第170話 弓の練習
アイザックはランドルフのいない時も弓の練習を続けていた。
この日はクロードに指導をお願いし、屋敷の庭の一角にある訓練場でポールやレイモンドと一緒に練習していた。
「……なんで二人は上手いんだ?」
アイザックも、矢を的の付近に飛ばせるようになってきていた。
だが、二人は外したとしても的の端っこには刺さっている。
同じ年齢なのに、これだけの差がある事を不思議に思っていた。
「僕はあんまり得意じゃないけど、親に狩りに同行させられてたから覚えたよ」
答えたレイモンドは、うんざりという表情をしていた。
あまり狩りが好きではないのかもしれない。
だが、長男という事もあり、いつかはコミュニケーションの一環として狩りに参加しなくてはならなくなる。
体で覚えさせられていたのだろう。
「俺はアイザックと知り合ってから覚え始めたよ」
「僕と会ってから?」
ポールはここ数年で、弓の扱いを身に着けたようだ。
「そうだよ。やれる事は多い方がいいからね」
「まぁ、確かにやれる事が多い方がいいけれど……」
その事と自分と出会った事の因果関係が、アイザックにはわからなかった。
きょとんとしているアイザックのために、ポールが説明を始めた。
「レイモンドは親の後を継いで代官になるけど、俺は後を継ぐのが爵位くらいしかないからな。武芸全般を磨いてアイザックを守るか、それとも官僚として支えるために勉強を頑張るか。そのどっちかを選ぶべきなんだけど、まだどっちにするか決めてないんだ。だから、今できる事を増やしている最中なんだよ」
「ああ、なるほど」
ポールはポールなりに将来の事を考えて行動しているようだ。
それが自分のためだというので、アイザックは嬉しくなる。
「将来どういう道を選ぶかを決めるのは難しいもんね。でも、どっちを選んでも歓迎するよ」
アイザックは前世で「もっとやれる事があったんじゃないか」と、自分の選んだ人生を後悔していた。
それに比べれば、やれる事をやって将来に備えているポールは立派なもの。
どのような道を選んだとしても、それなりにやっていけるはずだ。
強いて言うならば、このままではアイザックの道連れで反逆者の道に進んでしまいそうなのが心配なくらいか。
「ありがとう。とりあえず、アイザックの弓の扱いを見ている限りだと、俺は軍人方面に進むのが無難かな」
「かもしれないね」
「ちょっと! まだ練習始めたばかりなんだから長い目で見ろよ!」
ポールの発言にレイモンドが同意する。
それに反発して、アイザックは練習し始めたところだと反論した。
確かに上手くはないが、それは練習次第でどうとでもなるはずだ。
「僕だって上手くなりますよね?」
ここでアイザックは、クロードに庇ってもらう事にした。
森で狩りをするので弓が得意なエルフだ。
それに、人間とは比べ物にならないほど長年生きてきた男の言葉は重い。
きっと、一言でポールとレイモンドを黙らせてくれる。
そうアイザックは信じていた。
「えっ、あぁ、まぁそうだな」
しかし、返ってきた言葉は何とも言えないものだった。
ついでに言うと、クロードの表情も「どう言えば傷付けずに済むだろうか」と困っているような顔をしていた。
その態度が、アイザックの才能がどの程度のものかを、この上なくわかりやすく語っていた。
「クロードさん、エルフと比べちゃダメですよ。人間レベルで考えてくれないと」
「人間として考えてもなぁ……。その胸当てが全てだ」
クロードがアイザックの胸当てを指差す。
そこには細かい擦り傷が無数に付いていた。
「その二人は慣れているというのもあるが、胸当ては傷付いていないだろう? 正しいフォームで射ればそんな傷は付かない。何度もフォームを教えているのに、そういう傷が付くっていう事は……。お前は頭が良いんだ。政治家とかそういう方面で頑張れ」
「いや、諦めないでよ!」
クロードも気を使ってハッキリとは言わなかったが「センスないよ」と言われている事には気付ける。
だが、だからといってあっさり認める事はできなかった。
「ダメねー、クロードは。子供相手には教え方ってもんがあるのよ」
少し離れたところで見ていたブリジットが、ニヤニヤと笑みを浮かべながら近寄ってきた。
「なんだ、お前が教えるのか?」
「そうよ。実演してあげるわ。弓を貸して」
ブリジットはアイザックから弓と矢を受け取り、的に向かって構える。
アイザックが習った撃ち方とは違い、弓を体から離していた。
「長弓だったら無理だけど、短弓なら目で狙いを付けずにこうして体から離して感覚で射ればいいのよ」
言葉通り、ブリジットは弓の張りや矢の重さを感覚で感じ取り、目で狙いを定めず直感で矢を放った。
