第204話 放たれた矢
月明りに照らされた目の前の宿営地を見ながら、レオは心の中で笑っていた。
今回の侵攻はロックウェル王国の命運を左右するもの。
突如現れたリード王国からの援軍は、作戦計画の根底を揺るがす存在だった。
それだけに奇襲を仕掛けて追い払う事ができれば、功績は高く評価される。
これは「計画通りに動けば勝てる」という状況だった今までではありえない事だった。
ファーティル王国侵攻作戦を考えたのは、フォード元帥とシャーリーンである。
成功すれば彼らの手柄となる。
――では、予想外の援軍を打ち破るという事が何を意味するのか?
それは明白だ。
ロックウェル王国の窮地を救った英雄になれる。
という事は、今回の戦争で引退が有力視されているフォード元帥の後を継ぎ、新たな元帥になるためのアピールができる。
レオは一介の猟師から功績を積み重ねて、フォード元帥によって将軍にまで抜擢された。
そこまで引き上げてくれた元帥の後を継げるというのは光栄である。
もちろん、一介の猟師だった頃には持っていなかった出世欲が膨れ上がっている事も大きく影響していた。
今回の奇襲はレオの前に転がり込んできた大きなチャンスだった。
(特にランドルフという若造が大将なのが美味しい)
レオはジュードを殺して以来、ウェルロッド侯爵家の事をよく調べていた。
だからこそわかる。
――今回のようなチャンスがもう二度とないという事を。
モーガンは外務大臣として、先王サイモンの弔問に訪れた。
なので、ウェルロッド侯爵家の兵を率いてはいないはず。
彼には大臣としての役割があるからだ。
という事は、領主代理を務めるランドルフが領内の兵を率いているはずだった。
ランドルフはウェルロッド侯爵家三代の法則によると、もっとも平凡な男。
しかも、お家騒動の種を蒔くなど、後継ぎとして頼りないところがある。
どうやってこんな短期間で軍を動かせたのか不思議なくらいの人物だ。
色々と黒い噂がつきまとう息子のアイザックが心配だったが、彼はまだ未成年。
あと五年もすれば警戒していたが、学生にもなっていない者が従軍しているはずがない。
――侯爵家の人間を簡単に討ち取る事ができ、大手柄を立てられるボーナスゲーム。
それがレオの認識だった。
その思いは、周囲を警戒するウェルロッド侯爵家の兵士を見て確信に変わる。
(かがり火をたいてはいるものの、見張りの兵士の数が少ないな)
丘の上に布陣している部隊は、多くの人影が明かりで闇夜に浮かび上がっている。
だが、丘の下に布陣しているウェルロッド侯爵家の部隊は、ポツリポツリとところどころに見張りに立っているだけだった。
部隊の規模を考えれば、異常なまでに少ない。
しかも、陣地を囲う木の柵なども作っていない。
あまりにも警戒が甘すぎた。
「まずは見張りをやる。俺が弓を撃ったのを確認してからお前達も撃て」
レオが小声で部下に命令を出す。
元猟師だけあって、最初に矢を放とうと弓を引き絞る。
その時、追加で兵士がやってきた。
(ちっ、交代の兵か)
全員を一度に殺すのは難しい。
誰を狙うかしっかりと話し合っておかねば、標的を撃ち漏らしてしまう危険性があった。
レオはゆっくり弓を引く手を緩めていった。
(さっさと行け)
レオの願いは叶った。
望み通り、
そして、少し離れた位置にある天幕の中へと入っていく。
おそらく、彼らに割り当てられた寝所だろう。
(えっ……、大丈夫なのか? この軍は……)
これから襲い掛かろうとしているレオだったが、思わずウェルロッド侯爵家の規律がどうなっているのかを心配してしまう。
あまりにも兵士の規律が緩すぎる。
見張りが持ち場を離れてサボるなど、通常あり得ない事だ。
(ランドルフを討ち取っても自慢はできそうにないな……)
どうやら噂以上に頼りない男らしい。
兵士達にすら舐められているのだろう。
こんな家柄以外に価値がない男を討ち取っても、誰も手柄とは認めてくれない。
レオのやる気が急速に削がれていく。
「まぁいい、侵入が楽になった。行くぞ」
レオは命令を出すと、自分も小麦畑から抜け出して静かに宿営地に接近する。
この時、兵士達すら誰も声を出さなかった。
夜襲で叫び声を上げながら突撃するのは素人。
戦いが始まるまでは、静かに忍び寄るのが鉄則である。
