第187話 ドワーフの街 ザルツシュタット
――ドワーフの街のイメージといえば、黒煙に包まれた工業地帯。
アイザックは、そう思っていた。
しかし、ザルツシュタットは違った。
多少は黒煙も混ざってはいるが、ほとんどが白い煙だった。
ブリジットが「煙たい」と言っていたが、思っていたよりも大気は汚染されていないように見える。
一行がザルツシュタットの街門に着くと、門番が一人近寄ってくる。
「はい、通行証見せて」
「通行証はありません。我々はこちらに訪問する事になっているウェルロッド侯爵家一行です」
馬車の外の話が聞こえてくる。
「あー、聞いてるよ。あれ? ルドルフ商会が迎えに来るんじゃなかったか?」
「そういえば、ウォルフガング工房の方に行くとか言っていたような覚えがあるぞ」
「朝、出ていってから帰ってきてないな」
ドワーフの門番達が話し合っている。
どうやら迎えが来ていないそうだ。
ジークハルトあたりは喜んで迎えに来てくれそうだったので、おかしな状況といえる。
アイザックは馬車から降りると、門番に話しかけた。
「ウォルフガング工房って街の外にあるんですか?」
「そうだ。基本的に工房は街の外にある。特にあそこはなめし皮を作ってるからな。街中でやられちゃたまらん」
「では、そちらに行ってみます。通行証もなく入れてほしいと言っても、ご迷惑をお掛けするだけでしょうから」
「だったら、俺が案内しよう」
いつの間にか馬車から降りていたクロードが案内を申し出た。
「ウォルフガング工房にはよく行っていたから場所を覚えている」
「そういえばそうでしたね」
エルフは毛皮などをウォルフガング工房に持ち込んでいた。
物々交換で塩や鉄製品を手に入れていたので、ウォルフガング工房の場所を知っていて当然。
案内くらいは簡単だろう。
「では、お願いします」
友好的な使者一行の出迎えを忘れるくらいだ。
ウォルフガング工房で何かが起きているのなら、そちらの状況を確認した方がいい。
(それにしても、先に来ているはずのグレン達もいないってどういう事なんだろう)
アイザック達の受け入れ準備を手伝っているはずのグレン達の姿がないのはおかしい。
それに、ただ待っているのは暇だという思いもある。
アイザックは様子を見に行く事にした
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多くの倉庫が立ち並んでいる地域の一角に、ウォルフガング工房はあった。
「くさっ」
アイザックだけではなく、友人達も同じ言葉を口にしていた。
薬品らしきものの匂いもあるが、周囲に立ち込める匂いには酒の匂いが混じっている。
様々な匂いが入り混じって、吐き気をもよおすほどの悪臭となっていた。
人間よりも鼻が利くエルフのクロードは今にも吐きそうな顔色をしている。
「どうなってるんだ、これ?」
ポールが言った言葉に、アイザックも同感だった。
ウォルフガング工房の敷地の中では、酒瓶を抱いて転がっているドワーフ達がいた。
酒盛りをしていたのはわかるが「なぜ酒盛りが始まったのか?」という事がわからない。
(誰かこの状況を説明してくれ……)
アイザック達が途方に暮れていると、工房の中からジークハルトが出てきた。
彼はアイザックの姿に気付くと駆け寄ってきた。
「やぁ、アイザックくん。久し振り」
「お久し振りです、ジークハルトさん。これはどうなってるんですか?」
「これはアイザックくんのせいさ」
「僕の!」
予想もしなかった返答にアイザックは驚く。
周囲の視線がアイザックに集まった。
「ほら、あそこにある鉄道のせいだよ」
ジークハルトが指差した先には線路と台車があった。
設置するのに時間が掛かるので、前もって運び込まれていた物だ。
だが、鉄道のせいでこの惨状になったと言われても、アイザックにはイマイチ理解できなかった。
その様子を見て、ジークハルトが説明を続ける。
「鉄道は凄いよ! 街と街の間に設置すれば、荷物の運搬がずっと楽になる。馬車だと運べないような重い物だって運べるようになるしね。凄いアイデアを教えてくれたと喜んで、大人達が酒盛りを始めちゃったんだ」
「そうだったんだ」
―――つい盛り上がり過ぎただけ。
自分のアイデアでそこまで喜んでくれたのなら、教えた甲斐があったというもの。
アイザックも嬉しくなった。
「付き合わされたグレンさん達もどこかに転がってると思うよ」
「そうだったんだ……」
グレンが迎えに来なかった理由を知り、アイザックは複雑な感情を抱く。
確かにグレンはドワーフ達の折衝役に任命されている。
とはいえ、さすがに酒盛りに付き合って酔いつぶれるというのはいかがなものかと思う。
しかし、こういう付き合い方の方がドワーフと仲良くなれるというのならば、強く非難するような類のものでもない。
むしろ、職務に忠実だと褒めるべきところかもしれない。
微妙な反応をするアイザックに、ジークハルトが詰め寄る。
「鉄道もアイザックくんが考えたんだよね?」
「そうだよ」
「やっぱりアイザックくんは凄いや! あんなに凄い物を考えるなんてさ!」
(他にも凄いアイデアがあるって言ったら、どういう反応をするんだろう)
アイザックはそう思ったが、それはあとのお楽しみにした。
ジークハルトを友人達に紹介し、友人達をジークハルトに紹介した。
そこでジークハルトが、アイザックの友人達に質問をする。
「普段からアイザックくんの近くにいるってどうなの? 楽しそうだよねぇ」
「まぁ、見ていて飽きないっていうか……」
「楽しい事は楽しいかな」
「そこに良い意味は含まれてないよね……」
友人達の言葉に、アイザックは顔をしかめる。
