第166話 ウォリック侯爵の企み
ジェイソンとの面会までの間、アイザックは何もせずに遊んでいるつもりはなかった。
こういう時間が空いた時に何をするかで将来が左右される。
目的を達成する手段がわからない時こそ、地道な積み重ねが大切だ。
準備をしておけば、突破口が見えた時に一気になだれ込む事ができる。
今は準備の時だと自分に言い聞かせ、逸る気持ちを抑えようとしていた。
今回訪ねる先はウォリック侯爵家だった。
鉄の生産量の増加などは手紙で読んでいるが、それで終わりというのでは味気ない。
実際に顔を合わせて雑談をしてこそ、友好関係が築けるというものだ。
まだ突っ込んだ内容を話せなくても、いつかは話せるようにしておきたい。
それに、一つ試してみたい事もあった。
ウォリック侯爵を訪ねるのは、今の状況で選ぶのにちょうど良い相手だ。
面会の予約を入れると、いつでもいいよという返事が返ってきた。
(いったい、どれだけ気に入られているのやら……。でも、悪い気はしないな)
いつでも歓迎してくれるという事は、それだけ信頼を勝ち取っているという事だ。
さすがに反乱に付き合ってくれるほどではないとはわかっているが、着実な歩みを感じられるのは素直に嬉しかった。
このまま信頼関係を深めていきたいところだった。
(そのためにも、お土産を用意しないとな)
幸い、良い物が手に入ったのでお土産には困らない。
ノーマンに指示を出すと、アイザックも花壇へと向かっていった。
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ウォリック侯爵との面会の日。
屋敷の前で、アマンダとジャネットが出迎えてくれた。
「お久し振りです、アマンダさん。ジャネットさんも十歳式以来ですね」
「アイザックくん、久しぶりっ」
「お久しぶりです」
アマンダは元気よく返事をしてくれたが、ジャネットは礼儀正しく挨拶をした。
ジャネットはアマンダと違い、アイザックとまともに話した事がない。
それに彼女は子爵家の娘だ。
侯爵家の息子であるアイザックに気軽な話し方をするのは気が引ける。
ある程度、交友を持ってからでなければ馴れ馴れしく話しかけられなかった。
そんな彼女の態度に、アイザックは何も思わなかった。
姉御肌のキャラとはいえ、相手によって態度を変えるのは当然の事。
誰にでもガサツなのは姉御肌というキャラ付けでもなんでもなく、ただの馬鹿でしかないからだ。
「今日はジャネットさんまで出迎えてくださるんですね」
「うん、今日はちょうど遊びに来てたんだ」
アマンダが答える。
アイザックは当主でもなんでもないので、ウォリック侯爵であるクエンティンが自ら出迎えるような事はしない。
娘のアマンダに出迎えさせるというのは、前回訪れた時と同じだ。
今回、ジャネットがアマンダと一緒にいるのは「屋敷にいるからついでに挨拶しておこう」とでも思ったのだろうと、アイザックは考えた。
(それにしても、この二人の身長差は凄い事になってるな)
アマンダは、小柄な体のためおそらく150cmに満たない程度の身長である。
だが、彼女の友人であるジャネットはアイザックと目線の高さが変わらない。
おそらく、身長は170cmほどあるだろう。
二人が並んで立つと、頭一つ分くらいの身長差があった。
王立学院に入学する頃にはアマンダが150cmちょっと、ジャネットは180cm超えになるので、成長するにつれてその差はさらに開いていく。
足して割ればちょうどいいのにと、アイザックは思わざるを得なかった。
アマンダが部屋まで案内してくれると思っていたが、なかなか動き出さない。
お腹の前で両手をモジモジとさせている。
「それでは、部屋に案内していただけますか?」
「えっ、あっ……。うん」
アイザックに催促され、アマンダは渋々案内を始める。
今回もアイザックに花束をもらえると思っていたのだが、アマンダの期待が外れてしまった。
アマンダが肩を落とす姿を見て、ジャネットが「気の利かない人」という目でアイザックを一瞥する。
だが、アイザックが手ぶらで来るはずがない。
ちゃんとお土産は用意していた。
応接室に通されると、アイザックの正面にアマンダとジャネットが座る。
「ウォリック侯爵が来るのに?」と、アイザックは首をかしげた。
アイザックの様子を見て、アマンダが説明を始める。
「あのね、お父さんはお仕事で急に王宮に呼び出されたんだって。すぐに戻れる用事みたいだから心配ないけど、少しの間私に相手をしておいて欲しいって言われて……」
「なるほど」
アマンダは恥ずかしそうに俯いて、胸の前で手をモジモジさせる。