兵士の練度が低ければ戦場のプレッシャーに負けて叫ぶ者も出てくるが、レオは兵士達に常日頃から隠密作戦を意識した訓練を施していた。
夜襲や伏兵といった、相手の不意を突く戦い方が自分に求められている事を理解しているからだ。
宿営地に近付いても、かがり火を倒したりはしない。
せっかく油断してくれているのだ。
かがり火を倒した音で気付かれてしまうのはもったいない。
ある程度侵入したところで、レオは兵士達に「やれ」と指示を出す。
レオの兵士達は天幕で寝ている兵士達に一気に襲い掛かる。
――だが、異常が起きているという事に気付いた。
「閣下!」
「声が大きい」
「いえ、ですが……。誰もいません!」
「なんだと!」
レオは自分の目で天幕の中を見た。
兵士の姿どころか、毛布の一枚もない完全に空っぽの状態。
明らかにおかしい。
「しまった、これは罠だ!」
レオが誘い込まれたと気付いた時、上空に一本の火矢が放たれた。
それが合図だったのだろう。
距離を取って隠れていた弓兵から雨のように矢が放たれる。
「かがり火を倒しながら引けぇ!」
明かりを残しておけば、弓兵のいい的になる。
音を立てないために残しておいたのが仇となった。
兵士達はかがり火を消そうとするが、慌てていたせいで一部が天幕に燃え移り、新たな光源を作り出す事となった。
それで気付いたのか、ウェルロッド侯爵家の兵士が畑に近い天幕に火矢を撃ち込んで火をつける。
――矢が刺さって悲鳴を上げる者、火が燃え移って喉が焼かれて声なき声を上げる者。
奇襲部隊は混乱の極みにあった。
そこへ追い打ちがかけられる。
「かかれー、かかれー!」
今度は歩兵による追撃だった。
逃げようとするレオ達の背後から襲い掛かる。
(同士討ちを嫌ったんだろうが、もう遅い)
――投入するタイミングを見誤った。
その事がレオの心に余裕を持たせる。
畑の中に入ってしまえば、同士討ちを嫌っている相手は追撃してこないだろう。
撤退は容易。
――そのはずだった。
しかし、畑へ向かった兵士達から悲鳴が上がる。
「敵だ! 敵がいるぞ!」
伏兵は畑の中からも現れた。
炭でも塗り付けたのだろう。
槍や鎧まで真っ黒な兵士だった。
(そうか、さっきの火矢は奴らへの合図でもあったのか!)
侵攻ルートを予測し、レオ達とかち合わないよう遠巻きに待ち伏せしていたのだろう。
――畑の中を通って撤退すると読んで、あらかじめ逃走経路を塞ぐ兵士を伏せておく。
レオはランドルフの仕業ではないと確信する。
噂に聞く限り、他人の考えを先読みするタイプではないからだ。
このような所業を行うのは一人しかいない。
(アイザック・ウェルロッド! 奴も来ていたのか!)
まだ子供という事もあって、戦場に来ていないと思い込んでしまっていた。
(アイザックは人を罠に陥れ、自分は安全圏で高みの見物を決め込む極悪非道の輩。戦場という楽しい遊び場に来ないはずがなかったのに……)
レオは目の前にある状況を信じすぎていた。
――国家の命運をかけた戦いの最中に現れた援軍による戸惑い。
――手柄を立てて、より高みを目指せるかもしれないという欲。
それらが判断力を鈍らせていた。
「街道だ、街道を通って本陣まで撤退しろ!」
レオは右往左往する兵士達に命令を下す。
混乱の中にある時こそ、兵士達にわかりやすい指示を出して動かす。
それは指揮官としては正しい行為だった。
「ぐあっ」
同時に間違った行為でもあった。
命令を出す事によって「ここに指揮官がいる」と知らせてしまった。
レオに気付いた兵士の手によって、足に槍を突き刺される。
「雑兵風情がぁ!」
レオは即座に兵士を切り捨てる。
しかし、足を怪我してしまった事は致命的だ。
逃げる事ができなくなってしまった。
「さぁ、大将首はここだぞ! 手柄が欲しい奴はかかってこい!」
ここでレオは覚悟を決める。
作戦に失敗した以上、その責任は取らねばならない。
足を負傷して逃げ帰る事が出来なくなった今、兵士達を一人でも多く帰す事で責任を取るつもりだった。
もちろん、ただで死ぬつもりはない。
殺到する兵士達を一人でも多く道連れにするつもりだった。
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「かかれー、かかれー!」