その矢は的のほぼ中心に刺さった。
「おぉっ!」
アイザック達が驚く。
彼らの反応を見て、ブリジットは満足そうに笑みを浮かべた。
「何回かこの弓を使ってクセを覚えれば、真ん中にだって狙えるわよ。クロードもこういうやり方を教えてあげればいいのに」
胸当てに弦が当たれば、その時点で矢の軌道が大きく変わってしまう。
だから、アイザックは的を上手く狙えないのだ。
胸当てに当たるのならば、当たらない方法を教えればいい。
ブリジットはそう言いたいのだろう。
だが、クロードはクロードでちゃんと考えがあっての指導だった。
「まずは基本からだ。基本を覚えさせて、そこから派生するのはいい。だが、いきなり基本的ではないやり方を教えればクセになるからダメだ。それにアイザックは貴族の息子だ。覚えさせるなら、まずは基本を覚えさせた方がいい」
アイザック達が人間の子供という事の影響も大きかった。
これが同じ村のエルフの子供であれば、最初から違うやり方を教えていたかもしれない。
だが、アイザック達は
クロードは、基本を忠実に教えようとしていた。
しかし、そんなクロードに対して、ブリジットはチッチッと人差し指を立てて左右に振る。
「これだからオジサンは」
「なっ」
いきなりの罵倒に、クロードは絶句する。
「そりゃあ基本は大事だけど、的を射る楽しさを先に覚えさせた方がいいに決まってるじゃない。基本、基本っていうから村の子供達も弓離れするのよ」
「弓は一歩間違えれば大怪我する事だってあるんだ。まずは基本を覚えて安全に使えるようになった方がいいだろう」
「大人がそんなんだから若者の弓離れが進むのよ」
(若者の弓離れって何だ……。)
前世のニュースで「車離れ」や「酒離れ」は聞いた事があるが「弓離れ」などというのは初めてである。
意外なところで、予想外の言葉を聞いてしまい、アイザックの頭の中は混乱していた。
「ほら、アイザックも一回やってみなさいよ」
ブリジットがアイザックに弓を差し出す。
弓を受け取ったが、アイザックはクロードの様子を窺った。
今、指導を頼んでいるのはクロードだ。
さすがに指導を頼んでおいて蔑ろにはできないので、彼の反応を待った。
「わかった、一回やってみろ」
クロードが折れた。
村の若者の話が利いたのだろうか。
アイザックは弓を体から少し離して矢をつがえる。
確かに狙い辛い。
というよりも、狙えない。
的の方に飛ぶよう祈りつつ、感覚で調整をしなくてはならなかった。
(けど、なんだかいけそうな気がする)
意を決して、アイザックは矢を放つ。
その矢は勢いよく飛び、狙っていた的の
「……弓、諦めたら?」
「一回だけで見捨てるのって早くないですか!?」
ブリジットにまで見捨てられ、アイザックはショックを受ける。
このままではなんだか癪に障るので、アイザックはブリジットの胸元をジッと見る。
その視線に気付き、ブリジットは慌てて両手で胸を隠す。
「どこ見てるのよ!」
「そういえば、エルフの女性って胸当てを使わなくてもいいようになってるんだなぁって――イデデデデ、痛い痛い! 本当に痛い!」
アイザックは最後まで言えなかった。
喋っている途中でブリジットに本気で頬をつねられ、話すどころではなくなってしまったからだ。
「あんたねぇ。昔からそうだけど、ナチュラルにそういう発言するのやめなさいよ!」
「ギブ、ギブ」
もっともな言い分に反論できず、アイザックはブリジットの腕を数回タップして降参の意を示す。
さすがに降参したら離してくれたが、ブリジットの視線は厳しいままだった。
そこにポールがおずおずと彼女に質問をする。
「昔からって、前はどんな事を言ってたんですか?」
「私に向かって『チェンジ』とか言ってくるのよ」
「ええっ! ブリジットさんに? 信じられない!」
ポールだけではなく、レイモンドも一緒になってアイザックを見つめる。
その反応が嬉しかったのか、ブリジットはポールとレイモンドの肩をポンポンと叩く。
「こういう男になっちゃダメだからね」
「「はい!」」
「いや、はいって……」
綺麗なお姉さんに言われて素直に返事をしただけなのだろうが、あまりにも良い返事だったのでアイザックはまたしてもショックを受ける。
「何よ、あんたが悪いんでしょう」
「女性にあんな事を言うのは失礼だと思います」
「そうだ。今のは酷いぞ」
「お前らどっちの味方なんだよ……」
あっさりとブリジット側に二人が寝返った。
味方を求めてクロードの方を見る。
「確かにエルフの女は人間の女よりも胸が小振りかもしれない。だが、種族としての違いがある事はわかっていても、今のは他の女でも怒るだろう」