「話が面白い」というよりも「行動が面白い」という意味に聞こえたからだ。
まるでピエロのような扱いだ。
「やっぱりそうだよね。君達が羨ましいよ。何日でもゆっくりしていってね。払いはルドルフ商会で持つからさ」
「ありがとう。とりあえず、街に行かない? ここはちょっと匂いが……」
「確かにこの匂いは慣れてない人にはきついかも。僕も君達の馬車に乗せていってくれない? 大人がこのありさまだからさ」
ジークハルトが周囲に視線を向ける。
おそらく、酔い潰れている大人の中に御者もいるのだろう。
彼は酒を飲む事のできない子供なので、一人放置されていたのかもしれない。
寂しかったのだろうと思うと、置いていくという選択肢は選べなかった。
「いいよ。けど、ちゃんと先に街に戻るっていう書き置きは残しておいた方がいいよ」
「わかった。今書いてくる」
ジークハルトが工房の中へ駆け足で入っていった。
彼が中に入るのを確認してから、ポールがアイザックに話しかけてくる。
「ドワーフっていっても、なんだか怖くないね。普通に話ができるし」
「話の通じない相手だったら、二百年前まで共存したりはしていないよ」
「それもそうか」
ポールがハハハと笑って誤魔化す。
今アイザックが言ったように、ドワーフは話の通じる相手だ。
二百年前に、人間がエルフやドワーフを支配しようとしたから争いになっただけ。
「ただ人を殺したいから」という理由で戦争していたわけではない。
ちゃんと話し合えば、話の通じる相手だ。
殴り込みに来たウォルフガングだって、ちゃんと話をすれば理解してくれる理性はあった。
記録に残っていないような大昔の事は知らないが、今のドワーフは理性のない野獣ではなかった。
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街に着くと、ジークハルトのお陰ですんなりと中に入る事ができた。
街並みは人間の街と同じ。
ただ、なんとなく町全体が煤けているような印象を受ける。
一行は、まずホテルへと向かう。
街一番のホテルではあるものの、ザルツシュタット自体がノイアイゼンの北方にある田舎町。
一番のホテルとは言っても、他の街のホテルに比べればグレードが落ちる。
――しかし、それはドワーフの感性。
人間の目から見れば別物だった。
「うぉっ! 見ろよ、この彫刻。スゲェ……」
「壁のキャンドルスタンド見てみろ。あんな芸術品を普段から使ってるのか?」
「天井のシャンデリアとか、王宮にあってもおかしくないぞ」
ホテルのロビーでポール達が騒ぎ出す。
感性を磨かれた者達にとって、ロビーは宝物庫にすら感じられた。
護衛の騎士達の中には、豪華過ぎて居心地が悪そうにしている者もいるくらいだ。
そんな中、アイザックだけは「よくできてるなぁ」と思うだけで、特別強い反応を示さなかった。
「アイザックくんにとっては、このくらいはどうって事はないって事かな?」
「いや、良いホテルだと思うよ」
ジークハルトにとって、その言葉はお世辞にしか聞こえなかった。
他の子供達とは違い、言葉に感動が含まれていなかったからだ。
アイザックは、一定以上の品質の物は全部良い物だとしかわからない。
物の良し悪しはわかるものの、良過ぎる物は区別がつかなかった。
その事を知らないジークハルトは、アイザック達をこのホテルに泊める事を少し恥ずかしく感じていた。
本当はアイザックの方が恥じるべきだというのに。
「ところで、大人達が酔い潰れてしまっているから予定ってどうなるんだろう? ジークハルトさんは何か知っていますか?」
「街の工房を見てもらったりするはずだったんだけど……。どうするんだろうね」
これにはジークハルトも困った。
予定を組んでいた大人達が使い物にならなくなったからだ。
「とりあえず、昼食を取って休憩しようよ。その間に良い考えが浮かぶかもしれないし」
「そうしようか」
アイザックの提案にジークハルトも乗った。
どうするか考える時間が欲しかったが、考えている間客人を放っておくわけにはいかない。
食事にする事によって考える時間を稼げる。
「良い提案をしてくれた」と、ジークハルトは助かった思いだった。
食堂に向かうとウェイトレスが大勢いた。
初めて見るドワーフの女性である。
男のドワーフ同様に、身長は小柄ながらも筋肉質で厚みのある体形だった。
だが、男とは首から上が違った。
男のドワーフは顔もがっしりとした感じだったが、女のドワーフは柔らかさのあるふっくらとした丸みを帯びた顔付き。
前世で言うところの、ぽっちゃり系の可愛らしさを感じる顔付きだった。
(可愛いってそういう意味かよ!)
クロードは、決して嘘を言っていなかった。
確かに愛嬌のある顔で、アイザックも可愛らしいと感じる。
ただ、可愛らしいの方向性が思っていたのと違っただけだ。
(はっ、という事は!)
アイザックは友人達の顔を見る。
ニコルが可愛いとされる世界だ。
ドワーフの女の子達にベタ惚れになっているのではないかと思っていた。
しかし、一人を除いて無反応だった。
人間とは違う体型などが関係しているのかもしれない。
(この世界の美的感覚がわけわかんねぇや……)
――どこまでが美しく、どこまでが美しくないのか。
そのラインがアイザックにはさっぱり理解できなかった。
もしかしたら「可愛いとは思っているけど、自分の好みじゃない」というだけなのかもしれない。
人前で「可愛いと思う?」と聞くのは失礼だし、アイザックの美的感覚が疑われる事にもなるので、この場では正直な感想を聞けなかった。
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