第198話 ブラジャーが意味するもの

 本当はウィンザー侯爵家を訪ねてパメラに会いたかったが、祖父との約束があるので行けない。

 来年、学生になれば彼女と会えるようになるので、入学式の日が待ち遠しかった。


(とはいえ、国を乗っ取るには準備がまだまだだ。一番の問題はニコルがどう動くのかだよなぁ……)


 学生になって、ニコルがジェイソン達に目移りしてくれればいい。

 だが、このまま自分一人だけ狙ってくるようなら、計画が大幅に狂ってしまう。


(いっその事、ニコルを篭絡してジェイソンとパメラの仲を裂かせるようにするか)


 ――ニコルが自分にだけ興味を持っているようなら、その気持ちを利用する。


 アイザックはその手もありだと考えた。

 でも、好みでないとはいえ、女の子をそのような方法に使う事には少し抵抗がある。

 しかし、そうでもしなければジェイソンとパメラの関係を壊す事ができない。

 これはアイザックが反乱を成功させるための準備の中で、最も重要な事だった。


 ――もしも、パメラがジェイソンとの婚約を前向きに考えていたら?


 この可能性は十分にある。

 普通に考えれば、アイザックが何をしようとしているのかわかるはずがない。


 ――現状を受け入れて、ジェイソンとの婚約を前向きに考える。


 それがこの世界の貴族令嬢として当たり前の行動のはず。

 その事を考えると、ジェイソンを殺して強引に奪うのは避けた方がいい。

 いくら何でも落ち度のない相手から奪い取るような真似をしたら、パメラだって失望するはずだ。

 ジェイソンがパメラを突き放すような真似をしてくれてこそ、堂々と彼女を抱き締められる。


(今までの反応を見る限り、ニコルは俺の事を悪く思っていないはず。その思いを利用していく事も考えないといけないか)


 嫌ではあるが、一つの方法として考慮しておくべき事だ。

 もちろん、一番いいのはニコルが「いい男だ!」とジェイソン達にがっつく事である。

 だが、彼女が動かない場合を考えておく事も必要だった。

 独自に動きそうにない場合は、自分からニコルに働き掛ける必要がある。


 この点においては、ニコルだけ特別扱いだった。

 アマンダとは違い、都合よく扱っても心が痛まない。

 王太子であるジェイソンとくっつくきっかけを作ってやるのだ。

 それどころか、感謝してくれてもいいとすら思える。

 肉食系女子でいてくれて、唯一よかったと思える事だ。

 気兼ねなく利用できる。


(問題は絶対にミスできないって事だな……)


 一歩間違えれば、そのまま自分がニコルに攻略されてしまうかもしれない諸刃の剣。

 だが、その程度の覚悟もなく国盗りができるだろうか?

 できるはずがない。

 野望を叶えるためには他人を犠牲にするだけではなく、自分も犠牲にする覚悟が必要なのだ。

 その時は王立学院に入学する前の今しかない。

 入学前にしっかりと自分の望む方向に動いてくれるよう、思考を誘導しておく必要がある。

 ニコルと接触する事でミイラ取りがミイラになる危険性もあるが、いつかは実行するつもりだった。


(それにしてもニコルめ。俺を誘惑してきやがって……)


 アイザックは、ニコルがブラジャーの試作品を持ってきた時の事を思い出す。

 両腕で胸を挟んで、さり気なく胸の大きさをアピールしていた。

 あれはただの偶然だったのだが、アイザックは自分が誘惑されているように受け取ってしまっていた。


(ん、待てよ。ニコルが持ってきたのはブラジャー、……ブラジャーか! くそっ、なんで俺は今まで気付かなかったんだ!)


 ここでようやく、アイザックはある事実に気付いた。


(俺だってわかっていたはずじゃないか。なのに、なんで……)


 今まで気付かなかった事を悔やむ。


 ――これまでの時間を無駄にしてしまう新事実の発覚。


 アイザックは、顔を歪ませて本気で悔しがった。


(今までみんな、ノーブラだったんじゃないか! 他の事に夢中になり過ぎて、なんでこんなわかりやすい事に気付かなかったんだ……)


 この世界にブラジャーがない事は知っていた。

 しかし、今まで「シャツの下はノーブラなんだな」と、意識して女性の胸元を見つめたりした事などなかった。

「シャツの下はノーブラ」と意識していれば、きっとメイド達を見る目も変わっていたはずだ。

 貴重な時期を逃してしまった事に絶望する。


(いや、まだだ。まだ発売はされていない。今からでもまだ間に合う。怪しまれないように気を付けながら見てみよう)


 今はニコルのアイデアを実用的な物にするため、研究されているところだ。

 市場にはブラジャーは出回っていない。

 見ようと思えば、いくらでもノーブラの女性を見る事はできる。


(まったく、焦らせやがって。良いアイデアだと思ったけど、それだけじゃないな)


 ブラジャーで女性の胸の形が整うのはいい。

 垂れたりしないよう、形が崩れるのを防ぐ効果もいい。

 だが、それらの効果もノーブラ・・・・というロマン溢れる言葉の前では無力だった。


(もしかしたら、ニコルは未来の女には感謝されても、男に恨まれたりするのかもしれないな)


 アイザックはそんな事を考える。

 女性の胸に関する事だったので、そちらに気を取られてしまっていた。

 そのせいで、他にもっと考えるべき事があるという事には気付かなかった。



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 その日の夜、アイザックはモーガンの部屋に呼び出される。

 部屋の中では、祖父と一緒に父も待っていた。


「呼び出された理由はわかっているか?」

「なんとなくは……」


(胸を見過ぎたか。女は男の視線に敏感とも聞くし……)


