイザックは提案をする。
「それでは、どこかで落ち着いてお話ししましょうか。時間はいくらでもありますし」
動きのない戦場は暇だった。
トランプなども持ってきていないので、お喋りくらいしか暇潰しができない。
こうして新たに話し相手が増えたのは歓迎するところだった。
もちろん、警戒を怠ったりはしない。
ロックウェル王国軍が突然動く可能性もある。
メナスから使者が帰ってきてからが本番とはいえ、まだ油断できる状況ではなかった。
ただ束の間の休息を楽しむというだけである。
「セオドア達もランカスター伯爵のように驚いてくれるかな?」と思うと、アイザックは少し愉快な気分になっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます