第216話 本当の裏切り者

 アイザックの希望はすぐに叶えられた。

 どうやら国王のヘクターも直接話してみたいと思っていたようだ。

 アイザックはランカスター伯爵とハリファックス子爵の二人と、供回りを連れて王宮へ向かう。

 案内役はファーティル王国内に入ってから一緒に行動しているパートリッジ子爵がしてくれていた。

 ランドルフとクリストファーは、ロックウェル王国軍が動いた時に備えて部隊に残っている。


(酷いもんだな)


 王宮へ向かう途中で、アイザックは街の門を確認する。

 門に使われていたであろう石が地面に埋まっている。

 話に聞いていた通り、魔法で地面に穴を掘られて壁を崩されたのだろう。

 地面にベッタリと染み付いた血の跡が、門周辺での戦闘の激しさを物語っている。


「ここからは降りていくぞ」


 ランカスター伯爵が馬から降り、城門付近にいた兵士に預ける。

「馬が瓦礫を乗り越えられない」というのは一目でわかるので、アイザックも彼に従う。

 足元の瓦礫に躓かないように気を付けながら門の残骸を乗り越えた。


「うわぁ……」


 街中の様子を見て、アイザックは声に出して街の惨状に驚いた。

 道沿いの家は崩れ、道を塞ぐように倒れている。

 魔法で崩したのだろう。

 家の残骸は急増の防護壁として使えるように手を加えられていた。

 確かにこれでは馬に乗ったままだと王宮に向かう事ができない。


 壊された防護壁の隙間を通る時、多くの死体が散乱しているのが嫌でも目に入る。

 ファーティル王国の兵士達が死体の片付けを行っているが、まだ防護壁付近に両軍の兵士の死体が倒れている。

 鎧を着ていない者までいた。


「市街戦って、こんなに激しいの?」

「いえ、ここまでのものは見た事がありません。攻撃によって建物が崩れる事があっても、防衛側が家を壊して即席の防衛陣地にするなど初めて見ます」


 マットに尋ねると、彼もこのような状況を見るのは初めてのようだ。


(傭兵だったマットも見た事がないって言うのはよっぽどだな。市民も自主的に手伝うほど慕われているのかな?)


 鎧を着ていない死体は年齢や服装もまちまちだった。

 軍に協力をしていた市民だと思われる。

 アイザックがそう思ったのは、今までに志願兵を見ていたからだ。


 主に略奪の被害に遭った村人達だったが――


「戦えないが水汲みを手伝う」

「馬の世話ならできる」


 ――と言って、道中に手伝いを申し出てくる者達がいた。


 防護壁の建設を手伝うだけでも、十分に戦争の役に立つ。

 きっと、この街でもロックウェル王国軍と戦うために志願した者達がいたのだろう。


(エルフに頼んで治療を手伝ってもらうのもいいな。兵士だけじゃなく、一般市民を治療する方が良い事をしているっていう気分になるしな。……でも『非戦闘員まで戦争に巻き込むのか』と思われるかもしれないから難しいところだ)


 死体を見て、時々吐きそうになりながらも、アイザックはこれからの事を考えていた。

 ロックウェル王国に悪名を背負わせても結果は同じ。

 人間全体・・・・に不信感を抱かれるかもしれない。

 ファーティル王国に恩を売るのと、どちらを選ぶか難しい問題である。


 いくつか防護壁を抜けると、綺麗な区画が現れた。

 そこには馬車が用意されていた。

 ここから先はもう防護壁がないのだろう。

 ありがたく使わせてもらう事にした。



 ----------



 あまり大勢の前で話せる事でもないので、少人数での会議をアイザックは希望した。

 ファーティル王国の出席者はヘクターとソーニクロフト侯爵。


 ――そして、外務大臣のグレンヴィル伯爵。


 その他、秘書や護衛といった者達が同席しているだけだ。

 これは話し合いが失敗した時に、被害を最小限に抑えるための考えだった。

 大勢の前で失敗するよりも、少数の方が説得したり、口止めしたりするのがやりやすい。


(けど、警戒し過ぎだったかな? 国王自ら迎えに来てくれたくらいだし)


 アイザック達が王宮に着くと、盛大な歓迎を受けた。

 門のところからずっと兵士や使用人達が並び、拍手や歓声を投げ掛けてきてくれた。

 そして、王宮の玄関口にヘクター自らが出迎えに出ていた。

 その歓迎の仕方からは「アイザックが戦争の元凶だ」と思っているような感じはしなかった。


(いやいや、まだ油断はできない。国王自ら露骨な態度を見せるはずがないんだ。腹の内を隠して歓迎しているフリをしているだけかもしれない)


 油断する事の危険性は嫌というほど思い知っている。

 話が終わるまで結論付けるのは、まだ早い。


「この度はお時間を取っていただき、誠にありがとうございました」

「気にするな。私もフォード元帥を討ち取った者を早く見てみたかった」

「フォード元帥を直接討ち取ったのは、こちらにいるマットです。隣のトミーはシャーリーンを討ち取りました」

「おぉっ! 英雄の揃い踏みだな。あとはそなたの父とも会いたいものだな」


 まずは軽い話題から入る。

 ヘクターは、アイザックが重要な話題をいきなり持ち出すのを避けた。

 その前に、友好的なムードを作っておきたかったからだ。

 アイザックもその考えに乗り、雑談を続ける事にした。


「ソーニクロフト侯、よき親族を持ったな」

「はい、マーガレットは良き息子を生み、素晴らしい孫を育ててくれました」


(ついでに混乱も生んでくれたけどな。でも、知らないのも無理はないか)


 家族内で後継者争いの裏事情を知っているのはアイザックくらいだろう。

 ウェルロッド侯爵家傘下の貴族達は口をつぐんでいるので、マーガレットが裏でやっていた事は広まっていない。

 表向きは普通の祖母として見られているはず。

 ソーニクロフト侯爵のような感想を持つのが一般的だった。


「先代ウェルロッド侯もやり手だったが、戦争の才能まで兼ね備えていたとは聞いた事がない。これからも仲良くやっていきたいところだ」


(きたっ)


 アイザックは、この「仲良くやっていきたい」という発言を待っていた。

 たとえ本心でどう思っていようと、世間話の中ではこういった発言が出てくるという事は予想していた。

 この言葉をきっかけに例の話題に触れる事で、ヘクターに少しでも「言葉にした以上、アイザックを信じないといけない」と思う方向に思考を傾けたかったからだ。


「僕も仲良くやっていきたいと思っています。ですが……」


 アイザックは顔を曇らせる。

 今にも泣きそうな表情だが、涙は出ない。

 そんな事ができるほどアイザックの演技は上手くなかった。


「もしかしたら、グレンヴィル伯から陛下もお聞きになられたのではないでしょうか? 僕がこの戦争を引き起こしたという事を」

「うむ、聞いている。だが、攻めると決めたのはギャレットだ。援軍に来てくれた事には感謝している」


 ヘクターは気にしていない・・・・・・・という態度だった。

 しかし、それではいけない。

 援軍に来てくれた事には・・感謝していても、疑惑が多少なりとも心の中に残っているという事だ。

 今後の事を考えると、その疑惑を限りなくゼロに近付けておかねばらなかった。


「ですが、それはまったくの嘘なのです。事実など微塵もありません。なぜあんなこじつけを言われたのかわかりません」


 アイザックは外務大臣の方をチラリと見る。

 視線を向けられ、グレンヴィル伯爵が自分の言い分を述べる。


「ギャレット陛下の言葉には説得力があった」

「説得力? ありましたか? そんなもの」


 アイザックはフッと鼻で笑う。

 グレンヴィル伯爵がピクリと眉をひそめる。

「爵位を継いでもいない子供」に鼻で笑われたのがムカついたのだろう。

 だが、それは一瞬の事。

 すぐに平静に戻った。


「陛下。もし僕がギャレット陛下の命を狙っていたのならば、ウェルロッド侯爵家とランカスター伯爵家だけで援軍に来たりはしません。最低でもウィンザー侯爵家と共に来るでしょう。ギャレット陛下の首を取るのなら、王国正規軍も一緒に連れてきているはずです。なのに、たった二万の兵しか連れてきていません。ギャレット陛下の首を狙うなら、ウィンザー侯爵家の軍も一緒にいてもおかしくないはず。ですが、ウィンザー侯爵家の到着はあと一週間はかかるでしょう。道理に合いません」


 アイザックの説明を聞いて、ヘクターは「ふむ」と呟き、顎に手を当てる。

 何か考えているようだ。

 ここでアイザックは、さらに追加で説明を始める。


「『なぜロックウェル王国の動きに気付いたのか?』と思われているのかもしれません。ですが、これは簡単に説明ができる事です。陛下が即位された時、どのような事を考えておられましたでしょうか?」

「どのようなと言われても……、早く結果を出して立派な国王になろうという事くらいか」


 ヘクターは「なぜそんな事を?」と思ったが、正直に答える。

 それはアイザックが引き出したかった答えだった。


「僕は同じ事をギャレット陛下が考えていると思いました。即位から二年。結果を出そうと行動し始める時期です。二十年前の戦争も、先代のサイモン陛下が即位してから三年目だったはずです。ロックウェル王国の国民にわかりやすい結果とは何か? それは旧領統一だと思います」


 アイザックが「読み書きや計算はできるから、この世界の歴史を優先的に勉強しよう」と思っていた事が役に立った。

 そうでなければ、サイモンの即位から三年目の侵攻など知っているはずがなかった。


「確かにそうかもしれん」

「僕は過去の行動だけではなく、ロックウェル王国の近年における行動を分析し、そろそろ動き出しそうだなと思ったので演習と称して兵を集めておいただけです。ロックウェル王国が攻めるかもしれないと言っても、誰も信じてくれない。そう思いましたので詳しく話さなかっただけです。そこに付け込まれました」


 アイザックは「偶然タイミングが合った」と説明はしなかった。

 誤解されている今の状況で偶然などと言っても、誰も信じてくれないと思ったからだ。

 そのため、どこか恥ずかしく感じながらも「自分はロックウェル王国の動きを読んでいた」という説明をする事にした。


「同盟国であるファーティル王国のために行動したのに、なぜ僕が戦争の黒幕のように思われるのか……。そして、なぜグレンヴィル伯が『同盟国の人間を信じている』と否定してくれなかったのか……。僕にはよくわかりません」


 アイザックは、また泣きそうな顔をする。

 まったく涙が出てこない。

 自分の大根役者っぷりを情けなく思う。

 そのおかげで、本当に少しだけ泣けそうだった。

 そんなアイザックの態度は「涙を堪えている」と周囲に受け取られた。


 ――ファーティル王国のために行動したのに、信じてもらえない辛さ。


 だが、ヘクターの前でみっともなく泣く事はできない。

 まだ成人していない子供という事が、周囲に「嘘泣き」ではなく「堪えている」という印象を与えていた。


「私は信じている。しかし、領土の一部割譲となると、領地を治めていた領主の中には信じてしまう者もいるかもしれない。そのような者は私の方で誤解を解いておこう」


 ヘクターはアイザックを気遣う。

 確かに救国の英雄で気遣うだけの相手ではあったが、それ以上にリード王国の者達への配慮でもあった。

 アイザックはウェルロッド侯爵家の後継者であり、エリアスのお気に入りでもある。

 不興を買ってしまっては、ファーティル王国全体の不利益となる。

 将来の事を考えると、子供だからと蔑ろにはできなかった。


「領土の割譲? 誰にそんな事を言われたんですか?」


 だが、アイザックは「ヘクターの配慮」ではなく「領土の割譲」の方に反応した。

 

「グレンヴィル伯だ」

「王都にまで攻め込まれている不利な状況。早期講和を目指すなら東部の一部を割譲するのもやむを得んだろう」


 グレンヴィル伯爵は講和のためには仕方がない事だと言う。

 しかし、アイザックには違和感しかなかった。


「早期講和ですか……」


 アイザックはグレンヴィル伯爵を見る。

 彼に対する意趣返しの糸口が見つかったからだ。


「なるほど。陛下、裏切り者はロックウェル王国ではなく、ファーティル王国にいたようです」

「言い掛かりだ!」


 グレンヴィル伯爵が自分の事を指して言っていると気付き、声を荒らげて否定する。


「なぜ今の状況で早期講和する必要があるんですか? 戦争が始まってから王都にまで来るのが早い。相手の引き際も早い。だからといって、講和まで早く決める必要なんてないんですよ。そうは思いませんかランカスター伯爵?」

「私かね!? 今は一伯爵なので滅多な事は言えないが……。一般論として言わせてもらうなら、慌てて講和をする必要などありません。時間が経てば経つほど援軍が到着するからです。あと一週間ほどでウィンザー侯爵家が、さらに一週間で正規軍が到着するでしょう」


 ランカスター伯爵の言葉の後半はヘクターに向けられていた。


「確かにその通りだ」


 正直なところ、ヘクターは早期講和のためにどうしたらいいか迷っていた。

 アイザックが言ったように、今回の戦争は何もかもが早い。


 ――いつもとは違う戦争。


 その強い衝撃が判断力を鈍らせていたようだ。

 落ち着いて考えれば、早期講和など愚策。

 一寸たりとも領土を割譲してやる理由などなかった。


「こうなると、陛下におかしい判断をさせようとしていた者の存在が浮き彫りになります。その者は外務大臣という地位にありながら敵国の言う事を鵜呑みにし、同盟国から援軍に来た者を疑い、悪評を陛下に吹き込みました。さらには国土を売り渡そうとしております。ロックウェル王国と何らかの密約を結んでいる可能性が高いのではないでしょうか?」


 言い掛かりには言い掛かりである。

 本当に裏切っているのかなど知った事ではない。

 ただ、グレンヴィル伯爵を放置しておけば、アイザックの評判が悪くなる。

 ここで裏切り者というレッテルを貼ってしまえば、彼の言う事を誰も信じなくなるだろう。


 アイザックは自分の身を守るために、グレンヴィル伯爵を奈落に落とす事にした。

 本当に裏切っているかもしれないし、無能なだけでも、それはそれで表舞台から退場してもらった方がいい。

 ギャレットの言う事に同調するような者なので、同情の気持ちなど微塵もなかった。


「……グレンヴィル伯。何か申し開きはあるか?」

「私は裏切ってなどおりません。ファーティル王国のためになる事を考えての行動です」

「国土を売り渡す事がですか?」


 グレンヴィル伯爵の言葉を、アイザックは一言で切って捨てた。

 ギャレットにやられてイラついた事をやってやったので、少し気分が晴れるような気がする。


「陛下。ロックウェル王国に領土を割譲すれば、国が亡ぶきっかけになりますよ。彼らは農作物の取れる土地を求めています。食料をある程度自給できるようになれば、次は余裕を持って攻め寄せてくるでしょう。食料と鉄。その両方を自給できる国が強いというのは、リード王国を見ていただければおわかりいただけると思います。今度はファーティル王国全土が占領されるかもしれません」

「そうかもしれんな」


 ヘクターはグレンヴィル伯爵を疑いの目で見始める。


 ――なぜ、早期講和を主張していたのか?

 ――なぜ、アイザックに戦争の責任を負わせようとしたのか?


 考えれば考えるほど「怪しい」という思いが大きくなっていく。

「なんでこれほど大規模な軍の動員に気付かなかったんだ?」と思っていた事もあり「彼が情報を握り潰していたのではないか?」とすら疑い始めていた。

 当然、グレンヴィル伯爵もヘクターの態度が変わりつつある事に気付いていた。


「陛下っ! 私は長年ファーティル王国のために働いてきました。同盟国とはいえ、ポッと出の子供の言う事を信じられるというのですか?」

「長年働いていたからこそ、不満を持つという事もあるでしょう」


 アイザックはグレンヴィル伯爵に言い訳をさせるつもりはなかった。

 ここで一気に追い詰める。


「お爺様が外務大臣なのでよくわかります。事あるごとに各国から多くの贈り物が我が家にも届けられています。グレンヴィル伯爵がロックウェル王国から多くの贈り物を届けられて『ロックウェル王国はこんなに重要な存在だと思ってくれているのに、祖国は……』と思って、裏切りを決意したとしても不思議ではありませんよね」