その姿を見て、アイザックはジャネットが同席している理由にも見当が付いた。
(アマンダもそろそろ子供の時みたいに、男女を意識せずに遊んだりできなくなる年頃だ。男相手に一対一で話すのが恥ずかしいのかもしれない。それに、ノーマンやメイド達がいるとはいえ、年頃の男女を二人で話し合わせるのも外聞が悪い。ジャネットをアマンダの補佐に呼んでいたのかもしれないな)
だが、アイザックの導き出した答えは間違っていた。
アマンダはアイザックを婚約者候補として、一人の男として意識している。
フレッドとは違うタイプの男の子なので、どう接すればいいかわからなかった。
それに、二人きりで向かい合ったら緊張で何も言えなくなってしまいそうだった。
だから、アマンダは友達のジャネットを呼んで、そばにいてもらう事で心強さを分けてもらおうと考えていたのだ。
ちなみに、クエンティンは「付き添いなしで完全に二人きりになってもOK派」だった。
若い二人がなにか過ちを犯してくれれば、そのまま一気に婚約を成立させる事ができる。
今回もアマンダに「既成事実を作ってもいいぞ」と耳打ちしていたが、それは顔を真っ赤にしたアマンダによって拒否されていた。
「では、アマンダさんにお土産を受け取ってもらいましょう。ノーマン」
「ハッ」
アイザックが声を掛けると、ノーマンが贈答品を入れた箱の中から小瓶を取り出してテーブルに並べ始める。
これが花束を持ってこなかった理由だった。
「これはまだ売り出す前の品物です。エッセンシャルオイルとフローラルウォーターという物なんですよ」
アイザックが瓶を一つ手に取り、蓋を開ける。
すると、周囲に花の匂いが広がっていった。
「わぁ、花の香り! 花の蜜を集めたの?」
「詳しい原理は説明できませんが、花の香りを集めたようなものです。こちらが使い方の書かれた説明書です」
アイザックもエッセンシャルオイルの原理はよくわかっていない。
なんとなく、煮だされた花の成分を蒸留したものかなと思っている程度だ。
だが、アマンダとジャネットには「売り出す前の商品だから、軽々しく説明できないんだ」と受け取られた。
「瓶に赤で丸い印が描かれているのが、僕の花壇から取れた花で作った物です。よろしければ女性の目から見て、花束とどちらをもらうのが嬉しいのかご意見をお聞かせください」
母や祖母といった大人の女性は、強い関心を持っていた。
若い女性。
しかも、ボーイッシュな女の子の意見というのは、そうそう聞けるものではない。
今回、ウォリック侯爵家を訪問するにあたり、アマンダからエッセンシャルオイルの印象を聞こうというのも目的の一つだった。
「どれも良い香りだね。でも……」
――否定的な意見を言えば、アイザックに嫌われてしまうかもしれない。
そう思って、アマンダは正直な意見を言いだせず口籠ってしまう。
アマンダはジャネットをチラリと見る。
それは彼女に助けを求める視線だった。
ジャネットはその視線の意味を理解し、代わりに意見を言う事にした。
彼女はアイザックに異性としての魅力を感じているわけではないので「少しでも好かれたい、少しでも嫌われたくない」とは思っていない。
友達のアマンダを助けてやりたいという考えだけが頭の中にあった。
「良い香りだとは思うけれど、華が無い。……花と華をかけているわけではありません。見栄えの問題だと言いたいだけです」
「あぁ、なるほど。見栄えですか」
確かに香りは良い。
美容効果もあって、女性には好かれる。
だが、見た目は小瓶に詰まった液体というだけだ。
確かにジャネットの言うように、プレゼントとするには華がない。
効果が女性には好かれるという事ばかり気を取られ、プレゼントには見た目も重要だという基本を忘れてしまっていた。
「確かにプレゼントするのなら、箱に詰めてラッピングしたりする方が良かったですね。一目見て、貰って嬉しい物とわかってもらえるようにしておくべきでしたね」
言われてみれば、あまりにも真っ当な意見。
思い返せば、ドワーフ製の商品もそうだった。
純銀製のカトラリーなどはすぐに在庫がなくなるほど人気があったが、ドワーフ製のビールやワインなどはそこそこの売れ行きだった。
一目見て「良い物だ」とわかる品物に比べ、飲食物は地味過ぎてさほど人気がなかった。
アイザック自身「道具は使えればいい」という認識しかないので、見栄えに対する認識が甘かったと思い知る。
ただ、これはルシアに一言相談しておけばわかった事だ。
「ウォリック侯爵家にお土産として持っていって、アマンダに評価を聞く」という考えに固執し過ぎて、身近な人間に聞くという基本的な事を忘れてしまっていた。