ランドルフの叫ぶ声を、アイザックは丘の上から聞いていた。
エルフ達と共に、ランカスター伯爵の陣でお留守番をさせられていたからだった。
戦いを眺めているのはアイザックだけではない。
エルフ達も人間の戦いを見物するために集まっていた。
アイザックは隣に立つランカスター伯爵に声を掛ける。
「上手くいきましたね」
「ああ、マチアス殿が言われた『思ったよりも敵の数が多くて押し切られた』という事が起きなくて本当によかった」
ランカスター伯爵の体は震えていた。
これは恐怖と歓喜によるものだ。
――全て読み通りに進んだ事によるアイザックへの恐怖。
――フォード元帥の部隊を跳ね返した喜び。
この二つが入り混じって、得も言えぬ興奮となっていた。
「こうして高いところから見ると、月明りが剣や鎧に結構反射するものなんだとわかりますね」
レオが攻撃を仕掛ける直前、兵士達が退散したのは畑の中から反射する光が見えたからだ。
素行不良の兵士を懲罰として見張りに置いておいたが、殺さずに済むならそれに越した事はない。
ちょうど「ウェルロッド侯爵家の兵はやる気がない」と思ってくれただろうタイミングで引き揚げる事ができた。
「電気のない真っ暗な時代だと、月明りもなかなか馬鹿にできない」と、アイザックは思い知らされた。
「何を言っている。畑の中に伏せておいた兵士達に炭を塗り付けるように言ったのはお前ではないか。光が反射する事はわかっていたのだろう?」
「いえ、知識で知るのと実際に見るのとでは大違いでした。それに敵がいるかもしれないと意識して見ていなければ気付かなかったかもしれません」
昼間に大量の炊煙をあげた時の燃えカスを使い、鉄の部分を真っ黒に塗るようにアイザックは提案していた。
だがそれは「夜だから黒く塗っておけば近くを通っても見えにくくなる」という、迷彩のために提案したものだった。
この迷彩の発想は「戦場で目立って、そのうえで手柄を立てる」という常識を覆すものだった。
当初は「変な事をするな」と思われていたが、今では合理性を追求した考えだと周囲に受け取られていた。
前世では街の灯りで月明りの明るさなど誤差の範囲だったし、今世では夜は早めに寝る癖がついているので、暗くなってから屋敷の外へ剣を持って出たりはしない。
電気のない世界における明かりの重要性を、アイザックはここで学んだ。
「このあとは、街道を逃げる敵に石礫で追い打ちするんだろう?」
「そういう手筈になっているはずです」
アイザックは残された逃走経路にも、やはり伏兵を用意していた。
街道を逃げる敵には、河原で拾った拳サイズの石を投げつける事になっている。
スリングなどは訓練が必要なので、ほとんどの兵士が手投げである。
さすがに手投げでは、よほど当たり所がよくないと殺せない。
だが、この伏兵は殺す事が目的ではない。
むしろ、殺さない事を目的としていた。
敵兵に負傷して陣地に帰ってくれた方がいい。
指揮官としては負傷者を見捨てるわけにはいかないので、介抱するために人員を割かねばならなくなる。
殺せばそこでおしまいだが、負傷したまま帰ってくれれば、帰った数だけ相手の力を削ぐ事ができる。
強敵と戦わねばならないだけに、少しでもやれる事をやっておかねばならなかった。
「クロードさん。エルフの皆さんも起きている事ですし、もう少しして落ち着いたら治療行為をお願いしてもいいですか?」
アイザックは、他のエルフ同様に戦闘を見物していたクロードに話しかける。
「ああ、大丈夫だと思う」
「お願いしますね。助けられる命は助けたいので」
アイザックの言葉に、クロードは人間の複雑さを感じた。
眼下の惨劇を作り出したのはアイザックだ。
なのに、負傷した兵士を敵味方問わずに治療してほしいと言う。
アイザックの近くにいると、人間というものがわからなくなってしまう。
「あとはマットとトミーが無事に帰ってきてくれたらいいんだけど」
――残酷さと優しさ。
人間はその両方を持ち合わせているが、特にアイザックは顕著のように思える。
今はエルフに優しさを見せているが「いつかエルフにも残酷さを見せる時が来るのでは?」という事を考えると、クロードは寒気で身震いをした。