「きっとメイドから苦情を言われたのだろう」と思い、アイザックは怒られる事を覚悟した。

 アイザックは背が高い。

 廊下でメイドとすれ違う時に胸を見下ろす形になっても、それは自然の流れに見えるはずだった。

 一時の欲望に負けてしまった自分が恥ずかしい。

 モーガンが話し出すまで、死刑宣告を待つような気分だった。


「わかっているのか……。なら、アマンダへの対応はなんだったんだ? あのような言い方だと、期待を持たせてしまうだけだ。時にはしっかりと否定するのが優しさになる事もあるのだぞ」


 アイザックは目を見開く。

 その反応を二人は「優しさの形にも色々あると知って驚いたのだな」という意味で受け取っていた。


「なぁ、アイザック。お前は希望を残しておく事で傷つけないように気を使ったのかもしれない。けど……、お前には好きな人がいる。そこのところはどうなんだ? まだパメラの事を忘れられないのか?」

「パメラさんの事は忘れた……、とは言えません。ですが、自分なりに前向きに考えているところです。父上が母上と出会った時のように、王立学院で誰か見つかる事を期待しています」


 ランドルフの質問に「完全には忘れられない。今も強く想っている」とは答えられなかった。

 忘れようと努力していると思っていてくれた方が都合が良いからだ。

 忘れられないと言えば、絶対に警戒されてしまう。

 余計な疑念を抱かせるわけにはいかなかった。


「そうか。だが、ルシアのような女性と出会えるとは限らないぞ」

「こういう言い方はすべきではないかもしれませんが、その場合は妥協して相手を決めます。婚約者が決まらないという事がどれだけ辛いかは、リサお姉ちゃんを見ていてわかっていますので」

「うん……、そうだな……」


 ランドルフは「リサをこういう反面教師のような使い方をするのは可哀想だな」と思った。

 だが、アイザックの役に立ってくれているので嬉しくもある。

 難しいところだった。


「王立学院を卒業するまでには誰か見つけるつもりです。不安かもしれませんがお時間をください」

「わかった、卒業までは待とう。だが約束した通り、卒業までに決まらなかったらこちらで婚約者を探す。それはわかっているな?」

「はい、よく理解しています」


 ――自分の都合のいいところだけではなく、ちゃんと卒業後の約束も覚えている。


 その事に満足し、モーガンとランドルフは嬉しそうにうなずいていた。


「ならいい。ただし、好みではない子にはちゃんと婚約する意思がない事を伝えてあげるように」

「はい、わかりました」


 アイザックの返事に、モーガンは胸を撫で下ろした。

 かつてランドルフも、集まってくる女の子に曖昧な対応をしたせいで大変な事になってしまった。

 その経験から、思いついたうちにアイザックには早めに注意しておこうとしていた。

 ちゃんとわかってくれたようで一安心だ。


「お話はその件だけですか?」

「ああ、そうだ」


 どうやら性的な視線の件は気付かれていなかったようだ。

 返事を聞いて、今度はアイザックが胸を撫で下ろした。

 頼み事をする心の余裕すら生まれた。


「それでは、お二人が揃っていてちょうど良いので僕からお願いがあります」

「なんだ?」


 モーガンは身構える。

 アイザックの頼み事はいつも心臓に悪いものばかり。

 どんな無茶を頼まれるか不安だった。


「ウェルロッドに帰ったら、大規模な軍の演習を行いたいと思います」

「演習? 何のために?」


 ランドルフがアイザックに尋ねる。

 今、そんな事をする必要性がわからなかった。

 だが、これにはアイザックなりにちゃんとした考えがあった。


「十歳式で会った貴族達は腑抜けていました。ここらで一度大規模な演習を行い、戦争に出る可能性がある立場だという事を思い出させるのです。それに新兵も増えていますので、大規模な演習がそろそろ必要なのではないかと思いました」

「なるほど」


 これにはモーガンとランドルフも納得する。

 この二十年ほどは戦争に参加していないとはいえ、いつどこで戦争が起きるかわからない。

 特にウェルロッド侯爵領は、ドワーフとの闘いに備えなければならない立場だ。

 演習をしておいた方がいいというのは、もっともな言い分だった。


 だが、アイザックが考えたのはその理由だけではない。

 いつか王家と戦う時のために訓練をしておきたいというのもあるが、もう一点理由がある。

 傘下の貴族達に気を引き締めさせるためでもあった。


 ――軍は力だ。

 

 軍の動員力を見せつけ、その軍を動かせる立場にいるアイザックが過去に行った事を思い出させる。

 アイザックは暴力による解決をためらわない。


 ――逆らえば、この軍が自分に差し向けられる。


「利益を与えるだけの存在」と思われて、腑抜けられては困る。

 軍を見せつける事によって、アイザックへの恐怖を思い出してもらうつもりだった。

 ついでに王都以外で・・・・・傘下の貴族を集めて話したかったので、ちょうど良い機会ができそうだ。


「幸い、資金はある。確かに演習をやってもよさそうだ」

「では、ウェルロッドに戻ったら兵を動員するように伝えておこう。久々の大演習だ。一ヵ月くらいやるか」

「それもいいかもしれませんね」


 モーガンとランドルフは、期間についても話し始めた。

 アイザックは集まってくれればいいので、期間については口出しをしなかった。


(学生になって身動きが取れなくなる前に、やる事をやっておかないとな)


 アイザックに残された時間は短い。

 悔いを残さぬよう、全力を尽くさねばならない時期だった。

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