「ノーマン」
「ハッ」
アイザックも失敗したが、失敗した時に備えてフォローの用意は行っている。
ノーマンに声を掛け、箱の中から花束を取り出させた。
「気が利かずに申し訳ありませんでした。ガサツな男のやる事だと思って、笑って許してください」
アイザックは花束をアマンダに手渡す。
すると、アマンダは満面の笑みを浮かべた。
「全然ガサツなんかじゃないよ。ありがとう!」
アマンダは、エヘヘと笑いながら花束を抱き締める。
彼女の反応を見ると、念の為に花束も用意しておいて良かったと、アイザックは胸を撫で下ろす。
「ジャネットさん、ありがとうございました。これから人にプレゼントを渡す時は中身だけではなく、見栄えにも気を付けたいと思います」
「いいよ、気にしなくて。……あっ、いや。今の発言は」
「いいんですよ。十歳式の時のような、話しやすい話し方でどうぞ」
「すまないねぇ。言葉遣いを直せって親にも言われてるんだけど、どうしても出てしまってねぇ」
溜息を吐きながら、ジャネットは普段通りの口調に戻る。
アイザックも貴族令嬢としてはどうかとも思うが、皆が皆同じでは面白味がないとも思っている。
もっとも、これは前世で多くのギャルゲーで、様々なタイプのキャラを攻略してきたアイザックだから受け入れられる事でもある。
この世界の貴族の娘としては、あまり褒められたものではなかった。
「そういえば、ダミアンは元気ですか?」
ダミアンの母であるキャサリンは時々屋敷に訪れているようだが、アイザックが会う事はない。
せっかくジャネットがいるので、ダミアンの事を質問した。
「元気だよ。ただまぁ、遊ぶ前にやる事はあるだろうと思ったりはするけどねぇ」
「なかなか辛辣だね」
確かにダミアンは「俺は本気を出せば、もっとやれるんだ」と思っている残念なキャラだ。
婚約者であるジャネットが「だったら、普段からもっとやる気出せよ」と思うのも当然だろう。
ジャネットの直球な物言いに、アイザックは苦笑いを浮かべた。
「ダミアンの事よりも、アマンダと話しなよ」
ここでジャネットは友人のサポートに回る。
アイザックに気付かれぬよう、彼女はアマンダに向かってウィンクをする。
だが、それは大きなお世話だった。
――アイザックくんに私の気持ちがバレたら恥ずかしいじゃない!
――あっちも気付いてるって。じゃなきゃ、花束を持って来るわけないじゃないか。
言葉に出す事なく、二人は目で会話をする。
ジャネットに言われ、アイザックが自分の気持ちに気付いているかもしれないと思うと、アマンダは恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。
(……もしかして、アマンダはボーイッシュっていうか男寄りになってるのかな?)
女同士で見つめ合って頬を染めているアマンダを見て、アイザックはそんな感想を抱いていた。
アマンダは婚約者であるフレッドと別れて以来、男っ気がない。
侯爵家の娘ならば、家が大変だったとしても婚約話くらいあったはずだ。
元々ボーイッシュなキャラだったので、男を好きになるより女を好きになっていったのかもしれない。
「もしかして、アマンダは女に走ったのかも?」と、アイザックは考えていた。
だが、その疑問を口に出したりはしない。
性指向はデリケートな問題だ。
ウォリック侯爵家とは仲良くやっていきたいので、アマンダに嫌われるような発言は控えておきたかった。
話の流れを変えようと、アイザックは気になっていた事を質問する。
「そういえば、アマンダさんは一人っ子でしたよね」
「うん。僕を生んですぐお母さんが死んじゃったからね……」
これは本人に聞くまでもなく、アイザックも知っている事だ。
アマンダの母は産後の肥立ちが悪く、そのまま亡くなった。
以来、クエンティンは後妻を娶らなかった。
そのせいで、ウォリック侯爵家の後を継げるのがアマンダしかいない。
「では、将来は婿を取るという形になるんでしょうか?」
今はまだ新しい婚約者が決まっていない。
だがもし、アマンダが誰かを婿に取るのならば、その相手とも仲良くしておいた方が良い。
嫁入りではなく、婿を取るというのならば、ある程度対象を絞る事ができる。
同年代で、侯爵家に婿入りできそうな者は限定されるからだ。
「ええっ!? いや、それは……」
アマンダは、またジャネットと見つめ合う。
アイザックの発言が「嫁に来るのと、婿を迎えるのとどっちがいい?」と尋ねているように聞こえたからだ。
「ぼ、僕はどっちでもいいよ。お嫁さんになっても、赤ちゃんをたくさん産んで家を継がせればいいんだから」
