第197話 アマンダと婚約できない理由
三月に入った頃、アイザックはやる事がなくなっていた。
面会を望む貴族の相手も終わり、スケジュールに余裕ができる。
(時間ができたらできたで困るんだよなぁ)
時間が空けば、その分だけ自由時間が増えるという事。
だが、その時間を持て余してしまう。
スケジュールの中には友人と遊ぶ時間なども含まれている。
もちろん、勉強の時間もだ。
自由な時間ができたら、どうすればいいのかわからなくなってしまう。
この世界は娯楽が少ない。
ゲーム機なんてものはないし、漫画もない。
暇つぶしといえば、ケンドラのために絵本を書いてやるくらいだった。
(そうだ、俺が会いに行こう)
ジェイソンとは定期的に会っているが、何も進展がない。
ただ雑談をしているだけだ。
ならば、計画が進展するように行動すればいい。
(なら、早速行動だ!)
「思い立ったが吉日」と言わんばかりに、アイザックはノーマンに面会の予約を命じる。
最初の訪問先はランカスター伯爵家。
領地が隣り合っているし、当主同士が友人関係になる。
それにアイザックには、ランカスター伯爵家に行かなければならない理由もあった。
それは是非とも確認しておかねばならない事だった。
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「噂は色々と聞いている。ジュディスは友達の家に行っているが、ゆっくりしていってくれ」
「そうですか……。それは残念ですね」
ジュディスのバストサイズをチェックするという目的のために来たのに、彼女がいないのでは意味がない。
サミュエルの一言で、初っ端からアイザックがランカスター伯爵家を訪れた意味がなくなってしまった。
「なんだ、やはり占ってもらいたかったのか?」
ジュディスに会えないと聞いてガッカリするアイザックを見て、サミュエルは当然の疑問を抱く。
「いいえ、そうではありません。最近は大人の方々と接する機会が多かったので、同年代の子と話せればいいなと思っていただけです」
もちろん、これは嘘だ。
いくら何でも「お孫さんのバストサイズを確認しに来ました」とは言えない。
そんな事を言えば、
話を聞けば「よくやってくれた」と、モーガンも指導を容認するだろう。
表向きの言い訳でお茶を濁す。
「ジュディスさんといえば、仲はどうなってますか?」
「まだまだ、といったところだな。今までジュディス本人の事を見なかった時間が長すぎたようだ。同じだけの時間を使って、地道に関係を修復していくしかないな。そちらの方はどうなんだ?」
「少しずつですが、それなりに進んでいると思います」
アイザックは、そのように答えたがそれは嘘だった。
表向きは家族仲が以前のように戻っているように見える。
だが、それは違う。
家族にも負い目があるから、ネイサンの事を話題にしないだけだ。
――心の中ではどう思われているか
本当のところはわからない。
あれだけの騒動があったのだから、100%元通りにはならないはずだ。
とはいえ、普通に話ができるようになっただけマシだろう。
そのような実情を知らないサミュエルは、羨ましそうな目でアイザックを見た。
「こちらも進んでほしいものだ」
「嫁に出す孫娘との関係をそこまで重視されるのですか?」
アイザックは何気ない疑問を口にする。
これにサミュエルは「当たり前だ」という表情をした。
「もちろんだ。恨まれていて、嫁に出した先でランカスター伯爵家に対する妨害工作をされたりするかもしれん。それに、家族としての情もあるしな。誰もが貴族として割り切った考えができるものばかりではない。ジュード様を基準に考えないようにな」
「ええ、まぁ……。曽お爺様は特別な方だとわかっているつもりです」
ジュードに関しては、特別だとわからない方がどうかしている。
家の発展のために政略結婚させる貴族は多いが、暗殺の道具にする者はまずいない。
彼基準で物事を考えるのが間違いだという事くらいはわかっていた。
「私もお前がジュード様とは違うとわかっている。とても心根の優しい少年だとな。……だから、我が家にも珍しい物を売ってくれないかなと思っている」
サミュエルはお茶を飲みながら、アイザックに上目遣いでチラチラと視線を投げかける。
(うぜぇ!)
