第165話 マイケルの頼み

 アイザックは、またジェイソンとの面会を申し込んだ。

 面会予定日は、前回の一か月後。

 面会の許可を得たのは友達として接触しやすくなるためだったが、いきなり友達面して交友関係に割り込むのは気が引ける。

 毎週のように会うのではなく、最初は時間をあけて会う方がいいだろうという判断をしていた。


(さすがに次回はフレッドもいないだろう)


 前回は邪魔者がいたせいで肝心な事を話す事ができなかった。

 次回こそ、さり気なくニコルの事をジェイソンに吹き込んでやると勢い込んでいた。


(俺だけ狙われるなんて不公平だしな。それに、お前ならニコルに迫られたら嬉しいだろう?)


 アイザックにしてみれば、ニコルはキツネ目が残念な女の子。

 だが、この世界の人間であるジェイソンや他のキャラ達にしてみれば、ニコルは魅力的な女の子である。

 自分とは違って、彼らなら喜んでニコルの相手をしてくれるだろう、とアイザックは思っていた。


(ニコルが俺を狙うのは、接点のあるキャラが俺だけだからに違いない。だから、他のキャラと接触する機会を作ってやったら、俺に向けられる圧力が弱まるはずだ。……なのに、なんだ。この不安は)


 なんとなく、今のまま他の攻略キャラに会わせても狙い通りにいかないような気がしていた。


(俺がチョコレートの作り方を買い取って生活を楽にしてやった。もしかして、その事を恩に思っているとかか? 実は義理堅いところがあって、俺と結婚して幸せな生活を送ろうとしている? ……いや、ないな。それなら、もっと違うアプローチをしてくるはずだ。そうなると――)


 熟慮した上で一つの答えに導き出した。


(――顔か)


 アイザックは、ニヤリと笑みを浮かべる。

 両親譲りの優しそうで整った顔立ち。

 誰かに知られるとナルシストと言われるかもしれないが、自分でも気に入っている。

 自分でも美形だと思ってしまうほど、周囲の男の中で一際目立つ整った顔だった。


 身長も十三歳にして170cmを超え、ポールやレイモンドよりも10cmほど高い。

 おそらく、ランドルフのように180cmオーバーでスラリとした長身になれるはずだ。


 ――顔が良く、高身長で高収入。

 ――しかも、借金で困っていたところを助けてもらったので、優しいところもあると思っている。


 そんな男が身近にいれば、ニコルでなくとも狙いたくなるはずだ。

 もしも、アイザックがニコルだったら、ダメもとで狙うはずだった。


(幸い、ジェイソンというより良い物件がある。ニコルの性格次第だけど、フレッドだって自分の思い通りに動かしやすいと思えば俺より良い物件だ。金銭面ではマイケルの奴も今は良い線いっているだろう。会わせる事さえできれば、きっとニコルは食いついてくれるはずだ)


 ここでアイザックが、チャールズとダミアンの名前を挙げなかったのは理由がある。


 チャールズはティファニーの婚約者だ。

 ティファニーは可愛いが、アイザックにとって妹のような存在である。

 自分の恋人にしたいという思いは持っていないので、ニコルにチャールズを奪われて悲しませるよりも、そのままチャールズと結婚して幸せになってほしいと思っている。

 わざわざニコルを擦り付ける必要性を感じなかった。


 もう片方のダミアンは、母のキャサリンがルシアの友人である。

 結局フレッドの友人になってしまったが、一時期アイザックの友人になりそうだった時期もある。

 それに、領地を持たない子爵家の嫡男という事もあり、他の攻略キャラほどの肩書きや資産はない。


 彼らをニコルに差し出すくらいなら、自分と繋がりの薄い三人に狙いを向けさせた方が良いと思ったからだ。


 ニコルの逆ハー要員になれば、きっと不幸な事になる。

 アイザックにも、恨みも利害関係もない相手に、そういった配慮をしてやれる優しさはあった。


(とりあえず、ジェイソンとフレッドにぶつけるのは確定だな。まぁ、あの二人なら俺が仕向けなくても、王立学院で会えば自分から攻略に向かってくれそうだけど……。そうか、王立学院だ!)


 アイザックにとって、ニコルは目前にある危機だ。

 だが、王立学院に入学するまで、あと二年ちょっと。

 それだけ逃げ切れば、出会いの場をセッティングしなくても勝手に襲い掛かってくれるはずだ。


(ジェイソンやフレッドにさり気なく『ニコルっていう可愛い子がいるよ』と耳に吹き込んで会いたいと思わせる。そうすれば入学後に、きっと自分からニコルに会いに行ってくれるはずだ。問題は入学するまでどうするかだよなぁ……)


 この方針は、今まで考えていたものとは違う。

 今までは早い段階でジェイソン達にニコルを会わせて、自分の身を安全にするという方針だった。

 だが、冷静に考えれば、まだ十五歳にもならないニコルがジェイソンと会う機会などないという問題があった。

 ニコルはネトルホールズ男爵家を継いではいるが、まだ若いので王宮で開かれるパーティーに出席できない。

 パーティーに出席する事ができれば「可愛い女の子がいる」と噂になり、ジェイソンが興味を持って王宮に呼び寄せられるかもしれない。

 しかし、ニコルにはその機会すらない。


(いっそ、俺が友達ですって連れていくか? いや、ダメだ。ニコルとの関係はあまり表沙汰にしたくない)


 自分の手で引き合わせようかと思ったが、その案はすぐに捨てた。


 いつか反乱を起こす際に――


「ニコルってアイザックの友達だったよな。もしかして、殿下とパメラの婚約をぶち壊した黒幕はアイザックじゃないのか?」


 ――と、怪しまれる事が怖い。


 楽そうだからと安易な方法を取っては、あとで自分が困る事になる。

 

(とりあえず、防御だ。防御を固めて時間を稼ぐ。その間に何か良い方法が浮かぶかもしれない。でも、防御ってどうすればいいんだ……)


 これが自分自身に襲い掛かる脅威だったら対処もできる。

 だが、家族と接触される事を防ぐ良い方法が思い浮かばなかった。


(ヤクザとかがターゲットの家族に嫌がらせをする理由がわかった気がする。本人の知らないところで家族が狙われているっていうのは怖い。この心理的負担はかなり大きいぞ。曽爺さんほど強くなくてもいいけど、動じない心っていうのが俺にも欲しいな。自分の打たれ弱さが嫌になる)


 かつて、ネイサンとメリンダを殺した時とは違う。

 あの時のアイザックは、二人を殺さねば何も得られない持たざる者・・・・・だった。

 だが、今は違う。

 今のアイザックは、友人や名声といった多くのものを手に入れた持てる者・・・・だ。

 どうしても、手に入れたものを失う事を恐れてしまう。

 ニコルによって家族が篭絡され、家族が変わってしまう事が怖かった。

 とはいえ、怖いからといってニコルを排除する事はできない。

 彼女が国盗りの鍵だったからだ。


(ホント、なんで俺ばっかり……。ニコルが諸刃の剣っていうのは知ってたけど、俺ばっかり傷付くのは割に合わないぞ)


 これもニコルをいいように利用しようとした天罰だろうか。

 狙った方向にではなく、自分にばかり向かってくる。


 ――こういう時、この世界の美的感覚を身に着けていれば楽しめていたかもしれない。


 そんな事を考えてしまう。

 前世を含めても、女性に迫られるという貴重な経験はリサとニコルの二人だけだ。

 リサは婚期を逃しそうで焦っての行動だったが、ニコルは違う。

 自分に男として興味を持ってくれている。

 アイザックは、この状況を楽しめない事を少しもったいないような気がしていた。



 ----------



 ジェイソンへの面会の予約を取り、会う日までどうしようか悩んでいたアイザックのもとに一人の客人が訪れた。

 客人はマイケル・ブランダー。

 ジュディスの婚約者であり、ウェルロッド侯爵家の次に注目を浴びているブランダー伯爵家の嫡男である。

 彼から面会の申し込みがあり、ちょうどアイザックの予定が空いていた事もあり、彼との面会を受ける事にしたからだ。


「なぜこの時期に?」とも思ったが、いつかは会わなければいけない相手だ。

 それに、ブランダー伯爵家は近年急成長している。

 アイザック個人としてではなく、ウェルロッド侯爵家の者としても会っておいた方が良い相手だった。


 マイケルの要請により、この日はメイド達にお茶の用意をさせたあとで人払いをしている。

 人には聞かれたくない内密の用件があるようだ。

 お茶を一口すすり、アイザックは話を切り出す。


「久し振り。十歳式以来だね。本日はどのようなご用件で?」

「うん、久し振りだね。でも、アイザックの話はよく耳に入るから、よく知らない人って感じじゃぁないかな」

「殿下にも同じような事を言われたよ。不思議だね、よく知らない人が僕の事を知っているんだから」


 アイザックがハハハと笑うと、マイケルはフフフと笑う。

 それから二人は見つめ合い、不思議な沈黙が訪れた。

 しばらくして、マイケルが口を開く。


「僕が来た理由……。君ならわかるんじゃないかな?」


(わかるか、ボケ)