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ウェルロッド侯爵家の陣地がある方向から火の手が上がる。
夜なのでフォード元帥の陣地からでも、明るくなっているのがよく見える。
見張りの兵士達も「勝ったな」と安心していた。
火の手が上がってからしばらくして、陣地に二人の男が駆け寄ってきた。
一人は真新しい鎧を着た騎士で、どこか初々しさを感じる。
もう一人は、皮の鎧を着た歴戦の傭兵といった雰囲気を放つ男だった。
――今回が初陣のお坊ちゃんとその護衛。
それが兵士達が受けた印象だった。
二人とも血と泥で汚れている。
戦場帰りという事は一目瞭然だった。
「お待ちください。このような時間に何のようですか?」
この時間に出ていった者はいないので敵の可能性もあるが、失礼な口調をして味方だった場合に大変な事になる。
まずは失礼のないように隊長が話しかける。
彼の質問に騎士の方が答えた。
「夜襲は失敗。敵は味方を追撃してこちらに向かってきている」
「なんですと! しかし、火の手が上がっているではありませんか?」
「あれは我らの姿を浮かび上がらせるために燃やしたのだと思う。夜襲によって燃やしたのではない。我らは元帥閣下にお知らせするようにと言われて来たんだ」
「そんな……」
勝ったと思っていたのに、まさかの敗戦。
隊長だけではなく、兵士達も不安そうな表情をする。
「我らは元帥閣下にお知らせする。あの元帥旗の立っている天幕におられるのだな?」
「そうです。部下に案内させましょう」
護衛の傭兵が闇夜に浮かぶ大きな旗を指差しながら話を進めようとした。
フォード元帥にすぐ知らせねばならない情報なので、隊長は部下の案内を申し出る。
「いや、大体の場所がわかれば大丈夫だ。もし手が空いているのなら、撤退してきた兵士達に水を出せるように用意しておいてやってくれ」
「わかった」
「では、早く報告に行きましょう」
傭兵が騎士に行動を促し、フォード元帥の天幕のある方へ駆けていった。
フォード元帥がいると思われる天幕の周囲には、二人の騎士が見張りに立っていた。
元帥の護衛にしては数が少ないが、これは「自分達は攻める側だ」という心理的油断によるものだろう。
『人は自分が守る側だと思えば警戒を厳しくするが、攻める側だと思うと油断する』
マチアス――実際はノーラン――が言っていた通りだ。
フォード元帥も「自分が奇襲する側だ」思っているせいで油断している。
もう一日、作戦の決行が遅ければ警備が厳重になっていたかもしれない。
「トミー、お前は正面から伝令だと言って近付け。その間に俺は奴らの背後に回る」
「わかりました」
天幕に近付く前に二人は別れ、トミーは一人で近づく事となった。
敵陣の中で一人になるのは心細い。
だが、勇気を奮い立たせて、駆け寄っていく。
「元帥閣下への伝令です。お取次ぎをお願い致します」
トミーは騎士の一人に声を掛ける。
騎士達は「こんな時間に何の用だ?」と訝しむが、トミーの鎧が血や泥で汚れているのを見て「夜襲に向かった者か」と理解する。
「ちょっと待っていろ」
騎士の一人が許可を取りに天幕へ入っていく。
その際、天幕の入口から明かりが見えた。
夜襲の結果を知るためにフォード元帥が起きているのかもしれない。
「っ……」
天幕の中に気を取られている間に、もう一人の騎士の背後に忍び寄ったマットがナイフで騎士の喉を切り裂く。
トミーはマットの行動の素早さと、よそ見をしない意思の強さに感心する。
マットは殺した騎士の体を持ち上げ、天幕の横にそっと置く。
ちょうどその時、中へ入った騎士が外に出てきた。
「中へ入って報告せよ。ん? あいつはどこに――」
消えた同僚に気を取られているうちに、こちらもマットが口を塞いで喉を切り裂いた。
先ほどと同じように持ち上げて天幕の横に置く。
引きずらないのは、余計な音を立てないためだ。
トミーはマットと視線を合わせてうなずく。
あとはフォード元帥を仕留めるだけだ。
最初にトミーが天幕に入り、そのあとにマットが続く。
天幕の中には、老人と中年の女がいた。
トミーは「戦場に女連れか?」と思ったが、フォード元帥の部下には四天王筆頭のシャーリーンがいる事を思い出した。
きっと彼女がそうなのだろうと考える。
「ほ、報告致します」