サミュエルの要求はわかりやすい。
ドワーフ製の剣などが欲しいのだろう。
アイザックが余分に持ち帰った剣と盾のセットが、エリアスを経由して四侯爵家とフィッツジェラルド元帥の手に渡った事はすでに知られている。
だからサミュエルも「自分も新しいドワーフ製の武具が欲しい」と思って、仕入れられないかをアイザックに尋ねている。
問題は、チラ見を祖父と同じ年齢の男にやられている事だった。
可愛くとも何ともない。
せめて、孫娘のジュディスにやってほしかった。
しかし「ウザイから断る」とも言えない。
「少量の販売ならかまわないと言われてますので、しばらくしたらまた仕入れる予定です。一度は少量でも、短期間で何度も輸入しようとすると売ってくれなくなるかもしれませんので、いつになるかはわかりませんけど」
「それでいい。欲しがっていたという事だけ覚えておいてくれればな」
サミュエルは笑顔を浮かべる。
アイザックは街道整備の時も、ランカスター伯爵領に早い段階でエルフを派遣してくれた。
モーガンとの友情を抜きにしても「アイザックとの関係を大切にしていきたい」という思いがサミュエルの中にあった。
「品物はランカスター伯に渡すのを優先してもいいですけど、その分何かあった時には僕に協力してくださいね」
「ああ、もちろんだ。どんな事でも協力させてもらおう」
サミュエルは快諾した。
これにはアイザックもいい笑顔を見せた。
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ジュディスに会えなかったからといって、何度もランカスター伯爵家を訪れるわけにはいかない。
そう何度も訪ねられたら邪魔だと思われるだけだろう。
ウィンザー侯爵家を訪ねてパメラに会いたかったが、祖父との約束があるので行けない。
来年、学生になれば彼女と会えるようになるので、入学式の日が待ち遠しかった。
(それまでにやっておかないといけない事もあるな)
たるんでいる傘下の貴族の引き締めに、味方を増やす裏工作。
まだまだやらなければならない事は山積みだった。
(とりあえず、ウォリック侯爵だけでも確実に味方にしよう)
今日はクエンティンが屋敷を訪れる予定だった。
アイザックも同席するように言われている。
どんな話をするかはわからないが、悪い話を持ってきたりはしないだろうと、アイザックは楽観的に考えていた。
「アマンダとアイザックの婚約の話を持ってきた」
(えぇ……)
アマンダを連れたクエンティンを出迎え、応接室のテーブルを囲んで座ったところで、クエンティンがとんでもない事を言いだした。
アマンダは顔を真っ赤にして俯いている。
「ウォリック侯、その話は受けられないと言いましたよね?」
かつてアイザックは「家のためにアマンダが売られたように思われる。それは可哀想だ」と言って、婚約話を断っていた。
その事を持ち出したが、クエンティンは何事もなかったかのような表情をしていた。
「あの時とは状況が変わった。エルフやドワーフとの交流再開だけではなく、お前はドワーフに知識を与えて、新技術を手に入れた。陛下の信任も厚い。ひょっとすると、宰相閣下よりも厚いかもな。それほどの者に対して婚約を提案するのは何ら不思議ではないだろう?」
クエンティンは、アマンダを
以前なら「領地を立て直す金欲しさに貴族派に娘を売った」と言われる可能性もあったかもしれない。
だが、今のアイザックは多大な結果を出したエリアスのお気に入りである。
王党派の貴族がアイザックとの婚約を望んでもおかしくない状態となっていた。
だからこそ、誰かに先を越されないよう今になってアマンダとの婚約話を持ち込んできたのだった。
「確かに悪い話ではないのかもしれませんが……」
ランドルフがチラリとアイザックに視線を投げかける。
勝手に婚約者を作らないという約束をした以上、アイザックの気持ちが重要だった。
「いや、もう悪い話になってしまっている」
ここでアイザックではなく、モーガンが先に言葉を発した。
皆の視線が彼に集中する。
「ケンドラとローランドの婚約が決まった。ここでアイザックとアマンダの婚約を受け入れてしまうと、ウェルロッド侯爵家の影響力が強くなり過ぎてしまう。いらぬ混乱をリード王国に招く事になるかもしれん」
「そんな……」
アマンダが先ほどとは打って変わって、今にも泣きそうな顔になった。
クエンティンも怒りに満ちた顔に変わる。
「ケンドラの婚約が決まる前から私はアイザックとの婚約を申し出ていた。なのに、ウィルメンテ侯爵家との婚約を進めて、アマンダとの婚約を認めないというのは酷いのではないですか?」
――自分が先にウェルロッド侯爵家との婚約を申し出ていた。
その思いが不満となって出てしまっていた。
しかも相手がウィルメンテ侯爵家とあって、その不満はより強いものとなっていた。
「断っていたのには事情がある」
「どんな事情があるというのですか?」
――つまらない事情なら恨んでやる。
そう思っている事が、クエンティンの態度から見て取れた。
「僕のせいですよ」
「このままではウォリック侯爵家との関係が悪くなる」と思ったアイザックが口を挟んだ。
「僕がお爺様に頼んだのです。婚約者を決めないでほしいと」
「なぜそんな事を……。そもそも、ウェルロッド侯がよく許したな」
クエンティンの疑問は当然の事だった。
特に侯爵家ともなれば、後継者の婚約者選びは重要になる。