そこまで言って、アマンダは自分が口にした事の意味に気付き、顔を真っ赤にしてうつむいて黙ってしまった。
「あんたは嫁を迎えるのと、婿入りするのとどっちがいいんだい?」
代わりに、ジャネットがアイザックにどちらがいいのかを質問する。
「僕はどちらでもいいんですけどね。でも、嫡男だから嫁を迎える方がいいんでしょうね。まぁ、婿入りするって事になっても、妹がいるから家は大丈夫だと思いますよ」
ここでアイザックが考えたのは、将来
ウィンザー侯爵が「婿入りするなら結婚を認める」とか、無茶を言い出すかもしれない。
必死になって獲得した跡継ぎの座だったが、家督自体が欲しかったわけではない。
後継ぎの座という権力が欲しかっただけだ。
反乱を起こし、王になってパメラと結婚したあとはウェルロッド侯爵家の家督は重要ではない。
夢を叶えたあとは、ケンドラに譲ってもいいとさえ思っていた。
だが、ここで問題になるのは、ジャネットが
アイザックの発言は「アマンダと結婚する時は、嫁を迎えるのでも婿入りでもどっちでもいいよ」という意味に受け取られていた。
「妹がいるから家は大丈夫」という発言からも、婿入りにも乗り気なところが窺える。
アイザックなりに、アマンダとの結婚を考慮しているように受け取られていた。
アマンダは顔だけではなく、首の根本まで真っ赤になっていた。
「結構、大胆な事を考えているんだねぇ……」
大胆な発言をしたアイザックは、平然としていた。
ジャネットは、その胆力に驚いて唖然とした表情をしている。
それもそのはず、アイザックはあくまでも世間話をしているだけのつもりだった。
そこまで深読みされているなどとは思っていない。
「アマンダが一人っ子」というところから、話が膨らんだだけだと思っていたからだ。
「そうですか? 実行するのは難しいですが、考えるだけなら自由ですよ」
「そりゃ、そうだけどねぇ」
ただの世間話をしているかのように落ち着いているアイザックを見て、ジャネットもアイザックを高く評価する。
アマンダも侯爵家の娘として教育を受けているが、やはり年相応の女の子としての反応をしている。
なのにアイザックは、まるで大きな岩のように動じない姿を見せている。
(これはアマンダが惚れ込むのもわからないでもないねぇ)
ジャネットは、ダミアンやフレッドにはない、年不相応の器の大きさに感服する。
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(うんうん。どっしりと構えた姿に私まで惚れこみそうだ)
そのやり取りを隣室から盗み見していたクエンティンも満足そうにうなずく。
隣の部屋を覗き見たり、盗み聞きしたりできる部屋が大貴族の家にはある。
部屋の中を客人一行だけにして、客人が身内の者と話す内容を聞くためだ。
彼は急用で出掛けた振りをして、アマンダとジャネットにアイザックの相手をさせた。
子供同士で話をさせ、アイザックが気軽に話しやすいようにするためだ。
そのお陰で、思いもよらぬ収穫があった。
(決してアマンダを嫌っているわけではない事がわかった。私にはわからぬが、何か深い理由があって婚約を渋っているのだろう)
今の話を聞く限り、アイザックにも結婚してもいいという意思があるように思えた。
だが、アイザックはアマンダとの婚約を申し込んでこない。
こちらから申し込んでも、首を縦に振ろうとしないのだ。
それにはやはり、アイザックなりに何か深い考えがあるのだろうと、クエンティンは考えた。
(くそう、アイザックが相手でなければ婚約話を進められるのに)
クエンティンは唇を噛む。
たとえ「アイザックがアマンダと結婚する意思がある」と言っても、誰もが「娘をアイザックと結婚させたいために嘘を吐いている」と否定してくるはずだ。
あわよくば、アイザックに自分の娘や親戚の娘を嫁がせようと考えているのは、クエンティンだけではない。
お互いに牽制し合い、簡単には話を進められないだろう。
アイザック本人が「アマンダと結婚したい」と言ってくれればいいが、その気配はない。
進展もなく、他の貴族と牽制し合うだけの結果になってしまうだろう。
(まぁ、いい。無理に話を進めて嫌われても困る。もう二、三年もすれば、まだ幼さを残すアマンダも魅力的な女性に成長するだろう。それから、積極的にアプローチしても遅くはない。王立学院に入学する頃から動き始めても間に合うだろう)
クエンティンは誰もいない部屋で、一人含み笑いをしていた。
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