相手は敵である。
だが、本来会う事も許されない大物。
命を狙っているという事もあり、トミーは緊張を隠しきれなかった。
「奇襲は失敗致しました。全てリード王国軍に読まれていた模様です」
「そうか。やはり、あちらの指揮官はただものではなかったか……」
フォード元帥は悔しそうな顔をする。
レオが失敗した時点で、ソーニクロフトを攻略する余裕はなくなった。
あとは本隊が王都アスキスを落とすまで、時間を稼ぐ戦いをするという選択肢しかない。
「それで、レオはどうしてるんだい?」
シャーリーンがレオの様子を尋ねる。
「リード王国軍が奇襲を防いだ勢いのまま、こちらへ攻め寄せる気配がありました。閣下は遅滞戦術を行い、時間を稼いでおられます」
「そうかい。じゃあ、こちらも準備しないといけないねぇ」
シャーリーンはフォード元帥が「レオの結果を見てから行動する」と言った時、万が一を考えて助言をしなかった事を悔やむ。
時間制限のある作戦と予想外の援軍によって、彼女も平静ではいられなかったのだ。
その影響が今になって出てきてしまっている。
「それで、リード王国軍はどこまで来ているのだ?」
「ここです」
トミーの返事に合わせて、二人は剣を抜く。
マットがフォード元帥の首を刎ね、トミーがシャーリーンの胸を貫いた。
これはあらかじめ「フォード元帥は確実に仕留めなければいけないので、マットが担当する」と決めておいたことだ。
――この時点で、初代当主のノーランが考えた「強い奴を暗殺すれば、俺でも戦争に勝てる」という作戦が成功した。
本来は陣地に戻る敵の中に暗殺者を紛れ込ませるのだが、今回は伝令という手段を使って入り込ませる方法を取った。
あとは無事に帰るだけだ。
ここでマットは暗殺の証拠になりそうな品物を探す。
「これを持って帰ろう」
見つけたのは元帥杖だ。
五十cmほどの長さで、装飾が施された金無垢の杖。
これならば「フォード元帥を殺して奪った」という事が一目瞭然だ。
手に持って逃げるわけにはいかないので、背中に入れる。
「トミー、大丈夫か?」
――初めて人を殺したのが、敵陣に侵入しての要人暗殺。
とんでもない初体験で震えるトミーに、マットが気遣う声を掛ける。
「大丈夫です。生きて妻のところに帰りたいですし、アイザック様のためにまだまだ働かなくてはいけません。帰りましょう」
トミーも戦利品として、机に広げられていた地図を懐に仕舞い込んだ。
色々書き込まれているので、きっとアイザックの役に立つはずだという判断からだった。
二人は天幕を出て、陣地から外に出ようと駆け出し始める。
「そこのお二方、どちらに行かれるんですか?」
先ほど出会った見張りの兵士が二人に声を掛けてきた。
さすがに無視をして逃げ出すと怪しまれる。
早く逃げたいところだが、一度立ち止まる。
「報告を済ませたので仲間のところにいく。私達の仲間はあちらにいるんだ」
「なるほど、そういう事ですか。……お気を付けて」
――撤退中の仲間と合流する。
見張りの兵士は、そう受け取った。
それ以上、二人を引き留める事なく見送った。
フォード元帥達の返り血を浴びていたが、最初から血と泥で汚れていたので彼らは気にも留めなかった。
「あの二人、なんかいいな」
「ああ、俺もあんな生き様を見せられるようになりたい」
こんな闇夜の中、たった二人が合流してもたいした役には立たない。
ただの自己満足の類のものだ。
だが、仲間を助けたいという思いは、青臭いが心地の良いものだった。
騎士の護衛をしている傭兵もなかなかのものだ。
これから戦場に戻るというのに、恐れる気配もなく、背筋に一本の芯が入ったようにピンとしていて恰好良かった。
兵士達は戦場にいるからこそ、強くて恐れのない者を尊敬する。
軽く話しただけだったが、二人の姿はロックウェル王国軍の兵士達の心を掴んでいた。
今、トミーが言った言葉は嘘ではない。
ただ、それは道案内をしてくれるファーティル王国軍の騎士と兵士が近くにいるという意味だっただけだ。
陣地から離れたところで彼らと合流し、撤退中の奇襲部隊と遭遇しないよう気を付けながら、アイザックのもとへと帰っていった。
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