第167話 アイザックに向けられた疑惑の目
ウォリック侯爵家を訪ねた翌日、アイザックはケンドラの相手をしていた。
リサはまだ学生なので、両親が王都に来た時は家族と一緒に暮らすために自宅に帰る。
そうなると、リサがケンドラの相手をできなくなる。
すると、ケンドラに年の近い――とはいっても、リサも十五歳離れているが――遊び相手がいなくなってしまう。
それではケンドラが寂しいだろうと思って、時間がある時はアイザックが相手をしていた。
「ケンドラ、手を放しちゃダメだぞ。でも、こけそうになったら放していいからな」
「うん」
ケンドラは、今アイザックと一緒にパトリックのお散歩をしている。
庭の中を軽く歩くだけだが、まだ幼い彼女にはパトリックを押さえる力がない。
首輪から伸びているリードを手放さないように、ケンドラは必死に持っている。
一方パトリックは、アイザックやケンドラと一緒に散歩するのが嬉しそうだった。
尻尾を大きく振って、リードを強く引っ張る。
だが、強く引っ張りすぎるとケンドラが転びそうになるので、時折歩みを緩めて手加減をする。
もっとはしゃぎたいパトリックには、少し消化不良のような感じだった。
しかし、ケンドラに犬の散歩をさせるという事が大切だったので、今回は我慢してもらう事にする。
(体を動かした方が健康にいいしな)
さすがにアイザックが子供の頃やっていたように、踏み台昇降運動などはさせられない。
心肺機能の向上にはいいが、普通の子供にやらせてもすぐに飽きてしまうだろう。
それに「効果がある」という事を家族に説明できない。
今世では効果が証明されていない運動方法だった。
アイザックは前世の知識があるから頑張れたが、効果を説明できない運動をケンドラにさせる事はできなかった。
だから、パトリックの散歩という方法で歩かせる事にした。
同年代の友達を連れてこられるようになれば、一緒に外で遊んだりするようになるだろう。
だが、その前に体を慣らしておく方がいい。
そのためにもパトリックとの散歩は最適だった。
庭を一周すると屋敷に近いところでリードを外す。
「何をして遊ぶ?」と言わんばかりに、パトリックはアイザックとケンドラの周囲をグルグルと駆け回る。
アイザックが取り出したのはボールだった。
「パトリック、取っておいで」
アイザックがボールを数メートル先に投げると、パトリックが取りに行った。
すぐに口に咥えて戻ってくる。
「よしよし」
アイザックはボールを取って来たパトリックを褒めてやる。
そして、今度はボールをケンドラに渡した。
「さぁ、投げてごらん」
「うん!」
ケンドラはボールを投げる。
まだ投げるという行為に慣れていないため、1メートルほど目の前に落ちる。
すぐ近くなので、パトリックは素早く咥えてケンドラにボールを差し出す。
「また投げて」と言っているかのように見えた。
「パトリックがボールを取ってきてくれたら、よしよしって優しく撫でてあげるといいよ」
「よしよし」
ケンドラはアイザックに言われた通り、パトリックの頭を撫でる。
撫でているうちに気分が乗ってきたのだろう。
パトリックの首に腕を回して抱き着いた。
ケンドラが抱き着く姿が可愛らしく、アイザックの頬がほころぶ。
(妹でこんなに可愛いんだ。もし、自分の娘だったらどれだけ可愛いんだろう)
つい、そんな事を考えてしまう。
今思えば、父のランドルフもアイザックと庭で遊ぼうとして遊びに誘う事が多かった。
可愛い我が子と一緒に遊びたかったのだろう。
(そういえば、ネイサンの一件以来親父と遊んだりしてなかったな。今度、キャッチボールにでも誘ってみようかな)
今更ではあるが可愛げがなかった子供だったと、アイザックは少し反省する。
こうして気付けたのはケンドラのお陰だ。
アイザックは、まだパトリックに抱き着いているケンドラを、パトリックごと一緒に抱き締める。
何が楽しいのか、ケンドラがキャッキャと楽しそうに笑う。
パトリックだけが「遊ばないのか?」と困惑している様子を見せていた。
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しばらく遊んだあと、部屋に戻るとケンドラがお昼寝をし始める。
もちろん、パトリックは枕役だ。
アイザックがどうしようかと迷っていたところ、祖父の呼び出しを受けた。
場所は食堂。
アイザックは、大人しく呼び出しに応じた。
食堂に行くと、そこには家族が揃って待っていた。
「お待たせしました」
「そちらに座りなさい」
指示された席は、モーガンの正面。
モーガン側には祖父母と両親が並んで座っているので、アイザックは嫌な予感がした。
(なんかやったっけ? ブリストル伯爵の件がバレたとか?)
アイザックが席に着くと、水差しとコップだけ用意してメイド達を全員退出させてしまった。
まるで何かを問い質されるような状況。
アイザックは、ゴクリと唾を飲み込む。
「アイザック。お前に聞いておきたい事がある」
「はい」
アイザックは背筋を正す。
どんな質問が来ようとも、ちゃんと答えるつもりだった。
モーガンは、マーガレットに目配せをする。
彼女から問い質させたい何かがあるのだろう。
「アイザック、私達は色々と考えたの。でも、あなたの口からハッキリした事を聞かないと何もわからない。だから、こうして呼び出しました。正直に話してくれれば、私達も力を貸します。ちゃんと答えてくれますね?」
「はい、もちろんです」
人を陥れた事の責任を追及せず、アイザックの味方になってくれるという。
その言葉が、とてもありがたく、心強かった。
「あなたはニコル・ネトルホールズ女男爵の事を愛しているのですか?」
「はぁ!?」
祖母の質問に、アイザックは「何言ってんの、このババア」と言いそうなほど露骨なまでに嫌そうな表情をして返す。
「相談したんですよね? お爺様やお父様には、彼女に興味はないと話したはずですが」
それどころか「ニコルと婚約させようとするのなら家督を奪い取って破談にする」とまで言っておいた。
これ以上ないほど、ハッキリと意思表示をしておいたはずだ。
なぜ、そんな事を聞かれるのかがわからなかった。
だが、この質問をしてきた理由はちゃんとある。
「あなたは昔から『あれが欲しい、これが欲しい』という事を言いませんでした。エルフの時も、ネイサンの時も、ドワーフの時も、全て自分で解決しようとしていました。だから、愛する女性を自分の力だけで手に入れるため、介入を嫌ったのではないか? 私達はそう思ったのですよ」
「いやいやいや、なんでそうなるんですか。ニコルさんには、まったく興味がありません。いくらなんでも深読みし過ぎですよ」
アイザックは首を横に振り、手も振って全力で否定した。
この誤解だけは、絶対に解いておかねばならない。
万が一にも、ニコルに付け入る隙を与えるわけにはいかないのだ。
「あんなに可愛い子なのに、本当に興味がないのか?」
「ないです、本当に!」
ランドルフの質問にも、真っ向から否定する。
この世界では美少女扱いでも、アイザックにとってはこの世界唯一のハズレでしかない。
ピンポイントでハズレを引かされるなど、真っ平ごめんだった。
「あの目が生理的に受け付けません。皆に可愛いと言われても、僕は可愛いとは思えないんです。その辺りを歩いている女性の方がよっぽど美人に見えます」
アイザックは、ハッキリとニコルのどこが受け付けないかを伝える。
あの目がダメだと言えば、わかってもらえると信じて。
「えぇっ、一番のチャームポイントを嫌っているだって! あの個性的な目が可愛いのに」
ランドルフの驚きの声。
だが、その反応は彼だけではなかった。
他の三人も驚き、顔を見合わせている。
「ご、ごめんなさい。私が悪いんです」
なぜか、ルシアが謝りだす。
「私がまともな美的感覚にしてあげていれば……」
アイザックに絵を教えたり、音楽を教えたりしていたのはルシアだ。
美しいものを美しいと思えないアイザックの狂った美的感覚に彼女は責任を感じてしまった。
「いや、なんでお母様が謝るんですか。お父様はお母様の事を美しいと思いますよね?」
「もちろんだ」
ランドルフは、しっかりとうなずく。
「お爺様もお婆様の事を美しいと思いますよね」
「うむ」
モーガンも、アイザックの問いにうなずく。
「なら、ニコルさんは美人ではないですよね? お婆様やお母様とは美しいの方向性が全然違いますよね」
アイザックは、ニコルが美人ではないという事をわかってもらおうとする。
だが、モーガンにフッと鼻で笑われた。
「確かにマーガレットやルシアは美しい。だが、彼女は美のステージが違う。あと数年もすれば、傾国の美女と言われるほどまでに美しく育つだろう」
マーガレットやルシアも美しいが、彼女らとは比べられないほどの美しさをニコルは持っている。
そう主張するモーガンに、アイザックはめまいを感じていた。
「僕との認識が違うという事はよくわかりました……。でも、本当に彼女には興味がないんです。照れ隠しで家督を奪ってでも破談にさせると言っているわけではありません。本気で言っているんです」
アイザックは、真剣な眼差しで家族に自分の気持ちを正直に伝える。
こればかりは絶対に嫌だ。
「実はニコルと結婚したいのだろう」と勘違いされて、裏で動かれたりしたら絶望のあまり狂ってしまうかもしれない。
「本当に違うのか? チョコレートを売り込まれた時に出会って以来、実は彼女の事を思っているとかでは――」
「絶対に違います。彼女の事をこれっぽっちも好きではありません」
「ふむ」
また皆で顔を見合わせる。
「あんなに可愛い子に興味ないなんて」と言いたそうだが、身分差を考えればニコルとの婚約を頼まれずに済んで良かったともいえる。
だが、同時にそれはアイザックの美的感覚がおかしいという事を証明する事でもあった。
皆、何とも言えない複雑な表情をしていた。
モーガンが一度咳払いをする。
「ならば結構。だが、誰かと結婚したいという場合は、ちゃんと相談するように。こちらもお前の望みに沿った行動をしてやるからな」
「はい、ありがとうございます」
――わかってくれた。
そう思うと、アイザックの口から安堵の溜息が漏れる。
だが、安心するのはまだ早かった。
「では、次に昨日の事だな」
「昨日の?」
「そうだ。ノーマンから報告は受けている」
ノーマンからの報告という事は、ウォリック侯爵家でした話の事だろう。
しかし、アイザックには家族会議の場で持ち出されるような内容に心当たりがなかった。
「昨日アマンダとの話し合いの最中に、婿入りしてもいいというような事を言っていたそうだな」
「あぁ、あれですか」
ウィンザー侯爵の対応次第ではあるが、パメラと結婚するためならその選択肢もありだと考えていた。
(でも、やっぱり嫡男だしな。家を継ぐ事だけを考えろって怒られるかな)
今思えば不用意な発言だった。
説教を甘んじて受け入れようと、アイザックは覚悟する。
「婿入りなど許さんぞ。ウォリック侯爵家に婿入りして何をするつもりだ!」
「えっ」
「いいか。確かに貴族派と王党派は意見が対立している。だが、主義主張は違えども、リード王国を盛り立てようという気持ちは同じ。王党派内部に入り込んで、内部から分裂させようとするなど考えてはならん! 王党派は敵ではない。意見が違うだけの味方だ。その事を忘れて、弱体化させてやろうなどと思うな! 不要な混乱はリード王国の弱体化に繋がるんだぞ」
「えぇぇ……」
まさか「婿入りしても良い」の一言が、王党派の内部分裂にまで話が飛躍するとは思いもしなかった。
そこまで深読みする祖父に、アイザックはドン引きしていた。
「お前は父上のようになると言った。確かに私もそれを認めた。だが、何かを仕掛けるなら国外の敵対勢力にやりなさい。国内の意見が違うだけの相手に手出しをしてはならん! 裏切りの気配があるものにだけ手を出しなさい」
(そういえば、そんな事を言ったっけなぁ)
ジュードの事を持ち出され、アイザックはようやく祖父が深読みした理由を察した。
家督を放棄する事を怒られるのではなく、政治的混乱を起こそうとしていると思われて注意されるとは予想外だ。
今までの自分の行動のせいとはいえ、そういう事をやりかねない危険人物に思われていると知り、ちょっとショックだった。
「そういう事は考えてなかったんですが……。とりあえず、今後はいらぬ誤解を招かないよう言葉に気を付けたいと思います」
「わかればよろしい」