 フフフと笑うマイケルに対して、アイザックは笑顔のまま心の中で毒づく。


「さて、なんの事だか」


 アイザックも負けてたまるかと、フフフと含み笑いをする。


 もし、ここにメイド達が残っていれば――


「まるで、二人とも何か深い考えがあっての高度な心理戦を繰り広げている!」


 ――とでも思っていただろう。


 だが、少なくともアイザックには、そのような意図はない。

 マイケルの考えがよくわからないから、合わせて含み笑いをしているだけだ。

 きっとマイケルも、何か考えがあるように見せるために含み笑いをしているだけだろう。

 男の子二人が含み笑いをして見つめ合うという状態が続いた。

 さすがにこれではらちが明かないと、マイケルが用件を切り出す。


「僕の口から聞きたいようだね。今日来たのはジュディスの事だ」

「ジュディスさんの?」


 アイザックはマイケルが訪ねてきた事を不思議に思ったが、理由を言われてみれば納得である。

 少し前にジュディスと会ったので、何かアイザックの話を聞いて興味を持って訪ねてきたのだろう。

 だが、マイケルが訪ねてきた理由は、興味を持ったからではなかった。


「ジュディスに近づかないでほしいんだ」

「えっ?」

「彼女からアイザックの事を聞いたよ。占って欲しいと言われなかったのは初めてだとね。あれほど饒舌に話をするジュディスは初めてだったよ」

「そ、そう?」


 饒舌に話すジュディスの姿を、アイザックは想像できなかった。

 あくまでも彼女にしてはよく話したといったレベルだろうと思った。


「彼女は僕の女神だ。僕から奪わないでほしい」


 口に出してから恥ずかしくなったのだろう。

 マイケルは自嘲気味に含み笑いをする。


(ああ、そうか。俺がジュディスと会ったから心配しているのか)


 アイザックも、少しくらいは周囲が自分の事をどう見ているのかわかっている。

 今、子供の中で最も有名なアイザックがジュディスと接触した。

 しかも、ジュディスがアイザックの話をマイケルに聞かせた。

 前世でいうなら「イケメン俳優が同じマンションに引っ越してきたと彼女に嬉しそうに話された男」のようなものだろうか。


 ――イケメン俳優と話をしたりした時に、恋人の心が揺れ動かないか心配する男。


 それに似たような感情をマイケルが持っているのかもしれない。

 自分に絶対の自信があれば、恋人の心が揺れ動かないと思えるが、自分にそこまで自身を持てる人間などそうはいない。

 マイケルは特にだ。

 わざわざ含み笑いをして、頭を良く見せようとする可哀想な男である。

 アイザックがジュディスと接触して、婚約者を奪われたりしないか心配しているのだろう。

 やはり、兄殺しという実績があるので、そういう事もやりかねないと思われているのかもしれない。


他人の婚約者・・・・・・を奪ったりはしないから安心してよ。お爺様とランカスター伯が友人っていう事もあって、ジュディスさんともお友達になろうとしただけだよ。ほら、十歳式を思い出してよ。あの時もマイケルの前でジュディスさんに友達になろうって言ってたよね? 奪おうと考えているなら、もっとこっそりやるよ」