 グレンヴィル伯爵は領地持ちではない宮廷貴族だという事は、前もってランカスター伯爵から聞いていた。

 領地を持たない貴族は、働いて得る金と爵位に見合った貴族年金くらいしか収入がない。

 そんな生活だったのが、外務大臣になって一変。

 多くの贈り物を貰えるようになり、豊かになれば「今までの暮らしはなんだったのか」と思っても不思議ではない。

 その点を突き、アイザックは彼を責める。


 人間とはつじつまが合えば、その話を信じてしまう生き物だ。

 ハッキリとした答えを求めている時には特に。


「陛下、私は本当に……」


 グレンヴィル伯爵の顔が青ざめている。

 この流れはマズイと感じているのだろう。

 その表情が、ヘクターの「本当に裏切っているのでは?」という疑念を強くしてしまっていた。


「グレンヴィル伯爵、ご苦労だった。しばらく屋敷で休むといい。交渉は私が自ら行う」

「陛下!」

「連れていけ」

「そんな……、陛下! 何かの間違いです。陛下! 陛下!」


 グレンヴィル伯爵は部屋にいた騎士によって部屋から連れ出されていった。

 本当に裏切っているのかどうかはわからない。

 だが、裏切っている可能性のある者に、これからの話を聞かせるわけにはいかない。

 今までの働きもイマイチだったので、彼にこだわる必要もない。

 事実上の更迭であった。


「さて、アイザック。まずは詫びねばならん。フォード元帥を討ち取るほどの者という事で『少しは可能性はあるかもしれない』と思ってしまっていた。申し訳ない」

「なんともったいなきお言葉。疑念を抱かせた私の落ち度でもあります。誠に申し訳ございませんでした」


 ここでヘクターの謝罪を「仕方ない、許す」などと偉そうに受け取るわけにはいかない。

 相手が悪いと思っていても、お互いの立場に差があり過ぎる。

 アイザックも謝罪する事によって、ヘクターに配慮している姿勢を見せる。


「もし、これからの行動について意見があるのなら教えてくれ。是非とも聞いておきたい」

「そうですね……。では、メナスに使者を送りましょう。ロックウェル王国に『領地を明け渡すよう説得する』とでも言えば使者を通してくれるでしょう」

「なにっ!? それでは先ほどと言っている事が違うではないか!」


 アイザックは領土の割譲に反対していた。

 なのに、今度はメナス公爵に「領地を明け渡せ」という使者を送れという。

 あまりにもちぐはぐな意見に、ヘクターは困惑していた。


「領地を明け渡すというのはロックウェル王国側に対する言い訳です。実際はただの時間稼ぎですよ。それに、メナスがどうなっているかの確認のためでもあります」


 ここでアイザックは、メナスの事を説明し始めた。

 メナスを包囲している軍は仮初の兵士である可能性が高い。

 しかし、それはあくまでもアイザックが立てた仮説である。

 本当のところがわからない。


 もし、メナスを攻撃しているようであるならば、メナスを包囲している軍は本物。

 ロックウェル王国軍が十万程度は残っている事を前提に動かなければならない。

 しかし、メナスを包囲しているだけで攻撃をしていなければ、メナスを包囲している軍はアイザックの考え通り数合わせの偽物である可能性が高い。

 その場合、ロックウェル王国軍はアスキス周辺にいる六万程度である。

 ウィンザー侯爵家と正規軍が到着すれば、正面から戦えるだろう。


 メナスの情勢は今後に大きく影響する。

 講和の準備を装って使者を送り出し、メナスの状況を確認する。

 それがアイザックの言いたかった事だった。


「確かにそれは良い考えだ。交渉を露骨に引き延ばすのではなく、前向きに考えるための行動だと思うので怪しんだりはしないだろう。メナスまでは片道十日ほど。往復で三週間ほど時間を稼げる。その間に援軍の後続も到着するから、戦闘再開となっても戦う準備が整っている」