残念ながら、彼も味方してくれなかった。
「失礼な事を言ってすみませんでした」
さすがに分が悪いと認め、アイザックは謝る。
そして、話題を逸らそうとした。
「そういえば、他のエルフの人っていうので思い出したんですけど、今度エルフの村に行ってみてもいいですか? できれば、一泊や二泊くらいはしたいかなと思っているんですよ」
「あんた、今の流れからよくそんな事を聞けるわね」
ブリジットは呆れていた。
だが、クロードは真剣に考え込む。
「すでに鍛冶職人達が道具の修理のために村を訪れたりはしているから、人間を村に招く事自体は問題ない。だが、誰が来るかが問題だな」
「今のところは僕達だけですね。大人が混じるより、子供だけの親睦の方がいいかなと思っています」
アイザックは自分を指差したあと、ポールとレイモンドを指差す。
「俺達もいいの!」
「確かに行ってみたい!」
二人は乗り気だった。
それもそのはず、エルフの村に行った者など数えるほどしかいない。
興味もあるし、周囲にちょっとした自慢話ができる。
貴重な体験ができると思い、目を輝かせ始めた。
「子供だけか。それはそれで難しいところだな」
よその子供を預かるというのは責任重大だ。
何か問題が会った時に責任が取れない。
クロードもその事がわかっているので、気軽に「いいよ」とは言えなかった。
そこで、こういう時の基本的な確認を行う。
「ウェルロッド侯やランドルフ殿の許可は得たのか? ちゃんと許可を得たのなら、村長達も受け入れるとは思うが」
「いいえ、まだです。多分、お爺様に聞いても同じように許可を得たのか聞かれると思います。ですから、先にクロードさんとブリジットさんから聞いておこうと思ったんです」
「なるほどな」
クロードは、また考え始める。
ブリジットは、クロードに任せているようだ。
黙って様子を見ている。
「実はドワーフの街に行って友好を深めてきてほしいと陛下に頼まれました。でも、早くに交流を再開したエルフの村を先に訪ねるのが筋だと思ったので、こうしてお聞きしたんです」
ポールとレイモンドも期待しているようなので、アイザックはクロードの判断を後押ししてやる。
ドワーフの事を持ち出して、クロードが受け入れやすくしようとした。
エリアスはエルフを軽んじるような事は言っていなかったが、ここは彼に悪者になってもらう事がアイザックに一番利益をもたらすので仕方が無い。
「そうか。……だが、俺が勝手に決めるわけにはいかない。村長に手紙を送って確認してみよう。前向きに考えるようにとは伝えておく」
クロードはドワーフに含むところがあるわけではない。
だが、あとから交流を再開したドワーフに先を越されるのは、なんとなく癪だった。
そのため、アイザックの誘導に乗り、来訪を前向きに受け入れるべきだと考えた。
「ありがとうございます! 見学に行けるように、僕も家族とよく話し合います!」
クロードの返事を聞き、アイザックは喜ぶ。
ポールとレイモンドも喜んでいるが、一番嬉しいのはアイザックだった。
(これで醤油をかけた焼き魚とみそ汁のセットが食える!)
もちろん、エルフの村に興味はある。
しかし、それ以上にエルフの食べ物に興味津々だった。
以前、ブリジットが大福を持ってきてくれた。
という事は、食事も和風なはず。
久々に和食を食べられるチャンスだった。
醤油などを輸入すればいいのだが、まだ生産量が少ないらしいので売ってくれない。
現地でなら口にするチャンスもあるだろうと、アイザックは考えていた。
「言っておくけど、村で他の子に舐めた事言うと怖いわよ。私は大使だから我慢してあげてるんだからね」
喜ぶアイザックに、ブリジットが釘を刺す。
アイザックは親指をグッと立てて返事をする。
「大丈夫ですよ。僕が舐めているのはブリジットさんだけイタタタタ。我慢、我慢してない!」
先ほどとは反対側の頬をつねられる。
今度はタップしても、なかなかやめてくれなかった。
「アイザックって、女の人の扱いが丁寧な時と雑な時の差が激しいよな」
「頭の良い馬鹿っていう言葉がここまで似合う人間も珍しい気がするよ」
頭脳を発揮している時と、そうでない時の落差にポールとレイモンドは呆れかえっていた。
「そう言われれば」と、クロードも自分の中でアイザックの評価をどう付けたものかと迷い始める。
頭が良いなら頭が良いで、冷静沈着な性格ならよかった。
だが、アイザックは頭が良いようで性格は不安定。
それが良い事か悪い事か判断しにくいところが、一番の困りものだった。
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