早い段階でより良い家との婚約を進めるのが普通だ。
アイザックが望んだだけではなく、モーガンがその頼みを受け入れた事が不思議でしかなかった。
「子供の頃に色々ありましてね。家同士の関係で婚約者を選ぶのではなく、人となりを見て婚約者を選びたいとお願いしたのです」
「あぁ、そういう事か……」
クエンティンは理由を理解し、態度を和らげる。
アイザックは子供の頃から苦労していた。
ネイサンとの間にも色々あったという噂は聞いている。
アイザックが多くを語らなかったので「辛い幼少期を過ごして思うところがあったのだろう」と勝手に想像した。
そんなクエンティンとは対照的に、モーガンとランドルフは気まずそうにしていた。
彼らはアイザックとそんな話をした覚えはない。
少なくとも、アイザックの婚約者に関してはネイサン達は関係ない。
クエンティンを落ち着かせるためだとわかっているが、堂々と嘘を言っているアイザックに合わせるべきか迷っていた。
「アマンダさんは素敵な方だと思います。ですが、友人にはなれても、婚約しようとまで思っていません。今はまだ数回話しただけで、そこまで深い関係ではありませんので」
その言葉にアマンダはショックを受けた。
彼女は今までアイザックと話してきた内容で、自分に興味を持ってくれているものだと思っていた。
だが、それは間違いだったと気付かされた。
自分の独り相撲だったと知り、恥ずかしくなって顔を真っ赤にする。
(すまない。けど、俺も無理なんだ)
今回のウォリック侯爵家との婚約は悪い話ではない。
だが、モーガンが言ったように、ウェルロッド侯爵家の影響力が増大するのはよろしくはない。
影響力が増えすぎると、エリアスに警戒されるかもしれないからだ。
今のように適度に信頼してくれている状態の方が好ましい。
ウォリック侯爵家の力は欲しいが、力を求め過ぎてつまずくような真似はしたくなかった。
決して「180cm近くまで成長した自分が、150cmくらいで全体的に小柄な印象を持つアマンダと婚約者になるのってなんだか犯罪臭い」と思ったからではない。
これは純然たる政治的な判断であった。
「そ、それじゃあアイザックくんは誰と婚約するのかは、まだ決めてないの」
「ええ、まだですよ。王立学院に入れば人と接する機会も増えると思いますので、実際に接した人の中から選べればいいなと思っています」
「そっか」
アマンダはテーブルの下でギュッと拳を握る。
先ほどまで泣きそうだったアマンダは、少し希望を持った表情に変わった。
これはアマンダが――
「はっきり言うのは恥ずかしいけれど、これから先少しずつ好きだっていう事をわかってもらえればいい」
――と思ったからだ。
誰か心に決めている人がいないのなら、まだまだチャンスはある。
学生生活を通じて自分の事を知っていってもらえばいいと、前向きに考えていた。
だが、アイザックはそんなアマンダの気持ちに気付かなかった。
これは前世でモテなかったせいである。
中身が変わっていないので「自分に惚れるはずがない」と思ってしまっていた。
最初にアマンダとの婚約話を聞いた時も、ウォリック侯爵領が混乱していた時期だった。
半端に名を挙げるというのも、人の好意を素直に信じられなくなって辛いものである。
「では、今は誰とも婚約する気はないというのか?」
「はい、ありません」
クエンティンの問いかけに、アイザックはハッキリと答えた。
「もし、アマンダさんに早く婚約者を見つけてあげたいと思っているのでしたら、どなたか他の方を探してもらう方がよろしいかと思います」
アイザックは、苦渋の決断をする。
将来の事を考えれば「婚約を前向きに考えておく」と答えた方がいい。
しかし、結婚する気のない相手を念の為にキープしておくのも悪い気がしていた。
ウォリック侯爵家に恨みがあればできただろうが、先代当主ドナルドの件で引け目を感じている。
さすがにそこまで酷い事はできなかった。
「そうか」
クエンティンはアマンダを見る。
アマンダは目で「やめて!」と強く訴えかけていた。
娘の意思を読み取り、クエンティンは望みを叶える方向で動く。
「では、こちらもアマンダにもう少し様子を見させる事にしよう。学生生活を経て、いい相手を見つけられるかもしれんしな」
もちろん、その相手はアイザックの事である。
アマンダが乗り気な以上、本人に挑戦させてやりたいと思っていた。
それに侯爵家の娘ならば、学生になってからでもいい相手は選べる。
アイザックを落とす事ができなくても、不幸な目には合わないだろうという考えもあった。
「お父さん、ありがとう。僕、頑張るよ。アイザックくん、学生になったらよろしくね」
「ええ、その時はよろしくお願いします」
――明るい笑顔を浮かべて話しかけるアマンダに、微笑を返すアイザック。
二人の様子を見て、モーガンとランドルフは混乱していた。
彼らからすれば、アマンダがアイザックに好意を持っているのは一目瞭然。
なのに、アイザックは好意に気付いていないような素振りをする。
アイザックの対応がアマンダの好意に気付いてやっているのか、気付かないでやっているのかが判断できなかった。
――どちらにせよアイザックが失敗するとすれば、きっと女関係だろう。
モーガンとランドルフは、そのような不安を胸に抱え込む事になった。
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