 ソーニクロフト侯爵がアイザックの意見に賛同した。

 彼としても将来的な不安の芽は潰しておきたい。

 領土を割譲してロックウェル王国の国力を増大させるよりも、それを避ける選択肢を選びたいと思っていた。


「ギャレット陛下が僕の信用を無くそうとしたのは、リード王国からの援軍に不信感を抱かせて早期講和に持ち込むためだと思います。理由は簡単。彼らは短期決戦でしか勝ち目がないからです」


 それからアイザックはヘクターに説明し始める。

 感情的になると説得力が落ちるので、努めて平静に落ち着いて話す。


 第一に、ギャレットはリード王国からの援軍が到着する前に決着させたかった。

 そのために、攻め落とすのに時間がかかる要塞都市を避け、王都アスキスやソーニクロフトを狙った。


 第二に、兵糧の不足。

 道中の農村地域を略奪していても、六万もの兵士がいつまでも食べられる量を確保できているはずがない。

 講和交渉中なので、新たに略奪に出かけるわけにもいかない。

 そんな事をすれば、戦争の継続の意思ありと見られるからだ。

 一ヵ月もすれば、食糧不足から脱走兵が出るかもしれない。

 それでも、下手に身動きができない状態だという事。


 第三に、ファーティル王国以外の隣国の動き。

 さすがにこれだけ大規模な動員であれば、国は空っぽになっている。

 早めに戦争を終わらせなければ他の国から攻め込まれる。

 講和に時間がかかればかかるほど、ロックウェル王国は追い詰められていく。


「これらの事から、彼らは条件を提示できる状態ではないという事が推測できます。むしろ、許しを懇願しないといけない立場でしょう。今は講和に前向きなフリをして、希望を持たせてやりましょう」


 アイザックはニヤリと笑った。

 ここに来るまでに、この事ばかりを必死に考えていた。

 今言った事が事実かどうかは関係ない。

 事実のように思える事・・・・・・・・・・を並べたてただけだ。

 ギャレットの足を引っ張る事ができれば、アイザックはそれだけでよかった。

 だが、そう大きく外れているわけでもないとも思っている。


「王都やソーニクロフトにまで攻め込まれて戸惑っておられたのかもしれません。ですが、少し冷静に考えれば領土を割譲する必要などない事に気付けます。脱走兵が出て弱体化したロックウェル王国軍を撃破し、一気にロックウェル王国にまで攻め寄せるなんていう手もございますよ」


 アイザックは一歩踏み込んだ意見まで述べる。


「なるほど。今だに王都の目前にロックウェル王国軍がいたとしても、実質的には我らが圧倒的に有利というわけか。ロックウェル王国にまで攻め込むつもりはないが、今後の事を考えて撃破するというのも悪くないな」


 しかし、ヘクターはそこまでは乗り気ではなかった。

 国を守れたらいいと考えているようだ。


(こんなチャンスなのに?)


 アイザックはその事に疑問を感じた。

 自分がヘクターの立場であれば、逆にロックウェル王国を併合してやるところだ。

 欲のない国王なのかもしれないが、せっかくのチャンスを見逃す理由がわからない。

 だが、アイザックもそれ以上は強く勧めなかった。

 ファーティル王国とロックウェル王国が睨み合ってくれていた方が、自分の将来にとって都合がいいからだ。


「重要な決断をしなければならないからと言って、私が交渉の席に着こう。メナス公爵の連絡待ちという事で会談を長引かせてやる」

「そうしてください。しばらくの間は僕の事を疑っていると思わせるために、僕は会談に出席しないようにします。正規軍が到着した頃にお呼びいただければ助かります」

「うむ、わかった」


 ひとまずは今後の方針が決まり、軽く雑談を交わしてからアイザック達は陣地に帰っていった。

 二人が帰ると、ヘクターはソーニクロフト侯爵に話しかける。


「あの落ち着きようは先代ウェルロッド侯を思い出す。だが、あの者のような怖さはない。しかし、怖さのないところが怖いという感じだったな」

「はい。怖くないのがかえって得体の知れなさを感じさせます。先代ウェルロッド侯とは違うタイプの曲者になるでしょう」


 アイザックの威厳がない事が、逆に強みとなっていた。

 彼らは「国家を転覆させるような陰謀を実行してもおかしくない」という印象をアイザックに持つ事になった。

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