 アイザックは、ちゃんと説明してマイケルを安心させてやろうとする。

 この言葉に偽りはなかった。

 もし、ジュディスを妻に迎えるのなら、ちゃんとマイケルに・・・・・婚約の破棄をされて、フリーになってから声を掛けるつもりだ。

 家の力を使って強引に奪ったりする気はなかった。


「本当にかい?」


 マイケルがまた含み笑いをする。

 まるでアイザックの言葉の裏を探っているかのように見える。

 しかし、実際は何も考えていないのかもしれない。

 本当に紛らわしい癖だ。


「本当だよ。確かにジュディスさんは魅力的な女性だとは思うけどね。君から強引に奪い取ったりはしないよ」


 アイザックもつられて含み笑いをしそうになったが、そこはグッと堪えた。

 この言葉を含み笑いをしながら言えば「絶対嘘だ!」と思われかねない。

 マイケルと違って、アイザックはネイサンを騙し討ちで討ち取っているという過去がある。

 絶対にうさんくさく見えるだろう。

 真剣な面持ちで言ったのが功を奏したのか、マイケルは信じてくれたようだ。

 満足したように頷いている。


「わかった。今は君の言う事を信じよう。すまなかった。彼女を失うかもしれないと思うと、居ても立っても居られなかったんだ」

「いいんだよ。君とも話してみたいと思っていたところだし、ちょうど良かった。ドワーフとの取引もある事だし、ブランダー伯爵家とは仲良くやっていきたい」


 ドワーフとの取引が拡大すれば、ウォリック侯爵領で算出される鉄だけでは足りなくなる時が来る。

 その時は、ブランダー伯爵家の鉄を売り込む事になる。

 彼とは友好的な関係を築いておいた方が、後々のためにもなる。


「仲良くしたいのはこっちの方もだ。鉄を売る先が増えるのはブランダー伯爵家のためにもなる。……そう考えると、ジュディスを奪わないでくれと言いに来るのはまずかったかな」


 またフフフと含み笑いをした。

 今度は力がないので、途方に暮れた笑いなのかもしれない。


「だったら、普通に話をしに来たって事にすればいいじゃないか」


 なんとなく、アイザックは助け船を出してやる。

 この言葉に、マイケルは明るい表情を浮かべた。


「いいのかい?」

「ちょうど人払いしているしね。今の話は僕達しか知らない。お互い仲良くした方がいいとわかっているんだ。わざわざ火種を作る事はないと思うよ」

「ありがとう。噂に聞いていたよりも良い人みたいだね」

「……その噂の内容が気になるんだけど」


 どんな噂かアイザックは気になったが、マイケルはフフフと笑って誤魔化した。


(その含み笑いをやめろ! なんかズルイんだよ!)


 だが、ここで怒るとなんだか負けたような気がする。

 アイザックも含み笑いを返す事で、張り合っていた。


「ところで話は変わるけど、アイザックもジュディスの魅力に気付いているんだね」


 マイケルが露骨に話を変えてきた。

 いつまでも含み笑いを続けているのは疲れるので、仕方なくアイザックも話題を変える事に賛同した。


「まぁね。隠されてはいるけど、結構凄いよね」


 長い黒髪で隠れてはいるが、すでにリサと同程度の膨らみを持っている。

 いや、実際は髪の毛だけであの膨らみは隠しきれていない。

 男なら誰だって気付くだろうと、アイザックは思っていた。


「確かに彼女は凄い。伯爵家の令嬢なのに、細かい気遣いもできるんだよ。あんな素晴らしい女性が婚約者なんて誇らしいよ」

「あ、あぁ。そうだね……」


 一瞬、自分がとんでもなく下劣な存在に思えてしまった。

 アイザックは表層的な面しか見ていなかった事を恥じる。


「フフフ、それにね――」


 それからは、マイケルの惚気話が続けられた。

 自分に恋人も婚約者もいないアイザックは、惚気話を聞かされてもつまらない。

 アイザックは笑顔で聞き流しながら、考え事をしていた。


(こんなにジュディスの事が好きなのに、なんでニコルなんかになびくんだ? あんまり悪い奴にも思えないし……。とりあえず、こいつにニコルを擦り付けるのはやめて、ジェイソンかフレッドに擦り付ける事を考えよう。あいつらなら俺の良心も痛まないしな)


 もしかすると、攻略サイトの評価通り、男としては残念な男なのかもしれない。

 だが、一人の人間として・・・・・・・・は悪い奴じゃないのかもしれない。

 マイケルもニコルに人生を狂わされた人間だと思えば、何をやってもいい悪人だとは思えなくなってきた。

 標的は他にもいるので、ニコルの生け贄にするのは可哀想だとすら思えてくる。


(とりあえず、ジェイソンとフレッドを優先して、マイケルの優先度は下げてやろう)


 ジュディスの話をして嬉しそうな含み笑いをするマイケルに、アイザックは含み笑いで返す。

 マイケルとは違い、アイザックの含み笑いは様々なものを含んでいた。 

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