モーガンも念のために注意はしたが、本気でアイザックが婿入りして王党派に何かを仕掛けるとは思っていない。
ネイサンとメリンダを殺してまで、自分の継承権を守ったのだ。
そう簡単には手放さないだろうという事はわかっている。
何かの言葉の綾で言っただけだろうと思っていた。
なぜなら――
アイザックが分裂を狙うなら、王党派内部に入り込むなんて怪しまれる真似はしない。
――そう信じているからだ。
それはそれで、モーガンは心配になった。
「ところで、一つ思ったんですけど」
「なんだ?」
「ニコルさんの目が個性的で可愛いというのなら、パメラさんとかは個性がないから可愛くないという事になるんですか?」
アイザックのあまりにもわかりきった質問に、家族一同は不安を隠せなくなる。
そこまで美的感覚がおかしいとは思わなかったからだ。
「パメラさんは整った顔立ちだけでなく、あの個性的な髪型もあってとても可愛い女の子よ。あなたも、そこが可愛いと思ったから好きになったんじゃないの?」
「個性的な髪型、ですか……。確かにそうですね」
ルシアの返答にアイザックは納得する。
(あの縦巻きロールはかなり個性的な髪型だ。人と違ったところが魅力的に見えるのなら、確かに可愛さの要因として見られるかもな。他にパーマをかけている人って見ないし。……えっ。じゃあ、あの髪型ってどうやってんの? 生まれつきの縦巻きロール? 何それキモイ)
パメラの事ではあったが、どうやってあのドリルヘアーを維持しているのかと考えると、不思議で仕方がなかった。
天然パーマの亜種なのかもしれないが、さすがに不気味過ぎる。
「えっと、それじゃあジュディスさんの髪型はどうなんですか?」
「友人の孫娘を悪く言いたくはないが、気味の悪い髪型だな。占い師としては雰囲気が似合っているとは思うがな」
今度はモーガンが答えた。
こちらの返答はアイザックも同感だった。
オカルト系女子の設定だったとしても、貞〇ヘアーはない。
(ジュディスは長い髪を前に垂らしているだけで、パーマがかかったりしているわけじゃない。ただのロングヘアーの一種でしかないから、個性的とまではいかないのか。他の誰かが真似をできるかどうかの差が大きいのかもしれないな)
アイザックは、この世界の美の基準を少し理解できた気がした。
「ありがとうございます。少しわかったような気がします。他に何かお話はありますか?」
「いや、ないな。下がっていい」
「はい」
アイザックが部屋を出ていく。
そうすると、大人達はまた顔を見合わせた。
「照れ隠しではなく、本当に興味がなかったとは……」
「あんなに可愛い女の子なのに……。私のせいです。申し訳ございません」
「いえ、いいのよ」
またしてもルシアは謝る。
だが、マーガレットがその謝罪を制した。
「あの子は王立学院を卒業するまで、婚約者を決めないでほしいと言っていました。でも、十八になるまで婚約者が決まっていない女の子など、器量が悪いに決まっています。その事を考えれば、人とは違った感性を持っているという事は悪い結果にはならないでしょう」
マーガレットの言葉に、他の三人もうなずいて賛同する。
ニコルのような可愛い女の子じゃなきゃ嫌だと、駄々をこねられるよりはずっといい。
――ニコルは可愛くない。
――他の女の子の方が可愛い。
そう思ってくれていた方が、将来の婚約者選びでもハードルが低くなって楽になる。
選ばれた婚約者も、アイザックに「可愛い」と思われている方が幸せに暮らせる。
今から強制的に美的感覚を修正しなくてもいいというのが、彼らの共通認識となった。
かつて、アイザックがポールに抱いた思い――
実はブス専じゃないのか?
――その疑いが、そのままアイザックに返ってきていた。
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